はてなキーワード: BtoBとは
この投稿は一見「ありそうな転職体験談」ですが、**釣り(虚偽投稿)**として見抜かれるリスクは多くの箇所にあります。
以下に「不自然点」と「読者・専門家に嘘を疑われる根拠」を分解して説明します。
投稿内容
前職は売上200億ぐらいの上場企業
給料は700→550万に下がった
嘘がバレるポイント
売上200億円規模の上場企業は「東証スタンダード・グロース」レベルが多く、営業マネージャー職でも年収700万円は高め。
「マネージャー」という肩書きが曖昧。中小上場企業なら「課長代理」程度の役職をマネージャーと呼ぶことも多く、企業規模と報酬水準の乖離が発生。
さらに「降格で150万減」は具体的すぎてリアルに見せようとしており、逆に「釣り特有の演出臭」を感じさせる。
📉 リスク:企業や業界関係者が読むと「この規模で700は盛ってる」と即気づく。
6月ぐらいから始めて4か月かかった
40代・営業マネージャー層で4か月・2社受けて1社内定は成功率が高すぎる。
しかも「スカウトが多かった」と言いつつ、応募・面接数が極端に少ない(普通は20〜30社動く)。
📉 リスク:転職経験者なら「4か月で実質2社受けて1社内定?」と違和感を持つ。
有料会員制のビズリーチ経由エージェントが面談後に音信不通2社は稀。
→ 企業側の「釣り要件」が変わることはあっても、完全無視はあまりない。
「失礼な話だと思った」など感情を強調し、共感を引く作文構成になっている。
📉 リスク:実際の転職エージェント経験者が読むと「そんなケースはほとんど無い」と即座に気づく。
文体からは30代前半〜中盤の語り口(「やった」「~かなあ」などカジュアル)
なのに読者対象が40〜50代。
📉 リスク:実年齢層の雰囲気と一致しない文体(「リアルな年代語り」を再現できていない)。
🧩 ⑤ “リアルすぎて雑”な箇所
→ 本当に実話なら「営業職でBtoB中心でした」とか多少触れるもの。
📉 リスク:実体験者の文章として「描写の密度バランス」が嘘くさい。
「結論として啓発メッセージに着地」しており、実話というより釣り or ステルスマーケティング調。
特に「ビズリーチ」「LinkedIn」の名指し使用は、プロモーション文構造に近い。
📉 リスク:読み慣れた人が見ると「広告っぽい」「釣り針が見える」と直感する。
落ち込みエピソード→励まし→内定→教訓という構成が、ブログテンプレそのもの。
📉 リスク:「体験談としてのノイズが無さすぎる」「作文っぽい」と判断される。
✅ まとめ:「嘘がバレるポイント」要約
給与・企業規模 上場・200億・700万が釣り合わない 業界経験者
でも、あれって結局経営者がクズなんじゃなくて、消費者がそれを許さないってことなんじゃないのか?
だって人員を増やせばどうやったって最後の販売価格にその人件費が上乗せされるだろ?
そうすれば消費者は怒るか買わない。
人を増やさなかったら価格は維持できるけどワンオペみたいなことになって消費者は「対応が遅い」とか「サービスが悪い」とか文句を言って結局来なくなる。
経営者なんて所詮は消費者の奴隷なんだから、消費者がその企業の従業員が欲しい給料と待遇分の費用を出してあげないと循環として無理じゃね?
「それを工夫するのが経営者の手腕」とか言いたいけど、業態とかでは価格を上げる以外に経営手腕でどうにかなるレベル越えるだろ。
海外行くと日本のサービスや品質の良さに改めて気がつくけど、そもそも日本の今の「低価格で高品質なサービス」が異常で、自分たちで自分の首を絞めてることにそろそろ気が付かないと日本、やばくね?
BtoBも最後は消費者に行き着くんだから、やっぱり消費者全員がアホだから風邪で休めないし、代わりの要員を入れてくれるklとがないし、給料が上がらないんだと思うわ。
日常で困り事があったことを増田に書いたら「お前が死ねば解決するんじゃないの」とトラバがついた
「なんでそんなことを言うの?」と返信したら削除して消えてしまった
次は自分の話ではなく別の人の話
ITサービスを提供している会社に務めているという増田が、最近多数の客から「AIを使って安く仕上げて」と要求されて困る、と書いた
そしたらトラバで「クソ客は切り捨てろ」と返信が付いた
それに対して自分は「個人事業ならまだしも、BtoBでそんな営業は現実的ではないのでは?」と返した
そしたら削除して消えてしまった
炎上して多数からタコ殴りにされたので投稿を消す、ならわかるけど
増田がどういうバックグラウンドの人か知らないから、一応IT界隈でずっとやってきた人間から言わせてもらうとだね。
だから増田の言ったCD-ROMとかCD-Rとかが覇権取ったのはそういうこと。
MIDIもローランドが作ったようなものなので、まあ、日本人が作ったと言ってもいいだろう。
フィーチャーフォンも、最後の方はKDP+とかでぐらついたけど、やはり物理のブツという意味では良い仕事してた。
ところが、風潮が変わったのはiPhoneショックだよね。
スマホが浸透してから、あらゆるものをある程度企画化されたデバイス上で、
ソフトウェアで何かを実現する、っていう方向に変わってしまった。
そうなると、それまでブツを作ってた奴らは、プログラミング言語を覚えないといけなくなる。
プログラミング言語は英語ベース。また、抽象化されたシステムの理解が必要になる。(物理の要素が限りなく少なくなる)
例えばアメリカの外交官が赴任先の言語を学ぶ研修で、日本語が一番研修期間が長い。
つまりそれだけ、我々はプログラミング言語を学ぶのに不利なのだ。
だから、理屈で言えばアメリカ人やイギリス人が一番有利で、その次にヨーロッパ語圏とかが有利になる。
(それでも知人のロシア人プログラマーは、アメリカ人の方が有利だよな、と愚痴をこぼしてたが)
ここで中国が強いっていうのは2つあると思ってて、
1つは人口の多さ。母数がデカければ、それだけ技術者も多いし、有能な奴も絶対数が増える。
次に、言語。漢字文化だが、文法や構文の構成は英語に似ているので、
あと金門に囲まれて入るものの、深圳等ハードウェアの産地が近いのも有利だと思う。
イランの状況は知らんけど、国際的に孤立してるから、そりゃ自国の産業の育成も必死だと思う。
戦闘機なんか、アメリカやヨーロッパの機体をコピーして自前で改良するぐらいだから、
日本の2008年以降の状況で言うと、まさにこの物理メカだけで戦えてた時代の終わりだと思う。
いつぞやのテレ東のニュースで、アメリカのIT評論家が「日本のデジタルサービスは、BtoCはたくさんあるが、BtoBに見るべきものがない」
でも、それはしょうがない。BtoBはもうMicrosoftに焼き尽くされてしまった。
あとは、日本の商習慣に合わせてカスタマイズするSaaSしか残らない。
日本は中途半端に大国だから、国内のマーケットで満足しちゃう、ってのもある。
逆にアメリカ以外のデジタルモノで、他の国から出てるものある?
