はてなキーワード: 昭和元年とは
昭和の夏、特に後半と平成以降の夏を比較すると、明らかに昭和の方が涼しかったと言えるでしょう。
いくつか具体的なデータや傾向を見てみましょう。
猛暑日の増加: 日本気象協会の調査によると、昭和元年から令和元年(1926~2019年)の期間で、平成の31年間が観測史上最も日本国内の気温が上昇した期間とされています。猛暑日(日最高気温35℃以上)の出現日数も、近年顕著に増加しています。
平均気温の上昇: 東京のデータを見ると、例えば1970年の8月の月平均気温は27.4℃、最高気温は35.5℃でした。これに対して、2020年の8月の平均気温は29.1℃、最高気温は37.3℃と、明らかに上昇傾向が見られます。
40℃超えの頻度:
日本で初めて40℃を超えたのは、昭和2年(1927年)7月22日に愛媛県宇和島市で記録された40.2℃です。
昭和8年(1933年)には山形市で40.8℃を記録しています。
しかし、これはあくまで当時の「観測史上最高」であり、頻繁に記録されるようなものではありませんでした。
平成に入ってからは、特に2000年代以降、40℃を超える地点が増え、毎年のように記録が更新されています。2000年の新潟三条の40.4℃も、その兆候の一つと言えるでしょう。
気候変動の認識: 昭和の中頃(1960年代~1980年代)には、むしろ「氷河期が来る」と騒がれた寒冷期があったことも指摘されています。これは、現在の地球温暖化とは異なる気候変動の様相を示しています。
「39度の!とろけそうな日!」という歌詞が発表された2000年の時点で、最高気温が40.4度(新潟三条)というのは、当時の感覚としては「異常な暑さ」として受け止められていた可能性が高いです。しかし、現在の夏では、40℃超えはもはや珍しいことではなくなりつつあります。
平均気温が低かった
猛暑日の日数が少なかった
40℃を超えるような極端な高温は、記録としては存在したが、現代ほど頻繁ではなかった
ということが言えるでしょう。昭和の人々は、今よりもずっと涼しい夏を過ごしていたと想像できます。現代の感覚からすれば、当時の夏は「快適」と感じる人が多かったかもしれません。
・ヒメゴト
少し前の漫画。19歳なのに高校の制服着てオナニーするボーイッシュ女子と、19歳なのに15歳と偽って制服で売春する小柄ビッチが、周りのメンヘラや異性装趣味を巻き込んでいく話
・まじめな会社員
ワナビこじらせた派遣社員の女が、生き甲斐持ってキラキラしてる派遣仲間に嫉妬しまくって空回りしていく共感性羞恥マンガ
美魔女系漫画家が離婚した勢いで、ティン●ー経由で会った若い男の子たちを食べまくる話
・ふれなばおちん
子育てに奮闘する主婦が、夫の勤め先のイケメン派遣男子といい感じになりつつもじれったい秘密の恋愛をする話
・女の体をゆるすまで
漫画家アシスタントの主人公が受けた性的トラウマを頑張って乗り越えていく話
・黒き海、月の裏
目の見えない芸者の娘には念写能力があり、母親は秘密にするよう言い聞かせていた。しかしひょんなことから能力きっかけでお金持ちの家の女の子と友だちになり、娘にいろいろな転機がふりかかる話
・緋の稜線
昭和元年生まれの女の子が、昭和の終わりまで生き抜く話。見合い、望まぬ妊娠、戦争、バブル、オイルショック、夫の不貞、子供たちの歩む道…すべてにおいて人生とは何か考える物語
・死にたいと言ってください
「健康的で〜」と似たような題材を、保健師目線で書いてる話。福祉ってなんなのかなとか、人生コレでいいのかなとか考える。重めの話が多いかな…
n_kasei 俺は昭和元年生まれで同世代なんだけど、湖畔の宿が流行っててラジオでよく流れてた。けどすぐ戦争になって聞かなくなった。俺は嫡男だったし結核だったから戦地行かなくて結構肩身狭い思いした記憶がある。
izumiya1948 【あたしの若い頃は戦争戦争でレコード買う余裕なんて無かったよ。】そもそもレコード以前に蓄音機が庶民には高くて買えなかったよ(時代によるが蓄音機一台が家一軒分とか車一台分した)
kash06 戦争前の小唄ブームがアツい。勝太郎・市丸ならどっち派でした? 勝市時代って言ったら市丸ファンから市勝時代だって言われたよ。ちゃっきり節派か。(ヤクルトファンなら勝太郎派
sekretosekreto ゴンドラのうたとかね