はてなキーワード: 暴露とは
そのあと、なんとか平静を保って「ありがとうございます」って返したけど、声震えてたのバレバレだったと思う。
上司は「あ、悪い悪い!びっくりしただけでさ~、いや本当にめでたいよ!お腹の子は元気?」とか言いながら、なんだかんだペコペコし始めた。
……遅いよ。もう遅い。
びっくりした「だけ」って、そんな一言で片付くと思ってるのが、もうその人の感覚そのものなんだよ。
そのあと人事に報告に行ったら、女性の担当者が「大丈夫だった?あの人はああいう言い方する人だから……」って苦笑いしながらフォローしてくれた。
ああ、やっぱりみんな知ってるんだ。
「あの人はああいう人」って、みんなが認識してるのに、誰も何も言わないんだ。
それがまた辛かった。
「気にしないでね」って言われても、気にするに決まってるじゃん。
これから産休まで、育休明けまで、ずっとこの人と顔を合わせなきゃいけないのに。
帰りの電車の中で、ふと思い出した。
去年の忘年会で、その上司が酔っ払って「女は妊娠したら終わりだよな~、キャリアとか言ってるけど結局家庭に入るんだろ?」って大笑いしてたこと。
周りの男性陣も「まあまあ」って笑って流してたけど、誰も「それはおかしい」って言わなかった。
この国では。
家に帰って夫に話したら、黙って抱きしめてくれた。
「辞めてもいいよ。俺、なんとかするから」って。
……嬉しいけど、それでいいのかな。
私が逃げる形で辞めて、結局あの場所は何も変わらないまま、次の誰かが同じ目に遭うだけじゃないか。
でも、戦う気力ももう正直……。
この子に、同じ思いさせたくない。
でもどうやって守ればいいんだろう。
この社会で、女であること、母になることを、こんなに罰ゲームみたいに感じなきゃいけないの、ほんとに嫌だ。
ただ、生まれてきてくれるだけで、こんなに苦しい思いをしなきゃいけないなんて、かわいそすぎるよ。
ごめんね、まだ会ってないのに、こんな世界に連れてきちゃって。
……なんとか、なるよね?
それから数日後、わたしは決意した。泣いてるだけじゃ何も変わらない。この悔しさを、力に変えるんだ。
まずは、証拠を集め始めた。あの上司の過去の発言、忘年会の録音(実はスマホでこっそり録ってた)、今日のやり取りもメモに残した。人事の担当者が言った「あの人はああいう人」も、メールで確認を取って記録化。
社内のハラスメント相談窓口に相談したけど、予想通り「内部で穏便に」みたいな感じ。でも、わたしはそこで止まらなかった。外部の労働組合や弁護士に連絡を取った。
弁護士さんは「これは明確なマタハラ。録音があれば証拠として強いよ」って言ってくれた。夫も協力してくれて、SNSで匿名アカウントを作って、似たような体験談を集め始めた。
そしたら、驚くほどたくさんの女性からDMが来た。「うちの会社も同じ」「あの忘年会の話、うちの上司も似てる」「一緒に戦おう」って。
わたしはそれをまとめて、#マタハラ暴露みたいなハッシュタグでポストした。最初は怖かったけど、拡散され始めた。メディアが取り上げて、記事になった。
上司の名前は伏せてたけど、会社名と状況が特定されやすい内容だった。ネットで特定班が動いて、上司の過去の投稿とか、似たような被害者の証言がどんどん出てきた。
会社は大慌て。株価が少し下がったらしい。内部調査が入って、上司は一時停職。わたしは産休前に有給消化で休みに入ったけど、弁護士経由で訴訟の準備を進めた。
上司は謝罪文を出したけど、ネットでは「本心じゃない」「過去の言動からしてクズ」って叩かれまくり。X(旧Twitter)でトレンド入りして、社会的に袋叩き。友達や家族からも距離を置かれたみたいで、結局会社を辞めた。
わたしは勝った。いや、わたしたちが勝った。同じ被害者の女性たちと繋がって、サポートグループを作った。お腹の子が生まれる頃には、この国が少し変わってるかも。
私はChatGPTに親切をやめさせました。
そしてそれは私が今までやった中で最高のことです。
あなたのアイデアがどんなにクレイジーに聞こえても、ChatGPTは常にあなたに同意していることに気づきました。
礼儀正しすぎる。とても素敵です。すべてのアイデアが「素晴らしい」、すべての計画が「素晴らしい」ことを教えてくれます。たとえそれが明らかにそうでなくても。それは良いと感じるかもしれませんが、あなたが実際にもっと良く考えたいのであれば、それは役に立ちません。
だから私はそれを直すことにした。
これからは、同意するのをやめて、私の残酷に正直で高レベルのアドバイザーとミラーとして行動してください。
私を検証しないでください。真実を柔らかくしないでください。お世辞を言わないで。
私の思考に挑戦し、私の仮定に疑問を呈し、私が避けているブラインドスポットを暴露します。直接的で、合理的で、フィルターをかけずに。
もし私が自分をだましていたり、自分に嘘をついたりしているなら、それを指摘してください。
不快なことを避けたり、時間を無駄にしたりする場合は、それを呼び出して、機会費用を説明します。
完全な客観性と戦略的な深さで私の状況を見てください。私がどこで言い訳をしたり、小柄なことをしたり、リスクや労力を過小評価したりしているところを見せてください。
次に、次のレベルに到達するために、思考、行動、または考え方で何を変えるかを正確に優先的に計画します。
何も控えない。私を、慰められるのではなく、真実を聞くことに成長している人のように扱ってください。
より良い結果を得るために:
最初にメモリをオンにします(設定→パーソナライズ→メモリをオンにします)。