なんせ、漢字、ひらがな、カタカナがあって、変なマナーや因習、複雑な帳票が大好きな国が、
それらで思考したものを、一旦英語に変換してプログラムを書いてくって、
そんなのアメリカの英語ベースで考える奴らと比較したら、数倍も差が開くのは自明なんよ。
もっとも、国が厳しい規制をしなかったから、今の楽天とかヤフーLINEとか使えてる、ってのはあると思うんよ。
善かれ悪しかれ、日本、日本語、日本という文化で島国という特性から、とりあえず「日本国内」って枠組みの中で生活しがちな我々なんだけど、
ネットで繋がった瞬間から(厳密に言えば、1994年?)グローバリゼーションはグッと近づいていて、
これからはもっとシステム工学とかを意識して、柔軟な発想でデジタルビジネスを思いつく奴が増えたら、
また日本発グローバルスタンダードな製品が生まれるかもね。
この前バイトしてる居酒屋にタイミーのおっさん(40代前半。幼い顔をしている)が来た
休憩室で雑談してた時に
そのおっさんが「普段は〇〇(BtoBの中堅商社)で働いててさ〜。休みの日は社会見学にタイミーしてるんだ」って言った
くすくす🤭となった
「タイミーさんwタイミーは週の累計労働時間が39時間以下の人しか利用できないんだよ?」
「労働時間は各事業所ごとに通算されるから、私たちはタイミーさんの就労時間を把握する義務があるのよ(労基法108条、労基準施行規則第54条1項の5)。把握しなかったら罰金刑」
「とりあえず働いてる〇〇にタイミーさんの週の労働時間を確認するね」
「あとうちの居酒屋は最低賃金を上回っているけど、最低賃金*1.25倍より下だから、もしタイミーさんが副業で超過勤務扱いだったら、最賃法第40条違反になるから差額を払うね」
「その場合あなたに支払う報酬も変わるからタイミーへ支払う手数料も変動するのでとりあえずタイミーの方に連絡入れとくね」
おっさん、顔真っ赤になってたw
久々の休みなので、ダラダラとチラシの裏するぐらい許してほしい
みなさんも学校なり職場なり地域コミュニティなりのどこかで会ってきたであろう、「ただ居るだけで、周囲をカリカリさせる天才」である。
自分はそういう人たちと過去に職業的にも関わってきており、また現在知財が大きく関わる仕事にも関わっているので、迷彩をかけながらつらつらと感想を書く。
・根幹は、とにかく「今この瞬間」と「みんなそのはずだ」の合わせ技
かつて、「地域で札付きの問題児」という児童~少年を仕事で世話していたことがある。
「地域で札付きの問題児」なんてものが平成後期および令和に存在するのか? というと存在する。した。
その市の警察署は当然に「彼のこと」だと知っているし、通っていた小中の全校はもちろん、近隣数校の小中にまでその悪名は轟いていた。
鹿乃つのさんのような言葉と行動を、何度も何度も、警察のお世話になっても、ひたすら繰り返す少年である。そして彼を全面的に擁護し続ける親たちである。
彼と付き合わざるを得ない中で、私たちは彼に「どこから理解させないといけないか」を突き止める必要があった。
私は当時警察官だったかもしれないし、教諭か医師だったかもしれないが、それは気にしないでいい。
私たちが突き止めたのは、彼は
①とにかく、過去および未来のことを考えながら喋ることができない
②「今」の状況が少しでも好転するなら、過去の言動との整合性や、未来への布石などは完全に無視して喋る
③自分がそうであるから、世の中のすべての他者(同年代および大人)もそうであると思っている
という、強烈な傾向があることだった。
①について特段説明する必要はないだろうが、程度には触れておく。
とにかくその場その場で、「耳聞こえのいい言葉」を連発する。ただ、それが1日前とはもちろん、15分前の言葉とも矛盾している。
また、そのような状況なので、「今」発せられた言葉は数秒後の彼の言動を縛らない。
「外国人差別はいけないと思う」としゅんとして言った15分後に、ただ道を歩いていただけの外国人に「○人死ね!キモイ死ね死ね!」と叫んでトラブル発生で電話がかかってくる。そういうレベルである。
②についても、程度とその影響に触れておく。
卑近な言葉で言えば、対峙者の強弱から顔色をうかがい、「その場凌ぎの嘘をつく」とか「数分前の発言と真逆のことを言う」などである。
例えば数分前に、堂々と私たちの目の前で他者を「なんかムカムカしたから」と殴っていたとする(捕まった後でも、隙あらばで殴るのだ)。
そしてその殴打の数分後に、「人を殴ってはいけない」と言われると「殴ってなんていない」と言う。
「私や他の人々は、君があの人を殴ったのを見ている」と言うと「……?」となる。「……?」の表情は(なんでわかるの?)だ。
一般市民からすると「なぜそんなバレバレの嘘をつくのか」「なぜバレバレの嘘をついて、自分の立場を悪くするのか」とうんざりすることが、毎時間起きる。
彼は、「なぜ嘘がバレるのか」と「なぜ整合性と言われるものを他者が気にするのか」を、いくら説明しても理解できなかった。
過去やこれから先のことと会わせて思考・判断するとか、発言をするとか、そういうことが困難だった。
