はてなキーワード: RESTfulとは
2025年、私たちはソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代を現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たちの仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。
この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマの仕事の本質が、歴史上かつてないレベルで抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考を要求されることになる。
本稿では、プログラミングの歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわち「Why(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力の重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略の提示である。
LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。
コンピュータの黎明期、プログラミングとは、計算機が理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業そのものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRAN、COBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマはメモリ管理やプロセッサの動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。
この時代のテストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定の入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジックと実装の詳細が密結合し、コードは特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。
風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間の認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミング(XP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。
TDDの本質は、単なるテスト手法の改善ではない。それは、プログラミングのパラダイムを根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマの意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。
テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーがログインボタンをクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。
この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式でソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャーやビジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである。
TDD/BDDによってプログラマの意識が「What」に向かい始めると、コードそのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンなフレームワークの存在だ。
Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQueryに代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンがクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。
しかし、Reactは「UIとは、ある状態(state)に対する純粋な写像である」という宣言的なモデルを提示した。プログラマがやるべきことは、UIの状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的に更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOMと差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。
この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。
これらのフレームワークやツールは、いわば「特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。
現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマの仕事は、手続きを記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。
フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定の領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域に対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。
前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たちに特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベースで思考し、状態管理の作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。
しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定のフレームワークや言語の知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由な形式で「What」を伝えることができる。
例えば、こうだ。
ユーザー認証機能付きのシンプルなブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScript、UIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドはNode.jsとExpressで、データベースはPostgreSQL。ユーザーはGoogleアカウントでログインでき、新しい記事を作成、編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像もアップロードできるようにしてほしい。
この要求(What)は、特定のフレームワークの流儀に則ったものではない。複数の技術スタックを横断し、機能要求を自然言語で並べただけのものである。しかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベルの要求から、ディレクトリ構造、設定ファイル、APIエンドポイント、フロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。
これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定のフレームワークが存在しなかったニッチな領域や、複数の技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言的プログラミングの恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。
LLMという汎用変換器の登場により、プログラマの生産性は、「いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである。
質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である。
これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーやデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスそのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力(プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。
やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDがテストコードという形式で「What」を記述したように、私たちは自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コードが蒸発していく未来である。
「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。
答えは、明確にNoである。
ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ず「Why(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフの考慮が必要不可欠となる。
簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。
これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストとシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。
LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報が必要だからだ。
これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネスの目標、組織の文化、ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。
ここで重要なのは、これまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。
私たちが技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニアの採用市場が活発だから(Why)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09
2025年、私たちはソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代を現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たちの仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。
この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマの仕事の本質が、歴史上かつてないレベルで抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考を要求されることになる。
本稿では、プログラミングの歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわち「Why(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力の重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略の提示である。
LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。
コンピュータの黎明期、プログラミングとは、計算機が理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業そのものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRAN、COBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマはメモリ管理やプロセッサの動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。
この時代のテストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定の入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジックと実装の詳細が密結合し、コードは特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。
風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間の認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミング(XP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。
TDDの本質は、単なるテスト手法の改善ではない。それは、プログラミングのパラダイムを根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマの意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。
テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーがログインボタンをクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。
この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式でソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャーやビジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである。
TDD/BDDによってプログラマの意識が「What」に向かい始めると、コードそのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンなフレームワークの存在だ。
Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQueryに代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンがクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。
