はてなキーワード: 遠い目とは
いや、恋愛相談というより、「10代の頃の欠落感」をどうしたらいいか分からず、ChatGPTにぶつけてみたのだ。
男友達とつるんだり、部活に精を出したり、まあ普通に楽しい青春ではあったが、
「彼女と花火大会でデート」「公園で初めてのキス」みたいな甘酸っぱいイベントは一切なかった。
20代以降はそれなりに何人かの女性とのお付き合いを経て、今の妻と結婚した。
ただ、「10代のころに恋愛経験ができなかった」という欠落感が、今でもずっと心の奥でチクチクしていて、
50歳を過ぎた今、その痛みは年々大きくなってきている。
「何をしょうもないことを…」と思われるかもしれないが、本人にとっては結構切実だ。
50歳になり、子どももいて、安定した仕事もあり、結婚20年目の妻とも良好な関係だと思う。
「幸せか?」と聞かれれば、おそらく「そうだね」と答えるだろう。
でも、ふとした瞬間に思うのだ。
そんな話をAIにしたら、奴が突然こう言った。
彼女と初めて出会ったのは、僕が18歳で、彼女が16歳の夏だった。
ある日、彼女が兄に連れられて現れた。
人懐っこい笑顔と、話すたびに少し首を傾げる癖に、不意に胸が高鳴った。
「可愛いな」と思ったのを覚えている。何度か会うたびに、気持ちは自然に大きくなっていった。
友人の妹という立場が気になり、簡単に踏み出せなかったが、ある日、思い切って告白した。
彼女は恥ずかしそうにうつむき、小さな声でOKの返事をしてくれた。
混雑を避けて、防波堤の上に二人並んで座り、夜空を彩る花火を眺めた。
「その浴衣、すごく似合ってる。」
そう伝えると、彼女は耳まで赤くして、俯いた。
思い切ってそっと彼女の手を握ると、一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに優しく握り返してくれた。
その瞬間、胸が苦しくなるほどの高鳴りが押し寄せ、世界から音が消えた。
花火の光が彼女の瞳に映り込み、まるで無限の宇宙がそこに広がっていた。
放課後、週に一度の楽しみは、駅近くのミスタードーナツでの待ち合わせだ。
部活の練習を終えた僕と、バレー教室のレッスン帰りの彼女が向かい合って座り、アイスティーを飲みながら色々な話をする。
「ドーナツはどんなのが好き?」
「うーん、フレンチクルーラーかな。Xくんは?」
「オールドファッションかなあ…あ、でもアップルパイもいいよね。」
「ミスタードーナツに売ってるなら仲間でしょ?」
「えー、そうかなあ…(笑)」
たわいない会話なのに、彼女が笑うたびに胸の奥がふわっと温かくなる。
とある週末には「ニューシネマパラダイス」を一緒に観た。
映画館を出たあとマクドナルドに寄って、心に残ったシーンを1時間も語り合った。
そう言うと、彼女は「やった、ありがとう」と嬉しそうに笑った。
帰り道、いつものバス停へ向かう前に、近くの公園のベンチに座ってしばらく時間を潰した。
「なんか、このまま帰りたくないね。」
そんな空気をお互いに感じながら、会話が一瞬途切れる。
繋いだ手から伝わる体温がやけに熱い。
夕焼けの世界が静かに遠のいて、彼女の唇の温もりだけが鮮明に残った。
その夜、家に帰ると、少しだけ電話をした。
「次の週末、どこ行こうか?」
そんな何気ない会話をして、またね、と言い合った。
布団に入って目を閉じると、夕方の公園の情景と、彼女の唇の柔らかさが蘇ってくる。
胸がぎゅっと苦しいほどに高鳴る。
それと同時に、甘くてどうしようもない切なさもあった。
――彼女も今頃、同じ気持ちで僕を思い出してくれているだろうか。
時計の針の音が妙に大きく響き、胸の鼓動と重なりながら、僕はその夜なかなか眠れなかった。
