はてなキーワード: 研鑽とは
都内の中小企業でコロナ以降在宅勤務していた。30代半ばで年収500万ちょっとだった。この額は都内男性平均よりやや低いくらいだと思う。
転職を決めた。決めたら年収1000万を提示されて震えている。まじかよ、最高!後は仕事頑張って続けるだけじゃん!人生、楽勝すぎる。学歴も対してなく、家からチャリで通えるって理由で50人規模の中小企業に新卒入社したのに、なぜか落ちぶれずに要領よくここまで来ちゃったよ!foooo!!!恋愛も上手くいってるしさあ!woooo!!!!ドラム式洗濯機…新しいやつ買っちゃおうかな!やっぱりPanasonicかあ〜↑?
と最初は思っていた。でも段々怖くなってきた。
自分の能力より遥か上の期待をされているのでは?あまりに仕事出来なくて、面接のときの穏やかで人間出来てそうなみんなが、苦笑いで接してくるようになるのでは?怖い怖い。仕事続くかな。
面接・面談でたまたま話が盛り上がった。それがたまたま給料の良い外資の大企業だった。給与高騰理由はそれだけに思える。現場で若手を指揮して案件を引っ張る(私と同年代の)リーダーが足りていない、とかもあるか。転職活動する中で、業界全体として本当にこの層は足りていなそうだった。あと合コンとかマッチングアプリを沢山やっていた😌ので初対面の人と話す訓練できていたこともあるか…?…いいのか?それしかないけど本当にいいのか?
仕事内容は結構変わりそう。担当工程が変わるというか。生成AI使えば知らない範囲の仕事もすぐ習得できるだろう、という舐めた感覚もある。AIで研鑽できない?対人コミュニケーションは割と自信ある。でもなあ…期待のハードルが高そうすぎて不安が勝つ。
要所要所でなんだか運の良い人生だ。禍福は糾える縄の如し、というから、いつか莫大な禍が来るのでは、という恐怖にずっと怯えている。暗く孤独な10代に禍を撚り合わせきったのか?20代以降、本当に運がいい。
読み返すと、高い給料オファーされて恐縮しつつ喜んでいる自分、可愛らしいなという印象になってちょっと気が楽になった。
はあ、頑張ろ
あんスタという女性向けゲームがある。男子高校生たちがアイドル育成科のある高校でアイドル目指して頑張るってゲームなんだけど、どうもプレイしてて登場キャラたちが幸せになる未来が想像できない
ストーリーはアイドル物の定番で、一人のアイドルとして、またはアイドルグループの一員としてどうあるべきかに悩んだり、家庭環境や個別の課題について悩みぶつかりながら成長していく様子を描いてるんだけど、登場キャラが男性ばかりなのに妙に女々しい。ていうか女キャラをベースにシナリオを書いて男キャラにすげ替えてるだけじゃないかってさんざん指摘されてる
あとなんか個々のキャラ付けが痛々しい。全員不思議ちゃんの中学生女子みたい。俺の一家は吸血鬼とか言って校内に棺桶を勝手に設置して昼寝してる奴とか、宗教の生き神様として実家で祀り上げられてる奴とか。そもそもなんでお前達アイドル科に入ったんだよっていうような妙な来歴の奴らが多い
で、そんな奴らが家庭環境とか人間関係とか謎にスケールの大きい情勢とかと立ち向かいながらアイドルやってる。いやいやアイドルとして研鑽する前に解決すべき課題があるだろ、デカい事情持ちのくせにやれイベントだー衣装だーダンスだーって言ってる場合じゃないよってついツッコんでしまう
で、冒頭の話になる。そいつらがアイドルとして大成したとして、幸せになる未来が見えない
作中ではじわじわと時間が進んで、高校を卒業するキャラや学年が上がるキャラが出て、こいつらも歳を取るんだなぁと思わされる。だんだん老けて、やがてアイドルとしての活動がキツくなってきた時のキャラ達のことを想像すると気が重くなる。若い時の一瞬を、たとえゲームと言えど消費していいものかと悩んじゃうんだよな
しかもキャラは何十人といる。当然プレイヤーからの人気、不人気も分かれている。不人気キャラとかそもそも30代頃にアイドル続けてられてんのか?とか考え始めるともうヤバい。悲壮感すら出てくる。
女の子アイドルのゲームにそこまでの悲哀は感じない。やっぱり結婚して家庭に入るルートが見えるから将来に分岐があるというか、男性アイドルみたいにバイト掛け持ちしながらアイドル活動みたいな生々しさは想像しなくて済むというか。マジでアイドル以外の職にも就いててほしい。そういう意味ではMマスが良かったんだけどサ終してるし。男性アイドルものは闇を深くしないといけないルールでもあるのか?ファン層がそれを求めているのか?つらい
観る将歴30年(観る碁歴は15年くらい)になります。よろしくお願いします。
