はてなキーワード: 紅色とは
四月の始業式、校門前の桜は咲ききった花びらをひらひらとこぼし、わたしのローファーの先に柔らかな色を撒いていた。新一年生としての期待よりも、「三年になったお兄ちゃんが今日も格好いいに違いない」という確信が胸を満たしている。わたしの視線は自然と上級生の列を探し、背筋を伸ばして立つ長身の男子──結城悠希、お兄ちゃん──を見つけると同時に頬が熱くなった。生徒会長であり、サッカー部のエースであり、テストでは常に学年一位。まぶしすぎて見ていられないほど。でも、見ないなんて選択肢はわたしの人生に存在しない。
わたしの席は一階の一年A組。教室の窓から見上げれば、二階渡り廊下を悠然と歩くお兄ちゃんの姿が小さく揺れている。「キャーッ、先輩!」「悠希先輩、今年もよろしくお願いします!」 女子の黄色い声が飛び交うたび、胸がちくりと痛む。推し活は尊い──けれど、わたしの“推し”は血のつながった兄だから、ファン心とは別の甘やかな独占欲がかみついてくる。わたし以外の誰かがお兄ちゃんに触れていいなんて、頭ではわかっていても心が拒否する。
放課後、サッカー部グラウンド脇のベンチで宿題を広げるのが、わたしの日課だ。走るたび揺れる背番号10番を目で追い、汗を拭う仕草さえ逃さず記憶に刻む。「今日はミス多いぞ、結城!」「はい、すみません!」 叱咤する顧問の声に爽やかな返事を返す姿に、心臓が跳ねた。頑張る姿こそ推しの真骨頂──そう口角を上げながらも、隣に陣取ったマネージャーの先輩がタオルを渡すのを目撃すると、ノートに力が入りすぎて鉛筆が折れた。
家では距離が近い。リビングのソファに並んで座り、宿題を見てもらうのが習慣だ。お兄ちゃんは赤ペンで丁寧に丸をつけ、ときどき「ここは惜しいな」と小さな頭を撫でてくれる。その手のひらが離れた瞬間、わたしはすかさず空いたスペースに滑り込み、“悠希”の文字でノートの余白を満たす。母に見られたら叱られるけれど、止められない。わたしの世界にお兄ちゃんの名前が満ちていないと不安で眠れないのだ。
そんなわたしたちの関係に、はじめて綻びが生じたのは五月の大型連休だった。近所のショッピングモールで偶然出会ったクラスメイトの望月紗良が、「悠希先輩って彼女いると思う?」と無邪気に尋ねてきた。わたしはぎこちなく笑い、「わからないよ」と答えたが、胸の奥では嵐が渦巻いていた。その夜、ダイニングテーブルで家族そろってカレーを食べながら、お兄ちゃんは「文化祭で模擬店をやるんだ。紗良さんが企画をまとめてくれてさ」と嬉しそうに笑った。名前を呼んだ、その一言でスプーンが震え、ルウが白いブラウスに跳ねた。
文化祭当日。三年生のクレープ屋は長蛇の列。エプロン姿のお兄ちゃんは、甘い匂いに包まれて生クリームを絞りながらも涼しい笑顔を崩さない。「次のお客様どうぞ!」 ──お客様? いいや、わたしは家族だ。いや、世界で一番のファンだ。わたしは列に並ぶことすらできず、体育館の隅で軽音部の演奏を聞き流しながら膝を抱えた。こんなにも胸が苦しいのは、ただの妹だから? 推しは遠くから見守る存在? わたしは急に自分が“ファン”の域に閉じ込められた気がして、涙がこぼれた。
逃げるように校舎裏へ回ったわたしを、けれどお兄ちゃんは見つけてしまう。「探したぞ、麻衣」 驚いて顔を上げると、袖をたくし上げた腕に薄紅色のクレープが二つ。「チョコバナナが売り切れたから、代わりにイチゴだけどいい?」 そう言って手渡された瞬間、涙腺が決壊した。わけを聞かれても答えられない。ただ、わたしはお兄ちゃんが好きで、でも近づきすぎると“妹”という壁が立ちはだかる。その矛盾が痛い。
「麻衣、俺に言えないことなんてあるか?」 静かな声に、首を横に振る。「あるの。だって、言ったら迷惑かもしれないから」 震える声で告げると、お兄ちゃんは少し考え、そしてクレープを自分の口に軽く当てた。「じゃあ半分こな。迷惑だって思ったら、俺が全部背負えばいい」 なぜそんなに優しいの? わたしは決心し、息を吸い込んだ。「──お兄ちゃんが、一番好き。クラスの誰より、世界中のアイドルより、絶対に」
沈黙が落ちた。桜の時期はとっくに過ぎ、木陰には揺れる緑の匂いだけ。お兄ちゃんは目を細め、小さく笑った。「知ってたよ」 え? 言葉を失うわたしに、彼は続けた。「お前がノートに俺の名前を書くのも、試合を全部観てるのも、文化祭の列に並ばなかったのも、昔から見てた。麻衣の“推し活”は、俺にとっても励みだったんだ」 温かな手がわたしの頭をそっと包む。「だから迷惑なんかじゃない。ただ、妹としての好き以上を求めるなら、その時はちゃんと説明してほしい。俺も覚悟を決めるから」
その言葉に、胸がぱんと弾けた。好き以上? つまり選択肢はゼロじゃない。まだ遠くても、届かないと決まったわけじゃない。わたしは頬の涙を袖で拭き、お兄ちゃんのエプロンをぎゅっとつかんだ。「わたし、ずっと推し続ける。きっともっと好きになる。だから、いつか“妹”以外の立場で並べるくらい努力するから、見ていて」 お兄ちゃんは少し赤くなりながらも、まっすぐ頷いた。「ああ、楽しみにしてる」
