すごすぎるラマヌジャンのデルタ

新著『ラマヌジャンの数学 無限を掴んだ数学者』ブルーバックスの発売が来週となったので、前回に続いて、もう一度宣伝をしておきたい。

 

今回は、まえがきをさらすことにする。以下のようになっている。

             まえがき

ラマヌジャンは、インドから彗星のようにあらわれた数学者です。英才教育を受けたわけでもないのに、他の数学者が舌を巻くような式を膨大に発見しました。例えば、円周率を計算できる次の式もそのひとつです。

\frac{1}{2 \pi \sqrt{2}}=\frac{1103}{99^2}+\frac{27493}{99^6} \cdot \frac{1}{2} \cdot \frac{1 \cdot 3}{4^2}+\frac{53883}{99^{10}} \cdot \frac{1 \cdot 3}{2 \cdot 4} \cdot \frac{1 \cdot 3\cdot 5\cdot 7}{4^2\cdot8^2}+\dots

左辺は2 \sqrt{2}を掛けて逆数にすれば円周率になりますから、右辺の途中までを計算して、それに2 \sqrt{2}を掛けて逆数にすれば円周率の近似値が得られます。なんと、右辺の第2項までの計算だけで小数第15位まで一致する円周率の近似値が得られます(詳しくは第6章)。この式をどうやって思いついたのかを聞かれたラマヌジャンは「夢で神様が教えてくれた」と答えたそうです。このエピソードを聞くと、ラマヌジャンが「数学の魔法使い」のように思えます。そのせいか、ラマヌジャンの数学史上の扱いは「異端の数学者」というものでした。果たして本当にラマヌジャンは「異端の数学者」なのか? この本の目的は、数学者ラマヌジャンの実像に迫ることです。

ラマヌジャンは自分の見つけた数式を日記のようにノートに書いていました。本当にそれはまるで日記で、つれづれなるままに記され、膨大な量にのぼります。中にはよく知られた数式も混じっていますが、多くは数学者たちがそれまで目にしたこともない類いのものでした。誰かに説明するために書いたものではないので、証明も導出のプロセスもなく、他の数学者にとってさえも真偽不明で奇々怪々な数式たちでした。それはラマヌジャンが伝統的な数学教育を受けず、また当時のインドが数学文化から隔絶した状態にあったことに起因したのでしょう。しかし、イギリスの数学者ハーディは、ラマヌジャンから手紙で送られてきた数式たちを一目見ただけで、それが尋常ならざるものであることを看破し、ラマヌジャンをイギリスに招聘しました。その後、ラマヌジャンの数式たちは多くの数学者を魅了することになります。

とりわけ、ラマヌジャンが愛した2つの保型形式(\DeltaとF)は、ラマヌジャン予想という魅力的な予想を生み出し、それが数学の大きな進化を促しました。本書は、そのラマヌジャン予想を主たるテーマとして、それにまつわる保型形式・ゼータ関数・オイラー積・楕円曲線・モジュラー曲線などをできる限り易しく解説することを目指しました。それらの理解に必要になる複素数、モジュラー変換、フーリエ級数などのアイテムも、一般の読者が読み進む上で高い壁にならない程度に準備しています。

本書の構成は次のようになっています。序章でラマヌジャンの数奇な生涯を描きます。第1、2、3章では彼の初期の発見である、高次合成数、分割数、発散級数をそれぞれ説明します。第4、5章では、50年以上にわたって数学者を虜にした「ラマヌジャンの\Delta」に関するラマヌジャン予想について一般の読者にもわかるように解説します。第6、7章では、ラマヌジャンが夢中になって研究した保型形式というものが何であるかを初歩から解説した上で、保型形式「ラマヌジャンのF」と楕円曲線との深遠な関係をお見せします。クライマックスの終章では、ラマヌジャン予想を解決する数学者たちの悪戦苦闘が、結果的にフェルマーの最終定理の解決に結びついた、その道程を概説します。この終章を読めばラマヌジャンが異端の数学者どころか、数学を変革した立役者のひとりであることがわかってもらえることでしょう。

