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はてなキーワード: 新政府とは

2025-10-29

anond:20251029164554

しろ政治こそ関係性、信頼関係がモノをいう分野よ

「つながり」、「信頼」が最も大事からこそ、その裏付けを求めて、藤原氏天皇との「血縁」を深めるべく政略結婚を進めたし、新政府藩閥という「地縁」で固めた

裏切らない、嘘をつかない、相手を敬う

そこが守られなければ、どんな立派な政治理念もイズムも、所詮は絵に描いた餅だから

2025-10-23

anond:20251023130908

新政府を支えてたのは旧幕臣なのに、手柄は薩摩人が持っていったかあんな結末に…

2025-10-05

anond:20251004201016

まず、金融政策政府の責任って発言から日銀に利上げさせないつもり満々。

たぶん国債ETF売も許さないつもりだ。

金利資金調達できる状況が続くから設備投資の拡大で金回りはよくなるだろう。

金がダブつくから日経平均5万円、6万円が射程に入る。タワマン10億円時代になるかも。

いいんじゃねーの?高市任期中はそれで。

全てのモノの値段が上がるってことは円の価値が下がるってことだから円安に振れる可能性が高い。

金利になることで金利差でも円安に振れる可能性が高い。

いいんじゃねーかな、それだって高市早苗の任期中は。

国の借金はお父さんがお母さんに借りてるようなもんだからいくらあっても問題ないって信じてるみたいだから公共事業はばっかばっかやる。

政府債務が増えるけど、いいんじゃねーの?任期中はそれで困んないとと思う。

大変なのは利上げしたときで、株価爆下げ、不動産価格爆下げ、そんとき政府債務が膨らんでると国債の利払いだけでジエンしかねない状況になる。

台湾有事とかアメリカAIバブルの崩壊とかとタイミングが被るとさらにまずい。

移民政策消極的だけど、あと5年くらいは大きな問題にはならない。東京地方から若者を吸い上げれば耐えられる。

地方は、うーん、トヨタ工場さえ稼働すりゃいいんでねーの?知らんけど。

あと5年もない労働者不足対策猶予期間になんもしねーんだから、後任はかわいそうだと思うけど。

鹿なんか害獣なんだけど、労働者不足なんかより鹿の保護大事なんだろ?任期中は労働者不足の対策は進まないと思う。

独特の歴史観でいろいろ揉めそうだけど、どうせ少数与党から大きく出られないし、いいんじゃねーの?

進次郎だったら維新国民民主にすり寄ってただろうけど、高市だったら保守党参政党に一部折れたりするんじゃないかな。

口じゃ勇ましいけど、口だけだよ。

攘夷攘夷騒いでたやつらが新政府に入ったら外国頼みになったのと同じ。

国会議員票で苦しんだのでわかる通り、味方が少ないから戦った進次郎やその推薦人もそこそこ要職につけると思う。

さすがに牧島かれんは許さないと思うけど、せいぜいそんくらいじゃないか

2025-07-30

香港民主派の誠実にしてモラルある行動の数々

晒し行為・犬笛行為

政府職員警察官新政府デモ隊顔写真とともに氏名・住所・家族構成など専門まとめサイトに公開、誹謗中傷扇動する。

民主派の求める自由とは嫌いな人間迫害し、誹謗中傷する自由ですか?

 

破壊活動暴力行為

親中派とみなした商店政府機関を襲撃し、建物破壊

アプリ親中派商店情報可視化するなどシステマティック扇動し、組織的集団的破壊行為を行う。

もちろん暴力行為も彼らにはなんのためらいもない。

コレへの言い訳として最初に手を出したのは警察、という論を展開するが、明白なデマ

血気にはやった勇武派がデモ当初から破壊活動暴力行為を行っていた。

というか、警察が先に手を出したからと言って、商店政府建物破壊していい理由にはならんだろうに。

民主派には、この手の幼稚な言い訳が目立つ。所詮お気持ち民主主義である

破壊暴力自由を守れ!」

 

外国への支援要請

アメリカ国旗を振りながら、アメリカ大使館に向かいデモ行進。

そしてシュプレヒコールの内容は我々を支援してほしいと訴えかける内容。

民主派外国勢力の関与を否定するが、この言葉がどうして信じられる?

