はてなキーワード: 安田講堂とは
これは日本の左翼政党が基本非常に少数の左翼票(境界知能票)を奪い合う事で存続している政党だからである
左翼政党同士はなんとなくイデオロギーを同じくする同士、敵は保守政党や自民党と思いがちだがこれは誤解である。
無論表面上は彼らの極ニッチな支持層に向けてアピールする為自民党を攻撃する、そうすれば5%と言われる彼らの支持層から喝采を受けて当選することが出来る。
要は5%の奪い合いなので、本質的にライバルは同じ左翼議員左翼政党である。
選挙というのは保守や自民党を攻撃するオリンピックのような競争を行い、金メダルに票が集まって当選するという競技。
多くの左翼議員に常軌を逸したような行動や言動が見られるのはこのため。とにかく目立たないと当選出来ない。日本人の95%に嫌われても、残りの5%にアピール出来たら勝ちなのである
で、日本共産党だが、彼らの票田は所謂野良左翼。連合赤軍や安田講堂をテレビで同情的に見ていた老人である。彼らは脳の柔軟製が無いのでいまだに政府=悪、反政府=善だと思っている。基本歴史をS知らない
一方日本社会党、彼らの票田は所謂組織左翼。発祥は旧コミンテルンと北朝鮮。ソ連崩壊後は中国共産党に合流したり、権力からの独立が法で補償されている教育現場や労働組合に潜り込んでいる。勿論政治家や公務員にも多い。日本社会党は後に民主党に潜り込んでロンダリングを繰り返し現在は立憲民主党と名乗っている。いくら名前を変えても支持母体は変わらないのですぐに分かる。
支持層は同じ左翼であるが、日本共産党にとって中国は左翼票田を組織力で社会党側に囲い込む敵なので仲が悪い。単純な話
因みに、共産党の票田が烏合の衆の野良左翼なのに対して、社会党は組合などの組織なので
社会党=支持母体のいいなり、走狗(日教組や自治労、JR東などの巨大労組)
という違いがある。
共産党の方が組織力としては強固だが支持層が老齢化してどんどん死んで弱体化する
社会党(立憲民主党)は支持母体の票欲しさにすり寄ってきたハイエナのような烏合の衆で構成される為組織力がとても弱く何度も分裂するが、支持母体は鉄板なので現在に至るまでそれなりの勢力を保っている
ただ議員は基本支持母体の歓心を買うための活動しかしない素人なのでたいした政治力はないし、間違って政権取ったりすると酷い事になる
大いに盛り上がり安田講堂前に集った人々からはインターナショナルの合唱も起こった。
インターナショナルを歌ったことについて危惧されても、「共産党(共産主義)は関係ない」「労働歌を歌うことは自然」などなど、活動家から激烈な反発があった。
活動も6月に比べてほとんど盛り上がらず。活動家に勧誘できる人は勧誘しきった状態だったから、活動には本腰は入らんのはわかる。
これじゃ6月の活動は単にインターナショナル歌いたかった連中が集っただけじゃねーか。
本気で値上げ阻止したいなら政治に突っ込むべきだし、その知恵も人脈も十分にある連中が何やってんの。
そう言えば6月の時、東大自治会が組織上共産党から切れていることをもって、「東大自治会は日本共産党から完全に独立してて影響下にない」って意見も多く見たな。
ナイーブなことで。
東大の学費値上げ反対座り込みの会場で、数日前から参加者が、結構お値段しそうなテントとタープとチェア出してきて座ってる。
言ってる主張やその意義はわかるものの、外目からどう見えるかは気にした方がいい。安田講堂に夜間忍び込もうとして警備員と乱闘したみたいだし、学生のお遊び気分が抜けてない。
俺は現役の東大生なんだが、今回の抗議運動は活動家のマネをしたい学生たちの反体制ごっこだと思ってる
いまはリレー形式のハンガーストライキもやってるらしいけど(意味あるのか?)単なるパフォーマンスだし、俺は今回の学生運動を正直冷めた目で見てる
そもそも親に学費と生活費払ってもらってる東大のボンボン学生(俺の知る限り自分で学費を払っている人はほとんどいない)が、年10万程度の学費値上げに対してここまで反対すること自体意味不明なんだよ
もちろん大学側の強硬姿勢は問題だとは思うが、それに対抗する手段が安田講堂前テントで陣取って夜にバカ騒ぎすることなのかよ
こっちは夜も研究してんだよ、騒音くらい周りに配慮しろよ、そもそもお前たちが真にやるべきことは学問じゃないのかよ
国立大の運営費の割合は学生の払ってる授業料より税金から支払われる運営費交付金のほうが多いことも忘れるなよ
まずは税金によって自分たちが安い学費で学べてることに感謝しろよ、そして自分たち中心じゃなくてもっと広い視野で考えろよ、東大生なんだから
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
