はてなキーワード: 択一とは
・なんでここにいるんだよ!
これ、全部物凄い説得力のなさで「え?ワープした?」とか「能力者バトル漫画だったんでしょ」とか「監督含めてサッカーIQが低すぎない?」みたいに言われてるんだよね。
まあ実際リアルでも起きて入るんだよね。
絶望的なフィジカル差の実在、カメラに映ってない間はワープしてるとしか思えない移動距離、人間離れした反応速度、力技でこじ開けられて崩壊する作戦、全部実在してるはずなんだよ。
それなのにエンバーズは描き方が悪すぎて全部作者が妄想でやってるみたいにしか見えないし、なんなら近所の小学生がやってるサッカー参考にしてるようにしか見えない。
つうか学生サッカーというものをユースとの相互補完であり択一でもあるという目線から見れてるとは思えないし、試合時間さえまともに把握してない。
本当に酷い。
ちゃんと取材して、ちゃんとどうしたら説得力が出るのか考えて、読者が面白いと思える展開を描くだけで良かったのに。
なんでやらなかったんだろうね。
意味わかんない。
・午前午後ともに択一は23問正解だった
・残り2割はテキストに書いてある
・ただ、俺はこの講座だけだとうろ覚えな個所が出てきた
・ほかの合格者はVマジックやオートマを読んでそれから講義を聞いて問題を読み、間違えたら、スタディングのテキストに戻るようだ
・講師の先生が導入講座で言ってるようにわかりにくければ市販のテキストも併用したほうがいいようだ
・ちなみにオートマは全部買っても2万円なので、オプションテキストを買うよりオートマのほうがいいようだ
・スクリーンリーダーは完全対応してるので、仕事しながらスタディングのテキストを聞くことができる
・スタディングを受けるのは実は2回目
・1年目はスタディングのみで午前午後ともに20問だった
・2年目は会社法と商業登記法と民訴系がわかりにくかったので、Vマジックを買って、午前午後ともに23問だった
http://blog.livedoor.jp/umadori0726/archives/61760322.html
今ちょうど捏造されたスクショで裁判所が開示命令出しちゃった件がニュースになってるし
開示だけならSNSにアカウント持ってるだけで別に悪いことしてなくても誰でもされる可能性があるくらい緩い傾向になってきてるね
本当に相手を傷つける目的で書き込みを繰り返してたらなら自業自得だけど
そうじゃなくても裁判に巻き込まれてしまったら開示だけでビビッて相手の言いなりになって高い示談金払ったり裁判で不利になるような行動をしないように落ち着いて対応するリテラシーが必要な時代になったと思う
リテラシーを身につけたかったら、最低限、ここら辺は読んでおいたほうがいい。
プロの弁護士も最初はこの手の本を読んでから司法試験に挑んでた.
司法試験の勉強は金がかかるイメージがあるけど、それは伊藤塾やロースクールに通うから高いだけであって、本だけならそんなかからん。
■最低限読むもの
■できたら読んだほうがいいもの
もし、ここら辺を読んで物足りないと思うなら、スタディングで行政書士と司法書士、予備試験、司法試験の順番で講座をとるといい
行政書士は6万円(合格道場だと1万円、国家試験の〇〇シリーズの民法・行政法・憲法・会社法で1.2万円ですむ)
合わせて66万円で、弁護士や検事・裁判官になる資格が得られるけど、予備試験と司法書士試験は合格率が低いんでよく考えたほうがいい
司法書士試験は択一で8割必須で、記述は問題文の読み方さえ覚えてひな形を覚えれば普通に書けるけど、
予備試験と司法試験の論文は、受かる人は受かるけど、そうでない人は受からない試験になってる
逆に行政書士は6割取れれば受かるんで、毎日、勉強できて、固定を休まない人なら普通にとれる
※ロースクール経由なら受かる可能性はあるけど、受からない人を途中でふるい落とす仕組みになってるし、学費が結構高い。奨学金独特の縛りもある
前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635
勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
.
大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
.
母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
.
そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
.
勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
.
そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
.
AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
.
大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
.
カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
.
カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
.