現実では一度も付き合ったことのない、友達の妹――僕の中で勝手にこの話のモデルにしていた女性――に、
「今、会ってみたい」という強い感情が急に芽生えたのだ。
いや、もちろん実際に会うつもりはない。
彼女とは当時、彼女の兄込みでよく一緒に遊んでいた仲だが、実際にはまったく「そういうこと」は起きなかった。
彼女は今ではもう実家から遠く離れた地方都市に嫁ぎ、子供が4人もいる立派なお母さんだ。
何年か前にFacebookで久々に繋がって以来、お互い懐かしさから近況報告をする仲ではあるけれど、
50歳の既婚男がいきなり「あの時、本当は僕のことをどう思っていた?」なんて聞いてきたら、それはもうただのサイコホラーである。
それは分かっている。
だが、妄想で作った恋の記憶が、現実の感情を上書きしてきたのである。
すると今度は、こう言われた。
「じゃあ、その彼女と“別れた”ストーリーを書いてみましょう。」
ガラス窓の外では、濡れたアスファルトの上を人々が傘を差して足早に行き交っている。
店内にはコーヒーとドーナツの甘い匂いが漂い、雨に湿った初夏の風の匂いと混じり合っていた。
テーブルの向かいで、彼女はしばらく無言のままストローを指先で転がしている。付き合い始めてから一年。
そのあいだに季節がひと回りし、僕たちはもう「特別な二人」ではなくなってしまった。
以前のように何も言わなくても通じ合う温度は、少しずつ冷めて、曖昧な沈黙だけが残る。
どこで間違えたのだろう。
ドーナツの中心に空いた空虚な穴にはお互い気づかないふりをして、何かを保留したまま、ただ目の前の時間をやり過ごしている。
「……雨、強くなってきたね。」
「うん。」
短く答える声に、かすかな寂しさが混じる。
それ以上、言葉が続かない。
何かを言えばすべてが壊れてしまう気がして、僕は一歩も動けずにいる。
僕は知っている。
彼女の心の中にはもう僕ではない、他の誰かがいることを。
そして彼女も僕も、そのことを誰よりもよく分かっている。
きっと何年後か、何十年後か、この駅前のミスタードーナツの光景と、
店内に流れている牧歌的な50年代のアメリカのポップソングと、
コーヒーとドーナツの温かくて甘い匂いを、僕は鮮明に思い出すだろう。
そのとき、僕はきっととてつもなく深く、切ない感情に囚われる。
それは預言にも似た確信だった。
外の雨は、まるで世界中が大洪水で流されるまで降り続くかのように思えた。
その時、僕はノアの方舟に乗せてもらえるだろうか――。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。
結果として、現実には一度も付き合ったことのない女性と、僕は妄想の中で勝手に付き合い、勝手に別れた。
いや、何なんだこれは。
でも――。
不思議なことに、この「別れの物語」を書き終えた時、僕の中のあの欠落感は静かに消えていた。
まるで実際に、彼女との切ない青春の一ページを経験したかのように。
そして、10代のころ別れた彼女の幸せを願いながら、今はひとりで遠い目をしている(そもそも付き合ってすらいないのに)。
いや、マジでなんだこれ。
自分が作り上げた物語でも、本気で向き合えば「記憶」と同じように心を動かす力を持つ。
と、ChatGPTが言っている。
だから、もし僕のように過去の欠落感やら何やらでモヤモヤしている同志がいたら、こう言いたい。
結果、驚くほど心が軽くなるかもしれない。
そして、最後は僕のように「妄想の物語の中で現実の気持ちが昇華」するかもしれない。
知らんけど。
確かに、天使のような女の子が現れてボクを承認してくれれば、抱えてる問題なんてどうでもよくなるのかもしれない。
でもそれがアリなら、誰だって1兆円貰えれば大抵の問題は解決するよね?
