はてなキーワード: 犬ぞりとは
具体的なブランド名や商品名を加え、読者がより鮮明に情景を想像できるよう修正します。
業務都合で数日滞在した カナダ北部のイカルイット 北緯63度
家の軒先に停められた Ski-Doo や Yamaha それと Ford F-150 や Toyota Tundra
スーパーマーケット Northmart に入り 値札を見てたじろぐ
若者は Canada Goose を着込み Black Heart Cafe のような店で iPhone 15 Pro で Starlink 経由の Wi-Fiで YouTube をみてる
もちろん カリブーの狩りなど 伝統が消えたわけではない ただ それは生活のための糧だ
我々が想像する「素朴な暮らし」とは コモディティ化された現代にフィットした暮らしのことだ
彼らは 極端な物価高と 不安定なインフラという極地特有の制約の中で暮らす 紛れもない現代人だった
どこに行ってもこんなもんだな
栗城史多という人のことを考えると、つい私は台所でお茶をすすりながら、「ああ、あの人はなんて華があるんだろう」と思う。もちろん、登山家としては完璧じゃない。単独無酸素で登頂する、と言ったって、実際には酸素や装備の補助があった。でも、その「そこそこの技術」が絶妙で、見る人間が「自分にもできるかも」と思う、ぎりぎりの線にあった。素人でもついていこうという気になる。それはまるで、知らない家の庭に咲いた花を、思わず手折りたくなる気持ちに似ていた。
テレビに出ていた無名の登山家たちは、栗城さんを「市民ランナー」と呼び、眉をひそめていた。「こういう人にはなりたくない」「山が誰のものだと思っているのか」――そんな言葉がぽつぽつ口からこぼれるたび、胸が少し痛んだ。私は台所で、湯気にのぼるお茶を見つめながら、思わず「そうでしょうね」とひとりごちた。技術で評価する人たちの世界では、栗城さんの存在は、どうしても異物だったのだ。
でも、そういう批判の裏には、きっと嫉妬がある。栗城さんにはスポンサーがつき、彼の挑戦は映像になり、物語になり、話題になった。自分には三万円すら出ないのに。格差は、嫉妬を生み、上から目線の批判を生む。私も昔、そんな経験を少しだけ知っている。人が評価される理由が、自分の努力や技術の正確さだけじゃないとき、胸の奥がひりつくような気分になる。
栗城さんの挑戦を思うと、つい私は三浦雄一郎さんのことも思い出す。あの方も、山頂からスキーで滑り降りる映画を残した。だが、三浦さんの場合は、必ず同行者を連れて撮影を行い、カメラが回るための安全網があった。言い換えれば、先人の挑戦の「物語性」を忠実に映像化するスタイルで、栗城さんもまた、そこを模した面がある。人に見せる挑戦として、物語を作ることを恐れなかったのだ。
それに比べると、植村直己さんの挑戦は、また違った迫力がある。自分で映写機を持ち、数キロもの距離を犬ぞりで移動させ、撮影してから戻ってくる。悪天候の中でも、自分の身体を限界まで使い、物語を記録に残す。彼もまた、最後は自然の力の前に屈したのだが、挑戦の姿勢には、どこか無言の孤独と美学が漂う。栗城さんも植村さんも、無理をして自然の壁に挑む点では、別物ではない。違うのは時代と、物語の伝え方だけだ。
登山界の一部は、自然の厳しさよりも、技術の優劣にこだわる。最大酸素摂取量がどうだとか、悪天候の中で無理をしたかどうか、とか。人の生まれつきの心肺能力や耐寒性なんて、変えられないのに、そこを痛めつけるのが美学らしい。登山家たちって、そういう人種なんだ、と私は思った。
それでも栗城さんは華があった。登山家としての最低限の技術を備えつつ、素人の心もつかむ華。見ているだけで楽しくなる華。人気があるから、嫉妬も集まる。でも、人気でしか測れないものだって、世の中にはある。
批判も嫉妬も、言葉の端々に現れる。「頭を下げて岩山登坂の技術を習いに来たら相手してやらなくもない」とか、「市民ランナー」なんて言葉がぽつんと並ぶ。笑ってしまう。相手してやる、なんて、まるで小学校の運動会で順位の下の子を認めてやるような言い方だ。完全に嫉妬に狂っている。
私はいつも思うのだ。山は誰のものでもない。権威ある登山家のものでも、論文を書き連ねる評論家のものでもない。挑戦する人すべてのものだ。栗城さんは、技術や権威ではなく、物語と華で山を共有させてくれた人だ。だから批判も嫉妬も集まるのだろうけれど、私はその混沌を見ながら、ほんの少しほっとする。山に上がる人たちが、同じ物語に共感しながら登れる場所があるということが、嬉しいからだ。
