はてなキーワード: 戦後教育とは
高度成長期のジジババは老いて思考力を失い、戦後教育を過ぎて真の平和ボケ期に教育を受けた若者は真剣に世の中のことを考えられない
そしてジジババ世代が何も考えずに多数派として投票してきた自民党はやらかしが多過ぎて、公明党は信者の結束が緩むことで票を失い、どこに投票すれば良いか分からなくなった人たちの票の一部がカルトに流れる
感情が不安定な層を落ち着かせるには「日本の社会は自分たちが統制してこの方向に導く」という明確なメッセージが必要だろうが、真っ当な保守も革新もそれを準備できず、不安定層は「誰も自分たちの方を見てくれない」と震え、政治に何かを求める人たちは「必要なのはこの政策じゃ無い」と首を傾げる
世は正に大後悔時代
天皇制(天皇の制度)は、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位を紀元前660年とする伝承に基づけば、2025年現在でおよそ2685年続いていることになる
ただし、これは『日本書紀』などの記紀神話に基づく神話的な年代であり、歴史学的に実在が確認できる最古の天皇は第10代崇神天皇(3世紀頃)または第16代仁徳天皇(4世紀後半)とされることが多い
史実ベースで見ても、少なくとも1500年以上にわたって天皇という称号をもつ人物が継続して存在してきたことは確かで、世界最古の君主制とも言われている
しかし、それが今まさに終わろうとしている。
――つまり昭和天皇の存在感をリアルタイムで体感してきた人々は、すでに高齢者になっている
「玉音放送を聞いた」「御真影を拝んだ」「靖国で頭を下げるのが当たり前だった」そんな記憶を共有する世代が、静かにフェードアウトしようとしている
いまや平成生まれの中でも後半の世代にとって、天皇は「行事で見る人」「テレビに出てくる儀礼の人」くらいの存在でしかない
特別な信仰や敬愛の念を持っている若者は少数派で、むしろ「なんとなくまだある制度」としてスルーされている感じがある
それが制度の終わりを意味するかはともかく、「天皇を精神的支柱とする社会」は確実に過去のものになりつつある
また、天皇は「男系男子」でなければならないとする伝統は、現代の価値観から見れば極めて不自然だ
女性天皇は過去に存在したにもかかわらず、現在では「女系天皇は認めない」「男子がいなければ断絶もやむなし」という議論が公然と行われている
これは、血統と性別に過剰に依存した制度が、近代以降の法と倫理の進化にまったく追いついていないことを示している
そもそも現代社会では、性別によって職業選択が制限されることは基本的に許されていない
なのに、最も象徴的な国家機関の長が「男であること」を義務づけられ、それが当然だとされている
この違和感は、若い世代ほど強く感じているはずで、そこにある無言の排除や差別構造は見過ごせない
加えて、皇族女子は結婚したら「民間人」になる一方、皇族男子は家を継ぎ、制度の担い手となる
これは封建的な家制度の名残そのもので、女性にだけ選択肢がない
つまり天皇制は、性別によって人生の進路が大きく制限される制度であり、それが国民の象徴であることに誰もが疑問を抱きはじめている
「伝統を守る」ために女性を排除し、子どもの産める男子を数人に絞り込むという構造は、いずれ綻びる
女性天皇を認めれば制度が延命できるかもしれないが、そこに踏み込めない保守性こそが、制度の終わりを静かに早めている気がする
F・スコット・フィッツジェラルドの小説、「The Great Gatsby」は次のイントロで始まる。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.
“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”
He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.