しかし、Reactは「UIとは、ある状態(state)に対する純粋な写像である」という宣言的なモデルを提示した。プログラマがやるべきことは、UIの状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的に更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOMと差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。
この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。
これらのフレームワークやツールは、いわば「特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。
現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマの仕事は、手続きを記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。
フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定の領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域に対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。
前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たちに特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベースで思考し、状態管理の作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。
しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定のフレームワークや言語の知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由な形式で「What」を伝えることができる。
例えば、こうだ。
ユーザー認証機能付きのシンプルなブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScript、UIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドはNode.jsとExpressで、データベースはPostgreSQL。ユーザーはGoogleアカウントでログインでき、新しい記事を作成、編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像もアップロードできるようにしてほしい。
この要求(What)は、特定のフレームワークの流儀に則ったものではない。複数の技術スタックを横断し、機能要求を自然言語で並べただけのものである。しかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベルの要求から、ディレクトリ構造、設定ファイル、APIエンドポイント、フロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。
これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定のフレームワークが存在しなかったニッチな領域や、複数の技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言的プログラミングの恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。
LLMという汎用変換器の登場により、プログラマの生産性は、「いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである。
質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である。
これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーやデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスそのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力(プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。
やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDがテストコードという形式で「What」を記述したように、私たちは自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コードが蒸発していく未来である。
「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。
答えは、明確にNoである。
ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ず「Why(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフの考慮が必要不可欠となる。
簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。
これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストとシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。
LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報が必要だからだ。
これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネスの目標、組織の文化、ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。
ここで重要なのは、これまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。
私たちが技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニアの採用市場が活発だから(Why)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09
とある受託開発の会社を経営してんだけど、まぁ俺が元々フリーでエンジニアやってた時の延長線上みたいな会社でさ。
と言っても、もう20年目で社員は25人で小さいながらもまぁまぁな規模なんだけど、売り上げは安定しないし、給料はうなぎ登りだし。。
5年前にとある製品を俺主導で開発して、毎年本業の受託の30%くらいの売り上げが立つようになっていい感じだったんだけど、
一昨年あたりから売り上げが下がり出して、もう今はほとんど0になってしまい、次の製品の開発が必至な状態なんだけど、
ほとんどの社員は本業の受託で一杯一杯だし、手が空いてる人といえば俺くらいしかいなかったのね。
まぁなんだかんだで、営業もマネージメントも仕組みとしては回ってて、俺はキャッシュフローの管理と、勤怠が悪いような
元々Webエンジニアなので、NodeJSとかReactとか勉強し直して、今時のアーキテクチャーでまぁ今時のスタートアップ的な