振り返ると、栗城さんの挑戦は、単なる無謀な行為ではなかった。登山界の古典的評価軸と、メディア時代の評価軸の交差点に立ち、素人も専門家も巻き込んで、山の魅力を再演した実験だったのだ。嫉妬や批判も、その構図が露わになった証拠にすぎない。華があって、そこそこの技術を持ち、人気があったからこそ、彼は批判され、同時に多くの人を夢中にさせた。
結局、私たちが傷むのは、技術や権威ではなく、理不尽な価値観の押しつけを目の当たりにするからだ。栗城さんは、その理不尽に少しだけ風穴を開けてくれた。だから、私は今でも、彼の挑戦を思い出すたびに、少し微笑んでしまうのだ。
俺の田舎にロシアのテーマパークがあって、それの思い出がとてもきらきらしいのに何で今こんなことになっちまってるんだろうという懐古話だ。
ググればWikipediaは出てくるが、写真が既に潰れたあとの廃墟画像でしかない。
でもあそこはとてもきれいな、光り輝くような場所だった。少なくとも俺の脳内では。
新潟なんて、特に冬は、毎日たいていどんより暗い。雪降るし雨降るしみぞれも降る。
関東から嫁いできた俺の母親は俺の幼少期のころからうんざりしていたようで未だに愚痴る。晴れの日が本当に少ない、寒くて暗くて気が滅入ると。
でもロシア村ではそれが反転する。
あそこでは雪が降ってる方がいい。明かりをたくさん灯すので、暗い方が映える。暗い中に白いものが舞っているのが照らされて見えるのも美しいが、施設そのものがとてもきらきらしく作られていたので明かりが灯るとそこらじゅう何もかもが輝き出しているように見えた。
教会のあのタマネギみたいなかたちの屋根、ステンドグラス、当時の俺の身長の何倍くらいあったのか、大人でも見上げるような高さの大きなクリスマスツリーに飾られた玉飾り。
反射された光が雪の地面に落ちて、なお光っている、その光景。
ロシアの伝統衣装で着飾った、完全にスラブ系の顔立ちのスタッフたち。
明るく照らされた館内に敷かれていたカーペット。
土産物のマトリョーシカの、俺の小指の一関節分くらいしかない一番小さいやつに至るまでに手描きで施された繊細な模様。
全部、とても、きらきらして綺麗だった。
ハスキー犬かひょっとしてマラミュートだったのか、でかい犬が何頭か飼われていて犬ぞり体験とかやっていた。乗りたかったが乗れなかった。時間がなくてだったか、それとも犬ぞりやるには雪が足らなかったんだったか。
マトリョーシカと、あとサンタクロースのガラス細工を買ったはずだ。ロシアのサンタは青いのだと紹介されてて、青いサンタのガラスの人形を買ったはず。深い濃い青のサンタ。どこ行っちまったかなあれは。
それと、アライグマの尻尾のついた、毛皮の帽子。子どもに買い与えられたものだから流石にマジモンの毛皮ではなかったはずだが、いかにもそれっぽいかたちの、そして実際ちゃんと暖かい帽子。めちゃめちゃ気に入って何年かかぶっていた。本物の毛皮のマフとかも売っていて、とても手触りが良かった。
あとなんか、キャビアとか食べた気がする。三代珍味だつって親が食わしてくれたのだが、そもそも当時えらい偏食だった俺には何がそんなに評価されている旨さなのかよくわからなかった。あんまりしょっぱくもなくて、なんかこう、変な味だったような、「なんじゃこりゃ」ってなった記憶だけがある。ボルシチも食べたんだろうが、ちょっと変わったビーフシチューみたいな感じだったような。あんまり記憶にない。
記憶にあるのは子ども3人連れでヘトヘトで食堂の長椅子(俺の向かい)に腰掛け、子どもに何か食わせながら父を待っている厚着した母親。
あとはとにかく、きらきらしてきれいな建物と土産物屋とスタッフたちの姿ばかりだ。
寒くても暗くても何も気にならなかった。毛皮は暖かく、建物は照らされ、ステンドグラスは色とりどりで輝くようだった。
電気の明かりも当然あったが雰囲気出すためかガチのロウソクも随所にけっこうあって、その小さな火の灯りがものを照らすさまが美しかった。
Wikipediaの写真は閉園後の廃墟だし、検索キーワードのサジェストは心霊がどうのこうのとかだし、今のロシアとくりゃご覧の有り様だが、
俺にとっては寒くて薄暗い中できらきら輝いている、青いサンタとアライグマの尻尾の帽子の国だったんだ。
どうしてこんなことになっちまったんだろう。
