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2025-10-10

陰キャは夜空を見上げない

三年前、渋谷桜丘町にある古いマンションの一室で月に一度だけ開かれていた読書会があった。

「Books & Beyond」とか「本と珈琲」みたいなカフェが並ぶあの界隈で、オーナー趣味でやってるようなサブカル風の空間。壁にはカフカポスターが貼られ、スピーカーからボサノヴァが流れていた。

六畳ほどの小さなスペースに八人くらいが座りそれぞれが持ち寄った本を紹介し合う。それが俺と彼女出会いだった。

俺がその日持っていったのは『呪術廻戦』の第八巻。ほかの人たちが『中動態の世界』とか『そして誰もいなくなった』とか『サピエンス全史』とかを並べる中で、俺だけがジャンプコミックスを机に置いた。

もちろん場の空気ちょっと変わった。

でも当時の俺はそれを承知の上で、ある種の逆張り勇気みたいなもので挑んでいた。会社では誰にも話しかけられず、Slackアイコンもずっと初期設定のまま。それでも自分を注目して欲しいという欲求はあった。

 「呪術廻戦のテーマは、“死の受け入れ”よりも“存在肯定”にあると思うんです」

俺はそう言った。

それに対して、口を開いたのが彼女だった。白いマスクを外して冷静な目で俺をまっすぐに見た。

「でもそれって、“他者媒介にしない存在”ってことですか?」

唐突にそんな言葉が出てきた。返す言葉に詰まった。彼女の声は低くて落ち着いていた。大学院哲学を専攻していると言った。

その瞬間、空気が変わった。

みんなが「へえ〜」と頷いて、俺は笑ってごまかした。その笑いが妙に引きつっていたのを今でも覚えている。

そのあと彼女が言った。

「でも、面白いですよね。呪いって、社会の圧みたいなものですし」

その一言に、俺は救われた気がした。

彼女は俺を笑わなかった。

それどころか俺の話を拾って補足し、言語化してくれた。その会の後、俺たちは駅まで一緒に歩いた。

外は冷えていてコンビニの前のホットコーヒーの湯気が白く漂っていた。

「また来月も行きます?」と彼女が言った。

「行く」と俺は答えた。

彼女名前はSといった。

新宿御苑の近くに住んでいて、大学お茶の水彼女の持ってくる本はいつも背表紙が硬かった。

『悪について』

他者起源

グレアム・グリーン短編集』。

対して俺の持っていくのは『チェンソーマン』や『ブルーピリオド』。

彼女はよく笑った。

笑うときに、指先を口元に添える癖があった。

その仕草上品で、俺はそれを見るたびに自分がどれほど下卑た生き物なのかを思い知らされた。

付き合うようになったのはその年の秋だった。

彼女修論で忙しくなってから俺の存在息抜きになったらしい。

あなたと話してると、時間を忘れちゃう」と言われた夜、俺は人生で初めてコンビニの帰り道が輝いて見えた。ファミリーマートの青い光がネオンのように見えた。俺の中でなにかが初めて肯定された気がした。

冬のデートの夜、代々木公園を歩いた。

イルミネーションが飾られてSNSでは「#冬の光2021」というタグ流行っていた。俺は寒くてポケットに手を突っ込んでいた。彼女は小さな紙袋を下げていて中には文房具店で買ったモレスキンノートが入っていた。

「これ、修論終わったら旅行記書こうと思って」

彼女はそう言って笑った。そして突然立ち止まって空を指さした。

「ねえ、見える?オリオン座

俺は空を見上げた。

そこには三つの星が斜めに並んでいた。

「……あれか?」

「そう。ベテルギウスリゲル。あと真ん中がミンタカ

彼女はそう言って、星の位置を指でなぞった。

俺は正直何もわからなかった。

星はただの光の点にしか見えなかった。

俺の住んでいた葛飾区の夜空では、星なんてほとんど見えなかった。中学の帰り道、空を見上げてもあるのは街灯と電線だけだった。だから星座名前なんて知る機会がなかった。

「小さいころ星座図鑑とか見なかった?」

彼女がそう言った。

「うん、まあ、プラネタリウムとかは……行ったかな」

本当は行ったこともなかった。そんな余裕のある家庭じゃなかった。週末は母親スーパーで特売の鶏むね肉を買って帰るのが恒例で、俺はその肉を味噌マヨで焼いて弁当に詰めてた。

