はてなキーワード: レディースデーとは
最近、SNS上では「BLは性的消費なのにフェミは男性の性的表現を叩くのはダブスタじゃないか?」というスレッドがトレンド入りしていた。
だがこの議論、よく見るとアーキテクチャの層が違う。つまり、話しているプロトコルが合っていない。
オタク文化圏では、「女性が描くBL」と「男性が描く女性向け性表現」を同一のAPIとして扱う傾向がある。
しかし実際には、両者は別レイヤーで動いているアプリケーションだ。
フェミニズムの文脈で語られる「性的表象の問題」は、主に「社会的リソースの不均衡」や「ジェンダー権力の構造」についての議論であって、単なる「表現内容」の良し悪しを審査しているわけではない。
つまり、BLを「性的に描いてるからフェミ的にアウト」と言うのは、仕様書を読まずにバグ報告を出すようなものなのだ。
歴史的に男性中心に最適化されてきた社会システムに、女性視点のパッチをあてて再コンパイルする運動と言える。
だから、「男性と女性を同じように扱うべき」という一般論をそのまま適用しようとすると、互換性エラーが出る。
たとえば「女性の性的表象は抑制されるべきだが、BLはOK」とされるのは、「権力構造上の対称性が存在しない」という前提で最適化されているからだ。
一方、「普通の女性はフェミと違う」「まともな女はそんな主張しない」という定番フレーズが出てくる。
だがそれは多くの場合、ユーザーの気分を和らげるためのUX的演出にすぎない。
実際、ほとんどの人間は制度的優遇(レディースデー、女性専用車両、離婚時の親権バイアスなど)という「プリインストールされた特権OS」の上で動いている。
たとえ本人が「私はフェミじゃない」と言っても、使っているAPIがすでにフェミ思想ベースで動作しているのだ。
つまり、「私は違う」という自己申告は、ただのUIレイヤー上の装飾にすぎない。
平等を掲げるなら、優遇措置をアンインストールする覚悟が必要になる。
だが現実には、多くの人が「平等という概念を口では支持しつつ、既得権のキャッシュを維持」している。
これはエンジニアリング的に言えば、「レガシーコードをリファクタリングすると言いながら結局コメントアウトで誤魔化している状態」だ。
男女平等を“動作保証付き”で実装しようとするなら、既存の社会制度をルート権限で書き換える必要がある。
だが、ほとんどの人はroot権限を持つどころか、ユーザーレベルの設定すらいじる気がない。
もっと根本的に言えば、日本社会の多くの仕組みは、女性優遇をデフォルト設定としてビルドされている。
その構造はあまりにも自然化されていて、誰もコードレビューをしようとしない。
アンチフェミを自称する男性すら、「女性は守るべき対象」という社会的テンプレートを内面化していることが多く、それが構造の永続化を促している。
結果として、「BLは性的消費」「フェミはダブスタ」という批判は、異なるフレームワーク間の非互換問題にすぎない。
BLは「個人の妄想の自由」をレンダリングするローカルアプリだが、フェミニズムは「社会構造の更新」を目指すサーバーサイドのシステム。
同じメソッド名を呼んでいるように見えても、実行される関数の意味がまったく違う。
つまり、「BL=性的消費」「フェミ=ダブスタ」という批判構造は、コードのバージョンが違うままマージしようとしている状態に近い。
根本的にAPI設計思想が違うのだから、いくら議論を積み重ねても互換性は取れない。
「フェミはダブスタ!」って連呼してるやついるけど、そもそも前提が違うんだよな。
フェミって“女は男を好きにいじっていいし、加害してもセーフ”ってルールで動いてんだから。
平等ルールで裁こうとしても、土俵が違うんだから噛み合うわけがない。
勘違いされがちだけど、フェミは「男女同じに扱おう」って運動じゃない。
「女が歴史的に損してきたから優遇してバランス取ろう」って考え方なのよ。
だから「女が男を性的消費する」のと「男が女を性的消費する」を同列に比べても、「それは違う」って返されて終わるんだわ。
性的消費の話も同じ。
「二次創作での消費はセーフかも。でも実在アイドルや俳優はNG」って線を引く人もいれば、
