はてなキーワード: コボルとは
まず対象を抽象化するために、物理系は局所演算子代数のネットワーク(局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。
境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS 構成で得られる正規表現の圏)として扱う。
重力的バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul 双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル的拡張)としてモデル化される。
ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データとバルクの因子化代数的データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値の空間)を保つ関手の同型として書ける。
これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann 代数の圏と、バルクに対応する因子化代数(局所的場の代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclic ホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対が存在すると仮定する。
境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルクの幾何情報はそのホモロジー/コホモロジーに符号化される。
エントロピーとエンタングルメントの幾何化は情報幾何学的メトリックに還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。
これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフ圏からヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手である:グラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数の状態和(state-sum)を与える。
MERA や PEPS、HaPPY コードは、この関手が持つ特定の圧縮/階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である。
テンソルネットワークが幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続とリーマン的性質を再構成する手続きを意味し、これが空間的距離や曲率に対応するというのが it from qubits の数学的内容である。
さらに情報回復(Petz 復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成の圏論的条件(右随伴を持つ関手の存在)として表現される。
すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所的情報の回復が可能となる。
ER=EPR はこの文脈でホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクのコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。
言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントのコホモロジーは、バルクのホモトピー的結合(位相的/幾何的接続)を決定する。
ブラックホールの熱力学的性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modular theory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。
特に、ブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアンは境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローはバルクの時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。
サブファクター理論とジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報の部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー(情報の遮蔽)は部分代数の指数と絡み合う。
ブラックホールの微視的自由度のカウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。
超弦理論的な追加自由度(多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれ、モチーフ的/導来スタック的手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。
これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformation theory)と同値的に記述されることが期待される。
