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工場ハードウェアの構造と、その現代的な『設計思想』を考える

  • 建築とレイアウトと動線と

「ちょっと想像してみてください。もしも家の台所が1階と2階に分かれていたら、どうなると思いますか。冷蔵庫と流し台は1階にあり、ガスレンジは2階にある、と。それはどんなに不便か、お分りでしょう?」――これは、わたしが工場の建築レイアウトについて、よく使うたとえだ。「ところが、製造業のお客様の工場を訪問すると、こんなレイアウトをよく見かけるんです。モノづくりの工程が、上下階に分かれていて、途中に上下の移動が必要になっています。どんな結果が生まれるか、分りますか?」

「工程間で互いに相手の状況が見えないから、作業の同期がとりづらくなりますし、そもそも垂直搬送自体が、時間とエネルギーのムダです。ところが、働いている人は、誰もそれを不思議と思っていません。なぜなら、工場ができた時から、そうなっていたからです。」

日本は敷地が狭い。だからどうしても、工場は平屋ではなく多層階になる。それ自体は仕方があるまい。だがフロアが分かれると、いくつか弊害が出る。一つは視認性がなくなること、もう一つは垂直搬送が増えること。それは直接、生産性を阻害する。

いや、生産性という言葉は誤解を招くかもしれない。機械1台あたり・作業者1人で加工組立できる数量は、平屋でも多層階でも変わらないからだ。だが同期がとれないと、「整然とした動き」ができなくなる。組織としての俊敏性が下がるのだ。もっと分かりやすく言うと、渋滞が起きる。結果としてリードタイムが長くなる。仕掛在庫量も増える。すると、スペースも圧迫する。


  • レイアウトが不便な建物とは

わたしは東急東横線・みなとみらい線を毎日通勤に使っている。でも(個人の感想だが)東横線の横浜駅のつくりは感心しない。人の流れを導く動線が、無理に遠回りするような感じを与えるからだ。昔は地上2階にあり、ホームも狭く混雑したが、動線に迷うことはなかった。2004年にみなとみらい線とつながり、地下化してできた現在の駅は、動線の方向が直感に反している。南北両側に連絡通路があるのだから、エスカレーターや階段は両側に別れて向かうべきなのに、中央に誘導するようになっている。

混雑時のバッファリングなど、何らかの理由があってこうしたのだろうが、利用者にとって不自然である。東横線渋谷駅も、ある種似たような不便さを感じるので、これは東急電鉄の「設計思想」の結果ではないかと想像している。建築レイアウトの設計では、利便性とか安全性とかコストとか、いろいろな評価尺度がある。そして、すべてを満足させる解を作るのは難しい。その際に、どれを優先するかを決めるのが、設計思想だ。この駅の設計では、何か別の要素が優先され、結果として動線の視認性と利便性が犠牲となったのではないか。

もう一つ例を挙げる。横浜みなとみらい地区にある、ランドマークプラザとクイーンズスクエアという二つの建物だ(神奈川以外の読者の方すみません)。超高層のランドマークの隣に、ひな壇のように三つクイーンズの建物がならぶ絵姿は、横浜の代表的光景になっている。前者は三菱地所が設計し、後者は日建設計が手がけた。

だがこの二つ、動線の分かりやすさが天と地ほど違う。ランドマークプラザは自分がどこにいて、どの階のどの店にどう行けば良いか、きわめて明快だ。ところがクイーンズの方は、どこがどうつながっているのか、実に分かりにくい。クイーンズタワーA棟が勤務先なので、もうかれこれ25年以上使っているのだが、つい先日も「え、こんなところに誰も使わなそうなエレベーターが」と、新鮮な発見(笑)をしたくらいだ。

建物というハードウェアは、外観の美しさも大事だが、それと並んで動線が大切だ。クイーンズは日本建築学会賞を受賞したが、審査委員の先生方は、本当に何日間も自分の足で歩いて使ってみて、審査されたのだろうか。建物は箱ではない。大勢の人が動く場だ。その動きが、きれいな層流なのか乱流なのか、考えるべきだろう。


  • 工場を「流れの場」として考える

もっとも、人の動きを流体力学にたとえるのは、お前さんが建築出身ではなく、プラント屋だからだろ、と言われるかもしれない。別に否定はするまい。いわゆる建築美学とはかけ離れた、プラント・エンジニアリング会社で働いてきて、美術館にも教会建築にも携わったことはない。わたし達が設計するのはそうした「純建築」ではなく、工場とか研究所とか病院などの、機能的に複雑な建築物だ。

