2025-11-27

Twitterフォロワー管理を完全に間違えた

Twitterで3年前あるアニメにハマった。




当然そのアニメはとうに終わっていて今は放送されてないが、ビッグIPシリーズもの且つ久々のヒット作ということもあり、ファン層は国内外と非常に多くその時は繋がりを作るのが楽しくて仕方なかった。

自分は絵は描けないので、ちょっとした小説考察ファンツイートを投下していた。そこから片思い的にお気に入りしていた絵師さんにフォロバしてもらえた時などは嬉しさは頂点だった。

オフで会った人も居るし、作品の話から雑談までいろんな人とリプのやり取りをした。

人間なのでプライベート日記愚痴のような内容もつぶやかれるが、それにもいいねを送り合い案じるリプなんかもしたりして、お互いにかなりパーソナルな情報を開示しあっていた。

◯◯さんは関西拠点にしてるんだ。◎◎さんはエンジニアなんだなすごいな。△△さん、夜勤いつもお疲れ様です。なんて。共通作品ファンを超えた友人のようにも感じられていた。

そこまでは幸せだった。




だが、いくら大好きで大好きで仕方ない作品キャラクターと言えど、3年以上経てばさすがに当該作品話題もつきかける。たまには出来るが毎日は苦しい。でもフォロワー毎日毎日そのキャラ愛で盛り上がれる。尊敬する。

それでも3年間の絡みを通じてお互いの好きなものとか考え方とかオススメアニメ等に多少なりとも関心は持ってもらえているはずで。そこも含めてお互い受け入れ合ってるものと思っていたけど。

今のアニメ映画の感想や近況日記つぶやきをしても、今は誰も反応してくれなくなった。まるで自分フォロワーほぼ全員からミュートされてるようにだ。

ガチめに深刻な病気の快癒を報告しても交流があると思ってた人のほとんど反応してくれない。

でも同じタイミングで他のフォロワーが「今から夜勤です」と言えば、自分レスをくれなかった共通フォロワーが5分以内に「いってらっしゃい」レス複数してるのを目の当たりにしてしまってつらい。

自分から声をかけても、リプにいいねされるだけで言葉で返信が来ない。そのいいねは「既読したよ」の印でしかなく、状況的には完全に「既読スルー」ってやつだ。

またTL上で某ソシャゲ(非共闘)のフレンドを募集したけれど、その互いにリプを送っていた相手の1人からTwitterリムーブされていたことを最近知って追い打ちのように凹んだ。ソシャゲで繋がってる相手リムるって中々やりづらくないか?もう惰性や適当ではなく明確な意思力を持って私を切断していたことになる。




一体どうしてこうなってしまったのか。ゆるいけれど共通ネット友人のような繋がりがあったはずなのに。

自省して考えたら、いくつかの心当たりが浮上した。

作品性質上、リベラル高齢保守も集まりやすくTLにも散見されたけれど、その両方から嫌われるツイートをどこかでしていたのかも知れない。

例えば今の自分立場高市政権批判的だが、TLにはそこそこ高市ファン小野田ファンがいた気がする。居住地外国人が急増したことから排外主義に賛成の構えを示す人もいたけど、私自身はそれで付き合いを止める気にはなれなかった。

かと言って自分リベラルなのかというとそうでもないと思う。例えばトランス女性なる概念にはずっと懐疑的だ。オリンピック格闘技筋肉競技で割り込んでくるのは普通に不正だと思うし、

知人にも1人居たがどうも女風呂女性更衣室・女子校女子トイレといったプライバシー空間に未手術の男体を割り込ませることが至上目的化している気がしてならず、私は女性である一言も発さず説明もなく人の背後に張り付いて公共女子トイレに潜入しようとしていた様は異様で怖かった。

言い出しにくかったがそれを指摘したら「我々トランス女性に対する理解が足りないので勉強する必要がある」などと悪びれずに放言された時は(どこにでもいる女への共感性がしんでる典型的マウント中年男性やんけ)としか思えなかった。

しかし、TLにいるリベラルアカウント男性が多いせいかトランスヘイター蛇蝎の如く憎悪軽蔑している。こんな体験談を吐こうものなら即ブロされて人格否定呪詛吐かれまくるのは目に見えている。

そんな感じで居心地悪くしていたけれど、向こうにもなんかそれが伝わってお互い気まずくなってた気がする。




でも一番の誤算は多分私の勘違いだ。インターネット老人会に片足突っ込むTwitter黎明期世代なので、Twitterにまだ「ネット自由言論空間」が生きていると思い込んでたのだ。

元々考察や考えることが好きだからアニメに対してもオタクに対しても、批判や憤りも含めて言語化しまくっていた。批判やディスは多かったけど、決して個人私怨ではなく独立した読み物として堪えるような普遍的着眼点面白さがあったと思う(自画自賛)。

そして批判であっても賞賛であってもそれだけで人格ジャッジされることなく、スタンスが違っても傾聴しあう空気黎明期ユーザー間にはあったような気がして、なんとなくそれがずっと続くと思ってたのだ。

でも今のTwitter一般化しすぎて世間の延長になった。テキストサイトでは許されるネガ長文評論リアルで言えば白い目で見られるように、評論考察自体が受け入れられなくなってきた。全肯定しか許さぬ圧を感じる。

一昔前のオタク像は正でも負でも考察ごとが大好きだったと認識していたのだが、反知性主義が猛烈な勢いで蔓延していて今や考察というだけで嘲笑揶揄対象にされるレベル

ファンコミュニティの間でもそれは例外でなくなってきたというか、頭を使わず金だけ使う『推し活』が一番の愛だという風潮は自分にとっては居場所を失ったようで生きづらい。

さりとて一見話の合いそうな言論発信系クラスタ相互フォロワーになってみても、かの人達自分の放つ政治的トークRTしたりするだけで、私個人日常事には一切関心を持ってくれない。

私がSNSで一番欲する友達みたいな互いのパーソナリティに関心を持って仲良く絡む性質はゆるいファン界隈の中しか確認できなかった。しかしその界隈から見た自分は、多分お硬くて目障りな人格同調圧力から外れた自分達とは違うノイズのような存在なのだ




はっきり言ってSNS幸せな繋がりを持っていたい。都合の良いことを願うなら、個の人格作品トークをある程度別個に切り離してくれて、人格を認めてくれる気軽に絡み合える相手と。

でも今はネットSNS性質空気感が変わってきていてそれは難しい。でも小難しいことは捨てて推し活だけして作品評とかもみんなが言うことをみんなが言うままに言う同調第一の振る舞いをしろというのも息苦しい。

願いは全て叶えられないなら、割り切って同じ人間にならなきゃいけないんだろうか。でもそれはリアルでずっと感じていた生きづらさであり、ネットでさえもそれに縛られるというのもディストピアだなぁ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん