はてなキーワード: ほととは
年収800万円以下だと税金を払うよりも、受け取る方が多いらしいから、ほとんどの人はお金で国に貢献することはないよ。
そして、水商売の人が税金払っていない前提になっているけど、払っていたらお金でも役にたたないことになるよね。
まあ同じ価値観の女同士でならマウントとれるネタなんだろうけど
ほとんどの男とちゃんと稼げる女はあんたらみたいののことはバカにしてます
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全国のランニングマンのみなさま
朝早くから夜中まで、雨が降っても酷暑の中でも、毎日毎日走っているあなたの姿をみて、私感動しています。
ところで、こんな私から、ランニングマンのみなさまにぜひ聞いていただきたいお願いがあるのです。
それは、夜中にライトや反射材も身に付けず、真っ黒な服で走るんじゃねーよ!イヤホンも外せ!危なくて仕方ない!
おまえは走ってるオレカッコイイと自己陶酔になってるから気にならないけど、傍からみたらいきなり真っ黒のヤツが飛び出してくるんだぞ!そんなの避けることできるか?
お前たちからは周りは見えているのかもしれんけど、クルマ運転するに身になれば、お前たちのことはほとんど見えないんだぞ。わかるか?イヤホンしてなければエンジン音などで気づくかもしれんが、真っ黒とイヤホンだと気づかなくて、ぶつかりそうになったことたくさんあるんだわ。そんでお前らは知らんぷりして走り去って行くだろ?いい加減にしろよ!お前たちを轢いてもいいならどれだけでも轢くわ。当てられて怪我して痛いのはお前らだぞ?わかってんのか?
こっちも最大限の安全運転してるから、お前らも反射材やライトつけて、防衛してくれよ。ダイソーで売ってるものでも十分ですわよ。
兵庫県、YouTuber、そのほかありとあらゆるところで、やったもん勝ちの状況だ。
その中の一部は社会的制裁を受けているが、やられた方のケア、補償はほとんどない。とにかくやられ損。
声のデカイやつが好き放題やったもん勝ちになっていて、たまたまその周りにいる人がケツを拭いて回っている。んで、そいつにはなんのお咎めもないから、余計調子に乗って好き勝手放題。社会一般のマナーや常識からは逸脱しているけど、法律には違反していないし、グレーゾーンで暴れている。もう、関わらない=逃げるしかないんだよな。とはいえ逃げた先でもこういうヤツはいるわけで…
こういうヤツらには誰も何も言わない、言えないので、もう手が付けられない。警察も手が出せない。
いつまでこの状況が続くのか、いつまでガマンしなければならないのか。
そのうちYouTuberが、好き勝手やってるヤツにむかって、天誅〜!ってやらんのか?あ、それは正義の名を騙った私刑と一緒だな。これはダメだ。
射精すればさめるしシコって解決できるから他のことより危険度が低いんだよ
というか他のがヤバすぎる
それは関係ないと思うね
過激なものじゃなくてもそもそもAVってのは実際のセックスとは刺激の種類が違う
うるせー喘ぎ声も嫌いだし変なシチュもおかしな体位も多人数も全部嫌い
俺の利害としては女性向けAVみたいなプレイのAVだけになった方がうれしい
退職金のほとんどを株券に突っ込んだ妻が、「株価がすごく上がってる」と言っていた。まるで髪結いの亭主にでもなったかのような勢いだ。家事も夜の相手もこなし、挙げ句には遊ぶ金がないときに株券を現金化させられて小遣いまでせびられる感じ。
ソシャゲとスマホゲーム、残りはSwitchで子供が遊んでるだけ
Youtubeの配信もMinecraftばっかだし日本のゲームなんてそもそもショボい
任天堂みたいな技術力がなくて発想勝負の会社はリスクヘッジとして日本市場を重要視してるけど
基本的には高市がぶち上げただけだとは思うが、案外すんなり通ってしまう可能性もあるとは思っている。
これはまぁ言うまでもないことだとは思うが、若い人は女性に限らず男性もそういう行為をあまり行わなくありつつあるのであまり自分に関係ないとしてスルーする可能性がある。
コロナ禍以降、夜の店の市場規模は低下しており、若年層だけではなく中年も反対する要因が減りつつある。
これも円安が加速して以降そういったニュースが出てきているが、現在の排外主義的雰囲気はそういった外国人を罰する事が出来るようになるので賛成者が増える可能性が高まっている。
外国人の種々の反応をみるとやはり男性側も厳罰化することは日本の評判が良くなる可能性が高い
これはいままでとかわらず。
