「する」についての論理は言語より物理に依存してるだろ 「赤子を撫でる」が良くて「赤子を殴る」がダメなのは物理依存
ネット上ではすべての行為は結局キーボードとかタッチパネルを触ることでしかないので等価?
ネット上の行為はむしろ言語に依存してるだろ 言語には言語の倫理があるが、誹謗中傷が悪いことであるというのは「他人にされたら嫌だからこちらからもしない」というルールの派生...
「他人が嫌なことはしない」であって 自分が云々が完全にノイズ
それだと「愚者への叱責」が不可能になる 賢者が「自分よりも賢い者からの叱責は喜ぶべきこと」と認識していれば、叱責を「嫌なこと」と捉えなくて済む もし愚者が「叱責が嫌だから...
それは反対に愚者視点で 俺はこれ嫌じゃないから制限ないわってのを認めることになって こだわってるルールに何の意味もなくなるよ
ならないよー はーいろんぱっぱ😝
歴史的に見てもこうやって細かくルールが枝分かれするのは、「こういう場合は成立しない」というツッコミがあったから聖書が分厚くなったんであって、倫理における本質とは無関係...
本質でいうと「相手が嫌がることをしない」の方が核でプリミティブだよ 相手の嫌がることを推定する方法として自分に当てはめて見るのが出てきてるし 当然それでノイズが生まれてる
言われないとわからないじゃん だから結局自分に当てはめるんでしょ? なら自分がされて嫌なことは人にしない でいいよ
社会のお荷物レベルの愚者、犯罪者、こういう連中を正しい方向に導く際に「助言など嫌だ」と連中が言った場合は? 愚者を導けなければ社会的に損失ですよね?
本質を突き詰めていくと根本的にこのルールが悪くて社会秩序の維持とか倫理の本質を備えてないと言うことになる 社会のために良いことをして、悪いことはしないのが倫理の一番根っ...
これは非常に重要な問題ですね。「社会のお荷物」とされる人々、あるいは犯罪者や極端な愚か者をどう導くべきか。 まず、ユダヤの考え方では 「すべての人には価値がある」 とい...
AIのせいでユダヤの教義流出してるやんワロタ
え、門外不出のなんかだと思ってたんか
専門の学者でもないと知らん 翻訳しただけで殺されそうだから気楽に触れられない
ユダヤ教における「叱責(トクハハ, תוכחה)」の概念を考えると、この問題にはいくつかの重要なポイントがあります。 1. 叱責の意義:なぜ叱責するのか? ユダヤ教では、ただ相手...
このユダヤ教AIと、倫理を語る今日の愚者君って同じ奴なの?
「自分が」を述べるのは、他人が何を嫌がるのか完全な判断ができないから だから馬鹿にもわかるように「まず自分が嫌だと思えばするなよ?」と言う 智者には「他人が嫌だと思うこと...
おそロシア
「俺は罵倒合戦どんとこいのレスバトラーだから、他人を罵倒するのは悪ではない」 の低能先生ロジックを否定できてないじゃねえか低能
自分のされて嫌なことをしない ⊂ 守るべき倫理 という集合の話ってわからない?
集合ではなかったという話