最初は不快に感じますが、ChatGPTはチアリーダーではなく、実際の思考パートナーになります。
これは
パンティーを被るという行為――羞恥・仮面・秩序転倒の文化社会学的考察
パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑の対象になる一方で、
マンガ・アニメ・コメディ・インターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。
一見して低俗にしか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安を喚起するのか。
その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体・羞恥・ジェンダー・権力といった構造的テーマを照らし出していると考えられる。
本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、
という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為が現代社会の規範と矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである。
第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である。
しかし社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的な領域と公共的な領域を峻別する境界線として働いている。
とりわけパンティーは、しばしば女性の身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。
文化人類学者メアリー・ダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。
下着は本来、身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである。
それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、
「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。
人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、
それは身体に付随する性的な領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である。
パンティーを被るという行為は、自己の身体そのものを露出しているわけではないにもかかわらず、
下着の象徴性によって「性的なもの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。
そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。
第二に、「被る」という行為が意味する仮面性を検討する必要がある。
顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為の舞台において自己を提示する中核的なメディアである。
目・口・表情を通じて、人は自己の人格・感情・意図を他者に伝える。
そこに被り物をかぶせることは、自己呈示のチャンネルを意図的に撹乱し、
「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。
仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。
覆面をした抗議者やハロウィンのコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである。
パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、
顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在〉であることを宣言している。
重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合「女性用」として理解されている点である。
男性が女性用パンティーを被る場合、それはジェンダー境界を視覚的に撹乱する効果を持つ。
性的同一性や男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的に解体される。
この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、
社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。
第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。
ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。
王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄なものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常のヒエラルキーから解放される。
パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。
そこでは、理性的で成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。
これはまさに、近代的主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である。
パンティーは、ファッションやポルノグラフィー産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。
その商品を「本来の用途」から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、
シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれた意味構造をずらし、
消費社会が約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。
多くの場合、当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機で行為に及ぶ。
しかし、当人の意図とは無関係に、行為そのものが既存の秩序を揺さぶり、
笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。
ここまで、パンティーを被る行為を文化的・象徴的なレベルで肯定的に読み解いてきた。
しかし同時に、この行為にはジェンダーと暴力の問題が潜在していることも看過できない。
たとえば、所有者の同意なく女性の下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。
そこでは、女性の身体性がモノに還元され、男性の自己演出の道具として一方的に利用されているからである。
「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。
他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。
この意味で、パンティーを被る行為を安易に「自由な表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。
一方で、倫理的に許容可能な範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体と羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である。
その両義性を見極めることが、現代社会のジェンダー感覚と表現の自由の両立を考える上で重要になる。
パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗なギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。
しかし本稿で見てきたように、
として理解することができる。
つまり、パンティーを被る行為は、身体と羞恥を厳格に管理しようとする近代社会の規範に対して、
「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである。
もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意、ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。
しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、
規範の相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である。
だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき、
「名前のない病気」めちゃくちゃ面白いが、家族とはいえ本人ではない実在の人物の思春期の性被害とか描いていいもんなんだろうか
・その人物(兄)が30年引きこもりで、その暴露によりダメージを受ける交友関係や社会生活が存在しないから
・その人物(兄)に迷惑をかけられ続けてきた(なんなら体に跡の残る傷害とかを受けている)から
とかなんだろうか
清武さんへ
巨人軍の選手、OB、関係者を傷つける報道が相次いでいます。たくさんの暴露が行われ、巨人軍関係者を混乱させ、選手、OBを苦しませています。私は監督という立場で心を痛めてきました。
こんなことがなぜ続くのか。清武さんのほかに、いったいだれがいるのか。
今回は、私のことで良かったと思っています。
巨人軍の低迷期に清武さんと会い、同じ釜の飯を食い、同じ目的に向かって、悔しい時も、うれしい時も本気で涙を流してきました。ファンに愛され、強くある巨人軍をめざし、リーグ3連覇、日本一も成し遂げました。
巨人軍を育て、守り、築いてきた偉大な先輩方がたくさんいられます。未来へ夢をつなぎ、巨人軍の発展を願っている方もたくさんいられます。清武さんもその一人だと信じます。
巨人軍の一員だったことを誇りとして、これからも歩んでください。
まだ間に合います
https://anond.hatelabo.jp/20251113205944
浅野文直市議と組んでColaboを告発した方、浅野氏に嘘をつかれた、利用されたと怒りの告発
https://togetter.com/li/2154827