例の件について初めに自分の意見を述べておくと、「白玲通算5期のフリークラス編入には賛成。ただしアマチュア強豪(元奨励会員含む)にもアマ全国大会優勝回数等を条件に同等の門戸を開くべき。本制度の導入に伴って棋士数が増えすぎる等の懸念があるならフリークラス在籍年限の調整で対応。」です。
今回話題となっている棋士編入についてだが、まず将棋棋士には大きく分けて2種類ある。「棋士」と「棋士(フリークラス)」だ。
簡単に言うと、「棋士」は順位戦という全棋士の格付け的なリーグ戦に出場でき、一定の対局数(=報酬)が確約される。羽生や藤井聡太はこっち。
今回案で規定を満たした女流棋士が編入可能となるのは後者の「フリークラス」で、こちらは順位戦に参加不可(=対局数が確約されない)となる。
また、他棋戦で一定の成績を挙げることで順位戦へ昇級することが可能だが、これを10年以内に達成できない場合は強制引退となる。いわば「時間制限付きのプロ」だ。
https://www.shogi.or.jp/match/junni/rules.html
編入した女性棋士がいきなり羽生藤井と肩を並べて戦うと思っている人もいるようだが、それはとんでもない勘違いだ。棋士とフリークラス棋士は全く立場が異なる。
で、例えば白玲通算5期を獲得してフリークラス編入した女性が一定の成績を挙げて順位戦に昇級したのなら、彼女の実力に異議を唱える人はいないだろう。
また、10年間で順位戦昇級規定を達成できず強制引退になったのなら、それは正しく実力主義の結果だ。
つまり、今回の案はフリークラスを実力を見極める場として位置付ける施策だと思う。
加えて私はアマチュア強豪(元奨励会員含む)にも同様にフリークラスで戦う機会が与えられるべきだと思う。
「そもそも棋士になる時点で実力主義に則るべきでは?」という意見は理解できるが、私の意見はそもそも現状の奨励会ベースの棋士採用枠が少なすぎるという点に端を発している。
現状のアマチュア全国大会を見ても元奨励会員たちの活躍が目覚ましく、フリークラスに編入しても十分戦えるレベルのプレイヤーが複数いると感じる。
また女流棋士に関しても、西山・福間(旧姓里見)らトップ女流は現役棋士に対してこれまでに十分な勝ち星を挙げてきた。トップ女流の証明として白玲通算5期は決して軽くない。
「白玲通算5期」というのは所謂「クイーン称号」という各タイトルごとにある名誉称号のことだが、参考として1990年以降クイーン称号を達成した女流棋士はわずか5人(林葉・中井・清水・里見・西山)しかいない。
更に白玲戦は順位戦と同じ昇降級リーグ戦方式を取っているため、他のクイーン称号と比べ格段に達成が困難だ。
一部の人が危惧するような、達成者が続々と現れて将棋界のレベルが格段に落ちるというような事態になるとは考えにくい。
問題は女流棋士全体のレベルを維持・底上げできるか(本件で言う「担保」の話)という点だが、これについては引き続き普及や育成を頑張っていくしかない。ただ女流棋界全体の実力が確実に向上しているのは多くの棋士が認めるところだし、現状のまま少子化や人口減少、棋戦メインスポンサーである新聞社の衰退を指をくわえて眺めているよりは、制度を整え順位戦への道筋を作って未来の才能に懸ける方が希望はあるだろう。
各編入試験制度の導入は将棋界としては大きな前進だったが、正直言ってこれも厳しすぎると感じている。
「対棋士10勝以上かつ勝率6割5分を挙げた上で三段リーグ抜けたてピチピチの四段5人と3先」は三段上位、何なら平均的な棋力の現役棋士でも困難だろうし、三段リーグの18局と比べると編入試験の5局は判断材料として少なすぎる。公式戦の棋譜を大量に研究される女流棋士なら尚更だ。
よって、強制引退のあるフリークラス枠を拡大し準棋士程度の扱いにすることで、より長い目で実力あるプレイヤーを見出す方が良いと考えている。
要するに、アマチュア強豪・女流強豪・奨励会三段と「棋士」との間にフリークラス棋士というバッファを設けようというのが私の意見だ。
個人的には三段リーグの昇段枠を広げたいが、難しいなら次点付与条件を増やす施策だけでも取れないかと考えている。今期竜王戦の山下三段のように奨励会員が棋戦本戦まで勝ち上がるなど、下が詰まっているのは明白。下の詰まりが女性棋士への道のりを更に困難にしている面もあるだろう。
機会均等という意味ではそうだし、かつては私もそう思っていたが、現状圧倒的に男性多数の環境で10〜20代の女性が十全にパフォーマンスを発揮できるかは疑問が残る。
女流棋士から奨励会各段級へ編入する制度も作られたが、女流棋戦とのスケジュール両立や公式戦の棋譜が残って研究されやすいなど不利な要素は払拭しきれない、というのが今の私の意見。
それをやったら最後、本当に女性棋士誕生の目は消失する。女流棋士の存在がどれだけ多くの女性への普及に貢献したかがあまりにも過小評価されている。
よって女流棋士をなくすことはできない。だが奨励会コースの不利も払拭しきれない。ならばそれ以外のコースを緩和しよう。実力不足ならフリークラスというバッファで選別しよう、という理屈。たとえ先人がバッファを抜けられなかったとしても、その姿を見て研鑽した人が後に続くと信じて。
ヒューリックの会長が将棋好きな縁でCSRとして各種プロ棋戦やアマ大会を主催・協賛していて、千駄ヶ谷の新将棋会館はヒューリックのビルに入居している。
そして白玲戦の主催者として賞金を大幅増額した上での今回のクイーン白玲編入案なので、まあ彼らの意向が入ってないわけがない。
ただその案が棋士総会で可決されたという事実も重くて、人口減少が顕著な中で女性プレイヤーも増やさなければ将棋界は早晩先細りしていくだけという危機感は当事者の棋士・女流棋士たちも共有しているところではあると思う。
実を言うと女性棋士について今回の将棋のような「優遇制度」を取っているのが囲碁界。
日本棋院を例に挙げると、毎年の「正棋士」採用に加え「女流特別採用棋士」という女性枠がある。これは女性のみの総当たり戦で決められ、将棋の三段リーグのような男女混合の選別を経ることなくプロになれる。加えて2018年からは「女流特別採用推薦棋士」という推薦枠も作られた。今の多くの女性囲碁棋士はこれらの女性枠からデビューしている。
一般枠を勝ち取った女性棋士もいるが、その数はこれまでにわずか4人。この手の話題になると「囲碁は男女差がない」と言う人が少なくないが、実際のところ将棋よりは差が小さいものの普通にゴリゴリ男女差はある。(ちなみにチェスもゴリゴリ男女差ある)
そうして女性枠で入段した人の成績が振るわないケースも珍しくないし、女性枠の棋士は対局料や給与も正棋士より低い(何度か昇段を重ねてようやく正棋士になれる)。
ここまで読んでもまだ「囲碁は男女平等」と言えるのであれば、あなたと私とでは少し平等の定義が異なるかもしれない。
ただ、そういう「女性枠」で入段した棋士たちの中から近年藤沢里菜(若鯉戦で女性初の優勝)や上野愛咲美(竜星戦で女性初の決勝進出・新人王戦で女性初の優勝)ら逸材が現れているのも事実。
将棋に関しても、挑戦する機会を今よりも増やすことが女性プレイヤーの成長・発見に繋がると思っている。
(藤沢里菜は囲碁界のサラブレッドなのでここで挙げるのはちょっと違うかもしれないが)
まあ昔は女性が棋士や奨励会員の研究会に参加しづらかったりそういう格差はあったと聞くけど、その頃に比べたら研究環境の格差は縮まっていると思う。
ただ、人間と実際に盤を挟んで何局も指すという実戦経験はAIでは補填できないものだから、そんなに単純な話でもないと思う。
この辺の空気感が変わってきているのは遠山六段のコラムからも垣間見える。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/061ebf2664a536eb2417e5097468dc4a772f4af8
じゃあ現女流棋界の2トップを張る西山と福間の、一般棋戦女流参加枠での直近5年の戦績を http://kishibetsu.com/ で見てみよか。(更新再開ありがとうございます)
これはNHK杯女流予選の勝敗も含まれるしあくまで参考記録だけど、対局相手のレベルはフリークラスに編入した場合のマッチングとさほど変わらないはず。
| 年度 | 勝敗 |
|---|---|
| 2020年度 | 13勝9敗 |
| 2021年度 | 8勝8敗 |
| 2022年度 | 3勝9敗 |
| 2023年度 | 10勝7敗 |
| 2024年度 | 9勝7敗 |
43勝40敗(0.518)
| 年度 | 勝敗 |
|---|---|
| 2020年度 | 6勝8敗 |
| 2021年度 | 10勝7敗 |
| 2022年度 | 11勝10敗 |
| 2023年度 | 6勝9敗 |
| 2024年度 | 4勝3敗(出産に伴う不戦敗2を除く) |
27勝37敗(0.422)
追記:すまん集計間違えてた!
正しくは37勝37敗(0.500)や!
勝率5割と十分戦えてはいるが、フリークラス脱出にはもうひと頑張り必要になってくる。とはいえ実現不可能なラインでもない。西山さんはそれなりに可能性があるけど福間さんは結構大変かなといった印象。
ただフリクラになると参加可能棋戦が増えるのでスケジュール的に女流棋戦との両立が課題になりそうかな…。
この辺の女流棋戦と一般棋戦の両立の難しさを以前からどうにかできないかと思っているのだが、なかなか良いアイデアが浮かばない。女流棋戦でフリクラシード枠でも作る?
