はてなキーワード: 飲食店街とは
岩手沿岸部を北から紹介していって、順番から言えば次が大槌と釜石なんだけど、そろそろこの辺から気が重くなるのよね。
もっと北のほうから311(東日本大震災)の被災地は存在しているのだけど、大槌は津波と火事で市街地が全部なくなった町なのよ。こういうところがここから南にはちらほら現れてくる。もちろん過去の津波の教訓のおかげで被害を避けた、っていう例もあるけどね。船が建物の上に乗り上げたやつ。あれは大槌だけど解体されたし、廃墟になった役場も完全に解体して無難な跡地碑だけが残ってる。
自分にとって大槌は地元銀行のそばにある寿司屋がいい仕事していて美味かった、という記憶で止まっている。震災後はほとんどこの地をスルーしているのね(しかも三陸自動車道はスルーするのに都合がいい場所を走っている)。
いちおう調べ直したら、アニメ映画「岬のマヨイガ」で主人公たちが買い出しに出てくる沿岸の町のモデルになったのが大槌町らしい。大槌町の公式サイトにモデル地の地図はあるので興味があったらそちらを調べて欲しい。あれ面白い映画だしね。ただ自分としてはあれの聖地も盛岡の仁王小学校そばにあるでかい地蔵のほうが馴染みがある。
あ、震災前も後も残っている名所が1つあった。蓬莱島だ。これはNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったと言われる島で、島だけど舟なしでも上陸が可能。ただし人形劇の面影は一切ないのでそのつもりで。
大槌はこの市街地の北、山田との間に、吉里吉里と言われる地域がある。ひょっこりひょうたん島の原作者である井上ひさしがこの地をモデルに「吉里吉里人」という小説を書いて、これが1980年代のミニ独立国ブームに火をつけた(吉里吉里も吉里吉里国というミニ独立国を名乗って観光に力を入れていた)んだけど、たぶんこのブームを知っているのは今の50代以上だしその跡もほとんど残っていない。ただ、この地域のさらに北の端に白い電話ボックスがある。ここに置いてある電話は電気的にはどこにも繋がっていなくて、でもここに来て亡くなった人と話す人が非常に多い。風の電話と呼ばれていて同名で映画化もされた。現地には案内も少ないので興味がある場合はナビ頼りでどうぞ。
釜石は製鉄の街として、一時期は盛岡に次ぐ県内第ニの人口を擁する街だった。それ(製鉄)絡みの場所が少し残っている。
古い方で言えば釜石市街地からは少し離れるのだけれど、橋野高炉跡。地味だけど世界遺産の構成要素の1つになっている。かなりの山奥にあって、許可無しで見えるところだけでもたぶん「ここで作るまでのことが必要だったのかもな」と思えると思う。ここより新しい鉄絡みと言えば釜石鉱山跡。ここも国の文化財に指定されていて、冬以外は見学が可能。ただ年数回行われる坑道見学に参加して見たほうがより面白いと思う。
工場は24時間操業で、働く人も多かった。そういう人たちが働いた後に向かったのが呑兵衛横丁で、ただここは津波で壊滅して、残った店が移動した仮店舗も営業期限が来て多くが廃業した。ただ3店舗だけが市内中心部のかまりばという飲食店街に移転を果たしている。まあここに来るということは確実に釜石泊まりになることが前提となってしまうので日帰りではおすすめしない。酒以外の労働者のための食べ物として生まれたのが釜石ラーメン。極細麺の醤油味であっさり。新華園という店が元祖といわれているが、釜石ラーメンと言って出している店の味の優劣はほとんどないので、見かけた店で食べていいと思う。
新日鉄釜石といえばラグビーを思い出す中年以上の人もいると思う。このラグビーチームは現在釜石シーウェイブスというクラブチームになって現存している。3部リーグ落ちをなんとか堪えた2部リーグ所属として頑張っている。8月9月は市街地にある練習場で公開練習していたけど、10月からは新シーズンということで大槌との間にある鵜住居スタジアムというところで公式戦を行う予定。
釜石ラーメン絡みで紹介しないといけない店が1つあった。工藤精肉店の2Fの食堂。ここは定食といっしょにラーメンを注文する人が多いのだけど、そもそのその定食の量が多いことで有名。おすすめメニューはカツカレー。お腹を空かせてどうぞ。
製鉄とも釜石とも全く関係ないが、市内には国内唯一のミッフィーカフェがある。公式ナインチェ・プラウスなカフェメニューを出してる。味はそれなり(まずくはない)だけど、うさこちゃんに興味がある人はこっちの店のほうがいいかもしれない。
間が空いてしまったけど、観光地編始まります。書き始めたら長くなってしまって、1日分しか書けなかった。。。だんだんと短い文章になると思いますが、年度末年始の仕事の合間に書いていくので気長に待っていただければ。
