はてなキーワード: 診療科とは
看護学生/看護師アカウントをwatchし続けて早10年近く。本当にこの界隈に生理的嫌悪感を覚えている。
女が多いからではない。男女等しく、この界隈に浸りきっている奴は気持ち悪い。
そもそもTwitterで職業アカウントを作る人に気持ち悪い人間が多いからなのかもしれないが。
彼女/彼らは看護学生や新人看護師の頃、自分を「意識低い系」と自称する。もしくは異常に「勤勉さをアピールする」のだ。
意識低い系は読者の想像する通りであろう。自らを勉強していない「限界看護学生/新人看護師」などと名乗り、とにかく勉強をしていないこと、”患者に興味を持てない”ことなどをツイートする。
特にこの”他人(患者)に興味を持てない”ということをツイートするのは看護アカウントの特徴なのではないだろうか。看護師が対人援助職であることはわかりきってるだろうに、なぜ彼女/彼らは看護師を職業として選択したのだろうか。その件について「お金のため」と明言するアカウントもあるが、それはそれで「プロとして割り切れない」という技量や意識の低さが目立つ。
問題、というか看護師として予後が悪いのが「勤勉さをアピールする」タイプだ。
彼女/彼らは看護学生時代はレビューブックを分厚くすることに専念し、せっせと語呂合わせの付箋をアップロードし、さらに理想のキャリアプランや看護師像について熱く語る。
彼女/彼らは根が真面目なので、模試で良い点数をとり、面接も手堅く通過。そして試験結果を意気揚々とアップロードしたのちに志望の診療科に入って目を輝かせる。熱い目標と学びを語る。
だが、そういう人に限って夢潰えるのだ。
彼女/彼らは次第に愚痴と弱音のツイートが増えていく。自己を卑下し、次第にそれは他責へと変化する。
一番わかりやすいのが「先輩看護師」や「社会構造」への攻撃だ。先輩をお局様と称し、自己を防衛する。自身の環境を社会構造のせいにして看護協会を悪の親玉に仕立て上げる。社会人として何年経っても看護学生時代のことを「絶対悪」として語り続ける。
だが自己研鑽で現状をどうにかしようとはしないのだ。いや、自分が変わるのではない。
彼女/彼らは「環境を変える」ための努力に勤勉さを発揮するようになる。そうすれば今自分を苦しめているものは全て解決、心機一転ハッピーな看護師ライフを送れると思い込んでいるからだ。
転職先としては第二新卒、クリニック、施設、訪問看護、美容、派遣、一般企業など多岐にわたるが、共通するのは”病棟”を避ける傾向にあるということだ。
まあそれは無理もない。人間誰しも、嫌な思いをした場に戻ることには抵抗を覚えるだろう。だが、病棟を辞めて他の職場に行った人らがずっとネチネチと病棟の悪口を言っているのを見るのは滑稽だというものだ。また、そういった病棟叩きのツイートがバズりがちなのも、そうやって自己の選んだ道(病棟を辞める)という選択を肯定してもらいたい人間がTwitterに数多く存在しているということの証だろう。
だがそうやって自己を正当化する物語を探してばかりでは、永遠に病棟を去ったことを後悔するばかりだろう。それに”病棟を続けることができなかった自分”は行動なしには永遠に変わらないのだから。
それに、Twitterに入り浸る限り彼女/彼らに転機は訪れない。「傷の舐め合い」が万バズし、数多のフォロワーを得る手段となり得るTwitterでは彼女/彼らは変わることができない。ただただ指を動かし、愚痴を投稿していれば承認欲求が満たされるからだ。永遠にぬるま湯に浸ることができるからだ。それはいつしか煮え湯になっても、彼女/彼らはそこから出ることはできないだろう。
そう、看護アカウントの界隈では愚痴や泣き言が万バズしやすく、フォロワーを得やすいのが最大の欠点だ。
彼女/彼らは看護アカウントを作り、愚痴を吐くだけでフォロワー数を何百も、時には何千も得る。いいねもたくさんつく。自己を肯定するコメントも貰える。そうすると気が大きくなる。「ああ、私たちの行動は間違っていなかった」のだと。
しかし面白いことに看護師としての年数が経過し、看護学生/新人看護師ではなくなると、余程のアカウントでない限り新規にフォロワーはつかなくなる。いいね数も目に見えて減っていく。”愚痴”も称賛を得られるのは若いうちだけなのだ。
そして限界まで煮詰まったアカウントは……もう目も当てられない。
彼女/彼らは”過去の栄光”に縋る。新しくアカウントも作ることができず、そこに留まり続け、同じようなツイートを重ねていく。時たま思い出したかのように過去のバズったツイートを掘り起こすが、焼け石に水に過ぎない。結局看護アカウント界隈の「おじさん/おばさん」として生きていくしかないのだ。しかし、新規に看護アカウントに参入した若い奴らは知っている。
「こいつらはやばい人物だからここまで看護アカウントを続けているのだ」、と。
看護アカウント界隈は定期的に看護アカウントを卒業(アカウントが動かなくなる)する。それぞれの別の日常に向かって新しくツイートを始める。看護という物語に縋らないと生きていけないやつは異常者なのだから。
2021年の5月だった。自分はある大学病院に赴任して1年ほどが経ち、徐々に慣れつつあったところ。
3月には、20年ほど勤めていた大黒柱の講師の先生が抜け、私はその先生の仕事を引き継いだ…
そのほかにも仕事は増え、仕事量は前年度の2倍となった。忙しくて本当に辛かった。
その大学へ移籍したのは他大学で行き詰まりを感じたからだった。前の大学でマンネリに陥っていたある時、大学病院を移籍してうまくいっている(ように見えた)憧れていた T 医師に相談するチャンスがあった。移籍してうまくいく秘訣や探し方を聞こうとしたところ「うち来る?」と誘われ、トントン拍子で移籍できることになった。
移籍して、新たな症例を見たり、国際学会の委員を経験できたり、移籍したことはプラスになったと思う。
その尊敬する T氏に、リモート勉強会のホスト役を頼まれたのが5月下旬のこと。当時は感染症の全盛期。いろんなものがリモートになっていた。
T 氏がその勉強会に参加できないということで、私が代わりに大学病院の会議室から ZOOM 参加、プロジェクターに投影、リモートカメラを設置。他の医師が参加できるような形で参加して欲しい(ホスト役をして欲しい)ということだった。
当時ものすごく忙しかったので断り、Tは「別の人に頼もうか」と言っていた。
1週間後、Tは「会議のホストをやってほしい」と再び頼んできた。前回忙しいって断ったのに再び。なぜもう一度の説明もない。おかしいと思ったが、お世話になっているし、断ってもまた来るのだろうし、一旦は引き受けた。
「会議のホストを頼まれたけれども、忙しくてできない。誰か代わって頂けないでしょうか? 連絡がなければ私の方から断ります」
と。
そしたら
「お前ふざけんな」
みたいなメールが T から来まして、よくわかんないけどメールで謝り、早朝に教授室へ行き謝罪。
言われたのが、
「お前は世話人を乗っ取ろうとしてるのか、断りの連絡は自分が入れる」
「お前は変だ、お前はめちゃくちゃだ」
「N 先生(当科主任教授)も君のことを変だと言ってる。 A 先生(日本〇〇学会会長、つまり当診療科の top of top,他大学教授。タイミングが合えば東大教授だった)も君のことを変だと言っている、S 先生(私の留学先の指導教授)も君のことを変だと言っている。君は本当にめちゃくちゃだ」
みたいな話をされて。
別に「変」って言われるのは嫌ではない。アカデミックな人は変だからね。
だけど今回言ってる内容、小学校レベルのいじめやし、虎の威を借る狐…
例えば、
私が自分の研究のために自費で用意したパソコン、家からでかいスーツケースに入れてゴロゴロ持ってきたところ、
「先生のパソコンのいい使い方を思いついたよ。僕の研究のデータ解析に使えばいい」
(アホか、解析するのは良いけど言い方! 私物やぞ。なお、大学のインターネットに繋ぐのには申請が必要。許可は得ていた)
「あの人は私の研究補助のために来ている。君が邪魔をして研究が滞ると困る」みたいな。
その人に聞いてみると別にそういうわけではなく、大学全体のサポートとしていて来ている、とか。
4月から仕事量が2倍となり、医局長に相談してたけど減らしてもらえない。
実質的に私の後見人であるT氏、おそらく何らかの personality disorder を持っている。境界型か自己愛性かだと思うけど。
普段は優しいんだけれども、何かのきっかけで周りに当たり散らすなど人間性に問題がある。
どうしようもない。
心が折れてしまった。
(入院施設のあるまともな)精神科病院を受診、SSRI内服開始。診断書取得して年度末まで休職。
主任教授Nもアホだから、休職中にも仕事を命じてきた。T からのいじめに目撃者はいないけれども、仕事量が非常に多かったことは記録に残ってるし、休職中に仕事を命じてきた不適切な証拠は残っている。
ちなみに今は退職していて、個人事業主として保険外の医療事業にかかわっている(美容医療や怪しい細胞治療ではない。まともなサービス)。
年収は2/3に減ったけれども、仕事量は1/3(忙しかった時の1/5程度)に減り安定した。
なお、私が辞めた後に科の仕事量は減らされた…
とはいえ、
これを乗り切ったとしても、自分のアカデミックキャリア、保険診療キャリアは終わりかけていた。こういう明らかなパワハラがあっても何もしないのが大学病院。一般病院でもまともな話が通じないことは結構ある。そういうのが本当に嫌だったし、遅かれ早かれ辞めていた。
今でもTやNに恐怖や怒りはあるが、恨んではいない。むしろパワハラを受けたおかげで明確に立ち去る理由ができたとは思っている。
そして、なぜこんなにすっきりパワハラ〜鬱〜退職ができたのか。
その背景には、20年前、とある大学病院での事件。後期研修医S 君の自殺があった…
(最初はSくんの話を書こうかとも思ったんだけど、なんかこっちを書きたくなった)
https://togetter.com/li/2586841
公立病院勤務です。
まじで勘弁してほしいです。
公立病院は、「収支均衡」が基本です。
黒字が出ても、使い道は、設立団体の承認を得る必要があって、勝手に決められません。
で、これまで積み上げてきた毎年のうっすい黒字を、大赤字のため、切り崩し続けてる状況です。
県「しょうがないにゃあ」
という状況です。
ここ数年、真っ赤っかの赤字なのは、物価高騰や人件費高騰に、診療報酬が追いついてないからです。
診療報酬は勝手に決められないので、病院ができる努力には限界があります。
「医者も看護師も暇なんでしょ」と言われますが、まじでとんでもないです。
ほぼ満床で運用し、明日入院予定の患者さんのベッドすら空かないのに、救急車を断ると、アホほど怒られます。
給料を減らす方向での議論もあり、そうなった時、もう現場に繋ぎ止められる医療職はいないと思います。
以下、ブコメ返信です。
● 「時間売上が5000円で年収1500万の医師雇って黒字化は無理ゲーでは」
→公立病院だけで、医師に1500万円払ってる病院はないですね。少なくともうちは、診療科部長クラスでも届かないです。
医師は基本的には「外勤」といって、民間病院に出稼ぎに行き、複数病院で働いてます。
足し合わせると、それくらいにはなると思いますが、公立病院の給料はまじであんまり高くないです…。
人件費の高騰は確かに経営を圧迫してますが、医療職に贅沢させてる訳じゃないです。
● 「満床想定での看護師人員配置、医局に配慮した過剰な医師受け入れなど、正直課題だらけ。なのに人々は赤字でいいんだ連呼。こりゃだめだ。」
→いや、満床想定というか、病床稼働率は100%超える日も多々ありますよ。
で、「明日の入院予定患者のベッドないです!なんとか誰かを退院させてください!」と詰められる日々…。
医局に配慮した過剰な受け入れ、というのも、少なくともうちの病院はないですね。
なら毎年あるけど…。医者の残業も平気でひと月100時間超えるし。
● 「私が昔住んでた場所の公立病院、私の知る限りこの30年間、ずっと赤字なんだよなぁ。子供の頃聞いたら公立なんで儲けたらあかん(なので慢性赤字の地域巡回医療や小児科が切れない)と聞いた。今は知らん」
→「収支均衡」が基本だとは言われます。
儲けてもいいけど、基本的に儲けても病院は使い道を自由に決められる訳ではなく、設立団体にお伺いを立てます。
ちゃんとした検査ができる大病院に紹介状とか書いてもらえば? 原因不明だと書いてくれないんかな?
専門医だと個人クリニックをやっていたとしても特定の日には大病院で勤務されているケースがあって、よくわからない場合は、大病院への紹介状を書いてくれたりするんよね。
手間かかるから初手で大病院に行きたいけど、紹介状がないと今は1万円ぐらい追加でかかるからねえ。
ただし裏技があって、特定の科に掛かりつけていると、他の診療科にも紹介状なしで初診料だけでいけるというものがある。
もし皮膚科で医者に定期通院しているなら(6か月以内に再診してもらっているなら)、大病院の方に変えるというのもあり。通院圏内ならば。
あとはAIに症状をプロンプトで丸投げてして、これはどの病気の可能性があって、何科に行けばいいのかを聞いてみるとかかなあ。
ただ、今のAIに医療診断を任せるのはさすがにリスクがあるからなあ。
どっちかというと心療内科?
睡眠外来と心療内科は、どちらも睡眠に関する問題を扱うことがありますが、それぞれ専門とする分野が異なります。睡眠外来は、睡眠障害全般を専門的に扱う診療科で、睡眠時無呼吸症候群や不眠症など、睡眠に関する様々な問題を診断・治療します。一方、心療内科は、ストレスや精神的な要因による不眠など、心の問題が睡眠に影響を与えている場合に、心理的な側面から治療を行います。
睡眠時無呼吸症候群、不眠症、過眠症、概日リズム睡眠障害など、様々な睡眠障害に対応します。
睡眠に関する検査(終夜睡眠ポリグラフ検査など)や、睡眠衛生指導、薬物療法などを行います。
心療内科:
うつ病、不安障害、適応障害など、心の問題が睡眠に影響を与えている場合、心理的な側面から治療を行います。
睡眠薬の処方も行いますが、カウンセリングや認知行動療法など、心理的なアプローチも重視します。
睡眠障害の原因が、ストレスや精神的な要因によるものと思われる場合は、心療内科または精神科を受診するのが良いでしょう。
睡眠障害が原因不明の場合や、睡眠時無呼吸症候群などが疑われる場合は、睡眠外来を受診するのが良いでしょう。
どちらの科を受診すべきか迷う場合は、まず内科や睡眠外来を受診し、必要に応じて心療内科や精神科を紹介してもらうのが良いでしょう
安野様
note記事によるフォローアップ、ありがとうございます。
その上で以下の点、質問させてください。
どのような医師に(人数、専門診療科など)、どの程度の時間、どのような方法で監修を受けたら(例えば、対面で1名とミーティングして1時間)、先日の結論になったのでしょうか。
いわゆる専門家の監修には、名義貸しのような事例もないとは言えないので、具体的な体制をなるべく明らかにコミュニケートしていただけますでしょうか?
喘息に関する提言は、Chat GPTなどのAIサービスを活用して、アウトプットされたものでしょうか。あるいはAIは全く使ってないのでしょうか。
よろしければ、使用したAIがあればそのバージョンと、プロンプトの過程を含めて明らかにしてください。
第三 回答へ要した時間の長さについて
失礼ですが、このご回答はものの数時間もあればできるものと思います。
以上3点、6月26日の14時までにXまたはnote上でご回答お願いできたら幸いです。
取らなきゃよかったかなって毎日後悔してる。忙しかった。気づいたら5年以上経ってた。
手術室の看護師になりたくて、余裕のある家ではなかったので大学ではなく専門学校に通ってあまり遊べずに実習続きの3年間を過ごして。
なりたくてなったのだから自業自得と言われるでしょうが、高校生なんてそんなもんでしょ。
だって看護師は食いっぱぐれないからって大人はみんな言うじゃないですか。
ああ、じゃあちゃんと一人で暮らしていけるくらい稼げるんだと思っていました。
私は夜勤のない手術室勤務なので、夜勤分が丸々ないというのも理由の一つではあります。でもそこじゃなくて、資格あって5年以上の経験があって尚、手取り25万円くらいって目の前真っ暗すぎて、明細見るたびに死にたくなる。
でも夜勤ありきの給料ってなに。キャリア形成もクソもあるか^^
国家資格ってなんなんですかね。専門的知識や技能があることを認めているんですよね。職業的な地位を保証されるはずなのに、生活に必要な仕事すればするほど割に合わなくなるのなんなんですかね。
対人間の命みたいな仕事ほどお金にならなくて悲しい。もっとお金取れるようにしてよ。
看護師向いてないと思っても、大学出ていないとスタート地点にも立てないことも多いし、ちなみに30過ぎたら尚更求人減ります。激減。もう崖っぷち。別の資格とか取らなきゃ動けない。アセアセ😅💦
え、私これあと何年続けなきゃいけないの?人手不足だから日中外来や病棟も駆り出されて、土曜日も出勤して、ほんでこれ?何のために生きてる?ピラティスなんか行く気力ないし、日曜日は半日寝て家片付けて終わり。
また同じ1週間。そりゃみんな辞めるよ。美容クリニックに流れるに決まってるじゃん。
労働の義務も納税の義務もキツすぎる。これしか貰えないのになんでこんなに税金払わなきゃいけないの?病院にいるのに病院も行けてない。最近は普通に歯痛い。
ねえそれ本当に必要?っていう検査希望する人、薬飲まないのに病院通う人、認知機能落ちてるって結果出てるのに免許更新したいってごねる人、家族が車持ってないから救急車呼びましたとか様々な人が来ます。非常にバラエティに富んでる。
しらんがな。薬飲みたくないって言うならもう薬も飲まないで来なきゃいいじゃん、家にいなよ。ロキソニンテープそんなに毎回もらってどこに貼るねん。こっちはマッサージも行けてないんじゃ。ほんでそんなんで救急車呼ぶな、GOタク呼べ。
どんどん性格も口も悪くなって、段々性格悪いやつの顔になって、死ぬ時は鬼になっちゃうんだー
結局人間の心の余裕って金銭的な余裕からくるものがかなりあると思う。少なくとも私はそうです。
コロナ禍の病院バイトとかしんどかったけどお金貰えたから精神的には元気でいられた。普通が戻ってきて私は大鬱。
こういうこと言うと「私は月これくらいで何とかなってるけどなあ」とか「贅沢しすぎ」とか「田舎行けば?」「日本出れば?」とか仰る方が現れると思いますが、うるせー今私は誰かの貧乏自慢を聞きたいわけではないし有難いお説教タイムでもないので不要です。去れ。
争うのはそこではありません。国民の手取り底上げをしてほしいし、何なら健康だから時々は天引きされた保険料キャッシュバックしてほしい。働いて納税してる人も健やかでいられる世界であってほしいんだよ。
点数に対するお金が決まってるっちゅうのに、その中で病院を維持して地域に貢献しろって厚生労働省のお役人さんはん、ほんまご立派なお考えどすわぁ。これ以上診療報酬下げるやなんて、うちらにはとても思いつきまへんわ。
普通の病院がにここから更に賃上げしろなんて、働いていたら分かるんですけど無理なんですよね。もうほんとに私より限界人生🎶自転車操業🎶って感じなんですよ。ボロボロ。床のタイル剥がれてるし天井穴空いてるもん。
機械も買い替えられないし、電カルもまだだし、病院の床とかトイレとか内装の修繕とか二の次、医療DXとか来世。泥舟から水を掻き出してる感じ。
だからボーナスも減るし、福利厚生はカワセミの涙くらいしかなくて当然なんですよね。
もちろん診療科にもよると思います。お金になる処置や手術もあれば、やるばやるほど赤字ということだってある。体力がある段階で健診センター作った病院もある。賢い。
国が一番やりがい搾取じゃん。ここでやめたら、病院が地域が困るから続けてるみたいなもんで、しんどい。
私アホだからわからないんですけど単価上げて生活保護も高齢者もみんな一律3割じゃ何でだめなんですかね。っていうか4割とか5割でも安いくらいだよ。
人間減ってるんだから皺寄せくるのは想像できたじゃん。っていうかきてんのよ。
野菜も米も家賃もホテル代も電気代も値上がりしてるのにそんなに医療の単価下げてどうするの。最低限の健康維持も国民の義務にしてくれないかにゃ。
安心安全な医療がいつでも受けられる国民皆保険は日本が誇るべき素晴らしい制度ですが、それを支える労働者が最低限度かそれ以下の生活しかできなくて、給料安くて不安だから連休にバイトして旅行も行けなくなって、それで私たちは老後に元気も体力も金もなくて見たいものも見れなかったししたいこともできなかったなーって思いながら死んでいくんだー
それさ、本気で言ってるならちょっと危ないよ。
独法って、国が「もう病院の赤字は抱えきれないから」って手放した結果できた仕組みなんだよ。
中途半端に民営化して、「自分でなんとかして。でもゼロはきついだろうから最低限の支援は出すよ」っていう、“切り離された医療機関”。
税金が入ってるのは事実。でもそれで全て賄えてるわけじゃない。
現実は、自分たちで稼がないと病院は回らない。助成金はあくまで“延命措置”。
で、そんな場所で何が起きてるかというと、稼げない診療科はどんどん削られるし、人も削られる。
でも患者は減らないし、看護師は足りないし、医者も高齢化でギリギリ。
でも現場は止められないから、どうにか帳尻合わせて医療“っぽいもの”を回してる。
それを「税金で支えられてるから当たり前」とか言うの、ちょっと無責任すぎない?
なるほど、「助成金なしで経営できる病院なんてあるの?」って疑問、
たぶんそこがもう出発点からズレてるんだと思う。
こっちは、その前提に“どこまで依存してるか”と、“それをどう使ってるか”の差が生き残りの分かれ目になるって話をしてるの。
健全な病院ってのは、助成金を「補填」じゃなくて「仕組みの中の一部」として計算してる。
でもゾンビ病院は、助成金を**「これがないと完全に死ぬ」ってところまで当て込んでる。**
つまり、
で、そこには必ず「経営方針」がある。
どの診療科を持つかどの患者層を中心にするかどの地域・施設と連携して紹介を回すかどの設備に金をかけて、何は捨てるかどこまで“無理してでも続けるか”を判断する基準があるか
それを「採算を考えるやつはバカ」って空気で全部吹っ飛ばしてきた結果が、今のゾンビ病院の山なんだよ。
昔からじゃないんですけど、ここ数年くらい、自分では何も声に出してないはずなのに、周りから「今、言ったよね?」とか「そういうのやめたほうがいいと思うよ」みたいに言われることがあって、地味にしんどいです。
喋ってる感覚は本当にないし、口も開けてないし、喉にも力入れてないです。舌もたぶんずっと上の歯の裏あたりについてるままで、動いてないと思います。
でも、そういうの関係なく、こっちとしては普通に何もしてないつもりなのに、相手が明らかに「言われた」という前提で怒ってくることがあって、本当に意味がわかりません。
そのまま通り過ぎると思ってたら、急に振り返って「今の、本気でどうかと思う」ってきっぱり言われたんです。
びっくりしすぎて、「え? 何も言ってないですけど」って言い返したんですけど、「いや、言ってたよ。ちゃんと聞こえたし」って、はっきり断定されました。
ほかにも、教室で席が近い子に「今なんか言った?」って聞かれたこともあります。
そのときもほんとに口も開けてないし、「言ってないよ」って答えたんですけど、「そう? なんか聞こえた気がして…」って、納得いってない感じの反応でした。
そういうのが何回かあって、さすがに不安になって、スマホの録音機能で試してみたことがあります。
めっちゃ静かな部屋で、自分でも意識して何も発してない状態で録ったやつです。
でも、聞き返してみても入ってたのはかすかに息っぽい音があるだけで、言葉っぽい音は一切録れてませんでした。
それでも、リアルな場面では人に「言われた」ってはっきり言われるんです。
しかも、冗談とか勘違いとかじゃなくて、最初から完全に“確信してる側の口調”で言われるのがキツい。
あまりに気になって、前に一度病院に相談に行ったことがあります。
いろんな診療科があるところだったんですけど、最初に話を聞いた人に案内されたのが精神科のほうでした。
で、そこの先生に状況を説明したら、「そういう考え方を少しずつゆるめていきましょうか」みたいな感じの返事で、いわゆる精神科の薬が出ました。
でも私としては、「こういう出来事が実際に起きてる」って話をしたかっただけで、別に誰かに狙われてるとか、幻聴があるとか、そういう話をしたつもりじゃなかったんです。
声に出してるつもりはないし、録音にも何も残ってないのに、周りの人からは“確実に何かを言われた”という前提で怒られる。
こっちとしてはそれが繰り返されるたびに、自分の感覚が合ってるのか、相手の聞こえ方が正しいのか、分からなくなってきます。
誰にも話せなくて、ちょっと苦しくなってきたので、ここに書きました。
助言をくださった方々、ありがとうございます。ひとりで考えていたときより、少し視界が広くなったような気がしています。
ただ、やはり私の中では、いじめや嫌がらせといった方向とは少し違うように感じています。
美容院で髪を切ってもらっていたとき、少し離れたところで、以前担当してくれていたスタッフの方が別の美容師さんと話していて、「ずっと喋ってる」「すごく小さい声」みたいなことを言っているのが聞こえました。その後、そのスタッフの方が私のすぐ後ろに来て、何も言わずにしばらく立っていて、私が振り返ると、すっと何もなかったように離れていきました。
また、飲み会で初対面の人と少し話したあと、しばらく沈黙があって、その人が、急に少し困ったような顔で「えっ、失礼な……」と声に出しました。その直後に、「どうやって喋ってるんですか?」と言われました。その人の中では、私は何かを言っていたことになっていたのだと思います。
スマホで録音しても何も入っていなかったので、少なくとも声としては出ていないはずです。
でも、そうして目の前で反応されると、自分が何か言ったのかも…という気持ちにもなってきます。
録音していたのはひとりで静かにしていたときなので、人といるときは気づかないうちに何か違う状態になっているのかもしれないとも考えています。
本当に声を出してしまっているのか、あるいは、自分の脳のほうが何かを間違って処理していて、実際には何も言われていないのに“言われた”と思い込んでしまっているのか、そんなふうに考えることもあります。もしそうだとしたら、幻視と幻聴が同時に起きているということになるんでしょうか。でも、それって本当にあり得るのかな…というところで、いまだによくわかりません。
子供の頃は虐待を受け、学歴なんて身につける余裕はなかったが、色々あってどうしても医者として働きたくなった。
これまで無駄遣いもせずに暮らしてきたし、機関の奨学金もこれまで使ったことないから一応借りれるはずだし、節約すればやっていけるという判断で医学部受験することに決めた。
一般的には医学部再受験って言葉でイメージされるような年齢だが、大学に行ったことはないから「医学部受験」だ。
私立の医学部に行けるような金は当然ないから、国立一本勝負だ。
予備校に使う金も当然ないので2年くらい自力で勉強して、共通テストもボーダーを超え、最近二次試験を受けてきたところだ。確実に受かってるとは言えないが、合格確率はそれなりにあると思う。
直接世話になったわけではないが、参考書の出来が良いから勉強中にあまり困らなかったという意味で予備校講師に感謝している。
落ちてたらどうしようとか、受かってたら所持品の何を捨てて何を持って行こうなんて思いながら一服してたら、とんでもないニュースが飛び込んできて目を疑った。
そんなことになったら今までの全ての計算が狂う。
6年間ストレートで卒業してもお金が足りなくなるかもしれない。
3倍という案がそのまま通らなくても、6年で必要な額が200万とか増えるだけでも十分深刻な問題だ。今でも6年間の清貧を覚悟して臨んでるんだ。
そもそも子どものいる家庭だって、貧乏だけどたまたま子どもがすごく頭が良くて応援している、国立ならなんとか行かせられる、そんな家庭いくらでもあるんじゃないのか。
子どもの二次試験バッチリだったよ!ってLINEを家族全員で大喜びしてたのに、このニュースのせいでどうしようどうしようって困っている家庭が今、日本にたくさんあるんじゃないのか。
はてなでこんな事言うと上位受験生は金持ちばっかとか言われそうだが、地方医学部なんて特別な「課金」をされなくても狙える範囲の、地道に知識を積み重ねれば答えられる問題なんだ。
地域枠奨学金の入学後採用などを勧められるかもしれないが、診療科も勤務先も自由に選べないのは俺にとってかなり辛いことだ。
9年その地域に縛られるのはまだしも、そこに制限があると自分が目指している医師像から遠ざかってしまう。
別に金のために医者になりたいわけじゃない。俺なりの理想があって、俺なりの利他精神があって、社会にどういう風に貢献したいというのがある。
直美や自由診療なんて絶対にやらない。いくら待遇や「コスパ」とやらがよくても俺の理想はそこにはない。
上からお前は今足りないこの診療科から選べ、この僻地に何ヶ月行って次はこの病院で何年やれ、そんなことを何もかも指図されながらやりたいんじゃない。
俺が今までの人生で得た観点から、俺ならではの問題意識で医療に取り組みたいからわざわざ10年修行しなきゃいけない方向にキャリアを変更しようとしてるんだよ。
いや、100%正直に言えば、学歴コンプ解消みたいなのも10~20%くらいはあるかもしれないよ。そりゃね。
学歴なくて不便に思うこといっぱいあったしね。
でも偏差値が上だから偉いみたいなしょうもないマウント取りに使いたくて医学部に入りたいわけではない。
むしろたかが学力だけで人間に上も下もないだろと主張するために欲しいだけだ。
とにかく頼むから無闇に授業料いじらないでくれないか。高額療養費の変更にも疑問があるが、本当にそこからいじらないといけないのか?
・少し前に「看護師と結婚して10年目」というタイトルの匿名ダイアリー(すぐに削除されたので内容は読めなかった…残念)があり、タイトルに親近感を覚えたので、触発されて書いてみようと思った。
・これを書いてるのはとある地方の都市部の端っこに住むアラフォーのおっさん公務員(閑職)
・今の生活に満足
・みんな幸せに暮らせるといいな
昨日(もう一昨日か)、地元で成人式があった。地方だと成人の日(月曜日)ではなく日曜日に成人式を行うところもあるのだ。東京とかから帰省し、旧交を温めてまた戻っていく若者達への配慮だろう。
自分の住んでいる地域は、都市部だが辺境ということもあってか、まだ小学校単位で成人式を行えるような人口規模を保てていて、こぢんまりとしているが、その分アットホームな感じの成人式だ。
少し前に運命のいたずらで地元の自治会のメンバーになってしまい、今年の成人式にも参列することになったが、やっぱり40代から見る二十歳の若者というのは本当にまぶしい。エネルギーに満ち溢れている。
小学校を卒業して8年しか経っていないはずなのに、こんなに大きくなるもんなんだな…自分の子どもも、あと10年もすればこうなるのだろうか。今から晴着姿が楽しみだ。
妻とはマッチングアプリで出会ったが、当時はまだマッチングアプリで出会って結婚、というのがそれほど普及していなかった。職場でも「どこで知り合ったの?」と聞かれるとマッチングアプリで…とは言いづらかったので、合コンで知り合ったということにしていた。
看護師といっても診療科や勤務先(病院・クリニック・訪看etc.)によって勤務形態も大きく異なる。当たり前だけれども。詳細は伏せるが、妻は深夜勤はないが夜勤が週に1~2回のナースだ。
妻が夜勤の日以外は、家族全員で夕食を食べているのだが、それが一日で一番楽しい時間だ。家族みんなで、その日の出来事を、あーだこーだいいながら晩御飯を食べるのだ。
「今日、学校の給食がおいしくておかわりした」だとか「いつもはぶっきらぼうなあの患者が今日はなんか機嫌がよさそうだった」だとか、本当にとりとめもない話ばかりだ。
私は数年前に仕事で精神的に追い込まれて心身に異常をきたした。
だが早期にそれを察知した妻が、すぐに受診できる心療内科を探し、予約してくれたおかげで、比較的短期間で復職することができた。
そのことがなかったとしても、妻のことが大好きで心から愛していることには変わりないと思うが、その経験があったからこそ、家族の何気ない時間のかけがえのなさに気付くことができたとしみじみ思う。
ちなみに婚活、マッチングアプリについて言うなら、私はアプリに登録してかなり早期に今の妻と出会ったので、いわゆる婚活の大変さをほぼ経験しなかったのであまり参考にならないかもしれないが、
あえて言うとすれば「この人とは、肩ひじ張らず自然体の自分でいられるなあ」と3回目くらいのデートで確信したので、あとはそのまま機会を捉えて告白→婚約→結婚という感じだった。
今現在、婚活をしている人たちはいろいろな要素で悩む部分はあると思うが、そういう直感も大事かなと思う。
仕事では、完全に出世ルートを外れてしまって幾星霜だが、「この組織に貢献したい」という思いは変わらず持ち続けているので、この先どんなところに飛ばされたとしても、それなりにやりがいを見つけてやっていけるんじゃないかな、と思っている。
給料も世間一般で見ればよい水準だし、もう十分なのかなと思う。
かつては大好きで独身の頃に休日は一日中やっていたゲームも、もういいか…という気分になってきた。というか土曜日は子どもの習い事への送り迎えがあるし、日曜日は何かしら地域の活動が入っていたりで、趣味に打ち込める時間は正直ない。でも別にそれでいい。加齢とともに感受性は落ちてくるものなのだ。コンテンツをまっさらな気持ちで楽しめないとでも言おうか。
そんな私が今思うのは、自分の子ども世代が大人になったときに、幸せを感じられる世の中であってほしい、ということだ。
少子化に歯止めがかからず、日本全体がシュリンクしていくのは確定している。
残念だが、子どもを産み・育てていくことが、コストとしてばかり捉えられてしまっている。まあ経済合理性から判断すれば至極当然だが、とても残念だ。
それでも。
2つ目の記事として取り上げられている件、許せない発言と思う人が多そうで特に関係者はそうなんだろうけど、100を5にするのと5を1にするのとでかかるコストってたぶん後者の方が高いでしょ
だから仕方がない、ということを言いたいわけではないんだけど、「けしてゼロにはならない」は全員一致する意見だと思うんだよね
記事で発言したかたは「他診療科は100が10になってそれを5にしようって話してるけど、産科は100が2になっててそれを1か0にしようとしている」ということを言いたくてそれを「前のめり」と言ったのよね
コメントで厳しい指摘のある通り、つがる病院の件は裁判を経た賠償ではなく、「産科医療保障制度原因分析委員会や県外の複数の産婦人科専門医の意見等を踏まえ」て病院が責任を認めて賠償金を支払ったものだった。
また、事態の詳細記事を寄せてくれた増田もいた。ありがたい限り。
以下の本文は自戒を込めて元記事のままにしておくので、該当部分は「コイツ日本語読めてねーわ」と思って読んでほしい。
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2024年11月だけで、産科をとりまく嬉しくないニュースが続いてしまった。
・双子の出産時に医療事故・第2子に重い脳性まひ 「つがる総合病院」が責任を認め患者と家族に損害賠償金約9100万円を支払いへ 青森県
https://reiwa-kawaraban.com/politics/20241116/
市中病院で、帝王切開という形で産科医療に関与する麻酔科医の目線から上記のニュースを考えてみる。
【前提】
まず話の根底として、妊娠から出産の過程で低確率ながら母子の死亡が起こりえる。
厚労省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001118039.pdf)によれば妊産婦の死亡事例は減少傾向にありつつも、令和3年で2.5/100000出産例とされる。(死亡の原因は様々だが、こちらのスライド(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2021/12/20211208_2.pdf)によると、「産科危機的出血」「脳出血」「羊水塞栓」で半分近くを占める)
平成12年には6.3であったというから、およそ20年で半減してきている計算で、これは原因の究明や対応できる組織構築を行った医療従事者や、薬剤や機材の開発・流通を整備する関連企業の不断の努力の賜物に違いない。
日進月歩の医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないものが妊娠と出産である、という点がまず客観的な事実として存在する。
経腟分娩でなく帝王切開を選択する理由について信頼できる統計データがネット上には見つけられなかったが、職務で見てきた中では「双子」「胎盤の位置異常」「前回が帝王切開=今回の分娩がハイリスク」「合併症(妊娠高血圧など)予防のためやむをえず」といった背景が多い。
胎盤の位置異常や帝王切開歴などは妊婦検診の過程で分かることであり、予め調整して計画的に帝王切開をすることで上記の出血などによる死亡例を防ぐことができる。
予定帝王切開の日程を定めていたとしても、まったく予期せぬタイミング(予定の数週間前など)で破水したり陣痛が始まってしまうことは日常茶飯事であるし、経腟分娩で予定されていたお産が胎児の心拍低下などで緊急に帝王切開となる事態もよくある。帝王切開ではないが、経腟分娩を終えたものの出血が止まらないため緊急手術になる事例も時折ある。
短く纏めるなら「妊産婦死亡を防ぐには帝王切開がどうしても必要な場合があり、そしてそれは緊急に起こりえる」となる。
では、緊急帝王切開が決まったとして、手術はどのように進むのだろうか。
緊急という言葉から一分一秒を争う事態を想像するかもしれないが、実は事情に応じてどの程度待てるか段階分けされている。
施設によって呼び方や規定時間はある程度幅があるものの、こちらの資料(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/42/1/42_57/_pdf/-char/ja)に示されるものが一つの指標になるだろう。
同日中に娩出すれば問題ないものは大きなトラブルになることはまずなく(見たことがない)、1-2時間以内に子供を出したいとなると手術室は忙しくなってくる。
そして、我々麻酔科医にとって最も恐ろしいものが、超緊急帝王切開、いわゆるGradeAの宣言だ。
資料中にもあるように、GradeAでは可及的速やかに胎児を出す必要があり、以前所属していた施設では「宣言から30分以内」を目標としていた。この30分という数字をどう受け取るかは人によって様々であろうが、手術室の動きと所要時間から考えてみたい。
帝王切開を全身麻酔で行う場合、手術室看護師は必要な器械(メス、各種鉗子、血液吸引機などなど)を準備し、麻酔科は麻酔器のセットアップや薬剤・器具の準備を大急ぎで進めていく。
麻酔器のセットアップを全くゼロから行う場合は、機種にもよるが10分近く時間をとられる。どんなに短くても3-5分という印象だ。
また、使用する薬剤の種類は通常の全身麻酔とあまり変わらないものの、一部の薬剤は鍵付きの金庫で保管されているため、鍵の持ち主である看護師に持ってきてもらう必要があるのだが、看護師も器械の準備に全力を注いでいるのですぐにとはいかない。
全ての薬剤を準備するのに(鍵を無視しても)最速でも2-3分。人工呼吸のための気管挿管デバイスを準備するのにもう1-2分。麻酔器のセットアップと並行で行えるので単純に足し算ではないが、これに移動時間、各所へ電話連絡の時間、薬剤と道具をかき集める時間を加味すると、連絡を受けて10分後に独力で全ての準備を整えられるかは分の悪い勝負になりがちだ。
マンパワーがあれば多少改善するものの、夜間や休日であれば人員は最低限に留められているため、素早いヘルプも期待できない。
大抵の場合、産科医も連絡をしてきた時点で手術室へ患者と向かっているので、慌てて手術室へ飛び込んだら患者が先に入室していた、ということも珍しくない。
全ての道具の準備を整え、産科医は滅菌ガウンと手袋を装着し(これにも1-2分はかかる)、全身麻酔をかけると同時に執刀を初めて数分後に胎児を体外へ出す。
言葉だけ並べると案外間に合いそうに見えるが、必要な検査結果を最低限確認したり、患者を手術台へ移動したりと無数の手順が間に挟まることで時間はどんどん圧迫され、時間が経過するごとに胎児(と場合によっては母体)の生命は目の前で消えようとしていく。
今まさに苦しむ母体と、見えないところで死に向かっていく胎児を目の前にして、正確に、安全に、迅速に全ての手順を協同して進めていく緊張感が伝わるだろうか。
そして上記の描写は、近隣でも有数の規模の病院で、スタッフの経験値と各種対策が練り上げられた環境でのものである。比較的規模の小さい病院では経験値やマニュアルも整備されておらず、これより時間がかかってしまうだろうことは想像に難くない。
【記事の内容について】
こういった現状を踏まえた上で双子の判決についての記事を読むと>> 10分以内に新生児を取り上げる超緊急帝王切開の体制が取られておらず、重大な障がいに至ったなどとする判断を受けました <<とある。
当時のつがる総合病院の体制がどのようなもので、どこまで準備できた時点から計測された制限時間かは調べた範囲で詳細不明であったが、全くゼロから始めたとすればまず不可能な時間であるし、ある程度準備が出来た状態(麻酔器はセットアップされていたなど)からでも厳しいだろう。
実際に病院側の落ち度があった可能性も無論あるが、ベストを尽くしても達成しうるか分からない「10分以内」という数字をどこからか持ち出してきて賠償を命じられるというのは、あまりに理不尽に感じられる。
10分以内に取り上げられたら後遺症を防げたか、あるいは程度が軽く済んだ可能性はもちろんあるが、それが現実に達成不可能な数値目標だとしたら、処罰の理由として据えられてはたまったものではない。
この記事から読み取れる法律サイドのスタンスは、「もっと安全対策をとるべきであった」とできるだろう。それが現実的なものかはさておいて。
これは厚生労働省保険局での話し合いであり、その結論の着地点は広い範囲に影響することが予想される。
産科医療を保険適用にした場合の問題点はそれだけで独立した論点になってしまうため割愛するが、記事がフォーカスしている井上弁護士の発言は以下である。
>> バランスを見ますと産科は医療安全にかなり前のめっていすぎるというふうに私自身は判断しまして(中略)結果が異常である可能性があるということで水準を簡単に上げすぎるために、産科の世界のバランスが他の診療科に比べて崩れているのではないかと(中略)医療安全、悪く言えば原理主義的になりすぎないように、ということを是非ご注意いただく <<
この発言に対して亀井氏が即座に怒りを感じさせるコメントを出しているが、むべなるかなと言わざるをえない。
関係各所が不断の努力を続けていても妊産婦死亡はゼロではなく、突然で理不尽な不幸に見舞われたご家族の悲哀を想像するだに辛い気持ちになる。
にも関わらず、どれだけ真摯に取り組んでも、双子の事例にもあるように時として理不尽な法的判断を下されうるのが現状の産科医療の実態だ。
無論この井上弁護士の見解が法曹会の総意でないことは理解しているし、記事の執筆者がやはり弁護士で非難的な論調であることからも間違いない。
とはいえ一部の弁護士(そしてそれ以外の人々)に、「産科医療は医療安全コストをかけすぎではないか」という見解を持っている人が相応にいるだろうことが推測される。
双子の記事と厚労省の記事は、個別に見るとかたや「医療安全をより追及せよ」であり、かたや「医療安全にコストを割きすぎではないか」という真逆の要求をつきつけている。
どうしろというのだ、という困惑から一歩引いて、何故このように食い違う見解が同一の業界から出てしまうのかを考えてみると、「妊娠・出産に対するリスクの軽視または無理解」が両者の根底にあるのではないかと個人的に考える。(業界が同じなだけで個人の思想が違うだけだろうという結論は一旦置く)
「出産は安全に済むものだから」という補助線を引くと、「(安全に済むものだからその水準を当然満たすべく)医療安全をより追及せよ」「(安全に済むものだからそんなにコストをかけなくても良いはずで)医療安全にコストを割きすぎではないか」というように、一見相反する見解が綺麗にまとまる。
本記事の冒頭に掲げた前提の「日進月歩の医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないものが妊娠と出産である」という事実が、過小評価されているかよく理解されていないことに原因があるのではないか、と考える次第である。
これはある意味仕方のないことで、実際に超緊急帝王切開に直接関わる産科医・麻酔科医・看護師でもなければ医療職であってもそのリアリティにはピンとこないはずなので、一概に無理解を批判することはナンセンスだ。
数字として見るデータは客観的な事実として揺るがないとしても、起きてしまった不幸とそれを防ぐための緊張感は、両方を目の当たりにして初めてリアルな根拠としてデータを活かす。
改善策としては実際の現場を映像と音声で記録して周知と理解を促す手段も思いつくが、倫理的な問題とマンパワー的な問題が立ちはだかる。この点は医療サイドで働きかける余地があるだろう。
【今後の影響に対する推測】
産科医療における有名な出来事としては2006年の大野病院事件があり、そのあらましと影響についてはこれまで散々議論されているので割愛する。
最終的に産科医は無罪を勝ち取ったものの、福島県内における産科医療への影響として、事件の前後で産科医が減少したという分析がある。(https://keizemi-keio.info//wp-content/uploads/2017/01/bessyo_mitaron.pdf)
産婦人科医会の調査(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/02/48dc1841822ac2ca56d3d7ee4b107c28.pdf)では総数としての産科医は2006年から2022年にかけて19%増えているとあるが、厚労省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/22/dl/R04_1gaikyo.pdf)から算出した同期間についての総医師数の伸び率が23%であることを合わせると、新たに産科医を志望する割合は減少していることが見て取れる。
産婦人科医会の資料中には産婦人科施設の推移も載っているが、婦人科病院が微増するものの一般病院と診療所が明らかに減っていることが分かる。
ハイリスクな妊娠と出産を高次機能病院で対応するために人員を集約することは理にかなっているものの、妊婦にとって移動はかなりの労力を伴うことから、集約によって移動距離が長くなることは身体的にも経済的にも負担が増す。
この推移に大野病院事件がどの程度影響したかは評価が難しいが、無関係でないことは明らかだ。
そういった過去の事例があった上に今回のような事例が積み重なると、施設の減少と人員の相対的な不足傾向が加速するリスクがある。
施設の減少は患者にとって負担であるし、人員の不足はスタッフの疲弊と患者のリスクを招く。
件のつがる総合病院で事態が起きたのは2017年ということだが、2024年現在も施設としては第二次救急医療機関の指定を受けており、日本産科婦人科学会専門医制度専攻医指導施設としての教育施設指定を受けている(https://www.tsgren.jp/tsugaru-general-hospital/hospital/situation.html)ことから、緊急帝王切開を含む産科医療を行っているものと推察される。
産科医療資源の集約を考えた際に集約される側ということになるが、その医療水準を支えるスタッフはHPによると産婦人科3名と麻酔科2名のみだ。
始めに述べた通り、帝王切開は通常の分娩でも突然発生しうるし、それは夜間も休日も関係が無い。
当番制でシフトを回すと考えても、麻酔科は2日に1回は夜間呼び出しに備える必要があるし、産婦人科も1人で手術はできないので同程度以上の体制をしいていると推測される。
この通りであれば当然スタッフは疲弊するし、疲れた状態での医療は危険を伴う(だからこそ働き方改革が叫ばれる)。そして、疲弊はさらなるスタッフの離脱と不足を招く。
