はてなキーワード: 社会生活とは
ウチは、受診した小児心療内科で、医者に子供が発達障害なら"両親揃って発達障害の疑いがありますね" ってあっけらかんと言われたんよ。
で、発達障害の事調べまくったら、まあ思い当たる事が有りまくりでねぇ。
別の大人用の心療内科へ行って確定診断もらったのは、子供が服用する薬の事を事前に身を持って知りたかったから。医者にそう言ったら珍しいですねって言われたのが意外だった。
子供の将来には別に絶望はしなかった。ここに障害持ちでも立派に社会生活を送っている人間が2人いたのでね。逆に子供がつまづきそうなポイントが明確になって良かったよ。
匿名だから言えるが、国内ならウチの収入は上位数%で数十年JTCに勤め続けている。元noteよりちょい上の世代なんで、2人とも大卒じゃないし、クラスに変わった子の1人や2人は普通にいたし、発語が5歳までなかった友人の子供が大学卒業したのも知っている。今の時代の"普通"とは違うかね?
若い頃は普通が出来ない事で苦労したり病んだりは、まあしたけど。障害がわかってから"普通"の概念が変わって、冷静に、客観的に"普通"を観察出来るようになって本当に楽になったよ。世界の捉え方が違うだけなんだなぁって。
こんなのほほんと言うと、周囲は迷惑してるんだ!ってキレられるらしいから、言わないけど。
世界の捉え方がマジョリティ側に属さないから何だって言うのか。私は善良な人間である事に自信を持っているし、当事者だからこそ、全力で、心の底から、子供を全肯定出来る幸せを知っているよ。
タイトルの通り。
知的障害は伴わなかったが、コミュニケーション能力は極めて低く、自分では周囲と同じことをしているつもりでもなぜだかいつも浮いてしまい、集団に溶け込めたことがなかった。
小学校や中学校の入学当初などは一時的にどこかのグループに入れてもらえたりするのだけれど、気付かない間に何かをやらかし、徐々に距離を置かれるようになり、友人だったはずの子たちは皆そっけなくなっていった。
体育も、遠足も、修学旅行も、運動会も、いつも孤立していることが恥ずかしく、それを誤魔化すのに必死だった。
他人と違う事、一人だけプロトコルが間違っている事が孤立する原因なのだと経験から学習したことにより、大人になるにつれて今度は過剰適応と言われる状態になっていった。
過剰適応とは読んで字のごとく、環境に適応しようとして過剰に言動を抑圧したりする事なのだけれど、常に人からどう見られているかに不安を抱き、緊張し続けていることによって、ただ学校へ行くだけ、会社へ行くだけで、ぐったり疲弊してしまうようになった。
何も難しいことなどないやり取りのはずなのに、「姿勢や表情は不自然ではなかったか」「もっと明るくするべきだったんじゃないか」「声のトーンや大きさもあれで良かったのだろうか」「おはようと言われたのは、本当におはようという意味なのか」「何か他のサインを見落としていたんじゃないだろうか」と、不安は無限に湧いてくる。
しかし、何か間違っていたとして、その答え合わせができることはない。
知らないうちに非常識だと評価され、知らないうちに信用を失い、知らないうちに疎まれるようになっている。
そうなってからやっと、自分がどこかで何かを間違えたことを知るのだが、それが何だったのかは永遠にわからないのだ。
そういう社会生活を送っているうちに、適応障害で体調を崩すようになって転職し、数年後、重度の鬱病となり、そこで初めて発達障害の可能性を指摘され、診断を受けた。
親は「納得がいかない」と言っていた。
多少育てにくいところはあったけど普通だった、障害があると感じたことはないと、そう言うのだった。
私はその言葉を聞いて、なんだかひどく落胆した。
中学の時も高校の時も会社員になってからも私はずっと「学校に行きたくない」「高校辞めたい」「もう全部嫌だ」「死んだ方が楽な気がする」と思っていて、それを親に思い切って打ち明けたこともあったはずだったのだけれど、親にはありふれた愚痴にしか聞こえていなかったのだと、その時やっと知ったのだった。
