2025-11-09

「あの頃の光を奪ったドラクエリメイクへ──ばあちゃん黄金ソフトを思い出しながら」

小1の頃、ばあちゃんに「ドラクエ2」を頼んだ。

でも買ってきたのは「ドラゴンバスター」だった。

あの金ピカのソフトを見た瞬間、子どもの俺は泣きそうになって「ばあちゃんなんか嫌いだ!」なんて言ったっけ。

けど、今思えば――俺のゲーム人生を変えたのは、あの間違いだった。

あれから何十年も経って、先週、ドラクエⅡのリメイクが発売された。

あのタイトルを見たとき、胸の奥で小さな灯がともった。

「ばあちゃん、ついにあのときゲームを、ちゃんと遊べるよ」って。

……だけど、電源を入れて数分で、その灯は冷たい風に吹き消された。

グラフィックは妙に艶かしく、

ドット絵の温もりは「AI補間のノイズ」に溶けていた。

音楽原曲面影こそあるが、魂を感じない自動演奏

そして、セリフひとつひとつが、まるで「昔の記憶商品化」するためのコピーライティングみたいだった。

俺が知ってるローレシアの王子は、

もっと無口で、不器用で、孤独だった。

でもリメイク王子はやたらと語りたがる。

仲間たちは軽口を叩き、冒険は「テンポよく進む」ように整えられている。

その「快適さ」は、あの頃の“想像する時間”をすべて奪ってしまった。

あの時、ばあちゃんが間違えて買ってきた「ドラゴンバスター」は、

遊びづらくて、難しくて、すぐ死ぬゲームだった。

でも、だからこそ夜な夜な挑戦する価値があった。

画面の奥に「自分だけの冒険」を見た。

ゲームは“想像の余白”があるから輝くんだ。

ドラクエリメイクには、その余白がない。

現代開発者たちは「誰もが楽しめるように」と言う。

でも、それは“誰の心にも届かないもの”を作る免罪符になっていないだろうか。

俺たちは便利さなんて求めてない。

たとえ不親切でも、古臭くてもいい。

その不器用さに、あの頃の自分や、もう会えない人の姿を重ねられるから

リメイクを終えた夜、久しぶりに「ドラゴンバスター」を起動した。

カセットをふっと吹いて、カチッと差し込む。

画面に現れたのは、粗いドット騎士

あのときばあちゃんが間違えてくれた、その奇跡残像

――ばあちゃん

新しいドラクエⅡは、なんか違うよ。

たぶん、もう“あの頃”は帰ってこないんだね。

でも、俺の中では、あの日黄金ソフトがいまも一番輝いてる。

  • >音楽は原曲の面影こそあるが、魂を感じない自動演奏。 何これ 自動演奏じゃない演奏って何

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