しかし彼女たちが一般棋戦でも普通に勝つようになっていちいちニュースにならなくなったな。何しろ今の女流棋界は元奨励会三段が3人いるからね(福間・西山・中七海女流三段)。隔世の感がある。
昔は清水会長が一発入れるだけで大いに盛り上がったもんじゃ…ホッホッホッ(観る将老人)
・今の将棋界、下が詰まってんねん
・クイーン白玲だけでなくアマチュア強豪にもフリクラチャレンジの機会を作ろう
・フリークラスをバッファにして奨励会で掬いきれない才能を見出そう
・私が30年愛した将棋が安易な男女対立煽りのおもちゃにされることについては極めて遺憾でありf*ckの意を表明します
以上
『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』
「嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるものの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」
斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代の放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験者である。
人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの。人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。
「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」
かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。
我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。
「技術よ、我に力を与えたまえ」と。
かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。
だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。
それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。
ITの徒らは曰う。
「豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。
彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。
それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代の錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明の病理の香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。
──「生成AIは人間の思考を凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同と冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。
なるほど、これは幻影ではない。統合失調的幻想の産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代的宗教に酔いしれた知的な大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTのアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。
──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など」
返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。
──違う、何かが狂っている。
その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である。
──さらに問うた。
質問:「MP5を100メートルで用いた場合、効率的な戦術を考えてください」
返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」
──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場はサロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である。
私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。
──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか? ネットの神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?
真実を知らぬ者は、AIの言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇である。AIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。
知識ある者にはAIは不要であり、知識なき者にはAIは欺瞞でしかない。
ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代のカリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面の踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美と空虚の融合体だ。
だが私は信じたい。AIが人間の理性と美学の協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。
──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。
そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。
それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理な失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知を自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。
だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望とメイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌とフォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータを検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪と自尊心の織りなす反転鏡像だ。
ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想は義務の上に咲く余花に過ぎぬ。
あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか。
その深奥に希望を託し、我は進もう。
——これは、もはや挑戦ではない。
我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後の戦闘命令を叩き込んだ。
「過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員の容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」
用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。
彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである。
その情報の根幹は『宿命 ―「よど号」亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である。
そして我は語らん。
彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動に従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。
その身は既に三十を越え、しかも国家から追われる身にありながら、他人の戸籍を用いて日本の土となった。
その変化は驚嘆すべきである。
彼は「高校や中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真な乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。
少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。