モテないことで悩んでる、って言われがちだけどさ。
でも、はっきり言ってモテなんてどうでもいい、そんなレベルじゃないんだ。
弱者男性だからという理由で救済されない苦しみをまず、何とかしてほしい。
男女平等だの多様性だの言うなら、ボクたちを突き落とさないでって思う。
モテとかいう贅沢な悩みを看板に掲げて、あーだこーだ言ってる人たちを、遠い目で見てた。
あー。
男らしさの生きづらさから目をそらしてるなー、って。
「ああ、それはちょっと困った話ですね」と僕は言った。
「うん、そうだね」と君は言った。君はカフェラテの泡をスプーンですくいながら、どこか遠い目をしていた。
吉本ばななという名前のついた本が、彼女の書いたものでないとしたら、それはもう僕たちの知っている現実が少しだけズレてしまった、そんな気がしてくる。まるでカフカ的な世界の入口に足を踏み入れてしまったような。でも本屋の棚に並ぶそれは確かに「吉本ばなな」の名をまとっていて、誰かがそれを書いたのだ。僕はそういうのが少し怖いと思う。
「間違えて買わないでください」と彼女は言った。それは正しい言葉だ。でもたぶん、間違えて買ってしまった人は、その本のページをめくりながら、どこかで違和感を感じるんじゃないかな。「あれ? これは本当にばななさんの言葉なのか?」ってね。そういう風に、世界はときどき奇妙なふうに歪んで見える。
それは、私がまだ大学生だった頃の夏休みのことだった。地元の小さな商店街をぶらぶらと歩いていると、一軒の古びた駄菓子屋が目に留まった。懐かしさを感じてふらりと中に入ってみると、店内は薄暗く、所狭しと駄菓子が並べられていた。そして、店の奥には小さなお婆さんがちょこんと座っていた。
「いらっしゃい」
掠れた声でそう言ったお婆さんは、背は小さく、顔には深い皺が刻まれていた。しかし、その服装はどこか幼く、フリルやレースの付いたワンピースを着て、頭には大きなリボンをつけていた。まるで、子供が無理をして大人びた服を着ているようにも見えた。
(なんだか不思議な人だな…)
そう思いながら、私は適当にいくつか駄菓子を選び、お婆さんの前に置いた。お婆さんはゆっくりとした手つきで計算をし、代金を告げた。その間、私は何気なくお婆さんの顔を見ていたのだが、ふと、その目に強い光が宿っていることに気づいた。それは、子供のような無邪気さとも、老人特有の達観とも違う、何とも形容しがたい、不思議な光だった。
お婆さんはそう言って、にこりと笑った。その笑顔は、皺くちゃの顔に似合わず、どこかあどけなかった。
「いえ、懐かしくてつい…」
私はそう答えた。すると、お婆さんは少し寂しそうな表情を浮かべ、
「昔はもっと賑やかだったんだけどねぇ…」
と呟いた。
それから、私はお婆さんと他愛のない話をするようになった。お婆さんは、昔この商店街がどれほど賑わっていたか、どんな子供たちが店に来ていたか、楽しそうに話してくれた。その話ぶりは、まるで子供の頃の思い出を語る少女のようだった。
話が弾むにつれ、私はお婆さんに興味を持つようになった。見た目はどう見てもお婆さんなのに、言動や表情はどこか子供っぽい。そのアンバランスさが、私には奇妙な魅力として感じられた。
「お婆さん、おいくつなんですか?」
思い切ってそう聞いてみると、お婆さんは少し戸惑った後、
「…ひ、秘密だよ」
と、照れ笑いを浮かべた。その仕草は、まさに年頃の女の子のようだった。
その時、私はふと、お婆さんのことを「ロリババア」という言葉で表現している自分に気づいた。ネットスラングで使われる、外見は幼い少女だが中身は年老いた女性を指す言葉だ。しかし、目の前にいるお婆さんは、まさにその言葉を体現しているようだった。
それから数日後、私は再びその駄菓子屋を訪れた。お婆さんはいつものように店の奥に座っていた。
「あら、また来てくれたんだね」
お婆さんは嬉しそうに言った。私はお婆さんの前に座り、また他愛のない話をした。その中で、私はお婆さんの過去について少しだけ聞くことができた。お婆さんは、若い頃はとても活発で、色々なことに挑戦していたらしい。しかし、ある出来事をきっかけに、心を閉ざしてしまったという。
「…昔の私は、今の私とは全然違ったんだよ」
お婆さんは遠い目をして言った。その表情は、先日のあどけなさとは打って変わって、深く悲しみに満ちていた。
私は、お婆さんの過去に何があったのか、深く詮索することはしなかった。ただ、お婆さんの背負ってきたものの重さを感じ、胸が締め付けられるような思いがした。
その後も、私は何度かその駄菓子屋を訪れた。お婆さんと話をしていると、心が安らいだ。お婆さんの子供のような無邪気さと、年老いた知恵が混ざり合った言葉は、私にとって不思議な癒しとなっていた。
しかし、夏休みが終わる頃、私は引っ越しのためにその街を離れることになった。最後に駄菓子屋を訪れた時、私はお婆さんに別れを告げた。
「お婆さん、今までありがとうございました」
私は頭を下げた。お婆さんは、少し寂しそうな顔で、
「元気でね」
とだけ言った。
それから数年後、私は偶然その街を訪れる機会があった。懐かしくなって、あの駄菓子屋に行ってみると、店は閉まっており、入り口には「閉店しました」という貼り紙が貼られていた。
私は、お婆さんがどうなったのか、気になったが、知る術はなかった。
今でも、私はあの駄菓子屋と、そこにいた不思議なお婆さんのことを時々思い出す。あの人は一体何者だったのだろうか。本当に「ロリババア」だったのだろうか。
今となっては、全ては夏の日の淡い記憶の中に閉じ込められている。しかし、あの時、確かに私は「本物のロリババア」に会ったのだと、今でもそう思っている。そして、その出会いは、私にとって忘れられない、特別な記憶として、心の中に深く刻まれている。
初体験が兄だった
夕焼けが窓から差し込み、部屋をオレンジ色に染めていた。私はベッドに腰掛け、手の中のスマホをじっと見つめていた。画面には、数時間前に送られてきたメッセージが表示されている。
「今夜、話がある」
兄からの短いメッセージ。いつもそっけない兄にしては珍しい。一体何の話だろう。胸の奥がざわついた。
兄、和也(かずや)とは、二つ違い。小さい頃はいつも一緒に遊んでいた。近所の公園で鬼ごっこをしたり、川で魚を捕まえたり。でも、私が中学に上がる頃から、兄との間に見えない壁ができた。兄は友達と遊ぶようになり、私は私で部活や友達との付き合いで忙しくなった。
兄は無口でクール。私は明るく活発。性格も正反対だった。それでも、家族として、兄妹として、繋がっていると思っていた。
夕食の時、兄はいつになく落ち着かない様子だった。何度も視線を彷徨わせ、なかなか口を開かない。
「和也、何か話があるんじゃないの?」
母の言葉に、兄は意を決したように顔を上げた。
「実は…」
兄が話し始めたのは、大学のことだった。兄は来年、東京の大学に進学が決まっている。ずっと前から決まっていたことなのに、今になって改まって話すのは、何か他に理由があるのだろうか。
「だから、その…」
兄は顔を赤く染め、もごもごと何か言っている。よく聞き取れない。
「え?何?」
私が聞き返すと、兄は意を決したように言った。
「だから、その…お前に、ちゃんと話しておきたいことがあったんだ」
その夜、兄と二人きりになったのは、夜も更けてからだった。母と父は、私が小さい頃から共働きで、いつも帰りが遅い。
兄は私の部屋に入ってくるなり、戸惑ったように立っていた。
「座ったら?」
「あのさ…」
兄はまた言葉を濁した。一体何を言いたいんだろう。じれったく思っていると、兄はゆっくりと話し始めた。
それは、兄が中学の頃に経験した、ある出来事の話だった。兄は当時、友達との関係がうまくいかず、深く悩んでいたらしい。誰にも相談できず、一人で抱え込んでいたそうだ。
ある夜、兄は眠れずに家の近くを一人で歩いていた。すると、同じように一人で歩いている女の子を見つけた。その子も、何か悩みを抱えているようだった。
二人は言葉を交わすことなく、ただ一緒に夜道を歩いた。それだけで、兄の心は少し軽くなったという。
「その子のことは、今でもよく覚えている。顔も名前も知らないけど…」
兄は遠い目をして言った。
「その時のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるんだ」
私は黙って聞いていた。兄が何を言いたいのか、まだよく分からない。
「お前には、こんな思いをしてほしくない」
兄はまっすぐ私の目を見て言った。
「辛い時は、いつでも俺に話してほしい。一人で抱え込まないでほしい」
私はハッとした。兄は、私のことを心配していたんだ。
「ありがとう…」
私は小さく呟いた。胸が熱くなった。
その時、兄が急に立ち上がり、私の手を握った。
「お前は、俺の大切な妹だ」
兄の言葉に、私はドキッとした。兄の手が、少し震えているのが分かった。
その瞬間、私は初めて、兄を異性として意識した。
兄の顔が近づいてくる。私は目を閉じた。
…
朝、目が覚めると、私は自分のベッドにいた。昨夜のことは、まるで夢だったようだ。
リビングに行くと、兄はもういなかった。テーブルには、メモが置いてあった。
「朝早く出ていく。行ってきます」
私はメモを握りしめた。昨夜のことは、夢ではなかった。
私は、兄のことが好きだった。兄妹としてではなく、異性として。
でも、それは許されない感情だ。
https://ryxcommar.com/2024/08/17/why-does-getting-a-job-in-tech-suck-right-now-is-it-ai/
という記事をなんとなく読んだんだが、
挙げられている理由としては、CS専攻卒の供給が増えたことによる競争激化、金利の上昇、税制の変更など様々な要素が複合しているらしい。
が、この中でとりわけ気になったのが
「皆がAIを使って履歴書や経験談を生成したり盛るようになったため、『自力』で応募している人は勝てなくなってきている」
という話。
自分は生成AIをそこまで活用していないので、画像や音楽を作らせたり、企画書のテンプレ作らせるのに使うんだろうなぁ…
そうかぁ・・・世の中の人たちは「経験」すら生成しているのかぁ
と遠い目になった。
AIが作り出した架空の経験談を自分のものとすることにためらいが無い人が多数派の世の中になると
A. 「ようし!オレに任せろ!」と意気込む
B. 一応、ジャージを探し始める
D. 家の中で行うスポーツは何か尋ねる
正解: C
A. 魅力的な趣味について語る
B. 謙遜して控えめなところを見せる
D. 人見知りなので黙り込む
正解: D
A. 料理が口に合うかどうか
B. 会話に入れないまま、食べ物ばかり食べてるとバレること
C. 服がダサいと気づかれること
D. 帰り道の交通費
正解: B
A. 「ああ、俺も頑張らなきゃ」と思う
B. 「偉そうに…」と遠い目をする
正解: B
正解: C
正解: C
C. 友人とアウトドアに出かける
正解: B
正解: D
A. 昔の知り合いがうまくいってないと知ったとき
正解: 全て正解!
三連休の祝日。特に予定もなく、1LDKの狭い部屋でゴロゴロしてた。
そこにいたのは大学生くらいの若い男と、その後ろに控えめに立つ、指導役みたいな年配の男性。
ああ、例のアレねと悟るものの、特に予定もなかったんで付き合ってみることにした。
ドアを開けると若い子ははにかむように笑い、「突然すみません、神様って信じてますか?」と開口一番聞いて来た。
なんとも直球だなぁと思いながらも「まぁ、一応信じてますかね〜」って適当に返事してみた。
するとびっくりするくらい目を輝かせて、「ほんとうですか!?」と声を弾ませてきた。
それから神が如何に偉大で世界を救う存在なのかの説明が延々と続き、まぁこういうのって話が長くなるよなぁ・・・と思ってたんだけど、つい悪戯心で口を挟んだ。
それでも俺は構わず、「ほら、最近よく言うでしょ?〇〇推しって。神様っていうのもさ、要するに“推し”ってこと?」と聞くと彼は明らかに困惑した様子を見せた。
必死に笑顔を作って「ええと…いや、推しっていうのとはちょっと違っていて…」と既にしどろもどろだった。
「は?違うの?どこが違うんですか?それって推し文化を否定するってこと?」なんて、ちょっとオーバー気味に話を詰めたら、若い彼は助けを求めるように振り返って年配の方を見る。