ここまでバカだと海千山千政府にいいようにボコボコにされるのも当然である

ちなみに香港を出ると、民主派の主張を鵜呑みにするメディアの多いこと。底なしマヌケである

安法施行直後に解散した団体外国との関与がバレるのがいやだったのかも。

 

警察官殺害未遂

民主派弱者男性と思しき、中年警察官を刺傷させ、その直後自ら自殺した事件

警察官殺害する一歩手前まで扇動した民主派の罪は重い。

しかも、この殺人未遂犯のために献花する連中が次々出る始末。まるで安倍元総理暗殺を喜ぶ限界左翼X民。

すさまじい反社会的行動で、さすがの海外メディアからも戸惑いが行間からにじみ出る始末。

何が民主自由だよ。殺人自由まで認めるつもりか。

ここで出てくる言い訳政府が・警察最初に〜というもの

もういいて(笑)

 

デマ吹聴

デモ最中参加者の死をなんの根拠もなく不審死と疑い、さらには政府の関与を主張する陰謀論を吹聴。

自分たちに都合の悪いことは全部政府がやった、という程度の粗雑な論理

いまだったら普通にコミュニティノートがつくレベルだと思うが、エコーチェンバーに囚われた民主派には何も届きません・・・

2025-05-15

anond:20250514133118

江戸時代260年も続いたかめっちゃ長いよね。

末期(幕末)に起こった、幕府新政府が戦った戊辰戦争では近代式の装備使って戦争したよ。

2025-04-14

いまこそ令和の王政復古の大号令宣言すべきときだ!トランプ大統領に対抗するため天皇を中心とした新政府樹立しよう!

2024-12-01

兵庫県ってほんとデカすぎるよな。これ維新元勲たちの、この地方のが解像度が低すぎ問題だったんだろうな。

いまの都道府県って基本明治維新後の新政府がそれまでの藩を統合してまとめあげたもんだろ。

これ多分、維新政府もっとこの地方人間が入ってたら、こんなまとめかた絶対してないと思う。

九州とかさ、細かく別れてるじゃん?

あれは薩摩藩とか長州藩の人らにとって、九州解像度が高かったからだと思うんだよね。

この地方とこの地方をまとめるのは無理があるな、とかって感覚があったからなんだと思う。

からさ、もしも、戊辰戦争で奥羽列藩同盟とかがまさかの大逆転で新政府を作っていたとしたら、

九州解像度とか低すぎて、ひとつの県、九州県とかつくっていた可能性とかもなくはないと思う。

2024-10-19

明治維新について簡単解説するやで

明治維新(めいじいしん)は、1868年から始まった日本の大きな変革のことや。

江戸時代が終わって、武士時代から近代国家へと移り変わる大改革やったんや。

まず、江戸時代は長いこと続いたけど、外国日本に「開国せぇへんか?」って迫ってきたんや。

特にアメリカペリーさんが「ドン!」って黒船でやってきたんが大きなきっかけやな。

それで、徳川幕府がグラグラし始めたんや。

その後、薩摩藩長州藩を中心に「このままじゃアカン!新しい政府を作ろう!」ってなって、徳川幕府を倒す動きが強まっていったんや。

それで、天皇を中心にした新しい政府ができて、これを「王政復古」言うんや。

明治維新では、封建制度廃止されて、武士特権もなくなったんや。

そして、中央集権政府が作られて、軍隊近代化されたんや。

さらには、学校も作って、外国技術文化をどんどん取り入れていったんやで。

簡単に言うたら、江戸時代の古いシステムを壊して、新しい時代を作ったんが明治維新やな。

これで、日本は急速に近代化していって、世界の仲間入りを果たしたんや。

(でも国内内乱があったんだよね?)

そうやね、明治維新過程では日本国内内乱もあったんや。

特に有名なんは「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」や。

戊辰戦争1868年から1869年にかけて起こった戦いやねん。

徳川幕府を倒して新しい政府を作ろうとする側(薩摩藩長州藩が中心やった)と、幕府側の勢力がぶつかり合ったんや。

この戦いは京都鳥羽伏見から始まって、東北地方まで広がったんやで。

特に会津戦争函館戦争が有名やな。会津藩幕府側を支援して戦ったんやけど、最終的には負けてしまったんや。

また、函館では旧幕府軍榎本武揚(えのもとたけあき)が五稜郭(ごりょうかく)で最後抵抗をしたけど、こちらも新政府軍に敗れてしまったんや。

この内乱は、ただの権力争いだけやなくて、日本全体が新しい時代に進むための大きな痛みとも言えるんや。

結果的に、天皇を中心にした新政府勝利して、日本中央集権化と近代化に向かって進んでいったんやな。

(その時西郷隆盛は何してたの?)