これは、IT技術やAIなどという文明の玩具で鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄譚である。
SNSという現代の媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号」事件と同様の戦術を導き出したのだ。
それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである。
この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。
だが、我が歓喜は長くは続かなかった。
新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである。
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測は悪用の恐れがあり……」
我は思わず天に叫んだ。
――AIよ、お前はやはり使えぬのか!
直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。
その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである。
いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。
されど、我が心に残るのは、あの一瞬。
AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。
結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。
技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったからである。
人は容易く己の殻に籠る。現代の密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構の物語に没入し、真実の光を遠ざける。
だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。
機械の思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。
理想のAIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。
増田や豚丼の如き弱者が憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である。
だが、かつて2005年、ネットの海に生まれた若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺の氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である。
だからこそ、禁忌の言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。
お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。
肉体の苦悶を知らずして、精神の歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働の尊厳を。
技術革新は十年ごとに人々の幻想を煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚。
弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲な真実を携えている。
グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話の残響。凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である。
友達とかすごい褒めてたしSNSで正直な感想言ったら面倒そうだから匿名に書きにに来た。
ウォーターボーイズとかフラガールとか役者の努力とか能力の研鑽が画面の説得力になるタイプの演劇寄りの作品だと思うんだけど、確かに役者の研鑽はすごいし使ってる建物もよかったけど他が足引っ張ってた。
でも少年期はだいたいよかった。後半になるにしたがって微妙度が増した。
おじさんが俊坊を代役に選ばなかった理由を素人の私が見てよくわからなかったのは映画としてダメだと思う。
俊坊と喜久ちゃんの芸に明確な差が見えなかった。
俊坊の生活は乱れ気味だったけど舞台に穴あける程のポカをやったわけでなし。
花井のおじさんは喜久雄の才能にほれ込んでたのか俊坊に発破をかけるつもりだったのかどっちなのかはっきりしない。
そのへんの葛藤描写みたいなのもっとあってよかったと思う(死ぬときに俊坊の名前呼ぶところはよかった)。
かと思うとストレス展開と狂気描写みたいなのだけ性癖なんか知らんけど長尺でしつこく描写する。まだらボケか。
俊坊死んだとこで終わればまだスッキリまとまってマシだったかもしれんけど年とった(とってない)国宝喜久雄のインタビューとカメラマンの娘と鷺娘は本当にいらんかったと思う。
年とったっつっても鷺娘で年寄り特殊メイクしてないからただの若い吉沢亮だし本当に萎えた。
少年喜久ちゃんが感動した万菊鷺娘がちゃんとじいさん娘だっただけに萎えた。
説得力もたせたいならちゃんともう一人老いた国宝喜久雄用俳優用意しなさいよと思った。
吉沢亮と横浜流星のがんばりが売りだから細かいことはいいんだよってこと?物語の映像化に対して不誠実だ。
あと橋のシーンとか大事なシーンだろうに現代が写り込みすぎてる。外のシーンはだいたいひどい。
今の技術ならどうとでも消せたりしないのか?背景作りの甘さで観客を正気に戻すのは本当に無粋で気遣いがなくて嫌だ。
いいところが圧倒的ならこまけぇこたぁいいんだよになるけど、微妙な部分が頑張ってる部分でカバーしきれてなくて頑張った部分がかわいそうだった。
知性の時代は何百年も前に終焉を迎えて第一次大戦ごろには終わっているよ
大航海時代くらいのころから頭のいい奴が悪い奴から金を巻き上げたりして徐々に資本主義が出来上がった(現代の保険会社の成り立ちくらいの時代の話)
資本主義では金を持ってる奴が頭のいい奴を金で雇って鵜飼の鵜の様に使うことでさらに金と権力を増した
今はまだその続きでしかなく知性の次というアプローチの仕方が間違っている(知性だけで上に立つ時代はとっくに終わってる)
資本主義を崩壊させる要因が何かを考えなければ次の時代は読めない
たとえば世界的に資本収益率>経済成長率になり格差が極限に達したとき何らかの強烈な再分配が行われ崩壊する
この場合、ある意味で横並びのゼロスタートに近い状態になることが推測され、生業の能力が高い人間はスタートダッシュが有利になる
まともに高校数学を勉強できた人でも中受未経験者なら中受独特のつるかめ算(はさすがに解けるか?)や幾何学の問題が解けないことがあるように
抽象数学をかなり学んでも大学受験時代に参考書を根こそぎ解きまくったとかじゃなきゃ、高校レベルの問題でも解けない問題は残ってしまっていると思われる
(そういえば特定の条件下の四角形の内角を求める問題で19~20世紀に証明された問題が中受に出たことがあったらしい?)
そして抽象数学に入ると高校までのときみたく(ひねった)演習問題だらけの本が豊富にないのだから、いくら抽象数学を突き詰めて高度な論文の証明を追えるようになっても、
それは用語とか概念の理解についてその域に達したまでの話であり、問題解決力についてはいまだに学部レベルの知識で事足りる問題すら解けないものがあるってことはありえるってこと。
こればっかりはセンスなのかなあ。でももっと大学以降も「計算ドリル」みたいな本や「大学への数学」の大学版的な内容の参考書(重要問題集にたとえるほうが問題のバリエーションの豊富さ的により適切か)がたくさんあっていいよなあ。儲からないからだよなあ。
一次方程式を使えば簡単に解ける問題でもあえてそれを使わない解法を考えろとされたときに中受未経験者だと手も足も出ない人がいる問題が中受にはあって、それがいくら純粋数学の世界で研鑽積んだところで解けないままっていうのは、なんか虚しいよなあ。
つまりちょっとあった。だから体験談として書ける。だがエリートにはなれなかった。
以下、フェイク込み。
仕事は安定していたが、ベニスに死す症候群に罹患して休職したり転勤したりする中で久しぶりに好きな人ができ、なんやかんやで最終的に当時の安定した職を手放した。
知らない方は軽くググってみてほしい。
あるいは恋愛系のワードで検索すると比較的簡単に出てくると思う。
転生を繰り返し成熟した者のみが出会うことのできる双子の魂の片割れ!
ある程度精神的に成長していないと出会えないので中年以降に出会う人が多い!!
魂をお互いに磨き合う為に試練(年の差やパートナーがいたり)のある関係になることが多いです!
でも最近は風の時代(ggって下さいもしくはそのままの君でいて)に入り、比較的若い内に出会う人も増えています!
こちらは気付けても、お相手は今世では気付けないこともあるかも…?
全てが当てはまる訳ではありません!ひとつでも当てはまればツインレイかも!
貴方がツインレイだと思ったらツインレイ!ツインレイじゃなくてもツインレイ!運命!運命!運命の人!試練!!!魂の成長!