わたし達プラント・エンジ会社の技術者の目からは、工場とは「人と物が流れる場」に見える。これは、製造業の生産技術や工務部門の人たちとは、相当違う視点だろうと思う。ほとんどの製造業の生産技術者にとって、この部品はどんな機械でどう加工するか、この複雑な製品はどう精度を確保して組立てるか、が命だ。部品をどう供給するか、人はどこで着替えるか、クリーンな空気はどこから供給するか、とかは付随的な問題に過ぎない。

そして正直に言うが、エンジ会社は、製造業の顧客の本当に中核的な技術ノウハウには、タッチしない(できない)。それならば、どうやって工場づくりのインテグレーションができるのか? 中核が分からないのに、どうして周辺を決めて組上げられるのか?

それは、人々がCPUチップの内部回路を知らなくても、自作PCを組上げられるのと一緒だ。CPUはパソコンの命だが、CPUだけではパソコンは機能しない。メモリや外部記憶や電源や筐体やキーボード・ディスプレイ・周辺機器がそろってはじめて、CPUが威力を発揮できる。PCを設計し組上げるのには、CPUの外部I/F要求を理解すれば十分で、必ずしも内部知識はいらない。ただしCPU以外の様々なデバイスを、性能やサイズやコストを勘案しながら、バランス良く決めなければならない。


  • 工場を「システム」として設計するために

特にCPUにとっては、各種資源にアクセスするためのバスが大切だ。CPUだけが速くても、バスの能力が低ければ、システム全体のパフォーマンスが上がらない。バスは、信号の動線だ。同じように、工場の建物というハードウェアを建てるときだって、モノと人の流量と、動線の設計が大切なのだ。

バスの能力問題は、CPUが遅いときはクローズアップされない。CPUを高速化しスケールアップ(多重化)していくと、システム全体のボトルネック工程が、CPUの外部に生じるようになる。工場も同じだ。小さな町工場に動線問題はない。だが工場を大きくし、生産量を拡大し、多品種化しようとすると、この問題がクローズアップされるようになる。だからこそ、工場の動線とレイアウト設計には、設計思想が必要なのだ。

電子機器には回路図がある。だが、あなたは工場にも、モノの流れを表す「回路図」が必要だし、存在することをご存じだったろうか? それが『マテリアルフロー図』であり、『メカニカルフロー・ダイアグラム』である。それがどういうものであるかは、ぜひ新著「攻めの工場づくり」(佐藤知一・丸山幸伸)を見ていただきたい。回路図なしに、工場を作ろうとしていないだろうか? 建築図面と機械図面があれば工場ができると思っている人にこそ、ぜひ本書を読んでほしい。

工場は、各工程という機能要素と、その間を結ぶ動線というリンクからなる、一つのシステムである。それは製造設備だけでなく、物流設備や用役設備や空調設備や、建築というハードウェアの組合せで実現される。その上で人々が働き、モノが動き、さらに情報が流れる。それを動かすためのソフト(ITシステムならびに、人を動かす手順・ルール群)がいる。それを作り上げるのが「工場のシステムズ・エンジニアリング」だ。

機械を買ってきて、建屋にポンと置けば工場ができた昭和時代から、今はここまで変わったのである。現代流の工場づくりの考え方が、我が国にももっと広まってくれれば良いと、強く願っている。
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攻めの工場づくり」第9章より引用

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# by Tomoichi_Sato | 2025-11-26 14:36 | C1 工場計画論 | Comments(0)

工場エンジニアリングに関する新著:「攻めの工場づくり」を刊行しました

新著刊行のお知らせです。
工場とは何か、どんな風に計画し、いかに作っていくかを、誰にも分かりやすく説明した本を、本日(11/17)発刊しました:

投資価値を最大化する『攻めの工場づくり』 〜 10のスマート化戦略
  佐藤知一・丸山幸伸著

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(丸山幸伸氏は日揮の同僚で、医薬品工場をはじめとする非プラント系工場づくりのプロジェクトに、長年携わってきたエキスパートです)

電子書籍Kindle版は、11月17日よりAmazonから以下のurlにてお買い求めいただけます。

 定価1,200円(ただし今週・来週ははキャンペーン価格で入手可能ですので、ぜひ早めにお申込みください)。そしてKindle読み放題の対象です。
 なお、紙の書籍は2〜3週間後に販売開始となる予定です(予価2,500円)。あわせてご利用ください。