星よりも肉の値段を見てた。だから空を見上げるという行為が俺には贅沢に思えた。

彼女は俺の顔を見て、少し笑った。

かわいいね。知らないことがあるって」

それがなぜかすごく悔しかった。笑われたわけじゃないのに馬鹿にされた気がした。

俺は「そうだね」とだけ言って視線を落とした。

地面に落ちた枯葉を踏みつけた。カサッという音が、やけに大きく聞こえた。俺はあの夜自分が一生星座名前を覚えないだろうと悟った。

通勤電車の窓に映る自分の顔は相変わらず冴えなかった。イヤホンからはYOASOBIの「群青」が流れていた。「夢を描くことが全ての始まりだ」なんて歌詞を聞きながら俺は窓の外を見た。

見たのは空じゃなく、線路だった。

陰キャは夜空を見上げない。

だってそこに映るのは、自分の見なかった人生からだ。

星の位置を覚えられる人間は、いつだって上を見て生きてきた人間だ。

図書館に通い、正しい敬語を使い、誰かに恥をかかされないように育てられた人間だ。

俺はそうじゃない。

俺の星座コンビニ防犯カメラの赤い点滅と、タワマン最上階で光る部屋の灯りでできている。

 

これは遺書だ。

俺はもう彼女と会っていない。

LINEトーク履歴はまだ残っている。

最後メッセージは「また話そうね」

日付は2025年2月14日

バレンタインだった。俺はその日会社義理チョコすらもらえなかった。彼女からチョコを待っていたわけじゃないけど期待してた。

「ねえ、今年はどんな本読んでるの?」

その一言が来るだけで救われたと思う。メッセージはもう既読にならない。

通話をかけたこともある。

仕事帰りの山手線品川から田端までの間イヤホン越しに呼び出し音が虚しく鳴った。ワンコール目、ふたつ、みっつ、……留守電に切り替わる。

録音された「この電話現在使われておりません」という機械音声。それがまるで彼女の声に聞こえた。その瞬間息が止まった。ほんの数秒で胸が焼けた。

どうして?

俺のスマホには彼女写真がまだある。表参道青山ブックセンターの前で撮ったものだ。彼女は黒いコートを着て、手に『ロラン・バルト恋愛ディスクール』を持っていた。俺は同じ日カバンの中に『チェンソーマン』の最新巻を入れていた。

その夜二人で神宮外苑いちょう並木を歩いた。イルミネーションの下で彼女が「あなたはどんな未来を望むの?」と訊いた。俺は「普通に働いて普通に暮らせたら」と答えた。

俺は夢を語る勇気がなかった。陰キャは、夢を語ると笑われると思ってる。

それでもあの頃の俺は必死だった。休日には「丸善丸の内本店」で彼女が好きそうな本を探した。

夜と霧

レヴィ=ストロース

哲学の慰め』

表紙をめくっても内容の半分も理解できなかった。けど読んでるフリをすることに救われた。カフェ・ベローチェでブレンドを飲みながらマーカーで引いた単語スマホで調べた。

「内在性」

「超越」

主体性」。

どれも俺には関係ない言葉だった。それでも彼女世界に近づける気がした。

夏になっても連絡はなかった。彼女Twitterアカウントは鍵がかかりInstagramは削除されていた。

唯一Facebookけが残っていた。プロフィール写真は変わっていなかったけど交際ステータスの欄が消えていた。俺は夜中の三時渋谷ファミマストロングゼロを買って歩きながらそのページを何度も更新した。酔いで画面が滲み青白い光が夜風に揺れて、まるでオリオン座みたいだった。