前回の記事も、思い出したものやコメント等で質問いただいた内容などを追記しています。
・観光地(今回※まだ続く)
・食事(まだ先)
いきなり北京市外だけど、北京留学中の増田長男が同行してくれることになったので北京から北西に350kmの位置にある大同と雲崗石窟寺院に高速鉄道で日帰りで行ってきた。大同近郊には崖に作られた懸空寺という名所もあるのだけど、これまた日本語や英語での最新情報が乏しく、老人もいるので日帰り旅行で組み込むのは無理と判断し、雲崗石窟寺院の後に大同古城とするルートにした。
行きは北京北駅を7:16発、大同南駅に9:41着。帰りは大同南駅を16:26発、北京北駅に18:24着と長丁場になった。高速鉄道は2つのグレードがあり、列車番号の頭文字がGとDで区分される。(例:G1468, D1567)一般的にGが速いのだけど、同じ路線でも遅いGや速いDがある。今回の大同南往復は両方ともGの列車だったが、停車駅が異なり帰りの方が27分も速い。
チケットは往復とも事前にTrip.comで購入した。Trip.comの通貨設定を日本円にしたので中国元の価格が不明だが1等席が発券手数料込みで行き5,124円、帰り5,640円だった。行き帰りで値段が違うのは停車駅が少なく早く着くからだと思う。2等席だと1等席の7割前後(3,500円)ぐらい。1等席は2+2シート、2等席は2+3シートの構成。Trip.comでは予約時に座席配置のリクエストができるので、複数人の旅行であれば必ずやっておいて。切符はeチケットなので印刷する必要もないし、スマホ画面を見せる必要さえもない。
高速鉄道駅には遅くとも出発30分前には着いておき、余裕を持ってセキュリティチェックを受けておいた方がよいとのこと。3月中旬は閑散期らしく特に混んでなかったが、増田長男によると春節時期は凄まじいらしい。
駅のセキュリティチェック後は巨大なコンコースで待ち、電光掲示板でプラットフォームと改札口を確認しておく。列車が来る15分ぐらい前から改札が始まるので列に並ぶ。改札はパスポートを機械にかざして読み取りする。Trip.comでチケット購入した時に入力したパスポート情報が連携されてるんだと思う。改札は3列ぐらいで並ぶのだが、そのうちパスポート読み取りができる機械は1列だけだったりする。(他は中国人向けの非接触型の身分証明書読み取り機で無人。パスポート読み取り機には係員がいる)真ん中は無人機、左右のどちらかがパスポート読み取り機が多かったので、どの列に係員がいるかを見定めて並ぶと良い。
改札が終わりプラットフォームに降りると、始発駅なので既に電車は来ている。出発まであと5分。1等席は先頭と最後尾の1号車と8号車にしかなく、今回の我々は1号車。そしてプラットフォームに降りたところは8号車の前!年寄りを急がせながらなんとか出発2分前に乗り込んだ。
1等席は2+2シート構成で、新幹線のグリーン車と似たような感じ。飲み物(お湯)とスナックのセットが出てくる。またビール等を販売するワゴンが回ってくるなど、昭和・平成初期の新幹線を思い起こさせる。また高速鉄道はとても静かでほぼ揺れない。朝早かったのでウトウトしてるうちに大同南駅に着いた。
大同南駅は高速鉄道専用駅で、中心街からは7-8kmぐらい離れてると思う。この駅もとてもでかい。でも人いない。分かりにくい案内板を頼りにタクシー乗り場へ向かうと白タクの運転手?と思わしき人たちが盛んに声がけしてくるので、タクシー乗り場への道は間違ってないのだなと思った。
バカでかい構内を数百m歩いて更に地下に降りたところにタクシー乗り場があった。20台以上が客待ちしてる状況で、最初はここでDiDi呼ぼうかと思ったが、乗客を差配しているような人がいて、増田長男とやりとりした後に2台分乗してタクシーに乗ることになった。
大同南駅から雲崗石窟までは約30kmぐらい?約30分の乗車時間だった。窓から見える大同郊外の風景は同じデザインの高層マンションが立ち並び、それが数十ではなく、数百というぐらいの単位で広がっていく。今まで見たことのない圧倒的な風景だった。さらには建設中と思しき骨組みの高層マンションも多数あり、まだ建てるのか?と思うとともに、放置されてるのでは?とも思ったり。
大同南駅から雲崗石窟までのタクシー料金は55元ほど。DiDi使ってないので、運転手のQRコード(WeChat pay Alipay共通)を読み込み、メーターの金額を打ち込んで支払う方式。(日本と変わらないというか、日本が真似したのか)2台分乗したが連携してるわけではないので、それぞれ別の場所で降ろされた。今回は増田長男含めて3名がWeChat使えたので、チャットや通話機能使って無事に合流した。複数人で旅行する際は、はぐれるケースも想定して連絡手段を確保しておいた方が良い。
9:41に大同南駅に着いて30分タクシー乗って10時30分ぐらいに雲崗石窟に到着。さあ入場しようと思ったが、どうやってチケット買えば良いのか分からない。北京の観光地はまだ日本語情報があったが、雲崗石窟はコロナ前の情報しか見つからず、事前予約についても調べてなかった。チケット販売のような窓口も機能してないし、WeChatのミニプログラムにたどり着いたが、当日はチケット購入できないようになっていた。増田長男が中国語でようやく聞き出した情報によれば、当日券は入り口の建物にあるQRコードを使って購入しないと行けないとのこと。なんか人だかりがあるなあと思ってた場所にあった。分かるか、そんなの!価格は成人100元、学生・未成年50元、老人(60歳以上)は無料で、それぞれ別のQRコードを読み取る。
そこから増田夫婦で全員分のチケット購入して、ようやく入場できたのが11時をとうに過ぎた頃。12時には雲崗を出て大同古城に向かい昼食を取る想定スケジュールが大幅に狂った。雲崗石窟もものすごく広く、老人もいるので無理に急ぐこともできず、なるようになれで、普通のペースで観光した。石窟の前に池に浮かんだ島にある寺院を通っていく。この手前にはバス乗り場があり、石窟入り口までスキップできるので石窟だけササッと見たい人は使うと良い。片道10元。でも寺院もなかなか良い感じなので、増田と同じように、行きは歩きで寺院を観ながらゆっくりと、帰りはバスで出口までというのがおすすめ。
雲崗石窟も他の観光地も同様だったが、紙のパンフレットというものがまったく置いていない(見つけられていないだけかもしれないけど)。スマホでWeChatのミニプログラムやオフィシャルサイトを見たり、たまにある標識で確認するしかないのだが、観光地のパンフレット大好きな増田としてはかなり悲しいことではある。
寺院を抜けてようやく石窟入口。すでに12時近くになっておりお腹も空いてきた。石窟の最初の方はしょぼい穴が空いていて風化した仏像だったような物がある感じ。埼玉県出身の増田は「吉見の百穴みたいなものだな」と感想を言ったら妻に怒られた。そんなこんだで更に歩いていくと建物で保護された石窟エリアに到着して、ここからがいよいよ本番。いろいろな穴に入っていくたびになんじゃこりゃ!というような石仏に出会うことができる。百穴って言ってしまってすいませんでしたと謝る。そしてクライマックスはオープンな壁面に巨大な石仏どーん!で、観光客みんなここで記念撮影していた。まだ石窟群の続きはあるようだが、12時50分ぐらいでお腹すいた、石仏満足した、ということで出口に向かうことに。ちょうどバス停もあり出口までいっきに戻るが、お土産屋や飲食店街を通らないと出口に辿り着けないのはどの国も同じだな。
この時点で13時過ぎた。大同古城の候補のお店(鳳臨閣)は14時まで営業。タクシーで20分かかる。人気店なのですぐに入れるかもわからない。お腹も空きすぎたので、ここで妥協して食べようかとも思ったが、増田長男がチャンスがあるならトライしたいということで、すぐさまDiDi呼んで大同古城へ向かった。結果、閉店30分前にすぐに入れたのでチャレンジしてよかった。お店と料理については食事編で書くので割愛。
食事後、大同古城を散歩する。大同の中心部は高い城壁に囲まれた街になっていてその中は古い街並みが残っていてとても雰囲気がよい。故宮周辺も同様なのだが、清朝?のお姫様コスプレで散歩できるサービスのお店が多数あり、至る所でお姫様(皇后?皇太后?)を見かけた。
野良猫?もいて人を怖がっていないようではあったが、とても痩せていたのが気になった。逆に北京にいた野良猫は太っていた。
鼓楼などの古い建物を横目で見ながら、英語のページでおすすめされた九龍壁(Nine Dragon Wall)へ歩いていった。名前がかっこいいし、入場無料なのも良い。九龍壁は故宮の中にもあり、皇帝のモチーフとして使われているのかな?(大同は北魏の都だったと後で確認した)
その後は時間に余裕をもって大同南駅までDiDiで移動し、16:26の北京北駅行きの高速鉄道に乗った。行きは停車駅が多かったが、帰りは途中1駅のみ停車で2時間かからずに到着。北京北駅の横にあるショッピングモールで夕食を食べ、そこからDiDi呼んでホテルへ21時頃着。長い1日だった。
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小梨夫婦のころ、U15立ち入り禁止の高級旅館に泊まっていたけれど、もっとそういう場所があってもいいとは思う。
どこだったか忘れたが、あるところから上のフロアは一定年齢以上のお客様のみの立ち入り可みたいになっている飲食店街などもある。
そういうところは大人たちのお楽しみの場として子供の喧騒とは無縁に楽しめると思う。
まあ、何を勘違いしたか、そういう年齢制限があるような高級サービスに子供を連れてくるのは野暮だと思う。
逆に、ろくに金も出さずに高級サービスばかり要求する人には「値段相応だよ。おじいちゃん。」って思う。
いやー、ファミレスで「この店は客に〇〇せんのかね!」と要求しているおじいちゃんがいて、それが欲しいならここじゃなくて、高級店だろうなと思ったことがあったもので。
蔵の街として知られる静かな町並み。
駅でもらえるマップを片手に、こんなところにもラーメン屋が!と街歩きするのが楽しい。
「ご当地ラーメン」を売る街は多いが、沢山の店舗が町並みに溶け込んでいるのはここが一番ではないか。
いくつか有名店とされる店はあるようだが、私は並ばずすぐに入れるお店へ何店か。
期待通りの太いちぢれ麺。どの店も旨い。
蕎麦を売りとする街。門前町に蕎麦屋が並ぶ街は多いが城下町では珍しいかも。
アクセスの便は良くもなく、周囲に人口の多い地域もない。関西圏以外で知名度はほとんどないのでは。
城下町として古い町並みも整備されているけど、それ単体で観光の売りにするのも他所の有名どころと比較すると厳しいかも。
それでも街にはにぎわいがあり、どのお店も絶え間なく客の出入りがある。
小皿に小分けされて提供される独特のスタイルで、しっかり打たれた蕎麦は間違いなく旨い。
周辺地域の方たちに愛されているのだな、と感じた。
「お好み村」が有名と聞き訪れたが、どのフロアも制服着た学生で大混雑。平日なのに。
期待していたのとちょっと違うかなと立ち退いて繁華街をふらっと歩くと、次々に目につくお好み焼き店。
それこそコンビニと同頻度で点在している。これなら有名店でなくても十分。
小さな店舗に入ると、カウンターが全面鉄板となった席に通される。
店員さんがすべて焼いてくれるのが新鮮だ。投入が前提となっている麺は、そば・うどんが選択できるのも良い。
気取らない普段着のカップル。会社帰りっぽいサラリーマン。カウンター奥の広島カープの野球中継。
ああ、ここではこれが日常なのだな。その土地の日常を体験させていただく贅沢よ。
鄙びた港町。最果て感漂うこじんまりとした街に、街の規模より気持ち多めな料理店・居酒屋が点在する。
鰹を名産として謳う街だがお店では名物!!と押し出される感もなく。定番メニューとして自然に鰹料理が並び、珍しい部位や調理の種類も豊富。
一般的に生ビールがあるようなドリンクメニューの先頭に、当たり前のように位置する「さつま白波」(枕崎に蔵がある焼酎)
鰹料理と手書きメニューの本日おすすめのお刺身を甘い醤油で味わいながら、1杯300円の焼酎を追加オーダーしつつゆったりと。
退店後周囲に目につく鰹節工場の看板眺めながら、こういうのがいいなとほろ酔いで小さな街を夜をのんびり歩く。
私の知らない魅力的な街はまだまだたくさんあるのだろう。
長引くコロナ禍でおそらく街も店も様子が変わってしまったはず。
いつかまたどこかへ訪れることが叶ったとき、その街の魅力が保たれていて欲しい。
【追記】
4일
4日目
チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。
芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。
遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。
散歩と軽い朝食ついでにロッテマートでお土産のインスタント麺を買う。
広いとは言えない韓国は地域の対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。
曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」
近世の新羅・百済・高麗の対立からともいわれているし、朴正煕時代の選挙戦の影響とも言われている。
観光でちょっと撫でただけ、その上言葉も不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。
韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。
男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。
青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃんは日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。