犬ぞりってのもあるよね。
元増田です。
色々な反応をいただいたので、いくつかお返事しようと思います。
>動物飼ったことが無い人は良く勘違いしてるけど犬でも馬でもやりたくないことを本気でやらせる事は出来ないんだよ。
>動物のお医者さんの犬ぞり回を読むと良いよ。楽しいかというより「俺はやるぜ」という本気なんだよ
興味深いと思いました。
僕は生涯通して犬猫、小動物(ハムスター、モルモット)と暮らして、馬術部で馬と接してきて、人生を通して関わってきた動物は比較的多い方だと思っています。
その上で、持論を書いてみます。
そして、たしかにあの話においては、本人たちの意思で走っているように描写されています。
まあ漫画なので、現実と同一視できるかはわかりませんが、実際に犬ぞりの映像を見たときも、犬は割と楽しそうに走っているように見えました。
ただ、2つの論を同一視する前に、犬と馬の本能の違いについて話させてください。
犬は集団で狩りをする肉食動物です。犬ぞりは、確かに犬の体に本来かからない負荷はかかるものの、
犬からしたら、「群れの犬たち(※この中には、飼い主も含むのかもしれません)」と、「目的の場所/餌まで行く」という点においては、一貫性があり、ストレスない行動に見えます。
ここで馬がどうかを考えると、馬は本来は、とても、のんびりした草食動物です。
基本的には、野生で馬が、馬同士と競走することは、ありません。危険がなければ、ずっと草を食ってのんびりしてる子達です。
馬が走るのは、危機感知した時。つまり、命が危険だ!やべえ!と察知して、「逃げなきゃ死ぬ!」というところまで追い詰められたときです。
レースや本番になると目つきが変わる馬は僕も見たことがありますが、気合が入っているというより、どちらかというと非常に気が立っているなあ、と感じました。
度重なる出走で、「ここに入れられると、めちゃくちゃアドレナリンが出る」という風に、体が覚えたのかもしれません。
これは僕個人の感じ方なので、再三言っている通り、馬がどう感じているかなんて、もちろんわかりません。
(周囲は「やる気十分だね」なんて言っていましたが、普段はすごくおとなしいのに、少し近づいただけで蹴られそうになりました)
「みんなが望まないレースをさせられていると断定するのは馬をバカにしているんじゃないか」、というのは、必要な考え方だとは思います。
僕も、僕の意見への反論として、常に忘れないようにしていきたいです。
ただ、裏を返せば「みんなが望んでレースをしている」と断定するのもまた愚だとおわかりいただけたと思います。
それをコンテンツ化して、美談にするというのが、危険な行いに見える、というのが、元投稿で言いたかったことなんです。
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>じゃあ食肉はどうなんだよ。オメーはヴィーガンなのか?(意訳)
まず、僕はヴィーガンではないです。食肉について、確かに思うところはありますが、それは主旨がずれるので今回は割愛。
元投稿で僕がいいたかったことは、消費されてる対象が、人間の勝手なストーリー付与によってコンテンツ化されてるの怖くね?という話です。
コンテストで一位をとるために、ウシ娘が嬉々として日々体型管理するストーリーとかだったら、同じように苦言を呈したと思いますよ。
書いてて思いましたが、これ本質的にはエロ漫画と近い議論かもしれないですね。
まあ、普通の女性はこんなふうに考えんやろwが常識の前提にあるのと、受け手がフィルタリングされてること、人間は自分の意思を発信できる分、エロ漫画のほうが正直よっぽどマシですが。
(繰り返しますが、ウマ娘によって、実情を加味せず、馬たちは全員「自分から走りたい/一位を取りたいと思っている」という常識を植え付けられているのが、僕の最も問題視してるポイントです)
>人間の女キャラがスカートめくられて「いやーん」っていってほほそめてるのが「本当にイヤ」なのかもしれないという認識があって然るべき
そういうことです。
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ただ、元増田での論点は一貫して、「競馬を本人たちの意思の結実/美談として切り売りする手法」のウマ娘について、のつもりでした。