それでは、ラマヌジャンの数学がどのようなものだったのか、彼の残した数式をもとに、その思考と発想の奇跡を見ていくことにしましょう。

ここで「ラマヌジャンの\Delta」というのは、1916年の論文に現れる次の関数のことだ。

\Delta=q(1-q)^{24}(1-q^2)^{24}(1-q^3)^{24}\dots(1-q^k)^{24}\dots

この式をqの(無限次の)多項式として展開して、q^nの係数を\tau(n)と定義する。すなわち、

\Delta=\tau(1)q+\tau(2)q^2+\tau(3)q^3+\dots+\tau(n)q^n+\dots

この数列\tau(1), \tau(2),\tau(3), \dotsが、あまりにもすばらしすぎる性質を備えていることをラマヌジャンは見抜いたのだ。

例えば、\tau(2)=-24と\tau(3)=252と\tau(6)=-6048に注目してみよう。-24\times252=-6048となっている。つまり、\tau(2)\times\tau(3)=\tau(2\times3)が成立している。もうひとつ確認してみよう。\tau(3)=252と\tau(7)=-16744と\tau(21)=-4219488に対しても、\tau(3)\times\tau(7)=\tau(3\times7)が成り立っているのだ。ラマヌジャンは、一般にaとbが互いに素のときに、\tau(a)\times\tau(b)=\tau(ab)が成り立つと予想した。面白いことに、互いに素でないときには成り立たない。例えば、\tau(2)=-24と\tau(4)=-1472と\tau(8)=84480からそれはわかる。じゃあ、何も関係性はないのかというと、もっと驚くべき法則が潜んでいることを彼は見抜いたのだ。それは、引き算をしてみればわかる。すなわち、\tau(2)\times\tau(4)-\tau(8)=-49152となるのだが、-49152=2^{11}\tau(2)となる。これは偶然ではなく、任意の素数pに対して次の法則が一般に成り立つのだ。\tau(p^{k+1})=\tau(p)\tau(p^k)-p^{11}\tau(p^{k-1})

無限次多項式\Deltaの係数をいじっていれば、ラマヌジャンならすぐにこれらの法則を見抜いたことだろうとは思うが、問題はどうして\Deltaという式をいじったか、ということだ。とりわけ、「24乗」というのは一体何なのだろう。今回の本を書くにあたって、ぼくはこの「24乗」がどこから来たのかを一生懸命調べた。わかったことは、ラマヌジャンが唐突に\Deltaを思いついたのではなく、オイラー、デデキント、ヤコビと続く研究から由来する、ということだった。どういうことかはぼくの新著『ラマヌジャンの数学 無限を掴んだ数学者』で読んで欲しい。

ラマヌジャンはこれらの法則を見抜いただけで、厳密な証明はしていない。しかし、これらの法則を駆使して、ラマヌジャン・ゼータ関数、

\frac{\tau(1)}{1^s}+\frac{\tau(2)}{2^s}+\frac{\tau(3)}{3^s}+\dots

が「2次のオイラー積」を持つことを発見した。これは、オイラーの発見を真に拡張する(超える)ものだった。奇跡的な発見としかいいようがない。上記の2つの法則を翌年1917年にモーデルが証明することで、2次のオイラー積の成立も一緒に解決された。

一方ラマヌジャンは、同じ論文で評価式、|\tau(p)|<\sqrt{p^{11}}、も予想している(ただし、pは素数)。この不等式の証明は困難をきわめ、「ラマヌジャン予想」と呼ばれる難問となった。解決にはおよそ60年の歳月とグロタンディークによる代数幾何学の革新が必要だったのだ。この本を書くにあたって、ぼくはそのあたりの経緯を理解することにチャレンジした。ラマヌジャンに端を発する数学の進化はエクサイティングそのものだった。ぼくの興奮が新著から伝わってほしいと願っている。

新著『ラマヌジャンの数学』が刊行されます!

ぼくの新著『ラマヌジャンの数学 無限を掴んだ数学者』がもうすぐ刊行されるので、宣伝したい。

この本は、数学者ラマヌジャンの業績を多面的に紹介する内容となっている。ラマヌジャンは、インドから彗星のように現れた数学者だが、その業績はあまり正当には評価されていないように思う。かくいうぼくも、80年代に学部の数学科で勉強していたが、ラマヌジャンのことはほとんど知らなかった。講義でも紹介されたことはほぼ無かったように思う。なのでこの本では、ラマヌジャンの発見した数学への正当な評価が一般の数学ファンに少しでも広がることを目指した。