日本にも海外にも工場は無数にあります。それはモノづくりの場所で、産業の基幹である製造業を支える役目を果たしています。しかし、工場とはそもそもどんな仕組みとして成り立っていて、どう作れば良い工場ができるのか、分かりやすく解説した本は、不思議なことにほとんどありません。

中で動かす機械を決めて注文して、それを入れる建物を作れば、「工場」ができあがる。そう考える人も多いでしょうが、率直に言って昭和時代の発想です。物不足だが労働力は豊富だった頃の考え方だからです。かつ、その後の長い不況の間、工場新設は(一部産業を除いて)抑えられ、社内で技術を継承発展する事も難しい状況でした。その結果日本は、現代的なスマート製造の実現で、欧米や中国に後れを取る事態になりつつあります。

このような状況を逆転するために、わたし達は筆を執りました。国内外で多数の工場・プラントづくりを手がけてきた日揮のエンジニアリング・ノウハウを、惜しみなく公開し、現代的な『仕組みづくり』としての工場設計・建設手法を詳述しています。現代的な工場設計の考え方が、上に書いた昭和的な発想といかに違うか、驚かれると思います。

本書を読んでいただきたいのは、製造業で工場投資の意思決定に携わる方、具体的には以下のような方々です:
  • 経営企画部門で、工場立地計画や投資採算分析に関与する方々
  • 生産技術部門で、工場の増改築・リノベーション、製造ライン増設、そして新設に関わる機械系・電気制御系の技術者
  • 生産技術あるいは施設管理部門で、工場の建築面に関わる方々
  • 工場の製造部門・生産管理部門で、現場の実務に携わるスタッフ、あるいは購買・物流・品証その他工場内の業務に関わる方々
  • 製品開発・設計部門で、自分たちの設計図がどのような形で、製造プロセスに実現されるかに関心のある技術者
  • 製造業の情報システム部門や情報子会社の技術者

また、製造業以外の方にもおすすめしたく思っています:
  • ITエンジニアで、工場や製造の実務を理解したい方
  • 建築設計事務所、ゼネコンの設計部門の方
  • 工作機械、マテハン機械メーカーの方
  • 経営コンサルタント

内容は実物を見ていただくのが一番ですが、とりあえず目次の一部をご紹介しておきます。

序章:あなたの工場は「コストセンター」?
【戦略1】立地選定・敷地計画
  • 「敷地」で工場の未来は決まる
【戦略その3】生産方式とレイアウト設計
  • レイアウトは利益を左右する
【戦略その4】採算分析・投資判断
  • 巨額投資を成功に導く!「工場マスタープラン」の作り方
【戦略その5】製造工程設計
  • 工場の設計は「回路図」で考えよ
  • 「製造工程の見える化」がライン設計の出発点
【戦略その7】建築・空調設計
  • 「レイアウト」と「空間構成」で進化する工場へ
  • 製品品質と歩留まりを決める「空調設備設計」
【戦略その9】ITシステム導入
  • ITなんて怖くない! スマートな工場の制御・ITシステム
【戦略その10】PMと立上げ組織
  • 工場づくり、誰に任せる? 失敗しないアウトソーシングと契約の鉄則

これから工場づくりに関わる方にも、今まさに工場を作りつつある方にも、そして、まだ予定はないけれど「現在の工場は、本当はどうあるべきなのか」を考えたい方にも、きっとヒントになると信じています。

なお本書は2022年から1年半の間、日刊工業新聞社の月刊誌「工場管理」に連載した記事がベースになっていますが、全体構成の部分からかなり見直し、図表等もかなり描き直しました。より分かりやすく、実戦的な内容になっていると思っています。

大勢の方に手に取っていただければ幸いです。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)

# by Tomoichi_Sato | 2025-11-17 10:31 | C1 工場計画論 | Comments(0)

久しぶりに、プロジェクト・マネジメントの1日セミナーを開催します(12月17日)

お知らせです。

リアル会場で1日かけて行うプロジェクト・マネジメントの研修セミナーを、久しぶりに開催します。今回は、内容も従来の形をかなり刷新したプログラムとします。企業の実務レベルの方に役立つよう、とくに製造業のような縦割り組織の強い職場で、どうプロジェクトを構想し進めるべきかも含めて、構成を組み直しました。

