2025-06-06

今の日本に感じていた既視感の正体に気づいた

最近日本、なんかおかしくない?と薄々感じていた今日この頃

とにかく外人が多すぎる。

電車に乗っても、どこの駅で降りても、クソでかいキャリーを抱えた外人まみれ。

通勤時にあのクソデカキャリー出会ってしまった日には朝からテンション爆下がり。

渋谷に遊びに行ったとき外国人店員外国人客の相手をしている光景を見た時は海外旅行にでも来たんかと思った。

結論から言うと、私は外国人アンチだ。

というか、「郷に入っては郷に従え」ができない外国人アンチだ。

日本という国に来てもなお自国価値観マナーで行動する人々の気が知れず、理解する気もない頑固人間なのだ

というのは前置きで、なんとなくこの「その地の文化をよく知りもせずに楽しそうだから流行っているからという理由だけで踏み込んできて荒らしている」みたいな状況に既視感を覚えていた。

その既視感の正体がようやく判明した、という話。

そう、インターネットだ。

私は四捨五入すると30歳になるいわゆるアラサーインターネットに参入したのは小学5年生の時。

まだ物心がついているかも怪しいガキの頃から掲示板個人サイトに張り付き続けた結果、こんな偏屈日記匿名で書いてしまうようなバケモンになってしまった。

私が参入し始めたころのインターネットは、人に言えないような趣味のある人が匿名で集まって好きなものの話をコソコソしているような、教室の隅と言うにもおこがましいくら陰鬱でじめじめとした場所だった。

ここで言う人に言えないような趣味というのは、例えば異常性癖があるとか、実は犯罪者だとかそういうことではなくて、ただ単に「二次元キャラが好き」「日がな一日ゲームをやり続けている」みたいな、令和の今であれば誰しもがオープンにしているような趣味のことだ。当時は、それくらいオタクに対しての風当たりは厳しかったように思う。

でも、だからこそ、二次元キャラに恋をしていたブスの私はそこに居場所を見つけたのだ。

それが今では、かわいい女がバカスカと自撮り掲載し、フェミニストと男が日々戦いを繰り広げ、風俗嬢人権を得ているような、そんな場所になってしまっている。

私が好きだったインターネット、もといオタク文化は今やどこにも存在しない。

同人イベントコラボ云々、ライブなどのリアルイベントに参加しようものなら、異常におしゃれでかわいい女たちばかりでブスの私の居場所なんてどこにもなくなっている。

誰にも言えない好きなことを発信して、たまたまそれを見つけた同志と匿名のやり取りができる。そんな世界だったはずが、今や下手に発信しようものならなにもかもが炎上可能性を孕んでいる。

エロ同人クレジットカードで買えなくなっただとか、エロ同人に登場するランドセルモザイクがかかっていたりだとか、そんな世界をだれが望んでいたのだろうか…

まあそれはそれとして、インターネットが誰でも気軽に触れられるオープン場所になったことも、自分オタクであることをひた隠しにする必要がなくなったことも、喜ばしいことだと思ってはいる。

ただ、先人がコソコソ築き上げてきた文化を踏み荒らされたことが気に入らない。

理解余地も、住み分け努力もしないまま、既にそこにあったものいちゃもんを付けることの何が正義なのか。

さみしいし悔しい。たったそれだけの個人的感情ではあるのだが、ここで話は冒頭に戻る。

インターネットという文化は、時代の移り変わりと共に全く違うものへと姿を変えた。

新しい層の参入により、在り方が丸っと変わったと思う。

今の日本に対して私が抱いている既視感が本当にそうなのであれば、私が愛する日本はこのまま全く別の何かに変わってしまうのではないか杞憂しているのだ。

このまま相互理解住み分けが為されないまま時間が過ぎていくのならば、また私は居場所を失くしてしまうかもしれない。

怖いよ~~(泣)(泣)(泣)

  • オタク社会なんて居心地のいいコミュニティの喪失と移住の繰り返しだろ 今まで何度アニメの最終回を見届けた? いい加減自己解決しろや

  • 言及のやり方を間違ってるから繋げとくね https://anond.hatelabo.jp/20250606130010

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