その日から、わたしの日常は少しだけ変わった。勉強を本気で頑張り、次のテストで学年十位に滑り込んだ。運動は苦手だけど朝ランを始め、肺が焼けるように痛むたび兄の背中を思い描いた。放課後のベンチではノートではなく単語帳をめくり、グラウンドの遠景は視界の端に置いた。「どうした、最近来ないな」とお兄ちゃんは笑ったけれど、その声色には嬉しさが混じっている。推しの期待に応えるのがファンの務め。わたしは胸を張って、推しの、そして兄としての彼に堂々と向き合う準備を進める。
冬の気配が忍び寄る頃、わたしは生徒会室のドアを叩いた。選挙で書記に立候補し、見事当選。白いマフラーで口元を隠しながら告げる。「お兄ちゃん、今年の文化祭は、わたしが企画をまとめる番だよ」 ──あの日、お兄ちゃんが言った「楽しみにしてる」は、わたしの道しるべになった。推しを推すことで、わたしは強く、少し大人になった。
それでも。夕食後のリビング、ノートの隅っこに「悠希♥」と落書きしたくなる衝動は止まらない。妹でいる時間も、ファンでいる時間も、わたしの宝物。だけどいつか、推しと肩を並べる日のために──わたしは今日も、ページをめくるたび心の中で叫ぶ。
https://anond.hatelabo.jp/20241106140729
音楽ゲームの波に乗って、ポップン版も独断と偏見で書いてみた。一応曲の良さだけでなく、ポップン史的に重要な曲って軸で選んだ。
現在収録曲数は1000曲超え、現在26周年のKONAMI製アーケード音楽ゲームポップンミュージック
初期ポップンを代表する人気曲。ポップン6の人気投票では4位を獲得した。その際1〜3位ももちろんいい曲ではあるが、とかくキャラ人気が高い曲だったのもあって、実際曲だけでいうならこの曲が1番人気だったのでは…という意見も見たことがある。(諸説)
7ではLONG版がプレイできるようになった。ピチカートファイブを想起させる渋谷系の楽曲で、明るい曲調と言葉遊びのような歌詞、そしてボーカル杉本清隆のハニーボイスが魅力的な曲だ。
杉本清隆は初代からボーカル歌唱という形で参加しており、6ではサウンドディレクターも務めていた初期ポップンを支えていたコンポーザーの1人である。
初代の参加曲「ポップス/I REALLY WANT TO HURT YOU」もまたポップンの代表曲として、今でもKAC(公式大会)の表彰などで流れている。
6を最後に退社、個人の音楽活動に集中する形になったものの、その後もたまに曲を提供してくれる
近年だと公式大会で決勝初出・かつパーカッシヴシリーズの続編曲ということで速度変化が大変なことになっている「西馬込交通曲」、ソフトロックの続編曲として発表された「le mal du pays, numéro 1」が収録されている(ポップン25 peace)
ポップン6は様々な要素が従来から変化したシリーズである。サウンドディレクターの変更(5で務めていた杉本清隆が抜け、同職だったwacが1人で担う形に)、メインデザイナーの変更(犬千代、P-CATがチームから抜け、shio中心の体制に)、版権曲の収録、キャラアニメがドットから現在のようなアニメーションになったなど……。
そんな折、突如現れたのがこの曲である。
それまでのポップンではあまりなかった力強い日本語ラップ曲。そして途中で高速になる独特の譜面。
この曲の公式コメントで「この曲に美味しいところを持ってかれちまうであろうことも。…大体当たったよね?」とあったことから当時の人気が窺える。
キャラクターのサムライ男性キャラの六も高い人気を誇っている。ちなみに現在公式大会で11連覇している選手もこのキャラを愛用している。
作曲者のDes-Row自体は5から曲提供していたが、この曲で一気に人気に火がつき、さまざまな名義でpeaceの頃まで楽曲提供をし続けていた。
ヒップロックシリーズはその後もコンスタントに(3の倍数がつくナンバリング)続編曲が作られた。
当時のポップンに少なかった力強い男性ボーカル・少し大人びた歌詞に当時女性を中心に凄まじい人気があったらしい。
また、キャラクターの狼男・アッシュも人気が高かった。ドラムの彼とベースのスマイル、ボーカルのユーリというキャラ、彼らの組んでいる「Deuil」というバンドは当時の女子ポッパーの心を大いに掴んだ。その人気からか、25 peaceでは、「Deuil」として数少ない書き下ろしキャラアニメ枠として新曲を引っ提げた。
新堂曲に関してはどれをピックアップするか悩んだが、多分氏の曲の中でも人気が高い、8でライブバージョンも収録されたということも加味してこの曲を選出。
その後もポップン11に至るまで曲提供をし続けていたが、諸般の事情(詳しくは検索)でポップン12では彼の曲は全削除、ポップンから姿を消すことになった。
その後、ポップン17、ポップン24では氏の曲をオマージュした楽曲が作られた。(24に関しては担当キャラもアッシュ)
beatmaniaの生みの親にしてポップンミュージックの名付け親、南雲玲生作曲。ちなみに前述のポップス
/I REALLY WANT TO HURT YOUの作曲者でもある。
透明感のある女性ボーカルと、アンニュイな曲調は人気が高く、ポップン9ではロング譜面が作られた。