しかし年配は何も言わず、まるで今回の勧誘が路上教習のように事の成り行きを見守っていた。
若い子は何も言えなくなってしまって、黙ってしまった。うつむき気味で、動揺が手に取るようにわかる。
そこで俺は「神様は推しなのか、それとも違うのか、どっち・・・なんだい☆」と両手を腰に当て胸筋を前面に押し出し、きんに君のマネをしたら相手はもうパニック寸前。
たじろぎ、後ろの年配の男性に助けを求めるように再び振り返った。年配はどこか遠い目をして、微かに首を横に振った。
すると若い子もそれに倣うように「あの…すみません、お時間もあれですし…」なんて言って一度だけペコッと頭下げると、逃げるようにその場を去っていった。
一人残された俺は寂しく「パワー☆」と、開けっ放しの玄関に向けて叫んだ。
遠くの何処かで、遠吠えのような犬の鳴き声が、響いて聞こえた。
「昔は良かったなぁ....(遠い目)」 ← これって、要するに、、、
自宅安静になればいいけど、子宮頸管の短さとお腹の張りを見るに次の検診には間違いなく入院。
両親は遠方で全く頼れない状況。
なので、夫がワンオペで家事育児仕事をこなさなければならない。
悪阻中も夫はすごく頑張ってくれたけれど、近くで見てても夫は全く育児が向いてないことが解ってる。
→例えば、夫は糖質制限をしているため、子供に肉ばかり食べさせた結果、子供は腸閉塞を起こし病院に連れて行くことになった
→「咳は我慢すれば治る」というエビデンスも何もない力技を盲信しており、まだ気管支の未熟な子供にもそれを押し付けて治そうとした結果、悪阻中の3ヶ月ずっと治らず肺炎になりかけた。しかも咳をすれば「うるさい!」と大声で叱責する。
→擦り傷をロコイドを貼っておけば治るとして独断で治療した結果、とびひになって投薬が必要になった。私がとびひに気付いて指摘してもなお「子供が傷を触るからだ」と子供を責める始末。
これら、悪阻で寝込んだたった3ヶ月に起こったこと。病院なんて久々に行った。
夫は子供の責任にするだけで、己の失敗とは1mmも思ってない。間違いなく繰り返す。
夫は、最終的には相手のことは暴力で黙らせるしかないと、本当に令和を生きる人間なのか怪しい思想をしている。
表面的には「暴力は何も解決しない」と反省の弁を述べるが、何度言っても手が出てしまう。
聞けば己もそれで育てられたし、自分の兄弟も子供を殴って育ててるらしい。
子供は、そんな夫を、小さい時は恐れで言うことをきていたけど、小学生にもなれば、
それを夫は感じ取っており、俺を馬鹿にするな!と更なる暴力を生む。
最悪なのは、夫はこれで「俺は育児もできるスーパーお父さん」かなんかと己に絶対の自信を持ってしまっている。
なので基本的に私の言うことは聞かない。
私は夫をコントロールすることは諦めて、
夫を物理的に子供から遠ざけて、ワンオペでなんとか上手く家庭を回せてたと思う。
夫の暴力がひどくなるのは、
・仕事が忙しい時
なので、
ここまで書いておいてなんの説得力もないが、
よく稼ぐし家族サービスもしっかりやる努力家で子煩悩なお父さんなのだ。
ただただ、方法が空振っていて、何らかの脳機能障害で手が出てしまうのではないかと思っている。
夫は悪阻の私を必死で支えようとしていたのは感じ取れているので、私の敵ではないと認識している。
夫が暴力をせずともいられた。
ペットカメラで監視する方法を思いついたが、多分早産に良くないからこれも駄目だろう。
あとはどうしたらいいんだろう、
遠方の実家からリモートで連絡してもらうことくらいしか思いつかない。
このままでは子供の命が危ない。
なんでこんな状態なのに次の子を望んでしまったのか、夫の夢(兄弟たくさん)を叶えてあげようと思ってしまったのか
自分の愚かさ思慮の浅さを深く悔やんでいる。
でもそんなことは言ってられない。
上の子供の命も危ないけども、
あと1週間、私ができることは、ないだろうか。
本土決戦ねー。
前の大戦の時もそんな事計画したけど、原爆落とされて腰砕けになってやる前に瓦解したじゃん。
相手が持ってる核使わない事期待してる?
あと、ダウンフォール作戦の時は日本側兵力は400万だったのに対して、今の陸自は15万しかいねーけど全然足りなくない?
おまけに、屍山血河とか勇ましく覚悟してまでやる作戦目的が、非現実的な空自復旧と、他国の判断頼みの米国の援軍待ちって、『一撃加えて有利な条件で講和を〜』とか寝ぼけた事言ってた当時と変わらんな。
中国が来るとしたら米国が参戦しない確信を得てからだって事くらい普通に認識できんかね。
プラハの春や、ウクライナなんかも他国の援軍期待してたなあ(遠い目)。
無くした部品みんなで探す訓練するより、人民解放軍の攻撃に見せかけて米軍基地にロケット弾撃ち込んで米国を巻き込む訓練でもした方が有効なんでない?
この前、保育園で送迎時間が被るママさんに、どういう教育を取り入れているのかと、ちょっと尋常じゃない様子で聞かれた。
矢継ぎ早に繰り出される呪文みたいな羅列。
馬鹿正直に、いやそういう系よくわかんなくて何にも、って答えてしまったよね。
またまたそんな嘘でしょう、じゃあ何か教材?お家での過ごし方ってどういう感じ?
人の言うことを第一声「嘘でしょ」って否定から入る人、そういや昔から嫌いだわぁって思い出しながら、わー面倒臭い、と思った。
えー…教育系って言われても、あえて言うなら某ちゃれんじくらい?
とはいえ、知育とか一切考えてのことじゃなく、アレは程よいおもちゃと絵本が貰えるだけだと思ってて。
月齢?発達?に合わせたおもちゃと絵本が、お金さえ払えば勝手に送られてくるって便利よねーありがたーい程度の認識で加入してる。
届いたら子供にはい、って渡して、最初ちょっとだけ一緒に遊んで&読んで、後は収納に入れとくから勝手に遊んでね&眺めてね、っていう。
一緒に遊ぼう、もしくは読んでくれと持ってきたら応えるけども。
あ、でも内容だけは確かにちょっと知育意識はしてるかも知れん。知育界隈に怒られるレベルの意識だけど。
動画からの吸収、割と半端なくて。ありがたいなーすげーなーと思っている。
子供が動画に依存するタイプじゃないのは、幸いなのかなとは思う。
ママさんの追撃に、どう答えれば角が立たんのだろうかなあと思いつつ、かといってうまい返しも出てこず。
いやいやほんと何にもしてないっす、全然そういうの分かんなくて、と愛想笑いで逃げようとしたが、正解ではなかったらしい。
ただ送迎時間が被るだけの接点の人間に、ガン決まりの目を向けて、そういうこと言えちゃうかー……と遠い目になった。
曖昧に笑って逃げました。
保育園で知育とか教育とかに傾倒するのも分からんし、幼稚園ならまだしも。
3歳くらいまでの子供の発育状況なんて、標準から余程に外れていなければ、年齢重ねりゃ誤差の範囲に収まるもんだと思っている。
可能性、なのかなあ。うーん。
言ったって、うちの子、そんな天才だとか言い出したら笑われるレベルだと思うよ…。
この年頃なんて、上も下も振れ幅大きいんだから、上にちょっと多めに振れてるのは珍しいことでも何でもないだろうと。
知りたい学びたい吸収したい、という要求には応えているしこれからも応えるつもりだし、年齢や状況に合わせた諸々の環境は我が子が独り立ちするまできちんと整えていくつもりだ。
それは親の務めだと思っている。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人。
真理だと思っているんだけども。
そういうこと言うと、子供に期待しないなんて、子供の可能性を信じてあげないなんて愛が無い、って言われるんだろうか。
可能性、潰してんのかなあ。
幼児教育が無駄だなんて言うつもりは毛頭ないし、やりたい人はどうぞご自由に、我が家は特に興味ないです、というスタンスですが。
思ったよりもなんかちょっと気にしてるのかも知んない。