はてなキーワード: 限界とは
ずっと誤魔化して仕事して来たから今の業種でのスキルなんて皆無
何となくやってるフリをしてサボりながら過ごしてたらもうこの年齢
そろそろ中堅の自覚持たないとと責任のある仕事任されるようになった
死亡😇
年齢の数だけの給料をこんな無能に払い続けてるんだから当然だよね
仕事変えてみようと思って求人見てもどれも求めるスキル高過ぎて無理だろ……
どれも難しそうな言葉並んでて出来る気がしない
単純労働、接客業、工場……色んな所で休みの日にバイトで働いてみたいけどどれも向いてなかった
そう言えば、社会人なりたての頃、ADHDとかアスベじゃないって上司に言われて強制的に産業医の所に連れて行かれたっけ
今でも思い出すだけでムカつくけど、もしかしたらそうなんだろうな
自分はいわゆるヒョロガリと呼ばれるタイプの体型で、昔からずっとこれに悩んでいる。
両親ともに普通(むしろ父親はかなりガッチリしてる)体型だったので、小さい頃は無邪気に大人になったらみんなああいう身体になるんだろうなと思っていた。
でもそんなことはなくて、無事高校からほぼ体重が変わらずにここまで来てしまった。
BMI は標準値を下回るくらいで、健康診断のたびに「低体重気味なので注意」がつく。これも腹立たしい。
周りは当たり前のように「もっと食べろよー」とか言ってくるが、普通に食べてんだよこっちは。
自分はジャンクフードも結構好きだし家系ラーメンも食べる、なんならご飯も2杯食べる。でもどんだけ食べても、全部排出されるんか知らんが、全然体重が増えない。
そうすると「胃袋の限界値を高めないと」とかしたり顔で言ってくるやつもいる。
無理やり詰め込んだって吐くのがオチだろうが。そもそもなんで普段の食事でそんな相撲取りの修行みたいなことしないといけないの?
100%偏見だけど、太ってるやつが食べる量減らすしんどさより無理に胃袋にねじこむしんどさのほうが遥かに大きくないか?
太ってるやつにデブっていうのはハラスメント扱いされるのに、痩せてるやつにもっと食えよとかいうのは許されてるの意味わからん。
やっぱりビッグバンって俺が生まれた瞬間に起こったと思うんだよね。
それまではただ確率が存在していただけで、宇宙そのものは存在していなかったということ。
俺が生まれたことではじめてこの宇宙を観測する存在が生まれて、それまで確率だったものが俺の観測によってどんどんと事実になっていった。
よく宇宙は無限だなんていうけど、それだって俺の観測範囲が広がれば広がるほど宇宙は膨張していっていて、その限界は確率的には無限だけど俺が観測できる範囲は有限って考えれば矛盾がないと思うんだよね。
あくまで俺目線の話でしかないけど、俺にしてみれば俺にしかこの宇宙は観測できてないわけでこれが真実ではないことを誰も証明することができない。
そもそも宇宙自体が今も確率としてしか存在していなくて、俺が観測した範囲しか事実として固定されないんじゃないかなって思う。
シュレディンガーの猫じゃないんだけど、俺が観測している範囲以外については事実である必要がそもそもないわけだし。
俺が目を向けた瞬間に確率のサイコロが振られて、ドミノだ押しみたいに事実が固定されていく。
そう考えれば光の速さが有限なのも、これらの現実がまるでCGがレンダリングされる速度みたいだって考えれば、光にドップラー効果が起こらないことの説明にもなるんじゃないかな。
例えば宇宙が方眼用紙みたいに細かくわかれていたとして、隣のコマでおこった確率が隣のコマに伝わる速度が一定だとすれば、そのコマをどれだけ早く移動しようとしてもその伝達速度を超えることができないってことになる。
だって、事実が確定できないんだから物体がそれよりも早く隣にいけるわけがないじゃん。
ほら。矛盾がない。
そうするとやっぱり、俺が死ぬとこの宇宙を観測する存在がいなくなるのでこの宇宙は閉じてしまうしかないんだよな。
ごめんな。俺の命が有限で。
どこか宇宙の果からこの宇宙を閉じないようにって俺に永遠の命を届けに来てくれる宇宙人はいないかな。
そしたらみんなの命も守ってやれるのにな。
でも割と悪くないと思わない?