この曲はキャラクターも特徴的である。ポップン7では、キャラクター数名の名前を公募で決めるという試み「PaPa*MaMa 7」を行なっていた。
この曲の担当キャラは「かごめ」という名前に決定し、影のある少女という属性も相まって大変人気のあるキャラとなった。
ポップンでは10のお星様にお願い、20のみんなでつくろう ポップン20などさまざまな形でユーザー公募のイベントを行うが、ポップン7のイベントはそのはしりと言える。
氏の楽曲は退社後のゴタゴタで多くの曲が削除されてしまったが、こちらの曲は運良く削除を免れ、今もプレイ可能だ。
版権曲に関しては初見の人がプレイすることが多いということで低難易度の譜面が作られることが多かった。
ポップで可愛い風体のポップンに収録された筋肉少女帯。同じアーティストの「日本印度化計画」と共に8に収録された。
レベルは最高難易度級、おどろおどろしい歌詞と、ノーツが微妙にずれて非常に押しにくい譜面、おまけの辛判定とまさに(当時のレベルなら)トラウマ級の譜面。
キャラアニメのミミは、本来可愛らしいキャラのはずなのだがこの曲では怪しい雰囲気の絵柄になってしまっている。キャラ説明文を見ると「不思議な夢」ということらしい…。
長らく収録されていたが、版権曲の定めか、ポップン21にてついに削除されてしまった。
ポップンで1番有名な曲。
作曲はbeatmaniaやギタドラでヒット曲を生み出していたTOMOSUKE、作詞はポップン12で雫というヒット曲を出したあさきというBEMANI的には豪華なメンツ。和風ロックなこの曲は大ヒットし、ポップンは知らないけどこの曲は知っている、なんて人もいるくらいだ。他機種にも移植されまくり、ひなビタもカバーしている。近年だとVtuberもカバーしたりしており、人気の高さが窺える。
16では初のAC出身最高難易度43・トイコンテンポラリーという曲が作られ、その譜面の超密度部分は「わけのわからないもの」と恐れられた。
ピアノの濁流がノーツとなったその譜面は「どうしようもないもの」と呼ばれる。スタッフはそんなに難しくないと思ったらしく、レベルは最高難易度一個下の42に設定されていたのもユーザーを恐怖に陥れた。
その反省か、次のポップン18のボス曲(ふること)は譜面難易度が大幅に下げられた。
その結果、当時の音ゲー板では「ポップンはガチ機種じゃないからこれくらいでいい」派vs「トイコンサイレント並みの譜面をよこせ」派で論争が起きていたのを見かけた。
KONAMI公式大会9thKACではポップン14からのボス曲(+J-テクノ)がメドレーとなったPopperz Chronicleという曲がお披露目され、ランカー達を驚かせた。
前述でポップン公募企画の話をしたが、こちらの楽曲は「みんなでつくって20」という企画でボーカル募集をしたものである。
可愛らしく元気な曲調とボーカル、そして何より乙女がいきすぎてストーカーの域に入っているようなキャラ、かおりんが当時話題となっていた。
みんつく20で募集したボーカルはその後も今に至るまでBEMANIに参加してくれているのだが、特にこちらのNU-KOの躍進は凄まじい。
ポップン以外にもオトカドールというACでは全曲のボーカリストを担当、BEMANIのプロリーグでは監督や解説を担当するなど、様々な形で関わっている。近年では声優としてもデビューしている。
昔のポップンはスタッフコメントや質問コーナー等の影響でスタッフとユーザーの距離が近かったゲームであり、まさにポップンだからこそ生まれた曲といえる。
また、作曲のPONは16よりポップンスタッフとなり、おそらく今も主要なサウンドディレクターとしてポップンを支えている。BST騒動以降、スタッフの詳細が隠されてしまったため憶測となってしまうが…。
当時「つぎドカ!」というBEMANI作曲家4人が4機種に1曲ずつ曲を提供し、選曲回数を競うという企画があった。
その中でポップン出身のPONの曲が見事1位を獲得したという曲である。
経緯的にポップン史10選に入れていいのか?と今気付いたが気にしない。
曲はストレートに熱く、少年漫画のOPのような曲。この時期のPONは作曲スピードがとても早く、サウンドディレクターとなった22、ラピストリアでも多数の曲を書き下ろしていた。
また、このつぎドカの曲を担当した4人のキャラ(烈・風雅・鈴花・氷海)はそれまでポップンにいない毛色だったこともあってか人気が高かった。
その結果、ポップン22 ラピストリアのストーリーでは主役級に抜擢される。
ラピストリアは等身高めな絵柄に改変(メインデザイナーもshio→ちっひに変更)、インスト曲の減少とキャラに沿ったボーカル曲の増加、濃いストーリー、ジャンル名の廃止……etcなどポップンのテコ入れと言わんばかりに様々な変化を取り入れた作品。
つぎドカのキャラ4人は、そのラピストリアの変化を象徴するキャラ達と言える。
ちなみにラピストリアの画風(通称ラピス絵)は、現在ではpeaceでは従来のデフォルメ(+厚塗りにした感じ)に戻っている。
こちらはポップン史に大きな影響…という感じではないが〆にふさわしい感じだったので載っけた。