診断を受けてから、色々なことを思い出した。
家族の中でも浮いていて、特に父親からはうっすら嫌われていることを幼い時から察していたこと。
親族が顔を出す行事に兄弟が呼ばれる時、私には連絡がないこと。
従姉妹の結婚式に「あなたは出席しなくて良いからね」と言われたこと。
あ〜そうか、そうだったのか。
ましてや障害者なんて事になったら、ますます頭を抱える思いだろう。
だけれど、こう言うと子どもじみているけれど、私だって生まれたくて生まれたわけでなし、自分の存在を最初からなかったことにできるならどれほどいいかわからない。
住んでいる賃貸で死ねば大家や近隣に迷惑がかかり、公園で死ねばそこで憩う住民に迷惑がかかり、道路や線路で死ねば運転手に多大な傷を負わせてしまう。
川やビルで死のうと思ったがどうしても足が竦んだ。
本能的な恐怖と絶望感に涙をぼろぼろとこぼしながら死ぬのを諦めた時、赤の他人が何も考えずにセックスした責任を取るために、なぜ私がこんなに苦しまなければならないんだろうなとぼんやり思ったりもした。
そんな恨み言を言ったところで、高齢となった親を無用に傷つけるだけだとも思うので、それから約10年、家族・親族とはただ連絡を断っている。
私は現在の診断基準では知的障害を伴ってはいないが、対面の会話の際は言葉がろくにまとまらず、内面の表出はままならない。
デイケアで知り合った人は(日常生活に支障はないため、おそらく軽度の)知的障害がある人だったが、彼女と話していると、内面の思考(その思考の形が定型発達の人と同じであるとも限らないが)はあるのに、それを伝えられないもどかしさを強く感じ、その苦しさに共感する。
私たちは、生きているだけでいつも苦しい。
そして私はずっと死にたい。この社会が私のような者の存在を受容する余裕がないのはよくわかった。発達障害であるとわからなくても苦しかったが、わかった後はわかった後で、それでもどうにもならないのが苦しく、更には社会にある差別意識がはっきりと感じられるようになったのが苦しい。
発達障害もだけれど、発達障害に関連するさまざまな不調、不具合で毎日何かしら体調が悪いのも苦しい。歯科治療ができなかったために歯はボロボロだし転職を繰り返して経歴もボロボロだ。理解のある彼くんがいない代わりに精神疾患に偏見を持つ上司くんがいるので、うかつに通院のことも言えない。
ふとした瞬間というか、毎秒死にたいのを、抗鬱剤と精神安定剤ではぐらかしながら生活している。
いつまで続くんだろうね、本当に。
2010年代、コミケに毎回サークル参加をしてた頃、打ち上げで様々なオタクに出会ったけど、まさにこれなんだよなぁ。
出会うオタクの8割はなんとなーく陰キャなオーラを纏いつつも普通に社会生活を送れてそうな普通の人で、残り2割のキモくてやべえ奴に気を使えるいい奴らでもあった。
キモくてやべえ奴らはやばかった。
終始無言、終始空回りハイテンション、突然大声、突然女叩き、突然嫌韓、リアルに不潔で臭い、集合場所に来られない、そのまま消息不明、SNSも消える等、バラエティ豊かにやばかった。
オタク趣味自体が市民権を得た現在、大半の、オタクが言うところの一般人もオタクのこの8割2割の比率を理解しているものと思う。
それはそれとして、女が男にいう「清潔感がある人がいい」というのは「ほんとに顔とか収入とか具体的な好みをいうと角が立つからとりあえず最低限のラインだけ提示ししてお茶を濁しとくか……」という意味であり、それを真に受けて「清潔感ってなんだよ!」と禅問答のように考え込む小汚い男は最初から眼中になく、当然それさえあればいいというものでもない
増田やそれに賛同している人達は多分、本気で言っているならば発達障害の傾向があるだろ
普通に理解できて当然の感覚が理解できない人間は社会生活を営む上で異分子だから
容姿以前に中身で警戒されて弾かれてるんだと思う
このことについて今更だけど書こうと思う。
ここでうつ病だと思っていたけれども発達障害だということもわかった。発達障害というものにもいろいろあるけれどもわたしはADHDだった。
