この画像を大きなサイズで見る1969年8月、妊娠8ヶ月の女優シャロン・テートとリノとローズマリー・ラビアンカ夫妻らの殺人事件が、全世界の新聞の見出しを飾った。その残忍極まりない殺害方法もさることながら、さらに世界にショック与えたのは、一連の犯行を行ったのが、マンソンファミリーと呼ばれる若者グループだったことだ。
彼らを率いていたのは、ギラギラした目をした、ぼさぼさ頭の奇妙な小男チャールズ・マンソンだった。マンソンは、テート=ラビアンカ夫妻、ゲイリー・ヒンマンやドナルト・“ショーティ”・シアをなど9件の第一級殺人の罪で有罪を宣告された。ヒンマンは音楽の教師だったが、ファミリーのメンバー、ボビー・ボーソレイユに財産絡みで殺された。シアは、警察にファミリーのことを密告しようとしていたとマンソンに疑われて殺されたと言われている。
だが、マンソンファミリーが関わった不可解な死はこれだけに留まらない。ロス警察は、さらに12人にのぼる犠牲者がいるはずだと信じている。マンソンファミリーが手を下したと思われている疑惑の死をとりあげてみよう。
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マンソンファミリーとは?
アメリカのカルト指導者であるチャールズ・ミルズ・マンソン (1934年11月12日- ) が、1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州で集団生活を行っていた疑似生活共同体のこと。ファミリーができあがり始めた当時のマンソンは、さまざまな犯罪行為のために矯正施設で人生の半分を過ごした。カリフォルニア州の最高裁判所にて、1972年にマンソンに対する死刑が決定したが、死刑制度が一時的に廃止されたことで、マンソンは自動的に終身刑に減刑された。
2014年11月、9年前から彼と交流を続けてきた現在26歳の女性が、自分はチャールズ・マンソンの妻だとCNNのインタビューで話した。「私たちはいつも共にあるの」、そう話すこの女性の名はアフトン・バートンさんである。獄中結婚する予定であるという。
10. シェリー・ドウ(No.358UFCA)
この画像を大きなサイズで見るシェリー・ドウ、または事件ファイルNo.358UFCAとして知られる一件。20~23歳くらいの若い女性の遺体が、1969年11月16日、ロスのマルホランド・ドライブはずれの土手に遺棄されているのが発見された。157箇所も刺されていたという。
スパーン・ランチは、1968年半ばから逮捕される1969年の冬までマンソンファミリーのアジトだったが、ここで働いていた者が、この身元不明の女性と姿かたちのよく似た女がファミリーとつるんでいて、シェリーと名乗っていたのを覚えていた。警察が調べたところ、マンソンファミリーの中でシェリーと名のっていたのはたったひとりで、その女はシェリー・アン・クーパー、またの名をシミ谷のシェリーと言っていたことがわかった。シェリーはバーバラ・ホイトとファミリーから生きて逃げ出した。
シェリー・ドウの事件がファミリーと結びつけられたのは、何度も執拗に刺している残虐な手口と遺体発見現場のせいだったが、いまだに彼女の身元は特定できていない。
9. ローレンス・メリック
この画像を大きなサイズで見るマンソンファミリーの殺人は大きなニュースとなり、当然、ハリウッドもこれに飛びついた。ファミリーをとりあげたドキュメンタリー映画のひとつが『シャロン・テート殺人事件』(原題:Manson)。この映画の監督で、テートの昔の演技指導者だったのが、ローレンス・メリックだ。
映画の中では、ファミリーのメンバーとのきわどいインタビュー場面がたくさん出てくるが、これが法律上の問題を引き起こし、公開が何度ものびのびになった。やっと公開されたのが1972年のことで、アカデミーの長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
1977年1月26日、メリックはハリウッドのスタジオの外で、がっしりした体つきの若者に撃たれた。犯人はそのまま逃走し、いまだに捕まっていないが、これがマンソンファミリーの仕業なのかははっきりしていない。マスコミに注目されるのが大好きなマンソンは、死刑判決を受けてから5年後に終身刑に減刑され、また世間から浴びることになる。