訳:
彼はこう言うた「誰かを批判しそうになったら、、、思い出しなさい、みんながキミと同じ境遇、能力、優位性を兼ね備えているわけではないことを」
普段あんまり細かいことごちゃごちゃ言う人や無かったけど、これがなんか頭に残ってるねん、ワイまだ若くて繊細やったしな。
このセンテンスは日本人で言えば
「吾輩は猫である」
レベルの著名なフレーズで、同書はアメリカ高校生は必読で頻繁に引用もされるので知らないアメリカ人はいない
トランプ大統領はコモンセンスをぶっ壊すというてるが、こいつは無理だろうってレベルでアメリカ人に共有されたコモンセンスの一つである
(多民族国家だから日本ほどの普及率ではないがマトモな教育を受けたミドルクラスならほぼ100%だろう)
で重要なのは「haven’t had the advantages that you’ve had.」だわね
教育者は「人の能力は生まれ持って同じ」と定義し戦後教育の再設計をした。
日本ではしばし炎上暴走が起きる、ブレーキがかからず対象者が死ぬか没落するか、土下座するまで止まらない
その様を観察してて、おれはいつもグレート・ギャッツビーのこの一節を思い出すわけです
ドイツはナチスの反省をした結果今のイスラエルを生み出して結果的にパレスチナ人を殺してるわけじゃん。
つまりドイツ人は現在進行系でパレスチナ人を殺してるわけよ。ナチスから何一つ変わってない。ナチス・ドイツは今現在も生きている。
一方我らは先の大戦を中韓への犯罪という狭い枠組みではなく人類に対する犯罪として正しく認識しているから宗主国であるアメリカの行いを除いて全ての戦争犯罪を正しく非難できている。
イスラエルの行いをドイツ人が称賛しているのと違い、中国のウイグルへの行いを強く批判しているし、ロシアの侵略もイスラエルの虐殺も非難できている。
我々は戦後教育ってものを受けてて、ほぼ全員が反戦リベラルだ。ウヨには後から染まるだけで、それは当然染まる人の方が少ない。
もっかい言うぞ。
マイノリティの敵でもあるだろ。
自分をマイノリティと定義することで、自分を正義にしようとしてるじゃん。実際には、ちょい少ないぐらいよ。40%と30%で30%側がマイノリティで弱者とか名乗ってなんの意味がある。
でもこの日本はそんな黒と白に分かれてないんだよ。
マイノリティとマイノリティとマイノリティとマイノリティがバラバラに居て、それらがたまたま合わさった時に多数を形成するだけだ。
選挙で負けたから弱者です、ではない。次はどっちに動くかわからん無党派のほうが多いんだからな。忘れがちだけど。
戦後日本の反省により構築された愛国心に懐疑的な精神性というものは存在したと思う。国を信じ国に従うことで他国を破壊し戦争に負け、戦犯として裁かれ、アメリカ統治の元で環境が激変したのだからそれは自然に起こっただろう。
ネットが普及する中で、これに対するオルタナティブな考え方、つまり薄っすらとした愛国心としての自己肯定、それに伴う博愛や外国への反発、差別意識の表出が広まり、ネトウヨと名付けられた。これは当初、戦後教育へのカウンター的な意識だったはず。
このネット上の空気にはじめから触れている層には、それ以前の世代の意識が左に寄っているように感じられるかもしれない。ネット上で発生した空気を観測してきた年代の人には、考え方が右傾化したように見えるだろう。
おれは戦後教育が描いていた、理想的なお花畑の世界観が好きだ。理想としてビジョンを持たなければ、そこに到達することはないから。
人殺しの血を引いている顔をしてる反戦教育者っていないんだよな。
特攻賛成派も特攻反対も同じように「米軍が攻めてくるから、天皇が変な命令を出すから『仕方なく』戦争に巻き込まれた」って発想をしている。
自分たちが醸成した「ガンガン鬼畜米英や中国人をぶっ殺しまくっていい暮らししようぜ?」っていう発想が間違っていたと認められる人って本当にも限りなく0に近いブルーひいては永遠のニアリー0。