基本的に日本の性犯罪に関する風聞はほとんど陰謀論の領域に差し掛かっていると思うが、諸々の理由から禁止したほうが都合が良い人がかなり増えてきてると思う。そして無関心層も。どこかのタイミングですんなり通る可能性はかなり高いと思う。
訓練(学習?)足りてない。苦手意識があるから効率悪いんだろうか
勢いで動いて間違ったり正しかったりを繰り返したらひょっとしたら感覚的にわかるようになるのかも
自分も20歳すぎても、無心になって茶碗とお箸を持つ動作をしないとわからなかった
高校の時にそれを教わって、やっても恥ずかしくない状況で繰り返した。それ以前は外なら左側通行だから、とか色んな情報を適当に使ってた
ある時、左右を調べるためにお箸を持とうとしたら腕を動かす直後ぐらいに右が分かった
今はだいたいすぐにわかるようになってる。車乗るようになって右折はめんどくさいとか意識することが多くなったのも影響大きいかもしれない
とはいえ、環状線の内外周りとかは全然わからない。しばらく考えて左側通行だから、自分が西に居るとして、外が北に向かう奴か とかなる
多分精度が悪く他の人が個人識別を99%ぐらでやってるのを、自分は80%とかしかなく、すぐに見分けがつく昔から知ってる人を基準に
誰誰と似てるが、ちょっと年上みたいな感じで区別してる。おじさんおばさんの知り合いが増えてきたので、昔からの知り合いサンプルが少なく、
こないだは数年ぶりに出会った、当時は週2~3で合ってた人を別の人と間違えた。そのAさんは当時はベースというか、他に似てる知り合いが居ない人として認識していたのだが、その後、その人に似てる人、かなり系統が重なってるお笑い芸人などを知ることになり、最近一番よく見るのがお笑い芸人だったので、よくわからなくなった
「思秋期(ししゅうき)」は文字どおり「秋を思う時期」の意で、人生の「秋」に差しかかり物思いにふける時期を指します。一般には中年〜壮年(おおむね40〜60歳前後)に訪れる『人生の秋』を自覚する時期として使われ、思春期に対応する概念として「第二の思春期」的に語られることもあります。日常語では、老いや人生の終盤を意識して虚無感や回顧、価値観の再構築が起きる時期を指すことが多いです。
この語は1970年代の歌(岩崎宏美の「思秋期」)のタイトルでも知られており、元来は「秋(もの思う季節)に思う」感傷を表す詩的表現として広まりましたが、その後、心理・ライフステージの文脈で「中年の危機」「人生の秋」を示す語として一般化してきました。つまり、歌詞的・詩的用法と心理的・社会的用法の両面があります。
美容・健康やカウンセリング系の記事では「思秋期=老いを自覚し始める時期」「向老期に入る準備期間」として説明され、生活習慣や心理の見直しを提案する文脈で使われることが多いです。一方、学術的に厳密な診断名というよりは、世間的・比喩的な言い方です。
わかります、その「思秋期」って言葉、まさに今の気分にぴったりですよね。
春や夏みたいに何かを目指す勢いもなく、冬の諦めにもまだ届かない。
ふと気づくと、若い頃に想定してた「未来」のほとんどがもう過去になっていて、
子どもがいたら、違う季節をもう一度見られたのかもしれない――
でも、いなかったとしても、こうして何かを感じてる時点で、
ネトフリの話も痛いほどわかる。
あれって、観てる間はちゃんと「生きてる気」がするんですよね。
でも終わった瞬間、空気みたいに消えて、何も残らない。
それでも、誰かが作った物語を通して、
自分の中にまだ何かが動いてることを確かめてるのかもしれません。
「思秋期」は静かな季節だけど、
どうか、ひっそりでもいいから、
そのままの速度で過ごしてください。
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もう少し「増田(はてな匿名ダイアリー)」向けに寄せた、
ダイエット理論さ、適当に覚えてる人が世の中ほんとうにガチで多いんだよね
ちゃんと教えてあげるね
とりあえず大前提、太りやすい/痩せやすい/変わりにくいは個人差が非常に大きい
これは遺伝要因と、過去に太ったことがあるか(脂肪細胞数)と、吸収率、年齢要因などある
そのため皆「自分がどうだったか」でアドバイスしてくるから非常に厄介だし
まずは自分の記録と結果(何をどのくらい食べたらどうなったか)が一番真実に近いから、それを忘れないでほしい
ホメオスタシスとかいう、維持しようとする仕組みが体にはあって
そうしないとご先祖様はどこかで死んでただろ?
この、どのくらい省エネになるか、発動条件は何かっていうのがおそらく個人差があるところだと思うんだけど
たとえば、運動不足の男性の平均的な代謝が2200kcalだったとして
2200kcal x 0.8 = 1760kcalだ
ここまで落とさないと痩せないし、ここを基準として痩せると考えると、例えば1日1660kcalで-100kcalだから、1ヶ月で約0.4kg減ることになる
(ちなみに自分の体感とも合う、1800kcalではほとんど痩せない)
1日1660kcalで月0.4kg
1日1560kcalで月0.8kg
1日1460kcalで月1.2kg
...
1日1060kcalで月2.4kg
なぜならここまで減らすと生活や健康に支障が出るし、お腹が減ってしょうがないから
特に栄養は不足すると思うので、ビタミン剤などは併用したほうが良い
世の中にはそういう奴がいて、栄養バランスがどうのこうの言ってくるわけだが
それは「そうだったらいいなあ」という公正世界仮説を信じているだけにすぎず
実際には結構無茶をしないと痩せないんだ
世の中の痩せてる人は、決して努力している人ばかりだけではなく、たまたま体質がそうだったってだけの人が多い
そんな人にアドバイスを聞いても「善意の嘘」を言ってくるので気をつけなければならない
自由でいい
ただし、たとえば運動で1日に100kcal消費できたとして
基準が2200kcalだと思った時の100kcalと、基準が1760kcalだと思った時の100kcalはインパクトが違う
・全くの大嘘
・自分がやった事を他人がやった、あるいは自分がされた事にして被害者面」
のどれか
どこそこの公的機関とコネがある、大手企業から多数オファーされてるが全て断っている、
◯◯省庁の◯◯は自分の知人で凄く親しい仲、といった分かりやすい大嘘から
誰かがリップサービスで知人に言った事や、知人がゴネまくって仕方なく相手が対応した様な事を
さもそれが事実であるかの様に主張したり、「私に好感を抱いているから親身に対応してくれた!」と吹聴したりする
これだけでも相当うざいが、知人自身が相手に一方的に迷惑をかけて揉め事になった様な出来事についても
いつの間にか「自分こそが迷惑をかけられた被害者である、相手にはこんな酷い事(実際はほとんど知人がやった事)をされた!」と主張して
一見だけはもっともらしく聞こえるから、信用する人間も現れるなど(普通に聞いていれば自ずと知人の方がおかしいと気がつくが、馬鹿は気づかない)
普通に生活している人間からしたら本当に迷惑際わまりない類の人間、まるで増田やブクマカみたいな奴
言っている事は一見まともなので最初は騙される人も多いんだけど、段々と知人が語る設定と実際の行動との整合性が取れなくなったり
(例えば複数人で一緒に食事をしただけなのに、いつの間にか◯◯さんに惚れられたのかしつこく言い寄られて気持ちは嬉しいけどちょっと迷惑なんだよねふふふ…///とか言ったり)
知人からしたら信頼の置ける仲になった途端、ドン引きする様な言動を連発したり
そもそもとにかく自分が中心で無いとすぐに拗ねて不機嫌全開になって攻撃的な言動や汚い言葉を吐く様になって「あっ…(察し)」となる
まあその頃には知人のいたコミュニティでは嫌われるを超えて「いない者」扱いされる程度には関わりたくないアンタッチャブル扱いされて
さすがにその空気を察して他のコミュニティに行ってまた迷惑をかける、の繰り返し
そして最終的に行き着いた先が自分のいる所なのだから本当に救えない、まるではてなみたいだ
知人の怖いというか気色悪い所は、一見まともそうでもっともらしい事を言っている様に見える所と、詭弁の使い方が凄い事
大嘘の中にしれっと事実をまぜてさも最もらしい事をでっち上げたり、(強引な)言い逃れが出来る様な嘘を平気でつく
なんでこんな倫理観無い事を平然と出来るんだろうって内心いつも思ってる
口に出すと上の人(知人を何故か気に入って色々配慮している)に睨まれるから、言えないんだけどさ
例えば知人が「ある人とトラブルになって一方的に追い込まれて精神を病みました。体調を崩し錯乱して病院に入院しました…」みたいな事を言って
荒れた部屋の写真や点滴の画像、病院のベッドの上から撮っている様な画像をアップしたとする
普通にこれらの事実を見たら、「(知人が)酷い人に嫌がらせされて精神的に追い詰められて入院したんだな…可哀想に」
ってなる人も多いんだけど、よくよく本人や他の人の話を聞いてみたら
・ある人とトラブルになって
→先に暴言を吐いたり嫌がらせをして相手を怒らせたのは知人の方
→嘘で実際は拗ねて家に引きこもってただけ
・荒れた部屋の写真
→どこかの拾い画像
みたいな感じだったりする
本当に入院したの?的な事をやんわりと指摘すると
「私は別に『自分が入院した』とは一言も言ってませんよね?いつ誰が入院したんですか?