8. ナンシー・ワレンとクリダ・デラニー
1968年10月13日、カリフォルニア州ユカイアで、ナンシー・ワレンとクリダ・デラニーの遺体が発見された。ワレンはハイウェイパトロール警官の妻で、シャロン・テートと同じく妊娠8ヶ月で、クリダはワレンの祖母で近所に住んでいた。ふたりとも殴打され、革ひもで首を絞められていた。
この2件の殺人容疑でファミリーのメンバーが逮捕された。被害者ワレンとテートの境遇が似ていること、殺人のあった時刻にメンバー数人がユカイア近辺にいたこと、ラビアンカの殺人でも革ひもが使われたことなどの類似性があったためだ。革ひもはマンソンが身に着けていて、リノ・ラビアンカの両手を縛るのに使われたのだ。だが結局、メンバーの誰も殺人の罪には問われなかった。
7. マーク・ウォルツ
16歳のマーク・ウォルツはマンソンファミリーのメンバーではないが、スパーン牧場のまわりを何度もうろついていた。スパーン・ランチは大きなスタジオセットで、西部劇やテレビの撮影に使われていた。目が不自由なオーナーのジョージ・スパーンは、労働と引き換えにファミリーがタダでここに住むことを許可した。
1969年7月17日、ウォルツは釣りをするために、ヒッチハイクしてサンタモニカ埠頭まで行った。ウォルツの釣竿が打ち捨てられているのが発見され、翌日にはマルホランド・ドライブ近くで本人の遺体が見つかった。顔をひどく殴られており、胸に3発くらっていた。
その後、ウォルツの兄がマンソンに電話してきて、おまえが弟を殺したのはわかっているから絶対復讐してやると脅したが、数ヶ月後にマンソンが逮捕されたのでそれはかなわなくなった。ロスの保安官事務所はスパーン・ランチを調べたが、ウォルツの殺人と関連するものはなにも見つからなかった。いまだに未解決である。
6. マリーナ・ハーベ
この画像を大きなサイズで見るマリーナ・ハーベ(17)は、作家のハンス・ハーベと女優のエロイーズ・ハルトの娘。1968年12月27日、マリーナは大学から帰宅してデートに出かけ、翌朝、戻ってきたが、黒いセダンに乗ったふたりの人間に拉致され、二日後、マルホランド・ドライブのはずれの灌木の下で惨殺死体となって発見された。背中や胸を何度も殴打され、しかも複数の人間に刺されていた。
容疑者はあがらず、ファミリーのメンバーが逮捕された。マリーナはメンバーの何人かを知っていたのではないかと推測されたが確証はなく、彼女の殺害は未解決だ。さらに興味深い点は、マリーナの遺体が遺棄された場所は、11ヶ月後の1969年11月にシェリー・ドウの遺体が捨てられた場所とほぼ同じことだ。ふたりとも執拗に刺されて死に至っている。
5. ダーウィン・スコット
幼少の頃、チャールズ・マンソンは、本当の家族を知らなかった。未婚の十代の母親から生まれ、祖父母に育てられた彼は祖父母が両親で、母は姉だと思っていた。父親は誰だかわからなかったが、マンソンが生まれて2年後、母親がウォーカー・スコットという陸軍大佐を子供の養育のことで訴えた。だが、マンソンがウォーカー・スコットと父子関係にある証拠はなにもない。
時がたち1969年5月27日、スコットのきょうだいのダーウィン・オレル・スコットが、ケンタッキー州アッシュランドの自宅アパートでメッタ刺しにされ、遺体で見つかった。その直前、自分を伝道師と呼ぶ男が率いる若者のグループがこの町でLSDを配っていたが、ヒッピー嫌いの町の住人に家に火をつけられて、彼らは町を去った。
当時、マンソンはカリフォルニアで仮釈放中だったが、殺人があったまさにその頃、保護観察官と連絡がとれなくなっていた。
4. ジェームズ・シャープとドリーン・ゴール
1969年11月7日、15歳のジェームズ・シャープと19歳のドリーン・ゴールの刺殺体がロスの路地で見つかった。ふたりとも50~60回も刺されていたという。動機なし、執拗なまでの残忍な刺殺が、テート=ラビアンカの殺人と酷似していることに、警察はすぐに気がついた。さらに、シャープとゴールの殺害現場は、ラビリンカ夫妻が住んでいた場所に近く、プロセス教会として知られる、最後の審判教会というサイエントロジーグループの分派に所属していた。