西郷隆盛(さいごうたかもり)は、明治維新の中心人物のひとりで、戊辰戦争の間もめちゃくちゃ大きな役割果たしてたんや。

まず、西郷薩摩藩リーダーとして、新政府を作ろうとする側に立ってたんや。

鳥羽伏見の戦いでは、幕府側と戦って新政府軍勝利に導いたんや。

彼は戦術にも長けてたし、部下たちにも慕われてたから、戦争勝利に大きく貢献したんやな。

戊辰戦争が進む中でも、西郷東北地方函館方面派遣される新政府軍の指揮を取ったり、旧幕府側との和平交渉にも関わってたんや。

特に江戸城無血開城江戸城を戦わずに明け渡すこと)では、西郷勝海舟(かつかいしゅう)が話し合って、江戸戦火から守ることができたんや。

これは西郷人間的な魅力や度量があったからこそ、実現できたもんやね。

ところが、明治維新が進んで新しい政府ができたあと、西郷新政府方針対立するようになってくんや。

特に西郷は、急速な近代化中央集権化の進み方に対して反感を抱いてたんや。

そして、最終的には西南戦争1877年)で政府反旗を翻すことになったんや。

この時、西郷薩摩士族たちを率いて、武士伝統や誇りを守ろうとして立ち上がったんやけど、結果的には政府軍に敗れてしまい、自ら命を絶つことになったんや。

簡単に言うと、西郷隆盛維新立役者でありながら、最終的にはその維新の流れに反発して戦った、というめっちゃドラマチックな人生やったんやな。

(あと伊藤博文についても解説して。なんか悪いイメージもあるよね)

伊藤博文(いとうひろぶみ)は、日本の初代内閣総理大臣憲法の制定に深く関わった人物やけど、確かに彼に対する批判的なイメージもあるんや。

それにはいくつかの理由があるねん。

まず、伊藤博文明治政府の中で「近代化」を進めた立役者やけど、その一環として朝鮮半島への介入や植民地政策に深く関わってたんや。

特に伊藤朝鮮に対して行った政策や、朝鮮日本保護国したことで、彼は後の日本植民地支配の基盤を作ったと言われてるんや。

これが大きなマイナスイメージひとつやな。

伊藤は、1905年日本韓国保護国化した際、初代韓国統監(かんこくとうかん)に就任したんや。

この統監府は、事実上日本韓国支配するための機関で、伊藤はそのトップとして韓国の内政に強く介入したんや。

この時期に韓国独立自主権が大きく損なわれたことが、彼に対する批判の大きな要因や。

その結果、1909年伊藤博文韓国ハルビン駅で、独立運動家の安重根あんじゅうこん)に暗殺されてしまったんや。

安重根伊藤を、韓国侵略独立を奪った人物として憎んでおり、この暗殺日本韓国の歴史に深く影響を与えたんや。

また、国内でも彼が明治政府の中枢で権力を握ってたこから一部の人からは「藩閥政治」を進めたと見られ、権力を一部の有力者たちで固めたことに対する批判もあったんや。

まり政治一部の人たちの手で動いていて、庶民の声が届きにくいっていう不満があったんや。

総合的に言うと、伊藤博文日本近代化に大きく貢献した一方で、朝鮮韓国との関係、そして国内外での権力集中に対する批判があるからマイナスイメージが残ってるんやな。

(女癖も悪かったと聞いてるけど)