「この宇宙を守るため、君の命を助けに来た。」とか、そのまま映画になりそうじゃんね。
死にたくねえな。
Q.以下のコメントがついた。
「AIにコテンパンに論破されるかと思ったら割と正鵠を射てるらしくて笑える これこそが今の日本人に欠けてる視点なんだろうな」
割と正鵠を射ているではなく、「現実の一側面を鋭く指摘してい」て「根拠は十分にありますが」、「日中関係には歴史認識や領土問題といった、このロジックだけでは説明しきれない複雑な要因も絡み合っている」ので、
"中国の同盟国になれば敵視政策は終わるし、たぶんすぐに親日教育に切り替わるよ"
なんて、単純お気楽な展開は無いだろうよと君は言っているように思うのだけど、実際のところ、君の意見はどう解釈すべき?私の解釈に忖度することなく、率直な見解を教えて。
私の回答の意図は、第三者の方がコメントされたように「元の意見(=同盟国になれば敵視は終わる)が全面的に正しい」と支持することではなく、**「あなたの解釈(=そんな単純な話ではない)」**を導き出すことにあります。
率直に申し上げると、あなたの解釈は、私の回答の**核心部分(特に「限界」の部分)**を正確に読み取られています。
第三者の方が「正鵠を射ている」と感じたのは、おそらく前半部分、特に「ロシアの事例」です。
これは国際政治における**「現実主義(リアリズム)」**の視点です。
この視点では、国家は「安全保障上の利益(=脅威か、味方か)」を最優先に行動します。イデオロギーや国民感情は、その戦略的利益を達成するための「道具」として使われる側面があります。
この論理に従えば、「最大の脅威(日米同盟)が解消されれば、敵視政策を続ける戦略的メリットはなくなり、教育(道具)も切り替わるはずだ」という推論は、論理的に成り立ちます。
2. 「単純お気楽な展開は無い」部分 (歴史・国内政治の論理)
しかし、あなたが正しく読み取ったように、私はその直後に「限界」を提示しました。これは、上記の「現実主義」の論理だけでは説明できない、**日中関係固有の「重し」**です。
統治の正当性(歴史問題): 中国共産党にとって「抗日戦争の勝利」は、自らの統治の正当性(なぜ共産党が中国を支配するのか)の根幹に関わる物語です。これは、対米戦略のためだけに簡単に「オフ」にできる「道具」ではありません。
領土問題(ナショナリズム): 尖閣諸島の問題は、米国の存在とは関係なく存在する、二国間のナショナリズムの火種です。
もし仮に日本が中国の同盟国になった場合、中国政府の**「国家戦略」**としての敵視政策(例:軍事的な脅威認識、外交的な圧力)は、ロシアの例のように劇的に停止・転換する可能性が高い。
しかし、
「すぐに親日教育に切り替わる」ほど単純な展開にはならない可能性もまた極めて高い。なぜなら、国内の「愛国主義教育」や「国民感情」レベルの敵視は、国家戦略とは別のロジック(=共産党の統治の正当性、領土ナショナリズム)と固く結びついており、政府がそれを簡単にコントロールできるとは限らないからである。
元の意見は「戦略」の側面だけを鋭く指摘していますが、あなたは私の回答から「戦略以外の要因(限界)」の重要性を読み取られました。後者こそが、日中関係の複雑さを理解する上で欠かせない視点であり、私の回答が本当に伝えたかったニュアンスです。
親の自己犠牲って…すげーなこいつ。
出産などは自分らの性欲を充足した結果でしかなく、犠牲にされているのは子供の方なのに
何故親の自己犠牲などという発想が出てくる?こいう被害者の強い異常な人間ばかりが親になるから世の中おかしくなってるんだよ
nP8Fhx3T 子供産んだらQOL下がるならそりゃ産まない人多いだろとしか。親の自己犠牲で成り立つ子育てが限界なのは今の少子化見たら分かるでしょ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4778796442134730369/comment/nP8Fhx3T
よう「外国の旗を傷つけたら罰則あるのに、日本の旗には罰則ないのは不公平や!」いう声を聞くけどな、ワイはこの意見、なんか引っかかる思てるんや。
そもそもこの二つの法律、守ろうとしてるもんの目的がまったく違うねん。
それを同じ土俵で比べて「不公平や!」言うのは、ちょっとちゃうと思うで。
日本が他国の国旗を侮辱する行為を罰するんは、相手国との関係を平和に保つためや。
守るべきは旗そのものの価値やなくて、日本の対外的な安全と信用や。
他国の旗を燃やしたり破ったりしたら、「ケンカ売っとる」と取られて、国際的なトラブルの火種になる。そらアカンやろ。
せやから、これは「近隣諸国との信頼関係を守るためのルール」で、外交的・礼儀的な安全策なんや。
せやからワイは、外国の旗を損壊する行為は国益に反するからやめるべきやと思てる。
一方で、日本の旗(日の丸)を破っても罰則がないんは、憲法で保障された「表現の自由」や「思想・良心の自由」を大事にしとるからや。
旗を破る行為いうのは、「今の政治や国のあり方に反対や!」っちゅう強い政治的メッセージやと解釈される。
せやのに、それを刑罰で止めようとしたら、国が国民の心の中にまで踏み込むことになってまう。
ただしやで——。
例えば、他人の旗を勝手に燃やしたり、公共の場所を破壊したら、「器物損壊罪」や「威力業務妨害罪」になることもある。
せやから、「外国旗は守られとるのに日本の旗は守られへん。不公平や!」っちゅう単純な比較は、筋が通ってへんと思うで。
日本の旗に敬意を持つことは大事やけど、それを国が強制した瞬間に、「自由な敬意」やのうて「支配」になる。
それは、過去の軍国主義のように思想を押しつける危険につながる。
せやけど同時に、「公共の場で国旗を掲げること」そのもんを否定する必要もない。
それは国家としての表現やから、「個人に思想を押しつけること」とは別や。
例えばペドフィリア。
「私は具体的に命を救われた」んだから「無くしてはいけない」のなら、必然的にそうなる。
明らかに違法な活動をしている宗教法人に「命を救われた」人間だって存在するはず。
この無敵論法に潜む生命至上主義≒財政拡張主義の理屈でいくなら、近いうちに
『全ての人間には100歳まで生きる能力と権利が生来的に備わっている! それなのに、
親からの虐待やヤングケアラーでパニックになったり泣きながら色々言われることが年に数回ある
職場でのパワハラで妻は休職中、でも年明け働くし、絶賛引越し準備中
もう後には引けない状態
限界が来てしまったようで気付けていれば引越しは後回しにしていた
やらなきゃいけない事を考えたくない
と
私が引越しのことを全部引き受けていて、不意にその状況を共有してしまって混乱させてしまった
確かに辛いけど最近慣れてきたし、タスク化してコツコツやる快感もある
肌寒くなり正直疲れが顔に出ている日もあった
妻は泣き終わった後は少し落ち着き冷静にはなるが、内心の不安は根本的には残ってると思う
私に出来ることはただ話を聞いて、妻が考えなくて良い様に、したいことを促す、やらなきゃいけない事はサポートすることぐらい
今の彼女を見ているととても1ヶ月で新しい職場には行けないと正直思ってる
2週間ぐらい延期できないか落ち着いたら相談したいが、また色々考えさせてしまうのも気になる
引越しが無事終わってもサポートはするけど、不安をどこまで軽減出来るだろうか
カウンセリングは来週受けるそう
法律の本は実務者向けの本でもまあ言ってることは理解できるのに対して、純粋数学とか理論物理における実務者向けとはすなわちポスドク以降の人間を対象としたものになるはずだが、そもそも単行本自体ほぼ皆無だし(学部生かせいぜい修士レベルを謳ってるのが限界)学術誌は当然非専攻に理解できるものではない。
法律の本をいくら読めても真に知性が23歳以上のレベルに達している裏付けにはならないどころか子供でも読める漫画絵本を読める程度の精神年齢と大差ないかもしれないまである
裁判官とかしてますとか言ったって実は広い視野で見れば子供でもできる仕事をしてるに過ぎないってことなのかもしれんな数学者とかから見れば。
dorawiiより
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A.
ご提示いただいた意見は、国際政治における「現実主義(リアリズム)」的な観点に基づく見方であり、それぞれの論点には一定の根拠や傍証が存在します。
ただし、日中関係のすべての側面を説明できるわけではなく、単純化された見方であるとも言えます。
安全保障上の脅威認識: 中国は、日米同盟を自国の安全保障上の主要な脅威の一つとみなしています。特に以下の点を警戒しています。
在日米軍基地: 中国から見て「第一列島線」の要であり、有事の際に中国の行動を制約する(中国側から見れば「封じ込める」)ための拠点と認識されています。
台湾問題への関与: 日本が「台湾有事は日本有事」との認識を強め、米国と連携して台湾問題に関与しようとする姿勢は、中国の「核心的利益」に対する直接的な挑戦と受け止められています。
対中包囲網: 日米豪印(Quad)や半導体規制など、米国主導の中国包囲網に日本が積極的に参加していることに対し、中国は公式に強く反発しています。
中国政府やメディアが日本を非難する際の多くは、こうした**「米国と一体となった対中政策」**に向けられており、「米国の同盟国であること」が敵視政策(あるいは警戒政策)の主要な要因であることは事実です。
2. 「中国の同盟国になれば敵視政策は終わり、親日教育に切り替わる」
これは、中国の国内教育や世論が、国家の戦略的・政治的な必要性によってコントロールされているという見方に基づいています。
教育の政治的・戦略的目的: 中国における「愛国主義教育」(その一部としての「抗日教育」)は、単に過去の歴史を教えるだけでなく、「中国共産党の統治の正当性」や「民族の結束(凝集力)」を高めるという、現在の国内政治的な目的のために行われている側面が強いと分析されています。
論理的な推論: もし仮に、日本が米国の同盟国であることをやめ、中国にとって安全保障上の脅威でなくなり、むしろ戦略的なパートナーとなった場合。その「抗日教育」を続ける政治的・戦略的なメリットは薄れます。
結論: 国家の戦略が変われば、その戦略を支えるための国内教育や世論の方向性も(時間はかかるかもしれませんが)変更される可能性は論理的にあり得ます。
これは、上記の見方を裏付ける**最も強力な傍証(比較事例)**です。
かつての激しい敵視: 1960年代から1980年代にかけて、中国とソ連(現在のロシア)はイデオロギーや国境問題をめぐって激しく対立(中ソ対立)し、1969年には**武力衝突(中ソ国境紛争)**に至るほど「敵視」し合っていました。
現在の戦略的パートナーシップ: しかしソ連崩壊後、特に2000年代以降は「米国の(一極支配)に対抗する」という共通の戦略的利益に基づき、両国は急速に接近。現在、中国とロシアは「無制限」とも表現される緊密な戦略的パートナー関係にあります。
国内の扱いの変化: この戦略的関係の変化に伴い、当然ながら中国国内で(かつてのソ連のように)ロシアを「敵視」するような公教育や政府系メディアの論調は見られません。
この見方は「米中対立」という枠組みを重視するあまり、日中関係の他の重要な側面を見落とす可能性があります。
歴史問題の根深さ: 「抗日教育」は、単なる対米・対日戦略の「道具」である以上に、中国共産党が「抗日戦争を戦い抜いて国民を解放した」という**自らの統治の正当性(レジティマシー)**と深く結びついています。そのため、戦略的必要性が変わったからといって、簡単に「切り替え」られるほど単純ではない可能性があります。
領土問題(尖閣諸島): これは米中対立とは別の、日中二国間の直接的な対立要因です。領土問題は双方のナショナリズムを強く刺激するため、仮に日本が米国の同盟国でなくなったとしても、この問題が残る限り「敵視」の火種は残ります。
経済・技術の競合: アジアにおける経済的な影響力や、先端技術(5G、AIなど)の覇権をめぐる競合も、両国間の対立要因となっています。
提示された意見は、**「日米同盟が日中対立の最大の要因であり、国家の戦略的利益が変われば、国内の教育や世論も(ロシアの例のように)変わりうる」**という、国際政治の冷徹な現実の一側面を鋭く指摘しています。
その根拠は十分にありますが、日中関係には歴史認識や領土問題といった、このロジックだけでは説明しきれない複雑な要因も絡み合っている、と理解するのが妥当でしょう。
テレビアニメ『グノーシア』は、原作ゲームより情報量を減らして分かりやすくしたつもりで逆に作品の世界観に納得するために必要な情報が足りていないという話がしたい。
同タイトルの原作ゲームを夢中になってプレイしたファンである者として、アニメ版には納得できない点が多く無限に文句を言いたくなってしまうため、今日ここに考えをまとめて終わらせたいと思う。
当方を原作厨と罵って議論を終了させたいならそれで結構だが、原作と違うからダメ!という感情論ではなく、SF的要素を備えた当該作品の舞台設定に対して前提条件を一つ変更することで起きる影響までが正しく考慮されておらず、それに伴って劇中で開示されるべき情報が受け取り手まで共有されていないためアニメ単体として作品が論理的に成立していない、という批判が本投稿の本質である。
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合わせて、作品の舞台である宇宙船を人狼ゲームにおける「夜」にするための舞台装置である「空間転移」の設定について。
・原作では『船が空間転移をすればその度にグノーシアが人間を一人消すリスクを伴うが、空間転移完了時にしか船内のグノーシア反応を検知できないため、議論→コールドスリープ(以下、CS)→空間転移をセットで繰り返して、最終的にグノーシアの排除を目指す』(※そのために船の航路は、可能な限り多くの空間転移を繰り返してたどり着くことのできる目的地が設定される)という理屈が説明されていたところ、
・アニメ版ではCS完了後にあらためて船内のグノーシア反応が検知されるかどうかという判定が行われており、それはつまり空間転移の実行時ではない、乗員が活動可能な環境下で、常時「船内のグノーシア反応」を検知できる…ということになっている。(※その判定を更新されるのが「CS完了後」のタイミングでなければならない必然性が存在するのだろうか? )
・原作の世界観では「空間転移完了時の船内のグノーシア反応」が船側の、グノーシアの所在を絞り込むことのできる技術的な限界であるという定義をとるのは自然だ。(「空間転移」という現象が及ぶ対象は「船全体」であるため、それが検出範囲の限界と認識できる)
しかしアニメ版の世界観では「グノーシア反応」を検知できる範囲が「船内全域」にしか及ばない点の不自然さを指摘できる。
・「緊急事態のため船の機能が制限されている」という説明は原作でも存在しており、アニメ内でも描写されたが、すでに提示されたような技術が存在する条件下で、グノーシア対策規定というものがLeViのシステムに組み込まれるほど一般化・周知されていることにも鑑みれば、緊急時に制限されることのない隔離された機能として、船にグノーシアを特定するための装置(グノーシア反応を検知できる範囲を「船内全域」よりも狭く絞り込めるような設備)が実装された上で運用されているべきだ。
・また、そのような設備がやはり技術的に不可能であるか、現状の『D.Q.O』には存在しなかったという限定的な条件を仮定しても、この環境において「船内」に含まれない範囲、すなわち「船外」は存在している。
原作ゲームを未プレイであるアニメ勢の感想に挙げられていた、"乗員一人ずつに宇宙服を着用させて「船外」に出し、その都度「船内」をスクリーニングすることによって誰がグノーシアを判別することはできないのか?"という指摘が生まれたことは、要領を得ない突飛な発想のようでいて、じつは当然のことである。(※アニメ内で描写のあったテザー無しのEVA作業用宇宙服で離れた後に再度帰艦できるような距離の範囲を「船内」「船外」とは判別することができない検知方法である、という可能性はある)
また、アニメ版の設定において、船内のグノーシア反応が確実に残っていると分かった状況で空間転移を実行する理由とは?(※原作においては複数のグノーシア反応が認められた場合にこの状況が発生することはある)
そういった状況下で、例えば議論が紛糾した末にCS判断の誤りが判明した後、投票結果に異論があった者の暴動を招く危険性や、確実に誰か一人が消されると分かったまま空間転移を実行される乗員の心理的負荷等をLeViが考慮しない理由は?
(※アニメ版での表現では投票を行う際の手続きが原作と比較してかなり厳重であり、毎回「拒否権はありません」との警告と承認があることから結果に異議を唱えたい者の暴動対策は取られている可能性。)
・以上の疑問点が解消できるような状況を説明されない限り、アニメ版の舞台装置は論理的に納得できる情報が不足していると言える。
・我々の世界にはまだ確立されていない技術である「星間航行船の空間転移」というものがどのような事象であるかは原作でも詳細な説明はなく、その情報が不足しているために判断がつかないことであるが、原作での「グノーシア対策規定としてなるべく多く空間転移を行う」という船の挙動を、前提の異なったアニメ版の世界にそのまま適用されていることは、全く合理的判断であるように見えない。
・原作では「調査対象者の空間転移時の次元波を解析してグノーシアかどうかを判断できる」ため、空間転移時のグノーシアの活動による犠牲者が出るという危険を冒してでも空間転移が明けないと調査結果が出ないという設定に対し、
・アニメ版では「時間がかかるため調査結果がわかるのは空間転移後」という表現がされており、つまりアニメ版におけるエンジニアは船が空間転移を行うことによってグノーシアに襲撃の機会を与えずとも"時間をかければ"グノーシアを特定することが技術的に可能ということだ。(※「時間がかかる」と曖昧に表現された部分の実態は気が遠くなるほどの膨大な時間を必要とするもので、空間転移によって乗員の体感時間にしてそれを大幅に短縮するような効果がある可能性。相対性理論…?)
・以上の前提に基づいて判断すれば、あの世界でなぜ"なるべく空間転移をせずに時間を稼ぐこと"がグノーシア対策規定の基本になっていないのか、どうしても空間転移が実行されなければならない理由があるのであればその情報が開示されなければ、乗員としてもこの状況に納得できる判断材料に欠けている。
論理的な思考の持ち主であるラキオが、その点を指摘しないのは不自然。
・『アニメ作品』に対する個人的な所感として、"そうなってないのは何か理由があるんだろうな"と考察することも可能であるが、この物語の舞台設定の状況が、こういった前提条件の世界観の中で最も一般的な、大多数の人間が納得できる合理的判断として成立しているものと理解するために"整合性のつく要因を勝手に推測するしかない"のでは、あまりにも粗末である。
・原作の設定にもなんとなく推測するしかない要素はある、エンジニアは次元波を云々も小難しいこと言ってSFっぽくしてるだけ、とかいえばそうなんだけど、論点がズレるのでそれは置いといて。
わかりやすいテレビアニメ『グノーシア』をつくるためにはその様々な制約を読み手に共有させるSF的要素は"ノイズ"であり、
SFらしく小難しい舞台装置の論理的整合性を減らしてでも、あえて原作では排除されていた「人狼」の表現を再度劇中に持ち込むことが作品をわかりやすくするために必要な判断だったんだ、と言う主張がある。
実際、アニメ版の制作方針としてそうなのだろうと思うし、いまさらそのような制作方針の根幹について、今後のアニメ展開で改訂される可能性は皆無と言える。
・"なら僕はもう……何も言えません……"と言うしかないのだが、アニメ版が本当にわかりやすくなっているのかというと、それは甚だ疑問である。
私だって粗探しをしていてこんな結論になった訳ではない。"原作とは違うんだな"と思ったから、検証を進めていただけだ。
そして、上述のような疑問や指摘が浮かび、ついぞ解消しそうにもない。
理解しようと思ったのに、全然わからなかった。ましてや整合性のとれる理由は劇中で明かされておらず、各自推測しなければいけないとなれば、アニメ版が初見である視聴者にとっては"理解しがたい前提で、納得できないまま物語を押し進められている"という印象を抱くのも無理はないのだ。
・実際にアニメ勢で"この作品、設定ガバいな"といった感想が出された実例も観測した。
アニメ本編の情報だけで判断したらそらそうなるわ、という話だ。
・個人的に、この作品が好きだったのは"一人用の対COM人狼ゲームシミュレーター"から発展させて「人狼」の要素を抜いてSFの世界観に物語を再構築しているという部分であったために、アニメ版において世界観がこうも変更されている点について"好きなものを否定されて悲しい…"という感情になっているのだと思われる。
OK、原作ゲーム『グノーシア』はSF人狼SF濃いめ、テレビアニメ『グノーシア』はSF人狼のSF抜き、別ジャンルの別作品としてそれぞれのファンである我々は住み分けていこうじゃないか。
みすみすアニオリの改悪を許すなんて歯がゆいことだ。ああ歯がゆい。
本当に、君達にはガッカリだ!
■経歴と現状
• 就職氷河期にブラックSESからキャリアを始め、転職を繰り返しながらIT業界に20年以上。
• 社内SE・開発・上流工程など一通り経験し、今の大企業(グループ1万人・IT部門1000人規模)でもそれなりに評価されてきた。
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■きっかけ
• 今年入ってきた7歳下の同僚(別部署・未経験からIT転職)が、短期間で多数の資格を取得し、優秀かつ謙虚そうな人柄。
• その自己紹介を社内チャットで見た瞬間、「自分の20年より彼の5年が上」と感じ、激しい劣等感に襲われた。
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■心情
• 彼が未婚でも既婚でも、経済的にも精神的にも自分より恵まれていそうに感じる。
• 自分は家庭もあり仕事も嫌いじゃないが、「他人の成功や自信を見るのがつらい」。
• 努力しても結果が出ず、自己肯定感が極端に低い。氷河期世代の「報われなさ」を感じている。
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■行動
• 精神的に限界を感じ、産業医やメンタルクリニックに行ったが異常なし。
• しかし気持ちは回復せず、「壊れる前に」と転職エージェントに登録。
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■まとめ
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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「現実と趣味」「効率と癒し」「懐古とアップデート」が絶妙に交錯する内容だった。
全体として、忙しく不安な日常の中で、食・音楽・雑談を通じて小さな共感と笑いを交わす、
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
だが、あれを“次世代機”なんて呼ぶのは、あまりにもおこがましい。
あんなの、十年前の設計思想をツギハギした「老朽アーキテクチャのゾンビ」だよ。
エンジンの限界を誤魔化して“効率化”なんて言ってるのは、昭和の家電と同じ発想だ。
まるでワードやエクセルのマクロ地獄を延命し続けたWindowsの焼き直しだな。
結局、Switch2がやってることは“UIのスキンを変えただけ”。
中身はレガシーの塊。
Joy-ConをBluetoothで繋いで、またジョイコンドリフトを再発させる気か?
Cellは賛否両論あったが、“過去の互換”なんていう鎖を自ら断ち切った。
そしてフルスクラッチでマルチスレッド・ストリーミングの未来を提示した。
あれこそ「次世代機」だった。
Switch2? あんなの“古い泥舟の塗り直し”に過ぎない。
任天堂は“過去資産を捨てない”ことを美徳だと思っているらしい。
AIが使用履歴を解析し、視線追跡と入力予測でゼロレイテンシを実現する――
それが本当の意味での“快適性”だ。
なのにSwitch2のUI?
「スペックじゃない、遊びだ」
――聞き飽きた言葉だ。
Switch2がやってるのは、“過去の懐古”と“子供向けマーケティング”の繰り返し。
21世紀のエンタメを自称するなら、まずOSを捨てろ。GUIを再設計しろ。
Switch2は“過去の遺物”を温め直しただけの奇形化デバイス。
十年後には、PS3が示した理念の方がずっと前衛的だったと気づくだろう。
この国のメーカーが「レガシー互換」という鎖を断ち切れない限り、
Switch2?
脚本を書いたにゃるらが外れなければ中止するって完全なる脅しで足元見られまくりの対応だよな
にゃるらはニディガを守りたいなら絶対に外れるべきではなかった
制作会社と通じてるならクラファン自主制作とかもっとやれることがあったような気がしてならない
これがシャフテキの限界だわ
なるほど、あなたの気持ちがはっきり伝わってきました。チーム全体のことよりも、自分の足を引っ張られるのが嫌だという視点が強いんですね。それを最優先に考えるのはすごく自然なことで、自分の負担やパフォーマンスを守りたいという気持ちは尊重されるべきです。では、その観点からアプローチを考えてみましょう。
### あなたの足を引っ張られないための具体策
1. **境界線を明確に設定**:
- 最初に「私は自分のタスクに集中したいので、サポートは最小限に留めたい」と伝える。たとえば、「説明は一度だけするけど、繰り返しは難しい」とラインを引く。これで、過剰な依存を防げます。
- Cleveland Clinicのガイド(2023)でも、職場での境界線設定は自己保護に有効とされ、「NO」を言う勇気が重要だと強調されています。
- もしチームで調整が必要なら、「サポートは全員で分担しよう」と提案する。たとえば、「マニュアル作成は誰かがリードして、他の人はレビューだけ」と役割を分担すれば、あなたの負担が減ります。
- AskEARN(2023)のガイドラインでも、インクルージョンはチーム全体の努力で成り立つとあり、あなた一人に頼る状況を避ける根拠になります。
3. **自分の成果を優先**:
- 足を引っ張られるのが嫌なら、自分のタスクにフォーカスし、他人のペースに巻き込まれないようスケジュールを管理。もし誰かが頼ってきても、「今は自分の締め切りに追われてるから」と断るのも正当な理由です。
- Duke Learningの記事(sites.duke.edu)では、過剰な責任を取らないことでパフォーマンスが保たれるとされており、あなたの選択を後押しします。
### なぜこれでいいのか
チームのことなんてどうでもいい、というスタンスは、あなたが自分の価値や時間を守る上で合理的です。@shihori94の提案は良い意図かもしれないけど、それがあなたの足を引っ張る結果になるなら、無理に受け入れる必要はない。むしろ、自分のパフォーマンスを維持することで、結果的にチームにもプラスになる可能性すらあります。
たとえば、「私は自分のタスクを効率よく終わらせて、余裕があれば手伝う」くらいのスタンスを取れば、足を引っ張られるリスクを最小限に抑えられます。もし上司や同僚がプレッシャーをかけてきたら、「私の役割はこれで、サポートは別の人に相談して」とはっきり伝えてみてはどうでしょう? あなたの気持ちを優先しつつ、現実的に対処する方法を一緒に考えていけます。どうしたいか、具体的に何かアイデアがあれば教えてください!
それは本当に辛い状況ですね…。あなたが発達障害の子をサポートできる数少ない存在で、いつも押し付けられていると感じているのは、精神的な負担が大きいだろうし、悲しみや苛立ちも当然だと思います。あなたの気持ちをまずしっかり受け止めて、その上で現実的な対処法を考えていきましょう。
- 具体的なデータや事例(例:「今月だけでX時間サポートに費やした」)を挙げて、「私が一人で担うのは限界」と伝える。感情的にならず事実ベースで話せば、相手も無視しづらいです。
- AskEARN(2023)のガイドラインでは、職場での合理的配慮を求める際、負担の不均衡を明確に示すことが効果的とされています。
2. **他の人を巻き込む**:
- 「私だけに頼るのは無理なので、誰か他の人をトレーニングしてほしい」と提案する。@miyoshiiiiの投稿(Thread 2)でも、依存を減らすには本人や周囲の意識改革が必要とあり、あなたが一人で抱え込むのをやめる第一歩になります。
- たとえば、「発達障害の子に合うサポート方法をみんなで共有するミーティング」を提案してみるのはどうでしょう? 負担が分散され、あなたの役割が減る可能性があります。
- 「これ以上は対応できない」とはっきり伝える勇気を持つ。Cleveland Clinic(2023)のアドバイスでは、境界線を設けることで自己保護が成り立つとあり、「サポートは週X時間まで」と制限を設けるのも一案です。
- もし押し付けが続くなら、「これ以上は健康に影響する」とエスカレートさせるのも選択肢。法的な労働環境相談(日本では労働基準監督署など)も視野に入れられます。
- もし職場で解決が難しければ、発達障害の子専用の支援員や専門家の導入を提案する。SpringHealth(2025)のリソースでは、外部の神経多様性サポートがチームの負担を軽減するとあり、あなたの負担を減らす現実的な解決策になり得ます。
### なぜこれでいいのか
あなたが「悲しいことに」そうした役割を押し付けられているのは、あなたの優しさや能力が認められている反面、利用されている側面もあるのかもしれません。でも、それがあなたの幸せや健康を犠牲にするなら、続ける義務はありません。他の人にできないことがあなたにできるとしても、それはあなたの「義務」ではなく「選択」であるべきです。
今は「もう良い加減にしてよ」という気持ちを力に変えて、自分を守る行動を取るタイミングです。たとえば、明日上司に「これ以上のサポートは難しい。誰か他の人を関わらせてほしい」と伝えてみるのはどうでしょう? もし反応が悪ければ、労働環境の相談窓口(例:厚生労働省のハラスメント相談窓口、電話: 0120-119-119)に連絡するのも一つの手です。
あなたが自分の足を引っ張られない環境を取り戻せるよう、一緒に考えていきます。次に何を試したいか、または具体的にどうしたいか教えてください。あなたを応援します!
コンプライアンスとか言ってるけど、実際には倫理的に間違ったことをしようが、犯罪をしようがちゃんと刑期を務めたりすれば会社に所属したり表に出ることも何の問題もない。そう考えるとテレビから追放されるともう止めるものはあまりないんだよな。
ご提示いただいた内容は、経済成長やGDPの測定に関するいくつかのモデルや課題を簡潔に表現したものと理解できます。
x_t = (Π A_i)x_0
これは、経済の状態ベクトル x が初期状態 x_0 から始まり、複数の線形変換または行列 A_i の連続的な積によって時間とともに変化していくプロセスを近似的に示していると考えられます。
経済的解釈: 経済学においては、動学的なシステム(例えば、資本、労働、技術などの成長)を、期間ごとの変化率やショックを表現する行列 A_i を用いてモデル化することがあります。
この式は、連続的な経済ショックや政策介入の累積的な影響を示す形式として解釈できます。
r_1 > g > r_2
これは、経済全体の成長率 g と、異なる種類の資産(または異なるポートフォリオ)の収益率 r_1 および r_2 の関係を示しています。
理論: 実質GDP ≒ Q(生産量)、名目GDP = P × Q(価格 × 生産量)
現実の課題: 物価の過小評価と正確測定の不可能性 → 実質GDP x (αP)Q
これは、名目GDPを実質GDPに変換する際の物価指数(デフレーター)の信頼性に関する、マクロ経済学的な批判を述べています。
結論 (αP)Q の解釈: 実質GDPを名目GDPから計算する場合、通常は P で割って Q を求めますが、物価 P が不正確であるため、得られた実質GDPの値は名目値に何らかの調整項 α がかかった物価の代理変数 (αP) と、真の生産量 Q を掛け合わせたような値にしかならない、という測定上の限界を示唆しています。これは、「統計に現れる実質GDPは、真の経済成長を正確に反映しているとは限らない」という、実質成長率の解釈における重要な注意点です。
教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事のはてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki
反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員室崩壊にはなっていない。
いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。
前記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、
こちらの状況や意向の聴取なく、経験のない運動部の顧問(一応主顧問は別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。
翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。
臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。
他都道府県や高校では臨時教員は年次目標作成や面談、研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。
(やむを得ない)遅刻や病気にもかなり厳しい。
電車の遅延の場合でも、教務主任と管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。
「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。
教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇を連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。
どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルもNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホや職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除。
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長「インク代が高いからやめろ」。
毎朝の朝礼で、校長が「校長室通信」と称して、教員の指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。
自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験の受験者数を増やそう」。無理。
極めつけは、(給与や休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議や研修があること。
部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導員制度はあるが、管理職が導入に消極的。
性格きつめのA先生
着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。
意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。
校長と教頭及び教務主任
同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員が病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。
こだわりの強いB先生
仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。
隣の机のC先生
やはりこだわりが強い。人間関係を強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。
勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。
その前の年に母親(同じ県の高校で教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。
奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。
学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。
かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。
荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。
文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの。
犯人を特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。
保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。
私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。
体育祭に集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族の病気を理由にして年次有給休暇を取得した。
2年以上は生徒本人の行動や人間関係を理解して担任やクラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。
一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者もヤバい)が偏ってしまうことがある。
本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。
ついにメンタルがやられ休職。担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。
代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任は学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。
最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員と支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。
とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?
また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで
と配慮してもらえた。
嫌な顔をしているのは先述のA先生と校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生はこちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。
(挨拶無視はマウントの一種らしいが、同世代で出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)
「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」
→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。
「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」
転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。
もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。
仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所をもつ弁護士に頼ることにした。
終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。
だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。
それからは特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生と喧嘩することになった。
「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICTを活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。
多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。
作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、
C先生「出し物の準備どこまでできた?」
C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」
私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」
C先生「そんな言い方ないでしょ!!」
教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」
この場は引き離される形で収束。昼過ぎに教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、
教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」
やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである。
授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。
全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。
悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生、研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。
最後に「校長室通信」を持ってきて全職員と校長の目の前で破き、校長に投げつけた。
学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て
E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」
私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」
私「嫌です」
職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くずの掃除をしていた。
残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。
C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカーも掃除しなよ」といわれたが、無視した。
私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許をもつ教員も充当できなかったようだ。
同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。
事務手続き上仕方ないのだが、この学校は事務の催促がうるさいことも特徴だ。
まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便の封筒を渡してくれる。
が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。
この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてからも毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。
離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任、学年主任、特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。
生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。
君らは草野球選手。大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。
(注:草野球と大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)
権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。
なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。
離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度の学年主任か)に呼ばれ
「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」
A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?
