はてなキーワード: 梅田駅とは
「北区」という名称の区は、日本のいくつかの都市に存在します。それぞれの「北区」は自治体によって異なる特徴や文化があります。以下に主な「北区」をピックアップして紹介します。
特徴:
飛鳥山公園などの緑地も多く、桜の名所として有名。
特徴:
特徴:
主な駅:北大路駅など
特徴:
特徴:
岡山市北区(おかやまし きたく)
位置:岡山県岡山市の中心部に位置し、岡山市の行政・商業・文化の中心地です。
特徴:
岡山駅:新幹線や在来線の主要駅があり、交通の要所となっています。
岡山城・後楽園:日本三名園の一つである後楽園や、岡山城などの観光名所があります。
商業施設:表町商店街やイオンモール岡山など、多くのショッピングスポットがあります。
教育機関:岡山大学などの高等教育機関が所在し、学生の街としても知られています。
新潟市北区(にいがたし きたく)
位置:新潟県新潟市の北東部に位置し、阿賀野川を挟んで新発田市と隣接しています。
特徴:
自然環境:福島潟や阿賀野川など、豊かな自然環境が広がっています。
農業:トマトやナスなどの農産物の生産が盛んで、特にトマトは県内でもトップクラスの生産量を誇ります。
伝統工芸:豊栄仏壇など、伝統的な工芸品の生産地としても知られています。
交通:JR白新線や新潟東港など、交通の要所となる施設があります。
観光地:福島潟自然文化祭や阿賀野川ござれや花火など、地域の祭りやイベントが豊富です。
2005年4月に発生したJR宝塚線脱線事故から今年で20年が経過した。
20年前当時は、メディアでJR西日本の安全軽視がどうのこうの言われていたけど、あの事故の本質はそこではないと思っている。
あれから20年経過しても関西の鉄道事情は全く以前と変わっていない、というよりも2005年と比べてさらに悪化しているのではないか。
まず、事故があった2005年と2025年現在を比べてみると、関西地方の人口はさらに減っている。
大阪府の人口は880万人を維持しているが、兵庫県や京都府、奈良県の人口は20年前と比べるとさらに減少している。
これによって、JR西日本と関西私鉄との競争がさらに激化していることを示している。
関東地方と比べて、関西地方は「私鉄王国関西」と呼ばれるほど、JR(国鉄)と私鉄の競争が激しい。
広大な関東平野内に築かれている関東地方の鉄道ネットワークは、JRと各方面の私鉄路線が競合しない仕組みになっているのに対し、近畿地方は大阪平野を除いて周辺ベッドタウンが山地などに囲まれていて平野が少ない(六甲山地・大山崎の狭窄部・生駒山地・和泉山地・奈良盆地・京都盆地)。
JR西日本は自社エリアの鉄道ネットワークを「アーバンネットワーク」と呼んでいるらしいが、首都圏の鉄道にはそのような概念は無い。
そのため、JR路線と私鉄路線同士が近い位置を平行しながら通っていることもあるので、競争が激しくなるのだ。
2.JR京都線VS阪急京都線・京阪本線(梅田・淀屋橋~京都・四条河原町)
私は関東地方に住む人間であり、たまに大阪へ旅行や出張へ出かけるが、大阪の鉄道で一番驚くのが京都~大阪~三宮間を時速130キロで走る「新快速」の存在である。
一度、大阪~三宮間で乗ってみたことがあるが、速い速い。関東地方にも、新快速のような転換クロスシートの速い電車を作ってほしいくらい。
関東の鉄道はJRと私鉄の棲み分けがある程度出来ているので、新快速のようなモノは無いし、恐らく今後もできないだろう。
宝塚線の脱線事故の原因を突き詰めて考えてみると、あの「新快速」のような電車を作らなければならないほど、JR西日本は追い詰められていたということだ。
JR西日本が大阪駅に三越伊勢丹の招致を決めたら、阪急は自前の阪急梅田本店の建て替えをして三越伊勢丹を迎え撃つことになった。結果は阪急の圧勝で、三越伊勢丹は約3年で撤退した。
JR大阪駅の建て替えから現在まで続いている大阪・梅田の大発展は、この両者の競争が土台になっているのだ。
今になって考えてみると、脱線事故の元凶である阪急電鉄との競争を反省するどころか、更に激化させていた場面を私たちに見せつけていたわけである。
付き合っていたときから、ギリギリ間に合わないことが多いとは言っていた。
観察すると、漫画読んだりスマホいじったりなぜかポスター見たりしてる
それだよ。
全く気付いてなかったらしい。
なんなら、地図で複雑な地形(例:大阪・梅田駅構内)も下調べせず、「駅だからわかりすく作ってるよ」と言って20分迷ってた。
今日も、私が「土曜の耳鼻科だけど雨だから花粉症が収まって患者が少ない、待ち時間ないかも」と言っても
「土曜はいつも混むよ、受付時間ギリギリだから先に行ってる」と言って、肝心の患者(子供)を忘れて出かけ、
「まずい、10人しか待ってない!」と飛ぶようにかえってきた。
1. 東京駅前の丸善(駅前の方)(立地・蔵書数・レイアウトどれを取っても神)
1. 池袋のジュンク堂(同率1位。特に理系専門書が偉大すぎる。理系専門書で右に出るところはない)
3. 丸の内の丸善(いつも東京駅前に行くのであんまり行ったことないけど結構良かった)
4. 梅田の丸善(大阪で池袋ジュンク堂に匹敵するのはここしかない)
5. 梅田駅内の紀伊国屋(関西一大きいと豪語されてるけど専門書少なくて微妙)
上の4つは本当に素晴らしくて、素人には分野を取り違えるようなタイトルの本でもきれいに分野ごとに並べられている。
(パッと例が思いつかないけど「統計力学」を統計学のコーナーに置いてしまったり「微分幾何学」を微積分のコーナーに置いてしまうようなことが全く無い。)
このあたりは本当に都会の文化資本だと思う。素晴らしいよね。
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
最初気づかなかったが、どうやら彼女は歩きスマホをしていたようだ。
ふと気づくと、そのお姉さんと後ろを歩いていたワイたちに対し、
前からイケオジが歩いてきた。何もなければこの三人は綺麗にすれ違う距離感である。
イケオジは、ロマンスグレーの長髪で、柄シャツを着ていた。ポールスミスにありそうな柄だ。
すると突然不思議なことが起きた!
お姉さんは、まるで吸い込まれるようにイケオジの方向へ進行のベクトルを向けた!
信じられないぐらい綺麗に、お姉さんがイケオジへ吸い込まれていく!
きっとミサイルが戦闘機に向かっていく時ってこんな感じなんだろうな!
イケオジもびっくりだった。目をかっぴらいていた。
オジも立ち止まる、回避するといった行動ができなかったみたいだった。
これ以上開かないであろうと思われるオジの大きな瞳には
二人は衝突した。
ようやくスマホから目を上げた彼女は、一瞬怪訝そうな顔をしてオジを見つめたが、
すぐスマホに目を戻し、何もなかったかのようにその場を立ち去った。
イケオジとワイは、しばし口を半開きにしながら、お互い見つめあった。