ぼくがラマヌジャンに興味をもつきっかけとなったのは、数学者の黒川信重さんと共著を作成する過程で、黒川さんのラマヌジャンに関する本を勉強したことだった。そこでぼくは、ラマヌジャンの数学が「フェルマーの最終定理」の解決のきっかけとなったことを知ったのだ。ぼくが数学に目覚めたきっかけは、中学生のときに「フェルマーの最終定理」に出会ったことだった。だから、このことは衝撃だった。「フェルマーの最終定理」が解決したとき、ぼくはその報道に関わった。そのときの取材で、楕円曲線と保型形式がカギであることを理解した。また、フライ曲線という特殊な楕円曲線が重要であることもわかった。でも、それらの出発点が「ラマヌジャンの\Delta」「ラマヌジャンのF」と呼ばれる保型形式であることまでは知識が及んでいなかった。黒川さんの本で勉強して、今頃になって、その事実を知ったのである。だから、『ラマヌジャンの数学 無限を掴んだ数学者』ではこのことをメイントピックに据えたのだ。

今回はまず、目次をさらしておこう。以下のようである。

まえがき

序章:数奇な運命をたどった数学者ラマヌジャン

第1章:初等的とはいえ、きわめて独創的

第2章:ラマヌジャンと分割数

第3章:ラマヌジャンとゼータ関数

第4章:ラマヌジャンの\Deltaと2次のオイラー積の発見

第5章:リーマン予想とラマヌジャン予想

第6章:ラマヌジャンの愛した保型形式

第7章:保型形式と楕円曲線の奇跡の関係

終章:ラマヌジャンがいたからフェルマーの最終定理が解決した

あとがき

これらのラインナップの中から、序章で解説したラマヌジャンの公式を紹介しよう。それは、次のような「入れ子の平方根」である。

\sqrt{1+2\sqrt{1+3\sqrt{1+4\sqrt{1+\dots}}}}

ラマヌジャンは自分の発見した膨大な数の式を日記のようにノートに書いていたが、これは『第1ノート』の第14章に書かれている(ラマヌジャンの自筆ノートを掲載しているサイトのchapterXIVの左側のアイコンをクリックすれば観ることができる)。第1ノートだから初期の結果で、1911年以前(24歳になる以前)に発見したものだ。なぜなら、「この数値がいくつであるか?」という問題を1911年の『インド数学協会誌』で出題しているからだ。解答は「3」なのだが、読者は誰も解けなかったそうである。さもありなんで、これは平凡な発想では解けない。ラマヌジャンの非凡な解答法は拙著で読んでほしい。解法自体は優秀な中学生なら理解できる。

実はぼくはこの問題(入れ子の平方根)はかなり昔から知っていた。1985年刊行のニューマン『数学問題ゼミナール』シュプリンガーに掲載されていたからだ。当時アルバイトしていた塾の中学生向けの教材にラマヌジャンの問題として入れた記憶がある。ニューマンの本にはラマヌジャンの発見とは記されていないので、ラマヌジャンの結果だと知ったのは、別の本か友人から教えてもらったのだろう。ちなみに前掲のニューマンの問題集は現在は版切れみたいだが、初等的な問題なのに傑作揃いなので、中高の数学教員の皆さんはどこかで入手して利用したらいいのではないかと思う。

最後に、ぼくがラマヌジャンについて学んだ黒川さんの本の1冊にリンクをはっておく。

 

緑地と文化ー社会的共通資本としての杜

今回は、石川幹子『緑地と文化ー社会的共通資本としての杜』岩波新書を紹介しよう。

この本は、神宮外苑の再開発事業において、樹林の伐採が行われたことに対して、反対の意を唱え、その理由を明確に提示した書である。ちなみに「杜」は「もり」と読む。

序章「問題の根源はどこにあるのか」において、著者がまずこう始めている。

2024年10月、神宮外苑において文化資産である樹林地の伐採が強行された。「神宮外苑地区市街地再開発事業」によるものであり、施行を許可したのは、東京都である。都市計画公園明治公園が、3.4ヘクタール削除され、現在の秩父宮ラグビー場と神宮球場を取り壊して超高層ビルを建設し市街地とするための再開発事業が開始された。

このことを著者がなぜ問題視しているかということを前書きから引用すると次のようである。

明治神宮内苑・外苑の杜は、伊勢神宮における内宮と外宮の伝統を踏まえ、連絡道路(裏参道)で結び創り出された世界にも類例を見ない「社会的共通資本としての緑地」である。本来、文化を護り育てていく使命を有する東京都が、市民の預かり知らぬところで、様々な制度をつくりだし、国際記念物会議や国連人権委員会からの警告さえも無視し、事業者が白昼堂々と樹林を切り倒し、文化遺産を破壊することが、何故、可能となるのであろうか。ほかならぬ神宮外苑で、このような破壊行為が合法化されれば、全国の公園緑地は、その歴史的・文化的意味が抹殺され、市街化の波の中に消えていくこととなる。