諸外国では結構やってるのに、氷河期世代はそういうのをバカにちゃんとやらなかったから高齢者になったら切り捨てられるよ、ああいうのちゃんとやらなかった氷河世代の“自己責任”だよね…みたいな意見があって、はてなーの琴線に触れてるようだが。
“アンポ・ハンターイ”っていっても、もし日米安保がなかったらその後の日本の平和も安定も経済発展もなかっただろうし、そのへんの運動が先鋭化いった先が“あさま山荘”だったことはみんな知ってるとおりだし。
まあ、東大紛争で“無給のインターン”が改善されたのは良かったんだろうが、その後の安田講堂とか今となっては意味わかんねえし。
国鉄のデモなんて利用者の怨嗟を買って上尾で乗客の暴動がおこったりしてる。
最終的に中曽根は国鉄を解体したわけだけど、JRになってしばらくは“やっぱり民営化してよかった。サービスも良くなったし”って評価が圧倒的だったと思う。
最近になって、JR北海道の惨状とかがクローズアップされてきて、“分割民営化は間違いだった論”が出てきてるけどさ。
氷河期世代が育った自体は、そのへんのデモやらストやらがすっかり下火になって(下火になったお陰で)、バブルに向かって邁進し、やがて日本経済が世界の頂点を極めたんじゃないか?という幻想に酔った時代だったと思う。
それは文字通り、バブル=あぶく銭に乗っかった幻想だったわけだけど。
その後、失われた○十年(まだ現在進行系なので、最終的に○にどんな数字が入るのかは見当がつかない)に入ったのは皆さんご存知の通り。
でも、氷河期世代の育った時代の背景をみると、失われた時代を取り戻すための手段として、デモやストに希望を託す、という芳香にもなりにくいと思う。
そして、そんな時代を生き抜いた勝ち組であり、いまネット論壇でやたら注目を集めて若い世代に支持されてるのが、デモやストを冷笑する男、“ひろゆき”であったりするのである。
もちろん戦後の天皇制の維持に関する点で出てきたように覚えている。
子どもながらに、天皇がいようといまいと、日本の土地があり、そこに日本人が住んでいて、生活をするのであれば、天皇制が続こうが続くまいが、そんなに市井の人には関係ないのではと思った気がする。
なんとも腑に落ちない国体について、京大の友人に尋ねてみた。彼女は言った。
「もし明日から強制的に東大の全職員と学生が京大に異動となり、京大の全職員と学生が東大に異動したらどうなると思う?」
「うーん、研究するのも教育するのも結局は人だから、京大は東大っぽくなるし、東大は京大っぽくなるんじゃない?」
「うーん、人が中心って言ったけど、安田講堂や赤門だったり、キャンパス周辺のお店やこれまでの歴史もいろいろ含んで東大って感じだから、京大にある東大が東大かと言われれば微妙な気がするなぁ」
「そうだね、東大にある京大っぽいものも京大とは言い切れないよね」
「今回の場合はキャンパスや建物、周辺の雰囲気が東大や京大っぽさを意味づけするものとして機能してるわけ。だから、京都にある東大はこれまでの東大とはほぼ同じなんだけど、連続的に繋がっているものか?と言われるとなかなか悩ましいね。それの国バージョンが国体。」
「あーなんかわかってきた」
「当時、大日本帝国と戦後の日本を連続的なものだとみんなが捉えられるものが必要だったわけで、そのマクガフィンが天皇制だったって考えると理解しやすい」
「なるほどなー、日本はこれまで長い間、天皇の輔弼機関が実質的な国家運営者という歴史があるし、そうすることで政府の正統性が保たれるってわけね」
「その通り。まぁ、専門家から言わせるとこんな雑な話じゃないだろうけど、異なるものを連続的に繋がっていると錯覚させるための何か、みたいな理解でいいんじゃない?京大生がわざとアホなことやるのもアホなことをやる京大生という歴史を引き継いだ我らこそ正統な京大生ですよってイキってるわけ」
「あ~東大生がやたら東大ブランドを使って本を出版したがるようなもんね。」
「そうそう、我こそは東大生なり~ってやってるわけよ。当時の日本は我こそは日本なり~ってやるための天皇制維持だったってこと。」
で、ふと思ったんだけど、お笑い第7世代とかそういうのも同じなんだな、と気づいた。
もちろん霜降り明星のせいやが冗談で言ったのが広まったというのもあるけど、
そこには我こそはお笑いメインストリームの後継者なり~っていう宣言だったわけ。
もちろんお笑いの場合は天皇制のような聖杯はないので、有吉のようなどう位置づけたらいいのかわからない人もたくさんいるし、
言ったモン勝ちなところがあって、結果として機能している。
会社でもそういうところあるな。