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2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 → 融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは 金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝 経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点 理由

経済思想 市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断 モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景 日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模 企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動 銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理 銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化 不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化 銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策 政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉 銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀 小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

2025-05-21

ジェンダーフリー教育批判問題点

ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害

「男らしさ・女らしさではなく、人間らしさ」は空理空論

ジェンダーフリー子供健全人格破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族崩壊するだけでなく、社会崩壊にも直結する。

http://www.seisaku-center.net/node/286

日本政策研究センター掲載されている記事ですが、様々な点で疑問点があると思います

・「母性」「父性」は科学用語ではなくまた科学的に発見されていないにも関わらず、実在が前提となっており過大評価されてしまっている。

父親子育てをしていた江戸時代はどう考えるのだろうか?

・「母性」「父性」を否定したところで親子愛や家族の繋がりを否定しているわけではないので、家庭崩壊というような論は杞憂に思う
虐待事件の増加は通報義務が周知されたから数が増えているのではないかという説もあり、虐待を「母性否定に結び付けるのは強引に思う

しろ母性神話による母親への育児負担こそ虐待引き起こししまうことがある

批判的に取り上げられている「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」はおおむね間違っていないと感じる

江戸時代父親育児したし、三歳児神話1960年代に広まったものである

学級崩壊に触れられているが現代の子ものモラルが低下している根拠はなく、あったとしても「母性父性否定が原因となっている根拠もない
現在問題になっている「男らしい」「女らしい」は社会的にも変化したり曖昧ものである生物的な性と一緒に論じてしまっている。

本当かどうか、男女共同着替えは問題があると思うが、男の色とか女の色を否定することが悪い・・という論は関係がない

同性愛については悪いものではないし、ジェンダーフリーとは無関係に昔から存在する。自然界にも存在する
・「男らしい」「女らしい」を否定することと、生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがあるの因果関係不明

男の色とか女の色ををやめたところで人間出産されなくなるわけではない

・「価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。」自分らしく生きたいを否定され「男だから女だから」を押し付けられるほうが

自信が持てない原因になるのではないだろうか?

・「夫婦役割分担意識が全くなくなれば、結婚意味ほとんど無くなり、結婚しようという意欲も消えてしまうはずである。」夫婦の協力は性別固定的役割分担である必然性はないし、

そもそも性別固定的役割自体歴史が浅い。専業主婦だって主流になったのは100年未満の話である

母性父性が育っていないか健全な家庭を築けないは根拠がない
母性父性の欠如で「家族の絆はきわめて脆弱ものとな」るというがそもそも親子愛はあるものだし、きょうだいも同居する祖父母家族関係を築いているわけだから母性とか父性関係ない
愛着母親しか築けないものではないし、愛着形成出来るかどうかは母性父性否定とは関係がない
・「脳の性差」は現在では疑似科学といわれており科学的な根拠がない
性別役割分担は普遍的ものではないし、普遍的であっても現代で役に立つ根拠はない
・「あるいは母性父性の欠如から自由が束縛される子育てを互いに押し付け合うことにもなりかねない。」それは親としての自覚問題であり、母性父性否定することとは関係がない。

母性」「父性」を説いたところで親との自覚を持たない人間には届かないのでは?

この記事問題点を纏めると以下の3点

日本人歴史を踏まえているようで踏まえていない。(恐らく昔の日本イメージを誤解してしまっている)

歴史的に見ても男女の役割が変化したことが踏まえられておらず、高度経済成長期以降の専業主婦とか三歳児神話的なイメージから脱却できていない。

からおそらく父親育児していた江戸時代も、夫婦共働き普通だった高度経済成長期より前の時代考慮されていない。

日本人は長らくめちゃくちゃな家庭環境家族間で生きてきたのだろうか?そうではないだろう

日本人歴史でも性別に関わるところは変化しているがそれでもそこで大きな混乱はなかったのだからジェンダーフリーがそこまで悪影響である根拠希薄である

ある時代の男女の役割は昔の時代の男女の役割否定でもあるのだから

まるで古代から日本人は(または人類は)母親育児して父親が外で働いていたかのように主張する印象

現に「「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」という論には批判的に取り上げられている

科学根拠のない「母性」「「父性」をあることが前提としてその効果過大評価されている。

その一方で、関わりを通じて築かれる家族愛が過少に評価されてしまっている。

自分の子を育てる母性自分の子教育する父性がないとダメなら里親制度とか養子縁組制度とか機能しないだろうし、きょうだいとの繋がりも説明は付かなくなるだろうと思う。

母性父性など信じなくても家族の繋がりは健在なのである

生殖にまつわる男女の性と男らしいと女らしいが混同されて論じられている印象がある。

男の色や女の色が否定されたところで生殖できなくなるわけではない。

---

追記

http://www.seisaku-center.net/node/304

 いずれにせよ、今の日本では「三歳児神話」などと批判される「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化が、男女平等の「先進国ノルウェーでは国家によって保障されているわけだ(中には父親育児に専念する場合もある)。

同じ筆者かは分からないが「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化と書かれている。

しかしこれは1960年代に広まったに過ぎない。

厚生労働省資料にも次の記述がある。

https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1998/dl/04.pdf

三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性役割が強調される中で,育

児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。そして,「母親子育てに専念するもの,す

べきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきで

ある」ことが強調され続けた。

では、日本政策研究センターの次の箇所

 次に、「大綱」は小中学生の「放課後対策の充実」を掲げている。子供の世話は社会が見るから安心して働きなさいというわけだが、これまた子供の「最善の利益」を考慮したものとは言い難い。「いつも同じ家に帰ると同じ人がいて同じように迎えてくれる、それが子供の心の安定につながります」(深谷和子東京成徳大教授)との指摘に違わず、多くの子供たちは学校から帰れば母親が迎えてくれることを望んでいるからだ。都内小学校高学年を対象とした調査では、四十%余の子供が「家で家族の世話をするお母さん(専業主婦)」を望み、「外で働くお母さん」を望んだ子供二十三%にとどまったことが確認されている。

