第3回 東アジアでは異質だった礼文島の縄文人、なぜわかる?
国立科学博物館の生命史研究部研究主幹、神澤秀明さんは、日本における古代人類のゲノム研究の第一人者だ。古い骨のDNAを読む研究は、まず細胞内に数が多く読みやすいミトコンドリアDNAで1990年代から試みられるようになり、さらに2010年前後には、いわゆる「次世代シークエンサー」による技術革新で、核DNAも対象となった。神澤さんは、いわば「核DNA世代」として、キャリアの初期からこの分野に携わっている。
大学院時代の研究が、そのまま、核DNAを読みゲノムを決定する研究室設備の立ち上げから始まったという点でも、草創期を知る人物だ。
「大学院でDNAのことをやり始めるまでは、新潟大学の理学部生物学科で、アルテミア(水田などでもよく見られるホウネンエビ)というエビの1種の研究をしていたんです。環境が悪いと、長期間乾燥に耐える休眠卵(シスト)を産むんですが、それを水に入れるとまたちゃんと発生が進みます。その原因を知るためにたんぱく質の構造とかを調べていました。修士課程では別の研究をやりたいと思い、いろいろ調べているうちに、現代人のDNA研究についての本を読みました。興味を持って、著者だった国立遺伝学研究所の斎藤成也先生のところに行ったのがきっかけです」
斎藤成也さんは、多くの一般書の著者としても知られるが、神澤さんが読んだのは『DNAから見た日本人』(ちくま新書)だったという。これは現代人のDNAについて語ったもので、神澤さんのテーマとなる古代人のDNAの話ではなかった。
「古代DNAの研究の提案をされたのは斎藤先生です。遺伝研でもラボを立ち上げたいと言われ、2009年に斎藤先生の研究室に入って、1年かけて設備を整えました。その間、まずインダス文明の遺跡から出てくる牛の骨を分析してうまくいかなかったり、試行錯誤しました。実は、その時点では、まだ次世代シークエンサーが使えなかったんです。だから、最初は核DNAではなく、ミトコンドリアDNAを見ていました。スバンテ・ペーボさんらによるネアンデルタール人のゲノム論文が出たのは、斎藤研に入った翌年で、そんなに古い人類のゲノムが決定できるのかと驚きました。研究室に入ったときには、こんなことになるなんて思っていなかったというのが正直な感想です」
いわゆる次世代シークエンサーが登場したのは2006年頃で、それを利用した古代DNA研究が実を結び始めたのがその数年後だ。のちにノーベル生理学・医学賞を受賞することになるスバンテ・ペーボさんたちが、ネアンデルタール人のゲノムを決定したと「サイエンス」誌に発表したのが2010年である。ちょうど神澤さんが、自ら研究設備を整えて、研究に乗り出そうとしていた時期に重なる。
それでは、遺跡から出てきた古い人骨のDNAを抽出して配列を読み、ゲノムを決定するには、具体的にどのような手順を踏むのだろうか。
神澤さんは、つくば市の国立科学博物館・自然史標本棟に収められている標本を見ながら、手順を説明してくれた。
次ページ:自然史標本棟、クリーンルーム、次世代シークエンサー