ちょっと前の増田の解説で内訳が示されたけど、「姓を捨てる必要があるから結婚できない」なんて人はデータ上ぜんぜん居ないわけだ。金や出会いに比べれば些細すぎる問題。
夫婦別姓が婚姻率にも出産率にも他の政策とくらべて寄与しないとなると積極的に推進する動機にもならんわけな。
択一ではなく出来ることは全部平行してやれって話にしても優先度は下の下の下下下の下でしょ。
夫婦別姓のメリットって結婚をやめるほどの不利益ではないけれど姓を捨てたくはなかったっちゅー人たちの気持ちが浮かばれるのと変える側のもろもろの手続きぐらい。
そんでもって導入したらしたで同姓別姓どちらを選ぶかという選択の自由や子供の姓の選択など新しい問題も出ることも明白で、こんなもん本腰入れて可及的速やかに論じる必要ないわな。
収蔵物が博物館のキャパシティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社のWeb記事を見ていて、改めてそう思った。
昔、「正しい日本語」という概念が流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。
そして、この収蔵物もそうなのだと思う。
若者でない世代が、自分たちが大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたかも価値のありそうな形容詞で装飾して、
キャパシティを無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。
どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパシティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。
若者もきっと、歴史的と呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たちの世代のものは私たちの世代で諦めるしかない。
そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、
歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。
そして、誰も明言しないが、歴史的な資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。
歴史的な資料は「文化『財』」という名称で、あたかも自然に財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。
そして、歴史的な資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者のキャパシティまで削ってしまう。
個人的には、若者の認知は未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである「歴史」などに充てられるべきではないように感じる。
そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。
そういった保守的な歴史のがんじがらめが、地元に流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。
すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。
掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。
思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化の象徴である歴史的な資料など捨てたい、
その保存コストを、古い文化の代わりに自分たちが享受したいと思っているはずなのだ。
つまりは、歴史的な資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。
だから、一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的な資料はコストをかけてでも博物館を占有していないといけないのだろう。
でも、歴史的な資料をとるか、若者主体の文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。
偉い学者が、日本の人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、
この人が行った特定の店名はわからんが、とあるクイズバーの常連として補足をしたい。
なんか「強制参加」という言葉が独り歩きしているが、これは単純に「クイズへの参加有無」を聞かれなかっただけだと思う。ちなみにほぼ毎週末通う常連になってまあまあ経つが、1度も「強制参加です!」と言われたことはない。
そもそもクイズバーのターゲット客って「実際にクイズをやってみたいと思っている人」なのだから、確認せずともとにかく1度あのボタンを押してみたいとか問題に答えてみたいと思っている人が集まるのは自明の理である。
ただし稀に「見学だけ」という客もいるし、客の中には疲れがたまるとエントリーしながらもあえてボタンを押さず、他人が正解するのを楽しんで見ている人もいる。もちろん店側も見学大歓迎というスタンスでいる。
それと、たしかにQuizKnockで伊沢拓司とかが涼しい顔で正解するような難問が多い営業日もあるが、初心者がいると「誰でも回答できるような」ルールに設定される場合が多い。