たしかに話を聞いていて、周りをよく見るのが苦手だったり、細かい作業をするのがあまり得意ではなかったりもしたし、勤怠表の提出物も苦手だった。
社会生活というものは続く、社会で暮らしていくためにはこの障害ともうまく付き合わなければならないと思った。
会社の助けもあり、何が得意か苦手なものかを探そう、という話になった。
いろいろやっていて、テスト工程が得意なことに気づいた。それから、テスト設計をやるようになって設計面で褒められることが多くなり、上流工程の基本設計もやっていこうという話になった。
わたしが見て作業を間違わないための設計書を書いていたら、認識祖語の少ない言葉で文字を書くようになって、そこについてほめられることが増えた。
テスト工程をやっていて、このテストをやったときに設計書を見て困ったことがないかを考えて書くようにしたら、自然と品質管理について勉強をすることになった。
それを生かして設計書に反映するようにしたら成果物の完成度についてほめられることが増えて、わたしが得意なことってこういうことなんだ、と言うことに気づくようになった。
ただ、やはり事務作業のようなことは抜け漏れが多くなってしまって、ここは苦手なので助けてくださいという話をしたら、手伝ってもらえるようになった。
自分が苦手なことをしっかり話すようにしたら、上司から「僕も苦手なことがあって、そこは君が得意で君が苦手なところに対して僕ができるから、作業をお互い入れ替えて確認しよう」という話になった。
わたしだけがそういうことをしているのかな?と思ったけれどもお互いに得意なことをやって苦手なことをやってもらうことはよくあることなのだということを教えてくれた。
それ以来、苦手なことについて不安に思うことがなくなった。手伝ってくれる人がいて、わたしもその人の苦手なところを手伝うことができたから。
持ちつ持たれつでお互いに交換して仕事をすることができるようになって、苦手だから、できないからと言って泣いて諦める必要もないのだということを上司は教えてくれた。
発達障害当事者はよく「定型発達の人は発達障害当事者の気持ちがわからない」と言うのを見かけることがある。
けれどもそれは裏を返すと発達障害当事者は定型発達の気持ちが分からないということでもある。
発達障害当事者の仕事ぶりについて、定型発達の人に仕事の巻き取りをしていることもあれば、逆もある。
その時に自分はやっているのに、という気持ちだけになっていないか?自分は定型発達の人の気持ちを慮ることはできているか?
そう思ったときにわたしは自分が発達障害だからと思っていたけれども定型発達の人の気持ちに配慮ができていないことに気が付いた。
定型発達の人はきちんと自分が苦手なことについて言葉で話をしてくれるのに自分はしっかり話ができているか?
「ありがとう」「ごめんなさい」「助かりました」という話がきちんとできていたか?
過去の自分はあまりうまくできてなかったと思う。発達障害があるから、やってもらって当たり前だと思っていないか?
そう考えたときに定型発達の人が発達障害を持っている人についてあまりいい目で見ない理由はそうじゃないか?と思いはじめた。
そう認識してからきちんとわたしは言葉で、苦手なことはこれです、お手数おかけしますが確認をしてくれないでしょうか?というお願いをするようになった。
確認をお願いした人は「わかった、じゃあ君はマニュアル作成もうまいから一度見てくれる?」と言われた
マニュアル作成は得意だった。自分が読み飛ばさずに、絶対に作業できるメモ書きを丁寧に書くことで発達障害当事者でも作業できる成果物を作っているのだから、定型発達の人には多少確認工程が多い。
ちょっと書きすぎかもしれないと思ったけれども、お客さんの作業者に配ってマニュアル通りに作業を進めるだけで作業が終わり、ミスもなく作業が完了してありがたいという話をされてうれしかった。
自分の障害に向き合って、初めて人のために仕事ができてうれしいと思った。自分が助けられる側だったのに、初めて人のために仕事ができたこと、