そして自分がそうなのだから、世の中のあまねく他者はすべて「当然そうである」と確信していた。
だから、私たちが「また、数分前に言ったことと逆のことを言ったね?」と突っ込むことを、超能力者を見るように見てきた。
もちろん、そんなことは彼の周囲にいる人は誰でも気付いている。
ただ、あまりにも息を吸って吐くようにその場凌ぎの嘘を付き続けるので、「そうだねー」と話を合わせて、誰も相手にしていなかったのだ。
そういう人の方が圧倒的多数派だったから、私たちのように「彼に事実を指摘する人」は少数派だった。
それが彼には、超能力者のように見えていたらしい。
また、癖としては「フィクションの英雄の言動をなぞり、自分を悪に逆らう偉大な英雄だと思い込む」という癖があった。
少年漫画の悪者を暴力でぶっ飛ばすシーンを根拠に「悪いやつだから、○○○(少年漫画の主人公名)みたいに殴ってわからせてやった」と言う。
この悪いやつというのは、「廊下ですれ違ったときに、ヘラヘラ笑っていた新入生」というレベルである。
目についたら殴るレベルであり、それを彼は大好きな少年漫画の○○○的行動であると解釈していた。
そして彼に説教する公的機関の関係者(大人)たちを、「悪を見逃す悪いやつだ」「親以外の大人はみんな悪だ」と見ていた。
「万引きをしてもバレなければ法律には違反していない」からスタートし、
万引きで店員に腕を掴まれても「不当逮捕だ。警察しか僕を捕まえられないのに」と言い、
警察を呼ばれても「警察が来るまでは法律違反じゃないから、帰ります」と真顔で言う。
当然、いじめもする。
暴力をちらつかせたり暴力をふるった後に恐喝をする際、「このお金は、君が僕にあげるんだよね?」と必ず言質を取る。
後々事実関係を調べれば、誰がどう見ても恐喝である。普通に何発も殴っているケースもあった。
当然、警察のお世話になる。
だが彼は「言質を取っている」と不良どもが浮かべるニヤニヤは、浮かべない。
「彼がくれるって言いましたよ?」「彼は、僕にお金をくれる友達なんです」と真顔で言う。
前述の①~③とあいまって
「彼と僕のことを勝手に決めないでください」「彼は僕のことが嫌いになったから、嘘をついたんだ」などと言う。
そして、留置所に送られた後も「僕の言うことを信じてくれない大人も社会もクソだ」と、本気で思っている。
疲れる。
関わる者が、みんな疲れる。
疲弊していく。苦しんでいく。
彼ほどでないにしても、鹿乃つの氏の言動を見ていると、彼を思い出す。
なんか、個人の感想として、とてもと似ているな、と。
倍率は当然に1倍以下で、名前を書いてわずか数分の儀式的な面接を受ければ受かるところである。そこで落ちた。
詳しくは知らないが、面接会場で「目のあった同年代」を「なんかむかつく、悪いやつ」として殴ったとか非難したとか、トラブルを起こしたのかもしれない。
というか、ルールを守るという意志もないので、そもそも試験を受けに行かなかったのかもしれない。
それでも、彼は言うだろう。
「悪いやつを○○○みたいに正したのに不当に落とされた」とか「試験に行かなかったぐらいで落とされた」とか。
「こんな社会間違っている」、「人を勝手に決めつける社会は最低だ」、「こんな社会は変えないといけないですよね」とか。
少し話は変わるが、私は転職して、今は山手線および中央線の沿線で、IPを扱う仕事にいる。
はっきり言って、鹿乃つの氏のことはあらゆる取引先(版元と推察してくれてかまわない)が知っているし、会議前のアイスブレイクの際には「ありえない」「許せない」「絶対に関係を持ちたくない」という話題が飛び交う(※実際の言葉はもっと直裁的である)。
私が会ってきた複数社の関係者の中に、ベテランも新人も含めて彼女の言動を肯定的に捉えている者は一人もいない。
ベテランなら肯定することはありえないし、もし新人が少しでも擁護を見せていたら、人に会わせる前に当然に指導が入るからだろう。
私がどのようにIPを扱っているかの詳細は伏せ、一般論として話せる範疇で言うが、クリエイティブの本質は権利ビジネスである。
真実を話しても夢を壊してしまうだけに思うのでぼかすが、例えばアニメ化した原作漫画作品がゲーム化される際、恐ろしく冷えた綱引きが行われる。
アニメでバズったアニメオリジナルのセリフを、アニメ化まで鳴かず飛ばずだった版元が「これの原作はうちですから、使わないでください」とNGを突きつけることもある。
関西弁キャラがアニメ版で一人称「ウチ」でバズったとき、漫画原作側で一人称が「私」だと、ゲーム化の際にはその声優さんに「私」で読ませたりする。
なお、声優さんは制作委員会(アニメ版)の座組で関わっているので、ゲーム化の際は出版社は個別に声優事務所と契約を結び直す……
などなど、IPビジネスに関する企業間の綱引きは「部分的に許可が降りていても」「膨大な権利使用料を払っていても」「広義のビジネスパートナーでも」これほどまでに熾烈なのが当たり前だ。
正直「一次創作者も二次創作者に敬意を払うべき」とか「もっと二次創作が自由にできる発展的な世の中になるべき」などの主張は、プロであればプロであるほど、全てのプロにおいて抱腹絶倒ものである。
本当に、やめた方がいい。