たとえば早押しクイズにしても、初心者はいくら間違えてもいいけど上級者は2問間違えたら失格とか。「上級者はこれから数問押さないで(=初心者のみ解答OK)」というルールもたまにある。
あるいはみんな平等に答えられるように、早押しではなくボードに書いて答えるとか。
中にはJASRACに許諾を得た上でイントロクイズをやってる店舗もある。
つまり、早押しクイズ一辺倒ではなく、クイズバーではけっこう多種多様なクイズを楽しむことができる。
この人が行った営業日はおそらく難問の早押しが多めだったのだろう。
自分もクイズバーに出会う前は思い出した頃に「みんはや」しかやってなかったので、未だに猛者には知識も押すスピードも勝てない。そこで負け残るのは正直ものすごく悔しい。
そうなると決まって惨めだなあと思ってしまうのだが、問題のめぐり合わせが悪かったんだなあと思うようにしている。
ただ、こういう場では初心者であることを申告すれば上のようなルールを設定してもらえるはずなのだが、もしも申告した上でこれだったのなら、それはクイズバーの仕組みではなく店員の場作りの問題だと思う。
というか、そもそもこの人はなぜクイズバーに行ったのだろうか。誰かに連れられたのかもしれないが、ひとりでこんなニッチなバーに行ったのならそれ相応の好奇心があったと見受けられる。
たぶんこの人はもう2度とクイズバーに足を運ばないと思うが、この人の文章「だけ」を鵜呑みにし、偏見をつけたり「自分も行かないでおこう」と思うのならば、それはひとりの常連としてとても残念なことである。
https://anond.hatelabo.jp/20231216153812
なんなら知識じゃなくひらめきが必要なクイズも、近似値クイズとかもやってる。
クイズバーの店員さんって、どんな客が来店してもいいように工夫したり身を削って準備されているということだけはハッキリと書いておきたい。
クイズバーに初めて行った。全く楽しめなかった。私は昔から授業で手を上げて発言するのがとても苦手で、それは間違ってたら恥ずかしいなという気持ちが大きいのだけれど、そういう人間にはクイズは向いていないのだった。
場の空気を楽しめればいいなと思って行ったけど、クイズは強制参加だった。それが初心者にはキツかった。正解した人から早抜けというルールがあって、案の定私は全然答えることが出来なかった。最後まで残されて、誰も早押しする人がいない状態で出された問題も分からなくて、みっともなくて情けなくて早く帰りたかった。
人並みにクイズには正解できる頭があると思っているけれど、早押しには慣れていないし、前述のように間違ってたらどうしようが勝ってしまってほとんどボタンを押せなかった。私でも絶対に正解だと確信できる簡単な問題は、早押しの得意な経験者が全部掻っ攫っていった。
そもそも初心者が経験者と同じ卓に混ぜられても、凡人の私には勝てるわけないのである。全然答えられない可哀想な人になるのが、とても惨めだった。
周りの参加者はそんなこと思っちゃいないかもしれないが、私が惨めな参加者というのを裏付けるような出来事があった。全然私が楽しめてないのを察したスタッフが平謝りしてきたのである。
『楽しませることが出来なくてすみません』は本当に言われた。謝らないでほしかった。謝られなければ、後に私がこの記憶を思い出す時に、クイズは難しかったけどまあいい体験にはなったかな、くらいに思い直すこともできたはずだ。だがスタッフの言葉で私は、クイズバーを楽しむことが出来たなかった人というのが確定してしまった。正直泣きそうだった。娯楽のために来たクイズバーでこんな思いをさせられなきゃいけないのが意味分からなかったし、楽しめない自分にもがっかりした。
スタッフへ。善意で、本気で、『楽しませられなくて申し訳ない』と思っていたことは伝わります。でも、憐れんでるようにしか聞こえませんでした。だったら初心者でも楽しめるような択一クイズとかボードクイズとかにしてくれたら良かったのに……これは私の我儘ですが。謝るのやめてください。私を、楽しめなかった人扱い、しないでほしかった。
今でもふと思い出して頭を掻きむしりたくなるような、嫌な記憶です。早く忘れたい。多分、もう二度とクイズバーには行かないと思います。
なんとなく楽しそうだなと思ってクイズバーに行くのを検討している初心者へ
あなたが出来なくても楽しめる性格だったり、出来ないことで注目を集めてしまっても気にしない性格なら問題ありません。ただし経験者にはほとんど勝てないでしょうし、競技クイズとして一般常識とかじゃなく難しめの問題も多いです。クイズは強制参加させられます。見学したい、と言うと私みたいに楽しめてない客扱いされますよ。注目を集めるのが苦手な性格には、おすすめしません。初心者には優しくない場所です。
法学部を卒業後、法科大学院進学に怖気ついて地方公務員になった。
最近やっぱり弁護士になりたい(正確に言うと、仮に仕事を辞めて弁護士にならないとしても司法試験に合格したい)と思うようになった。
学部生の時に予備試験に合格したり、法科大学院から司法試験に合格し実務家として働いている大学の同級生たちに話を聞いたり、各予備校の体験授業を受けたり説明会に行った。
当初は平日講義が夜間にあり、社会人が多く在学している某国立大学ロースクールを考えていたが、元々法科大学院進学を目指して勉強していた(所有者不明土地等関係の改正など短答分野で若干改正あり)ことや仕事があることも考慮。弁護士の友人の後輩で今年修習をしている方から予備校のインプット教材を貰った。
そして今日は早朝出勤早上がりの日であったため帰りに書店に寄り、予備試験の短答と論文の過去問、各科目の択一六法、今年度版の六法を購入した。ダンボール一箱分くらい。
頑張る。