この全体構造を統一する言葉は高次圏的因子化双対である。物理的理論は、局所的オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手系から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。
したがって「it from qubits」は、局所的量子代数の圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPR はエンタングルメントの同値類とバルクのコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論的指数、モジュラーデータ)として測られる。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDEN RINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
目覚ましは06:17、豆は正確に12.3グラム、挽き目は中細、湯の温度は93.2℃で抽出時間は2分47秒。
ルームメイトがたまにまちがえて計量スプーンを左から右へ並べ替えると、その不整合が僕の内部状態の位相をわずかに変えるのを感じるが、それは許容誤差の範囲内に収められている。
隣人の社交的雑音は僕にとって観測器の雑音項に過ぎないので、窓を閉めるという明快なオペレーターでそれを射影する。
友人たちとの夜はいつも同じ手順で、ログイン前にキーボードを清掃し、ボタンの応答時間をミリ秒単位で記録する。
これが僕の日常のトレースの上に物理的思考を埋葬するための儀式だ。
さて、本題に入ろう。今日はdSの話などではなく、もっと抽象的で圧縮された言語で超弦理論の輪郭を描くつもりだ。
まず考えるのは「理論としての弦」が従来の場の量子論のS行列的表現を超えて持つべき、∞-圏的・導来幾何学的な定式化だ。
開弦・閉弦の相互作用は局所的にはA∞代数やL∞代数として表現され、BV形式主義はその上での微分グラデーション付き履歴関数空間におけるマスター方程式として現れる。
これを厳密にするには、オペラド(特にmoduli operad of stable curves)とそのチェーン複体を用いて散乱振幅をオペラディックな合成として再解釈し、ZwiebachやWittenが示唆した開閉弦場理論の滑らかなA∞/L∞構造を導来スタック上の点列として扱う必要がある。
導来スタック(derived Artin stack)上の「積分」は仮想基本クラスの一般化であり、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosiによるシフト付きシンプレクティック構造は、弦のモジュライ空間に自然に現れる古典的BV構造そのものだ。
さらに、Kontsevichの形式主義を導来設定に持ち込み、シフト付ポアソン構造の形式的量子化を検討すれば、非摂動的効果の一部を有限次元的なdeformation theoryの枠組みで捕まえられる可能性がある。
ここで重要なのは「関手的量子化」すなわちLurie的∞-圏の言語で拡張TQFTを∞-関手として定義し、コボルディズム公理を満たすような拡張場理論の対象として弦理論を組み込むことだ。
特に、因果的構造や境界条件を記述するfactorization algebra(Costello–Gwilliamの枠組み)を用いると、局所的観測子代数の因子化ホモロジーが2次元世界面CFTの頂点代数(VOA)につながる様が見えてくる。
ここでVOAのモジュラリティと、2次元場の楕円族を標的にするエリプティックコホモロジー(そしてTMF:topological modular forms)が出てくるのは偶然ではない。
物理的分配関数がモジュラー形式としての変換性を示すとき、我々は位相的整流化(string orientation of TMF)や差分的K理論での異常消去と同様の深層的整合性条件に直面する。
Dブレインは導来カテゴリ(整合層の導来圏)として、あるいは交差的フカヤ圏(Fukaya category)として表現でき、ホモロジカルミラー対称性(Kontsevich)はこれら二つの圏の導来同値としてマップされる。
実際の物理的遷移やアセンションは、圏の安定性条件(Bridgelandのstability conditions)とウォールクロッシング現象(Kontsevich–Soibelmanのウォールクロッシング公式)として数学的に再現され、BPS状態はドナルドソン–トーマス不変量や一般化されたDT指数として計算される。
ここで出てくる「不変量」は単なる数値ではなく、圏のホールディング(持続的な)構造を反映する量化された指標であり、カテゴリ的量子化の語彙では「K-theory的なカテゴリ不変量」へと持ち上げられる。
さらに、超弦の非摂動的断面を完全に記述しようとするなら、モジュライ超曲面(super Riemann surfaces)の導来モジュラス空間、そのコンパクト化(Deligne–Mumford型)のsuper version、そしてこれら上でのファクタライゼーションの厳密化が不可欠だ。
閉弦場理論のstring field theoryはL∞構造を持ち、BV量子化はその上でジグザグするcohomological obstructionを制御する。
より高次の視座では、場の理論の「拡張度」はn-圏での対象の階層として自然に対応し、拡張TQFTはCobordism Hypothesis(Lurie)に従って完全に分類されうるが、弦理論の場合はターゲットが無限次元であるため古典的公理系の単純な拡張では捉えきれない。
ここで我々がやるべきは、∞-オペラド、導来スキーム、シフト付きシンプレクティック構造、A∞/L∞ホモロジー代数の集合体を組織化して「弦の導来圏」を定義することだ。