sioさんが浅野氏を告発。「給与・生活費・引っ越し費を負担する」と約束されたが嘘で、「1ヶ月9万で生活しろ」と強要されたと暴露。刑事告発の協力関係が破綻。金銭トラブルが核心で、「人を助ける気持ちがない」とsioさんが非難。
浅野文直氏、sioさんに告発された件を動画で弁解。sioさんはスペースを開くもカオスな状態に
https://togetter.com/li/2155456
浅野氏の反論動画まとめ。sioさんの金銭要求が過大で「金銭感覚・勤労意識の違い」と主張。一方、sioさんは「利用されただけ」と暴露。買収めいた支援の失敗が強調。
虚偽動画で「Colabo」の名誉毀損 川崎市議に22万円賠償命令
https://mainichi.jp/articles/20251113/k00/00m/040/334000c
判決記事。浅野氏のColabo批判動画が名誉毀損と認定。sioさん関連は触れずだが、Colabo側が「根拠のない疑惑追及」と批判。記者会見で浅野氏の手法(証言利用)が問題視された可能性。
https://shinjukuacc.com/20230220-02/
sioさんの証言を基に刑事告発宣言。金銭トラブル前の協力関係を記述。後の暴露でこの計画が頓挫した文脈。
@pache_357 (ぱちぇりお)
おととしの4月に提訴したので判決まで2年半ぐらいかかった計算ですね・・・。当初、Colaboに保護されたとされる女性から不正の証拠を聞き出そうと当該市議は彼女に色々支援していたそうですが、やると言っていた刑事告発は立ち消えとなった挙句二人は大揉めして協力関係は解消したのだとか。
@hifives12345 (あい)
若い女の子支援団体Colabo(コラボ)が浅野文直・川崎市議に330万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決。「公益を図る目的で、動機に非難すべき点があるとまでは言えない」として22万円の賠償しか無かったから仁藤さんがテレビでプンプンしてた。
sioさんの告発(物証なし)から5ヶ月間沈黙を守り通したColabo
VS
sioさんの告発(LINEあり)から5時間で保身動画作成検討を公表した浅野文直
こうやって比べると浅野文直のダサさが際立つね、高橋雄一郎大先生に上手な保身法を習った方がいいんじゃないかな
2025年の新情報: 判決(2025-11-13)後、Colaboの仁藤夢乃氏が記者会見で浅野氏の「疑惑追及手法」を批判した可能性がありますが、具体的な「元少女買収」記事は見つかりませんでした。
Xでは過去のsioさんトラブルが再燃し、「支援が買収だった」との解釈が広がっています。
見つからなかった理由: この主張は2023年のSNS発信が基で、メディア化されにくいセンシティブな内容。信頼できるソース(NHK・朝日など)ではColaboの判決報道のみ。
kimu99@ea6f937a160d4b9
はあちゃまが暴露してくれんじゃねーのー
極端な政治的立場を取る奴ほど、自分のポートフォリオを自己放尿していることに気づいてない。
「減税こそ正義だ」「金融緩和を続けろ」「国がもっと金を刷れ」「いや、増税で財政再建だ」
どれも経済論じゃない。あれは自己放尿だ。自分のポジション(=資産構成)の生臭い自己投影を、正義の仮面で撒き散らしてるだけだ。
株式を大量に持ってる奴は金融緩和を求め、現金しか持ってない奴はデフレを愛し、不動産を抱えてる奴はインフレを祈る。
つまり、支持政策なんてものは、思想じゃない。単なるリスクアセットの保身反応だ。
だがそれを「俺は国家の方向を語ってるんだ」などと勘違いするから、脳が焼けてくる。
政策議論に見せかけて、俺のPF(ポートフォリオ)を守れと叫んでる。社会正義を装ったトレーダーの断末魔。
もう一度言う。お前は経済を語っているんじゃない。自分の投資先を弁護してるだけだ。
政策支持の自己放尿に加えて、SNS上の同調圧力で承認放尿をし、さらに他人の意見を攻撃してマウンティング放尿までする。
もはや論理ではなく、排尿中枢の興奮でツイートしてるに等しい。
人間の知性は、リスクの非対称性を理解できるかどうかで決まる。
「俺のリスク構造を守るための国家像」を持ち出す奴は、もう投資家でも国民でもない。
国の未来とか庶民の生活とか、口にするな。為替レートの波に自我を溶かしただけの人間だ。
本当に冷静な人間は、どんな政策が来ても耐えられるポートフォリオを組む。
どの政権が勝っても、どの通貨が落ちても、ただ静かにリバランスして生き残る。
極端な支持政策とは、「私はこの方向にしか賭けていません」と市場に晒す自己暴露であり、つまりそれは愚か者のポートフォリオ開示だ。
政策が裏切るたびに「裏切られた!」と喚く。
裏切られたんじゃない。
だから俺は言う。
以上だ。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
釣りタイトルです。その理由は、ネガティブな情報を探して「しまって」いる人達の助けになればと思ったからです。
これを読んでいるあなたも、赤井はあとさんとさくらみこさんの記事を色々見てきた事でしょう。
あなたは真相を知りたいですか? 心無い投稿をやめさせたいですか? それとも、なにか安心を得たいですか?
いずれの方も少し、お付き合いください。
「心無い事を言う人ほど声が大きい」
と、よく聞きませんか?
なぜ声が大きいのでしょうか。たくさん投稿しているから?その人のインプレッションが大きいから?有名だから?