発達障害があれどひとりの人として社会生活を営むということは、相手のことを慮り生活をするということだ
障害のあるなし関係なく、お互いに助け合って生きることをわたしは職場で知り、それ以来仕事をすることにあたり発達障害という自分の性質を上手く使って仕事をすることもできるのだと思った。
定型発達の人の当たり前は発達障害者にとっての当たり前とはかけ離れているかもしれない、でもわからない、わたしは定型発達であったことがないから
けれども障害があったからこそ気づいたこともあったし、それを仕事に生かすこともできた点においてはわたしの得意なことを発掘してくれた会社には恩がある
子の発達障害についてそういう言葉を使って心を助けたいという気持ちはわからなくもない、それはわたしの親だって同じことだと思う。
障害を持っている子どもを産んでしまったことについて親が後悔しているそぶりを見せたことはなかったけれど、少し話をしていると職場で働けることができてよかったとは言いつつ、
やはり障害を持っている子どもを産んでしまったという事実は変えられず、才能に期待してしまう気持ちもわからない
親はずっとわたしが発達障害の子で生まれてしまったことを恨まれると思っていたらしい。けれどもわたしは定型発達であったことがないのだから、そこについてとやかく言ってもしょうがないと思っていた。
定型発達だったらもっと変わってたのかなと思うことがあるが、それは夢物語でしかない。
成人して親の庇護下から離れてしまった後に親のせいだと言って何も努力しようとしないで文句ばかり言っているのは違うと思う。文句を言っても金は稼げないし生活はできない。
ただ、ギフテッドという言葉でまとめられて、社会生活をする一個人でしかなく特別な人でもなんでもない、特別視をされるという時点で同じ人として扱ってもらえないというのは嫌だった
定型発達の人と同じ、得意なことと苦手なことがあって人に助けられながら仕事をしている一個人でしかない。
今まで中小企業で勤務していたけれども、もっと多きな案件に携わりたくて大手のシステム会社に転職した。
会社には発達障害の話を入社前にしている。上司になる人には「発達障害を持っている方のキャリアモデルケースになってもらえると助かります」と言われており、発達障害があってもここまでは大きくなれるぞ、発達障害だからといって何もかもを諦めるのが早すぎるぞ
そういうことを人に伝えられるような人になりたい
発達障害のわたしを助けてくれた会社の人たちありがとう。あなたたちのおかげで、わたしは大きな仕事に取り組む勇気をもらいました。
子供の頃、学校に行くのが嫌で仕方がなかった。だから、災害や戦争で学校に行けなくて苦しんでいる子供のニュースを見ると、私の代わりに学校に行ってほしいとか思っていた。
今は、社会生活を送るのが嫌で仕方がない。だから、難病の人が懸命に治療に励んでいるニュースを見ると、私の寿命を分けてあげたいと思う。働きたくても働けない人のニュースを見ると、私の職のポストを譲りたくなる。だからといって、私は紛争地帯に行きたいとか、病気になりたいとか、苦しむ人の代わりに苦しみたいとは思ってない。安楽な生活だけほしい。
ニュースの当事者を馬鹿にした傲慢な態度だということは分かってるんだけど、ついつい思ってしまう。
惰性で寿命を消費する奴ばかり生き残って、懸命に前を向く善人が死んでいくのは何故だろうね。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
「天空のアトラス イタリア館の至宝」に行ったけど最悪だった。
あれだけの人数をあの狭いスペースで捌くために、人員の配置や動線設計にもかなり力が入っていて、美術館や展示内容自体には何の不満もない。
何なら感心したくらいだ。
とにかくもうマナーの悪い客が多い。これに尽きる。