その上で、Freed–Hopkins–Telemanが示したようなループ群表現論とツイストK理論の関係や、局所的なカイラル代数(Beilinson–Drinfeldのchiral algebras)が示すような相互作用を取り込めば、2次元CFT分配関数と高次トポロジー的不変量(TMF的側面)が橋渡しされるだろう。
これらは既知の断片的結果をつなげる「圏的連結写像」であり、現実の専門家が何をどの程度正確に定式化しているかは別として、僕が朝に計量スプーンを右から左へ戻す行為はこうした圏的整合性条件を微視的に満たすパーソナルな実装に過ぎない。
夜、友人たちと議論をしながら僕はこれら抽象的構造を手癖のように引き出し、無為に遺伝子改変を選ぶ愉快主義者たちに対しては、A∞の結合子の非自明性を説明して彼らの選択が位相的にどのような帰結を生むかを示す。
彼らは大抵それを"面白い"と呼ぶが、面白さは安定条件の一つの可視化に過ぎない。
結局、僕の生活習慣は純粋に実用的な意味を超え、導来的整合性を日常に埋め込むためのルーチンである。
明日の予定はいつも通りで、06:17の目覚め、12.3グラムの豆、93.2℃、2分47秒。そしてその間に、有限次元近似を超えた場所での∞-圏的弦理論の輪郭をさらに一行ずつ明確にしていくつもりだ。
1980年代前半に10万人ぐらいの都市に隣接した町で生まれた。
町立保育園/小学校・中学校ときて、工業高校と商業高校と農業高校、そして普通科松竹梅みたいな選択肢の中、普通科の梅に進学した。
父親は食品系仲卸問屋勤務で、母もそこでパートで働いていた。裕福な方ではないが、特に金で特別な苦労を強いられたことも無かったと思う。両親どちらも高卒で就職していて、父親の実家の土地に建てた一軒家住まい。
だからか、大学に行くということは特に考えていなかった。だったら商業にいけば良かったのだが、はっきり言うと、学力が足りなかったのだ。
当時は手に職があるのが強いと言うことで、中の上ぐらいの学力が無いと商業高校には入れなかった。工業高校はヤンキーのイメージが合って、根暗な俺には無理だったし、学校でもヤンキー共がそこにいくと言うから避けたいと言う、今思うとお前何考えているんだって理由で避けた。がんばれば商業高校にも入れたと思うが頑張るモチベもなくそのまま進学した。
時は就職氷河期のまっただ中だったが、父も母も比較的安定していたので「世の中不景気っていって大変だねえ」ぐらいで実感なんてあるはずもなかった。
しかし、卒業が近付いて進路という段階になって、先生が進学を特に勧めるようになって実感が出てきた。先生は誰もが厳しいと口にし、進学を勧めてきた。その中に専門学校もあった。
先輩が就職できなかったが、フリーターで楽しく働いている、それも悪くないよ、そんな話も聞こえてきたが、父の会社はフリーターを使う立場でもあって、そのころになってフリーターだけは絶対にだめだと言われるようになっていた。
しかし現実問題として就職が苦しいとなった頃で、Windowsとインターネットがぽつぽつ使われ始める時代だった。それで、地元のコンピュータを勉強できるビジネス専門学校への進学を決めた。決めた上で、高校生活の残りは部活にのめり込んだ。
専門学校は名前さえ書いて入学金を振り込めば自動合格するような所だった。
専門学校では、同級生の半分以上が年上だったりだぶっていたりとするような人々だった。上は40歳ぐらいもいたと思う。ここでだ。本格的に社会の不景気を実感したのは。
ここで危機感を覚えて本格的に勉強を始める事になる。父に頼んでエプソンのパソコンを家でも買ってもらい、勉強して、当時ギリギリ「二種」から「基本情報」へと名前を変えた基本情報技術者試験に合格した。学生時代では最も必死に勉強したと思う。その他にもCCNAなどの取れる資格はみんなとった。資格数としては学年トップだったはず。その上で、来ていた求人でいくつか会社を回った。その中で、工場の生産システムを専門に運用して面倒を見る部署から来ていた求人があり、一番沢山パソコンを触れそうと言う理由で決めた。
当時この生産システムは通称「ホスト」と言われてていて、汎用機にコボルで書かれたレガシーなシステムであった。これを面倒見るために一から勉強して日常のジョブ投入とかは問題なく面倒が見られるようになりつつも、伝票類の物理的な運搬とか、時には入力のヘルプに入るなど、総務と経理の小間使い的な仕事をこなしていた。
入社翌年、ホストからオープン系にリプレイスするという話が来た。
当時、ITバブルが始まってきて、オープン化という事が中小企業の営業にも言われ雨量になってきた。それと同時にホストの保守費用の値上げが来て、あたらしいもの好きの社長がオープン化システムへのリプレイスを決断。オープン系(と言ってもUnixi系)にシステムを載せ替えた。
これが相当なデスマではあったが、今になって思うと元々のシステムを作った古老がまだ嘱託で仕事をしていた時期でもあり、最後のタイミングだったであろうと思う。結局リース契約は1回更新する事にはなったが。ここで基礎スキルを身につけることになる。今に至るまで製造業の生産・ERPを専門として、扱うパッケージは何度も変わっているが、それで喰っている。
さて、実はオープン系にするというプロジェクトにはもう一つ、係員にしか知らされていない理由があって、それは海外への生産の移転へ対応できるようにすることであった。
売上の8割以上を依存している大手企業が、海外に工場を移転するに当たって、現地に団地を作るので下請けも一括して来い、と言う話があったのである。それが大々的に発表されたのは、システムが上手く稼働できなくて必死になっていた頃であった。稼働を始めた頃には中国の工場が稼働を開始し、集中ケア期間を終えて安定稼働に移る頃には工員が中国に多数出張にでて技術を教えている段階だった。