「女のエロ消費(BL)は許されるのに、男のエロ消費は叩かれるのおかしくね?」ってよく言うけど、
フェミ側は“どっちが現実で被害を生んできたか”って重み付けで考えてる。
こっちが「公平に扱えよ」って殴っても、向こうは「構造補正だから」って盾で返す。
「いや、フェミなのは一部で普通の女は違う」って言い訳も聞くけど、
レディースデーや女性専用車両を疑問なく享受してる時点で、もうフェミ的な構造に乗っかってる。
「私は別!」って言っても、そこまでクリーンじゃないのが現実。
「フェミ嫌い」って言いながら、いざ自分が不利になると「女だから損してる」って持ち出す女、マジで多い。
これはもう文化的に刷り込まれてるから、本人の自覚なしに出ちゃうんだよ。
結局の問題はここなんだよ。
・どの範囲で男女を対称に扱うのか
このルールが曖昧だから、「ダブスタ!」って突っ込んでも効かない。
「BLは性的搾取でフェミはダブスタ!」って批判が刺さらないのは当然。
フェミは平等を求めてるんじゃなくて、“女にとって都合のいい社会”を目指してるだけだから。
オタク文化やサブカル界隈では、腐女子がフェミニスト的な主張をすると、「それってダブスタじゃね?」という反応がよく出る。典型的には「女性を性的に描くのはダメなのに、BLで男を性的に描くのはセーフなのか?」という指摘だ。
この批判がかみ合わないのは、「フェミニズム=男女平等」という誤解が広がっているから。実際のフェミニズムは「不利な立場に置かれてきた女性を優遇することで是正する」という政治的運動であり、対称性を前提としていない。だから「女性が男性をいじる表現はOK、逆はNG」という非対称性も意図的に正当化される。
ここで必ず出るのが「フェミは異常で、普通の女は違う」という反論。しかし現実を見ると、女性優遇を拒否できる女はほとんどいない。女性専用車両、レディースデー、離婚時の親権、痴漢冤罪が成立しやすい環境…。こうした制度や文化を疑問視せず利用している時点で、フェミ的な思考から逃れられていない。
「私、フェミ嫌いなんです」と言う女もいるが、状況が不利になるとすぐにフェミ的態度に戻る。職場で叱られれば「女だから強く言われた」とにおわせ、恋愛では「女なのにこの扱いはひどい」と持ち出す。こうした反応は文化的に刷り込まれた無意識の甘えから来ており、本人が意識していなくても表れる。
もし本当に平等主義を貫くなら、女性優遇制度を拒否するはずだ。だが現実には、平等を口にしながら優遇はしっかり享受する女性ばかり。「私は違う!」と反論すること自体も、自己防衛としてのフェミ的リアクションであり、説得力を欠く。
重要なのは、こうした女性優遇は嫌われるどころかむしろ歓迎されているという点。アンチフェミを自称する男性ですら、結局は女性を保護し「女だから仕方ない」と受け入れてしまう。この構造が、女性優遇を強固に支えている。
結局、「BLは性的消費でありフェミはダブスタ」という批判が響かないのは当然だ。フェミニズムは平等の実現を目的にしておらず、「女性がより有利になる社会」を目指す戦略だから。BLと男性向け表現を対称的に扱う発想そのものが、彼女たちにとって無意味なのだ。
ネット見てるとさ、「フェミが異常なだけで普通の女はまとも」って言う人いるじゃん?
でも、現実ちゃんと見てみると、その考え方はけっこうズレてると思うんだよね。
なんでかっていうと、多くの女は、意識してるかどうかに関係なく、日常で女向けの優遇を受け取って、それを自然なこととして使ってるから。
人って、何か選ぶとき「得するか損するか」で決めるじゃん?
女の場合さ、女性専用車両、レディースデー、離婚時の親権の優遇、デート代を男が払うのが当たり前、重い荷物は男が持つ…こういう「得」がいっぱいあるわけ。
たまにSNSで叩かれるぐらいだけど、それで生活に困るわけじゃない。
そりゃ「使ったほうが得」になるよなって話。
こういう優遇って、女が「使いたい」って気持ちと、男や社会が「まあそれぐらいならあげてもいいか」って思うバランスが取れてると、ずっと残るんだよ。
男に余裕があるうちは、制度も習慣も消えない。
たとえばさ、重い荷物があったら「男が持つのが普通」って空気、あれって何十年も変わらないじゃん?