あるIPが、数百万円~数千万円を払って他社IPとコラボさせていただいたとき、それだけの契約料を払っていてなお、その監修は鬼のように厳しい。
コンテンツビジネスとはIPビジネスであり、すべてのコンテンツホルダーが超絶絶対NGとすることは「IP毀損」だからだ。
今の私の仕事で、IP毀損をしてしまって部署を変えられた者、職を辞した者、損害賠償を請求されてしまった会社は、珍しくない。
Xで表面化することが全てではない。むしろ、BtoBでは表面化しないまま、係争や精算が行われていることの方が圧倒的に多い。
正直、公式IPで仕事をしている者としては、同人誌の二次創作ですら「人類の持つ奇跡的な優しさ(お目こぼし)が発揮されている」としか、今は思えなくなっている。
その奇跡的な優しさからこぼれることをしているとき、「版元が来ない間は許されている」わけではなく「版元は着々と準備を進めている」のである。
静かに無言のまま内容証明は送られ、ある日いきなり届くのである。ライツを扱う部署には、それ専門の担当者がいる。
というか、IPを扱う部署では業務の基礎教養的入り口として、国家試験である「知的財産管理技能検定」を取らせるところもある。
鹿乃つの氏の著作権認識では3級合格も遠く見えるが、彼女はこの国家試験の内容すら「間違っている」「弾圧的である」」「撤廃された方が発展的なよい世界になる」と言うのだろうか。
年に3回も実施されているので、鹿乃つの氏は「実業社会の当たり前の著作権の世界」を垣間見る機会として、テキストを買って勉強されるのは有効だと思う。
そして、Xで自身の発言を見ている人たちの中には、2級や1級を持っている「無名の普通の人」もゴロゴロいるということも、受験者数の統計と合わせて認識できれば、なおよいと思う。
山手線沿線で知財を扱っている会社なら、議員の対応など「日常業務」である。
むしろ、つながっていても全然メリットがないのによくやってくるものだから、「面倒くさい仕事」として新人たちに「怒らせないように、テキトーに応対といて」という業務である。
新人たちも、時間を取られるだけのうんざりな仕事の一つとして嫌々である。
なぜかと言うと、彼ら彼女らは繁忙期以外は年中人と会って話すのが仕事であり、それゆえにもっともらしく話したことの200に1つも具体的に動かし始めない。
たかだか議員の1人と、呼びつけて数時間一緒に食事をしただけで、「自分には議員がついている」などSNSで自慢気に言ってしまうのは、今年一の共感性羞恥であった。
同僚たちも、数年目の若手たちも「うわぁ……」「きつい……」である。
あの程度の「日常的な、まず空振りの雑事」程度のことを自慢してしまうことが、逆説的に氏がIP業界(というか山手線や飯田橋~神保町辺りにオフィスがあるホワイトカラー界)とあまりにも縁遠いことを証明してしまっているのだ。
山手線周辺で、大なり小なりIPが業務に絡む範疇で働いている人を全員合わせれば5%として85万人ほどいるだろうか。
私の見立てでは、約85万人の正式なプロが、恥ずかしくて耳が真っ赤になるレベルのことをしてしまっている(そして皆賢いので当然対面以外で誰も言わない)ように思うので、今後は本当にやめた方がいいと思う。
人には、向き不向きがある。
絶望的に向いていないところで英雄たらんとすることは、革命家たらんとすることは、生涯において継続的に自らの生を不幸にするだけだ。
BtoBとBtoCを一緒にしてる時点で頭悪そう
SNSで「このドレス、元AV女優が着てたからちょっと嫌」と言った投稿が、「職業差別だ」と激しい批判にさらされている件。
もちろん、SNSという場で発言すれば、反応があるのは当然です。
思慮が足りなかったかもしれないですし、感情的だったかもしれない。それでも、それが本当に「差別」だったのでしょうか?
「国内の後撮りで着ようと思ってたドレスをAV女優がイベントで着てて最悪。このドレスはとあるスタジオのオリジナル衣装だからここでしか着られないし、本当に楽しみにしてたから靴とか小物自分で揃えてコンセプトも練ってたのに。AV女優に貸すって知ってたら契約しなかったんだけど〜どうしよ。 」
この投稿がここまで強い批判にさらされるほど、問題のある内容だったのでしょうか?
私は、そこまで強い批判を受けるような内容には思えないと考えています。
この違和感から、いくつかの論点を考えてみたく以下に列記します。
■「嫌」と感じることすら許されないのか?
消費者が、ある商品に対して嫌悪感を抱くこと、それ自体はごく自然なことではないでしょうか。たとえば、ある芸能人やインフルエンサーが着用しているブランドの商品を「嫌だ」と思う人は少なくありません。むしろ、広告やプロモーションというのは、その“誰が着ているか”を含めてブランドイメージを形成しているわけです。
それを「元AV女優が着ていたから嫌だ」と感じた途端、「職業差別だ」と糾弾するという構図は、少し違和感があります。なぜAV女優だけが、感情的な忌避を表明された瞬間に「差別」という言葉で封殺されなければならないのでしょうか。
■「AV=売春」とは言えない。でも構造を無視しすぎていないか?
根本的な論点として、「AVは売春ではないのか?」という論点があります。
AV出演そのものは建前上は合法な労働です。売春防止法に違反しているとは言えません。
「芸能」や「演技」の名の下で、売春ではないと形式的には整理されています。
ただし、形式上は「撮影」であっても、AVの多くが実際の性行為を含む撮影であり、実際には金銭を受け取りながら性行為をしており、「買春的構造」に近いし、実質的には売春に類する営みと見なされても仕方がない部分があります。
もちろん法的には、売春防止法の抜け道を通して成立している業界ですが、その建前と実態の乖離に違和感を持つ人がいるのは自然なことではないでしょうか。
「AVは売春だ」と断定するものではなくとも、あくまで倫理的・構造的に“買春に似た側面がある”と感じる消費者がいたとして、それは法的な誤解ではなく、価値観や感受性の問題として理解されるべきではないでしょうか。
そこに忌避感を持つのは「職業差別」ではなく「違法行為に対する嫌悪」とも言えるかと思います。
「合法とされているが実態はグレー」という構図は他にもあります。
たとえば、パチンコの三店方式は、景品を第三者が買い取るという建前でギャンブル性を隠しています。
また、風俗業界では「入浴介助」「自由恋愛」などと称して実質的に売春に近い行為が行われるケースがある。
形式を整えさえすれば実態は問われない――というロジックが成立している分野において、その実態に着目して拒否感を示す人々の感覚を「差別」と決めつけてよいのでしょうか。
「純粋まっすぐな純情君かよ、世の中そんな綺麗事で成り立ってないよ~」という向きもあるだろうが、だったらなおのことグレーを忌避する毀誉褒貶を
殊更に「職業差別女」とあげつらうのは何なんだよとなると思うが、いかがかなと。
そもそも「職業差別は許されない」は、正論に見えて実際には例外があることを失念してないか?
暴力団排除条例では、反社会的勢力と関係のある職業や個人は契約から除外される。これは法的に正当な「職業差別」だといえる。
この暴力団排除条例は、暴力団関係者であることを理由に、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用まで制限できる。これはれっきとした「職業的属性による差別的取扱い」だが、社会的には正当化されている。
そして現実には、風俗やAV業界も、過去には反社との結びつきが問題視された歴史がある。
業界の大多数の人がそうではないとしても、かつ、現時点では業界が健全に努めようとしているとしても、かつて「関係があるかもしれない業界だった」と思って忌避することを、一律に「差別」と決めつけるのは、あまりに乱暴ではないか。
まだ払拭しきれていないそれらの背景をもったイメージによって反社と同様に警戒や忌避されるのは、他のブランドイメージ嫌悪とは一線を画す部分もある。
まあ、何にしろ現在の日本は基本的人権すら制限を反社に対して架す職業差別が合法という犠牲の上に築かれている安寧があるという状況をみんな忘れて議論するなよ、と。
AV出演者の子どもが差別はされてはならないとおもうけど、現状だと反社はその子どもも差別的な扱いの犠牲に巻き込まれているのだから。
今回「職業差別」だと言う言葉で批判する側の発言した人は、忌避感表明程度で強い言葉を使うなよ、とも思う。
現在の日本には法的に規定されたガチの職業差別が憲法第14条「法の下の平等」との関係で問題視している考えだってあるんだぞって。
職業差別ゆるさんと吐いた人は、暴対法と暴力団排除条例どうおもってるのかな。
近年、「売春する側を責めるのは職業差別」という意見も出てきている。
しかし、違法行為である売春を、“職業として肯定すべき”とまで主張することには疑問が残る。現在日本には公娼制度はないのだから。
私は男性で、買春行為に手を染めたこともないし、それは避けてきた。
その立場から見ると、法的には売春行為は明確に禁止されているにもかかわらず形式を整えて実態を正当化する人などが、忌避されてるので「職業差別だ」と反論しているのだとすると、その構図には違和感がある。
「違法性のある行為に対する批判すら封じようとする」主張になってないか。
ある特定の信条からすると蔑まれる行為を行った人への社会的な批判や忌避感情は、差別とは別次元の倫理的・法的なフィードバックだと考える。AV出演者の子が「親の因果が子に報い」的な蔑視を受けるなら差別だけど、本人の責任ある行為の結果で第3者に好悪の感情をもたれるのは
とはいえ建前であれ適法に運用されており、かつ、法的な反社組織と何ら関係のない人が職業や門地によって、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用制限とかが起きそうになっているならそれは明確に阻止する側でありたい。
■職業としてのAV出演を隠して一般社会人として活動している状況で、過去を暴かれて叩かれるのは問題があると思う。
AV出演歴を隠さず、同一名義でキャリアを継続するのは勇気のあることだと思う。
隠してないのはある意味ではとても誠実かもしれない。
例えば、声優がエロアニメに出るときに別名義を使ったり、漫画家がエロ同人を別ペンネームで出すことも、「見られたくない、でも仕事としてやった」ことを社会がある程度容認してきた例だと思う。
一方で、同一名義で堂々とAV出演歴を公開し続けるなら、過去の仕事によって起用された商品や作品に対して生まれたその人物の“イメージ”で忌避されるのも、ひとつの社会的反応であり、それをただちに「差別だ」と糾弾するのは、やはり無理があると思うよ。
AV女優が同一名義で芸能やモデル業に進出し、過去の仕事を隠していない場合なのだから、それを理由に消費者側が忌避することは「職業差別」ではなく、パブリック・イメージの受け止め方の違いとして普通にありうる。
抱かれたくない芸人とかで、ある意味お笑い要素に本人達がしているから許されているかのような印象をもっているかもしれないが、芸人が特定ブランドを愛用しているとかに対して心ない発言はこれまでよく見たはず。それを「芸人に対する職業差別だ」とか批判したことないでしょ。
芸能・表現者として過去の活動と現在の活動が地続きである以上、「ブランド全体」として評価されるのは避けられない。
だからといってその人の人格まで否定するのは行き過ぎだが、関連した商品が「選ばれないこと」まで否定するのは、やや一方的に思える。
消費者が忌避感を持つのは当然の自由だし「(元)AV女優がモデルに使われた」という情報を知って、その商品に距離を置く。
それは“職業”を理由に差別しているというより、過去の出演歴が与えるイメージによって「自分が身につけるには合わない」と判断しているだけだとおもう。
たとえば「ジャニーズ(旧ジャニ)タレントがCMに出ていたから不買する」という行動や、「インフルエンサーが紹介してると逆に買いたくなくなる」といった反応だってある。
■「それは職業差別だ」と言えば、どんな違和感も封じ込められる――
そんな風潮が広がっているように見えてならない。
でも本当にそうだろうか?