これまでもわたしは、PM研修をいろいろな形で行ってきました。大学でも1学期間の授業を持っていますし、職場でも教え、また依頼されれば企業や官庁向けにクローズドなセミナーも開催しています。昨年度までは、「P&PA研究部会」のPM教育分科会の仲間たちとの共同セミナーもありました。

そこでは主に、20世紀半ばに生まれたモダンPMの中心的概念を理解してもらい、プロジェクト計画とコントロールを客観的・定量的に進める技法の習得を、ねらいとしてきました。モダンPMの概念とは、プロジェクトをアクティビティから構成されるネットワークの「システム」として理解することです。そこから、スコープを表すWBS、スケジュールをおさえるPERT/CPM、コスト・コントロールのためのEVMSなどの技術が出てくる訳です。

ただし、PERT/CPMやEVMSのような技術は、プロジェクト・マネジメントの「ハード・スキル」と呼ばれる面であり、もう少しかみ砕いていうと、それなりに規模のある、スコープ(役務範囲)が明確なプロジェクト向きの手法です。

しかし世の中には、もっと「ソフト」なプロジェクト、すなわち目標や責任範囲が柔らかで不確実性の高い仕事に、取り組まれる方々も多いと思われます。こうした領域は、ハードなPM技術だけでは必ずしも十分に進められません。かと言って、最初から最後まで「リーダーシップの発揮!」の気合い一本槍では、やり抜けないのも事実です。

そこで今回のセミナーでは、不確実性の高いプロジェクトのマネジメントに焦点を当てようと決めました。製品開発や、DXなどの改革、それに伴うIT開発などが典型でしょう。そして、リスク予知やコミュニケーションなどの、ソフト・スキルからスタートします。そしてチームと組織デザインに進み、漏れのないタスクの洗い出しとWBS化、設計とミッション・プロファイリング、といった順序で解説を進めます。

知識のインプット学習だけではマネジメントは身につきにくいため、あえて自分で手を動かすグループ演習を取り入れます。そのため、リアル開催のセミナー形式としています。ソフト面を重視するといっても、モダンPMの知見を援用しますので、わたしが以前行ったハード・スキル中心のPMセミナーを受講された方にも、おすすめしたく思います。拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」でも、ある製造メーカーを舞台に、誰がプロマネかさえ不明確な製品開発プロジェクトを、一担当のエンジニアが乗り切っていく話を書きましたが、実務ではソフト面とハード面の両立が望ましい訳です。

ちなみに、もうじき米国PMIからPMBOK Guide第8版が出ます。PMBOKは2000年刊行の第2版で大枠が固まり、その後はPMP試験と連携しながら第6版まで拡充しましたが、第7版で大幅に内容が変わりました。それは、ハードなPMからソフトなPMへの転身の試みだと言えるでしょう。第8版の予告された目次を見ると、再び構成がそれなりに変わり、ソフト面とハード面の両立・融合に苦心している様子がうかがえます。なお、わたしのセミナーは、用語概念などは可能な限りPMBOK Guideに合わせていますが、もちろんPMP資格試験をねらいとしたものではありませんので、その点ご留意ください。

<記>

プロジェクトを成功させるマネジメントの実践とそのポイント

日時: 2025年12月17日(水) 10:30~17:30

主催: 日本テクノセンター
会場: 〒163-0722 東京都新宿区西新宿二丁目7番1号      小田急第一生命ビル22F

セミナー詳細: 下記をご参照ください(有償です)

大勢の方のご参加をお待ちしております。


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# by Tomoichi_Sato | 2025-11-09 12:24 | D1 プロジェクト・マネジメント全般 | Comments(0)

昭和型のビジネスモデル 〜 その疲弊と終焉

  • シャッター商店街を歩く

旅先の小都市で、食事をしようと町の中を歩いた。駅から少し歩くと、市役所や高校やホールが並ぶ街道沿いに、商店街が広がっている。しかし、午後早くだったのに、しまっている店ばかりだ。シャッターを見ると、何の店だったか分かる。電気屋、本屋、八百屋、眼鏡時計店・・それでも食べ物屋は何軒か残っており、そこでその地方の名物料理にありついた。

その小都市自体が寂れてきているとは、言い切れない。むしろ町おこしの事例として有名なくらいだ。たしかに人口は減っているようだ。しかし広い市域に農地と住居が分散しており、モータリゼーションにともなって、旧街道と鉄道の駅を中心とした市街地への集中がなくなったのかもしれない。買い物も食事もバイパス沿いのショップやレストランで事足りる。ネットで注文すれば配達してくれる。商店街は必要ない存在になってしまった。

電気屋、本屋、時計屋と並べてみると、いずれも昭和時代のビジネスモデルだと気づく。昭和のモデルとは何だったのか。そこで生きた人々が支えた経済社会の構造は、どうなっていくのか?