ああ、そういう話もあるな!伊藤博文は「女癖が悪い」って噂がよく出る人物でもあるんや。

彼は若いころからかなり遊び好きで、特に女性関係にはだいぶ自由奔放やったらしいで。

彼は明治時代政治家の中でも、遊び人として知られとったんや。例えば、若いから遊郭に出入りしてたし、いろんな女性関係を持ってたっていうエピソードも多いねん。

噂によると、50歳を超えてから若い女性に夢中になってたとか、何度も結婚離婚を繰り返したりして、結構な数の女性と浮名を流してたんや。

特に彼の「芸者好き」は有名やったんや。政治家としての公の顔とは別に、夜はよく芸者遊びをしてたというエピソードがたくさん残ってるんや。

これが「女癖が悪い」という評判の元になってるんやろな。

さらに、晩年でもそうした生活を続けとったみたいやから一部の人からは「品がない」とか「節度がない」とか批判されることもあったんや。

ただ、そういう奔放な生活があっても、政治家としては一流やったんやけど、そのプライベートの部分があまり良いイメージを持たれてないってことやろな。

から伊藤博文には偉大な政治家としての側面と、ちょっとだらしない私生活の一面があって、それが「女癖が悪い」という評価に繋がってるんやろうな。

2024-10-16

anond:20241015205456

戦前から幕府新政府側の偉い人はすでに東京暮らしててその子孫は仲良く会食してるだろうよ

anond:20241015205456

いわき市出身だがこれについては完全にどうでもいいというか、福島県外の人と大して変わらん認識だと思う

そもそも福島県」という括り方自体が、新政府会津二本松相馬とその周辺をくっつけただけなので…個人的はいわき市民としてのアイデンティティはあっても福島県への帰属意識あんまりなかったりする

まあ明治維新のものにそれ以前の日本文化との断絶という意味で良い印象がないとか、現代に至るまでの政治薩長出身者が権力の中心にいることの弊害に好ましくないとかは思うが、それはまた別の話だという認識

2024-10-15

福島県民は現在薩長を嫌っているのか?

 「地域による」が正確な答えだが、これではどういう事なのかわからない、となる人が多いと思うので、表で示してみる事とした。

薩長嫌い度地域
大嫌い会津若松市
嫌い会津その他
やや嫌い二本松市白河市
関係ない福島市浜通り全域
好き郡山市

 「戊辰戦争被害が大きかったから」というのが薩長を嫌う理由で、それは間違いではないのだが単純にそれだけではない。

  1. 新政府敵対した藩の出身者は「賊軍」とされ新政府出世し難かった(できなかった、わけではないので注意)
  2. 会津地方の開発は、他と比べてかなり後回しになった(山が険しく雪が多い、という表向きの理由があるとはいえ新政府会津が嫌いだからが強く影響していると薩長嫌いの地元民は感じている)

 こちらはかなり後まで((2)はあえて言えば現在まで)続いており、「百五十年前の事をいつまで言ってるんだよ」という声には「そうではない」と言いたい。

会津若松★★★

 会津藩の中心都市戊辰戦争では被害甚大だったし、その後の不利益も長く続いた。

会津その他★★

 会津若松以外の地域戊辰戦争で直接そこまでの被害を受けたわけではないが、長年の会津地方冷遇の影響は強く受けてきたわけで……

二本松市白河市

 会津若松に次いで戊辰戦争被害が大きかった。ただし、中通り地方鉄道道路の整備が早く、そちらの被害はさほど続かなかった。純粋戊辰戦争の恨みだけなら、まあこんなもんだろう。

福島市

 福島県における都市の格を江戸時代基準に見れば会津若松の方が上だった、すなわち県庁所在地会津若松になって然るべきだったのが、あちらが戊辰戦争ボロボロになったため漁夫の利的に福島市県庁が置かれる事になった(養蚕が盛んだったため、当時から豊かな街ではあった) そういう意味では、新政府感謝している……かも?

いわき市ほか浜通り

 会津浜通りはかなり遠く(奥羽山脈阿武隈山地と2つも山を越さないと行けない)、戊辰戦争の話もまあ関係ないと感じる人が多い。

郡山市

 郡山市江戸時代までは荒れ地ばかりの田舎だったのが、明治以降

 という事で、現在福島県もっと人口が多い都市である。安積疎水事業を進めたのは大久保利通を始めとする新政府なので、郡山市民としては新政府感謝する方が自然である。市の南には大久保利通を祀る「大久保神社」があるほどだ。ただ、郡山市でなら誰でも薩長と仲良く……かというと、会津から郡山市に移ってきた人も少なからずいて、そういう人は「薩長のせいで故郷を離れる事を余儀なくされた」と思っている場合もあるので安心はできない。