光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。
バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。
5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者の韓国」と「弱者の韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。
日本・韓国双方の財閥や日韓間の慰安婦合意に否定的なのも、「弱者の韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義で弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。
大統領の権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。
上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領の悲劇的な破滅の歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。
うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動で韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。
果たして彼を待っているのは、改革の英雄の未来か、理想主義者の蹉跌か。
実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。
日本人にとってメジャーな観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。
釜山へ
3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。
乗客がどんどん降りていく。
「しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」
さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。
「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.
Do you mind teach me How to go to Busan?」
お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。
「Busan.」
西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外の総合バスターミナルらしい。
比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。
ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部にアクセスできる。
東横インは日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。
これで不安はかなり減った。
夕食を食べに行こう。
地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。
地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。
そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。
対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。
日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。
西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。
韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。
豚肉入りのスープご飯。小皿の薬味を混ぜて、自由に取れるキムチをつまみながら食う。
名店の名物だけに間違いなく美味かった。
美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。
やっぱアレは特別辛かった。
一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。
釜山は韓国の大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。
22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。
黒いマスクをした10代の若者から、ワンレン肩パットのお姉さん(マジでいる。しかも結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服の青年兵まで、ありとあらゆる若者のエネルギーで通りは充満している。
日本で10代の特に少女に韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。
韓国社会では、まだ若者の存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギーの絶対量が多い。
そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。
メインストリートの入り口では、2人組デュオがストリートライブをしていた。
2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。
もう10数年前のことになるが、新橋のとあるゲイバーで、ママから成宮寛貴とのツーショット写真を見せられたことがある。
新橋にゲイバー?と思う人もいるかもしれないが、あそこは案外ゲイバーが点在している地域だ。
新宿二丁目とは異なるのは、普通の飲食店街の中にゲイバーが店を構えていることで、バーやクラブがいくつも入っている雑居ビルに、突然「会員制」の札が下がっている店があると、そこがゲイバーだったりする。
一度だけ、酔っ払ったサラリーマンの二人組みが間違えて入ってきて、その瞬間、女性が一人もいない店内の、通常とは異なる雰囲気に何かを察したのか、慌てるように出て行くのに出くわしたことがあるが、お互いなんとなく気まずい思いをするので気をつけてほしいと思う。
すっかり足が遠のいてしまったので最近の事情はよく知らないが、当時の新橋の店はおおむね、あまり派手さはなく、どちらかというとスーツを着たリーマンのゲイが静かに飲んでいることが多かった。
ゲイの世界にも、いわゆる二丁目的な騒ぎかたは苦手で、昼間は普通にスーツ着て会社員をしている人も多いのである。
客の大半は終電までには帰るような感じで、土日は休みの店も多く、新橋の店子(みせこ=ゲイバーで働いている子)は「ゲイバー界の公務員」などと言われていたものだ。
その店は、そんな新橋の中でも若くてイケメンのママと店子がいてちょっとこじゃれた雰囲気のカラオケもない落ち着いた店で、自分はたびたび通っているうちにママと親しくなった。
そして、自分以外に客のいなかったある日、ママが「ちょっと面白いもの見せてあげる」といって、その写真を見せてくれたのである。
成宮寛貴が一時期、新宿二丁目で活動していたことは、後に本人がインタビューに答えるかたちで公に認めることになるのだが、当時、一般にはまだ「噂」ということにされていたように思う。
だが、同時期に2丁目で働いていた人にとっては有名な話で、とびきりの美少年でしかも10代だった彼が、いかにも社会的地位がありそうな男性と闊歩している姿を見た人は多いらしい。
「新宿2丁目で遊んでいたかたせ梨乃に見出され、やがて17歳で宮本亜門に見出されて舞台デビュー」というのは公に流布されている彼のサクセスストーリーだが、宮本亜門との関係にあれやこれやと噂を口にする人も多くいた、
さすがにママはなぜその写真を撮ったのか、二人はどういう関係だったのかは詳細に教えてはくれなかったが、成宮寛貴は「お金のためにやむなく2丁目にいたノンケ」ではなく、ゲイか、少なくともバイセクシャルであることは太鼓判を押していた。
そして、当時の二丁目で、ひときわ輝いていたらしい。
ごくごく普通のスナップ写真でも、明らかに「キラキラした美少年」であることは充分に伝わってきたのを覚えている。
ママ自身、いわゆる「売り専」の出身のそこそこのイケメンで若くして店を任されているので、いろいろなことを噂されている身ではあったのだが。
一時期、自分は個人的に「成宮寛貴はカミングアウトしたらいいのに」と思っていた。
いつの間にか、日本のテレビにはLGBTのタレントが普通に出演するようになり、いろんな偏見もだいぶ薄れてきたとは思うが、やはりテレビに出てくるのはバラエティー的に使い勝手のよい「オネエ」や「女装」の人たちがメインで、彼のように「フツーに女性がかっこいいと思うようなイケメン、だけどゲイ」という立ち居地の人はほとんどいない。
実際、ゲイの人といっても皆がテレビ的に分かりやすい派手なキャラクターを持っていたりするわけではない。