母親が迎えて来るか来ないか質問したらそういうデータになるのは仕方ないと思う

しかしこの役割父親でも良いのである母親が働いて父親が家に入ったら解決する。

夫婦共働きが素晴らしいかはともかくその下の箇所、父親育児休業を批判する必要はどこにもない

 さらに、「大綱」は育児休業制度の取組を、男性の取得率十%、女性の取得率八十%を目標に推進すると言う。父親育児休業をとらせ、保育をさせようというわけだ。しかし、これについては、「乳幼児の世話を父親が主としてやれば、当然母乳育児不可能になる」「育児休業は母親が取ってこそ子供のためになる」(林道義氏)との的を射た批判がある。父親育児休業奨励策が、果たして子供たちの「最善の利益」に合致するのか甚だ疑問である

そこまで母乳を与えなければならないかはともかく、要するに母乳さえ与えられたら良いのである

夫婦育児休業をとれる社会にしたら解決する。

父親の育休を批判する根拠にも乳幼児の世話を父親が主としてやることを批判する根拠にもならない。

また乳児期の授乳が終わったら子育てにおける父親母親性差は完全と言っていいほどに無くなる。

そもそも育児って夫婦のうち誰かが100%背負わなければいけないのだろうか?そうではないし、誰かが育児を抱える、母親が一人で育児を抱えるのは伝統的な子育てではないはずだ。

2025-05-02

世界」が描けないから、社会に出る

小説を書きたい私に足りないのは、小説の「世界」を描く力だと思う。

まりは、「世界」に対する知識が足りないんだと思う。

それって単純に言ってしまえば、自分世間を知らないということだ。

から自分場合文章の書き方やら気の効いた言い回しなど調べている場合じゃなく、社会に出ていかないといけないんだ。

社会に出て、世の中の仕組みを知り、世の中の問題を知り、そこから感じたこから小説を組み立てていかないといけないんだ。

私の作る小説は、いつだって空理空論と言われてきた。いかにも作り話だと言われてきた。

から社会に飛び出して、「世界」をしっかりと書き表すことで、そう言ってきた人たちを見返そうと思う。

小説を書くために、小説の「世界」を描き出すために、社会を学んでいこうと思う。

2025-04-29

歴史ってデタラメばっかだよな。信長公記とか絶対大本営発表ばっかだろ

資料の偏り方によっちゃあ1000年後の未来で「池田大作という物凄い偉人が居て」「大川隆法という霊能力者が日本社会を牛耳っていたのです」と教科書に書かれていてもおかしくないんだよな。

空理空論の極みだろ歴史研究なんて

2024-11-24

男性あんまり主婦叩くなよ」←身震いするほどムカつくからやめて

chokugekif

普通に考えて子どもを生むという一大業務を担う女性男性と同等にやっていたらやはり死ぬと思うし、

男性あんまり主婦叩くなよ、自分がどういう環境で育ったか軽く見ない方がいい

2024/11/24

あのさあ、

なあマジでさ、

主婦養うのだって楽じゃないだろ。

生涯弱音吐かずに大黒柱やりとおす根性覚悟が要るのよ。

それでもそれが男の甲斐性だと思って妻子養うのを頑張ってきたわけじゃん男は。

   

なのにそういうお父さんがぶっ叩かれ虐げられるのを見てきて

「いまどき妻に家庭に入ることを期待する男はサイテー。時代遅れ女性差別主義者」って脅されてきて、

じゃあ女性男性平等に働くんですねってそういうものなんですねって慣らされてきてるわけ。

今現役世代の男は。

  

なのにそういう女性社会進出とかの理想が結局絵に描いた餅だった無理だったとなったら

男性あんまり主婦叩くなよ」?????

ハア??????

  

おめーらな、あのな、

そういう、

主婦を叩いて妻子養うお父さんを叩いて男女平等職場で女を補助みたいに扱うのは最低だってさんざんやって来たのは誰だ?

男か?

男がそれをやってきたってのか???

お前等マジでいい加減にしろ??????

  

そういうのやって来たのは女だろ?

ウーマンリブフェミニズム男女平等だって言ってたの女だろ?

女がぶち上げて女がギブアップした女の理想も男にケツを持てってのか?

  

女と中高年チンポ騎士ってマジで何を考えてるの?

どうしてそこまで無限に女を甘やかすの?

女が根本的なところで他責思考覚悟甘くて無責任低能なのって

そういう無限甘やかしのせいなんじゃないの?虐待被害なんじゃないの?

  

「ごめんなさい現実を見てない空理空論でした

大人しく主婦をやりたいと思うし主婦人生幸せです主婦やらせてください」

って言うならまだわかるよ。

 

けど方向転換前にこれまで叩いたり蔑んだりしてきた相手に謝れって思うけどな。

お前らが散々叩いてきた主婦のお母さんとかそれを養った世代のお父さんとかにさ。

  

一回その人達に地面に頭つけて謝って

「今まで間違った理想を唱えていました撤回させてください」ってケジメつけたら

俺は許すよ。

 

でも俺以外の大多数の男は今更そんなの聞けないと思うけどね。

女にちゃんフルタイムで働いてねって思ってるよ。

散々そういう風に躾けられて脅されてるからね。

      

まそれはどうでもいいや。

とにかくもう本当にウンザリするし殺意が湧くレベルでムカつくのは

延々男にそういう圧掛けて脅しを掛けながら提唱してきた理想理念簡単に投げ捨てて

その責任まで隙あらば男に擦り付けて歴史修正しようって言うそ根性だよ。

   

そういうことだろ?「男性あんまり主婦叩くなよ」ってのはさ。

まるで男がやってたみたいな。

女が言い出したのに。

(で主婦になれたらなれたで後から主婦をやらされた」ってほざくだろこの感じだと。)

(とにかく何でも男のせいにして男に文句言うのが当然だと思ってるもんな。)

  

 