絶対にフラッシュ撮影をやめないジジイ、手を伸ばして展示台にストラップを当てながら写真を撮るババア、人形を突き出して写真を撮る若い女、通路で立ち止まって写真を確認するジジイ、柵にもたれかかってカメラを構えるジジイ、柵の前で座り込んでローアングルを狙うジジイ、肘で押しのけながらカメラを構えるババア、個別に注意されるまで動画撮影をやめないジジイ、列詰めろと言われても写真を撮り続けて案の定置いていかれたからって割り込んでくるババア、パネル前の通路で頑なに動かずカメラを向け続けるジジイ……
パッと思い返しただけでもめちゃくちゃいた。何なんだアイツらは。
もちろん、ただ写真を撮っているだけの人にまで不快感を覚えるわけじゃない。
プロが撮った高画質の写真を容易に見ることができるこの時代に、もう一生ないかもしれない機会を画面越しで消費してまで撮影した素人の写真に一体どんな価値があるのかは全く理解ができないが、1800円払って写真撮影をしたいというのは勿論個人の自由だ。美術館側だってそういう客を求めているから撮影可能にしているのだろう。
しかしマナー云々以前に繰り返し注意書きや口頭で説明されている注意事項すらまともに守れない人間、というかジジババの多さには本当に驚かされた。
まあ客層自体が子供<若者<<<<中年<<高齢者だったから必然的にジジババに偏るのかもしれないが、あのモラルのなさでどうやって社会生活送ってきたんだと思わざるを得ない。
果たしてアイツらはあの展示が写真撮影禁止でも観に来たのだろうか。まあ来たら来たで似たようなことはするんだろうなぁ。
余談だがファルネーゼのアトラスの展示室に入ったとき正面だけ妙に人が少なくて、不思議に思っていたら横にいたの女二人組が「正面はいいの?」「あれはちょっと上げちゃダメでしょ」「ああ……w」みたいな会話をしていたときは流石に笑ってしまった。観賞用ですらないのか。
萩生田起用とか統一教会絡みの部分が私は怖いなと思ってるし、過去の発言を掘るなら歴史認識がどうかなとかあるわけだけど。
ツイフェミのなかでバズってるのって「トランプに媚びた」みたいなメスのお気持ちだったよね。
というか媚びてた…?これまでの日本の首相と比べるとノリが軽かったけど、あれメスの媚びだったか…?あれにメスを感じるほうがなんか、脳が性で埋め尽くされてる気がするんだけど…。
大昔にオタク婚活でバスツアーを行い修学旅行のように「枕投げ」をする演出が男性には受け入れられ参加希望者が集まったけど、女性にはアラサーにもなって枕投げはキツすぎと拒否されて女性参加者おらずというのがあった。
男性の陰キャというか社会生活における経験値が低めでセンスが周回遅れになっている人は、中年になっても学生デートっぽいものを好んだり、感覚が中学生のままでキツいというのは相当言われてた。
というかツイフェミこそそういう叩きをしてたくせに。まあ実際キツいからあれは拒否されても仕方ないと思う。
しかし「み~んな早苗ちゃんのこと嫌いだって言ってる!男に媚びてるっていって、ムカついてる!」みたいな今のツイフェミのムーブこそ、大人がやることではない、女子中学生のいじめだよね…?
女性はみんな高市早苗のアンチだと言い張る割に、新聞社が出した世論調査では支持率に男女差はあまりないし、若い女性からは支持されているし。
「みんなあの子のこと嫌い」の、「みんな」とは私のことですって手法、中学校では「みんな」の正確性について検証ができないし、割と他者評価で傷つきやすい子が多い年代でもあるから、
言われた相手が傷ついて口調が強い子への忖度や自重を繰り返すようになってコントロールできるけど、SNSでは通用しないんだよ。外部の意見が出てくるから。
マジで幼稚でみっともないよ。中高生のデートでコンビニで買った飲み物をコンビニの外で立って飲みながら長時間立ち話してるのはほほえましいけど、中年がやってるとみじめ、それに近いよ。おばさんが女子中学生みたいなことやってるのかなりキツいよ。
ツイフェミ、どんどん「おばさんクラブ」化してるんだよ。コンビニにエロ本が置いてあるって言い張ってる人もいたけど、とっくに撤去されてるというのもあったし、何年コンビニに行ってないの?