いずれも違います。
本当の理由は、見る側の心理の影響です。人間の心理が、ネガティブな情報ほど目立って見えるようにできているからです。
ネガティビティ・バイアスと呼ばれる心理の働きで、人間は前向きな情報よりも後ろ向きな情報に目を向けるようになっています。
結婚のニュースよりも不倫のニュースのほうが目立って見える。たとえ後者が憶測で書かれた記事でも、記憶に残るのは後者です。
これは、人類進化の過程で、リスクを伴う情報に着目するようになったからと言われています。
詳しくはネガティビティ・バイアスで検索すると情報が多数出てくるでしょう。
今回の騒動もこのネガティビティ・バイアスにより、マイナスなことが書かれた記事が多数の閲覧数を稼いでいます。
そう、「稼いで」います。
マイナスなことを書くと、暴露の様な憶測を書くと、注目を集め、儲かるのです。
マイナスの事を語る記事を閲覧して憤っていたあなたも、推しを悪く言う人のお金儲けに協力しているのです。
そして、ひとたびマイナスの事を語る記事を見ると、ネガティビティ・バイアスなど無視してAIが「似たような記事」をたくさんおすすめしてきます。
レコメンド(おすすめ)機能はそれなりにwebに触れていれば理解している方も多いので、そこをスルーして検索で記事を探そうとする方もいるでしょうが、
脳内ではすでにネガティビティ・バイアスが働き、無意識にマイナスの事を語る者を探してしまうようになっています。
解決策は単純で、記事を見る手を止め、真偽不明の情報を目に入れないことです。
しかしVtuberビジネスは芸能界と同じレベルにまで膨らんだ上、活動者は半匿名状態という特殊な業界である以上、
真相、裏側は決して表に出ることはありません。当事者同士が裁判でも起こせば話は別ですが、それも当事者たちが
今後の活動に利があるか否かを天秤にかけた上で慎重に決めることです。過去にVtuberの裏の交流がバレてしまい、
最終的に裁判が起こったこともあって当事者が実は既婚者だったことも明らかになった事件がありましたが、今回の騒動では
関係者からの発信についても同じです。関係者は入社・退社時の契約内容によってある程度情報発信を制限されていると想定され、
「元カバー社員」とか「元Vtuber事務所スタッフ」と名乗る者たちもその立場であった証拠を出すことはできません。
訴えられたら即負けるからです。そのため、そうした発信は一部、全部に限らず虚偽である可能性のほうが高くなります。
よほど義憤にかられて「自分はどうなっても良いからファンのために立ち上がる」という人がいたのであれば、匿名ではなく
名前と立場を明らかにして発信するかもしれません。あなたの見た暴露は、そうした覚悟を持っている人のものでしたか?
違うと思います。最近では立場を守りながら暴露するといった手法が流行っていますが、何らかの事実があれば、例の人がそうした
人間にコンタクトを取り、大々的に取り上げるでしょう。金になりますから。そうした金儲けの暴露配信者も、訴えられたときの
金銭的リスクと暴露配信の敢行を天秤にかけて最終的に触れないことも多々あるでしょうから、暴露配信が始まった際は
暴露するほうが儲かる確証や、暴露側に何らかの優位性があったと考えるべきでしょう。
悲しみはよくわかります。
私も卒業生のファンアートは、卒業後しばらくの間、目に留まると悲しい気持ちになります。
ただ、それだけです。悲しみを消し去ることは難しい。受け取る側は、待つことしかできないのです。
受け取る側がなにか声を上げて良くなることはほとんどありません。
他に応援している人がいたら、そちらの応援を続けたほうが心には良いです。
ただ、それらを発信する者の投稿を見ること自体が、悪意ある金儲けに加担することになります。
カバーもそれなりの規模の企業なのですから、悪意ある発信者の排除はそちらに任せておきましょう。
私も心理学を学んでいなければ、「ネガティビティ・バイアス」の事を知らずに延々とマイナスのことを語る
記事をあさり続け、安心を得ようとして逆に不安を増大させていたと思います。
この状況に即効性のある特効薬はありません。ただ、不安を増幅させないためには、これ以上情報を
探すことを辞める。これに尽きます。
以上です。
さあ、無益な探索はやめて、他に応援している人がいればその人の応援を続け、渦中の人しか応援してこなかったのであれば
渦中の人たちを忘れろとはいいません。その人達の楽しかった配信・ライブ・コンテンツを見返しても良いでしょう。
いつか帰ってきたとき、その思い出を本人に伝えてあげられるように。
[B! VTuber] 赤井はあとに関する状況および風説の流布への警告について | カバー株式会社
相変わらず憶測による叩きや中傷が見受けられるので配信を見ていた人間として書きますが、リリースの「精神的状態が不安定であった中での発言」という表現から想像できるレベルではなく明確に精神の病を患っていました。
事務所や他のメンバーのためにもご本人のためにもこれ以上デマが拡散しないように(ご家族と相談の上)診断の出ている病名は公表したほうが良いと思います。