それらの理念が間違いだったっていうなら

その責任は全部フェミニストやチンポ騎士系中高年ジジババにあるだろ。

現役世代の男になんでもかんでも擦り付けようとしてんじゃねえ。

現役世代の男はお前等のトイレットペーパーじゃねえぞ。

本当に我慢限界にきそうだからジジイババアと女はちょっと態度を考え直してくれ。

2024-10-10

朗報性同一性障害患者トランスヘイターだった

https://note.com/gid_tokurei/n/n0c09ac8218af

私たち性同一性障害当事者は、LGBT活動家が唱えるトランス思想に、強く抵抗して反対し続けてきました。私たちはもともとの当事者運動の中にあっても、明白な『トランス思想批判派』でした。あのような空理空論は「現実私たち当事者」の利害に反すると反対し続けてきたのです。

ヘイト側」と「声明」が捉えているであろう人々が、エビデンスに基づいて語っているがゆえに、私たちはずっと批判派の側に与してきました。しかし、マスコミなども一部を除くと私たちにはほとんど触れもしないのです。

なぜって?

活動家側は私たちを「当事者でありながらヘイター」と呼ばなくてはならないからです。当事者の間で活動家たちの主張が受け入れられていないという事実があからさまになるからです。

2023-10-22

anond:20231022083841

所詮論客が少し何を言おうが空理空論なんだよ 普通に分かんだろ 現実に救済されることなんて100%無い以上、何を望んでるんだ???

2022-08-12

anond:20220812215347

誰かが電気回路設計しなければならない、って一見もっともらしいんだけど

携帯OSアンドロイドになったし

組込でも基本unix動いてるし

なんか空理空論っぽい気がするんだよね。専門外なんで全然知らんけど。

ニーモニックZ80かすみたいなのは勉強としてはいいけど、テスラシステムとかそんな開発してないでしょ。

2021-08-14

anond:20210814091423

ないない。ベーシックインカムとか空理空論。おれははたらきたくないよぉお金ふってこないかなぁ願望と、なんでも金銭で流動化すれば上手にやれば回収できるやん?思考産物だぜ

2021-06-02

anond:20210601231429

本質的に全てのマクロ経済理論空理空論であることは間違いないが、最賃引き上げの例を国際的に多数集めれば「実証(笑)」ぐらいのものはできるんじゃないの

2020-11-08

anond:20201107100606

わかってないのはお前だ。SNS担当になった時点で石を投げられることは不可避だ

石を投げるやつが悪いなんてのは空理空論というやつだ

SNS担当とはそういう仕事なんだという認識会社上層部に無いのが問題本質

2020-05-18

なんか宮台が強えええ、みたいになってるけどさ

宮台なんて実社会に何の影響も与えていないし、与えられない空理空論。それでいつしか疎遠になった。

 

サヨクかぶれの心が少し誇らしげになるだけ。ブントにいたからよくわかる。

 

橋下徹のほうが100000倍マシだと思うが。

2020-04-30

岡村隆史非難する事によって生ずる弊害

岡村氏の風俗に対する発言が物議を醸している。これは到底擁護出来るものではないという見方が強く、インターネット上でも彼を非難する意見大勢を占めていると言っていいだろう。

しか個人的には、彼を非難するだけで良いのだろうか?非難している側にも問題があるのではないだろうか?という疑念が湧いてくるのだ、本稿ではそれをまとめてみたいと思う。

岡村氏の発言意図

世間は彼の発言を「この先美人女性が不幸にも風俗に身をやつすことで、金の力を以て性的搾取出来ると期待している」と解釈しているように思うが、これは正しくないと思う。

このような見方は、単純に言って風俗嬢=弱者 客の男性強者という力関係を前提としており、その権力構造の中で男性による女性に対する性的搾取が行われている、という世界観に基づくものだろうが、おそらく岡村自身及びリスナーにこのような考え方は全く馴染まない。

風俗に行くような男性というのは、まあいろいろな例外はあるにせよ基本的にはモテない男性である

自由恋愛の中で性的関係を満足に築けない男性が、お金を払って女性相手をしてもらう為の場所であり、少なくとも本人の自意識の上で客というのはヒエラルキーの最底辺に属するものと思われる。

まり岡村氏の視座から見れば、風俗嬢というのは最大限に言っても対等な関係であり「今後極短期間だけ風俗業に従事するかもしれないが、まだ従事することのない美人」については、これは当然雲上の存在である

そんな雲上人がもしかしたら自分たち下々と同じ地平に一定期間だけでも降りてきてくださるかもしれない、ということを彼は楽しみしているわけで、

世間が思うような上から目線搾取希望などはなく、とてもとても下から目線弱者視点なんだろうと思う。

それがリスナーという一般人非モテ男性に憑依したことで獲得された態度なのか、自身のもともとの女性に対する屈折が招いたものなのかは定かではないが、

そんな超一流売れっ子芸人とはとても思えない弱者的な眼差しから齎された意見なんだということが誤解されていると感じる。

問:風俗嬢は不幸なのか?

しかし、仮に上で類推した意図が正しかったとしても、この先美人女性が望まぬ性風俗への就業余儀なくされるというのは一般的には不幸なことで、そのような不幸を喜ぶ態度は非難されて当然である

という反論が出てくるだろう。だがこの反論には2つの問題点があると感じる。

まず一つには、女性の望まぬ性風俗への就業を支えているのは、上述したようにまさしく望まぬ禁欲主義(Involuntary Celibate:インセル)的な男性欲望である

風俗嬢がいなければ欲求の解消も出来ない男性たちが、性風俗への就業を「本来なくさねばならない不幸」と捉えることが、果たしてどのように可能だろうか?