競馬業界に問題があることは否めないです。ただ、境遇を今すぐに変えるのが難しいことも分かってます。僕にそんなお金も力もないです。あればなんとかしたいですが。
だから、せめて、彼らの意思っていうサンクチュアリには踏み込むなよ!って怒りが湧いてきたのかもしれません。
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>増田の想定する「芸能人」にアイドルが含まれてるかどうかはわからんが、アイドルも一般的には「大人に利用されてる資本主義の象徴」
>「ファンが一方的に消費している」「本人の意思は尊重されていない」というようなことを言われる。確かにそのような面はあるし、
>特に女性アイドルは過度な期待を背負って潰れていく子も多い(男性アイドルには詳しくないが、ジャニーズ外では男の子もそうなのかな)
増田の想定する芸能人にはアイドルは含めてますが、一応アイドルは人間で、一応本人の意思を口にできるので、ある程度自分で望んでやってることなんじゃないかなと思います。
増田の親戚に、ほど…ほどに売れてるアイドル声優の子がいるんですが、その子も水着撮影とかはお金のためって割り切ってるみたいですね。親は嫌がってましたが…。
ただまあ、男性芸能人と比べたら顔と若さを偏重して重視される商売なんで、その子含め、無価値感みたいのは募るみたいです。
若くなくなったら/顔が老けたら死ぬしかない、人間としての自分を愛されてるわけじゃなくて、顔と体を切り売りされてる、みたいな。まあそれ含めて本人の選択といえばそれまでなんですが…。
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>まずウマ娘の技術で最新なモノは別にない、丁寧に高クオリティに創られてるだけ
>システムはもうさんざん言われてたようにパワプロのパクリ ~
>枕で大した調べも想像もしてない隙があると読む気もしないよね
パワプロを触ったことがなく、軽率な発言だったと思います。ごめんなさい。
ウマ娘というアプリゲームそのものと、開発に対しては敬意を表しています、というスタンスを伝えたかったんです。
ゲームシステムや面白さの是非は、今回言いたかったことの主題からは外れてしまうので。
ただ、良い勉強になりました。ありがとうございます。
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>なんか「かわいそうな境遇の〇〇がいる」っていう可能性がインプットされると
>その思考回路のせいで、自己実現の方法としてAV女優やレースクイーンをやってる人を全否定し
本人がそれを自己表現の一環としているなら、何を商売にしていても、そこに貴賤はないと思います。
馬が走るのを楽しんでいる「こともある」かもしれません。
楽しんでいる可能性は否定できませんが、同時にレースに出る馬は「みんな1位を取りたがっている!」というのは、あまりにも急いた結論だと思いますし、そういうものとしてキャラクターを刷り込んでくるコンテンツにタチの悪さを感じているんです。
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>競馬の残酷さはそこじゃねぇだろ、そこが問題なら動物番組・ペット動画に発狂してないとおかしい。
嫌いなものの話をしても仕方ないですが、僕はペット動画・動物番組も基本的に苦手です。なので、一貫性はあると思います。
動物投稿の中には、「動物との生活を大事にしている」というよりも、「動物を飼っている人物」になりたい、という作為が見え透いているものがたくさんあるからです。
例えば、ハムスターが後ろに転がる動画の投稿。ハムスターは驚くと後方に飛び退りますが、面白がって何度も繰り返し驚かす動画を見た時、頭を疑いました。
普通に動物にとってストレスですし、それ以前に「かわいい動画撮った私」が大事なんだろうなと思います。そういうのは嫌いです。
僕もかつてペットを色々飼っていた身なので、過去の己に対する怒りもあるんだと思います。
今はペット産業そのものに対して思うところが大きいですし、本当に自由で幸せな環境を与えてあげられないなら、命を束縛することはもうやめようと思っています。
動物は大好きですけどね。
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>お前も勝手に馬に「かわいそうな」物語を見出しているのでは?