その他

 戊辰戦争のほか、福島県には三島通庸薩摩)vs自由民権運動、という話もある。これも込みで考えるとさらに複雑になるのでこちらは略。

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『近藤勇』(デジタルコレクションには1975年の復刊版である新選組実戦史』しかない)にも同様の記述がある。

そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2023-12-12

歴史もの登場人物って主人公によって評価変わるけど

勝海舟幕府新政府、誰が主人公作品でも優秀で良い奴として描かれるよな

2023-09-14

anond:20230914181721

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E6%8D%A8%E6%9D%BE

近世以後ヨーロッパ確立された外交プロトコルでは、夜会舞踏会が大きな役割果たしていたが、その風潮は19世紀後半になってもあまり変わってはいなかった。列強外交官は夫人同伴で食事舞踏を楽しみ、時にはそうした席で重要外交上の駆け引きも行う。幕末から明治初年にかけて欧米を視察した日本人にとって、それはひとつの大きな衝撃だった。日本人女性がまだ人前での立ち振る舞いにまったく慣れていなかった時代新政府の高官の多く[誰?]が即戦力となる芸者娼妓正妻として迎えた[34]理由ひとつもここにある。

どうも社会云々じゃなさそうなんだよなあ

2023-09-02

anond:20230902021424

朝鮮王国は江戸時代日本とは通信使の往来で儀礼的な国交があるという認識だった。基本的には鎖国(海禁)政策をとっていたので、対外貿易清朝に対する朝貢が基本で、日本との貿易対馬藩を通してのものだったから、政府として日本政変に関与しようという動きはなかった。明治維新後、新政府朝鮮と国交を結ぼうとしたとき朝鮮江戸幕府正式政府と認めていたからという名目で、それを倒した薩長政権非合法政権であるとして相手にしなかった。これに苛立った明治政府がいろいろやったことが後のあれやこれやにつながっていく。

清朝は、もともと「王道実践すれば周辺の蛮国は朝貢してくる」という態度だったので、積極的周辺国の内政に関与する姿勢はなかった。特に日本に対しては、「明の頃には朝貢してたけど、その後、明朝にたてついて戦いを挑もうとしたときから国交は断絶してる。商人非公式貿易に行ってるようだが、政府としてはそれは積極的には認めていない」という認識だったので、そこで政変が起こっても、基本的には関係ないよという感覚だった。

なので、無視されてたというのが実態やね。

2023-07-10

anond:20230710130720

革命家のやってることは新政府樹立まではまごうことなき私裁私刑じゃん?新政府が事後追認すれば過去やったことも許されるって論理か?

2023-05-10

後天性薩長アレルギー

私は元福島県民で、薩摩長州が大嫌いだ。

からずっと「薩長の女じゃなければ誰と結婚してもいい。」と言われてきた。しかし親に、妻は「水戸人間(笑)」と言われていた。戊辰戦争では水戸空気だったから。

親の「先の戦争」はもちろん戊辰戦争だった。小学校白河から会津藩がどう遅滞戦闘たか遠足しながら回った。

今思い返せば、福島県民は薩長が、というか新政府に与する態度は日中日韓のそれより酷いものがある。私はこうなるまいと過ごしてきた。

今年度、新卒の子入社してきた。薩摩出身だった。なんかそれだけでもういやだった。

私は、福島県民だったのだ。

2023-04-18

anond:20230416132929

新撰組政府

 ← 嘘言うな。新撰組明治政府ではなくて旧幕府側のお雇い部隊だろ。新政府から見れば討幕運動弾圧した徳川の手先だよ。

2023-03-21

anond:20230321045834

幕府領地接収して、官僚の恩給にする計画があったからとしか

  

1 徳川は、オランダ東インド会社支援で各藩の鉱山を幕領とし(リーフデ号)、金銀銅の輸出によって体制を維持していた

2 オランダ英蘭戦争の結果、国力が衰退し、1804年には仏ナポレオン占領された(江戸幕府はそれで仏軍軍事顧問にした)