  • 地方商店街の小売の機能とは

商店街に並んでいるのは、ほとんどが小売店だ。そこで販売(小売り)の機能を考えてみよう。もちろん、まず商品(モノ)自体の提供がある。店に行って、モノを買って帰る。あるいは(昭和時代の昔はよくあったのだが)家まで配達して届けてくれる。

つまり商店は、販売機能に加えて、ラスト・ワンマイルの物流配送機能も提供していた。さらに電気屋を考えてみると分かるが、商品提供にまつわる据付工事等の付帯サービスもある。TVを見るには屋根にアンテナをたてる必要があった。洗濯機なども簡単な据付工事がいる。それらを販売店が担った。

情報仲介機能という面もある。お客さんに、商品自体の情報や、それを利用した生活の姿のイメージを提供する。商店もそれなりに、商品仕入れにおける目利き・評価の能力がある。そして昭和時代にはネットという便利なものはなかった。新聞・テレビは広告情報を流すが、個別の商品の特性比較、使い方などは小売店が提供したのだ。

逆に、客側のニーズ、需要情報をメーカーに届ける機能もあった。昔の電気屋は、ナショナル・サンヨー・東芝など大手メーカーごとに系列取引になっていて、メーカーは毎年定期的に全国のサービス店を集めて、軽井沢など有名な観光地で研修大会を開いた。これは新商品の紹介と、ニーズの吸い上げ、そして慰安の提供でもあった。
最後に、小規模金融(決済・売掛・債権回収・保険等)の役目も担った。これらが地方商店街の小売店の機能だったのだ。


  • 集中供給、中央統制が昭和モデルのベース

では、それらを束ねる組織構造は、どうなっていたのだろうか。それはいわば、商品を全国に提供する大企業のブランドによる、自営小企業のネットワークの形であった。電気屋に「ナショナル」のカンバンがかかっていても、別に松下電器の子会社ではなく、特約店契約だったと想像する。大企業は全国を地方や県などに分け、地域的ツリー型のネットワークによって、店舗(拠点)と消費者(利用者)の固定的な結びつけを維持していた。これによって、小売店の経営安定化と、余計な価格競争の排除を図ったのである。

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書店などはもちろん、複数の出版社の商品を扱っていた。出版社には中小零細も多い。そのかわり、書店流通は日販・トーハンなど大手取次店と呼ばれる大企業が全国のサプライチェーンを掌握して、書店と出版社をつないでいた。八百屋や魚屋など生鮮食料品店は、地域の青果市場を通じて、生産者とつながっている。エンド・ツー・エンド、N:Nの直接取引ではなく、地域別のチャネルを通じて集約されていた。

基本的に、商店街の各店舗は、独立自営した小規模企業である。そして必要な初期投資や参入障壁は、それほど大きくなかったはずだ。それでなければ、あれほど多数の商店が、全国に存在できたはずはない。そして店舗の経営者や従業員が、高度な専門知識やスキルを持たなくても一応成立するビジネスモデルになっていた。つまり、フツーの人が真面目にやれば、できる商いなのである。

似たような事情は、エレクトーン教室などにも共通だ。昔、「中の人」だった知人に聞いた話では、エレクトーン教室に通う女の子達にとって、上手になれば自分も教室を開いて先生になれる、経済的に自活できる、というのが夢だった(女性の職業選択は今より遙かに狭かった時代だ)。エレクトーンのメーカーの高収益率は、じつにこの昭和的なビジネスモデルが支えていたのだ。

昭和のビジネスモデルを支えた柱は何だったろうか。第一に、それはブランドによる商品と情報の供給だった。まだ「モノあまり時代」に突入していなかったので、商品供給はパワーだ。プロダクトアウトといってもいい。ブランドの有名さが、情報の権威を裏付ける。ちなみに権威とは、真理を決める力を付与されている状態をいう。売り手と買い手の情報の非対称性が、このモデルのベースにある。だから必然的に、大衆向け広告とマスメディアが大事になる。