ファッションセンスも含めて、見かけはごくごく普通の人たちもたくさんいる。
成宮寛貴みたいな人がカミングアウトしたうえで芸能界に一定の位置を占めていたら、また世の中のLGBTに対するスタンスも変わるんじゃないかなあ?と、期待していたのである。
(余談ながら最近、さらっとカズレーザーという芸人さんが、まったくオネエをウリにしているわけでもなくさらっとバイセクシャルをカミングアウトしていて、なんだか隔世の感があった)
まあ、そんなのは他人の手前勝手な思いなのであって、当人は「触れられたくない部分」を隠し通すためと称して、引退してしまったのだけれど。
いや、実際のところ何がどうして引退することになったのか、報道以上のことは何もわからないが、もし仮に、一部で言われているような「本当は薬物報道の問題が直接の原因なのだけれど、そこには触れずにセクシャリティの問題を持ち出した」のであれば、正直、あまり気分のいいものではない。
例の写真週刊誌の一報が出た当初は、成宮寛貴を擁護するような意見がマスコミにもネットにも予想以上に多かったように思う。
それは、彼がやはり人気者だったこととか、報道の経緯が「友人が週刊誌に金で情報で売った」からとか、FRIDAYがやたらと世間から嫌われているとか、そろそろみんな週刊誌の報道合戦(合戦というか、戦っているのは文春だけという説もあるが)に嫌気が差してきたとか、いろいろな要因があろうが、彼が「近年の芸能界では珍しいほどの苦労人である」というのも、その大きな理由の一つだったのではないかと思う。
母子家庭に育ち、14歳で母も失い、弟のために高校進学をあきらめ、さまざまな仕事を経験しながらオーディションで主役をつかんだのをきっかけに成功し、弟を大学にも進学させた、というのがワイドショーなどで喧伝されている彼の「美談」である。
しかし、別に彼の苦労を否定するつもりは毛頭ないけれど、これって考えてみれば「美談」で片付けていい話なのだろうか?
両親をなくした兄弟は兄が高校進学をあきらめて働かなければ、弟を大学に行かせることができない、というのは、大層な福祉の貧困の話ではないのか。
ワイドショーは無論、そんな切り込み方はしないが。
まして彼は新宿2丁目のバーで働いていた、らしい。
体を売っていた、という噂も絶えない。
男性が男性に体を売っても日本の売春防止法では罪にならないが、たとえ「体を売る」という行為がなくても18歳に満たない子が酒食を伴う接待を業にしていたのである。
法律に詳しくないが、これって明らかに児童福祉法違反ではないのだろうが?
これは別に性別もセクシャリティとも関係のない話であって、いくら家族の学費を稼ぐためと入っても仮に16~7の女の子がキャバクラで働いていたらやはり問題だろう。
まして売春行為に走っていたとしたら、「美談」で片付けてよいわけがない。
薬物は論外だけど、それを別にしても、彼の人生にはなんだかあまりにも複雑なものが絡み付いていて、いわゆる「芸能界」のど真ん中で活躍するには、その闇はちょっと深すぎたのかもしれない。
ちょっと前に「隠れ家レストラン」のようなものが近所にできて、住民とトラブルになっているようだ。
本当に静かな住宅街でまったく人通りのなくて怖いくらいの近所だったのに、夜から深夜にかけて人通りが増えてなにかと思っていたのだが、有名シェフのレストランが越してきたらしい。表札や看板さえないのでまったく気づかなかった。街中からふつうに来ることができる場所ではないのでタクシーなどで乗りつけてくるわけだが、その騒音その他が問題らしい。まあこんな住宅地でそんなのしたら怒る人はいるだろうねえ。住民からすれば、近所づきあいギスギスしながら全体としてそれなりの静かな雰囲気作って生活しているのを利用されているわけでもあるしね。住民としては飲食店は飲食店街でやってほしいというのはある。
最近よく聞くの「隠れ家」だが、あちこちでトラブル起こしているのかもしれないな。
(追記)
静かな住宅街といっても、高級住宅街ではない。ごくふつうの住宅街。
そのレストランは1人2万とか3万とか、そういうかなりの高級店のようだ。近所をうろうろしている客も、住民とは様子が違う。安い店なら「たまには贅沢しに覗いてみよう」「便利な店ができた」ってなことになのかもしれないけど、そんな高級隠れ家レストランなど行けるものではない。
店長もトラブルになりそうな有力ご家族をご招待か特別割引で呼んどきゃいいのに、なんの挨拶もなかったと怒っている住民がけっこういるようだ。うちの町の雰囲気で商売するくせになんの挨拶もないとは、ってな感じなんだろう。家なんかもつと面倒なものだな。俺はそんなところ呼ばれても怖いから行けないし、賃貸だしそんな気ならないし関係がない。