3 1814年、仏ナポレオン政権崩壊し、英独が復活

4 1840年イギリス硫黄を巡ってイタリア海上封鎖を試みて勝ったが、日本とも貿易をしたかった

6 幕府鎖国体制でいたので黒船攻撃させ、各藩の貿易規制も緩和させた

7 ただ幕府と各藩主条約したとしても、幕府が倒されて政権が変われば条約破棄もされかねない、それならいっそ、幕府が倒れても条約継続する天皇制にしてもらいたい

8 イギリス日本駐在英字新聞社を通して天皇制必要を解き、支持藩を増やした(英国策論)

9 どこかの藩が外国船を攻撃したりするので、幕府海軍増強に務めるが、米大統領リンカーン軍艦の輸入を止められてしま

10 薩長天領石高400万石を使って官吏軍人の恩給制度を作る計画をたて、公家を味方につける

11 問題天領にいる旗本会津などの佐幕派は、徳川引退しても利権を離さないに違いない、できれば根絶やしにしたい、あとロシアが近い蝦夷にも兵をおいて天皇管轄にしておきたい

12 1967年11月に大政奉還が行われたが、倒幕派はしつこく放火などで騒動をおこし、それに対し幕府薩摩藩邸焼き討ちで報復

13 新政府徳川慶喜にも難題を押し付けて蜂起させたうえ、死罪1名に付き一家3名死罪とする刑法を作った

14 幕府の軍で警察でもあった会津藩などは当然に反発し戊辰戦争が拡大するが、幕府側には仏兵、新政府側には英米兵も従軍し、はんば代理戦争となった、軍事物資もかなり輸入された

15 佐幕派は敗北し、新設の東京裁判所は首謀者らを一家死刑にして勢力を削ぎ、ゲルマン利権を確保(そのあとで刑法を穏健なもの改正

16 1874年には大久保ドイツから明治通宝印刷機を購入し、新札を元手にのちの西南戦争鎮圧

17 木戸1975年から本当に公家軍人官吏の恩給制度を作りはじめ(現代の1.5兆円ぐらいがかかった)、そのことで農民搾取されるようになった(パウルマイエット談)

18 鉱山新政府側の人間乗っ取り、新たに家督優遇相続制度が作られ、二男三男は工場労働者兵隊になり、貧しい農村の娘は売られ、地方中央格差は拡大

19 天皇ガーター勲章を与えたイギリスのために日清戦争日露戦争もしたが、現地には入院施設も準備されず、負傷者は赤十字神戸丸で佐世保海軍病院まで連れ戻されていた

 

官僚給料が高いのも、真っ黒い歴史の口止め料かなと思いますよね

墓未だ事件(はかまだじけん)

幕末以降に増加した、新政府国策による一連の一家殺人事件

幕領の経営者一家などが狙われ、作業場敷地普仏戦争におけるプロイセン軍事物資用の工場として徴用された。

実行犯国賠金を受けさせるため、実行犯冤罪事件演出されたこともあった。

被害者一家は、転住したか失踪したとして扱われ、墓も作られなかったため「墓まだ事件」と通称された。

   

日本の歴史だよ?

2023-03-11

anond:20230311201629

正確に言えば23K68なのですが(文は煙や)でも構いません

法律は煙のようなものです

産業革命のあとにはイギリスイタリア硫黄を巡って争いました

硫黄がなければコイン生産も滞ってしまうほどです

そこでアメリカ黒船日本硫黄を取りに来ました

ドイツ人フランツ・リスト刑事法を社会政策として使うというおそろしい技術を生みました

観念的競合を考えたのも同じ人

日本では硫黄業を始めるために様々な家が新政府側の婿に乗っ取られました

刑法として新律綱領ができました親属殺人罪もありました、しかしが立件義務はあったでしょうか

非親告罪の設置は明治13年です

翌年、政府硫黄輸出税を無税にし硫黄輸出業が栄えます

硫黄王と言われるようになったのは今の損保ジャパン創始者でした

観念的競合という技術によれば殺人の前にどのような害を加えようとも罪にはならず、殺人罪の最高刑にしかならないのですね

そして起訴状に書かれないことは裁判官は知る由もありません

観念的競合の技術を使っているのは今は日本だけだそうですが、どうしてなのか理解に苦しみます

2022-08-25

anond:20220825100451

デノミですか。まあ、それはともかく新政府は前の政府債務を引き受けてくれるのですか?当然外国はソレを期待しますよね?

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