ここに登場する「社会的共通資本」という専門用語は、ぼくの師匠である宇沢弘文先生が創出した思想概念だ。ぼくは、『シン・経済学~貧困、格差および孤立の一般理論』帝京新書や『宇沢弘文の数学』青土社でこの概念について詳しく解説しているので、読んでみてほしい。このブログでも、こことかで解説している。

東京都の再開発の意図はなんだろうか。著者によれば、

何のために、百年前に創り出された「公衆の優遊の場」が複合市街地と化するのであろうか。東京都は次のように回答している(「神宮外苑地区まちづくりを進める意義等について」2023年4月14日)。

①老朽化したスポーツ施設を更新し、世界に冠たるスポーツクラスターをつくる。

②歩行者ネットワークを強化し、新たな複合型のまちづくりを推進する。

③広域避難所としての防災性を高める。

これらの「目的」に対して、著者は次のように反論している。

①のスポーツクラスターの整備は、2014年7月に、サブトラックの建設が困難とされ、すでに頓挫している。かわって登場したのが②の複合型まちづくりであったが、外苑は市街地ではなく公園であり、論理は当初より破綻していた。超高層ビルの建設により、昼間の人口が増大し、一人当たりの避難有効面積も減少するため、③の広域避難場所の機能は大きく損なわれる。公的機関である東京都が目標を理路整然と説明することができないという、危機的現実が横たわっている。

このように地方自治体の説明が二転三転するときは一般に、その背後にある思惑が「私的利益の創出への加担」である。公共的利益が本願でないから、「理屈」が変容するわけだ。

ぼく自身は、自然環境第一派ではない。アウトドア・レジャーは嫌いだから、一切行かない。文明の利器の恩恵に浴して暮らしていたい。それでも、卒業した大学のキャンパスの樹木や池や並木道は好きだったし、勤務する大学のキャンパスの桜などの木も嬉しい。生活空間の中の緑地には、知らず知らずのうちに効用を得ているのだと思う。

また、通っていた高校が御徒町にあったため、住んでいた日暮里まで歩いて帰ることがときどきあった。そのとき、上野公園を歩くことは気持ち良かったし、都美術館や科学館や国立博物館にも寄り道したこともあった。これは高校生としてはリッチな経験だったと思う。

そんなこんなで、自然環境を有無も言わさず守るべきだという傲慢な環境派には与しない一方、自分の都市緑地に関する嗜好も押しつけるつもりはない。ただ、この著者の言うことはとてもよくわかる。東京都の再開発計画は、どう割り引いても、公益のためにではなく、私的利益の誘導に思えるからだ。

経済が不況に陥ると、たいていの場合、「公的領域の私的利用化」が行われる。要するに、「公共財」というみんなが目に見えない形で効用を得ている存在を、私的財に変換して、目に見える金銭的な利益(言ってみればGDP)を生み出そうとするのである。

現在の日本経済の低迷は、金持ちがその金銭欲のために購買力を消費に回さず資産に積み立てるために起きている。しかし、その不況による被害を最も被っているのは資産を持たない貧困者だ。にもかかわらず公的部門が、公共財を私的財に変換して金持ちの懐を暖め、貧困者から公共財の生み出す効用を奪いとるのであれば、それは反社会的な所業というしかないだろう。

著者は、神宮外苑の価値について、次のように語っている。

誕生した神宮外苑の最大の特質は、日本に存在しなかった「広場」を中央に創り出したことにある。陽光の降り注ぐ芝生に深い緑陰を落とす疎林が配され、林間を流れる小川に沿って、絵画館、音楽堂が計画され、四列のイチョウ並木は堂々たるエントランスとして植栽された。

そう。「広場」という言葉は、日本では特別な意味を持たないが、本当は重要な概念なのだ。宇沢先生の下で勉強していたとき、ルドフスキー『人間のための街路』を輪読した。この本には、「広場」の意義が大きく扱われている。ヨーロッパ社会において「広場」は重要な意味を持っていた。それは、市民の憩いの場であり、露天商の市場であり、野外演劇場であり、集会の場でもあった。非常に多様な機能を持っている、ということなのだ。

神宮外苑という「広場」もそういう意義を備えていたであろう。それを「私的財」として払い下げることになれば、それは単なる「単一機能」の資本と化し、金銭では評価できない大きな損失を生み出すことになる。