小さい頃から「女の子は守られるべき」「女の子には優しく」って教えられて育つと、大人になってもそれが当たり前になるんだよね。
だから「男が守る」「男が払う」って感覚が、本人が意識しなくても染みついてる。
これは別に本人が悪いとかじゃなくて、文化として積み重なってるものだから余計に根強い。
中には「私フェミ嫌いなんです〜」って言う女もいる。
でもさ、困ったときには普通に優遇を使うパターン、めちゃくちゃ見るよ。
職場で叱られたときに「女だから強く言われたんじゃ…」みたいに感じたり、恋愛で揉めたときに「女なのにこの扱いはひどくない?」ってなるやつ。
普段はフェミニズム否定してても、いざ自分が不利になると優遇を使うほうが自然なんだよ。
こうやって整理すると、流れはシンプルでさ、優遇は得が大きく損が小さいから使うのが自然。
だから、ほぼ全員の女が何らかの形でフェミ的な行動を取るようになる。
これは性格とか思想の問題じゃなくて、環境がそうさせてるんだよ。
「フェミが異常なだけで普通の女はまとも」って考え方は、正直イメージの話でしかない。
ほとんどの女は、日常の中で優遇を受け取って、それを当たり前にしてる。
制度・文化・習慣の3つがそれを支えてるから、簡単には変わらない。
嫌われるどころか、実際は好かれてる場合も多いし、男のほうからも「守ってあげる」って流れが続いてる。
それが今の現実なんだよな。
よくSNSやまとめサイトなんかで「フェミニストはみんなに嫌われている」ってドヤ顔で語ってる人がいるけど、その時点でツッコミどころ満載だと思わないか?
だってそれ、まず“まともな女が存在する”っていう前提で話してるだろ。
でも現実をちゃんと見てみろよ。そんな「理想のまとも女」なんてこの世にほぼいないんだよ。
結局、女ってだけでいろんな場面で得をするし、優遇される。
しかもその優遇を「当然の権利」みたいに受け入れてるやつが大半なんだよな。
別に全員が「私はフェミニストです!」ってTwitterのプロフィールに書いてるわけじゃない。
だけど、女性優遇の制度や文化を否定できる女なんてほとんど存在しない。
女性専用車両、レディースデー、離婚時の親権優遇、痴漢冤罪がほぼノーリスクで成立する環境…。
これらを疑問視せず、当たり前のように使ってる時点で、もうフェミ的な発想から逃れられてないんだよ。
つまり、「女は女というだけでフェミの一員」ってのは、別に煽りじゃなく、ただの現実だ。
たまに「私、フェミ嫌いなんですよ〜」って言う“アンフェ女”がいるだろ。
男に持ち上げられて人気者っぽくなってるけど、あいつらも所詮は女。
都合が悪くなると一瞬でフェミ化する。
例えば職場でミスして叱られたとき、「女だからキツく言われてるんじゃないですか?」みたいな空気を出す。
恋愛トラブルでも、「女なのにこんな扱いひどくない?」っていう言い回しにすぐ寄っていく。
俺なんて、こういう場面を何回も見てきた。
これって別に本人が悪意を持ってやってるわけじゃなく、文化として染みついてるから余計に厄介。
幼少期から「女の子は守られるべき」とか「女の子には優しくしてあげて」と教えられて育つ。
だから大人になっても、重い荷物は男が持つべき、デート代は男が払うべき、危険な場面では男が守るべき、っていう感覚が当たり前になってる。
こういう無意識の甘えが、表面上はフェミ否定派を装ってても、行動の端々ににじみ出るんだよ。
もし「まともな女」が本当に存在するなら、女性優遇制度を拒否できるはずだ。
女性専用車両には乗らない、レディースデーは使わない、離婚時の不公平な制度にも反対する…。
そういう筋を通す女こそが本物の平等主義者だと思う。
でも現実には、そんなやつほぼ見ない。
「平等でいたい」と口では言っても、いざ優遇のチャンスが来れば喜んで受け取る。
よくあるのが、「フェミは嫌われてるけど普通の女は嫌われてない」っていう分け方。
程度の差こそあれ、女はみんなフェミ的な発想を持っていて、その行動や態度は生活の中で必ず出てくる。
だから「フェミは嫌われてるけど女は嫌われてない」なんてのは、ただのイメージ操作だ。
この話をすると必ず出てくるのが「私は違う!」って反論。
でもそれ自体が自己防衛のためのフェミ的リアクションなんだよな。
だって本当に違うなら、わざわざ「違う」とアピールする必要ないし、行動で証明すればいいだけ。
ところがそういう女に限って、日常の細かい場面でしっかり優遇を受け取ってる。
これを見ちゃうと、「ああやっぱり一員なんだな」としか思えない。
結局のところ、「フェミニストはみんなに嫌われている」という言葉は間違い。
フェミ的行動は女であればほぼ全員が持ってる。
そして女は嫌われるどことか好かれている。