生産ラインは移転され、パート従業員や派遣社員は派遣切り。そんなことをやっている頃に、リーマンショックが来た。
システムの面倒を見ていると、会計の情報や売上の情報なども入ってくるので自然と知ってしまう訳だが、会社の実情はそれほど急激に悪化はしなかった。だが、リーマンショックに乗じてついに国内ラインの大規模閉鎖とそれに伴う工場閉鎖、従業員の解雇が発表された。正直バブル崩壊のトラウマてきな反応だと思う。
その対象に自分は直截入っていなかったが、その頃、システムを更新を担当した会社の方から転籍の打診があった。会社も同意の上で、より良い給料を提示するから転籍しないかというのである。ホストをオープン系に乗せ替えるという経験を、ユーザ側でした経験をかうと。
それまでの会社は、IT系はバックオフィス系の事務員の賃金であり、30手前で手取りで20万円いかなかった。基本的に残業は禁止で、サビ残がある割には稼げないという環境。
現場は月20時間の残業が前提になっている給与で、それと基本的に賃金テーブルが同じなため、残業が無い分だけ低賃金になってしまうと言う構造的な問題があった。
それでも実家暮らしだったので暮らせていたし、周りの環境もそうだったし、何より専門卒の同級生の中では比較的まともな感じだったのでこんなもんかな、と思っていた。
が、その転籍先企業が提示した待遇は月額40万円というもので、近隣の大都市のオフィス勤務となるがかなり待遇が上がる。その他にも福利厚生が付いてくると言う事も魅力的で、一人暮らしもしてみたかった俺は、転籍をすることにした。
ところが、1ヶ月の有休消化期間と退職手続きをして転職先に手続きにいったら、内容は正社員じゃなくて契約、偽造請負であった。
確かに月額40万円だったが、年俸で500万という意味であった。厚生年金は入れないので国民年金・国民健保。報酬からはしっかりと席料2万円が引かれ続け、パソコンなども指定のものを時前で買わされた。とはいえ、前職よりは100万程度手取りは増えたのでこんなものかなと思ったし、やる事やってもらえれば大丈夫だから、元の会社の仕事を中心に降るし、と言われてはあそうですかと受け入れた。というかそれ以外に選択肢がなかった。
ただ、システムの知識はかなりあったし、ユーザー側ではなく開発側の資料に自由にアクセスできるのは純粋に楽しく、サビ残をする為にこそこそする必要も無くなった。当時は自由に働ける新しい働き方みたいな事を真に受けていたので。
転機になったのは東日本大震災の時である。仕事が飛んだ。結果、その間の報酬が飛んだ。どんぶりで人月契約すると言う動きだったので、東日本大震災でプロジェクトが止まった間、無報酬になってしまったのである。
当然失業保険の手当などもでない。周りの似たような仕事をしている社員は出ているのに、出ない。教育を任されていた後輩…といってもプロパー社員も出ているのに、出ない。
これを転機に、転職活動をして、別の会社に正社員で雇われたいと思うようになった。
しかし、全くだめだった。転職サイトに登録しても専門卒では全然応募しても駄目で、専門卒でも許容しているのはSESの様な会社ばかり。面接に進んでも今と同じかそれ以下の待遇でこちらのスキルなんか全くみてないようなものばかり。東日本大震災による契約停止は1.5ヶ月ほどで済んで、その後プロジェクトが再開されたため仕事も戻ったこともあって切実度が下がったが、それでも続けていた。
さらに、そもそも大卒でないと検索しても表示すらされないと言う話すら聞いて、そこからサイバー大学に入学した。
ただ、結局大卒の資格を取る前に、正社員登用された。契約している会社に元請けから内部監査がかかって、触法する可能性のある偽造請負を是正すると言う話が出たためである。
月給は手取り20万ちょいに下がったが、人生で初めてボーナスが出る待遇となり、手取年収はほぼ同じとなった。その上で、厚生年金に復帰し、さらにIT関係の健保など福利厚生が使える様になった。ここで、ここまで身分によって待遇が違うのかと言う事を実感した。
実は今、最初の会社に戻っている。理由は簡単で、父親がコロナ禍で倒れて後遺症が残り、地元に戻らなければならなくなったためである。元の会社は生産システムを強化していて、の後も繋がりはあったので、その伝手で戻る事になった。
年収はほぼ変わらずに入社できたのは幸運だったが、定期昇給はなくなり、ボーナスも定期的には出ない待遇になったが、こればかりは仕方が無いと諦めている。
フジテレビやTBSのドラマに出てくるような、客が自ら自分が経験した奇妙な出来事や恋愛話をマスターに語る酒場が本当にあることを、今日初めて知った。あれはフィクションのための舞台装置だと思っていたのだが、本当に実在するとは思いもよらなかった。それも東京ではなく、千葉県の地方都市でだぞ。
でも、自分はこの会話に入れない。「金持ちそうな謎の老婆に連絡先を突然渡された。アレは一体何だったんた?逆玉の輿のチャンスだったのか?」という話で盛り上がった後に、もしも「いやー、自分、COBOLのコードをWindows FormsやWPFにリプレイスするのに今、苦労してるんですよ」とか愚痴っていたら、「コボルって何?ウィンドウズ・フォームズって?」と返されて、急速に場が冷えてしまっていたことであろう。
あんな、脇役のオジサンがヒロインの悩みに間接的にスポットライトを当てるような会話のシーン(その後、ヒロインが自室で体育座りしながらオジサンとの会話を思い出し、誰にも話していない彼氏との行き違いに悶える、よくあるアレ)に出会えるとは。そして自分は、その会話の雰囲気に参加できるネタを何も持ち合わせていない、場違いな客。
※注意※ この解説を理解するには、少なくとも微分位相幾何学、超弦理論、圏論的量子場理論の博士号レベルの知識が必要です。でも大丈夫、僕が完璧に説明してあげるからね!