事態が進んで最終的に誰が不利益を被るのかというと、分娩をしたい妊婦・胎児・家族に他ならない。
冒頭の記事にある判断と見解は、将来生まれてくる新生児の生命をリスクに晒すもので、人命と健康を至上とする立場からは許容できない。(そうでない立場の人からはそうでもない、という批判はありうる)
【まとめ】
本記事では2024年11月に公開された産科医療に関連する法的判断と見解について、産科医療に関与する麻酔科医の立場から考察した。
医療安全の推進と削減という矛盾するような見解が同一の業界から出てくることについて、「妊娠と出産が死亡リスクを伴う」という点の理解がされていないのではないかと仮定することで1つにまとめ、現状の問題の発生源を推察した。
GradeA帝王切開がいかに厳しい時間的制約のもとで行われるかや、妊婦と胎児に起きうる不幸について一概に法曹側の無理解を批判するものではないが、このような法的立場の判断と見解の影響が及びうる範囲を想定すると受け入れがたい。
現場をよく知る人々の意見が反映されることを祈りつつ、実際に1人の麻酔科医から見た現場がどういった物かを誰かに共有できればと思い本記事を作成した。
ヒトだと、高額医療費制度があるので、医療費の負担額が月に20万を超えることはない。所得が低ければ10万くらいだ。お金がなくて医療を受けられないというケースはほとんどない。植物状態でずっと入院でも、食事と寝る所と着るものとがついて、年金でお釣りがくる。親族が100人中99人は延命を望むのは、下賎な話、家計を圧迫しないからというのは大きい。後期高齢者は2割負担、つまり保険適用無しで考えると5倍の医療費がかかってる。高額医療費の上限に届いてる場合、それ以上。窓口で負担してないから忘れているだけ。簡単に言えば、ヒトの終末医療には、延命する手段があれば、年間に100万でも1000万でもかけて当然。じゃあ、動物の医療に年間1000万出せる人がどれだけいるのか。100万だって二の足を踏むと思う。50万だって厳しいと思う。
基本的に獣医は診療科が分業化されてないので、ヒトでいうところの総合診療科しかない。CTを使わない脳外科はないだろうけど、総合診療科がCTを抱えられるか。例えばCTは2000万からだが、2000万の機器を年に何回使うのか。年に3回くらいの頻度だとしたら、撮影の請求が20万としても10年で600万の売上にしかならない。もちろん20万なんて請求はできない。高額な医療機器の導入はできない。
卵が先か鶏が先かだけど、レベルが低いから高額な高度医療がないのか、高額な高度医療がないからレベルが低いままなのか。
そもそも、心臓の手術も脳の手術が概念すらほとんどない。心電図やCTが読めても、予後不良か健康かの2択が9割。治せない病気とほっといても治る病気かを調べるための検査なら、検査の意味がない。
心臓や脳の手術が技術的に絶対にできないのか?と聞かれたら、もちろんヒトの医療は動物実験での結果の積み重ねなので、犬や猫どころかマウスだって成功したから、ヒトでその手術を行ってる。適正がある人に訓練さえすれば、ペットの手術も理論的には出来ないわけではない。が、獣医学部のカリキュラムにはおそらくない。現在の獣医に脳外科や心臓血管外科の授業がどれほどあるか知っている人がいたら、教えてほしい。
じゃあ、医療のレベルが低いから尊敬できない、安楽死を進めるくらい医療倫理のレベルが低いから尊敬できないは乱暴。
獣医のレベルが医師より低いから尊敬できないというのは、ジャングルの奥地の部族の村でトイレットペーパーもないなんて不潔と叫ぶようなもの。紙がなければ紙以外で拭くしかない。文化的に劣ってるとか、精神的に劣ってるとかいってはならないと思う。ドクターコトーの診療所のように、高度医療を身につけたスーパードクターが僻地にきて大活躍、なんてことは夢物語。聴診器一本で診断できることは限られて、仮に診断できてもなにもできない。ドクターコトーならヘリで内地の病院に送れるが、獣医だと送る先の病院がない。
もちろん、手で肛門をふけといわれても、虫を食えといわれても、無理なように、ヒトの医療を知る人にとっては、安楽死が受け入れられないのは当然のこと。生理的に受け入れられないのであれば、離婚もやむなしだと思う。
こういう情報を頭からバカにして「科学的エビデンスがない」って言う男が多い。
でも、皮膚って立派な臓器だし皮膚科って診療科もあり古くから研究されている。化粧品会社や化粧品の原料会社も、研究所を持ち論文を出している。
普通に考えればエビデンスがあるのが自明なのに、とにかく女がやってることはとりあえずバカにしとくって根性が身についてるから「プラセボ」だの「金ドブ」だの言うんだと思う。
エビデンスエビデンス言う人のために、一般向けのスキンケアの参考書を紹介する。
美容家とか化粧品関係者とか女医が書いた本はどうせバカにするだろうから、皮膚科の偉い男の先生が書いた本に絞る。
コスメマイスター、スキンケアマイスターは化粧品業界の資格で、化粧品販売とかに関わるおじさんたちもわりと受検してる。教科書もユニセックス対象に書かれてると思う。
この2冊の著者の川島先生は光老化、アトピー治療の第一人者で、化粧品業界や美容業界にもパイプが強い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E7%9C%9E
皮膚の仕組みとかが半分ぐらい。純粋に面白かった。著者の田上先生は皮膚科の重鎮みたいな先生。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%8A%E5%85%AB%E6%9C%97
同じ著者の「皮膚の医学 肌荒れからアトピー性皮膚炎まで 」https://www.amazon.co.jp/dp/B00LMB0C4A は手に取りやすい。ただし1999年の本でちょい古い。
今はもうちょっと進歩してるので、これだけ読んでわかった気になると良くないかも知れない。
余談だけど、化粧品の害を煽るみたいな本ってだいたい1970年-1980年の情報が下敷きになってて、現状と全くあってなかったりする
医療従事者向けの本で高価だけど、文献へのポインタあるのでおすすめ
何を選ぶか、何を必要かってのはこのへんの本読んで皮膚の仕組みを学んでからでいいと思う。
たとえば「脂でベタベタなのに何か塗らないとダメなのか」みたいな話は皮膚の仕組みを知ればおのずから答えが出るし、「化粧水はすぐ乾くのに塗る意味あるのか」は化粧品の役割を知ると納得できると思う。今は化粧品の成分もパッケージに全部書かれてるので、何が入ってどういう役割を果たしてるかは成分の教科書みるとだいたいわかるよ。
意味がわかると面白くなるのは他のジャンルと同じで、なんにしたって自分で調べて考えるに越したことない。