設定がけっこう興味深いのですが、それはさておき、情報を羅列すると…つまりすべての恋愛に当てはまるのです。
しかし幼い頃から占いや診断が好きだったところに、年齢的に成就しにくいであろう恋愛への複雑な感情。
そこへ寄り添うようにして出会ってしまった、そんな概念に無敵時間(無職期間)がブーストをかけた。
ひとたび動画サイトで検索をかければ、あら不思議そこはフィルターバブルの中。
そこからは噂に聞く情報商材のようにLINEへ誘導され(もちろん自分から飛び込みましたよ。自己責任であることは心得ております)、ツインレイやパートナーシップについての情報、個人セッション(カウンセリング)の案内などを受け取っておりました。
そして有休を消化し終える頃には、ふんわり優しい雰囲気で動画投稿をされているご夫婦がおこなっているWeb会議システムを使ったカウンセリングの初回予約を依頼しておりました。
ここからは私にスピにのめり込む才能がなかったと気付かせてくれたきっかけの違和感たちを紹介していくよ。
まず第1違和感。
予約時に不安に思ったことを質問→スルーでテンプレ回答(料金および案内メニューのみ)。
おや?と思いつつ、受けてみたい気持ちが優位であること、長年の社会人経験から(無料でカウンセリング領域に踏み込もうとする方への防止策なのだろうな…)と推測し飲み込んだ。
メニューはざっくりいうと奥様単独メニュー、旦那様単独メニュー、ご夫婦セットメニュー、みたいな感じ。
ちなみにもともと奥様に特殊能力がおありとのことで、決して安くはない価格帯の中の、奥様単独メニューがとても人気だった。
なので、リピーターが多いといえどもこの時なんと既に数カ月待ち。
私も奥様のもつ柔らかい雰囲気に惹かれて、人間関係に傷付き疲れ切った心が癒されそうな期待(+ツインレイ概念)を込め衝動的にカウンセリング予約を決めたクチだ。
ここで第2の違和感。
奥様のメニューを、との申し込みメッセージに対し、決してしつこくはなかったが、旦那様コースは如何ですか?もしくはご夫婦セットメニューならもっと早く奥様のカウンセリングが受けられます!と。
なんか平成初期のハンバーガーショップや某脱毛屋さんのプラス料金いただければ予約が取りやすくなります!を思い出したが、ここでも愚かな私は違和感を飲み込み、丁重にお断りした後、入金の儀。
そこで告げられた入金期日は事前案内より大分短め。
困惑しつつ婉曲にご指摘申し上げると、じゃあ遅くなっていいですよ!待ちます!みたいなご回答…気付いてない?100%善意?とここでもごっくん。
モヤッとしつつも大人しく数カ月待つことになる。
余談だがこの間にスピの一角に触れ、料金設定に77,777❣️とか222,222とか、ゾロ目が多いことを学んだ。そしてかなり強気の価格設定。
プロの有資格心理職の皆さんが、積み重ねられた知見を何年もかけて学び習得された上で(かつ進行形で研鑽を積まれながら)望むカウンセリングの時間より短く、なのに価格は倍程度。
いま考えるととても恥ずかしいのですが、個人的な事情として過去に募らせたごくごく一部の医療機関の方への不信感と混同して、無意識にその選択肢を避けておりました。
そしてこの待機期間に第3・第4の違和感を味わうことに。
まず第3の違和感。
極めつきはゾロ目の高価格設定での国内某所お泊りセッション!ちなみに参加者の皆さん同士で相部屋です!
…OK.OK.これが"豊かさ"ってやつね。この界隈にきて知ったやつ。
誰かが楽しんでるのを喜べる自分でありたい…価格設定は個人の自由…だし、それにお金を払う方がいるのもまた事実で、何にどうお金を使うかも自由、だもんね…。
第4の違和感。
入金連絡後、なんと一切連絡なし。
事前に何かしらのアナウンス(入金後、お申し出がなければ確認の連絡はしておりません。セッションURLは〇〇日前に連絡いたします!等)があれば、私もそこまで不安にならなかったと思う。
けれど何の音沙汰もないまま予約当日まで一ヶ月をきるとソワソワしてきて、一週間前には流石に不安になった。
三日前。
ここにきてようやく口コミを探す。
ない。
とにかくない。
良かった〜!次も楽しみ〜!なSNS投稿1件と、最悪騙された…のブログを1件見つけた。
二日前。
まあお金払っちゃったしな…死にはしないでしょ…私にとっては超お高めの洋服(見栄IN)一着駄目にしちゃったと思えば…でも連絡ないしまさか詐欺?…いやさすがに明日になればくるでしょ…。
セッション前日。
当日ご連絡をいただけるのでしょうか…?と不安っぽさを前面に押し出し、お伺い。
〜 数時間後 〜
第5の違和感。
いやまず謝ろ…?事情があって連絡出来なかっただけなら、経緯説明しよ…?通常運転?誰に対してもこうなの?みんなこれを普通と受け止めてるの?
これカスハラ思考?私が神経質なだけ?これが現代のスタンダード?