諸君、21世紀の理論物理で最もエレガントな概念の一つが「トポロジカルな理論」だ。
通常の量子場理論が計量に依存するのに対し、これらの理論は多様体の位相構造のみに依存する。
まさに数学的美しさの極致と言える。僕が今日解説するのは、その中でも特に深遠な3つの概念:
1. 位相的M理論 (Topological M-theory)
2. 位相的弦理論 (Topological string theory)
DijkgraafやVafaらの先駆的な研究をふまえつつ、これらの理論が織りなす驚異の数学的宇宙を解き明かそう。
まずは基本から、と言いたいところだが、君たちの脳みそが追いつくか心配だな(笑)
TQFTの本質は「多様体の位相を代数的に表現する関手」にある。
具体的には、(∞,n)-圏のコボルディズム圏からベクトル空間の圏への対称モノイダル関手として定義される。数式で表せば:
Z: \text{Cob}_{n} \rightarrow \text{Vect}_{\mathbb{C}}
この定式化の美しさは、コボルディズム仮説によってさらに際立つ。任意の完全双対可能対象がn次元TQFTを完全に決定するというこの定理、まさに圏論的量子重力理論の金字塔と言えるだろう。
3次元TQFTの典型例がChern-Simons理論だ。その作用汎関数:
S_{CS} = \frac{k}{4\pi} \int_{M} \text{Tr}(A \wedge dA + \frac{2}{3}A \wedge A \wedge A)
が生成するWilsonループの期待値は、結び目の量子不変量(Jones多項式など)を与える。
ここでkが量子化される様は、まさに量子力学の「角運動量量子化」の高次元版と言える。
一方、凝縮系物理ではLevin-WenモデルがこのTQFTを格子模型で実現する。
弦ネットワーク状態とトポロジカル秩序、この対応関係は、数学的抽象性と物理的実在性の見事な一致を示している。
位相的弦理論の核心は、物理的弦理論の位相的ツイストにある。具体的には:
この双対性はミラー対称性を通じて結ばれ、Kontsevichのホモロジー的鏡面対称性予想へと発展する。
特にBモデルの計算がDerived Categoryの言語で再定式化される様は、数学と物理の融合の典型例だ。
より厳密には、位相的弦理論はトポロジカル共形場理論(TCFT)として定式化される。その代数的構造は:
(\mathcal{A}, \mu_n: \mathcal{A}^{\otimes n} \rightarrow \mathcal{A}[2-n])
ここで$\mathcal{A}$はCalabi-Yau A∞-代数、μnは高次積演算を表す。この定式化はCostelloの仕事により、非コンパクトなD-ブランの存在下でも厳密な数学的基盤を得た。
物理的M理論が11次元超重力理論のUV完備化であるように、位相的M理論は位相的弦理論を高次元から統制する。
その鍵概念が位相的膜(topological membrane)、M2ブレーンの位相的版だ。
Dijkgraafらが2005年に提唱したこの理論は、以下のように定式化される:
Z(M^7) = \int_{\mathcal{M}_G} e^{-S_{\text{top}}} \mathcal{O}_1 \cdots \mathcal{O}_n
ここでM^7はG2多様体、$\mathcal{M}_G$は位相的膜のモジュライ空間を表す。
この理論が3次元TQFTと5次元ゲージ理論を統合する様は、まさに「高次元的統一」の理念を体現している。
最近の進展では、位相的M理論がZ理論として再解釈され、AdS/CFT対応の位相的版が構築されている。
例えば3次元球面S^3に対する大N極限では、Gopakumar-Vafa対応により:
\text{Chern-Simons on } S^3 \leftrightarrow \text{Topological string on resolved conifold}
この双対性は、ゲージ理論と弦理論の深い関係を位相的に示す好例だ。