チャールズ・マンソンはこのプロセス教会と関わりがあった。刑務所に入った頃から、マンソンはサイエントロジーに興味をもっていた。マンソンのイデオロギーの多くはこのプロセス教会がもとになっている。ファミリーのメンバー、ブルース・デイヴィスは、マンソンの命でロンドンのプロセス教会の本部を訪ね、その後、プロセス教会の人間が獄中のマンソンのもとを訪れて、教会刊行物のためのインタビューが行われた。シャープとゴールを殺したのが、マンソンファミリーだったかどうかは謎だ。
3. ジョエル・ピュー
この画像を大きなサイズで見るファミリーのメンバーで、やはりメンバーだったブルーことサンドラ・グッドと結婚。善の子供の父の候補者のひとり。父親であるかどうかは関係なく、善の子供は名字にピューの名を与えられていた。
1969年12月1日、ピューの遺体がロンドンのタルガート・ホテルで発見された。手首を切り、喉を二度かき切っていた。部屋には遺書はなかったが、鏡にジャック・アンド・ジルという文字が書いてあったのをホテルのマネージャーが見ているが、警察はこれを記録しておらず、ドラッグが原因の自殺と断定した。
この“自殺”が起こった頃、マンソンファミリーはテート=ラビアンカ事件の犯人として逮捕されていた。ピューはなにかを知っていたため、その罪の意識に耐えられなかったのだろうか? それともマンソンの命令で殺されたのだろうか? ピューを殺す機会のあった人間は、“ショーティ”・シアの殺人にも関与していた、ブルース・デイヴィスだった。1969年初頭にはロンドンにいたが、その頃とカリフォルニアに帰った1970年はじめの間にどこにいたかについては明らかになっていない。
2. ジョン・ホート
この画像を大きなサイズで見る1969年11月初旬、テート=ラビアンカ殺人事件の3ヶ月後、警察はマンソンファミリーを追い詰め始めていた。10月、車の重窃盗罪でファミリーのメンバー数人を逮捕した。ぶちこまれるとメンバーたちは泣き言を言い始め、最終的にこれがファミリーの破滅につながった。
オハイオ出身のゼロことジョン・フィリップ・ホートは、スパーン・ランチの前のベーカー・ランチでファミリーと同居していた。10月の警察の手入れで逮捕されたひとりで、口を割るのではないかとマンソンに思われたのかもしれない。
1969年11月5日、当時マンソンの信望者グループが住んでいたヴェニスビーチのビーチハウスに警察が呼ばれた。ホートが頭に銃弾を受けて死んでいた。目撃者は皆、ホートがハイになってロシアンルーレットをやったと証言したが、銃を調べるとすべて弾は装填されたままでだった。だがどういうわけか、自殺として処理された。
1. ジェームズとローレン・ウィレット
この画像を大きなサイズで見る獄中でマンソンは、刑務所を本拠地とするギャングのアーリアン・ブラザーフッドと危うい関係を結んだ。マンソンは筋金入りの人種差別主義者だったが、アーリアンは仲間とはみなさなかった。だが、マンソンは保護と引き換えに自分の女たちを自由にしていいという取引をした。
その結果、逮捕されていなかったマンソンファミリーのメンバー、プリシラ・クーパー、ナンシー・ピットマン、リネット・“スキーキー”・フロムらは、家族であるウィレット夫妻と共にアーリアンのメンバーふたりと同居することになった。1972年11月8日、元海兵隊のジェームズ・ウィレットの遺体が浅く埋められた土の中から発見された。ショットガンで撃たれ、首を切られていたという。警察は彼の車を追跡して、ファミリーが住んでいたアジトを見つけた。
家を捜索すると、ローレン・ウィレットが地下室に埋められていた。やはり頭に銃弾を受けていた。プリシラ・クーパーが、ローレンはロシアンルーレットをやっていて自分で死んだと証言。ウィレットの娘は無事だった。
プリシラ・クーパーとナンシー・ピットマンは5年の実刑判決を受けたが、リネット・フロムの告訴は棄却された。のちにフロムは1975年9月5日、サクラメントでジェラルド・フォード大統領に銃を向けたかどで逮捕された。銃は装填されていたが、弾倉には弾はなかった。終身刑を言い渡されたが、2009年8月に仮釈放になっている。
via:listverse・原文翻訳:konohazuku














犯罪を犯す人の特徴って
目に出るよね.表層意識でしか生きてない。
深層意識や無意識がよくわかってる人は
目が吸い込まれるぐらい深い。
表層意識のみを使ってると知らず知らずに憑衣される。
結局霊のせいにする※1マジ無能
何が憑依だよアタマ大丈夫か?