ジャニー喜多川の件で、忌避されるのは事務所そのものだった。広告にタレントを起用すること自体が批判の対象にもなった。
芸人が出ているだけで「買いたくない」と思われることもある。タレントやインフルエンサーが身に着けている商品に「ステマだ」「信用できない」と不信感を持たれることもある。
それでも誰も「芸人差別だ」「インフルエンサー差別だ」とは言われていない。
実際、最近オープンしたテーマパーク「ジャングリア」でも、インフルエンサーによるPRや発信が議論を呼んでいる。
彼らの投稿に嫌悪感を抱いた人は批判的なコメントしている。しかし、その際「インフルエンサーを批判するのは職業差別だ」といった声はほとんど見なかった。
感情に基づく忌避や好感は、どの職業にも付きまとう。特に芸能・表現者として舞台でやっていく場合は、消費者への好悪の感情がブランディングに資するBtoB商品でもあるのを理解して表にでているのだから。
それらを“ブランディング”としてどう受け止めるかは企業や消費者の自由であり、「嫌」という感情そのものまで規制しようとする空気は、むしろ“自由な社会”とは言えないのではないか。
それなのに、AV女優だけを「特別扱い」して、少しでも違和感を示しただけで「差別だ」と決めつけるのは、公正な姿勢と言えるのだろうか?
最近では、表現規制についてもクレジットカード決済会社が「性的」「暴力的」「フェティッシュ」なコンテンツへの決済を一律に禁止しようとする動きが問題になっていて、多くの人が反対していると思う。
ただし、その表現内容が社会からどう見られるか、という評価(毀誉褒貶)まで「規制だ!差別だ!」と主張するのは違う。
表現した以上は、批評・批判されることは避けられない。批判が来たら再反論すればいい話で、それは健全な言論空間のあり方の一部だと思う。
「批判された=規制された」「不快に思われた=差別された」という論法は、言論空間をかえって狭めてしまうのではないでしょうか。
嫌悪感情はAVに限らないし、なぜこのケースだけ「差別」なのか?は明確に批判者側が自省して向き合うべきだと思う。
この「嫌だ」投稿を差別だと断じる人たちは、AVというカテゴリにだけ特別な保護を与えようとしていないでしょうか。
結局、芸人でも、インフルエンサーでも、タレントでも、商品やブランドを「誰が着たか」「誰が使ったか」で好悪を判断するのは消費者の自由です。AV女優という存在に限ってその“好悪”の表明を封じようとするのは、むしろ不自然ではないでしょうか。
ジャニー喜多川問題のように、過去に問題のある人物と結びついた企業やブランドを避けるという行為は、フジテレビを例に出さずとも、今や一般的になっています。広告に誰を使うか、商品に誰を起用するか、広告媒体側の評価、というのは消費者の印象形成に大きく関わるものです。
それに対して「嫌だ」と感じた人が、それを素直に言葉にしたとき、職業差別という重いレッテルを貼って糾弾するやり方は、本当に健全な議論なのでしょうか。
表現者には表現の自由があるように、消費者にも感情や価値観を持つ自由があります。感情や違和感があったとき、それを表明することが即座に「差別だ」と決めつけられる空気は、言論空間の萎縮に繋がると感じます。
表現規制を過剰に求めたフェミがおかしいとか言っていた人が、今回の件では同じような行動をとってトレースしてないか?
ジャニー喜多川問題の時に暴れたジャニオタを嗤っていた人が、「職業差別だ~」で同じような行動に陥ってないか?
「嫌だ」と感じた個人の感情をすぐに「差別だ」と糾弾するのは、本当に守るべき“差別されている人”への関心すら薄める危険があるとおもう。
それを「思ってもいいけど、言ったらアウト」と言う社会が理想だろうか?
差別とは、もっと構造的で、もっと暴力的で、もっと絶望的なもののはずだ。
内心の自由とそれを発言することは分けて考えろとか、言ってる向きの人は、クレカの表現の自由規制の問題になんてコメントしてるの?
職業差別女って強い言葉でレッテル貼って発言者を潰せれば、表現の規制が達成できれば満足なのか?
■余談
職業の貴賎はあるとおもうよ
医療介護福祉系の家族・親類が多いなか、いわゆるエンタメ系の業界で働いてるから思うけど
それでもエンタメの笑いや感動が勇気や希望を与えるんですって思うのは良いし、それでプライドを保つのも勝手だけど、エッセンシャルワーカーの人らに劣らず偉いんですって思ってるならダサいし、恥ずかしいからってだけ思う。
面白いと思ってもらったら勝ちとか、笑わせたら勝ちとか、歌や演技で感動を起こせればそれでいいとか
社会的地位をもとめるのは基本的人権とか自分と家族のプライバシーが必要最小限で守られてればよくない?