個人的にはそれは、無理がある話だと思う。

もう一つ、なぜ殊更この先風俗嬢になる人間についてけが取りざたされるのか?ということである

望まぬ性風俗への就業というのは、既にしていままでにも幾らでも起こっていることである。だからこの先も非難するな現状追認せよという話ではない。

まり、望まぬ性風俗への就業自体問題視するのなら、風俗自体解体を唱えなければならないはずだということだ。

仮に岡村氏の発言が「風俗にはほんまお世話になってて、僕風俗なしではやっていかれませんわ」というようなものだった場合、これほど叩かれただろうか?おそらくは全く叩かれていなかったろうと思う。

だが、そのような風俗肯定コロナウィルスなどとは無関係に望まぬ性風俗への就業肯定に他ならず、その点については今般の発言と全く同一の地平にあるはずだ、批判者の中で何が違うのか?

コロナウィルス被害性風俗嬢にならざるを得なくなるというのは身近で感情移入可能だが、それ以前にあった貧困教育機会の喪失による就業は遠い世界出来事なので切断しているのではなかろうか。

そんな差別意識が仄見えるのである

結局そのような世界観は、インセル的な客の男性のことも、現在風俗業に従事している女性のことも切り捨て、善意第三者として勝手他者を哀れんでいるような空理空論に思えてならないのだ。


この先は地獄

とは言え、彼のラジオ番組風俗関係者と客だけが聞くようなものではないので、無関係第三者が聞けばぎょっとして気分を害すものであったのは間違いないところだろう。

ニッポン放送及び本人が謝罪せざるをえなくなるというのは当然の結果ではあると思う。

だが、彼が謝罪することに依って何が起こるだろうか?

謝罪は当然こういった内容になるだろう。

「先般のわたし発言女性への配慮に著しく欠けておりました。コロナウィルス被害に依って女性性風俗業へ従事せざるをえないというのはあってはならない不幸で、そのような不幸を楽しみにするなど言語道断なことでした、ごめんなさい」

しか実態はどうだろうか?やはりコロナウィルス被害によってそのような職を求める女性というのは増えるだろう。

その事実に対して、上述の謝罪性風俗への従事=不幸というスティグマ化を強烈に強める効果しかさないのではなかろうか。

それは風俗業というものを更に一段下のレイヤーに落として不可視化し、風俗嬢及び客にさらなる弱者意識を醸成させる結果にしかならない。それは控えめに言って地獄であろう。

からこの騒動を奇貨とするならば、岡村氏の考えなしの発言非難すればいいなどという無邪気な考えでは駄目で、そもそも社会として性風俗をどう考えるのかを問い直すべきだと私は思う。

それが出来ないのであれば結局非難している人間も彼と同じ、「被害者ぶった加害者」でしかないのだ。

2020-02-27

anond:20200226015326

これは勉強になる箇条書き。ただ、国家権力を縛るのは行政法憲法だけじゃない。民法刑法会社法も、内容は一般人法人対象にしたものだろうけど、同時に国家勝手なことを言い出さないように国家を縛るためにもある。だから憲法以外の法律の制改定にも目を光らせるべき。

でもこの国は法治国家じゃないよね。実質的には、行政施行令施行規則通達というもの管理下にある。条文が包括的に書かれていることによって国家裁量が与えられている。パブリックコメントを提出してもそれが受け入れられるかはお上次第。法律ってのは何のためにあるのか、ただの権威付けのための空理空論しかないのではないか

から法律なんて学ばなくてもいいよ。整合を求めると破綻する。単にハックすることだけを考えればいい。学ぶとしても学問的な態度は捨てて臨むべき。

2020-01-10

ブロック機能は見たいものしか見えなくなるから危険だ!」という主張は極端な思考の表れだと思う

ブロック機能についての話になると必ず「ブロック機能を使えば自分の見たいものしか見なくなる。世の中の多様性無頓着になって自分にとって心地いいものしか受け入れなくなるから危険だ」というような批判を見る。これはそういう思想としては理解できるが、かなり極端な意見だと思う。物事単純化しすぎた空理空論に見える。

特定SNSブロック機能を使うことによって見たいものしか見えなくなる状況とはどんなもの

特定SNSブロック機能を使うことによって見たいものしか見えなくなる状況というのは、特定SNS以外に人との関わりをまったく持たない場合が該当する。引きこもりかつ同居の家族と会話しないかテレビラジオ新聞書籍広告などの情報源を利用しないか特定SNS以外でインターネットを利用しない場合がそれに当たる。こんな状況はほとんどの人とは関係がない。

引きこもりかつ同居の家族と会話しないかテレビラジオ新聞書籍広告などの情報源を利用しないか特定SNS以外でインターネットを利用しない」という特殊引きこもり以外は、たとえ引きこもりであっても自分の見たい意見以外のものにも日常的に触れることになる。引きこもりは同居の家族と仲が悪い場合が多いし、たとえテレビラジオ新聞書籍広告などの情報源を利用しない引きこもりであっても、インターネットを利用するとき特定SNSだけやるということはあまりないだろう。多くの場合、各種ニュースやそれについての人々の反応といったものも嫌でも目にすることになる。特定SNSブロック機能を利用しているからといって自分の見ているインターネットから自分の気に入らない情報を完全に排除することはまずできない。

したがって、特定SNSブロック機能を使うことによって見たいものしか見えなくなる状況について想定することは可能だが、実際にはほとんどの人に該当しない。

特定SNSブロック機能を使うことによって自分人生において見たいものしか見えなくなる状況を作り出すのは困難である

引きこもりですら特定SNSブロック機能を使うことによって見たいものしか見えなくなる状況に居続けることは極めて困難であるので、引きこもりではない多くの人にとってはさらに難しくなる。特定SNSブロック機能を使うことは自分意見の異なる他者と関わらないことを即座に意味するわけではない。

多くの人は特定SNS以外にもインターネットを使っている。検索サイトまとめサイト雑誌新聞社のサイト趣味に関するサイト等々。特定SNSブロック機能を利用したところで、自分とは違う意見に触れる機会はインターネット上にも溢れている。

また多くの人はインターネット以外にも日常的にテレビラジオ新聞書籍広告などの情報源(のどれか)にも触れている。当然そこには自分とは異なる意見が出てくることもある。嫌いなジャーナリストや嫌いなタレントや嫌いな作家などが問答無用に何の断りもなく出てくる。