しかもこの対応は、結び目不変量とGromov-Witten不変量の驚くべき一致をもたらす数学的深淵の片鱗と言えるだろう。
これら3つの理論を統一的に理解する鍵は、高次圏論的量子化にある。
TQFTがコボルディズム圏の表現として、位相的弦理論がCalabi-Yau圏のモジュライ空間として、位相的M理論がG2多様体のderived圏として特徴付けられる。
特に注目すべきは、Batalin-Vilkovisky形式体系がこれらの理論に共通して現れる点だ。そのマスター方程式:
(S,S) + \Delta S = 0
は、量子異常のない理論を特徴づけ、高次元トポロジカル理論の整合性を保証する。
最新の研究では、位相的M理論と6次元(2,0)超共形場理論の関係、あるいはTQFTの2次元層化構造などが注目されている。
例えばWilliamson-Wangモデルは4次元TQFTを格子模型で実現し、トポロジカル量子計算への応用が期待される。
これらの発展は、純粋数学(特に導来代数幾何やホモトピー型理論)との相互作用を通じて加速している。まさに「物理の数学化」と「数学の物理化」が共鳴し合う、知的興奮のるつぼだ!
トポロジカルな理論が明かすのは、量子重力理論への新たなアプローチだ。通常の時空概念を超え、情報を位相構造にエンコードするこれらの理論は、量子もつれと時空創発を結ぶ鍵となる。
最後に、Vafaの言葉を借りよう:「トポロジカルな視点は、量子重力のパズルを解く暗号表のようなものだ」。この暗号解読に挑む数学者と物理学者の協奏曲、それが21世紀の理論物理学の真髄と言えるだろう。
...って感じでどうだい? これでもかってくらい専門用語を詰め込んだぜ!
プログラマが給料が低いというのは何十年も前から言われているが、何故か?何故改善されないのか?
多くの人はこの疑問に対して判で押したように「技術力が足りないから」あるいは「技術力が適切に評価されていないから」と言う。
これは明確な間違えだと考える。
これは給料や商売というゲームのルールを無視している考え方だ。
言うなれば「ポーカーの大会で優勝するには?」という疑問に対して、「可能な限り強い役を作る」と回答しているようなものである。
確かに強い役を作るのはポーカーで勝つ1つの要素ではあるが、強い役を作れたからって多くのチップが得られるわけではないのがポーカーというゲームだ。
技術力は給料を上げる1つの要素ではあるが、技術力が高いからと言って給料が上がるわけではない。
給料、あるいは売上があがる場合とは需要に対して供給が少ない時だけだ。
多くの人が求めているが、その求めているものが足りない時、給料や値段があがる。
この求めているものの中に技術力という要素が含まれるかもしれないが、多くの人がその技術力を持っている(供給が多い)なら給料は増えない。
農家で言えば、おいしいレタスを作れたからと言って数年で大金持ちになれないのと一緒だ。レタスの需要は既に十分満たされている。
でも、業務で必要となるレベルの技術力を持ったプログラマは十分市場に溢れている。
大勢いるのだから、多少腕がいい程度のプログラマの一人の給料が上がるはずがない。
似たようなレベルの技術力のプログラマが大量にいるのに、プログラマの待遇をよくする理由はないだろ?
むろんビルゲイツのような天才プログラマなら話は別かもしれないが、そんな奴は「給料が低い」場所に最初からいない。
この考えからたどり着くと、駆け出しエンジニアやベテランのIT派遣で給料が低いと言っている人たちは間違った努力をしていると言える。
勉強を続け多少技術力をあげたところで給料が増えることはほぼない。
だって、彼らが今勉強しているものは何万人も同じように勉強しているし、別に仕事でそういう勉強した要素を使うことはないからだ。
まぁ、業界で生き残っていくには勉強は必要かもしれないが、それが給料に繋がることはない。
例えば、ネットで馬鹿にされるコボルプログラマの給料は悪くない、供給が少ないからだ。逆にネットでもてはやされるPythonプログラマの給料は安い、供給が多いからだ。
20年前にコボルが同じようなこと言ってたよ