本書『緑地と文化』は、古地図や写真がふんだんに掲載された、東京の都市としての歴史を知ることができる本だ。読むだけで楽しい。だから、再開発に賛成でも反対でも是非読んで欲しい本である。

 

 

 

 

全微分公式を正当化する数学

微分にまつわる公式の中で、「全微分公式」というのがある。

df=\frac{\partial f}{\partial x}dx+\frac{\partial f}{\partial y}dy \dots(1)

みたいなやつだ。ちなみに、\frac{\partial f}{\partial x}は関数f(x, y)のx方向の微分係数を意味しており、いわゆる「偏微分」である。この公式を教える人にはいろいろな立場がある。「形式的な表現にすぎない」とか、「微小量での近似公式を無限小で理想化したもの」など。

せっかくだから、物理学者の畏友・加藤岳生さんの近著『電磁気学入門』裳華房を眺めてみた。最初の章「電磁気学を理解するための大事な一歩」の「A.スカラー場とベクトルの微分」のところに解説してある。その説明では、微小量\varDelta x,\varDelta yに対する関数f(x, y)の変化量の近似公式

\varDelta f \simeq\frac{\partial f}{\partial x}\varDelta x+\frac{\partial f}{\partial y}\varDelta y \dots(2)

の極限として説明している。この近似公式は、z=f(x, y)の3次元グラフ上の1点において、曲面を微小な平面(平行四辺形)と見なせば、簡単に出てくる式である(知らない人は拙著『ゼロから学ぶ微分積分』講談社で勉強してほしい)。大学の微積分のほとんどの教科書はこのように説明しており、また、それで問題はないし、読者もそういうふうに理解すれば良い。実際、ぼくの書いた教科書『ゼロから学ぶ微分積分』講談社でもそう説明している。ただ、用心深い人、疑り深い人、頭が厳密な人は、「(1)式は等式やん。近似式(2)を等式に書き換えるのはインチキやん」と思うことだろう。加藤さんは、脚注に「実際、この方針で全微分公式を厳密に証明できます」と書いているけど、「この方針」というのは、たぶん、多変数のテーラー展開のことを言っているのかなと推測されるが、そもそも「記号dfの定義」「等号の定義」がきちんとなされていないのだから、どうやって「厳密に証明」するんだろうといぶかってしまう。

ここまで加藤さんの『電磁気学入門』をまるで批判してるっぽく書いてしまったので、そんなことないよ、ということを付記しておく。この本もいつもの加藤さんの本と同じで、非常に良く書けており、「電磁気学を勉強したいならまずこの本」と押せる本だ。この本が工夫されているのは、使う数学を最初の章でまとめて解説し、そのあとに静電場、電流、静磁場、電磁誘導、マクスウエル方程式、という順にアイテム別に講義する形式となっているところだ。これなら、「数学と物理を同時並行的に学ぶ」という多くの学習者が溺れ死ぬちゃんぽん地獄に落ちなくて済む。 

話をもとに戻すと、ぼくは非常に長い間、全微分公式を「単なる形式的なもの」で、「ちゃんとした等式ではない」と思い込んでいた。それが最近になって、そうじゃないことを知ったのだ。それは、小木曽啓示『代数曲線論』朝倉書店を読んだときだった。この本については、このエントリーで紹介しているので読んでほしい。『代数曲線論』では、「全微分公式がちゃんと等式となっている」のだ。それは「微分形式」という概念による。そこで大事になるのは、線形代数における「双対空間」というものだ。双対空間というのは、「実数上(複素数上)の線形空間から実数(複素数)への線形写像たちを線形空間と見なしたもの」で、元の線形空間と同型になる。ぼくは遠い昔に線形代数を勉強したとき、この双対空間がいったい何の役にたつのか、といぶかってたけど、今になって「ここで役に立つんか!」と膝を打った次第。

しかし、小木曽さんの本では微分形式の説明がスピーディすぎて頭に入ってこないので、若い頃に購入して読んでなかったスピヴァック『多変数解析学』(斎藤正彦・訳)東京図書を数十年ぶりにひもといた。そうしたら、なんと!この本はとても良く書けており、微分形式をけっこうな程度で理解できてしまったのだ。どうして理解しやすかったのかというと、この本では、第4章「鎖体上の積分」という章で、「テンソル積」「交代テンソル」などの線形代数を十分に準備したあとに、微分形式の説明をしているからだ。しかも、その説明がとんでもなくクリアカットなのだね。しかし、ここでは、この全体を説明するわけにはいかないから、「全微分をどうやったら、きちんとした等式として定義できるのか」にしぼって解説する。