第二に、大手メーカーによる小売店のネットワーク化。商品供給のみならず、研修も、慰安旅行も、そして経営面のアドバイスや金融面のサービスまでも提供した。第三に、公共交通機関と徒歩を中心とした、地域交通の構造。商店規模の大きさよりも、住まいへの近隣性が重要だった。


  • 昭和のビジネスモデルはなぜ壊れたのか

このような、よくできた経済モデルがなぜ機能しなくなったのか。それはネットとデジタル技術の登場にある。インターネット・Web・一人1台のパソコンが普及するのは平成に入ってからだ。ネットは情報の非対称性による「情報仲介」サービスへのニーズをくずした、それだけではない。貸付・決済や物流などの機能も、商店を介さずにできるようになった。

第二の変化は、モータリゼーションの進展による交通流の分散化である。鉄道・バスと旧街道から、自動車と新バイパスへ。そして第三の変化は、人口構成の変化、とくに高学歴化だろう。知識大衆化といってもいい。昭和時代には「知識人」とか「インテリ」という言葉があった。今の人には、意味も分かるまい。

業種業界により濃淡はあるが、この四半世紀に進んだビジネスモデルの変化はこれだった。情報は手に入りやすくなり、非対称性は減った。その代わり、独立自営で食べられる選択肢も減って、商工業では、みなが雇われ人になる道しかない。逆に大手メーカーの力も、平場の価格競争にされされて、大きく損なわれた。サプライチェーンを一番マージンが大きいのは、今やチェーンストアである。

経済分野では、この変化はすでに終盤に入っている。教育分野でも、もう個人が塾や学校を開ける時代ではないかもしれない。それ以外の分野では、どうだろうか。たとえば農業、たとえば司法、あるいは宗教、そして政治・・

昭和的なビジネスモデルの特徴は、いくつかある。大手ブランドによる信用と利権、(機能別ではなく)地域別なツリー型組織、それらを支える中央集権的イデオロギー、デジタルと情報への感度の低さ、そして構成員の高齢化・・あなたの周りに、こうした特徴を持つ組織があったら、その行く末を注視した方が良い。それが滅びるのか、無くなるのかは、もちろん予言できない。だが、いつの間にか別種の仕組みに、一番大事なところを奪われていくからだ。


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# by Tomoichi_Sato | 2025-10-31 19:50 | F3 組織・経営・戦略論 | Comments(0)

参謀は将軍になれるか?

  • 直江兼続の「密謀」

先日、藤沢周平の「密謀」(上・下 )を読んだ。藤沢周平は母が好きだった作家で、本棚からもらい受けてきたのだが、わたしのいつもの癖で、何年間も積ん読にした後、今年に入って読み始めたのだ。とてもよく出来た歴史小説で、一気に読み通した。主人公は直江兼続。越後の武将で、上杉謙信の跡継ぎである上杉景勝を、執政として補佐した。

直江兼続は知将として知られるが、生まれたのが1560年で、いわゆる『戦国武将』としては遅い登場だった。上杉謙信は彼が18歳の時に亡くなり、本能寺の変が22歳、天下分け目の関ヶ原のときは40歳だった。彼が一人前になる頃には、天下の大勢はすでに決まっていたのだ。とはいえ、まだ乱世である。この小説は、知将として上杉家を支える彼の、秀吉・三成・家康らとの確執を見事に描いている。

直江兼続は、大藩・越後上杉家の参謀だったと言っても良い。だから小説のタイトルも「密謀」なのだろう。とはいえ自分の知行地も城も持っていたから、秀吉に仕えた竹中半兵衛のような、純粋に知略に生きた軍師とは、少し違う。兼続は農業振興や土木政策など、軍事以外の政策立案と実行にもたけていた。


  • 参謀とはどういう仕事か

そして気になって、「参謀」という言葉を少し調べてみた。Wikipediaは、例によって役に立たない。生成AIの出してくる、テキトーな嘘交じりの答えを鵜呑みにするのもいやだ。調べ物をする場合、わたしは「ジャパンナレッジ」 をよく使う(最新の技術やトピックでない限り)。世界大百科事典や日本大百科事典を同時に検索してくれるし、どちらも各記事の執筆者名が明記してある。つまり内容に責任を持って書いているのだ。バイアスが気になれば著者を調べれば良い。