また多くの人は働いていて、毎日他人リアルに関わって生きている。毎日職場で嫌いな人間と顔を合わせ、駅では頭のおかし人間が暴れているのを目撃するし、地元のガラの悪いヤンキーがギャーギャーうるさくて不快になったりもする。

これらのことから特定SNSブロック機能を使ったからといって、即座に見たいものしか見えなくなる状況に陥るわけではないということがわかる。特定SNS自分の見たいものしか見えなくなるような操作をしたところで、見たくないもの自分人生から完全に排除できるわけではない。

なぜ「ブロック機能は見たいものしか見えなくなるから危険だ!」という主張が人気なのか

以上のようなことは考えなくてもわかることで、いちいち長々と説明するようなことではない。問題はなぜ「ブロック機能は見たいものしか見えなくなるから危険だ!」という主張が人気なのかということだ。

世の中では単純でわかりやすく痛快なものは人気になりやすい。「ブロック機能は見たいものしか見えなくなるから危険だ!」という主張もまたそういった風潮を反映したものだと言える。意見の異なる他者との関わりの頻度はイチかゼロかという問題ではなく、実際にはグラデーションになっている。特定SNSブロック機能を使うことが即座に意見の異なる他者との関わりが皆無であることを意味するわけではない。しかしこういう主張をする者はあえてそこを無視して極端に語る。「最終的にはこうなる」「ディストピアだ」と。

これは楽しい空想思考実験であって、地に足のついた議論ではない。人は常に意見の異なる他者と関わっているわけでもなければ、意見の異なる他者とまったく関わらないわけでもない。特定SNSブロック機能を利用したところでそれは変わらない。特定SNSブロック機能を利用すると当該SNSにおいてある程度自分の見たくないものも見えてしまう状況を軽減することはできるが、それは自分人生においてある程度自分の見たくないものも見えてしまう状況を排除することを意味しない。

ブロック機能危険性について主張する者は特定SNS人生のものを同じものとして扱っているように見える。しかしこれは極端な話だ。特定SNSというのは人生におけるほんの一要素でしかない。彼らは一部を全体であるかのように見せかけているわけだ。だがそういった操作に心地よさを感じる人が多いのだろう。想像力の羽ばたきといったもの快楽からだ。

人間想像力は即座に「最終的にはこうなる」という状況に飛躍することができる。「特定SNSで見たいものしか見ない人は人生においても見たいものしか見なくなっていくだろう」「自分意見の異なる他者排除するようになるだろう」「皆が排除におびえるようになるだろう」「皆が他人に気に入られるような言動を心がけるようになるだろう」「社会は窮屈になるだろう」等々。たしか想像力は突き進む。しか現実理論通りにはいかない。現実合理的ではないし、様々な思惑が入り乱れて予期せぬ結果を生む。最後まで突き進むたくましい想像力というのは実を言えば想像力の欠如と同じことなのだと思う。最後まで突き進むたくましい想像力は十分に想像力がないため、現実を図式化し、簡略化し、それで計算のすべてが間に合うと思い込んで次の段階に進んでいく。しか現実簡単な図式による簡単計算では間に合わない。

問題なのは簡単な図式による簡単計算を好む人が多いということなのだと思う。なぜなら地に足のついた議論をするのはめんどうだからだ。空理空論を楽しむ論者というのは「大体こんな感じになるよね? それってやばいよね?」こんな感じである。そしてこういった議論もどきが読者に好まれる。わかりやすく痛快だからだ。しかしそれはエンターテインメントであって、責任ある大人議論ではない。「大体こんな感じになる」は大体そんな感じにはならないのだ。

2019-10-18

anond:20191018131310

素朴な意見だが、例のポスターに「もの申す」人々は、性を商品のものにしている風俗業界芸能界、TV業界についてのスタンスを明らかにすべきだと思う。

性を商品化することがよいことではない、という主張はよくわかるよ。分かる。

だが、「ポスターもの申す」人々を見てると、明白に商品化され、言わば「奴隷」となっている「人間」がいる横で、人間奴隷扱いした「絵」にいちゃもんを付けているようにしか見えなくて、とても滑稽だ。「いや、君、横に実物がいるよね? 見えないわけないよね? なんでそれには何も言わんの?」という。マジで。怖いの? まさか問題ないと思ってるわけないよね? そこにケチ付けるの面倒だから

それか、美意識?って思う。風俗芸能界文句付けないのは、本当は端的に言って「キモくないから」だけじゃないの?

ゾーニングされてるからOK」「日常侵食してくるのが問題」…?あのさー。自分にさえ見えなければ誰が商品化され消費されていてもいいって、マジですか? その程度の公共意識現代社会を論じようなんて滑稽を通り越して醜悪。「そもそも性的消費の対象とされる恐怖が…」?あのさー。たとえば自分が食肉として消費される恐怖ってものがあるとしてさ、そういうフィクション規制してくれって言い分はそれなりに成り立つかもしれないよ。ただしその横に実際に人肉屋があるとしたらどうよ? まず問題視すべきなのがどっちかは明白だろ? 人肉屋を放置してフィクション規制しようとする人間がいたら、ちょっとその意図を疑うだろ?

から、こんな状態でどれほど正論を並べられようとも、残念ながら空理空論しか聞こえない。「あいつらフェミニズムとか名乗りながら、やってることは単なる弱者イジメ容姿雰囲気だけを根拠に『キモーいw』『○ねばいいのに…プークスクス』って仲間内でヒソヒソやってるのとどこが違うのさ。」て思われるのがオチだし、オタク側の過剰に見える反応っておおむねそういう心情じゃないかと思う。

実際これに反論できるの? それとも「私個人風俗業界芸能界も認めていないからOK」なんですか?

じゃあTVは?

