「かける」には「上に置く」や「仕掛ける」というような意味があり、
『音楽をかける』の場合であれば、レコードをレコードプレーヤに置いて音を流させるというような動作を表しています。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/39733/m2u/%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B/
操作を加えて機械・装置などを作動させる。「目覚ましを―・ける」「レコードを―・ける」「ブレーキを―・ける」
── か・ける【掛ける/懸ける】[動カ下一][文]か・く[カ下二]
……《仮小屋を作って行ったところから》芝居・見世物などを興行する。
上演する。「母物を舞台に―・ける」 ── デジタル大辞泉
http://kotobank.jp/word/%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%82%8B
ちょっと弱い(納得度が低い)です。
「歌う」でも楽器で「演奏する」でもなく、機械にデータを読み込ませて音を出させる操作を指す場合はやはり「かける」でいいとおもいます。「かけ」てもなにかの事情で耳に入らず「きい」てはいない場合もありますしね。
「かけ」が意味するところを知りたいです。
音楽は奏でるものであり、遠くから聞こえてくるものであり、楽しむものです。
しかし、音楽を記録再生するスタイルが一般的になり、最初にレコードが普及しました。
だから、レコードに倣って「掛ける」になってしまいました。
確かに音楽は掛けるものではありません。
今となっては環境操作の手段ですから正確に表現しようとすれば「流す」とか「聴かせる」だと思います。
なるほど。
今では「流す」というのがしっくりくるというのはそうかもしれません。
(が、音楽は「流す」ものなのか、という別の疑問がわいてきます)
「装置などを作動させる」から「レコードをかける」の意味で動詞は選ばれているが、「電気をつける」(つけたのは照明装置あるいはスイッチ)「チャンネルをまわす」(まわしているのは操作ノブ)と言ってしまうように、行為と効果の間に媒介物が存在する場合、主語がスリップする現象があるのではなかろうか。
という説を考えつきました。
だとすれば「かける」のみを追求しても違和感の源泉にはたどり着かない予感。
実際、言語学的にその辺どうなっているのかは知らないですけども。
(何か昭和風味家電の例しか思いつかなかった...)
なるほど。違和感を解消するのはむずかしそうですね。
「音楽を掛ける」という言葉自体、何かしらの機器において再生させる状況にしか使われないので、”音楽を(再生する機械を)掛ける”の()が略されているものとして考えれば違和感がないように思えますが
厳密に言うとパソコンの中で再生ボタンをクリックすることを掛けるとはいえなくなってきているかもしれません
(機械の作動ではなくて、作動された機械の中での行為にあたるため?)
掛けるという言葉自体は、ブレーキや目覚ましに使われるように物理的な仕掛けを作動させるものに主に用いられているように思えるので、その辺が違和感の正体なのではないでしょうか
なるほど。違和感の正体がだんだんわかってきました。
かけるには、何かを対象に届ける意味もあります。
言葉を「かかける」などの使い方をします。プレーヤーを作動させる意味も含みますでしょうし、違和感を感じるのであれば、こちらの意味で理解すると納得されるのではないでしょうか。
なるほど。「声をかける」に近いということですね。
レコードの時代じゃないですもんね。
わかりにくいと思いますが、
レコードという円盤を、回転しているか静止しているレコードプレーヤー(DJ風にいえば、ターンテーブル)に載せる→円盤の外縁に針の付いたアームを掛ける→回転していれば、音楽が「掛かる」。静止していれば、回転するボタン等を押す。音楽が「掛かる」
という理屈だと思われます。
針がレコードにかかるのかかるということですね。
2号さんの補足的に、劇場で芝居をかける。寄席で落語の噺ををかける。と言った用法もあると思います。レコードをかけるもそれに倣っているのかと思います。更にそこから派生して音楽をかける。になったのかと思います。実際、クラシックの演奏会でも、「今かかってるのはブラームス?」なんて会話は普通に聞かれます。
芝居をかける、落語の噺をかける、という用法は初めて知りました。そのように使うこともあるんですね。
「レコードを掛ける」が転じたもので、結論からいえば誤用だと思います。
他の方が辞書を参照していますが、辞書にはどれも、「操作を加えて機械・装置などを作動させる」という意味で「レコードを掛ける」が使われています。広辞苑でも「道具・機械にその作用を行わせる」とあります。
「芝居・見世物などを興行する。上演する」のを「掛ける」という場合もあり、辞書にもその意味が載っています。これは「小屋を掛ける」とか「クモが巣を掛ける」というように、「張り巡らすようにして組み、つくる」「一時的に設営する」という意味から転じて、芝居などが小屋を仮設して行われたことから来ています。
この「芝居・見世物などを興行する。上演する」のように回答している人もいますが、この場合「興行」というニュアンス、つまり「観客を集め、料金を取る」というニュアンスが強いので、個人の家で、CDを聞いているようなことに使うのはふさわしくありません。
「音楽をかける」といった場合、生演奏ではなく、レコード・ラジオ・CDなどが想定されています。「ラジオをかけて音楽を聴く」という意味です。しかし、ラジオであるか、CDであるか、レコードであるかという情報を加えずに、「音楽がCDから聞こえるようにする」ということを意味する言葉は、いまの日本語にはなかなかないように思います。そこで「音楽をかける」という言葉が、もともとは誤用ながら、広がっていったのではないかと思います。いわば日本語が新しく造成されている過程にあるのではないでしょうか。
他の回答の通り元の意味はレコードから来たものかも知れませんが「かける」という言葉の原義に近い「枝に帽子を掛ける」という使い方と同様と思われます。壁に絵を掛けるように空間に音楽が掛かっている、無意識にそういうイメージを持つことが出来るので、レコードでなくても(媒体から空間へ)音楽を掛けるという使い方が可能なのだと考えられます。
絵を掛けると皆で鑑賞できます、音楽も掛けるのはある程度の空間に音楽を流す時でヘッドフォンだと音楽を掛けるとは余り言わないと思います。
いかがでしょうか?
「電話を-かける」や「声を-かける」のかけるに似た意味ではないでしょうか。
(音や言葉を)聞き手になげ かける とか。
その場合の「音楽」は「レコード」のことを指していたんですね。
2014/06/24 09:50:09「レコードをかける」は分かるのですが「音楽をかける」にまだ違和感があります。