ロシアぶっ潰したときに最前線とあんま関係ない場所では「いやー戦争っていいよねー。なんか国が元気になってさ―」って雰囲気があった。
これは間違いなく歴史書や当時の新聞にも描かれている事実であり、この辺の感覚から「戦争≒勝つと幸せ」っていう図式が存在してたんだよ日本人の脳内に。
そもそも日本人って昔から戦国武将とか大好きでさ、信長の快進撃や太閤立志伝とかそういうので興奮する性質だったのよね。
もっといえば忠臣蔵みたいな逆ギレ自分のご都合押し付け気に食わないやつぶっ殺し精神にも共感しがち。
兎にも角にも利己的な暴力行為を愛する心根の民族だったわけだよ。
それをあろうことか表面上取り繕って「僕タチ……暴力大嫌いヨ……ヨヨヨ……」みたいな事を戦争教育のときだけ口にするの。
でも実際は大好きなままなんだよね。
戦争教育で体育館にずらーっと並べた生徒が、話に来た爺さんのボソボソ声に「すみませーーーん。マイク大きくしてくださ―ーーい」って叫んだ瞬間にさ、
体躯教師が「コラー!!(# ゚Д゚) お年寄りには経緯を払わんか―い!!!ヽ(`Д´)ノ」と竹刀をバシーンって地面に叩きつけて脅したときは驚いたさ。
「暴力は良くないですよ。話し合いましょう」って内容の講義を受けている最中に、教師が暴力で人を従わせるのを最適解であるかのごとく振る舞うのだから。
表向きは暴力の嫌いな大人しい奴隷のふりをして、いざ権力を持ったらブンブン暴力で人を従わせたがる凶暴な奴隷監督であろうとする。
それは結局の所、GHQに表面上従っていても内心は不満たらたらでいつかアメリカをぶっ殺し直しにいこうって精神が胸の一番奥にはあるってことなんじゃろうねえ。
まあ仕方ないよ。
それは満州で日本人がやったようなことだろうし、韓国が未だに「なんとかもうちょい賠償金貰えねえかな」と未練を持たせるような何かがあったわけだよ。
まずはそこが事実なのさ。
日本人は未だに米軍を恨んでいるってことをまずは認めないといけない。
そしてその憎しみと内面にある暴力性は深い所で今でも結びついていて、いざ何かあったら米英の輩を滅ぼして世界をアジアン、いや日本人の一色で埋められないかと今でも虎視眈々と狙っているんだわ。
その象徴として天皇を掲げられれば自分たちの正当性は立証できると今でも信じている。
でなきゃなんでこんなにこの国の人間は令和の世で帝だ帝だわっしょいわっしょいなんだといのかね。
結局ね、自分たちの民族こそが正当なるこの世界の支配種族であるべきであり、暴力によってそれを証明するべきだって思想は全ての人類の根底にあるんだよ。
いや全ての人類は言いすぎだったかも知れないが少なくとも多くの日本人は心根の根っこでそう思っているのさ。
でもね、今の戦争教育はそれを認めるところからスタートすることが出来ずに上っ面しかなぞらないのさ。
なんでかっていえばね、それによってGHQは満足して引き上げたっていう成功体験があるからだね。
反省しているふりだけしておけばいいんだ反省している演技を教えるために、暴力で子どもたちを調教すればいいんだって、ずーっとずーっと繰り返してんだよね。
正直、ウクライナ-ロシア戦争で左派の平和主義者が混乱してるのも無理はないと思う。
日本の戦後教育、ひいては世界の第二次世界大戦に対する総括として日本の立ち位置があまりにも曖昧過ぎた。
別に"大日本帝国はアジアの植民地を解放した!"とか思ってるわけじゃない。
でも帝国主義、アジア人、日本によるアジア人虐殺、米国による日本人虐殺、ファシスト、自由主義などなど当時の日本は現代の理屈で考えてもあまりにも体系立てて語るのが難しすぎる。
差別主義者で被差別民で先進国ありながらマイノリティであり、虐殺者でありながら被虐殺者である日本の立ち位置が難しすぎる。
そのせいであまりにも多すぎる矛盾に板挟みになった左派平和主義者は"ウクライナはファシスト国家に降伏して、ネオナチ政権を一掃すべき"みたいなわけのわからない結論に至らざるを得なくなってる。