https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
なんかこの記事の母親のように、子が発達障害と診断されて絶望する親の話や障害受容は難しいという話を聞いてると、なんのショックも絶望もしない自分はなんなんだろうと思う。
子供はASD軽度知的ありで5歳、もうじき就学相談という頃合い。2歳ごろにASDの診断がおりたのだが、そのときは正直なところ「なるほどねー」と日頃の違和感が答え合わせできた納得感が強かった。絶望感はゼロ。むしろ周りから何度も言われた「大丈夫、いずれ成長する」「うちの子も昔はこうだった」が打ち消されてスカッと爽快感さえ受けた。
むしろその後、発達障害や発達支援の本を読み、ABAや感覚統合理論、TEACCHなどに触れ、育児について明確な指針や方略を学べたのでめちゃくちゃ育児が面白くなった。子どもがいろいろ強いこだわりを見せたり癇癪を起こしたときは「こいつあ学んだことを活かすチャンスだぜ」とワクワクした(体力はガリガリ削られるから顔は死んでる)。療育の様子を見るのも親の会に参加するのも興味深すぎて自分の人生イチイキイキしてるかもしれないと思う。
そう書くと、就学のこととか将来の見通しとかまったく考えてないからそう思えると思うけれども、結構当時から子どもが支援学校に入ろうが作業所勤めであろうがそれはそれでいい人生なんじゃないか?と思ってた。もちろんそういう進路をとれずに引きこもってしまうとか、強度行動障害が強くてまともに日常が送れなくなるのは、本人にとっても周りにとっても辛いので、そこはそうならないように気をつけたいとは思ったけど、それは障害の受容とは別の話だと思っている。
だが世の中の大抵の発達障害児の親は障害の受容に悩むらしい。なら自分はなんなのか?人の心がないから絶望もしないんだろうか?と、子供の障害のことよりも、むしろ自分の感情に欠陥があるのか?というモヤモヤの方が悩ましいと感じてしまう日もある。だが大抵はそんなことないやろと思いながらのほほんとドミノ倒しチャレンジみたいなトミカの行列を作る子供の背中を見てる(保育園の登園時間をもうすぐ過ぎながら)。
ということで障害受容の摩擦抵抗ゼロな親の話をもっと聞けると嬉しい。件のnoteの母親の絶望感は否定しないし、そういう感情の吐き出しや寄り添いは大事だと思う。けど、そういう絶望感ゼロの親の話もないと他の親も当事者も寂しいと思うんだ。
前半しか読んでないけど、子どものために色々学んで実践してやって、親として尊敬するよ
雑草魂や
無双が好きな人と縛りプレイが好きな人がいるってコト!?
社会的成功の可能性が低くなるだけで 早期から然るべき教育を受けてSST受けてれば食っていくことはできるからな まあ産み落とされた側はたまったもんじゃねえけども
結局人間関係の広さだと思う 俺の上司と同期で支店長まで行ったやつとチームリーダーやってるエリート後輩がそれぞれタイプは違うもののまとめると授業中に座って聞いていられない...
ウチは、受診した小児心療内科で、医者に子供が発達障害なら"両親揃って発達障害の疑いがありますね" ってあっけらかんと言われたんよ。 で、発達障害の事調べまくったら、まあ思い...