で、世界大百科事典の「参謀」の項を引くと、「幕僚」を見よ、となっている。そして幕僚の項にはいろいろなことが書いてある。「幕僚は古代エジプトの軍隊に発生した」「アレクサンドロス大王は参謀長などの幕僚を設けた」「カエサルは自らの幕僚経験を生かして組織を改善」など。また近代の欧米そして日本の幕僚組織なども解説されているが、あいにく中国などアジアのことが書いていない。

たとえば三国志で有名な諸葛孔明は参謀と言えるのか。その前の孫子や墨子はどうだったのか。日本の軍師の発生と系譜は、など疑問は残る。諸葛孔明は丞相として、帝位についた劉備を補佐し、内政に尽力した。だから直江兼続も似たような立場だったと言える。


  • 参謀タイプと将軍タイプ

前回の記事「どの人にどのタスクを割り当てるか 〜 感情と思考の4類型を理解しよう」で、わたしは、思考と感情の開放度によって人間を4種類の「ソーシャルスタイル」に分類する考え方を紹介した。思考面では他者からの独立性が高く、感情面はクローズにおさえたがるタイプは、「思考派」ないし「分析家」(アナリスト)と呼ばれ、わたし自身もこれに属する。そして、思うに参謀はこの類型だろう。

では、将軍はどのタイプか? 大勢の人を引きつけ、かつ方向を示して従わせるには、思考面も感情面もオープンであることが望ましいだろう。だとすると「行動派」コントローラーが、一番フィットするのではないか。むろんソーシャルスタイルは単純化したモデルであり、人の個性はそれぞれだから、皆、4つの要素を混合して持っている。原色と自然色のようなものだ。ともあれ参謀と将軍は、かなり異なるキャラであると想像される。

そこで気になるのが、近年のMBAである。ビジネススクールの教育を受け、修士号をとって世に出てくるMBAは、とても頭の良い人たちが多いが、彼らは参謀タイプなのか、それとも将軍タイプなのか? 緻密な作戦を立てるのに秀でているのか、あるいは号令をかけて大勢を動かすのに長けているのか? ビジネススクールで教える財務分析や戦略論は、どちらの育成に向けてカリキュラムが組まれているのか。


  • 分析立案は知的能力だが、決断と説得は総合力である

それは言いかえると、MBAが向いているのは経営者なのか、経営企画立案者なのか、という問いである。まあ企業の中には、経営企画部長がトップへの出世街道、という会社もある。そこでは両者の区別は、意味が無いのかもしれない。また世の中には、MBAのコンサル経験者が落下傘のように下りてきて、組織の頂上に立つ会社も多少はある。だが、そうでない多くの企業(わたしの勤務先も入る)では、実務経験を積んだ人間が、経営層に入るのが普通だ。こういう人たちは後付けで、経営学などのリテラシーを身につけることになる。経営学を最初から専門にするMBAたちとは異なっている。

そこで大事となるポイントは、分析力だけではなく、決断力だ、というのがわたしの意見である。より良い決断を、タイムリーに下す力。情報の不足する曖昧な状況下で、自分自身だけでなく多くの部下達をもリスクに巻き込むかもしれぬ、決断を下す能力。胆力と言ってもいい。そして一度決めたら、多くのステークホルダを動かしていく説得力がいる。こうした能力は、はたして経営戦略や財務会計を専門に勉強することだけで、得られるのか。

「ビジネススクールは総合的・多面的なものの見方を教える場だ」という言い方が、よくされる。それはその通りだろう。分析立案は総合的な知的能力で、若くても優秀ならば一応できる。だが決断力と説得力を育てるためには、訓練と経験値の蓄積が必要だ。それは知的能力と感情的能力の総合なのである。「頭が良い」だけでは足りないのだ。

自分のソーシャルスタイルに合わないポジションを望んだり得たりすると、結局本人も周囲も苦労することになる。もちろんスタイルも人の性格も生涯不変ではなく、ゆっくりと変わることがあるが、望む方向に変えるには意思と時間が必要だ。わたし達の社会は大学歴みたいなものを重視するきらいがあるが、知的能力ばかりみすぎているのではないだろうか。参謀と将軍にも、それぞれ向き不向きがあるのだ。それは役割の違いなのである。


<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2025-10-24 16:12 | F3 組織・経営・戦略論 | Comments(1)