俺は空を見上げた。

でもそこにあったのは、看板LEDだけだった。

もしこれを読んで俺のことだと気づいたのなら、どうか連絡をして欲しい。俺はおまえが好きだ。おまえがいないと俺はもう駄目みたいなんだ。

たくさん本も読んだし勉強した。今なら話にだってついていけるし、楽しませることだって出来る。

から連絡のひとつでいいからしてほしい。、お願いだ。頼む。

これを俺の遺書にはさせないでくれ。

2024-12-16

アラフォーだが大学時代起業サークルメンバーのその後について語る(12/17 21:00頃追記更新

2000年代前半にインカレ起業サークル所属していた。ビタービットバレーちょっと後、ライブドア事件の前ぐらいかな。iモード流行り始めて一攫千金できそうだけど、1990年代のようにホームページ作るだけで数千万円とかは無理な時代

 

あと無給~月5万ぐらいで学生インターン生として数百時間働かせるブラックベンチャーや、そういった企業学生を紹介する人財(笑)ベンチャーNPOが跳梁跋扈してた時代

 

まぁそれはさておき、当時100人ぐらい居たほぼ同期生のうち、自分が思う成功例と失敗例についてなんとなく語る。一部フェイク含むし、上場企業社長特定できそうだから除く。

 

 

成功例①

新卒ITメガベンチャー就職し、パズドラブームちょっと前にゲーム制作会社向け人材派遣業・受託開発業を創業。あっという間に数百人規模の会社にして、最終的に30代半ばで50億程で会社売却。今はエンジェルっぽいことやってる。西麻布ホームのようだが、酒の飲み方が汚いとたまに話が回ってくる(嫉妬もあると思う)。

 

成功例②

就職せずに自分広告代理店起こすも、直後にリーマンショックが来て一回倒産自己破産。その後、オタク業界で再起。色々あって現在年商60億ぐらい。最初自己破産の時に迷惑をかけた人には、全額返済したみたい。

 

成功例③

教育ベンチャー就職し、30歳ぐらいに同業で独立最初学生を雇って個人指導塾を経営していたけど、法人教育通信教育ネット)に手を出してから一気に成長。年商100億ぐらい。

 

・失敗例①

新卒大企業新規事業開発部門入社するも激務で退職リーマンショック再就職うまくいかずその後連絡取れなくなる。30歳前後の頃、こいつに騙されたが連絡先を知らないか、という話がFacebookで回ってきた。しばらく忘れていたが、30代半ばにふと検索したら地方詐欺をして捕まっていた。有罪かは不明

 

・失敗例②

新卒不動産メガベンチャー就職し、その後、会社の同期同士で独立。しばらくは順調そうで、たまにメディアで顔を見ていた。なぜかその後、暴力事件を起こして逮捕現在不明

 

・(余談)自分

文系だが高校時代からコミュニティサイト運営していたこともあって、Linuxとかサーバー管理的なことを自己流でやっていた。起業にあこがれていたが、ちょうどリーマンショックタイミングで怖気づき、結局、日系中堅企業就職就職時にアピールしたためか、3年目ぐらいで新規事業に携わらせてもらい、PCネット知識はそこで重宝された。アラフォー現在までに2回転職し、現在年商100億規模のベンチャー管理職。小さいが事業部的な組織なんで、企画から実行まで全部自分裁量で回せるのが気持ちいい。副業可な会社でそこそこ資産もたまったけど、何やっていいのか分からず日々本業に追われている。

 

 

成功例」としては、色々な意見があると思うがとりあえず金銭的な成功基準としてみた。もちろん会社内部は大変かもしれないし、私生活は良くないのかもしれないが、億円単位で稼いでいたらまぁ成功と言えるだろう。また逆に借金ぐらいだったらいくらでも自己破産できるし、失敗とは言えないと思う。ただ逮捕されたらさすがに他人迷惑をかけたということだし、さすがにそれは「失敗例」と判断してみた(不起訴とかまでは知らん)。

 

当時のサークルの名簿があったからググってみたら、上場オーナー経営者が数人、上場企業役員が数人、その他、親の企業継いだ人、中小企業社長地方議員、医者弁護士社労士インフルエンサー情報商材販売数人…みんないろんな人生送ってるなぁ。でも名前でググって出るぐらいだから、それなりに活躍しているんだと思う。

 