オレは、現代社会において極めて旧弊危険ジェンダー観を常に生産し人々に固着させている第一にして最大の責任者はTV業界だと思う。NHKですら、まず朝から女性を持ち上げているように見せて実は若いかわいいアイドル視聴率を稼ぎたい脚本を使いまくる朝ドラ」とか「男性インキスターサポート女性アナウンサーという立ち位置を何十年も変えようとしないニュース番組」に始まり、何の問題意識もないよね。おばさんとか爺さんが主人公朝ドラ、作ってみろよ。女性がメインキスター男性アナウンサーがサブ、というニュースはなぜないんだよ。

実際。朝から何百万人もの人間毎日のように目にするこういうモノを放置して、オタクポスター叩き。一体そのどこに正当性を感じればいいのさ? オレが言ってること、おかしい?

おかしくないとすれば、そしてもし、それでもオタク叩きやめてTV叩きを始めたら仲間の皆さんから同意を得られない、って思うとしたら、それは要するに日本フェミニズムなるものレベルが「その程度」ってことだろ。憂えるべきなのは社会意識ではなくてフェミニスト自身のこういう意識の低さだよ。

2019-05-20

anond:20190519212542

現行法制下の「結婚」というシステムベースにした考えに拘泥して、逆に全体が見えなくなってるのでは?


結婚前近代的制度」云々というが、そもそも前近代近代」の対立よりずっと以前から婚姻というものは汎世界的に存在しているわけで、「共同体によるあるパートナーシップ承認」が共同体の安定維持のための手段として適切であることは歴史的証明されていると言っていい。だから、現行の社会で、あるタイプパートナーシップ社会的に認知されているなら、共同体の安定維持のためそれを共同体として「公認」するのは何ら不自然なことではない。同性婚を「現行の結婚制度に載せること」と「同性によるパートナーシップ婚姻と呼ぶこと」とは別なことと考えてほしい。そして、前者の困難さは後者否定する理由にはならない。ことの本質はそういうことだと思う。


その観点からすれば、そもそも増田の疑問や反論範囲の狭い問題提起であることが分かる。

たとえば「重婚否定」は、別に男女の権力性に基づくものでなく、単に「パートナーシップ制度自体不安定にするから問題であるとか。近親婚の否定は、むしろそれこそ大人子供権力性による制限や、また、家族制度という(もう一段階上の)社会基盤を不安定にするという問題を含んでいるか問題になりうる。そもそも現代においても、私たちの暮らす社会は「完全な個人主義世界」にはほど遠く、たとえば子供の育成一つとっても、家族という基盤無しに行うことは現実的に考えづらい(言い換えれば、それを実施するには大きな負担が各所にかかる)。増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。同性婚というものが過渡的で不完全なシステムしかないことにはもちろん同意するが、だからといって一気にパートナーシップ制度を激しく「近代化」しても、それは私たちの実感とはほど遠いものしかならないだろう。「婚姻」というシステムから一気に人々と解放するというのは残念ながら空理空論レベルの話だと思う。

2018-08-09

女は男と違って権力闘争をしない?

権力闘争に明け暮れている男と違って、女同士はお互いの共感大事にするから争いが起こらない、という与太話を聞いた。

学校職場などでは、女同士は勉強が出来るかや容姿運動能力などで、完全にヒエラルキーで分かれた社会になっていた気がする。

権力闘争という言葉も悪いイメージがあるのかもしれない。

構成員が数多く集まっている組織内において、自分のやりたいことをやろうと思ったら権力闘争プロセス重要である

組織を動かしたり説得したことが無い人の空理空論ではないか

自分に賛成意見を持ってくれる人をまとめたり、反対意見人達を説得するなど、まさに権力闘争こそが共感コミュkション能力交渉能力の出番ではないのか。

女は男と違ってコミュニケーション能力が高いという話もトンデモのような部類の気がする。

女同士の世界では男以上に同調圧力が高く、そのことを「共感する力が高い」という言葉に置き換えているだけではないか

2018-04-09

頭でっかち

> 「企業システムを変えずに」の部分がタイトルでは削ぎ落とされている。

      https://anond.hatelabo.jp/20180408225447

 

元増田の言っていることは、論理的には正しい。たしかに、企業システムを変えれば、生産性が劇的に向上して、うまく行くかもしれない。

だけどね。現実的には、無意味なんだよ。

 

生産性を向上させれば、労働時間が減って GDP が増える。何もかもうまく行く」というのは、多くの経済評論家が言っている。しかし、「生産性を向上させる」ということ自体が、「天から金が降ってくれば」というのと同様に、根本的に不可能ことなんだ。

  ・ 天から金が降ってくる

  ・ 天から素晴らしい技術が降ってくる

  ・ 天からシステム改善方法が降ってくる

こういうのはすべて、現実にはあり得ないことなんだ。実際、過去歴史を見ても、こんなことはいっぺんも起こらなかった。どうしてか? 仮にそれが起こったとしても、同様のことは世界各国で起こるから、1国だけが抜きん出て生産性の向上を果たすことはあり得ないんだ。

 

その例外はある。それは中国だ。中国だけは劇的に生産性が向上していく。しかしそれは、中国生産性絶対レベルがきわめて低いからだ。とうてい先進国の水準ではない。先進国には当てはまらない。

 

まとめて言おう。

システムを変えればうまく行く」という元増田の主張は、論理的には完璧に正しい。

しかし、「システムを変える(ならば) ⇒ うまくゆく」という論理のうち、前件の仮定が成立しないから、論理としては意味をなさない。「 偽 ⇒ 偽 」という命題は、論理的には完璧に真であるが、意味を持たない空理空論であるにすぎない。

論理意味を持つためには、仮定の前件が真である必要がある。元増田の主張は、そこを満たしていないから、ただの空理空論であるにすぎない。論理のお遊びだ。何かを指摘したつもりなのだろうが、実は何の内容も含んでいない空っぽの主張であるにすぎない。(間違いではないが。)

 

 (付記)

 IT速報などが、「企業システムを変えずに」の部分をタイトルでは削ぎ落としているとしても、まったく問題はない。「企業システムを変えれば」ということは、あってもなくても、ほとんど影響しないからだ。「企業システムを変えれば生産性が向上する」というのは、大きな錯覚である。やってもやらなくても、生産性には影響しないのだから、この部分は削除してもまったく差し支えない。