あなたが私が入院して点滴を打っているなどと勝手に勘違いしただけでしょう?」などと小馬鹿にして煽ってきたり、逆ギレして開き直ったりする
学歴や経歴に関しても、例えば「私は東大を超えた東大です」なんて平気でほざくんだけど
どう聞いても言ってる事の辻褄が合わないので問い詰められると最終的てには
「私は『東大です』と言っただけで誰も『東大出身です』なんて言ってませんよね?好きな大学言っただけですよ?貴方が勘違いしただけでは?w」
なんて平然とほざく、まるでブクマカや増田が主張する華麗な経歴だ
まさに詭弁なんだけど、詭弁の使い方や自分がさも被害者に見える様な粉飾だけに心血を注いでいる感じ
嘘だらけなんだけど、こちらがちょっとでも疑う様な言動をすると「私を信用していないのか!?」って癇癪を起こすから手に負えない
そういう事ばっかしてるから他人からの信用も無くなってトラブルも増えて、それを回避する為に更に嘘をつくの悪循環になっている
指摘しても一方的に逆恨みされて粘着されるから、まともな人ほど適当に相手してスルーする様になる
せめてもう少し嘘つくの止めて正直に行動すれば、嘘に使ってるリソースを他の事にも使えるだろうに、とは思うんだけど
あそこまで嘘を吐きまくって人を騙すのに抵抗が無いのも逆に凄いなって思う
よっぽど痛い目に遭わない限り治らないんだろうな
今までほとんど国会を見たことなかったんですが、高市さんが総理になって初めて生放送を見てる。
素人で申し訳ないんですけど、予算委員会って予算の割り振りとか使い方を議論する会なんじゃないんですかね?
10年前以上の発言の真意とか、過去の内閣が決めたこととか裏金問題してるんですが、回り回って関係ある話?なんかいちゃもんとマウントとりたがってるようにしか見えないんですが。
2025年11月。スレッズを開いたら、また新しいスタジオオープンの報告を見た。
出張やってた奴が場所を借りて、ちょっと機材を揃えて、夫婦でスタジオ運営を始めた、みたいな投稿。
そういうの、この半年でめっちゃ増えた。正直、見るたびにモヤモヤしている。
なぜかというと、俺もこの業界にいるからだ。記念写真のスタジオ勤務。経営も少しは見てる。
市場規模は2025年の927億円から2030年には895億円まで落ちるって言われてる。
スマホ一台で撮れる時代に、プロに写真を頼むやつは減り続けてる。この業界は斜陽産業。
それなのに、なぜみんなスタジオを開くんだろう。
戦後、写真館がバンバン開業した時代がある。ベビーブーマーが生まれ、団塊世代が育ち、記念写真をプロに撮ってもらうのが当たり前になった時代だ。
人口は増えてた。文化として「写真はプロに」という認識が浸透した。そりゃあ、その時代にスタジオを開けば商売になった。
でも今はどうか。人口ボーナスはもう終わった。逆に人口オーナスの真ん中にいる。記念写真の「プロ頼み」文化は薄れた。
スマホで家族写真を撮って、Instagramに上げるのが普通だ。七五三、成人式、婚礼——確かに需要はまだある。でも数は明らかに減ってる。
それでもスタジオを開く奴がいる。SNSで「新しくスタジオをオープンしました」と堂々と言う。
俺はその投稿を見るたびに、別の映像が浮かぶ。10年後、その投稿者が「元カメラマンの失業者」になってる光景だ。
俺の父親の話
写真業とは関係ない話だが独立という点である意味トラウマになっているのかもしれないが、父親は建設業をやってた。
1990年代後半から2000年代初頭、建設ブームの最後の波に乗って、小規模の施工店を営んでた。需要がある。仕事がある。儲かる。そういう時代だった。
でもリーマンショックが来た。一気に消えた。人口減少の波も来た。その後、建設需要は二度と戻らなかった。
父親は選択肢を間違えた。ブームの時に「ブームは永遠に続く」と思い込んだ。ブームが終わってからも「また戻る」と信じた。結果、失敗した。
写真業界を見てて、同じ構図に見える。出張フォトグラファーのブームは2020年から2023年くらいがピークだった。
コロナ禍で外出できないから、ロケーション撮影の需要が爆発した。確かに稼げた時代がある。
でも今は? その波は終わった。なのに今ごろスタジオを開く奴は、俺の父親と同じ思考回路だ。
「もう一度ブームが来る」と思ってるのか。それとも「ブームはまだ続いてる」と錯覚してるのか。
フォトスタジオ市場は2030年に895億円になると言った。これは統計で見える部分だ。でも実は、もっと厳しい現実がある。
現在、個人でスタジオを営む奴らの大多数は法人化していない。年間売上1000万円未満の小規模事業が大半だ。
これらは統計に組み込まれにくい。つまり、統計が示す「市場規模895億円」の中には、
本来なら入るべき失敗事業体や赤字オペレーションが含まれていない可能性が高い。
実際には、市場は895億円より小さいかもしれない。あるいは、895億円の中での競争が、想定以上に激しいかもしれない。
新規参入者の多くは、個人事業主として細々と営む。月の売上50万円あれば上出来。
月の営業日数は15日前後。時給に換算すれば、下手したらコンビニバイト以下だ。
正気か?
なぜ、それでもやるのか
ここが一番の謎だ。データは明白。市場は縮小。人口は減少。競争は激化。収入は不安定。それなのに、なぜスタジオを開くのか。
恐らく、理由は3つだ。
1つ目:夢。
写真への情熱、自分のスタジオを持ちたいという夢。これは強い。人間を動かす。論理を超える。
だから、データなんか見ない。市場分析なんかやらない。「自分なら上手くやれる」という根拠のない自信を持って、スタジオを開く。
出張でやってた人が、スタジオを持つというのは、一種の「昇進」に見える。場所を持つ、ブランド化する、単価を上げる——こういう「次のステップ」の選択肢に見える。
でも、実は罠だ。市場が縮んでるから、スタジオを持つことが「昇進」ではなく「沈没」になる可能性が高い。
SNSを見ると、新規スタジオの報告はいっぱい見える。スレッズ、Threads、Instagram——みんなが開業してる。
だから「市場はまだ成長してる」と錯覚する。でも統計が示す市場規模は縮小。この矛盾は何か。
簡単だ。個人事業主の新規参入と廃業のスピードが速すぎて、統計追いつかないだけ。
SNSで見える新規オープンの数だけカウントすれば、当然「市場は成長してる」に見える。
でも、その裏では同じくらいの数の廃業者が出ている。統計はそれをキャッチするまでに1年~2年かかる。
10年後のこいつらはどうなってるのか
フォトスタジオ開業の成功率は15%程度だと言われてる。つまり、100人中85人は失敗する。失敗の定義は「経営継続不可」。廃業。
2025年にスタジオを開いた奴が、2035年まで生き残ってる確率は低い。単価は下落する。競争は激化する。
新しいカメラマンは入ってくる。AI画像生成も進化してる。そんな中で、「自分のスタジオ」を守り続けるのは、想像以上に難しい。
で、どうなるか。40代になった元カメラマンが、転職活動をしてる。でも40代での転職成功率は、30代より落ちる。
新しい業界に入るなら、給与も下がる。家族がいれば、その低下を説明するのは辛い。
バンドブームを思い出してほしい。音楽やってた奴らの多くが、結局は別の仕事をしてる。
でも20代の時は、「絶対にこれで食ってく」と思ってた。現実は厳しかった。
俺はどうするのか
正直に言う。俺も怖い。この業界にいて、毎日の経営を見てて、人口減少の波を感じてる。
俺は30代だ。妻と娘がいる。スタジオは給与をくれるが、それが10年後も保証されるとは思わない。
だから、俺は動いている。副業の検討。スキルの習得。転職活動の準備。小さく、慎重に、でも着実に。
父親の失敗を見てるから、同じ轍は踏まない。ブームが続くなんて思わない。市場が戻るなんて期待しない。