20周年記念ということで、初代より参加していたsana、杉本清隆がボーカルを務め、23くらいまで長らくポップンに関わっていたwacが作曲をしている。こちらの名義も初期の楽曲と同じものが使われている。(メンバーは多少異なる様)また、初代ポップンのBGMが引用されている。
サントラのスタッフ欄はそれまでポップンに関わっていたアーティストやキャラ(!)がクレジットされており、往年のプレイヤーにはグッと来るものとなっている。
peaceの時のポップンには末期感が漂っていた。前作のうさ猫の途中からポップンの最大の特徴とも言えるキャラアニメの書き下ろしがなくなり、次作として発表された「peace」というサブタイトルは、ポップンのスタッフロールの最後によく使われる言葉だった。
稼働前に公式が25のサブタイトル案として出した中にも「climax」「ありがとう」があり、本当に最終作だったのではないか…?と考えるプレイヤーも多かった。
歌詞には「さよならさえも言えないのなら 今その分の思いを込めて歌うんだ」とあり、スタッフからユーザーへの、いつか来る別れのメッセージが込められている。
リフレクビートの様に、実質サ終だが別れの機会を逃してしまった機種があるからこそ、歌という形でさよならを託したのかもしれない。
peaceに関しては、絵柄の回帰、昔の楽曲のオマージュ曲や、人気曲の追加譜面、そして新たな難易度UPPERなどを追加したことで好評な作品となった。
peaceはレッスンやベビーメタルの追加譜面も話題になっていたので本来ならそっちを入れるべきかもしれない。
また、新たなポップンとしてスライダーを追加、ボタンサイズを縮小などされて開発されていた新筐体「NEW pop'n music Welcome to Wonderland!」がおそらく既存プレイヤーから不評+コロナ禍でお蔵入りしたことで、現在に至るまでさよならすることなく無事に続くこととなった。
ポップン初期〜中期を凄まじい曲数と幅広いジャンルで、サウンドディレクターとしてもポップンを支えていた村井聖夜による楽曲。
特にこの曲は初音ミクもまだ開発されていない頃に、PCに歌わせた革新的な曲である。
ボーカリスト、そしてキャラの「Alt」はポップンユーザーの中では人気があったが、他機種においては数年後にjubeatに収録された「隅田川夏恋歌」にて大きな注目を浴びることになる。
可愛らしい曲調と、ロリ天使がおむつを履いているという、絵柄がデフォルメだから可愛く見えるものの、なかなかすごいキャラデザのポエットは人気を博し、その後のシリーズでも新曲・新アニメが作られていった。
特にパーキッツの作曲の方は、ブタパンチなどの名義でパーキッツの可愛い楽曲とは裏腹にハードでちょっとイロモノっぽい曲を収録していくのであった……。
パーキッツに関してはどの曲を入れたらいいかも悩んでしまった…。順当に入れるなら初代かなあ。個人的にはウィッシュが好き。
あとはDJ YOSHITAKAの曲も入れようかと悩んだ。でも他機種に沢山代表曲あるからいいか。
一応最新作まで低頻度なもののプレイしているのだが、昔の曲多めになってしまった。
ただ、ネットの評判やポップンのリアルイベントの開催状況等を見る感じおそらくブームだったのが1〜8、14〜15だったので、その辺に偏るのはさもありなんかも。
ふしぎなくすりは本当に忘れてた…
でも人気と外に与えた影響を考慮するなら絶対に入れるべきだった。と言うわけで書いてみた
撫子ロックにポップンで1番有名な曲と書いたが、こちらも同等レベルで有名な曲。
作曲者の上野圭市は主に弐寺で独特な作風の曲を提供しており、前作の16からポップンにも提供を始めた。
こちらの曲についても「ふしぎなくすり飲まされて、渋谷で海を見ちゃったの」という歌詞からお分かりになる様に、なかなかの電波曲である。曲調も相まって大変中毒性が高い。
そんなネタ度の高い歌詞は、曲が出た2009年頃はまだまだ勢いのあったニコニコ動画で大ヒットした。
この曲を使った手描きMAD「ふしぎなくすり のまされて」シリーズはブームを起こし、色んなジャンルで作られたのだった。
こちらのMADで知名度をあげたため、ポップン初出ということを知らない人も多いかもしれない。
上野氏はその後も参加し、peaceでは続編曲とも言える「いつまでやったって、別にいいじゃない!?」を提供。ポップンはいつまでやったっていいんだ。
コメントで皆さんのイチオシ街路樹をいただいたのでいくつか返信兼紹介。
近所には植わってないけど隣県に行った時に見た。葉っぱもインパクトあるけど根本のみょんみょん(托葉というらしい)も趣深い不思議ちゃんな樹。
樹形と樹皮からなんとなくおじいちゃんな雰囲気がある樹。葉っぱの根本にダニを飼っているという技巧派。アボカド植えたブクマカいて笑ったけどアボカドはクスノキの仲間なんだって。
去年11月に神宮外苑で見た。白い花が可愛いらしいので花の時期にもう一度見たい。再開発後も残っているといいなあ。
樹皮がツルツルなのでこの名前。漢字で書くと百日紅という通り、ず〜〜っと花が咲いてる。街路樹より庭木として人気だと思う。
食べられる実がなる樹ってウキウキするよね(管理コストは爆上がりだけど)。旅行先で買ったヤマモモジャム、素朴な味で美味しかった。