 「企業システムを変えれば生産性が劇的に向上する」というのは、企業経営現場を知らない経済評論家の、夢見る妄想であるにすぎない。

 では、生産性を劇的に向上させる方法はないのか? 実は、ある。それは、経営者そのものを交替させることだ。企業システムではなく、企業トップの首をすげ替えることだ。

 似た例で言えば、日本改善するためには、日本という政府システムを変える必要はまったくないが、首相の首をすげ替えれば、日本(の政治)を劇的に改善させることも可能だろう。文書偽造などの問題も、システムを変えるよりは、首相政党を替える方がはるか効果がある。

 何でもかんでもシステム責任にするのは、経済評論家の悪しき妄想だ。企業経営統治というものは、トップ人格能力に大いに依存しているのである

 

 ────────

 トラバへの回答。

 

> この主張が正しいなら先進国生産性は横並びのはずなのだけど、現実はそうじゃないよね。つまりその主張は間違いあるいは不完全なんだよ。

 

 本項は、1国について、(短期的には)「システム改善生産性の伸びがない」と言っているだけで、異なる国同士の比較はしていない。豊かな地下資源や肥沃な国土がある国は生産性が高いが、その違いを無視して、「先進国はみな同じ」なんていうことがあるはずがない。アメリカのようにシェールガスも肥沃な穀倉地帯もある国と、国土が山ばかりで平地がろくにない日本とを比較して、「同じ生産性になる」なんて思うのは、よほどの現実無視だろう。

 というか、そもそも本文中に「トップしだいで生産性は大きく変わる」と書いてある。トップしだいで企業ごとの差異が多く出るのに、まして、異なる国同士で同じになるはずがない。日本国内だって、優良企業と駄目企業がある。なのに、異なる国同士で同じになるはずがない。

 上のトラバは、本項を根本的に誤読している。

2017-07-28

https://anond.hatelabo.jp/20170728121441

ステレオタイプが何故脅威かというと

そこからはみ出たもの実質的不利益を被ったり疎外されたりするから

まさに論より証拠問題なのね


いくら論や理念で「ステレオタイプなんて!」と言ったって

自分ステレオタイプに合わせるほど利益が多くなる社会ならそんな論なんか無意味じゃん

からエマ薄っぺら理念宣言

この部分を見て、私は評価を気にせず自分らしく生きればいいという風に解釈した。

こんな「エマすごーい」は全く無意味なことでさ


そしてエマ自身ステレオタイプ合致する男性ばっかり選んでるんだよ

からエマ自身自分の言ってることを別に信じてない

そりゃ笑われるよこんなの


フェアネスの為に言っておくと

歴代彼氏がどんな奴だったか根本ではなく

エマ発言自体がまず無意味空理空論なんだよ

歴代彼氏が伏せられてても、歴代彼氏が低身長オカマばっかりでも

論より証拠の「証拠」は提示されてない

だって問題エマ1人の嗜好じゃなくてマスの嗜好だから


エマ発言

お金なんてただの紙じゃない?みんなこんなの使うのやめましょ!」っていうようなもん

ただの紙であることが正しくてもその発言に効力ないよね

実際にエマ通貨を拒絶してアーミッシュ生活始めたとしても(低身長オカマと付き合ったとしても)社会は変わらないよね


ね、

から本当は、どんな男と付き合ってようが発言自体がアホなのよ

「お前ステレオタイプイケメン成功者ばっかと付き合ってるやんけー」っていうのは

追加のチャチャみたいなもんで実は本論ではない

エマがどんなフリークスと付き合ってても大勢は揺るぎ無いからね

2016-12-31

学歴とカネの話

 ずっと昔、自分高校3年生の秋のこと。

 その日、何かの授業が自習になった。大学受験を控えていた自分は当然にみな勉強をするものだと思っていた。が、クラスメイトの大部分はバレーボールをするために外に行ってしまった。教室に残ったのはほんの数名だった。地方都市偏差値60程度の高校はいえ、大半が大学受験するはずだったので、さすがに驚いた。

 実際、周囲はかなりのんびりしていて、浪人するのが当たり前だった。「浪人してから頑張る」と公言して憚らない奴が結構いた。

 自分は「現役で受かるつもりで頑張らないと、浪人したとしてもろくなところに行けない」という話を鵜呑みにしていて、高3の夏ぐらいからは真剣勉強をするようになった。そのおかげか、高3の最初には学校内で最底辺をさまよっていた成績も順調に上がり、秋ごろには校内でかなり上位に位置するようになった。

 もっとも、それは所詮、三流進学校のなかでの話。結局、現役では志望校合格できず、浪人をすることになった。だが、予備校でもそれなりに努力を続け、翌年には東京のそれなりに偏差値の高い大学合格した。それを機に上京就職して家庭をもったいまも東京暮らしている。

 合格した直後には、本当に自分努力が誇らしかった。苦しい受験生活をなんとか乗り越え、同じ高校に通っていた連中のほとんどが行けないような大学合格した。そんな時に頭に浮かぶのは、冒頭で書いた自習時間の話。他の連中が遊んでいる間に自分勉強した、だからこの学歴自分の力だけで勝ち取ったのだと本気で思っていた。

 しかし、それから長い時間が過ぎ、貧困格差に関する話をいろいろと読むようになった。親が勉強や進学に理解を示さない家庭や、勉強のための時間的金銭的余裕がない家庭が日本にもたくさんあるということを知った。大学進学率が都道府県によって全く異なり、2016年春のデータによると東京だと大学進学率は7割を越える一方、鹿児島では35%しかないという。どんな家庭で、どんな地域で生まれるかによって大学するか否かは大きな影響を受ける。