 まず、1変数の微分を解釈し直すことから始めよう。y=f(x)が微分可能であるとは、極限

\lim_{h\to 0}\frac{f(a+h)-f(a)}{h}

がある数\alphaに収束することだ。この\alphaが微分係数f'(a)と定義される。この定義を次のように書き換えることができる。

「\lim_{h\to 0}\frac{f(a+h)-f(a)-\alpha h}{h}=0を満たす1次関数\alpha(h)=\alpha h が存在すること」。

(ここでは、関数記号と比例定数を同じ\alphaと記述してる)。このように微分可能性の定義を1次関数を用いて行うことは2変数以上になると大きな効力を発揮する。例えば、2変数関数f(x. y)の微分可能性は、

「\lim_{|(u, v)|\to 0}\frac{f(a+u, b+v)-f(a, b)-\lambda (u, v)}{|(u, v)|}=0を満たす2変数1次関数\lambda (u, v)が存在すること」

と定義される。ここで、2変数1次関数\lambda (u, v)とは、\lambda (u, v)=\alpha u+\beta vという形式の関数で、|(u, v)|はベクトルの長さ\sqrt{u^2+v^2}のこと。スピヴァックでは、この2変数1次関数\lambda (u, v)=\alpha u+\beta vを「導値」、その係数を抜き出したもの(\alpha, \beta)を「ヤコビ行列」と呼んで、 f'(a, b)=(\alpha, \beta)と記している。上記の極限では点 (u, v)をどう近づけてもいいわけだから、v=0として近づければ、x方向の偏微分となり、\lambda (u, v)=\alpha u+\beta vについて、\alpha=\frac{\partial f}{\partial x}がわかる。同様にして、\beta=\frac{\partial f}{\partial y}となる。スピヴァックの本では、次のことを証明している。すなわち、

f(x,y)が微分可能のとき、2変数1次関数\lambda (u, v)は唯一である。また、点(a, b)において偏微分係数\frac{\partial f}{\partial x}と\frac{\partial f}{\partial y}が存在し連続なら、f(x,y)は点(a, b)において微分可能となり、\lambda (u, v)= \frac{\partial f}{\partial x}  u+\frac{\partial f}{\partial y} vとなる。

この定理のスピヴァックの証明は非常にみごとであり、一読の価値がある。

以上の準備をもとに、いよいよ全微分の「等式化」の説明に入ろう。大事なことは、微分は微分係数や偏微分係数として理解するのではなく、(1変数ないし多変数の)1次関数、つまり、線形写像として理解する、ということだ。

いま、点(a, b)を始点とする2次元ベクトル(u, v)の作る線形空間Vを考える。この線形空間Vから、実数への線形写像はk(u, v)=pu+qvという2変数1次関数となる。このような線形写像は、k_1(u, v)=p_1u+q_1v, k_2(u, v)=p_2u+q_2vに対して、和k_1+k_2と実数倍rk_1をそれぞれ、(k_1+k_2)(u, v)=(p_1+p_2)u+(q_1+q_2)vとrk_1(u, v)=rp_1u+rq_1vと定義することで、線形空間V^{*}となる(これが双対空間と呼ばれる)。線形空間V^{*}の基底は、明らかに、e_1(u, v)=uとe_2(u, v)=vである。なぜなら、任意のk(u, v)=pu+qvがpe_1(u, v)+qe_2(u, v)と表されるからだ。

ここで微分(導値)というのが2変数1次関数\lambda (u, v)だったことを思い出そう。つまり、これは線形空間V^{*}の要素になっている。この線形写像をスピヴァックの本ではdfと定義している。上で説明したように、\lambda (u, v)= \frac{\partial f}{\partial x}  u+\frac{\partial f}{\partial y} vだから、df(u, v)= \frac{\partial f}{\partial x}  u+\frac{\partial f}{\partial y} vということだ。

特に、f(x,y)=x、つまり、x座標を抜き出す関数を考えれば、df(u, v)= \frac{\partial f}{\partial x}  u+\frac{\partial f}{\partial y} v=1uという線形写像だ。この線形写像はdxと記すのが自然だ。すなわち、dx(u, v)=uである。この線形写像はすぐ上で考えた基底e_1(u, v)そのものだ。同様に、dy(u, v)=vで、基底e_2(u, v)となる。したがって、f(x, y)の微分を意味する線形写像\lambda (u, v)= \frac{\partial f}{\partial x}  u+\frac{\partial f}{\partial y} vをdf=