木に圭で桂と書くから、昔から愛されてきたんだろうなと想像する。
フウと並んで紅葉が美しい街路樹。樹皮がぼろぼろなので一瞬心配になるけどそういう特徴の樹。カエデ属は羽の生えた実がなる。
街路樹街路樹と言われるけどそれぞれに名前があって姿形も違う。関東在住の増田がよく見る街路樹を紹介する。リンクはWikipediaに飛ぶ。
一青窈の曲のせいでなんとなく日本の樹っぽい感じがするがじつはアメリカ原産。「薄紅色の〜」というが、街路樹で見かけるのはだいたい白い花な気がする。春と夏の間くらいに咲く花は可愛らしいけど、樹皮は結構無骨。排気ガスに強く、実も小さくて散らからないから街路樹によく採用されるらしい。
近縁種に日本原産のヤマボウシがある。こっちは実が大きめで食べられる。
実が山伏が着けているポンポン(鈴懸)に似ているからこの名前になった。スズカケノキの仲間(別名プラタナス)の中では一番植えられているらしい。
まだらに剥がれる樹皮が特徴的なので葉が落ちた冬でもよくわかる。3裂した葉っぱが落ち葉になった後も可愛い。
「生きた化石」とも言われる世界最古の樹木。増田は長らく葉っぱの切れ込みの深さでオスとメスが見分けられると信じていたが、最近関係ないと知ってショックだった。
葉っぱが落ちたあともワイルドな樹皮がカッコイイ。かなり大きくなる木なので、街路樹だといわゆる「丸太剪定」されているイチョウが多いのが残念。熊本城に生えているイチョウの巨木が見事だった。
増田イチオシの街路樹。「けやけき(一際優れている)木」が語源である通り、ほうき形の樹形となめらかな樹皮がとても美しい。
一方でちゃんと手入れをしないと樹形が乱れやすいので、けやき通りを美しく保っている剪定業者は尊敬する。
通勤途中、季節とともに移ろうケヤキ並木を見て、今日も頑張ろうと毎日元気をもらっている。
植え込みでおなじみの低木。花期になると葉が見えなくなるほど花がバカスカ咲く。子供の頃ツツジの蜜を吸った経験のある人は結構いるかもしれないが、毒があるのでやめたほうがいいらしい。
漢字で書くと躑躅。空で書ける人どれくらいいるんだろうか。最近暑すぎてだんだん花期が早まってきている印象がある。
新しく開発された地でよく見かける常緑樹。植木屋さんによると、すぐ大きくなり安いので業者側が植えたがるらしい。シマトネリコが植わっているとなんだかおしゃれな雰囲気になる。
ただ元々は暖かい気候の樹なので、関東の冬は少し寒そう。沖縄の公園で見たシマトネリコの樹は生き生きとしていた。
いわゆるモミジ(カエデ属)とは別の仲間。でも葉っぱはモミジの形だし紅葉もきれいなので、この樹をモミジだと思っている人は多いと思う。そもそも「モミジ」も分類学的な定義じゃないし、美しければいいのだ。
別名アメリカフウといい、千葉県松戸市には「あめりかふう通り」がある。もちろん全然アメリカンではない。
北海道に多い街路樹。明るい黄緑の葉っぱがきれい。北海道は他にもポプラやナナカマドなど、関東ではなかなか見られない街路樹が目白押しだ。
旅行に行ったときは、街路樹に注目してみると自分の住んでいる地域と違うものが植わっていたりして面白い。気候だけでなくその時期の流行りなどもあるので、少し足を伸ばすだけで近所にはない街路樹に出会えるかもしれない。
無限に同じこと言ってるな。同性で番になるのは自然界でよく観察されるし、
なんなら男女入れ替わる種もあるで
○ ホンソメワケベラ
生まれながらにしてオスが全く存在しない魚。一匹のオスと多数のメスとが一つのグループで生活する一夫多妻制で、
オスがいなくなると、残ったメスの中から最も大きい個体がオスに性転換します。
生まれた時は全てメスで、成長するとオスに性転換して、複数のメスとグループを作ります。メスは橙赤色、オスは鮮紅色で、体の中央に白色の斑点が出てきます。
その他、キンギョハタダイ、キュウセン、マハタなども雌性先熟の魚です。
○クロダイ
幼魚のうちはすべてがオスで、10センチを超えると精子ができます。15~25センチの二年魚は両性型で、
精巣の内側に卵巣がある雄雌同体になりますが、この段階では、機能的にはオスのままです。25センチ以上の三年魚になると性の分化がはじまり、
○クマノミ
小さいうちはオスで、成熟するにつれ集団の中で最も大きい個体がメスに、次に大きい個体がオスになります。
なお、未成年と成人は対等な関係には通常なり得ないので人権が生まれる前から紀元前からペドは忌み嫌われている
日本も大昔は10代で結婚ってのもあったが児童性愛を是としていたからでは無いことは、12歳で初産はレアケースとされていたことからもわかる
・みかんの皮 :かわかして風呂にいれるといい匂い。またはかわかして七味に「陳皮」としていれる。
・キャベツの芯 :ブイヨンをとるため煮込む(だしがらは捨てる)ポトフのキャベツ、玉ねぎも芯をつけたまま推奨(食べるときによける)
・玉ねぎの皮 :カビや土のついていないところを保存したまねぎ茶としてお湯を入れて飲む、おいしいうえに血糖値が下がるといっておじいさんがやっていた
・梨の皮 :おいしいカンジャンケジャンをつくるときになしを皮ごとカットしたままで煮込んで甘味や香りをつけている
・ブロッコリーの芯:輪切りにして固い部分のかわをむいてダイスにして花部分と一緒にゆでるかチンしてポテサラにいれて食べる。
・ナスの皮 :丸焼きにすると焦げてぽろぽろとれる。焼き芋みたいだ。よく成長して皮が固いものの煮込みの場合も、縞模様にむくことがある。秋ナスは皮が柔らかいのでむかない。やわらかいナスは嫁が食べ過ぎるくらいうまいから嫁に食わすなといわれている(諸説あります)
・りんごの皮 :カンジャンケジャンの梨と同じ。また、ペクチンと赤い色素が多いので、ジャムの色付けととろみ付けに使われることがある。リンゴタルトで薄紅色の場合は皮がついている(やわらかくなっているからわからないが)。料理に使う場合は皮についている天然ワックスを洗剤とスポンジであらって落としておくほうがよい。芯の部分は渋みが出るのでとりのぞく。
・じゃがいもの皮:土をよくあらいおとして、田舎風フライドポテトにしたり、ベイクドポテト、初詣のふかし芋にする(ベイクドポテトとふかし芋の場合は皮は食べないが梱包材としてつけたままにする)。重要なのは、煮物などわりと低温の調理にすると土は腹をこわすということだ。
許す許さないでいえばTOKIOの0円食堂みてるとそれを捨てるなんてゆるせねえよなあ~~みたいな気分になることはあるけどそのときどきだろ
カビはえたらすべて捨てろし
「レイノー現象とは、冷たい刺激などで指先が突然白色や紫色になり、15分から20分前後で紅色に戻る現象です」
「レイノー現象とは、発作的に手足の血の流れが悪くなって、皮膚の色が蒼白または紫色(チアノーゼ)になり、痛み、冷感、しびれ感を自覚し、次いで血液の流れが回復すると、逆に充血し赤くなる現象をいいます」
「Raynaud's causes your body to overreact to cold. When the temperature drops, your fingers and toes may feel numb and frozen. They sometimes even change colors, first pale and then blue. As they warm up, they may sting and turn red. Cold weather, air conditioning, and stress or anxiety can bring on these attacks」
「cold feet treatment」足の冷え、で検索するとレイノー病も説明する英語圏ウェブ、「シモヤケ」で検索してもレイノー病は出てこない日本語圏ウェブ、という事例に接した
6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」
男女入れ替わる種もあるで
○ ホンソメワケベラ
生まれながらにしてオスが全く存在しない魚。一匹のオスと多数のメスとが一つのグループで生活する一夫多妻制で、
オスがいなくなると、残ったメスの中から最も大きい個体がオスに性転換します。
生まれた時は全てメスで、成長するとオスに性転換して、複数のメスとグループを作ります。メスは橙赤色、オスは鮮紅色で、体の中央に白色の斑点が出てきます。
その他、キンギョハタダイ、キュウセン、マハタなども雌性先熟の魚です。
○クロダイ
幼魚のうちはすべてがオスで、10センチを超えると精子ができます。15~25センチの二年魚は両性型で、
精巣の内側に卵巣がある雄雌同体になりますが、この段階では、機能的にはオスのままです。25センチ以上の三年魚になると性の分化がはじまり、
○クマノミ
小さいうちはオスで、成熟するにつれ集団の中で最も大きい個体がメスに、次に大きい個体がオスになります。
そしてメスが死ぬと、2番目に大きかったオスがメスに性転換し、3番目のオスと繁殖活動をします。
【旅探(たびたん)】性別が変わる魚たち
https://www.homemate-research-aquarium.com/useful/13879_aquar_064/
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
8/31
コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております。
こういった場所で買える弁当というものは、えてして無頓着な作りが多い。
弁当箱の規格も考えずに食い物を無理やり配置している。
そのため、おかずが他のおかずに風味を移す。
かかっていたソースを相性の悪いおかずに擦り付ける。
恐らく、こういった弁当は一切の衝撃なく運ばれることを前提に提供されているのだと思う。
もし緻密な計算のもと作られているならば、全く味の異なるおかずを同じ陣地に置いておくわけがない。
少なくとも、鮭の下に肉団子は敷かれていないだろう。
それにしても大根のさくら漬け、あの紅色の漬け物は一体どういうつもりなのだろうか。
大人しくしていればいいのに、すぐに何処かへ行って酸味を周りに振りまく。
おかずの一部がピンクに染まる。
漬け物自身も、おかずの風味を吸って漬け物としての役目を全うできなくなる。
お互い良いことなんてないのに何で一緒になろうとするのか。
いっそのこと敷居も何もなく開き直った構成ならば、こんなにかかずらう事もなかったかもしれない。
弁当チェーン店の、のり弁みたく。
まあ、散々ブーたれてはみたが、実際は「ちょっと気になる」程度の話なんだけどな。
こんにちは。通りすがりの日本語警察です。増田さんじゃなくて済みません。
まず【――めく】は「接尾語」と言って、他の言葉(主に名詞)のあとについて動詞を作る言葉です。意味は「~のような状態になる」。よって
「春めく/夏めく」=春らしい/夏らしい状態になる
という意味です。「きらめく」も、本来「綺羅(きら)」というのは外国から渡ってきたキラキラする布のことですから、
「ときめく」は少し難しく、昔は、対象が「時機を得ている様子(絶頂期にある)」ことを意味する「時めく」だったのですが、時代が下がると「(そういう対象を見る側の気持ちが)どきどきする」ことを意味する言葉になりました。「○○さんはとてもときめいています(いまが絶頂期でとてもきらびやかな様子です)」が、「○○さんはときめきます」になり「○○さんってときめく!(見てるとどきどきする)」になるわけですね。こういう例は古文などを読んでいると時々あります。有名な例で言えば「情けない」など(本来は対象に「人情がない様子」を表す形容詞だったのですが、時代が下がると「(人情のない対象を見る側の気持ちが)つらい」ことを意味する語になりました。)。
ですから、これもまた上と同じく、元々は接尾語「――めく」から生まれた言葉なので、質問のお答えとしては「同じ」でOKです。
ちなみに、これを書くために調べていて、江戸時代には「めく」だけで「いかにもそれっぽく見える」という動詞の用法もあったことを知りました。「あいつは『めかない』なァ(頑張ってもそれっぽくならないなあ)」みたいな使い方だそうです。面白いですね。
めくるめくのってのもめくったような状態になるってことなんだろうか。とおもってぐぐってみたけど目がくらむとか書いてあってなんか俺の知ってるめくるめくとちがってた。めくるめくってなんだよ警察教えてくれ (https://b.hatena.ne.jp/entry/4678900173722597602/comment/watarux)
質問がありましたので追記します。「めくるめく」は「目がくらむ+めく」で生まれた語というのは、歴史的にはほぼ確実です。このため、現在も「目がくらむような」以上の説明をしている辞書はほとんどありません。では、ブクマさんの「俺の知ってるのと違う」という感覚はおかしいのでしょうか? …いえ、そう簡単には解決したくありません。なぜなら、私にもブクマさんと同じ違和感があるからです。現在の「めくるめく」は、本義の「めまいがする」意味で用いられることはほとんどなく、主として転義である肯定的な意味で用いられているように思います。
では、いつごろからこうなったのでしょうか。
参考になるのは、大辞林(1988)の「(転じて)強い刺激を言うこともある」という説明です。その用例をみると、「めくるめくような日々」とあり、どうやら比喩的に用いられることで「強い刺激」の意味が生まれてきたことが推察されます。
では、そのルーツは? 調べてみると、「めくるめく」が比喩的に用いられて今日見られるような意味を持ち始めたのは、現代日本語がその形を成し始めた大正期の詩の世界からのようです。たとえば次の用例に見える「めくるめく」の語の印象は、現代のそれにかなり近いように感じます。
その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰な美は、ことにその紅色の花にあって彼の心をひきつけた。そのめくるめくばかりの重い香は彼には最初の接吻の甘美を思い起こさせるものであった。(「田園の憂鬱」佐藤春夫、大正7(新字新仮名に改めた))
このように詩の世界で用いられた比喩的用法が、その後徐々に一般化して、今日見られる形に近づいてきたた、ということではないでしょうか。
…と、ここまで書いてまた興味深いのは、「――めく」自体が本来は「~のような」という意味であったという事実です。つまり、今日の「めくるめく」の意味を生んだ「めくるめくばかりの」という用例は「~のようであるような状態」という意味になり、「重複」ですね。語の破格な用法がその意味を拡張することの一例と言えるかもしれません。
橙田(とうた) 橙木(とうぼく) 橙山(とおやま)
浅黄(あさぎ) 黄木(おうき) 黄地(おうち)
白川(しらかわ) 白木(しらき) 白崎(しらさき)
茶園(ちゃえん) 茶木(ちゃき) 茶谷(ちゃたに)
大空(おおぞら) 空閑(くが) 空田(そらた)
茜部(あかなべ) 茜ケ久保(あかねがくぼ) 茜谷(あかねや)
紅林(くればやし) 紅露(こうろ) 紅谷(べにや)
紫垣(しがき) 紫藤(しどう) 筑紫(ちくし)
緋田(あけた) 緋本(ひもと) 緋山(ひやま)
飴田(あめだ) 飴谷(あめたに) 飴本(あめもと)
鴬地(うぐいすち) 鴬生(おうしょう) 白鴬(はくおう)
このくらいでしょうか・・・赤色・桃色・青色・水色・緑色・草色(黄緑)・橙色・黄色・黒色・白色・灰色・茶色、桜色・空色・朱色・藍色・鼠色・茜色・紅色・紫色・緋色・飴色・銀色・金色・蓬色・鴬色・紺色・土色・藤色で苗字を計153程挙げてみました。
お役に立てれば幸いです(^_^)♪
オゾンガスを静脈から採血した血液に暴露すると、動脈血の様に赤く鮮紅色なります。赤くなっているのは酸素がヘモグロビンと結合たからですが、作用機序の上では、あまり意味はありません。(オゾンガスの95%以上は酸素です)体の中に戻した時に、100ccの酸素化した血液が戻ったからといって、体全体が酸素化するということはありません。この治療の本体は、オゾンが血液と反応して、そこに発生するROSやLOPなどの物質がカスケード的に体内にて連鎖反応を起こします。
血液クレンジングによる体内の酸素化は、2,3-DPGを介して作用します。オゾンとの接触で、赤血球膜のリン脂質が分解して穴が開き、そこからオゾンがROOR=ペルオキシドという形で入ります。このペルオキシドは、グルタチオンペルオキシダーゼで分解されます。そのときにグルタチオンは還元型から酸化型になり、それに伴いG6PDによって、2,3-DPGが上がっていきます。
その根拠の一つが、末梢動脈循環障害患者にオゾン療法を行った研究結果です。末梢動脈循環障害患者にオゾン療法を行うと血中の2,3-DPGが明らかに上がっていることがわかります。2,3-DPGが上がると赤血球の酸素乖離曲線が右方移動し、末梢で酸素を離しやすくなりますので、もともと虚血だった部位に酸素が供給されます。
ヨーロッパで行われた研究では、高齢者に対して、オゾンガスを直腸注入した後の代謝活性化が調べられています。
直腸注入というのはヨーロッパでよく用いられている方法で、血液オゾン療法と比べると3~4倍のオゾンを入れます。オゾンを増やしていくと2,3-DPGが上昇し、2,3-DPGが上がると末梢の血流が改善することが確認されています。
初めて彼女が出来た。顔が中の下、体が上の上って感じの。ファッションセンスも自分に抜群に合っていて、初デート、こんな素晴らしい女性とうふふな関係なんだとおもうともう心臓が常にバクバクしてた。
残念な童貞の俺に彼女は優しくリードしてくれた。むしろ向こうから「ちょっと静かな所いきたい」みたいなこと言い出して、
「そっか、じゃぁいこうか。(あ、ついにか。)」
とハニカミならがらホテルにはいる。「ちょっとやだぁ~」みたいなテンションで甘えてくる彼女。
ふたりとも結構酔ってたが、部屋に入った瞬間、雰囲気が一気に変わる。
そこからベッドに倒れ込んで、お互いの体を触りあった後、彼女がズボンを脱がせてきて、彼女もボタンを外して脱がせるように促せてくる。
そうすると、昼間からチラチラと見えていた紅色の下着が姿を表す。もうこの時点で興奮度MAXで「俺の息子の本気の膨張」ってのを初めてしる。
しばらく下着姿のまま肌を重ねて、性器を触り合うと、俺の息子が「早く発射させろ」と伝えてくる。
まてまて、ここで発射は早漏とかそういうレベルじゃない堪えろ!と心のなかで激励しているのを察したのか彼女が「いれていいよ」的なことを言い出し、俺はゴムを息子にかぶせると、彼女は下着を脱ぎだし、生まれたままの姿になった。
俺はそれを見た瞬間、息子が怯んだのを見逃さなかった。
(大丈夫、入れれば行ける。虎穴入らずんばなんとやらだ。)と冷静さを取り戻して、硬度の下がった息子を再硬化をまたずに、入れる。
するとどうだろう。
息子は不動明王のようにうんともすんとも言わない。
勘弁してくれ、と必死にピストンをする。彼女はなにか察したのか喘ぎ声をやめ「焦らないでいいよ。ゆっくりでいいよ。」と言いながら互いに触り合ってた時に俺が反応をしめした乳首を触ってくれている。
俺は発射できずにいた。彼女の優しが苦しい。
「ごめん、なんか駄目みたい」
そう言うと彼女は
「はじめてだもんね。仕方ないよ。気持ちよかったよ。」
と笑いながらキスをしてくれる。
その後、お風呂に入った時にまた触ってくれたりしたのだが、反応は芳しく無かった。
風呂上がった後に、彼女が下着をつけると、途端に息子がかつての栄光を取り戻した。
俺が下着状態の彼女に抱きつくと「いけそう?」と聞いてくるので「がんばる」という。
自分がベッドに座った状態になり、口でしてもらう。頭を撫でると目を合わせてくれる。少し目を前にすると紅の下着に包まれたお尻がみえる。
それが妙に俺の目を引きつける。
「あ、だめ、出そう」というと、彼女は棒から手を話し頭を激しく上下させてくる。するとお尻も上下に揺れる。
「あぁ…」情けない声を出しながら発射をした。
彼女をぼーっと見てると首をかしげてくる。俺はティッシュを差し出すと彼女は2枚ほど取り出し、そこに俺の息子から発射された白濁液を吐き出した。
「イケたね。すごい量だったよ。」と褒めてくれる。「ありがとう」という、「飲んでほしかった?」と聞いてくる「いや、大丈夫」というと、うがいしてくるね。
と言って洗面所にいった。
俺はさっきまでの彼女の尻を思い出すと息子は衰えを知らないのか再びイキりはじめる。