なぜエンタメ作品であっても社会的なメッセージを読み取れるのか。
たとえば少年漫画は、作者がそこまで社会問題を描くつもりがなくても、気づいたら権力だの格差だの共同体だの、そういう話になってしまう構造を最初から背負ってしまう。敵が支配者になれば自然と権力の話になるし、仲間と協力すれば共同体の物語になるし、努力しても報われない展開が続けば、どうしたって不平等とか理不尽の話に見えてくる。物語の構造から社会的な意味が勝手に染み出してくる。
作品って一度世に出た瞬間、もう作者の手から離れてしまって、勝手に読み取られる。キャラが語らなかった感情とか、説明されない設定の隙間とか、そういう余白に、読む側が自分の人生とか不安とか価値観を勝手に流し込んでしまう。作者はそんなつもりじゃなくても、これは制度批判だとか、これは民族問題の話だとか、これは自分の傷の話だって、読み手の数だけ意味が生まれてしまう。それは誤読だけど、その誤読の余白が作品を長生きさせてる。解釈の余地があると考え続けるファンが出るから。エヴァンゲリオンが延々と考察されたみたいに。
社会的メッセージは、作品と作者と受け取り側と社会、その四つが絡み合ったところで、その都度その都度、立ち上がってくる。作品の中にうっすら潜んでいた意味の種に、読者が自分の不安や関心を重ねて、そこに時代の文脈が乗っかって、気づいたら「この漫画、めちゃくちゃ社会の話してない?」ってなる。だから社会的メッセージは最初からあるし、後から生みだされる。