アンチフェミニスト男ですら女が大好きでいつもヨシヨシして保護している。
それが現実。
昔は良かった
昔はアンチフェミのオタクでも痴漢や性犯罪に反対の声をあげていた
今は違う
「レイプなんて膣ゴシゴシされるだけで大したことないwそれより托卵ガー子殺しガー」「性犯罪は軽罰化しろwむしろ合法化しろw」「女がレイプされたら嗤ってやるよw性犯罪者の味方してやるよw目の前で女が襲われてても見捨ててやるw」
東京都公式の呼びかけ「痴漢は重大な犯罪です」がアンフェの手によって焼かれ炎上したこともあった
昔はアンフェオタクといわゆる男性差別反対活動家は結びついていなかった
女性専用車両に乗り込み活動したりレディースデーに片端からクレーム入れたりしてる人たち
今は違う。むしろそういう人たちが中心になりつつある
今は違う
「同じ女だから腐女子だから連帯責任だ同罪だ!もっともっともっともっともっと本気でフェミを黙らせるのに尽力しろ!いやそれだけでは足りない。BLは焼かれて当然だと認めろ!女性専用車両反対運動をしろ!出ないと敵だ!!」
そう叩かれまくって運動から抜け、表現規制反対に声を上げる女性は減り、ますます女はダンマリだ女に復讐してやると怨嗟の声が上がる
昔は良かった
外国人が増えて排外感情が高まるのは当然で、それを否定することはできない。
参政党が伸びたのは「これ(外国人問題)を何とかしろ」という国民からの要請である。
ただ別にこれは参政党に対する絶対的賛成ではなくて、別に問題を解決してくれるなら別の政党でもよいのである。
なので各政党がやるべきなのは排外感情を否定することではなく、より穏当な形で排外感情を緩和する政策を主張することだと思う。
(参政党の極端な主張には賛成できないが、外国人問題を真剣に取り上げてる政党がないから仕方なく投票した…という層も結構いると思っている)
排外感情というのは良くも悪くも感覚的なものなので、逆に対策の方もただ「外国人を減らす」必要はなく、感情的に満足すればいいのである。
特に「外国人が増えて問題が…」の原因としてはオーバーツーリズムの影響も大きいので、移民問題ではなく観光客の緩やかな制限や、日本人優遇を進めればいいと思う。
外国人労働者に行動制限をかけるのは人権侵害一直線だが、観光客にグレートを設定してグレードの低い人は田舎には行けない、などとするのは別に問題ない。
日本の滞在日数が累計でX日以上(かつ問題を起こしていない)ならこの地域に入れる、というように一定の制限をかけてオーバーツーリズムを抑制する。
そうやって地方で「礼儀正しい」外国人が増えるようにする(何度も日本に来ている人は基本的に日本の文化に多少理解がある)ことで、外国人への悪感情を抑制する。
いけない場所があるというと印象が悪いが、「日本通にだけ滞在が許される秘密の場所」みたいなブランディングもできるはず。
(外国人からしたら日本の祝日は別に特別な日ではないので、その周辺を高くすれば日程を調整する可能性が高い)
外国人がいることはメリットもデメリットもあるが、それが片務的で、観光業や経営者がメリットを享受しやすく、他の人がデメリットを享受しやすいのが問題の一つ。
(観光業以外の住民からするとごみが増えたり行きたい場所に行けなかったりするだけ、社員からすると安月給の外国人職員が増えても教育のコストが上がるだけ、良いことが少ない)
外国人の割合が多い地域を共生特区みたいにして、日本人側だけ税や家賃を優遇するなど。
・日本人限定で割引やらを行う
レディースデーみたいな感じで日本人デーを作ればいいんじゃないの。これぞ日本人ファースト。
結局「自分達より外国人が優遇されているように見える」のが問題なので、害が大きくない形で、しかしあからさまに優遇すれば多少感情は落ち着くと思う。
実際には困っている人はだれでも利用できる場所を目指してるはず
トラブルの発端は、対立したベテランの女性スタッフとその賛同者が「レディースデー」を始めたことだった。
当初は月1回だったが、それが週1回になり、やがて実質的に女子や女性向けの日も増えていった。
子ども食堂ってお金だけではなく支援を受けていると聞いているけど、
その寄付を自分達の都合のいいように「レディースデー」で使用している事にもつながる。
寄付している人達はそんなことを知らずに寄付しているだろうし。
元増田にお願いしたいのは、子ども食堂を支援しているNPO団体とか、個人とか、
そう言った人達に本当の事を伝えてもらいたいという事。
俺が「インターネットで観たよ」はあまり好ましい通報とはならないだろうからだ。
貧困やネグレクトで苦しむ子どもたちにせめて食事だけでも、との思いで活動していたが