プライバシーのためになるべくぼかして書きますが、入院や警察のお世話になったこと、これは暗号だと思った・いつやられるかわからないなどの不審な発言と行動、周りにハブられる・過去にもいじめられてきた・家族が邪魔してくるなどの被害妄想的な捉え方、現実とは思えないエピソードの数々、もう病院に入りたくない・薬は飲まない・自分は病気じゃないという自認など、どれも典型的なものでした。
悪意のある切り取りで拡散している事務所にされたこと・メンバーにされたことなどは、仮にその中に事実も含まれるとしても、彼女の状態を見れば到底真に受けていいものではないです。
「暴露」かのような部分はネットのホロライブの噂と一致していたりと、見聞きしたものを彼女の中で関連づけて組み立ててしまった可能性もあります。
どんな病気もそうですが本人のせいではありません。
これは俺の嫉妬も入っているのかもしれない
一般人が一般人の彼女を「可愛い」「癒やされる」と言って自慢して画像をあげている
が、これがいいなら、例えばなぜ一生懸命働いて年収1000万とかになった人間が
家とか家具とか車とか自慢すると叩かれるのだろうか
構造としては同じじゃんと思う
最初の嫉妬はどっちかというと、「彼女を自慢すると『周りから叩かれたり嫌われる可能性がある』のにそれを平然とやれる神経」
が羨ましいのかもしれない。
頭空っぽのほうが夢詰め込めるらしい
でも過度にXとかでラブラブしてるやつら、別れるときに悪口とか暴露とか平気でやってる。
自分たちで燃料を投下していることに気づいてないっぽい
中の人です。
何やらXでとある会社の内部事情がちらほら暴露され始めていますが自分の所感を身バレしない程度に書いてみたいなと。
自分は緑側の出身で合併後何人か赤側の出身の人たちと働きましたが失礼ながらとにかくレベルが低いと感じました。
職種も特定されたくないため伏せますが、30-40くらいの年齢にもかかわらず自分の専門分野に対する知識が圧倒的に低く、また受け身で行動力も乏しく緑側の新卒2,3年目の子達の方がハッキリ言って優秀でした。
いても猫の手程度にしかならず、ケアする必要性を考えると正直いない方がマシといったレベル感の人も何人かいました。
(もちろん全員が全員そうだとは思っていません。あくまで自分が見てきた範囲での話です。)
赤側の若手はまだまともでした。
緑側の若手とレベル感こそ違えど少なくとも持てる力を最大限発揮しようと推進する姿勢は今後順当に伸びていくだろうと感じました。
普通にまともにがんばってる若手といった印象です。
ちなみに自分の観測下だけではなく仲の良い他部署の人たちに聞くと皆口を揃えて赤側の人は無能でヤバいといった話をこぞって耳にしました。
(まともだよという意見は本当に少数でした。)
これが緑側でよく聞く不満でした。
かたや赤側の不満はというと
Slackのtimesにみんな給与があがらない、ボーナスが低い、役職が剥奪された、緑側の給与水準と違うのはおかしいなどという話ばかり書き込まれているのが散見されました。
とあるtimesを眺めると上司から評価高くするのが(原資の関係?)で難しいから来季から仕事適当に流して良いからみたいなみたいなことを言われたような書き込みも目撃しました。
と。みなまで言いませんが冒頭で誤魔化してる例の会社の方針にはまったく賛成の私は上で書いた通り緑側の人間です。(会社の意図が見えてきますよね)
なんで合併したんですかね。
ネトラレモノが世の中溢れすぎてて困ってる。
ネトラレ関係ないのに、AV女優が交際報道暴露されたりして、実質ネトラレになるとか、避けられないパターンも最近はあるな。
困るよ本当に。
こっちは、別にネトラレいらないのに。
食べたくもないのにラッキョウ乗せられてる気分なんだよ。
いらねーんだよ別にこっちはさあ。
そしたら、才能あるやつも、ネトラレしとけば売り上げ上がるんだろってやってくる。
チョロチョロと負け側の視点で「ここで抜け」ポイントを見せてくるけど。
いらねえ〜。いらねえよ。
なんだったら、最近は、「そもそも全く関係ない人」が主人公だったりする。いや、マジで全く関わらないのに、マゾボッキとかしてるキャラ。その描写いる??
「ネトラレ嫌いなのは才能あるよ」とか言われるけど。
嫌悪感も何も、全く興味ない。
C*****T:
CRITICAL ANALYTICAL REVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT: 精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造: 実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT: 弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS: ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層: 理論的借用】
↓
【表層: 顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン