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はてなキーワード: 川面とは

2025-10-26

結局、女子高生になりたかったのかも!

さっきケンタッキー・フライド・チキン店舗前を横切ったらさ、よく見えねーけど、なんか女子高生っぽい白い制服集団が、楽しそうにしてたわけですよ

それをみて思ったのがさ、俺は結局、女子高生になりたかったというか、女子高生である瞬間が欲しかったんじゃねえかってこと

厳密に言うと女子高生ならなんでもいいってわけじゃなくてさ

・40人のクラスで8〜10番目(20人くらいの女子の中で、という意味)くらいにかわいい

・パッと見でなんの部活に入ってるかわからない(運動部の快活さも、吹奏楽部美術部の陰湿さもない)

・それなりに朗らかだけど、なんとなく笑顔に陰があるような感じがする

カバンに古い映画(バックトゥザフューチャー等)のキーホルダーひとつだけ付けている

電車の中でスマホを見ないようにしているが、それは謎の見栄によるもので、家ではメチャクチャスマホを見ている

SNSはよく見るが、発信は全然しない

写真に映るのをなんとなく嫌がる

・それなりの偏差値高校(60〜65くらい)に通っている

運動神経が悪い

 ・体育祭リレーをすごく嫌がっている

勉強はある程度真面目にやっていて、成績はいい方

・陰口を言わない(人のことをあまり悪く思わないので、言えない)

・虹を見たら写真を撮るが、誰かに見せるわけではない

・授業に出てきた本(現代文小説や、世界史で紹介される名著)を買って読んでいる(が、中身はそこまで分かってないらしい)

・仲のいい2人くらいの女子だけは(名前)ちゃんと呼び、あとの人は全員(苗字)さんと呼ぶ

・どうでもいい雑学に強い

・星とかに詳しい

熱帯雨林動物昆虫などに詳しい

アニメより漫画

・川が好き

 ・帰宅中、川面を見るために寄ることがある

テレビをあまり見ない

 ・歯医者とかの待合室でテレビがついてると、結構じっと見る

・授業中はメガネ

 ・目は普通に悪いが、歩く分にはいける

・いい景色があるとメガネをかける

・猫がいると「お、ネコだ」と言うが、近寄らない

・静かだけど喋ると面白い人、的な扱い

・駅のホームで、人がいない端っこのほうに行きがち

・登校時間が遅い

スターバックスではほうじ茶ラテとか飲んでる

学校掃除とかを真面目にやってる

 ・友達といるときは箒でエアギターやってる姿などもまれに見られる

・服は適当で、全身ユニクロだったりする

 ・無地の服を着がち

・授業中、全然寝ない

・髪は後ろで括っていることが多い

スマホケースに何の装飾もない

LINEユーザー名は漢字本名

 ・アイコン風景写真など

体育祭フォークダンスでは、わりとちゃんと手を繋いでくれる

 ・踊り自体は下手

 

このような特徴をもつ女子高生になりてえわけ

そんでさ、ケンタッキー・フライド・チキンで楽しそうにしている3人組の中の、いちばん大人しそうな子が俺でさ、でも、会話の中でちょいちょい面白いことを言って、「もー増田ちゃん!!」とか言われてるってこと

3人が解散したあと、笑顔で2人を見送って、スッとクールな表情になって歩き出すんだけど、足元で小石を蹴ったりしているということ

イヤホンを取り出して聴き始めた曲は、British Grenadiersみてえな、クラシックなのかなんなのかわかんない、聴けばわかるけど聴こうと思って聴いたことはないような曲であるということ

駅のホームで偶然彼女を見かけて、会釈をしたら、向こうも眉を上げてはにかみながら会釈を返してくれて、しかもなんか片手まで挙げてくれる、ということ

そういう感じのね

そういう感じの女子高生になりたかった

2025-09-08

anond:20250908120753

道頓堀飛び込みたいと思わないなんて、どこかおかし

道頓堀のあのネオンの光を見て、何も感じないとしたら、その人は大阪理解していない。正確に言えば、人間本来持つ興奮と恐怖の絶妙バランスを知らない。

道頓堀はただの観光スポットではない。あの川面流れる汚れた水面に、歓喜と後悔、挑戦と諦念が渦巻いている。グリコ看板を背景に浮かび上がる自分想像してみろ。あそこで身を投じたら、どんな視界が広がるか。どんな感情が沸き上がるか。

競馬の大逆転を信じるように、阪神タイガース奇跡を待つように、人は大きな賭けに胸を躍らせる。飛び込むかと尋ねられれば、たいていは「危ない」「やめとけ」と頭では答える。しかし、心は別だ。心は「やってみたい」「自分ならできるかもしれない」と囁く。

実際に飛び込めば痛みと冷たさが一瞬で全身を包むだろう。救助のサイレンが近づき、警察に取り押さえられ、ニュース映像の一部になる。その結果がどうであれ、その瞬間の高揚感はどんな言葉にも代えがたい。だからこそ「飛び込みたい」という衝動を抱くのだ。

飛び込まないのは理性の勝利であり、社会的常識への服従でもある。だが、理性と常識だけで人生を生きるなら、時計の針に身を任せるだけの退屈な毎日だろう。進むべきか、止まるべきか。その狭間で揺れる気持ちこそが、生きる証しなのだ。

道頓堀を通り過ぎるとき、次の瞬間に何が起こるかは誰にも分からない。それでも立ち止まり川面を見つめる者たちには、どこか共通する問いがある。「踏み出す勇気を、自分は持っているのか」。それを問いたい人だけが道頓堀に本当の意味を見いだせる。

道頓堀飛び込みたいと思わないなどというのは、人生の危うさを忘れたものの考えだ。夜の川に身を投じることを想像すること自体が、人間が持つ冒険精神自己境界を確かめ儀式なのだ

もし次に道頓堀を訪れたら、橋の縁に立ち止まり、背後の喧騒を聞きながら、ほんの一瞬だけ目をつむってみろ。「飛べるかもしれない」と心が囁くのを感じるだろう。理性がそれを止めるなら、また歩き出せばいい。だが、その囁きをまったく感じないなら、自分の魂がどこかで凍えている証拠だ。

道頓堀飛び込みたいという衝動は、理性を超えた生きる証しであり、誰もが抱えるはずの本能的な問いなのだ

2025-09-01

うねり

ああ、その話かい

爺さんの爺さん、そのまた爺さんの話らしいがな。

このあたりの川、昔は今みたいにおとなしく流れちゃいなかった。

春になると氷が割れて、川底からうねり魚」って化け物が上がってきたんだ。

姿は見えねえけど、川面がぐらっと揺れるからすぐ分かる。

でな、その魚が畑の大根を好んで食うもんだから、村じゃ毎年、大根を川っぷちに並べて供えてたんだと。

供えた大根の本数が足りねえと、夜のうちに家の柱が一本、まるごと無くなっちまうって話だ。

でもある年、欲張りな百姓がいてな、供えもんの大根をわざと少なくして、自分で食おうとした。

そしたら夜中、柱どころか家ごと川ん中に引きずり込まれたらしい。

翌朝、川岸にその百姓草履と、かじられた大根が一本だけ残ってたそうな。

からこの村じゃ、今でも大根を川向こうに置く日は、絶対に数をケチっちゃならねえ、って言い伝えがあるんだ。

ま、最近の若ぇのは信じちゃいねえけどな。

去年も隣の集落のやつがふざけて大根を半分だけ置いたら、翌日そいつん家の物干し竿が丸ごと消えたんだと。

ほら、やっぱり今でもいるんだよ、うねり魚は。

追記

もちろんAIで書いた文です。

それより、これを投稿してからすぐブクマされたんよ

非公開で

最近さ、投稿してからすぐブクマする奴がいてさ

まあそれはいいんだけど、しばらくしたらブクマ消されるんよ

なんかそれって悲しくない?

ブクマ消すのは自由だけどさ、なんか悲しいんよ

あと、ブクマ消されてからあとからブクマしてもさ

はてブの新着に出てこないんよ

一度ブクマされたらもうそ増田は鮮度を失ってるみたいになるんだよ

それもなんだか悲しいね

2025-08-29

親の愛は一方通行

子どもを育て始めて7年くらいになる。

ミルクあげるのもオムツ換えるのもあんまり何も思わずにやっていて、そうした手間がなくなる度に楽になったなぁくらいのことしかわずにここまでやってきた。

この夏休みの間は給食がないので、弁当を作って持たせて学童に送り出していた。

風呂はまだ一緒に入っていて、今日も髪の毛を洗ってやった。

で、ふと気づいたわけだ。たぶんこれが愛なのだと。

朝、眠たい体を動かして弁当を作ってやったり、身の回りのことに世話を焼いてやったり。今よりもっとさな頃のミルクやらオムツ交換やらもたぶん愛のひとつの形だったのだ。

でも、この愛のかたちは子どもにはカケラも伝わっていない。自分子どもの頃、働いたりご飯つくってくれたりしている両親に愛情を感じていたのかと考えると、私の場合は明確に否である。当たり前すぎて何とも思っていなかった。それなのに私の子どもはそれらに愛情を感じてくれていると都合よく考えることはとても出来ない。

それは別にいい。私がこれが愛だったのかと気づいて行っていることな子どもに何とも思われてなくてもいい。

ただ、子どもの愛されているという自覚が足りないのはよくない。

私の両親は子どもの世話はしっかりするが手も出る人だったので、私は割と底の抜けたバケツの様に何があっても希死念慮と向かい合いながら生きてきてそれは今もまだ顔を出すことがあり、原因は自分が愛されていると思えていなかったことだと自己分析している。

から自分愛情子どもに伝わってないのはどうでもいいけどどうでもよくない。

感情バケツをぶち壊すようなことをしなければ、日々の世話で充分なのだろうか?

それとも日々の世話なんてかたちをした愛情はやっぱり伝わらなくて、プラスアルファの何かが他にも必要なのだろうか?

分からん。育てられたこと以上のことが何も分からん

けれども子どもには高い橋から川面をじっと見下ろすなんてことはして欲しくないので、何がなんでもプラスアルファになりそうなことを積み重ねなくてはならん。

それが人形劇みたいな真似事でもやらねばならない。

私はもう私に生まれてきて欲しくないのだ。

2025-06-19

anond:20250619052410

ひびめしいいよね。もっと欲を出すなら、せっかく川面監督PA作品に参戦したんだから次は弟さんキャラデで兄弟共演が見たい。

2024-06-09

花火は地面から撮れ

NHK BS4K の深夜のフィラー映像で去年の長岡花火大会のもようをやっていた。

番組内では、花火撮影空撮が多用されていた。

この「花火空撮映像」がちっとも面白くない。それなのに長々と空撮カットを使う。早く地上カメラに戻せと思う。

 

面白くないのは当然だろう。

花火は、見物客が地面から見上げた時にもっと効果的に美しく見えるように花火師たちは様々な工夫を重ねている。

というか、ヘリやらドローンやらで上から見ることな最初から想定すらしているまい。

夜空をバックに花開く花火いちばんれいに決まっている。

川面や街の灯りを背景に開く花火のどこがいいのか。

 

花火は爆発物なので人を乗せたヘリ安全上近寄れなかった。だが近年ドローン撮影技術が向上して、空から花火が撮れるようになった。

「新しい、今までに見たことのない映像が撮れるぞ。」

そこでスタッフ思考が停止してしまったんだろう。

から見た映像は確かに目新しいかもしれない。だが面白くはないのだ。

現に、舞台芸術の収録で舞台袖や舞台の真上にカメラを置いたりはしないだろう。

絵としては斬新かもしれないが、そっち側から見ても芸術としてちっとも面白くないからだ。

それが効果なのは、それこそ舞台裏を見せるドキュメンタリーくらいのものである

 

今年の花火大会でもおそらく空撮映像は多用されると思う。

花火番組スタッフはおそらくまだ空撮映像の目新しさに酔っている最中だろう。

映像の物珍しさではなく花火の美しさを最大限伝えること、という花火中継の本質制作者が気づくまで、空撮は続くと思う。

2024-05-07

ブコメ読んでて心情が入ってない短歌を探してたら楽しすぎた件

https://anond.hatelabo.jp/20240506061423

ブコメを読みながら「心情が〜」「我を表現するものが〜」みたいなコメントが気になって

「そんなに心情入れたがるものか?」と思って

心情が無い(?)短歌を探していた






四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら

/俵万智




まず心情で思い浮かんだ一首がこれだった

歌集「風のてのひら」の中に収めらたタイトルにもなっている歌。確かにブコメにあった通り、我を表現してはいるが、心情はどこにあるのだろう

この歌に「私はこう思いました」とか「こうだなぁ」とかは一切無いわけで作者にとって四万十を見た光景を切り取ったそれだけの歌である

だがらずっと私はこの歌には心情は無い!

と信じていたのだが俵万智本人は後書きでこう

語る

川面をなでてゆく風の手のひらは、目には見えないものですが、心には見えるものです。そして心に見えたものが、その時はじめて、歌になってゆくのではないでしょうか」

なんてこった「川面をなでる風の手のひら」自体が心情そのものだったのである

これでまずは一敗




バスタブに座って九九を覚えてる遠くにデルタブルースきこえる

/永井

日本の中でたのしく暮らすより

これは流石に心情は無いでしょう。多分

だけれども現代短歌、というかライトヴァースを

知らない人からしたら「こんなの短歌じゃない!」となるかもしれないかレギュレーション違反






ペーパーフィルター世界の始まりを目守る神々の春のゆうぐれ

/穂村弘

もはや「??」としかならない一首

シンジゲートより抜粋したが、穂村弘ワールドに置いては日常的によくあること。

私はあんまり頭が良くないので心情がどこにあるかとかこの歌は分からないけれど、頭がいい人なら分かるのかな



風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしシーツをかける

/笹井宏之

もう心情とか探してる内にどうでも良くなって

ただ好きだなと思った一首。

この人の歌は本当に変わった歌が多くて

例えば

「みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドドラム

この歌には「みんな」がいて「私」がいない

穂村弘

だが、《私》のエネルギーで照らし出せる世界がある一方で、逆に隠されてしま世界があるのではないか。笹井作品の優しさと透明感に触れて、そんなことをふと思う。とある

そうなって来るとますます短歌俳句ってどう

違うの?となってくるわけで



そんな時、歌人井辻朱美」がパン屋パンセにてこんな事を語っていたのを思い出した

休日のしずかな浮き雲のピザがいちまい配達される

詩歌とはこんなふうにひとつの窓、フレームを作るところから始まる。雑多な混沌を片寄せて、まず何もない空間をこしらえる。きれいになった場所にモノを置く。そうして初めて、そのモノはちゃんとモノとして見え、意味クリアに発信する。」と

まり私がひとつ俳句短歌の違いとして言いたいのはフレームの大きさの違いであ

俳句17音のフレームにどこか季節があって

短歌31音のフレーム自分が反射してる事もあるし季節が見える事もある。そのフレームの中をどうにか素敵にしたいと奮闘する

それが俳句 短歌なのではと

必死フレームに収めようとすればするほど、フレームは歪んでしまうし、収めなければフレームある意味が無くなる。だからむずかしい

でも楽しいのだ、よく分かってないけれど



最後ちょっとだけ不思議な歌を上げておく

死刑囚はこぼれてゆくトラックタイヤにつきてゐ花粉見ゆ

/寺山修司





おわり

2024-02-26

anond:20240226021624

横やけどワイの住んでるとこは結構ラクに冬山登山できるかも

でもいまヒグマが目覚めるか目覚めないかというところでいくらしにたくてもクマに食われて死ぬのは嫌かなって…

まあ街中で眠りこけるほうが簡単だよね

あとこの時期街の中を流れてる河畔の公園が雪捨て場になって川面が見えないから夜川に飛び込んだら見つからずに死ねそう

今日ちょうどそういうこと考えて歩いてた

2023-12-03

ユニコーン解体

友達ユニコーン解体業をしているらしい。仕事の内容は運ばれてきたユニコーン遺体を臓器と血に分けるだけ。ユニコーンは真っ黒な布で覆われており、本当の姿は誰も知らないそうだ。血の色を聞いてみたら苦笑いをして「お前が想像する夜の色だよ」と言った

以下は友人の話を元に作った歌である

朝に出た月と今日一日がんばらない

約束をしてしまうのだ

布越しにそっと触れれば

買いたての冷蔵庫開く様な冷たさ


根元からツノ折られており

これはたぶん「やさしいこ」だろう


これはサナ これはパドル これはタイミナ

夢の中の臓器にきちんと名あり


弁当生姜焼きの肉さえも

君たちと思い噛めば ゆるやかに甘し

コーラではないからね」と瓶手に

けらけらと笑う 歳上のじじい

|黯《くら》き血に星々は瞬かぬ事実

この胸をいぢめてやがる

薄い壁隔て一日中坊主

ユニコーン意味もない説法をす

「たくさん殺すぞ」と記せし手帳

川面に叩きつけた帰路 満月

虹のにおい こびりつく日給で

鮮やかな金平糖 一つかみ買う

夢がない大人と思わんでくれ

夢を崩しているだけだから

なぜ生きる夢がある夢が死ぬ

ユニコーン死ぬこの世いっぱいのなぜ

空にただ祈らむ友の

頼りなき背に 透明なつばさ下さい

2023-07-25

メチャクチャ小さい蟹 3

1.

 近所の小川にでも行こう、とお前は思い立つ。

 ハッキリ言って、近所の小川に行っていられるような気候ではない。なにかが壊れているのかと思うほどに気温は高く、家の外に出るなりお前はほとんど気を失いそうになる。

 眩しく輝く陽光を浴びて世の物すべてが陽炎を放つ中、お前は歩き、小川にたどり着く。水色の塗装が剥げかかった小さなハシゴを降りて、お前は川辺に降りる。近くにある橋の下まで歩くと、日が当たらないぶんわずかに涼しい

 苔の生えたコンクリートを背に、お前は座り込む。座り込んで、目の前を横切る何かに気がつく。

 それはメチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹が、お前を見てハサミを振り上げる。

 

2.

 牧場に行こう、とお前は思う。お前は牧場になど興味がなく、また牧場は非常に遠い。ほとんどメリットのない、まったくナンセンスといってもいいような決断だが、人生には時折そのようなタイミングがある。

 自動車運転して、お前は牧場に向かう。牧場は人里を離れた山のなかにあるが、とはいえ観光牧場から、道中に不安を感じるような道はない。

 10月の空は澄んでいて、遠くには雲がたなびいている。遠くに馬糞の香りを嗅いで、お前は牧場に来たことを実感する。「ようこそ」と書かれた、大きく古びた看板が立っている。

 お前は牧場に興味がないから、何をしていいかほとんどわからない。迷子のようにふらついて、食堂のような建物に行き着く。まだ昼前だから人影はまばらで、ただソフトクリーム売店の前にだけ人だかりがある。

 人だかりに加わるかどうか考えながら、お前は食堂の古ぼけた椅子に尻を据える。安っぽいプラスチックの机の上に目を走らせると、そこには何か小さい生き物がいる。

 それはメチャクチャ小さい蟹だ。どこからか、羊の鳴き声が聞こえてくる。メチャクチャ小さい蟹が、ハサミを振り上げる。

 

3.

 お前は花火大会を見に行って、さしたる感動も得られずにひとり家路をたどっている。夏の夜風は生ぬるく、虫の声がうるさい。

 川面に揺れる街灯の光に誘われて、お前は渡る必要のない橋を半ばまで渡る。半ばまで渡って、欄干に腕を乗せる。欄干に腕を乗せて、ただ川を見る。見応えのあるものでもない。時折、祭り帰りとおぼしい浴衣姿の人影がお前の後ろを通り過ぎる。

 ふと、欄干の上に何かがいることにお前は気付く。大型トラックが背後を通り過ぎ、橋は大きく揺れる。橋に合わせて揺れているのは、メチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹が、お前に向けてハサミを振り上げる。

2022-08-04

教育熱心な父親と、その義務と寵愛を一身に受ける子ども

昨日、子どもたちを連れて家族で川遊びへ出かけた

向かった先は人口が多いエリアから自動車で約40分ほど掛かる、山里の中にある知る人ぞ知る川遊びスポット

夏休みの週末ともなれば都会のプール並みの芋洗状態覚悟しなければならない、そんな川へ遊びに出かけた

朝8時に川にほど近い駐車エリアに到着したが、平日ということもありどうやら一番乗りだったようで、これは気が楽だねとテントバーベキューコンロの準備を始めた

その間に子どもたちは軽めの朝食を摂り、水着姿になると誰がどの水鉄砲を使うかを話し合い出した

もろもろの準備を整え終え、家族揃って川へ向かう通路をたどりいざ川の中へ

「冷たいねー!」「その水鉄砲、次は僕が使う!」と子どもたちも楽しそうだし、私も妻も心地よい川の水温と蝉の声、時折吹く風に癒されていた

それから1時間半ほど経過した頃、ここ最近で一番の猛暑になるという予報通り、1台また1台と駐車場自動車が増え始めた

太陽が頂点からやや西側に傾くころには、週末ほどではないにしろ、多くの家族連れでそこそこの賑わいを見せていた

私の家族バーベキューを堪能し、帰り支度を始める前にもう少し遊ぼうと川に向かった

川へ向かう通路を進むと、そこには3脚並べられた椅子に座る家族がいて、川に続く通路が通り抜けづらくなっていた

椅子が並べられた場所は川へ入る河原へ続くルートということもあり、どれほど混雑していても誰もそこには居座らない場所なのだが、その家族はほかの人たちが避けて通ることもお構いなしで座り続けていた

不文律や周囲の雰囲気に気づかない、もしくは気づいても違法ではないとばかりに受け流すタイプなのだろう

白い目で見られようが横を通り際に「邪魔だなぁ」と呟かれようが一切気にしない様子で、その肝の太さだけは見習いたいとも思った

その後、浮き輪で浮かんだりフィンをつけて泳いだり、岩から川に飛び込んだりと遊んでいると、例の家族河原へと下りてきた

父親サングラスを掛けふわっとしたパーマを掛けたオシャレ風な雰囲気で、母親は川に入る気が全くないワンピース女優サイズのつばが大きな帽子サングラス日傘

二人に見守られるように立つ子どもライフジャケットシュノーケルセットというフル装備の出立ちで、とにかく田舎の川には似つかわしくない格好の家族だった

まずはその子どもが川に入るが、予想以上に冷たかったのだろう、すぐに出ようとすると「大丈夫から!」と父親が大きな声で言う

その声にまた川に入ろうとするものの、少し躊躇ったところで「冷たさなんてすぐに慣れる!」と腕組みをした父親の大きな声がさらに飛んでくる

意を決したように子どもは川に勢いをつけて飛び込んだ

そんなやりとりをなんとなく眺めていて、(父親が一緒に入ってやればいいのに)と思いながらもその親子の近くはなにか嫌だなぁと、少し離れたところへ移動した

そのあとも定期的に父親無駄に大きい声が響き、それに応えようと子どもが動く

まるで父親の声に反応して動くラジコンのようで、目に入るたびに楽しい気分が少しずつ冷めていくようだった

フル装備の子どもがようやく川に顔をつけられるようになると、それまで偉そうに仁王立ちしていた父親母親が持っていたカバンから筒を取り出し、子どもの近くに向かっていった

足が濡れないように最新の注意を払いながら大きな岩の上に立つと、持っていた筒を川に向かって振り出した

「いたか?見えたか?」とまた無駄に大きい声が響き、子どもは川から顔を出すと「わかんない」と答える

そのやりとりが数度続いた時に、その親子の周りから人がスーッと離れていった

そろそろ帰る準備をしようと、その親子の近くを通った時、父親が振っていた筒が「魚の餌」であることに気づいた

彼らは川に魚の餌を撒くことで川魚を誘き寄せ、子どもに川に棲む魚を実際に見せたかったようだ

それから父親は何度も何度も筒を振り、水面にぽちぽちゃと餌が降り注いでいた

その親子の周囲から人がいきなり少なくなったのは、魚の餌を撒き始めたことに気づいたかなのだろう

通路に置かれた椅子子どもけが川に入っていく姿、その子どもに何かあっても対応できなさそうな格好の両親、そしてほかの人への配慮の欠片もない魚の餌撒き……行動のすべてからその両親の正気を疑った

どうしてそのスペースがぽっかりと空いていたのかを考えたり、周囲を見回してどんなスペースなのか考えたりしないのだろうか

水難事故ニュース流れる季節に、なぜ両親だけはまるで都会のカフェに行くような服装で川遊びに来たのだろうか

いったい誰が自分の子どもが遊ぶすぐ上流で魚の餌を撒かれて喜ぶと思ったのだろうか

自然の川の中で生きる魚を見せてあげたいと思い実際に行動するほど、きっと教育について熱心なのだろう

そのためには思い通りに動かない子どもに向かって大声で指示を出したり、周囲を気にすることなく餌を撒けるのだろう

フル装備の子どもがまた川面から顔を上げる

「いたよ!さかな、いたよ!」と嬉しそうだ

それを聞いて嬉しそうな顔でさらに餌の筒を振る父親と、そんなやりとりをまるで女優のように眺める母親

これほどまでに自分たちだけの世界で生きていくのは、どれほど楽なのだろうか

教育という理由があれば周囲を蔑ろにしてもよいと思い行動できるのは、どれほど無神経なのだろうか

帰りの支度をするために椅子が並べられたその通路を通る時、反対側から川へ向かってくるガラの悪い男性が「なんだこれ邪魔だ」と椅子を一つ蹴り飛ばしたのを見て、この世界は思ったよりも理性的ではないと感じた

30分ほどで片付けが終わったころ、忘れ物がないか河原下りたが、あの父親はまだ魚の餌が入った筒を振っていた

教えることは他にあるだろうが、きっとあの両親では子どもに教えることなんてできないだろう

2021-06-28

「豊かな時間」に向いてない

俺は中学生くらいの頃からぼんやりと雲を眺める」とか「山の中で何もせずに過ごす」とか「海をただ眺めて帰る」みたいな行為に憧れを覚えていて、実際そういう類のことをときどきやってみるんだが、ちょっとびっくりするくらいすぐ飽きる

たとえば家の近くの川沿いを歩いて、河川敷下り階段の途中に座ってみる

薮がすげえ繁ってるんで川面は見えないんだが、せせらぎは聞こえるし、ウグイスはいい感じに鳴いてるし、ふと横を見るとサワガニもいたりして、大変よろしい感じがする

人も通らないし、存分にもの想いにふけれる

実際にふけるんだ

そんで、ああもう十分堪能したぞ、これは30分くらい経ってますねえ!と思って立ち上がり、時計を見てみるんだ

7分しか経ってない

マジでびっくりするんですよ 俺、豊かな気持ちになってたつもりで、7分で飽きてんじゃん!

いつもそうなんだ

都会にいた頃、夜に散歩してて、デカ幹線道路にかかった歩道橋を見つけ、なんとなく上ってみたら、下を通っていく大量の車をみるのが思いのほか楽しかった、なんてことがある

道路都市の血管や!俺はい都市の脈動を感じている!もう1時間くらい見てるんじゃないか?今回は景色に動きがあるし、少なくとも30分は見てますねえ!

そう思いながら一応時計をみたら15分も経ってなかった

万事その調子

「豊かな人間になりたい」って動機ありきで形から入ろうとしてるのがまずよくないんだろうし、よく考えるとそもそも雲を眺めるみたいな行為への憧れのもとがNARUTOシカマルな気すらする

戦う前から負けてるのかもしれないし、そもそも何と戦ってるんだ

というようなことを、焚火増田をみて思いました

俺は夜の海に行って焚き火してる人がいても、カップルがいても、「ゲッ人おるやんけ!まあええわ」くらいのことしかわず、多分15分もしないで帰るんだろうな

貧しい人生ですこと!

2021-06-20

われ泣き濡れて蟹とたわむる2021

今日夕方、すげー元気なくて、まあいつもないんだが、しかし元気なさすぎるのもよくねえなと思い、気合を振り絞って、せめて明るいうちに買い物に行くことにした

チャリに乗ってスーパーに向かう途中、川の横を通るんだが、その川沿いがジョギングロードになってて、なんとなく今日はそこを少し歩きたい気分になった

チャリ止めて、あてもなくジョギングロードに入って、少しでも開放的なほうに行きたいと思って、海側の方角に歩いてたら、河原に降りる階段があった

河原っつっても、メチャメチャ草が生い茂ってるもんだからサンダルパンで出かけた俺にとっては、実質立ち入れないような場所

なので、黒ずんだコンクリート階段の途中に腰かけて、たまにはちょっと自然に触れてみようと思ったわけだ

しかし、草の背丈が高いので、川面全然見えなかった

ウグイスの鳴き声、生活排水が横の水路を伝って川に注ぎ込む音、そういうのを聞きながら、ただ草を眺めるということになった

しかし、草なんて見ててもつまんねーので、なんとなく横を見てみると、カニがいたんすよ

そんで、俺は弱っているんだ

別に何があるってわけでもない ただ純粋に、労働するのが嫌になってきたという話だ

休んでも休んだ気がしないし、気がついたら週末が終わっていて、何にも手がつけられてない そういう状況が心から嫌になってきて、もう、その辺に倒れて、そのまんま動かなくなってしまいたい そういう気分なわけだ

カニですよ

俺は弱っている 心は泣いていると言っていい

誰の歌か知らねえし、さらにいうと上の句も知らねえが、「われ泣き濡れてカニとたわむる」ってやつじゃないですか

もう、そういう、日々の小さな気づきみたいなのを楽しみってことにやっていくしかないってわけ

ただ実際、カニがいたのはうれしかったんだ

カニってそんなにその辺にゴロゴロいる感じではないと勝手に思ってるので、見かけるとレア感があって嬉しい

俺はひとつカニ観測スポットを手に入れたわけで、と同時に、いよいよ泣きたくなったら、本当に泣き濡れてカニとたわむることが可能にもなった

ひとつ進歩だと俺は思う

そうですよね

2021-03-29

川べりと桜

昨年4月に我が社の労働組合経営側と締結した労働協定には組合員に対する残業時間の厳格な管理が盛り込まれていた。現在とある事情で我が社のメイン工場は停止しているが、生産再開に向けて直接部門も間接部門関係なく社員全員フルに生産開業務にコミットしている。よってかつては暇だった社員も今では残業毎日であるとはいえ月末になると冒頭の労働協定(36協定)が効いてきて月の残業時間協定内に収まるように皆早く帰ったり遅く来たりと調整し始める。私もその例に漏れず同じく残業時間調整のために今日は午後半休をとることになり、昼休み時間になるとイソイソと退社した。

しか大人というものは予定もなく急に自由になっても何をしたらよいか困るものだ。車通勤なのでプラプラ運転しながら帰っていると、橋の下流れる大きな川沿いに桜が見事に咲いているのが垣間見えた。私は気づくと川べりに続く細い道にハンドルを切っていた。

川べりの道路から見ると桜は橋の上から見たよりも小さく感じた。しかし小さいながらも満開の花を枝全体に咲かせていた。車から降りるとふわっとした暖かい空気が体を包んだ。頭上には満開の桜が広がり、さらにその上には白く曇った明るい空が広がっていた。私は突然極楽に入り込んでしまったような気分になった。周囲を見渡すと車が何台か止まっていたが、人が乗っているのかいないのか、車内はみな暗かった。

その時、遠くの川べりに緑のワンピースを着て地面にしゃがんでいる女が見えた。地面に咲く野花を写真に撮っているのか、その場は動かなかったが手元は小さく動いているように見えた。私はこの桜の風景と、陽気と、その女の存在に、なにやらまた白昼夢を見ているような気分になった。

しばらくすると女は立ち上がり、ゆっくりこちらに向かって歩き始めた。私は立ち尽くしたまま視線だけを川に向けた。川べりに生えるススキなどの枯草に阻まれ川面はよく見えなかった。ただ太陽日差しけがまぶしかった。何故だか私は緊張していた。近くの橋を通る車の音がゴウゴウとよく聞こえた。

ふと女の方を見るといつのまにか女はいなくなっていた。反対側を見ても女はいなかった。私はきょろきょろと女の姿を探したが、周囲には先ほどと同じ数台の車が相変わらずひっそりと佇んでいるだけだった。

私はその後もしばらく女の姿を探し続けたが、最後まで女の姿は見つからなかった。

2021-03-13

前髪

わたしヘアサロンで髪を切っている時、あたりは静寂に包まれコロナ対策で開け放たれた窓の外の環境音、特に雨音がヒタヒタと実感を持って部屋の中に忍び込む。

わたしは肩から上の全てを美容師に預け、穏やかに目を閉じる。視界は柔らかな闇に溶け、ただ雨音から想起される外界の景色、街並みの向こうの川、川面を漂う3月の風となって河口へ、海へと漂う。

唐突美容師の問いかけに静かに目を開け、鏡で仕上がりを確認する。どうやらいつもよりも短く切ってしまったようである

わたしは穏やかな、慈しみの心をもって前髪の残滓を追う。幻肢痛。失われた前髪は足元に四散し、物言わず箒に掃かれるのを待つ。

2020-11-29

週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の中で物音を聞いていた。もうすぐ8時になるので、燃えるゴミを出さなくてはいけない。外の寒さを考えると出たくないが、今日を逃すと、次の回収日である水曜日まで生ゴミと同居するはめになる。

思い切って服を着て、ゴミ袋を持って外に出ると、隣の部屋のドアが大きく開け放たれており、作業服姿の男性3、4人がさかんに出入りしている。彼らは部屋から出てくるたびに大きく膨らんだゴミ袋を両手に持って、トラックの荷台に勢い良く放り上げる。荷台はもう半分以上ゴミ袋で埋まっている。トラックはもう1台待機している。

ゴミ置き場へ行く途中で隣の部屋を通り過ぎながら中を覗くと、うず高くさまざまなゴミが積もっており、床が見えない。これはだいぶかかりそうだな、という考えが浮かんだが、なにに時間がかかるのか、自分でもよくわかっていなかった。

ゴミを捨てて自室に戻ろうとすると、グレーのスウェットパンツはいて青い褞袍(どてら)を着た男性が立っている。額の禿げ上がり方に見覚えがある。このアパートで隣の部屋のさらに隣りに住んでいる人だ。いちど挨拶したことがある。

褞袍の人は私の姿を認めると目礼してくるのでこちらも返す。いきおい、立ち止まって2人で作業中の部屋を眺めることになる。

孤独死らしいね」と褞袍の人が話しかけてくる。

「そういえば、見たことなかったですよ、隣の人」

「おれも見たことなかったけど、たまーに、部屋にいると隣から物音が聞こえてきたことはあったね。それも、いつ聞いたんだったか、思い出せないけど」

「まったく気づかなかったです。その、ええ」

「まあ、最近寒いから臭いもすぐには出づらいしね」

いつどうやって発見されたのか、憶測をひとしきり話してから褞袍の人が部屋に引っ込んだので、私も自室に戻ることにした。途中でまた隣の部屋を覗くと、玄関に続く床が見え始めていた。なにか白いものフローリングにこびりついて筋になっている。部屋の奥はまだゴミの壁だ。

自室のドアの下に紙切れが落ちている。さっきは落ちていなかった。運搬中のゴミから落ちてこちらへ飛んできたものらしい。

拾い上げるとそれは破れたレポート用紙かなにかで、罫線を無視して一面に黒のボールペンで「バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット」と文字が書いてある。ひとつ大きく「バケット」と書いたところを「X」印で乱暴に消してある。

意味がわからない。紙を投げ捨てて部屋に入る。

今日休みなので、ゆっくりコーヒーを淹れて、昨日のうちにベーカリーで買っておいたベーコン入りのパンを食べようと思う。が、まったく食欲がないことに気づく。

動揺しているのか、私は。隣で人が死んでいたことに。

そんなに繊細だったのか、私は。そもそも、隣の人がいつ亡くなったか知らないのに、隣室にずっと死体があったかもしれないのに、私は昨日までストロングゼロ500ml缶を飲みながらイカフライを齧り、「網走番外地」をアマプラで観ていたではないか

はいつもそこにあることに気づいたぐらいで、なんだというのか。私だって明日には引きこもり明後日には孤独死しているかもしれないのに。

勤め先のホテルは目に見えて客が減っていた。去年まではさまざまな言葉を話すアジア系団体客でロビーはいつも賑わっていた。不倫らしいデイユースの中高年カップルも高回転率で出入りしていた。春先にそれらはすべていなくなった。業績が厳しいと経営からの便りは来るが、数字は来ない。ほんの少しあったボーナスはなくなった。転職できる人はして辞めていった。

自分もいつか、ここではない、どこかへ行くんだと思いながら、それはどこか、いつかわからない。だから酒に逃げた。

せっかくの週末休みなのに、なぜこんなことを思い出さなくてはならないのか。隣で勝手に死んでいた人間のせいで、なぜ胃の奥に硬いものが居座って吐き気がしているのか。すべてが理不尽な気がしたが、それが誰のせいなのかわからなかったから、部屋を飛び出した。

冬の日差しに川は光っていた。コンクリートで固められた河床に水はほとんどなくて、黄土色の藻が底に揺れていた。通りを走る車の音を聞きながら川面を眺めているうちに少しずつ落ち着いてくる気がした。今日は目が覚めてから何も口にしていないことに気づいた。

川沿いに歩くと、古い木造家屋蕎麦屋があった。色あせた藍色のれんをくぐると、そばゆの匂いがした。熱いたぬきそばでも食べようかと思っていたが、壁に貼ってある品書きに「じゃんぎ丼」があったので頼んだ。

他に客はおらず、丼はすぐに出てきた。湯気を立てる白い飯の上に、タレのかかった唐揚げが載っていた。飯を掻き込むと、思わず涙が出た。それは亡き人の境遇を思って出た涙なのか、自分への哀れみなのか、悔し涙なのか、生きていることそのものに流す涙なのか、わからなかった。

2020-11-25

川面監督

宮崎駿先生の「鬼滅ヒット?ぼくには関係の無いことだ」みたいに

事なかれ主義でカッコつけるつもりなのか?

世界経済思想規範政治文化のんのんびより中心とする様な世界を目指すようにしろ

夢は大きく持てや

2020-06-06

どこからか腐った肉の臭いがする。

臭い。と帰宅した妻に言われてキッチンを探すが、臭いの発生源は見つからない。三角コーナーではピーマンのへたが萎びているだけだ。排水口は昨夜掃除したばかりで、念のために開けるとヌメリはない。

ゴミ箱は午後の陽気に蒸れて臭い始めていたが、不意に鼻をつく甘い腐臭が本当にここから発しているのか、蓋の隙間から中を嗅いでみても確信が持てない。

ちょっといい加減にしてよ、これじゃ晩ご飯食べる気にもならない。向こうの部屋で着替える妻からクレームが飛んでくる。そこらじゅうをひっくり返しても、動物の腐乱死体のような臭いの発生源はわからない。

まさか、と思い、サンダルをつっかけて玄関から外に出る。マンションの共用通路を歩きながらそれとなく各戸の前で鼻から息を吸うが、恐れていた臭いはしない。

部屋に戻ると、妻はこちらを見ようともせず無言で片付けをしている。

ゴミ箱、と彼女は言う。

さっき探したよ、と言い終わる前にいいから探して臭いの、と叩きつけられる。

言われてみると、臭いかもしれない。

ゴミ箱の蓋を外すと、例の臭いが立ち昇る。中に手を入れて探ると、あった。小さなレジ袋を縛ったものから、むせかえるような腐臭がしている。

袋の中身は、一昨日のお昼に食べた甘エビ尻尾だ。毎日1時を過ぎるとスーパー惣菜コーナーで寿司に値引シールがつく。最近知ってからその時間帯に買いに行っている。

「なにそれ」

「え、エビ

「なんでエビがそこで腐ってるの」

あなたが出勤した後、私は昼下がりに割引の寿司パックを買いに出てお得感に浸っていたのだよ。とは言えない。

季節を考えずに痕跡を残したのはまずかった。どれほど小さくても肉片は肉片で、暖かくなった途端に腐り始めたのだ。

緊急事態宣言が出てから私は在宅勤務となったが、妻は千代田線通勤した。朝、私の顔を見ると彼女マスクの奥からため息をついて出て行った。毎日毎日マスクすらしていない乗客もいる電車に詰め込まれて、感染の恐怖に怯えながら、町屋から赤坂までの距離がどれほど長く感じられるか、家にいるお前にわかるか。面と向かってそんなふうに言われることはなかったが、気まずかった。

悪いのは私なのだろうか。お前の健康大事から、今は仕事になんか行くな、減った収入はおれが稼ぐから気にするな、とでも言えばよかったのだろうか。言ったとしても、ようやく正社員転職した仕事を辞めるのに彼女同意しただろうか。

いや、一日働いて、疲れて帰ってきたら家じゅうが腐臭に満ちていたことへの説明が今は必要だったか。そういうものはどこかにあったかそもそも可能か。

「鼻がもげそうなんだけど。こんなに臭いのに、一日中家にいてなんで気づかないの。ほんっと無神経だよね。おかしいんじゃないの」

彼女は勢いよく窓を開ける。

ずっと家にいるからこそ鼻が慣れて臭いに気づかないのだが、指摘するとますます怒りを買うだけなので、謝罪して一階のゴミ置き場まで袋を捨てに行く。

夕食はレンジでチンするだけでいい。だいたい午後、作業会議の合間に作る。毎日、私が夕食を用意しておくことがいつの間にか暗黙に期待されていた。在宅勤務は座りっぱなしだと身体がつらくなってくる。ちょっと頻繁すぎるくらいに立ち上がって、野菜を切ったり鍋の火加減を見たりするくらいの方が、疲れが溜まらない。だからこれはこれでよいのだろう。

妻は無言で酢豚をつついている。適切な話題腐臭を打ち消す、賑やかな話題

最近、新しいラーメン屋が近所にできたよ」

「そういうのはいいよ。もう暑いから

運動不足解消のため、夕食後は隅田川沿いを走ることにしている。馬頭観音を過ぎて尾久の原公園まで来ると、夜は人気がなく暗い。対岸の足立区に建つマンションの灯りだけが黒い川面に揺れている。

走りながら、レジ袋の中で腐っていた甘エビのこと、こちらを向かない妻の背中を思う。もうだめなのだ。一時しのぎは。暑くなると、あらゆるものが腐りはじめる。エビも、人間関係も。いや、あらかじめ茹でたエビならどうか。ちらし寿司にのっている薄い車海老のような。明日ちらし寿司にしようか。そうだ、それがいい。1時過ぎまで売れ残っていれば。

2019-08-29

こうもり

子供たちがこうもりに石を投げて遊んでいる

宙を舞う影は、集まったかと思うと、さっと散って投げ込まれた石をかわす

行き先を失った石が、灯りだした街頭に当たる

黒く揺らめく川面に落ちる

低く月の登る空を走る

汗ばむ肌に絡む風を切る

石もこうもりも見えなくなるころ、子供たちは帰っていった

見えないこうもりが私の周りを飛び回る

私は、すっかり見えるようになっていた

2018-12-23

anond:20181223212720

耳栓すると気分が高まる

映画の中にいるみたいに思う

光る白い魚が川面から飛び上がってきたらついていこうかな、とか

2018-10-14

[] 【6】2018秋、ベトナムホーチミン

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センター神通力


ホテルに戻ってシャワーを浴びた後、程近いホーチミン市立美術館を訪れる事にした。

展示もさることながら、フレンチコロニアル様式建物が目当てだ。

バイクを躱して15分程歩くと、門扉が見えてきた。

正面にあるのは黄色い壁の建築物。見事だ。

チケットを買い求め中に入る。

薄暗く、しんと静かな館内に、オブジェ絵画が展示されている。

絵画はやはりと言うか、戦争関係のものが多い。

モチーフになっているのは、銃を構える青年や、ホー・チミンのビラを少年少女に見せる軍人だ。

農具を持って誇らしげに起立する女性オブジェがあった。

共産主義マリア様だ。彼女もまた、ファインダーセンターに収まってもらった。


中庭を囲む建築を堪能しながら常設展を一通り見た後は、別館の企画展を見る事にした。

入り口では警備員のおじさんが気怠そうにデスクの前に座っている。

その姿がホールの設えと完璧調和を見せている気がして、彼をファインダーに入れて一枚撮った。

センターではなかった。


フロアを上がると、おそらくはこの企画展アーティストであろう若い女性がデスクの前に腰掛けていた。

笑顔差し出されるパンフを手に取り展示を見る。

色々な展示があったが、特に気になったのが鏡の前に置かれた椅子一脚。

どうやらこれは、観覧者自体が額に収まる嗜好らしい。

座って鏡越しの自撮りを一枚。

センターでは無い。

別館を出る時、アーティスト写真を見せて尋ねた。

It,s correct ?」

「〜〜 take selfy.」

一部しかヒアリングできなかったが、多分正しい。

「これで正しいですか?」と言うつもりで「これは正確だ。」と言ってしまう位なので甚だ怪しいが。

満足したので次に向かおう。


海外に出ると見ておきたいものがある。

公共交通サインだ。

自律神経の調子が怖いので遠出をする気はなかったが、サイゴン自体は確かめておきたかった。

タクシーを捕まえる。

「I want go to saigon station. ガッ サイゴン。」

運転手のおじさんは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに理解してくれたようだった。

「アァ ガッ サイゴン ナ」


16:00

しばらくすると、おじさんが指差す車窓の外にクルーザー

夕暮れ迫るホーチミンの水面に光が反射して美しい風景が広がっていた。

どうやら到着だ。

メーターを見て払おうとして、おじさんが止める。

なにやら計算すると、メーターとは全然違う金額を書いたメモが手渡された。

メーターの半分くらい。

そう言うシステムなんだろうか?

礼を言ってタクシーを降りると、正面は門が閉まっていて入ることが出来ない。

それに周囲に歩いている人がいない。

ここ、本当に駅?

Google map で確かめて見ると、駅とは真反対の方向。

「やってしまったー」

どうやらサイゴン駅(Ga Sài Gòn)に行こうとして、サイゴン港(Cảng Sài Gòn)に来てしまった。

そういえば、午前にカフェで涙を流させた曲の歌詞に、入江の向こうの海原を見るくだりがあり、海原でこそ無いものの、入り江の向こうの広大な川面意図せず見る事になった。

やはり、4,000年に一度の美少女ともなると、口から出る言葉には言霊というか、神通力めいた何かが宿るのかも知れない。


すぐに別のタクシーを捕まえて、今度はスマホの画面を見せて説明すると、タクシーGa Sài Gòn に向かって滑り出す。

事の経緯を運転手のにいちゃん説明すると、にいちゃんは苦笑した。

どうやら今日は、何かと女性に振り回される1日のようだ。


辿り着いたサイゴン駅で支払いをしようとすると、料金はメーター通り。

やはり自分サイゴン港に運んだおじさんは事情を察してまけたらしい。


サイゴン駅では券売機デザインなどを確認するつもりだった。

しかし、メインステーションとも思えないほど人も疎らなサイゴン駅にはそれらしいものがない。

見ると、中央カウンター越しに客と駅員が話している。

どうやらベトナム鉄道にはまだ自動券売機は導入されていない様だった。

これも発見だ、壁の駅構内図や、主要都市への発車時刻が並んだ表をファインダーに収め、ついでに駅の前にあるゴミ箱の可愛らしいマナーイラストも収めて、駅前にたむろするタクシーを捕まえた。

満足だ、ホテルに戻ろう。


タクシーホテルに到着。

エレベーターの前で暗紫色アオザイを来たエレベーターレディが迎えてくれた。

部屋で一息ついて、食事に行こう。空腹すぎて気持ちが悪い。

ホテルエレベーターは、1Fまで降った後、一度乗り換えて Ground floor に降り、そこから外に出る。

そうだ、まだファインダーセンターに収める事のできる女性がいるぞ。

1Fの乗り換えの際に、ボタンを押してくれるエレベーターレディに声を掛ける。

「Excuse me , Can I take your photograph ? 」

「Me ?」

レディは少し困惑の表情を浮かべたが、笑顔センターに収まってくれた。


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