最後はベテランスタッフとの対立が原因で、主催者が結果的にあちら側につく形となり
トラブルの発端は、対立したベテランの女性スタッフとその賛同者が「レディースデー」を始めたことだった。
当初は月1回だったが、それが週1回になり、やがて実質的に女子や女性向けの日も増えていった。
「女性向けメニューを増やそう」という提案は悪くなかったが、「今日は数が少ないから、たくさん食べる子は遠慮してね」と
男子や父子家庭の親子を追い返したり、その日に来た子が食べられなかったという悲しい報告を聞いたりもした。
そもそも生活苦やネグレクト等で困窮している子どもを助けるのに性別もクソも無いだろうという考えもあり
件のベテランスタッフに、困ってる子に性別なんて関係無いでしょって、何で女子だけを救おうとして
男子を「男だから」って理由で排除するんだって、それはただの差別だろって意見したんだよね。
そしたら、そのスタッフから「(俺さんが)怒ってるのが怖かった、恐怖だった」
「(俺さんが)女性を助けるのを邪魔するミソジニー思想になってしまった」みたいな事を主催者に直訴されて
ベテランスタッフへの謝罪とか反省文まで何故か要求されてしまった。
どうやら、男女平等にしよう、女性「だけ」優先しないで欲しい、という意見は、少なくとも彼女にとっては「ミソジニー、差別」だったんだろう。
弁明はしたが、主催者は表面上納得はしてくれたけど、結局ベテランスタッフと、彼女を慕う数名のスタッフでは運営が回らないのは事実で
俺がこのままいると彼女らが辞めては困る、という事で、謝罪と反省文は免除されたものの、結局俺がスタッフから外れ
運営からも抜ける形で手打となった。(さすがに謝罪・反省文まではしなくていいと言われた)
子ども食堂から手を引いてしばらく経つが、当初は月1だったレディースデーも、今や週2でやってるらしいし
トラブルの原因となった実質レディースデーもあるから、週の半分(下手したらそれ以上)は女子か女性「だけ」しか利用出来ない事になる。
自分が関わっていた所だけでなく、他の所でも、似たような流れはあると聞いている。
別に女性を優先して助けるな、なんて言ってないし思ってもいない。
ただ、何故キャパがあるにも関わらず、そのキャパを男女平等にせず、「女性にだけ」提供しようとするのか。
それについて異論を言うと、何故「女性から助けを奪う」という事にされるのか。
平等に分けよう、性別だけで最低限度の福祉から除外するな、というだけなのに。
子ども食堂からすら男子が男というだけで排除されるのは、何より子どもが可哀想で、一番の被害者だ。
子ども食堂を利用する子どもたちは、ネグレクト状態だったり、単純に貧困だったり、片親で親が忙しくて
お世話に手が回って無かったりと、様々な事情で食べ盛りの時期なのに満足に食べられていない子が多い。
そういった子を救う為に、子ども食堂という最低限度の福祉はある筈なのに
今はその最低限度の福祉ですら、性別が男性というだけで排除されるのは、いくらなんでも理不尽だろう。
対立したベテランスタッフの女性も、あまり良い家庭環境の育ちでは無かったらしく、若い頃から苦労しており
自分みたいな困っている子ども達を救う為に、こういった活動(子ども食堂)をしていると聞いていた。
少なくとも、女子や女性に対する福祉・救済の気持ちは本物だったと思う。
性別というだけで反転して、助ける事すら邪魔をする様になってしまうのか。本当に理解し難い。
今は自分達が中心となって福祉活動を立ち上げようとしているが、中々上手くいっていない。
(対象が女性向けか女性限定なら)通るんですけどね~、という様な事は何度も聞いた。
こっちがいくら説明しても「何故女性を(最優先で)助けようとしない?女性差別か?」なんて酷い事を言われた事すらある。
子ども家庭庁の体たらくを見るに、国策レベルで福祉のリソースが女性にだけ向けられる流れがあるのを感じる。
一方で、足りないリソースは男性の方から「優先して」削られていく。
リベラルとか人権とか普段から謳っている人達ほど、この問題には露骨に無関心か、ともすれば男性への福祉を腐して邪魔してくる始末。
「女性救済」「女性差別反対」の名の下に、「男性救済排除」「男性差別」が蔓延している。
この国のそんな異常な現状が、正直苦しくて仕方ない。
子ども食堂なんてものは、困窮する子どもたちを救う最後の砦、最低限度の福祉でであるはずだった。
男の子たちも、女の子たちと同じく、ただご飯を食べたいだけなのに。
なぜそれすら「女性救済」あるいは「女性差別反対」の一声で奪われるのか。
そんな国で、社会で生まれ育った子どもたちが、どうなってしまうのか。
どんな考えを持ってしまうのか。