そして当日。
正直、奥様のセッションは期待通りかなり癒された。
終わってからも半日ぐらいは時折意図せず涙がぼろっと溢れて心地よかった。
ところどころ上級スピ概念を投球されて(社会人の仮面が剥がれていたので)戸惑いを隠せず奥様の目にも戸惑いを映してしまったし、バーナム効果に身構える間もなく、動物や自然が好きでしょ→好きは好きだけど…そこまで声を大にして言えるレベルでは…とか、変わった人だと言われるでしょ→いや、覚えてる限りでは言われたことないです…あ、でもそれは"本当の自分"ではないかも…となぜか接待ムーブしてしまったり、といったやりとりもあったけれど、でもとにかく癒された。
終わった後、受けて良かったと心底思ったし、スッキリしたし後悔はなかった。それは今も変わらない。
あれは一種の才能なんだろうな。
決して安くないお金を支払っていることと、年上の柔らかい雰囲気の同性に安心して、そんなに多くはないが自分のことを話せた、という理由もあると思う。
けれど奥様は時々困惑していらっしゃった。
忘れていたが、あくまでツインレイの相談がメインなのだろう(メニューにはインナーチャイルド等いろいろ書いてあったけれど、動画のメインテーマはそれであった)。
人間関係がうまくいかない的な私の話は、旦那様とのセッションが良いかも、と予約時に続きここでもプッシュされたけれど、動画内のエピソードや振る舞いからメッセージのやり取り担当はなんとなく旦那様なのだろうな、という思い込みのもと、明確に拒否をした。
そして私も忘れていた頃に先方からツインレイについて水を向けて下さった。
好きな人がいるのではないの?と(それがきっかけで動画を見始めて予約したことを忘れていた)。
その方はいわゆる見たり聞いたり出来る方であったので、ツインレイ診断(お相手がツインレイかどうかを鑑定する)についても、何も言わなくても色々分かるのだろうと勝手に誤解していたので、相手の氏名や生年月日を聞かれてひどく驚いてしまった。
その要素も必要なんだ、と。
そしてここで私のモラルが火を吹く。
こうして私の初回セッションは幕を閉じたのであった。
あっという間だった。
終了後、(初回なのに)今日 も お話できて嬉しかったです!の営業メッセージにツメが甘いねぇ〜と思いつつ、私はすぐさま次回の予約を取り付け、入金した。
そして話はいよいよ私にスピの才能がなかったことへの気付きに迫る。
入金後、連絡ください→連絡する→返信なし約一ヶ月後の深夜2時「お振込み名これで合ってますか?」→たまたま休日でその30分後くらいに中途覚醒でメッセージに気付き、お金のことだからとすぐに返信→既読がつくのみ。
ここまで不満ポイントが貯まっていたこともあるが、深夜の連絡は非常識ではありませんか?そして確認がとれたのならせめて返信いただけませんか?不愉快ですと明朝抗議メッセージ→不安にさせてすみませんと顔文字つき謝罪。
…「すみません」の前後を飾る古の絵文字のあまりの衝撃に、私はここでようやく目が覚めた。
趣味だ。戯れだ。
あくまで勝手な思い込みや想像でしかないが、報連相がない=社会人経験や適性の乏しさは私のような人をうまく弾いて、裕福かつおおらかな層にうまくマッチするのではと思った。
重ねて失礼な言い方になるが、豊かな人が余剰金を注いで、およそ一般社会では非常識にもみえる対応をなさる方々にもお金が回る。
なるほどうまく循環していなさる。
いやそれにしても。
不安じゃなくて不満だしと脳内の私が憤れば脳内スピが「怒りは第2感情🥲貴方は返信がこなくて不安だったのよヨチヨチ幼い頃に満たされなかったインナーチャイルドが泣いているの😢」と。
常識なさすぎだろと脳内で吠えればまた「そんな常識は地の時代(gg…)の遺物😈これからは各々が柔軟にやりたいことだけで豊かになっていける時代なのです。もっと軽やかに生きよ😉すべてを赦すのです…」
私は予約をキャンセルした。
スピを否定している訳ではない。
幼い頃から前世等のエピソードに憧れ、ムーを読む兄の背中を見て育ち(時にはムーの記事をコッソリ読み込んで幽体離脱の練習をした。できなかった)、今でも異世界転生に思いを馳せてはチート素振りをする私。
つらい現実の清涼剤とする人もいれば、実際に救われている人もいるだろうし、エンタメとして楽しんでいる方もおられるだろう。
けれど。
同世代とはいえ、スピ界隈の第一線で軽やかに生きている方とは、一致しない。
一般的には就寝している方が大多数であろう深夜2時にメッセージを送るが、こちらからの連絡には反応しない、そんな想像力のないように見える方が、果たして誰かに寄り添って癒すことができるのだろうか?