 考えてみれば、自分が実力で勝ち取ったと信じていた学歴も、実際には恵まれた家庭に育ったという要因に支えられていたことは明らかだ。自分高校生のころから事情で親の懐は急に暖かくなり、金銭面では何の心配もなく高校予備校に通うことができた。自宅にも集中して勉強に打ち込めるスペースがあった。多くの大学受験料も支払うことができたし、何より東京大学に通うために一人暮らしをさせてもらえた。これほど恵まれた家庭環境を踏まえるなら、自分がなした努力など、ほんのわずかな要因にすぎないと分かる。

 しかしそれでも、大学に進学するか否か、どんな大学に進学するかはその後の所得に大きな影響を与える。自分大学の同期を見渡しても、大手企業に勤めている奴は多く、平均所得はかなり高そうだ。都心の高級タワマンに住んでいる奴も結構いる。自分もそこまでではないが、世間一般の平均からすればかなり高額の給料をもらい、余裕をもって家族を支えることもできている。

 自分がフェアな競争を勝ち抜いてきたわけではないことは分かる。だから教育機会に恵まれない子どもの話を聞くと、後ろめたい気持ちになる。景気への影響もあるから、一概には増税が良いとは言えないものの、教育機会を充実させるために使ってくれるなら多少の増税も喜んで受け入れたいと思う。

 戦後日本知識人の多くが左派的な立場を支持したのは、このような「後ろめたさ」があったという話を聞いたことがある。大学進学率が今よりも遥かに低い時代例外的大学に進学できた富裕層の子供が、自らの特権性を自覚するほどに左派的なイデオロギーに吸い寄せられていったのだという。自分知識人などではないが、そういう後ろめたさはなんとなくわかる。

 その一方で、世の中には自分よりも遥かに厳しい環境を生き抜いてきたにもかかわらず、富の再分配に反対する人もいる。生存者バイアスというやつなのか、自分が厳しい環境を生きてきたからこそ、努力さえすれば成功すると信じ、富の再分配には否定的になる。補助を増やしたところで、怠け者がもっと怠け者になるだけだ、という発想があるのかもしれない。

 結果、自分のようにぬくぬくとした環境で育ってきた人間富の再分配に賛成し、それより遥かに厳しい環境で生き抜いてきた人がそれに反対するという、どうにもいびつな構図が生まれる。

 自分よりも遥かに厳しい環境を生き抜いてきた人が、社会支援よりも本人の努力が大切だといった話をするのを聞くと、やはり経験に裏打ちされた言葉は強いと感じる。自分立場偽善的だと言われれば確かにそうで、空理空論という感じがどこかにつきまとう。

 しかも、自分の子供のことを考えると、現状のような機会の不平等があってくれたほうが、都合が良いとも言える。競争がよりフェアになれば、それだけはじき出される可能性も高まる

 だがそれでも、学歴自分の力で勝ち取るもので、肉親の支援以外をあてにするべきではないなどと言うつもりにはなれない。なんというか、それは人として言っちゃだめな感じがするのだ。

 もちろん、いまの社会的立場を投げ出す覚悟自分にない以上、それが偽善ということなのだろうが。

2016-08-14

9条別に性善説ではないよ

9条が前提してるのはアメリカ軍じゃなくて「国連軍」なんだがな。「国が国の防衛をする」から国権の発動たる戦争」が起こるので、「国連軍」が侵略行為に対して防衛行動としての武力行使を行うという趣旨なら9条空理空論でもないし性善説でもない。最低限の抵抗はするけど、原則として自宅の防御は警察とかALSOKに任せるというだけのモノ。それでも犯罪ゼロにはならないとしても、全員が「ちきゅうはかいばくだん」とかでガチに武装してる社会よりなんぼかマシ。

http://anond.hatelabo.jp/20160814092244

2015-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20151202015419

妄想ミャンマー国軍改革派幹部との一問一答

おことわり

必要情報が盛り込みきれなかったので続編です。

なお、筆者はミャンマー情勢に大して関心を持ってないので、日本語新聞日本語ニュース番組程度の情報しか得ていません。以下の内容はその限定的情報テンプレ応答に放り込んだだけです。

本文
  • Q:国軍改革派というのはどういう存在なのか
    • A:いきなり核心ついてきましたね。僕等も一枚岩じゃないですよ。一致することって、強圧支配だけではこの先やって行けない、ということだけです。
  • Q:改革派はそうではないということか
    • A:全員がそういう立場ではないけど、少なくとも僕はそう考えていますね。なるべく民主化して普通自由で豊かな国を作りたいと。
  • Q:保守派はそれに反対しているのか
    • A:勘違いしてる人が多いけど、彼らだって、国の発展を願ってないわけではないですよ。ただ、急に改革を進めると、特に自由」を進めすぎると、国内が混乱するに違いないよと。それはよくないから軍が主導権を握ってゆっくり進めるべきだ、という考えなんですよ。
  • Q:突き詰めると改革派保守派の違いは利権争いだと
    • A:それが全部じゃないですよ。でも一番の違いはそこですね。利権を手放す覚悟があるか、ないか、です。
  • Q:改革行方はどうなると予想するか
    • A:新政権の出方次第ですね。私は楽観してますが、失敗すると思ってる人も多いですね。
  • Q:失敗とは
    • A:いろんな可能性がありますね。性急に改革を進めようとしてクーデター暗殺が起きる、というのが最悪ですね。たぶん起きないと思いますが。
  • Q:それでも、新政権が性急に改革を進めようとすればそうなるのではないか
  • Q:ではその「個人」が性急に改革を進めようとする可能性はないのか
  • Q:なぜそうなったのか
    • A:世界情勢の変化ですね。一番大きいのは中国の台頭でしょうね。昔みたいな政策を続けていたら、国はどんどん貧しくなって、最後中国に乗っ取られてしまますよ。誰もそんな未来を望んでない。

  • Q:今後は中国とは距離を置くということか
    • A:それは新政権の考え方次第でしょう。ただ、これは1時間という時間制限で書き始めた記事なんですよ。時間切れなんで、そろそろうpしてもらえないでしょうか。
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