そう見えたなら、僕の書き方が稚拙だったんだと思います。僕は馬の物語を、無理に悲劇にして、憐憫に浸らないようにも心がけてます。馬の気持ちや、脚の痛みは、僕にはわからないから。
ただ、ウマ娘の描き方は、競走馬に対する感情を「なーんだ!この子達だって、望んで走ってたんだ!よかった、もっと応援しちゃお!」
に上書きさせようとしてくるので。そこが一番問題に感じてるポイントですかね。
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「用途」のために、人間が「造った」無機物なので、全く違う議論だと思います。少なくとも僕は。
まあ乗組員さんや、史実で亡くなった方たちのことを考えればセンシティブな側面も大きいですし、難しいですね。
僕のアンテナが届かなかっただけかもしれません。
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>関係ないけど、せめてレース頑張ったおうまさんはちゃんと一生面倒みたげてほしいな。行方不明になっちゃう子多いんだよね。
本当にそう思います。
今回の意味のねえ投稿に唯一帰結があるとしたら、これかもしれません。
走ってるときヒーロー扱いしたなら、最後まで面倒見てやってほしいです。
馬さんは超絶維持費かかる動物ですが、まあウマ娘に触れた人口の目がそっちにも向くようになった分、多少は状況改善するかもしれないですね。
そう祈っておきましょう。
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たくさんの人に読んでいただいてありがたかったです。
まず優生学という言葉の意味はかなり広いので、あなたの思う優生学とはどの範囲のものかを言ってもらわないと否定も肯定もできない。
より足が速いという「優れた」人の集団を人為的な間引きによって作れるか否かというと、作れる。
ただ家畜や作物がそうであるように、そういう風につくられた集団は種としては絶滅しやすいという意味で「劣って」いる。
ダックスフントはアナグマを狩るには適応しているが、犬ぞりを長距離引くことはできない。
過去に行われていた断種政策はしばしば科学的なエビデンスなしに行われており、
それが本当にある集団の性質を特定方向に向けて変化させられているかというと怪しいものがある。
また優生学は強くナチスと結びついた思想でありアレルギー反応によって無条件な否定がされがちである。
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
男の人生は、悲しい時も嬉しい時も寂しい時も、オナニーと共にあります
ttp://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20090314/p1
オナニーというのが、セックスできないときの代用品だと思っている方が多いのですが、オナニーは男性にとってセックス以上のものです。
女性と関係を持つ何年も前から、男の子はオナニーを覚え、なんだか訳もわからずオナニーにふけります。気持ちいいから、というのはもちろんですが、男の人生は、悲しきときもうれしいときも、さびしいときもオナニーと共にあります。
例を挙げれば、北極を犬ぞりで横断した植村直己さんが言っていますが、彼はその旅の途中、テントの中で毎日オナニーをしていて、極論すれば.「オナニーなしに北極圏横断は無理だった」と・・・。これは、性欲解消という意味より、極限状態におかれたとき男は自慰をすることで理性的に行動できるということ*1です。精神医学的に考えて、この話はものすごく説得力がありますし、男にとって自慰とは何か?を考える場合の、大きなヒントになると思っています。
結婚するずっと前から、男は自分の手と付き合っています。うれしいとき、悲しいとき、さびしいとき・・・ 男は自慰とともに大人になるのです。
思春期の男の子をお持ちのお母さんが、自慰というものを理解しないと、自分の子供が自慰を始めたとき、慌てふためき対処を誤ると、子供が性的な異常者になることさえありうると思います。
夜中、突然に風呂の電球が切れたので、コンビニまで買いにいった。行ってから気づいたのだけれど、ちゃんと品番を控えていない。
家に調べに帰るのはめんどうだなと思っていると、横で同じように並んでいる電球を目の前に思案している、濡れた髪を乾かしたばかりの匂いのする、けっこうかわいい女の子がいた。
なんとなく目があって、気まずいし、誰にたいしてなのかよくわからない恥ずかしい気持ちになるので、普段ならなにも言わずにコンビニの島を一周するんだけれど、
思わず話しかけた。
「ワンルームのお風呂の電球って、ごく普通の丸いヤツなんですけどどれですか」
自分の口から出て行く言葉を喉の奥から手を出して引っ込めることができたらいいのになとおもうような
なんでもない言葉が出てきたんだけれども、その女の子は、話しかけられたことに驚いた様子もなにもなく、
すごく自然に笑ってくれた
「私はお風呂に入っている途中に急にパチンと真っ暗になっちゃって。ホンマびっくりしました。全部手探りで!
ハミガキは床に落とすし、いつもやるシャンプーは一回で、いつもは二回シャンプーしてからトリートメントなんやけど
一回にしてトリートメントも一瞬で流して、すぐにあがってきたん」
すごい勢いでこうまくしたて、一気に言い終わってからまた笑って「ごめんなこんなに勢い込んで喋って」と言いながら
丸い電球を二つ棚から手に取り、一つをぼくの手の上に乗せてくれた。
そのまま無言でレジへと向かったので、犬ぞりのリーダーに導かれるあんまり頭の良くない犬みたいに虚無の顔でついて行き、
彼女は会計を済ませた。
ああ、これでバイバイかな、なんでこんな感じで女の子に話しかけられたのかなとうれしいような寂しいような気持ちになっていると、
その女の子は僕を待っているのかそうでないのか、アイスクリーム冷蔵庫の上に乗っている、コンビニでやっているクリスマスケーキや、年末カウントダウンイベントのチケット告知を見ていた。
僕は目の前でレジをしている前髪を垂らしたド金髪の男に、「この見かけを派手にしたけれどあっさりとしすぎな能面フェイスめ、その前髪の長さはお前の内向的な性格と必死の自己防御の表れなんだよぐずぐずんなハイドーハイドー!」と呪った結果か、かなりスムーズで一分以内にお金を払い終えた。今後、同じような境遇になったときのために(たぶんないだろうけど)携帯でできる電子決済についてちょっと興味が出てきながら、駆け足で相手に強烈なプレッシャーを感じさせないようにアイスクリーム冷蔵庫そばの彼女のところに行き、なんか気のきいたこと、今後につながるなにかしらなにかしらなにかしらなにかしら な に か し ら ないかなと手に脂汗グッチョリ状態で十秒ぐらい必死に回らない頭で考えた結果出てきたのが
「アイスクリームケーキって、今年も製造年月日偽装することになるんかなアレ、アレ、赤福とかでもあったでしょ赤福。ケーキとかクリスマスに一気に作るわけには絶対にいかないから先に作っておいて冷凍しておいてね、それを解凍して生クリームだけ仕上げにして箱の中に入れるんだよこれは人からきいたとか最近のあれこれじゃなくって学生の時にケーキ屋さんでアルバイトをしていた友達がいて、クリスマスシーズンになると一日中冷蔵庫のなかで作業する一日バイトとかする募集がいっぱい出るし、クリスマスフェアとか見ると楽しいっていうよりもいっつもバイト大変だなとかその話をしていたヤツとはもう音信不通になったけれどどうしているかなって」
頭の中ではつまらない話をしているなだめだこれではこんなネガティブな時事ネタとか初対面の人に振ってはいけないし方向転換しなくてはいけないな。そもそもそんなに黒いことばっかり言う人間じゃないよ僕は。でもとっさにこんな事が出てくるなんてやっぱ意地が悪いのかそれならそれである程度は認めつつも、せっかくこうして普通に話をできる状態になったんだから状態っていうかコンビニで立ち話だけれどもこのままではいかん聞き上手にならなくては、といっても今更聞き上手にここでなれるわけはないから、せめてポジティブでふんわりした甘い話題甘い話題甘い話題。それも急に言って意表を突こうとして言ったそばから後悔したのだけれど
こんなコントでもなんか作文でもちょっとそんなことを言わないだろうっていう言葉を口にして、汗をかきながら苦しげな顔をしていただろう僕に彼女は