サービスを作ってさ、今日社員みんなに次期製品のPoCとして発表したんだけど、アラフィフで元々ASP(Active Server Page)とか
JavaでWebシステムを開発してたのが、フロントエンドもWebpackから始まって、SCSS、ReactのHookとか理解して、バックエンドも
ちゃんとRestfulなAPIで設計してさ、DBもMySQLで結構頑張ったんだけど、反応がそれはもう微妙で。
まぁそれまで誰にも言ってなかったのも悪いんだけど、長い付き合いの社員に社長がやるんじゃなくて社員からボトムアップ的に
やらないと盛り上がらないよと言われて、まぁ至極正論なんだけど、ただでさえ受託でパツパツなのに、誰がやるねん見たいなさ。
だったらトップが自ら動こうと思ったらこんなんで。ちなみにアイデアは本当に悪くなくて、実装も綺麗にしたんだけど、
まぁ多分社員的にはつまらない受託の仕事の傍ら、イケイケの技術で自社プロダクトの開発をやりたいんだろうなぁ。
このタイトルを見てFuelPHP(以下、Fuel)が勝ちだとか、Rubyのほうが優れてるだとか、思った方はいますぐ反省するべき。
FuelはRESTfulなアクセスやセッションのサポートしているなど、フレームワーク自体が最近のウェブサービス思考に対応し、また、ローカルの開発の場合はSQLite(もつかえる)を使うなど、開発環境においても最近の流行を取り入れています。gitとの相性も良いです。
Fuelの最大の魅力はComposerと呼ばれるphpのライブラリパッケージシステムでしょう。Fuel(のコア)自体もComposerの1つで、Composerを使わないFuelアプリケーションはありません。(というかComposerを使わないのであればFuelである必要がない。)
フレームワークを拡張するプラグインが幾つもあることにより、Fuelは汎用性が高くも多くの人に使われるフレームワークであるといえます。
Qiitaに書こうかと思ったけど、言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ。
モバイルファースト、APIファーストな文脈でハイブリッドWebをやってきた目からすると、サーバーサイドでHTMLを生成してページ遷移させるなどという90年代調のクラシカルな発想を基本に据えるフレームワークはとても斬新に思えました。HTMLをゴリゴリ生成するなんてよほど特殊な最適化をしようとするのでなければそもそも発想として出てこないです。それでいてDSLやメタプログラミング等のテクニカルな技法が宝石のように鏤められている様はまるでエジプト時代の骨董品を見るかのような趣がありました。turbolinkなどは、かつて表計算ソフトに出しゃばっていたイルカを思い起こさせる味があります。かつて慣れ親しんできたSPAが星のように遠い存在になりました。
Web界隈の人々がモデルだとかアクティブレコードだとか"MVC"だとかを非常に具象的に話す様を見るにつけ、お前らどんだけPofEAA読み込んでるんだよと畏怖していた時期が僕にもありましたが、どうやら彼等はRailsのクラスやディレクトリという特定の実装について話していただけだったようです。Modelという概念もこれだけ肥大化してしまったら、オリジナルな概念で彼等と会話するのは諦めるべきかなと思いましたし、Railsの"MVC"をアンクォートして語るのはもはや害悪であるとすら感じました。
Rails界隈の人がよく「Railsの流儀」や「正しい"MVC"」というのを口角泡を飛ばして議論しているのを目にするのですが、おそらく外に広がる不条理で火傷を負って快適なRailsの世界に引き篭もった結果としての一種のストックホルム症候群なのだなと思いました。いまやAjaxとかWebsocketとかWebRTCとかを組み込もうとする至極真っ当な方法論がとてつもない高難度に見えてきます。設定よりも規約、というのも一つの方向性だと思いますが、ドメインやサービスレイヤの名前空間を構築しようとしたりコードジェネレーションしようとしたりしただけで地獄のようなCircular Dependency罰を受けてしまったので、自分がとても間違った事をしているような気がしてしまいました。とはいえConcernsに特別な名前や役割を与えられても正直しんどいので、皆が皆libにゴミを放り込んでいく様子にも納得がいきました。
RailsをAPIサーバーとして使おうとするとまずビューが無くなってMとCだけになりますが、いわゆる"MVC"の文脈で育ったエンジニアがなぜ息を吸うようにFat ControllerやFat Modelを作ってしまうのかという事が良く分かりました。多くのRailsのリファクタ手法と称されているものはクラスを書くファイルを分割する事以上のものでは無いように思えたので、Rails使いを大きめなAPIサーバー案件に回すときはセットポジションでDDDの青本を投げつける必要が有るなと思いました。
ビューとコントローラを結合させた場合、結合テストはCapybaraとかのBDDでマークアップサイドとの干渉を恐れながら強い気持ちでメンテしていくしか無いのかなと思いました。おそらく脳に電極を埋め込んでいるか、緑色のランプを見るだけでハイになれる特殊な人にしか生き抜けない闇が垣間見えました。コントローラを薄くしてサービスレイヤを挟めばその辺りもうまくいけそうな気がしましたが、ビューからヘルパーやモデルがいくらでも透けて見えてしまうという状況では裏側の完全性に自信を持つ事は難しそうでした。
ビューがRubyを叩いて永続化レイヤと直接コミュニケーション出来るというのはとても生産性が高いのだろうとは思いましたが、こうして出来たパーシャルやら何やらをデザイナーとどうやって共有するかを考えると頭痛が痛くなりました。おそらく適当に切り出して綺麗な空間をassets以下に構築した上でpublicにRPCのような窓口を備えたゴミを量産していくのかなと思いましたが、もっと綺麗な方法はあるのかもしれません。でもきっとRails案件に関われるデザイナーはRubyもバリバリ書けるに違いないはずなので、ここが問題になる事は無いのだろうなと思いました。
RESTはとても美しいパラダイムではありますが、そもそもHTTPがさほど美しくないので歪んだ空間には目を背けるか勝手解釈を与える事で人は初めてRESTfulを名乗る事が出来るのだと思います。GETがbodyを(公式には)持たないという事について美しい説明を与える事は出来ないでしょう。サーチAPIはどうしますか。ステータスコード足りなくないですか。401エラーはどうしますか。そしてRESTはあくまでリソースを抽象化する美しい概念なので、アクションや副作用については貧弱です。動詞が足りないですし、一般動詞に狭義の意味を与えてドキュメントするのは二度手間にしか見えません。PUTには冪等性があるべきみたいなこだわりは家の猫にでも説教してればいいと思います。というわけで、REST的な設計を拝借することはよしとしても、「○○はRESTでは無い故云々~」みたいな注文はやめて頂きたいものです。
とか言わないで欲しいです。こういう時にセットでPHPをディスって悦に浸るのは知る限りRubiestとPythonistaと中学生だけです。それにこれはあくまでサーバーサイド初心者の感想なので、想像するにこれ系のFWは多かれ少なかれ似たような不満を抱えるものなのかなと思います。というわけで、おそらくこれから選択肢がある限りはRailsを使い続けると思います。
10年くらいWeb開発業界にいて、ここ最近はRailsでアジャイルな高速開発的なものの周辺にいる。今は開発者〜マネージャの間を行き来しつつ顧客窓口〜実装まで一通りこなしている。
あちこち渡り歩いて色々なエンジニアと一緒に仕事をしたり、お客さんに頼まれてエンジニアの面接やらに顔を出したりすることがあるのだが、ここ最近のWeb開発はますます主力級のゴリゴリ書けるエンジニア(いわゆるフルスタックエンジニアと呼ばれるものも多分ここに入る)と大したことのないエンジニアの差が開いてきたように思う。
主力級のエンジニアは1〜2回がっつり打ち合わせしてプロジェクトの重要点とざっくりラフなイメージを共有すれば、どんなに遅くても1週間もすればプロトタイプが上がってきてお客さんに見せつつ微調整し、いわゆるアジャイルとかスパイラル開発的なことができる。デザイナがいなくてもBootstrapでとりあえず最低限の見た目を作ってくれるので、とりあえずデザイナ無しで開発して最終的にお客さんが気に入らなければWebデザイナに見た目整えさせてテンプレ取り込み、という開発がここ最近のメイン。
ソースコードもフレームワークやRESTfulの基本概念が理解されているコードなので、後日の機能修正の時にそのエンジニアが動けなくても自分がフォローして修正することもできる。
仕事もしやすいし、実質1〜2人の稼働でサクサク進められるのでコミュニケーションロスもなく楽しい。
一方、大したことないエンジニアは前述した流れが全くできない。
まず決定的なのは、開発が遅い。ちょっとしたデザイン無しのCMS(リッチUIなし)をRailsで書くのに1週間かかっても終わらなかったりする。これじゃ生PHPで書くのと変わらないかそれより遅いので、Rails使う意味がない。
次に、品質が低い。できあがったと言われて念のためチェックすると、基本的なCRUDレベルでエラーが出たり、お客さんに見せるプロトタイプだと言っているのに初期データ(seeds)の整備すらされていなかったりする。本人のローカル環境で動いてるけどstaging環境にdeployすると動かないとかはよくある。
パッと見に分からない部分もひどくて、ソースを確認すればあちこちどこかからコピペしてきたコードのつぎはぎで、HTML規約違反やJavaScriptのエラーまで放置されていたり。あと実装しましたと口頭で言っていた機能がソースコードコメントではTODOになっていたこともあった。
最後に、成長しない。開発上詰まった所なんかを主力級エンジニアに聞くのは構わないのだが、表層的な理解に留まり応用が利かない。30分〜1時間も主力級エンジニアの時間を浪費しながらもまた同じ様なところで同じ様なミスをする。自分もよくプチ勉強会みたいな状態になったときには参考図書や技術資料のポインタを投げたりしているのだが、参照先を見て深掘りすることはほぼない。
厄介なのは、こうした大したことないエンジニアも、Railsであればあちこちのチュートリアル記事や書籍を参考に、そこそこそれっぽく見える自作サービスくらいなら作れてしまうという点にもある。
彼らの作るサービスはまさに書籍やチュートリアルサイトのコピペの集大成だが、個人が趣味でやっているサービスとしては十分に動く。そして周りには「エンジニアです。個人でWebサービスも公開してます」となる。サービスの外からは内部のコード品質などはわからない。
プライベートで開発するのはむしろ奨励しているのだが、彼らはその拙い(あえて「拙い」と書く)サービスでもって「俺はもういっぱしのエンジニアだ」と勘違いしてしまっている様に思える。
だが違うのだ、お前が書いているシステムは「とりあえず動く」レベルのものであって、受託開発としてお金をもらってお客さんに納品するシステムや、数千万〜数億の売上を左右するような業務システムではその素人クオリティでは話にならないのだ。
適切な例外処理、担当者がミスしにくい管理画面の設計、お客さんの想定ユーザ数に耐えられるレベルでのスケールする設計、開発者が入れ替わっても保守が続けられるようにするための最低限のドキュメントなど、production level qualityに足りていない部分がいくらでもあって、そこまで考えられて「主力級エンジニア」なのだ。
こうした主力級エンジニアと大したことないエンジニアの谷は以前から感じていたが、ここ最近ではさらに顕著に感じるようになってきたように思う。
例えば、主力級エンジニアはRailsだけでなくミドルウェアやprovisioning(chefとかansible)、最近ではdockerやCI、AWSの新サービスなどについても各自追いかけていて、自分も含めてちょいちょい議論をすることがある。「最近のアレってどうなん?」とか「はてブでやたらXXX流行ってるけど、これって結局数年前のYYYの焼き直しじゃん」みたいな。
そんなところに大したことないエンジニアもはてブやRSSなどで用語は聞いたことがあるので混じってくるのだが、まず前提知識がなさすぎて議論にならない。大体「XXXマジすごいっすね〜(意訳)」で終わっていて、その技術の背景や今後どうなりそうか、自分達が取り入れることで業務効率や開発の楽しさが改善するのかといった視点がない。
他にも、ちょっとしたトラブルシューティングの際も、基礎がなさ過ぎて問題の切りわけができない。問題の原因がネットワークレイヤなのか、ミドルウェアなのか、アプリなのかすら判断できなかったり、そもそもアタリを付けるのが絶望的に遅かったり勘が悪い。
単に作業が遅いというのではなく、問題の切りわけというエンジニアとして最低限できないといけない事すらおぼつかないケースも見かける。
こうした大したことないエンジニアは速度・品質・難易度面で新規開発プロジェクトにアサインするリスクが高いので、必然既存サイトの運用・メンテ(ちょっとしたページデザインや文言修正)といったタスクが回されるのだが、最近この辺りも仕事がなくなってきているように思う。
というのは、お客さん側にRails Tutorial程度の開発知識を持っている元エンジニアや趣味でちょっと触ってみましたレベルの人が増えてきたから。これは恐らくRails特有な所(自作Webアプリ簡単に作れる啓蒙がなされている)がありそう。
ちょっと考えてみれば、文言修正やデザイン修正する程度の作業、外注に頼むと数万かかる上に見積やら稼働確保やらで数日〜数週間待たされるのに対し、担当者が自分でやってしまえばすぐに済む話というのはちょっと考えれば分かるわけで。
# もちろんそれでも保守契約や責任分解点の関係で外注するケースはあるだろうが、Railsを採用するようなWebサービスは速度重視のことが多い
そんな中、この「大したことないエンジニア」の人達はどうなるんだろうなあ、と思う。開発会社ではなくRailsシステムを運用しているユーザ企業に行けば多少は需要あるのかなーとも思うけど、ユーザ企業はできないエンジニア雇うほど余裕もないだろうし。
せめてコミュニケーションスキルが高いとかそういう利点があればいいんだけど、変に自分が「エンジニア」というプライドがあるのか、窓口とか管理方面は率先してやろうとしなかったりもするし。
早めに「エンジニア向いてないよ」と言ってあげるのが良いのだろうか?
HTMLとCSS, JavaScriptはちょっとだけ分かる
dotinstallとか見てブラウザでタイマー作ってわーいって喜んでるくらいのスキル感。
→本を買ってやるのは安上がりだけど途中で挫折しそう
→じゃあお金稼ぎながら学んだらいいんじゃ
バイト始めることになった
バイト始まる
課題を出されて、できたら業務に入れる
誰も教えてくれない
ググってググってググりまくる
ひーひー言いながら2~3週間でなんとか終えた
なんとかなった
このときくらいにパーフェクトPHPを読んだ。FWは、つくれる!
あーようするにURLを受け取って振り分けたり、DBからデータ引っ張ってきて画面に表示させたりするのね
分かった気になる←分かってない
GET/POSTでごにょごにょすればいいんだね楽勝だわ←全然分かってない
FuelPHPを聞きかじって、何をトチ狂ったのか在宅でwebサービスの受託をやる
まあ良い経験になった
フレームワークいくつかやって、web開発のいろんな概念やtipsがたくさん頭に入ってきて、
あーあれかーくらいには思えるようになった
DBのCRUD操作, ORM, DBマイグレーション, RESTfulとは, コマンドラインでコード生成,認証周りのプラクティス ...
さて、バイトが本格的?になってくる
一人で開発 責任おもい
でもなんか躓いた。
書いたコードに自信が持てない
これでいいのか不安になって手が進まない
セキュリティで手直しはたくさんもらった
フレームワークにはDB操作のライブラリがちゃんとついてるのにそれ見ずに自分でSQL組み立てて案の定エスケープしてないし、とか
でも、なんとか完成させた
プッシュして、マージされて、できちんと本番環境で動いてる。やったね。
Rubyを知った
PHPと違って()が殆ど無いし、;ないし、do~endとか何だよって感じだった。
Railsも知った
それからは空いている時間の大半をRubyとRailsにつぎ込んだ
まずはRailsTutorialをやってみた
テスト周りでつまづいたけどなんとか終わらせた
dotinstallやらミニツクやら、検索して出てきた記事・チュートリアルはとりあえず手をつけて学んだ
はじめはRubyを理解せずにRailsをやっていたけど、すぐにRuby自体に興味が出てきた
はじめてのRuby・はじめてのプログラミング・たのしいRuby・プログラミング言語Ruby... 入門系の本を乱読した
PHPでさんざん苦労していたからか、Rubyでオブジェクト指向を学ぶとなんの無理もなく頭に入ってきた
その後、パーフェクトRubyで標準ライブラリやらGemやらSinatra(支那虎じゃなかった)やらについて学んだり、
メタプログラミングRubyで黒魔術を学んだりした。巻頭のMatzの言葉痺れたなー
バイトのほうも何とかこなせるようになってきた 成長すげー
Vagrantをかじる
AWSでいろいろ遊ぶ
webスクレイピングとか検索APIとか使ってムフフな画像をアハーンしたりして遊んでた
Rubyで言語をつくろうだの、スクリプティングを極めようだの、JavaとRubyがどうだの。
メタプログラミングだの、デザインパターンだの、テストだの、リファクタリングだの。
借りられる本は借りて済ませた。全部買ってると破産する
他にもRubyとつかない本もいろいろ。
プログラマが知りたい97の何とか。いい本
Rubyの関数オブジェクトからのつながりで関数型プログラミングにも手が伸びる
OOPと全く違う。
就活はじめるよー
まあ、エンジニア枠で探すことにする
エントリーめんどくさい
ので、1社受けて落ちたら次の会社エントリーするという作戦にした
無計画玉砕作戦
とはいえ、なんとかなると思ってやってく
気を揉む期間
やたらパララックスつかってゴテゴテにしてるわりに、何が言いたいのか伝わってこない
せめてよく使ってる言語くらいはのっけておいて欲しい。
で、1社選んで応募して、選考が始まった
面接、失敗したなと思ったところもあったが
嘘つかない
知らないことを知ってるように話さない
は通せたので良かったと思う。
で、進んでいって最終面接。これもなんかよく分からないうちに終わってた
相手が適宜フォロー入れて話しやすいようにしてくれたのは覚えてる
うん、ぜひ当社にご入社いただけたらと思いますとのこと。やったね。
前から気になってた会社ではあった。勝手にリスペクトしてた会社。
自分が憧れてる技術者さんたちが在籍してる会社でこれから働くことができる
いろいろと運が良かった。嬉しい
他の会社はどうしようかな。
受けてみたい気もするけれど、エントリーがめんどくさい
続けるかどうかは未定だけど、ひとまず休憩することにする
Rails + Twitter bootstrapでエロ動画ソーシャルブックマークWebサービス、ソーシャルオナニー=ソシャニーを作りました。
こちらです http://www.socianie.com
【なにこれ?】
かっこつけた言い方をすると、
「いっぱいエロ動画あるけど結局みんなどんなお宝動画で抜いてるの?という日常的な疑問への答え」
とかでしょうか。
実際どんな事が出来るサービスかというと、基本的には、はてなブックマークのようにエロいページをブックマークする(その時に、コメントを付記することができる)というものです。
サイト内の他のユーザーをフォローすることができ、TwitterのようにTimelineのようなものがあってそこにフォローしている人がブックマークしたページが表示されます(そのページが、xvideos,fc2などの有名サイトならば埋め込みプレーヤーですぐ再生出来ます。)
つまり、フォローしてる人の最新お気に入りエロ動画がチェックできます。
ブックマークされたページはそれぞれが固有のページを持っており、タグを付ける事ができます。
全ユーザーのブックマークしたものは動画一覧で横断的に見ることができ、並び替え・検索などが出来ます。
ブックマーク数で今日のランキング今週のランキングなどが見れます。
あと、累計ブックマーク数によってユーザーのランクが上がったりします。
TwitterのOAuth認証でログインが出来ます(Twitterにツイート投稿などはしません。また、サイト内の名前アイコンもTwitterのものを流用するかどうかも自分で決められます。)