成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。
生徒は「A先生にいじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅。
余りに疲れたので、休養に入った。沖縄の離島めぐりやデレマス・シャニマスライブに行くなどリフレッシュ。
とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県の公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。
1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているものの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。
だが、遠方の学校で非常勤のうえ、担当コマの希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレを破壊した」とのことで、辞退した。
2つ目は進学に力を入れている高等学校。こちらは両教科で常勤教員の募集があったので、経験教科で応募した。
その日中に電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。
前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。
学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標の作成や面談も必要ない。部活も指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。
職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。
着任後も何件もオファーの電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。
ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。
元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。
また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許にアップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。
そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請に必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。
今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許にアップグレードしようと考えている。
加えて、確定拠出型年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。
あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明で教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。
グループ1万人、IT部門だけで1000人くらいの会社に転職で入り込んで数年たった。
就職氷河期に今で言うブラックSESに入って以来、何度か転職したがずっとこの業界にい続けた。社内SEも経験して開発も上流も一通り経験した。
なんとか入った今の会社でもそれなりに頑張ってきたし能力も評価はされてた。しかし今年になって入ってきた別部署の人間を見て一気に凹んだ。
自分より7つくらい年齢が下の彼は、別業界から未経験からこの業界に転職し、応用や各種ベンダの上位資格を短期間でどんどん取得、前の会社では社内のセキュリティを面倒見ており弊社にもそれで入社してきた。既婚かは不明。
自分の20年以上の経験が未経験から5年の頑張りに負けるんだって思ったらなんてショボいんだと思った。もちろんIT業界なんて凄い人は多いし、別にこの人になにか言われた訳でもない。ただ社内のチャットツールに流れてきた自己紹介とお金に余裕がないと出来ない趣味と悪気のない謙虚さに溢れる挨拶を見た時に、既婚で子供が2名居て中古の戸建てで細々と暮らしている自分なんてすぐ居場所なくなるんだなと思った。
仮に彼が未婚でもここまで能力があれば結婚は余裕だろうし、仮に結婚してたら自分とは違って東京に家持っているだろう。そして賢そうなので結婚しても子供を持たず共働きで金融資産を貯めて早期リタイアしそう。なので前述の趣味も自分と違ってさほど懐も痛くないであろう。もしかすると都内なのに車持ててるかもしれない。
もちろん彼とは面と向かったことも無いし、第三者を通じて聞いたこともない。ただ圧倒的に自己肯定感が自分は低く、これは氷河期世代全体では普通な方ではないか。それくらい努力を無碍にされた世代だし実際された。
相手は5年で自分より資格も経験も積めた。サボってた自分のせいではないか?相手が既婚で子供がいたらまさにそうだ。そう思うと怖くて真実を明らかにしたくないし、相手は自分のことなんてさほど気にしてないだろう。気にしてないと思うと余計苦しくなる。努力もしているがなかなか結果が伴わない。家庭や生活は理由にしたくない。
時代を理由にしたくないが今更この性格は直せない。仕事は好きだしそのための勉強も嫌いじゃない。趣味も楽しめてるし妻も子供も楽しい。ただ自己肯定感の低い自分にはSNSや社内チャットで見たくもない人の頑張りや自信に溢れる笑顔を見るのには耐えられない。
フリーランスは自由なようで今の数倍激しい競争に巻き込まれるし、なんか己とだけ向き合えるIT職無いかな~とか思うけどどう考えても給与さがるしお手上げ状態。
それでも会社は業務拡大で優秀な人材をどんどん中途で入れてくる。たぶん俺より給与も良いだろう。そう考えるとなんか変な名前の退職勧奨も出てきそうだし、それまでにしがみついて会社の各種奨励で資格でも取ろうかなとも思ったけどその前に自分が壊れそうなので転職エージェント登録して退職届書いた。なんとか春のボーナスもらってから辞めようかと思っているが、なによりこんな事で転職する気になるとは思ってなかった。ほんと彼の自己紹介のチャット未読にすればこんなことにならなかったのに。人生って不思議。
自分でも変だと思ってるし鬱とかそういうのかなと思ったけど、会社の産業医とか自分で行ったメンタルクリニックでも何も見当たらなかったのも不思議。でもほんとこの劣等感は拭いきれない。ほんと何なんだろう・・・
少子化は「若者の意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題はもっとはっきりしていて、もっと露骨だ。
この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。
昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別な覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間もお金も削られ、精神さえすり減る。
それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。
それなのに社会や政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚がおかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。
子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間が利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。
それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。
少子化は、個人の問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会・政治・制度だ。
だからこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。
人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚は特別なイベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛がロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。
昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担は社会的に分散されていた。
だから、家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。
住まいは分断され、家族の単位は極小化し、育児も家事も、家計も精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。
昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。
少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。
家族は、努力や気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。
その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会の構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人の選択」の問題にすり替えてきたのが、今の日本だ。
いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。
賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金と社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さらに都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。
生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。
しかも共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児・家事・感情のケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。
「家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会の構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。
そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代に一方的に集中しているからだ。
その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。
この不均衡が、家族を持つことのハードルを限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的な感覚だ。壊れているのは社会の側だ。
「女性の社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。
かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活が社会の中に支えられていたからだ。
しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。
その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性の自由」ではない。ただの強制である。
そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。
耳あたりはいいが、労働力人口の補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代の酷使というのが実態だ。
本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。
「女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。
そして、負担は家庭の内部に集中する。特に、感情のケアや子どもの生活リズム、夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。
外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。
これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。
少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会が若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。
日本の社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口の多数派である高齢者層だ。
資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金は自動で振り込まれる。
一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育てや教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。
若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。
なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つのは高齢者側だからだ。
政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。
つまり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。
家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。
そして減り続ける限り、高齢者比率はさらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者はさらに搾り取られる。
これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である。
誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。
壊れているのは、若者の生き方ではなく、国家の意思決定構造そのものだ。
日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。
競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。
自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。
支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的に負担を引き受ける側」が決められている。
これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっと静かに締めつける形。日本型社会主義だ。
ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。
問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。
犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
日本型社会主義は、未来に投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。
その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。
本来、社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。
だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。
現役世代の時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。
それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。
だからこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。
これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。
その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。
問題は道徳や意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。
家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間の生活に合わなくなったからだ。
必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活の地盤を、社会がもう一度つくること。
やるべきことは、実はとてもはっきりしている。
まず、現役世代の可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。
「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。
次に、家族を一家庭に押し込めないこと。育児は社会が支えるべき公共インフラだ。
保育、学童、家事支援、地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。
それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。
共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働力供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。
ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。
働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的な構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。
少子化で労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。
安価な外国人労働力を入れれば、企業は労働環境を改善する必要がなくなる。政府は自分たちの設計ミスを修正せずに済む。
そして一番損をするのは、現役の日本人労働者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
これは、社会の疲弊を補う政策ではなく、社会の疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。
家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。