第5回 縄文人の異質で均質な驚きのルーツとまさかの「家族」観
2016年の三貫地貝塚のゲノム論文を皮切りに、以降、ほぼ毎年のように、縄文人のゲノム研究が、発表され続けている(神澤さんがかかわった研究も、そうでない研究も含む)。その中で、もっとも高精度なゲノムを得たのは、すでに話題にした2019年の「船泊23号」ものだった。
そして、一連の研究の中で、縄文人ゲノムの特徴や位置づけが少しずつわかってきた。神澤さんは、大きなものとして、2点を挙げた。
「まず、ゲノムから見た縄文人はかなり均質な集団であると言えそうです。もちろん地域差は多少あるんですけれども、かなりお互いが似ているということが見えてきました」
縄文人は比較的、均質な集団であるということは、縄文時代の長さや地理的な広がりを考えると驚くべきことのように思える。その知見は、すでに紹介した三貫地貝塚や、船泊遺跡だけでなく、東名(ひがしみょう)遺跡(佐賀県)、伊川津(いかわづ)貝塚(愛知県)などから出土した縄文人ゲノムもあわせて、支持されているそうだ。主成分分析の図を見ると、たしかに、縄文人の各個体は、違う遺跡から出たものがとても狭い範囲にぎゅっとまとまっている。
「もう一つは、縄文人のルーツに関して、です。縄文人のゲノムを、今生きている、世界の様々な地域の人のゲノムと比較すると、かなり遺伝的に異質といいますか、隔たった集団であるとわかります。大陸の集団との分岐が3万年ですとか、非常に古い時期にまでさかのぼるということがわかってきました。これは当然といえば当然で、後期旧石器時代に、日本列島にやってきて、そこで孤立した集団がそのまま縄文人になったのだろうということですね」
先の主成分分析の図をあらためて見ると、縄文人と、他のアジア人が、たしかに離れていることは理解できる。しかし、どのように分岐してきたかという時系列は読み取れない。そこで、まさに共通祖先からどのように分岐してきたかを示した図をみてみよう。








