名前を隠して楽しく日記。
「なんでそんなやつがこんなところに?」「こっちのこと見下してんじゃねーかな」みたいな、彼らの中にあるコンプレックスが他人に投影される瞬間が嫌いだ。
俺はドロップアウトボーイ。
前にどういう職種に勤務していたのかを伝えると、大抵は逆差別をくらう。おれらとお前じゃ住む世界が違うんだから仲間に入れてやらねーよ、みたいな空気感がひしひしと伝わってくる。
知らんて……(嘆)
酒も煙草もギャンブルもやらんのは俺が内向的で、そういうやつらとつるんでこなかったから。身持ち崩すのはわかってるから遠ざけてるそれらを推奨してこないでくれ……
徳島や高知の美術館が購入し展示していた絵画が、贋作画家ベルトラッキの贋作だったというニュースがあった。
ベルトラッキは既に懲役を終えて、悠々自適な生活を送っちゃっているという。(数十点の贋作のうち、ほとんどが時効成立で懲役6年)
彼は実在の過去の画家を研究し、「存在していたが行方不明で誰も見たことがない作品」を作り出して、専門家も見抜くことができないレベルの贋作を多数作り出した。
ベルトラッキは、贋作を作った犯罪者でもあるんだけど、別の角度から見ると、すでに現代アートの核心ど真ん中を突いちゃってた人でもあった、と思う。
現代アートって、もう「うまく描けたか」とか「本物の絵の具か」みたいな話じゃなくて、「この作品が何を問いとして投げているか」が価値の中心になってる世界。
彼は、ただ絵を上手に真似した人じゃなくて、「この画家が、もしあの時代にこういう作品を描いていたら?」という、あり得たかもしれない歴史そのものを捏造してたわけで、これってもう「贋作」というより、「美術史のフィクションを作っていた」と言ってもいいかもしれない。
それによって「結局、何を本物だと信じているのか」「名前と来歴が価格を決めてないか」「専門家の鑑定って、どこまで絶対なのか」みたいな、アート市場そのものの弱点を露わにしてしまった。これは制度批評そのものだし、もし彼が最初から「これは贋作です」と明かしたうえで同じことをやっていたら、それはもう完全に現代アートの展示として成立していた可能性が高い。
たとえば、存在しない画家を設定して、その架空の人生と時代背景ごと作品を量産するとか、「これは完璧に本物っぽく作った贋作です」と明示した状態で展示するとか、それだけで「人はどこで感動してしまうのか」「贋作と知った瞬間に価値は消えるのか」みたいな問いを、観客自身に突きつけられる。体験型のコンセプトアートになる。
実際に一部の人たちは、彼を単なる詐欺師としてだけじゃなくて、「意図せずしてコンセプチュアル・アーティスト的なことをやってしまった人」と見ているらしい。
市場や鑑定制度を騙し、オリジナル神話に問いを生み出し、しかも技術も異様に高い。それはクオリティとして評価され得るとしている人たちがいる。
もし最初からアートとしてやっていたら、「市場と真贋を丸ごと批評した作家」として評価されたかもしれない。または、「何をどのように描いたかよりも、誰が描いたか」となってしまい、無名のまま筆を置くことになるか。
芸能事務所で働いてると、チーメス底辺女性の異常性と加害性がよく分かるよ。あれでメンタルやられた奴を何人も知ってる。「メロい」って言葉で自身のキッツイ性欲を美化してるけど、チンコ触ろうとしたり、文からマン汁が滲み出てるキッショい手紙送ってる奴等が正常なわけ無いんだわ。この前もBTSにセクハラして起訴された女がいたけど、あれは氷山の一角に過ぎない。
手掛けてる作品や書籍がどれくらい面白いのかプレゼンするためにYoutubeやメディアに出るのはわかる
でも最近は編集者がどんな経歴だとか、どんな生活ルーチンだとか、こういう作品を手掛けてきたからすごいとか、
作品以外の部分で取り上げられてるのが鼻につく
意外と安いと思った
10倍飲めばいい