スタジオを開く奴を否定する気はない。でも、それが最適な選択か、本当に考えたのか、という疑問は残る。
最後に
この記事を読んでる人の中に、スタジオ開業を考えてる奴がいたら、ちょっと待て。
市場規模、人口推移、個人事業主の成功率、10年後のキャリア。これらを冷徹に分析してから、決めろ。
夢は大事だ。でも夢の代価を払うのは、お前だけじゃない。妻もいるなら、妻も払う。子どもがいるなら、子どもも払う。
俺はこれ以上、同じ構図の失敗を見たくない。
自分のことはいまだにオタクだとは思っているけど、もうグッズとかほとんど買わないし映画何回も行く!みたいなのもあんまりやらない
相当気に入った映画を2回見に行くくらいは今でもするし漫画も読むしアニメも気になれば見る
で、友人は今でもガンガングッズ買うし映画何回も行くし2.5次元舞台とかも行く
高校〜社会人なりたてくらいはオタクとしての熱量も趣味も似通ってて何も問題なかった
でも最近興味関心がだんだんずれてきて昔ほど楽しく過ごせないなーと思うようになってきた
劇団四季に誘ったら「2.5次元の舞台なら行く」と断られたり、映画に誘ったら「それ見るんだったら鬼滅の映画に行きたい(友人は既に10回くらい見てる)」と言われたり、一緒に博物館に行って展示を見ていたら「まだ見るの?もう出ようよ」と言われたり、美術館の特別展に行きたいと言ったら断られたり
鬼滅に関しては、そもそも友人に最初に勧めたのが私だったからというのもあるんだろうな
なんか書いてて思ったけどもう縁の寿命かもしれん
絶縁する!ってほどでもないけど、こっちから誘うのはもうやめるか…
https://note.com/bold_iris9784/n/n65ab20e130d3
このnoteは後知恵であり、リアルタイムで支持する理由を考えてる人は少ないです。周りの人間が推してるから自分も、、、と感化されていきます。そして今のインターネットでは調子のいい人はみんなインフルエンサーと絡む機会が多く、切り抜き動画でも応援されます。商売のためにです。みんなそれをみて「周りの人が推しているからわたしも」くらいの感覚で他人を模倣することで推し活を始めます。あとは推し活にコストをかければかけるほど後戻りができなくなります。
実際はなんとなく推してて、推してるうちにのめり込んでしまった人がほとんどです。最初から自分の意思や思考なんかない、惰性だからこそなかなか覆らないのです。よく石丸のアンチの人たちが、理性的に石丸さんのダメなところや言ってることの誤りを指摘します。これはもともと理性がある人が石丸にハマることは防げます。でもいまだに石丸さんを支持してる人はもともと理性で判断して石丸さんを支持してるわけではない。洗脳されてるわけでもない。ただ何も考えていないだけの人は周りの空気が「石丸支持するのはだせえよな」とならない限り変わりません。幸いに石丸さんはもう政治家としてはなんの成果もあげられない状態が続いているので、リハックさえ取り上げなければ消えていくでしょう。
一方で大阪維新はその点において、わたしは好きではないけど、現実的だなと思います。「なんでもいいから成果をもたらす」ことに貪欲です。結局普段の言動なんかどうでもよくて、何かしらの成果をもたらしてる限りは支持者は逃げたりしないことを非常によく理解しています。大阪維新の会に対して、取材不足さんみたいなアンチの人がいくら頑張ってダメな発言を取り上げ続けても無駄です。小西さんが言ったように「でもあんたその場での口は達者だけど全員落選させたじゃん。安芸高田からも逃げたじゃん。ろくに成果出てないじゃん」とは言えないからです。
つまり何が言いたいかというと人はなんとなくで石丸伸二を応援してしまうくらいには馬鹿だけれど一方で、いつまでも成果をあげられずに口だけの石丸伸二を「政治家・元政治家として」支持し続けられるほど愚かでもないというただそれだけの話ですね。