差別ってそういう領域まで踏み込んでくるものであって、人権確保された上での毀誉褒貶はつらいけどあるよね。社会人なんだし。
※なんか頭のなかのもやを発露しただけの、駄文です。全部自戒です。
最近、生成AIの普及で質の低いコンテンツがめちゃくちゃ増えてる気がする。新しいツールやテクノロジーが出るたびに、表面的なチュートリアル記事が量産されて、検索結果がノイズだらけになってるよね。一部の専門家だけがアクセスできた情報を一般化すること自体は良いことなんだけど、問題は内容の薄さ。公式ドキュメントにAIで質問すれば、もっと適切で完璧な情報が得られる時代に、わざわざ劣化版のチュートリアルを作る意味ってあるのかね。
求められてるのは基本的なセットアップ方法じゃなくて、それらを使った独自の実践例や実験的な活用事例だと思う。そこにその人らしさや独自の価値が生まれるんだよね。
AI技術の進歩で、エンジニア界隈は今めちゃくちゃカオスな状態になってる。AIに批判的な既存エンジニア、AIコーディングを全面的に受け入れる層、AIによる新規参入者への反発、日々変わるベストプラクティス、短期間で陳腐化する専門性など、色んな思惑やイデオロギーが交錯してる。
それに、それぞれが住んでいる生態系やクライアントの特性、業界特性、背景、生まれた背景、国や言語なんかによって全然違うじゃん。例えば大企業がクライアントの場合は、当然そうじゃないところよりも色んな要素が多くなって複雑性が高い。一方で、そうじゃないところは煽り合戦だったりストーリーテリングみたいなのが大事だったりする。昔からよくある、ベンチャーvs大企業みたいな構図。だから、それぞれがいるポジションが全然違う中で、ああだこうだ言っても正直意味がない。そこで議論する前に、まずお前らのコンテクストをエンジアリングにしろよって思うわ。
生成AIブームで色んなプレイヤーが参入してるけど、現状を冷静に見ると面白い構造が見えてくる。今の生成AI界隈のプレイヤーって、大体初級レベルの情報商材・教育事業者、中級レベルの教育系AIサービス、生成AIを使った新規事業・起業家みたいな感じに分かれてる。この中で、生成AIネイティブで既存の業界課題を解決する形のサービスも一定数いるんだけど、圧倒的にやりやすくてレバレッジが効いて短期間で利益を取りやすいのは、まだAI利用の環境すら整っていないところの教育分野なんだよね。だから、そういったものへの参入が多い。想像したらわかりやすいけど、まだChatGPT使ったことない人に、ChatGPTの初級編の使い方を教える感じ。使った人はすげええええええってなるじゃん。
一方で、本当にAIや画像生成なんかを使ってユーザーを獲得して収益の上がるサービスを日本国内や海外向けに作っていこうとすると、そこには大きなハードルがある。そこにチャレンジしてる方々もいらっしゃるので、それは本当にリスペクトするし応援してる。なるべくサービスも使うようにしてる。でも、そうじゃない人の新規参入として、AIネイティブなサービスを作るのは本当に難しくて色んな変数があるので、プロダクションレベルで提供するのは困難。だからこそ参入が取りやすい教育系のサービスやコンテンツ販売、また今の時期だとAI動画を使ったYouTubeチャンネルみたいなところが参入しやすいので、そこのプレイヤーも多くなってしまう。エコシステムっていうのはこうして発展していく部分もあるけどさ、視座を高く持とうぜって。
そうすると、参入がしやすいものっていうのはあっという間に飽和してしまうので、そこに成功を求めて向かって行ってもあまり勝ち目がない。もちろん資本が大きい分には参入していって、そこのパイの一部をもらって売上を上げることができるかもしれないけど、微妙と言わざるを得ないかもしれない。何が言いたいかと言うと、AIを使ったネイティブなITサービス、純粋なITソリューション製品・サービスを作るっていうのは非常に難しい。BtoBの領域で言うと既存のワークフローがあったり業界特有の既存サービスがあったりするので、そういったもののプレイヤーたちがAIを組み合わせた方がむしろ効果が出やすかったりする。その業界ならではのAIサービスを0から作っていくような気概がないとそこは難しい。開発者向けのAIサービスっていうのは本当に世界中のエンジニアがある意味競合でもあり仲間みたいな状態なので、そこに挑戦する人々は本当に応援したい。
一方で、そうじゃない人の参入としては、やはり自分のバックグラウンドや強みもしくは隙間がある領域×AIみたいなところで勝負を探す方がいいんじゃないかと思う。その方が競合は少ないし独自の価値を付けやすい。それはWebサービスのみならず、自分のポジションやどの業界を見ようかって価値観の変容みたいなところも必要なんじゃないかと思うし、自分がどうすればレバレッジが効くのかみたいな観点でも有用になるのかなと思う。グローバルニッチって考え方がたびたび目にするけどそれだね。
あとは過去に投じた時間やお金への愛着が、変化の激しい時代では足かせになってしまう「サンクコスト」の概念は重要。これまでの思い込みや概念を一度見直す必要がある。これからは職種の細分化から「大統合」の時代になると考えてる。AIで一人ひとりのパフォーマンスが向上すれば、従来のような細かい職種分けじゃなくて、ビジネス系とバックエンド系、営業・マーケティングとエンジニアリングみたいな、もっと大きな単位での役割分担になるんじゃないかな。職がなくなるんじゃなくて、シフトするだけ。
個人で作る小さなサービスやアプリの多くは、既存のもので代替可能だよね。革新的に見えても、実際は誰かがやらなくても困らないものが大半。それよりも、たとえば日本独自の食文化や自然環境みたいな、時間をかけて積み重ねられた価値の方が、世界的に見てもユニークで重要だと思う。
ちなみに、インフルエンサーが作る情報商材についても思うことがある。彼らが何かコンテンツを作ったとしても、その情報はAIに聞くより古かったり、1ヶ月後には状況が全然変わってたりすることが普通にあり得る。そもそも作られた時点が半年前とかで、現在の状況とは全然違うってこともある。だから、そういうコンテンツに高いお金を払う前にAIに聞いた方がいいし、賞味期限が非常に短いってことは留意した方がいい。
良識のあるインフルエンサーやビジネスマンの人も言ってるけど、AIは自分が得意じゃない専門領域に掛け算して活用した方がレバレッジが効く。また、AIの情報を参考にするにしても、しょぼいティップスを紹介してる人をフォローするんじゃなくて、ちゃんとその業界の第一人者と言われる人たちを調べて、そういう人の評判も聞いて、それでフォローするべきだと思う。もちろん偏りすぎちゃダメだから、戦略的に複数のポジションの人たちをフォローしていくのは良いことだけど、偏りすぎたり変な信者みたいになってると、全く価値のない情報商材にお金を払ってしまって、結局コミュニティや情報商材の餌食になってしまうから注意が必要だね。
資本主義にはバグが多くて、短期的な利益追求が長期的な価値を破壊することがある。ダーウィンの進化論を誤用して「変化できるものが生き残る」って言う人がいるけど、実際は「多様な遺伝子を持つ集団の中で、たまたま環境に適合した個体が生き残った」っていうのが正しい理解。画一化は逆に脆弱性。
最近のSNSでは、他人のコンテンツを使った煽り投稿や、承認欲求を狙った浅いコンテンツが目立つ。コンテンツサービスとかでも稼げる方法として普通にアダルトな要素のコンテンツ販売とかが紹介されたりする。インプレッション=ビジネスチャンスっていう構造上仕方ない面もあるけど、社会のノイズを増やすだけの行為は価値を生まない。カルチャー界隈でも、知的な議論や批評が重視されてきたけど、AIがその領域でも力を発揮するようになった今、「Deploy or Die」の精神で、考えたことは実際に製品サービスにしていく社会に説いていってくれ。そうじゃなくて、いい感じのフォロワーつけて、その中でワイワイやるなのなら、大きいことは言わんでくれ。
あと、これは完全に個人の主観なので悪気はないんだが、SNSのインプレッションを取るための傾向として、演者や自分の顔をデカデカと載せるのが増えてる。正直人間の顔を見たくない。何のコンテンツなのかわかるようにしてくれ。その中でお前の顔が写ってしまうのは仕方ないけど、毎回顔を載せたり煽ったりして、「これなら視聴者がクリックするんだろう」みたいなのを感じ取ったやつは、正直その時点で萎える。
「コンフォートゾーンを出ろ」みたいな話も正直嫌いだな。これも生存者バイアスがかかってる気がする。そういうことを言ってる人も、5年後10年後には完全にそのビジネス失敗することだってあるし、その一瞬の状態で生きてる人が言ってる場合も多いんじゃないかと思う。どちらかと言うと、コンフォートゾーンを出るとか競争だとか努力至上主義みたいなことよりも、単純に一人ひとりの好奇心を大事にしようって方がよほど説得力がある。周りを寄せつけないくらいの好奇心で掘れ。変に資本主義とか短期的な利益に流されないから、世の中的に面白いものが生まれてくると思うんだよね。考えてみろよ、賛否両論はあるけど、ジークアクスはコンフォートゾーンを出ろ論や資本主義を意識して出てくると思う?あんなの子供心と好奇心の産物だろ。まあ逆かもしれんがなw
一人ひとりができることが増えて、アクセスできる情報や知能レベルが爆発的に向上した今こそ、既存の構造を打破する新しい取り組みが生まれることを期待してる。変化の激しい時代だからこそ、本質的な価値とは何かを見極める目が大切だと感じてる。みんな他の人がやってることじゃなくて、おもろいことしようぜ。
某大手外資の下請けで働いてるがプロジェクトのいい話を聞かないため、さっさと転職しようか検討中。
現在フルリモートで年収310万、会社は地方に拠点があるのだが、地方から神奈川へ引越してこの給料低すぎない?となったため、ゆるく転職活動をしようと思っている。
現在の仕事:みんな使ってるあの製品のサポートだよ。BtoBでクライアントと打ち合わせなどもあります。パワハラはなく平和な社内環境だけどカスハラはあるよ。大企業はこわいね。
過去の経歴:RPA BtoBサポート→社内ヘルプデスク(キッティング、AD管理、入退社対応、ちょっとした社内のネットワークの問い合わせやプリンター設定)→今
この業界では珍しいサポート一筋人間です。サポートは嫌い。キッティングが好き。
あんまりステップアップや勉強をするつもりはないし旦那も平均くらいは稼いでて子なしなので、年300万くらいでゆるくできる仕事に転職したい。
都内だとPCキッティングだけで1900円の仕事とかあるけど本当にそれだけもらえるの?
地方だと大手企業が少なかったから社内ヘルプデスクの仕事がほとんどなかったんだけど、こっちだと溢れるほどあるんだね。
うちはBtoBの会社で、営業はスーツを着てるんだけど、スタッフ部門は普通にカジュアルな服装をしている。
おれはスタッフ部門で、ビジネスカジュアルでノーネクタイ、シャツ、少しタイトなパンツ、革靴のスタイルが多い。
一方で横に座ってるダサい服の同僚。
くたびれたシャツの上に田舎の爺さんが羽織るようなアウター、ダブダブのズボン、極めつけはダンロップのスニーカー。
お母さんに買ってもらったんか?
と言いたくなるようないでたち。
お前昨日もそれ着とったやんけ。
トイレとかコピーしに社内をのっしのっしと歩いているのを見てイラッ。
すそ踏んでんじゃねえよ。そのままトイレ行くんか。きたねえよ。
普通に働いていて悪い人じゃないし、仕事は別に良くも悪くもないパフォーマンスなんだけど、服装の不快指数が高いせいで嫌いになってしまいそう。というか嫌いだ。