会社はこういうもので、という書き込みについても、何それ知らんという内容がとても多い。
年齢的にはおばさんでも社会人現役の人たちは、「20年前はこんな目にあわされたけど、最近はこうだね」みたいな書き方をする。
現役でなさそうな人たちは20年前のことを今みたいに語って社会叩きするんだよ。それお前の中にある世界だよね。ついていけないって。
キツいって。危機感持ったほうがいいって。ジョージの動画でも見て自分が言われてると思って根性叩きなおしたほうがいいんじゃない。「ほらみろ男は頑張るべきだ」じゃなくて。
高市早苗を肯定しろ、支持しろ、なんてことは言ってない。ただ批判の仕方が周回遅れで女子中学生レベルで、その年でそれをやってるのは生き物としてみじめだって言ってるの。キツいって。危機感持ったほうがいいって。
習ってなくても社会生活で使われる漢字多いのにって矛盾は感じる
dorawiiより
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それでよく社会生活を円滑に過ごせてるなあ。
そもそもなんだけどさ。小学校か中学校で異性と付き合う経験するじゃん、普通。
で、中学か高校でセックスするじゃん。そんな感じで付き合ったり別れたりしながら大学突入すると、自然とカレカノとゴールする下地出来上がるじゃん。
ここまでわかりやすく学んで恋愛する環境が整備されてる社会って日本だけなんだよね。
そもそもそこが虚無行動過ぎて意味わかんないんだよね。一般的な学生が普通にこなせる事が出来ないって割と重症。
教師も親も、学校では勉強だけじゃなく恋愛とコミュニケーションしなさいって散々言うじゃん。
そういうマニュアルがあるし、それに沿って生きると人生丸いっていうのが日本での普通な生き方じゃん。
義務教育の段階からコミュニケーションと恋愛の重要性を学校側が説いてるんだから、国としての支援って一通りやってるんだよね。
それでまだ恋愛ができないっていうのは相当人間社会から逃げてるし、人を好きになる才能が無さすぎるんだよね。
学校で何やってたの???教科書の文字を目でなぞってただけ???
共学に進学するような知能も資産も無いような人間の外れ値として生きる選択をした人が恋愛できないのは自明じゃん。
そんな社会生活の中で自然と体得できるはずの清潔感すら持ち合わせてないようじゃ、人間としてカウントできるかどうかすらそもそも微妙なのは分かるよね。
多かれ少なかれ思春期を悩みながら生きるのが学校なのに、悩む権利すら放棄してたら汚いままで好かれないって普通分かるでしょ?
そんな異性が寄ってきたら嫌じゃん、当然。
そういう人間として生きる当然のイベントは10代のうちに全部通過するようにできてる社会で私達は生きてるのに、何で恋愛できなかったの?
友達と思春期の悩みを相談したり恋バナしてると、自然と人に好かれる方法も人を好きになる方法もコミュニティの共有財産として知見がまとまって行くじゃん。
そういう共有財産にアクセスできない人間がどういう末路を辿っていくかは、子供の時から散々SNSの実例として学ぶじゃん。学校でも、家庭でも。
だからああいうアカウントにならないよう勉強して恋愛してコミュニケーションするべきだよね、って友達と笑い合う瞬間を人生のどこかで通ったはずだよ?
それとも友達いなかったの?
10代のうちに精神的にも肉体的にも異性を知ってる人のほうが多いんだから。
そういう社会設計で動いてる国だから。それなのに恋愛支援が必要だと本気で思ってるような人たちって、仮に支援された所で恋愛できるのかな?
一般的な学生が普通にこなせる事を20代になってようやくはじめる人が結婚までたどり着けると思う?
10代のうちに悩み抜いて知識を共有してきた人は恋愛市場から真っ先にゴールするよ?
売れ残りの人たちがバッティングするだけなのに支援が必要って、それ本当に支援だったっけ?
現実の拡大解釈からどうやって降りるかを再提案しなきゃ、悩むというスタートラインにすら立てないよ?
もちろん学生のうちに恋愛してたら人間って一人では生きられないって当然わかるじゃん。同棲や就職でどう家庭を維持していくか考えるわけだから。
だからわたし達はどの程度の収入を目指すべきだよね、ってのは逆行推論で自然と答えがでるじゃん。
漠然と代謝と呼吸を繰り返して生きてるだけの人間に具体性がある目標なんてあるわけ無いけど。
子供が欲しいね、って相談が始まった瞬間にいつまでにいくら必要かなんて秒で答え出るし、その水準に必要な仕事量が1人分で無い事は考えるまでもなく自明じゃん。
どう達成するかの詰将棋ってだけで。
だから収入が少ない事は恋愛できない事の言い訳にならないのは明らかでしょ?恋愛に必要なエネルギーを捻出するために仕事をしているんだから。
それを10代のうちに全部理解できるよう舗装された社会という道路を走っているのだから。
そもそもなんだけどさ。充実した恋愛と充実したセックスが充実した仕事を生むのは人類史の再確認でしかないんだよね。
だから皆どういう人に求められるべきなのか、どう好きになってもらうか各々考えるわけじゃん。