①ソーシャルな機能。他にも世の中に色々素晴らしいエロサイトがありますがそれらはソーシャル機能を持つものが少ない。
②上記の話とちょっと被ってますが、他のサイトは基本コンテンツ自体を自動クローリングするけれどソシャニーはそこをユーザー自身に委譲しているため、集まってくる動画の質はそれに比べて上がるんじゃないかというのと、
③エロサイトにありがちな出来るだけごちゃっと感を無く広告も無しでTwitter bootstrap使って小綺麗な感じ
【作成後記】
Webサービス作るならRailsかな楽で便利らしいしというざっくりとしたイメージからRailsで作り始めましたが、
ネットの情報や入門書に取り組んでもサンプルと同じモノは作れても実際自分が作りたいモノになると、で、どうやるの?となりなかなか進みませんでした。
Railsは色々と勝手によろしくやってくれる機能が多すぎて実際何が起きてんの?というのがわかりづらいというのが第一印象でした。
色々試行錯誤した結果、一番参考になったのはRails tutorial( http://ruby.railstutorial.org/ruby-on-rails-tutorial-book )でした。
英語ですがバージョンは新しいしBootstrapの使い方もわかるしサンプルがTwitterクローンサービスを作ろうというなかなかおもしろいものなので途中で飽きること無く取り組めました。
何かを学ぶ時は、モチベーションが続く形の学び方が一番いいと思いました。
僕はエロ動画が大好きなので、エロサイトというのもモチベーションの1つです(ただ、作業中に脱線して気づいたらキーボードではなく下半身に手が伸びているという事もありました。)
また、上記のチュートリアルはテスト駆動開発なのでSpecのテストをモリモリ書いているのですが、とりあえずはテストに関しては何をやってるのかざっと眺める程度で精読しませんでした。
まずは全体像を把握して何が必要か把握したかったからです。結果的に最後までやりきれたので良かったと思います。
あとは、Rails固有の知識ではなくWebサービス全般の知識で足りないな、と思ったときはネット上や本屋の立ち読みで済ましました。
ネットで細切れにお勉強している場合、本屋で体系的にまとまっている本をざっと読むと意外に抜けてる知識が保管されたり脳内にインデックスが作れるのでいいと思いました。
理由はみんなが良い良いというので乗っておくかという安易なものです。
実際のところgitの良い所を使い倒せているのかというと全くそんな事ないですね。
せいぜいstash位でしょうか。あとbisectとか。
リポジトリは最初はDropBoxに作ってたのですが、途中からBitbucketを使いました。
GitHubを使わなかった理由はBitbucketはプライベートリポジトリが無料で持てるからです。
また、恥ずかしがり屋なのでGithubで公開は敷居が高いと感じたからです。
初のRailsプロジェクトというのもありソースがイケてないので恥ずかしいのです。
いつかイケメンなコードをGithubで公開してオレツエーしたいものです。
サーバーはエロOKのところを探すのがなかなか難しく結局海外のVPSを使いました。
Linodeというところですが、他との違いを挙げるとiPhoneアプリ経由で再起動などが出来たりします。あまりこの機能使ってないですが。
構成はpassenger+apacheで、DBはSQLiteで特にLBなどはないです。
諸々構築後に人気が出た時困らないように負荷分散のお勉強なんぞもやりかけましたがまずは不要かなということで辞めました。
ちなみにサーバーがUS西海岸なのでSSHで作業するとエディタがちょっともっさりすることがありました。
プロジェクト管理は、会社でも使ってるのでRedmineかなと思ったのですがどうせ一人だしRedmineのUIすきじゃないのでTrello( https://trello.com/ )を使いました。
TODO,Doing,Done,Bug,Suspendのリストを作ってやること忘れないように管理しました。
ふと出先で思いついた機能とかをiPhoneでスイっと追加など出来て便利でした。
正月に公開してお友達界隈で見てもらったんですが、よかれと思って作ったChrome拡張にCSRFの対策が不備あり結局ブックマークレットにしたり、
ソースを見てもらったら設計がRestfulじゃないとかControllerがfat過ぎるModelに押しこめなどアドバイスをもらえたり無知な僕には色々とお勉強になりました。
出来たものはしょぼいものですが、「Webサービス作ったことないコンプ」は少し解消出来た気がします。
以上、月19ドルも払ってるのにお友達だけで使われてるのも寂しいので増田でまとめついでに宣伝してみました。
叩かれるんでしょうか。怖いです。いじめないで。