当時は渋谷道玄坂桜丘町六本木とかの安居酒屋やら安中料理屋やらでよく飲んでたなぁ。25ぐらいまでは付き合いあったけど、そのあたりから成功失敗が別れるようになり、結局離れ離れになってしまった。いまだに繋がっているのは、飲み友達になった数人ぐらいで、あとは年賀状Facebook誕生日メッセージで「今年こそ飲みましょう」というやり取りをしているのが数人ぐらい。アラフォー突入し、とりあえず生きてるだけで丸儲けだな、とは感じる。青春でした。

 

 

<<追記レス12/17 21:00頃更新)ここから>>

 

mixiニュース見て、当時のことを思い出して書いた記事ホッテントリ入りしてる。嬉しいm(_ _)m

 

色々な大学生が参加しいるインカレサークルなんでで割合国立早慶MARCH:他で、1:3:4:2ぐらい。早慶多かったけど、圧倒的、というほどでも無かったかな。男女比は9:1ぐらい。あと「自己破産ならいくらでもできる」ってのは気楽に書きすぎたかもしれないけど、ちょっと上の世代社長借金が原因で妻子残して失踪したり、自殺しちゃったりした人がいるんだよ。それらに比べたら、借金自己破産して人生やり直せるんだから、失敗とは言えんよなぁ、と思って。

  

あとホッテントリ入りで自己顕示欲刺激されたんで、もう1人成功例を上げておく。

  

成功例④ 

自分の知っている中では、同世代一番の成功者。彼も20代ウェブサービス作って、30代で会社ごと数十億円で売却した。知名度が高いB2Cサービスで、同世代現在30代~40代)でネット使ってる人なら10人に1人は知ってると思う。確かに便利なんだけど、俺は悔しいから使わない(笑)

 

 

id:ducktビットバレー」じゃなかった?

そうだった!指摘ありがとう。訂正した。

 

id:delta-ja 2000年後期は金持ち父さんとか女子高生ドラッカーとかそういう時期だったね。氷河期の下ゆとりの上の世代はそこそこ幸運に恵まれてる世代だけど、増田周辺は打率が良いな。アフィだけ齧って撤退の連中が多かった感

はてな起業エントリが一番盛り上がってたのも2000年後半ぐらいだった気がする。そういえば、2000年代流行ってたものとしてSEOを忘れてたわ。pagerankが高い大学公式サイトからバックリンクをもらうために、大学教員に頼んでゼミ学会分科会やらのサイト無料で作ってたなぁ。そこからさらに自前のサイトリンク貼ったりして(教員承認済み)。

 

id:kudoku 100億規模の未上場ユニコーン企業は7社しかない。特定されるぞ。

年商時価総額勘違いしてない?

 

id:akiat年商が高い=企業が儲かっている」ではないことを知っていて書いているんだろうけど、「借金しようが自己破産しようが気にしないと」いう前提があるということが分かった

年商は分かりやすい目安だからね。もしかしたら②や③も赤字債務超過になってる可能性もあるけど、さすがにそれは外からじゃわからないし。

 

id:kuippa 50億100億ゆーてるけどほんまかいな。解像度1桁ちがってない? はてなで年25億。タイミーで268億。100億超えは 東証プライムでも上位1582に相当。飲み屋話真に受けてない?自社の決算書見た?

①は伝聞だけど、②と③と自分の話は裏付けあるよ。てか、B2B分野なら一般的知名度皆無でも年商10単位はザラだし、B2CB2Bわず年商100億超の非上場企業もたくさんありまっせ(参考1)(参考2)。

 

id:Helfard現在年商100億規模のベンチャー管理職” その年商情報要る?

ベンチャーだけどメガベンチャーじゃないって意味で記した。

 

id:gwmp0000 起業 自営業 大学起業サークルって具体的には何すんだろ? 会社作って経営すんの? 全員自分会社を作るのかね??

id:narukami 起業サークルってどういう気持ちでやるものなのか昔からまりからない

毎月、30歳ぐらいの若手社長呼んできて講演してもらって、その後、懇親会的な感じ。自分1人だと挫折しそうだから、同じ方向を向く仲間やライバルが欲しい人が多かったかな。一緒に会社作るための人を探そうって人はあまりいなかったと思う。みんな我が強いから。

 

id:TakamoriTarou どういう人が集まってる大学なのかそっちのほうが気になった。企業サークルなんてのがあるんか。

インカレからいろんな大学の人がいたよ。ガチ起業勢が1/3、意識高い陽キャ系が1/3、その他が1/3ぐらい。自分はその他枠だな。悪く言うとキョロ充に近かったと思う。

 

id:tkm3000 40代前半で上場企業役員ってなれる?

