バウハウス建築の稀少なアトリエ「国登録有形文化財 三岸家住宅アトリエ」
近代日本洋画を代表する画家、三岸好太郎(1903-1934)と三岸節子(1905-1999)夫妻のアトリエ「三岸家住宅アトリエ」が公開されていると知り、東京都中野区に訪ねました。上鷺宮の閑静な住宅街にあり、アトリエの外観は直方体を組み合わせた白い箱のようなデザインが目を引く、木造2階建てのモダンな邸宅でした。

建物内部は二層吹抜けのアトリエに、天井まで大きく切り取った全面ガラス窓を南東面に設け、室内のアクセントには美しく弧を描いた螺旋階段が設置され、2階の和室へとつながるシンプルな造り。大きな窓からは柔らかな光が差し込み、静謐な空気に包まれた開放感ある素敵なアトリエでした。

1934(昭和9)年に竣工のこの建物は、三岸好太郎からの依頼のもと、ドイツの芸術学校「バウハウス」で学んだ建築家・山脇巌(1898-1987)が設計を行なったもので、国内でも希少な戦前のモダニズム建築の貴重な現存例として、2014年に国の登録有形文化財に指定されています。



好太郎自らアトリエのデザインを描き、友人である山脇がバウハウスの理念を具現化した、まさに画家と建築家の共同作品のような理想のアトリエでしたが、施主である好太郎は竣工を待たずして胃潰瘍を悪化させ31歳の若さで急逝。アトリエの完成を見ることはかないませんでした。


その後、妻である画家の節子が好太郎の意思を継ぎ、アトリエを完成。奇しくも翌月に開催された「三岸好太郎遺作展」の会場となりました。絵画が飾られたアトリエ空間は、好太郎の芸術世界そのままだったことでしょう。節子夫人は、この建築をアトリエ兼住居とし大切に守り、家族とともに30年ほど暮らしました。

今年2025年は三岸節子の生誕120年の年にあたります。 燃えあがる炎のような情熱的な作風で花や風景を描き、女性の自立が困難であった日本の洋画壇に新たな息吹を吹き込んだ画家、三岸節子。自らをカラリストと称し、独自の芸術世界を築き上げた三岸の色彩豊かな“花”の数々を特集し、販売いたします。
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