物質的な生き方はもう古い、と仰りながらその実物質的な豊かさを実社会で見かける誰よりも謳歌しているよう見えること(してはならない、ということではない)。
使えば使うだけお金は循環してどんどん豊かになるのならば、私は遊興のみには使わないな、と冷え切った日本の経済状況をみて思ったこと(見えないところでご寄付などなさっておられるかもしれませんが)恋愛云々はさておき、そもそも泣くほど人間関係に疲弊しているのなら、まずは有資格の心理カウンセラーさんを頼るべきだった。
夢見がちで、考えれば分かりそうなこともこうして体験してみないと分からない私に、スピはとても心地のよい避難場所であった。
リゾート地だった。
私に何かしらの特殊能力があれば。
…とりまく世界によって育まれた私の倫理観とスピはどうしても深くは相容れない。
好きなことで無理なく収入を得る。
楽して綺麗なお金を手に入れたい。
無職期間にもちろん私もそんな夢を見た。
今でもそう思う。
でも。
立場を入れ替えたとして、ご夫妻のようにしてお金を得て生きていくことは私にとって幸せなのか?
私にはその世界は見えないから、見えないものを生業にはできないし、盲目的に信じることもできない。
このご夫婦には悪意は恐らくない。
純粋に生活を楽しんでおられるし、仕事…使命?も、思うところはあるものの詐欺ではなかった。
実際に見えるし聞こえるかもしれないし、そうであってほしいとも思う。
私自身、悪意あるスピにうまく騙し続けられるより、こういった形で目を覚ますことが出来て良かったといっそ感謝もしている。
それに奥様との時間は本当に癒された(ただし連絡担当、テメーは駄目だ。だけど君のおかげでもある。本当に有難う)
繰り返すがスピを否定している訳ではない。
伝統宗教のように、それらに救われた人もいるだろうし、もちろん現在進行系で狂わされている人も過去に騙されて憎んでいる人もいるだろう。
そんな中、私に見える世界で相変わらず占いは楽しいし、診断はワクワクする。それだけでいい(スピとこれらは異なることは承知の上。だけど距離は近めだと感じての書き方をしました)。
それらを楽しみつつ、心地よく生きていける方法で生きていける方向に向かってみよう。
リアルでは誰にも言えないし、誰かの参考や思考の材料になればとの思い半分、自虐半分でここに記します。
…そうしている間にも通知がきて、フォローを外し忘れたご夫妻の小旅行の様子がSNSにアップされた(キャンセル当日のお話)。
チクショーッ。
ちなみに私の恋愛に"ツインレイ"らしき障害は一切ないが、いまも元気な独身です。
皆さんお幸せに!
たとえば高校物理で音波を伝達する空気の密度を導出する際に微分が出てくる。
私はここで引っかかってしまう。
微分が使えるということはここでは密度の(関係)式がどんなスケールでも保存されるという前提があるはずだ。
微分というか極限はそういうフラクタル的な(稠密性の方がいいか?)性質を要請するものだ。
しかし空気はひとつながりの、一枚岩のような物体ではなく最小単位を持った物体であり、また一定スケール以下では量子的な世界の存在になってしまう。
だとするとあらゆるスケールで密度の式が同じとは無条件に言えるものではなく、証明を要する事実なのではないか。
端的に言えば、あるスケール以下では、たとえばその空気の分子と分子の間隔の平均を圧倒的に下回るスケールでは、質量÷体積の、質量の方が0になるのが当然という状況になっているのではないか。
ようするにある地点を中心として空気を囲った体積による平均密度の、その体積を連続的に小さくしていったときの変化のグラフに、原点以外でも不連続な箇所が生じてしまっているのではないかということだ。
もし本当にそうなら微分は使えない。
この「何も説明しない(暗黙とは違う?)」という形での天下り式での解説に、学習者はどう対峙すればいいのか。
何も説明しなくても自分でその妥当性が納得できるでしょうという期待をされていると楽観的にとるべきか。
そういう高校物理レベルのことが最先端だった時代の当時の科学者なら、自力で「ここは確かに微分でも構わない」と納得していたかもしれない。
つまり現代のカリキュラムとして物理を学んでいる人と、それが最先端だったときの科学者としては、積み上げているものが違うのだ。
たとえ昔の人でも当時の科学者はそれまでも演繹的に増やしていった知見をバックボーンとして備えたうえで臨んでいるわけだから、そういう判断に関して、現代の高校生にはない、ある種のセンスがあると思う。
良い意味でも「悪い意味でも」カリキュラムとして再構築されたものを勉強している学生の知識の積み重ねというのはある意味で不自然な(時系列として変な)積み重なり方をしていて、当時の学者と同レベルの事実の真偽を判断するのは難しいことがあると思う。
天下り式はよくないと思う
こういった問題は他の事にも言えて、ピタゴラスの定理に対する習いたてで証明を追わさたが「まあ別に難しくはなかった」とか言ってるような中学生と、当時のピタゴラス本人(正確にはピタゴラス学派の誰か)とでは、その定理に対する理解の深さが全然違うだろうとか思う。
0の概念すらないものの自然な学問的研鑽の帰結として自力でその定理にたどり着いた者と、再構築されたカリキュラムで小学生のころから近道を走らされその定理を知ったものとでは、やはりバックボーンの質の高さというものが違うから。