なれるなれる。新興市場なら、今だと社長40代後半、役員40台前半って会社も多いから。あとは30代で自分会社上場企業に売り払って、その事業部の執行役員経て役員になるとか。サラリーマンできる経営人材は貴重。

 

id:by-king 失敗の定義逮捕になってないか。夢破れて今はしがないサラリーマンやってますとかそういう話かと思った

成功してメディアに出る以外で、その人のその後を知れるのは悪いニュース逮捕)ぐらいしかないので…。名前ググっても出てこない半分ぐらいの人は、たぶん普通にサラリーマンとか公務員やってると思う。

 

<<追記レス12/17 21:00頃更新)ここまで>>

2024-08-09

大地震

ある日、大地震が起きた。思えば、あの日の朝はいつもと違って強い風が吹いていた。気象庁Webサイトで見た通りに天気は晴れ、しかし空はやけに不穏な雰囲気を漂わせていた。

からなんだか落ち着かない気分で、東急線に乗って職場のある渋谷に向かった。とりあえず混んでいる電車の中でイヤホンをしてSpotify音楽を聴いていたが、心のざわつきは収まらなかった。渋谷スクランブル交差点を歩いていると、その時突然、全てが崩れ始めた。

大地がぐらぐらと揺れ、周囲のビルガラスパリンと割れる音が響いた。パルコ109も震えていた。すぐに近くのカフェ避難しようと思ったが、人々の混乱でまともに歩けなかった。目の前で桜丘町ビルが崩れ、周囲の景観が一瞬で変わり果てた。

パニックになった人々の叫び声や泣き声が耳をつんざく。LINE家族や友人に連絡を取ろうとしたが、繋がらない。携帯電話アンテナ表示が消えかけていて、これは現実なんだと改めて実感した。

地震が収まった後も、不安は消え去らなかった。ニュースサイト更新する度に新しい被害報告が並ぶ。新宿池袋品川、ごく広い範囲で甚大な被害が報告されている。特に目黒区青葉台目黒川沿いの地域はひどい有様だった。自分の住む中野も、大丈夫だろうかと心配になる。

日が暮れた頃、ようやく電波が戻り、友人や家族とのやり取りができるようになったが、安堵の気持ちと同時に恐怖が蘇る。自分の働く会社も、被害甚大で営業停止との連絡が来た。無事だったことは幸いだが、今後の生活は一体どうなるのだろうか。

それから数日が経ったが、未だに余震が続いている。その度に心臓が凍る思いだ。行きつけのコンビニも棚が空っぽで、生活必需品が手に入らない。全ての日常根底から覆された。

かつての当たり前の日常を取り戻せるのか、それとも全てが変わってしまうのか。未来が見えなくて、不安ばかりが募る。もう一度、穏やかな日々が戻ってくることを、心から願っている。けれども、この大地震が残した傷跡は、簡単には癒えそうもない。

2020-08-01

anond:20200801150650

Domain Information: [ドメイン情報]

[Domain Name] BANKSYEXHIBITION.JP

[登録者名] 株式会社 美術出版社

[Registrant] BIJUTSU SHUPPAN-SHA CO., LTD.

[Name Server] ns1.dns.ne.jp

[Name Server] ns2.dns.ne.jp

[Signing Key]

[登録年月日] 2019/09/11

[有効期限] 2020/09/30

[状態] Active

[最終更新] 2019/10/25 10:41:57 (JST)

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[郵便番号] 150-8512

[住所] 東京都渋谷区

桜丘町 26-1

セルリアンタワー 11

[Postal Address] Shibuya-ku

26-1 Sakuragaoka-cho

Cerulean Tower 11F

[電話番号] +81.354562560

[FAX番号]

 
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