※16
多分これこそが理想郷…って感じでコミューンを作ったけど、人間だからどうしても不満は出てくる。そのストレスが全部外に向くから、周辺への暴力に結びつくんじゃないかな。
忍耐と我慢、それと何かあってもニッコリ笑えるパワフルさがなきゃ幸せにはなれないのにね。
生きてたんだ…
コミューンを率いてカルトめいた事をしたのも
ムショ上がりで路頭に迷ってたら、
世間じゃラヴ&ピースなんてのがブームで
カリスマを演じれば、世間知らずの若造たちが貢いでくれんじゃないかと
それだけの理由だったそうだ。
強烈なカリスマというけど、刑務所内でずっと弱者だったのが初めてボスになり
抑えてたもんが暴走したに過ぎない気がするな。
ところで彼は自ら手を汚してないというが、本当はどうなんだろう。
マラソンに見えちゃった…クズの集まりって迷惑ですね。
おおっと昔のトラウマを思い出した、てか昔じゃなく今もって事を今しったw
治ったと思ったんだけど画像一つでここまで心拍数上がるとはやれやれ(事故の画像作りモノだよね?
それはさて置きマンソンってまだ生きてたんだね、ましてや結婚などと
すげぇ人生してるなー
まとめると
自分のテーマ、適性が精神世界だと認めざるをえなくなってきた。
でも、両親やかれらの所属団体の教祖や
幾多のトンデモさんやカルト指導者(このマンソンとか)
そういう堕落した宗教的愚か者にはなりたくないなー
不安だなー ってとこです。
ちなみに今必死こいて読んでるのは
ケン・ウィルバー「意識のスペクトル」。
『刑務所の王』という本を読むと、
アメリカの刑務所にブチ込まれた著者が、プリズンギャングのボスと知り合い、
彼からマンソンの話を聞くエピソードが出てくる。
それによるとマンソンは実に普通の人間で、
周りを煽ってカルトを気取ってたら、集まった人間が本気にして勝手に殺人を始めちゃって実にいい迷惑だったと愚痴をこぼしてたそうです。
狂信者というより、悪ふざけが過ぎたお調子者だったそうです。
事故の画像なんだこれ・・骨がありえない形してるぞ
ルーシー・モノストーンのモデルになったヤツか
なぜ、ほら話を信じてさつ人まで犯すのか不思議
カルト宗教、いや宗教ほとんど怖い
※11
そこに日本人がいれば類は友を呼ぶという諺を教えてやれたのになw
※11
普通の人間を自称する俺が周りを煽ってカルトを気取っても集まった人間が本気にして勝手に殺人を始めちゃうとは思えない
例えそんなことが起こったとして、何度も起こる事件を止めもせず、実にいい迷惑だったと愚痴をこぼしたらもう普通の人間じゃないでしょ
昔、アメリカで集団自殺した『人民の寺院』を思い出した。
カルト集団って、破綻した人たちが入って、結局そこでも行き詰り最後は殺し合いや集団自殺、テロに走ったりするのかな。
集団の中にいれば自分で考えなくなって、教祖の言いなりになって自分の意志で行動しなくなるから。
なんか警察がやる気ないな
げに恐ろしきは人間なり
シャロン・テートは本当に美人で綺麗だったんだよな~
旦那の映画観返すと泣けてくる……
しかしマンソン事件はこうしてみるとずいぶん組織的な匂いもしないでもないな、被害者は戻ってこないし真実は闇の中だし、やるせない…
去年結婚したんだよぬ
今なお年間六万通ものファンレターが届くのだそうで…地味にすごい
シャロンテートめっちゃ好みの金髪美人なんだもんなぁ
かなC
あとビートルズのヘルタースケルターはこれからもあつい風評被害曲(勘弁してくれよ)
マンソンの息子さん、元気そうでよかったわ