番外編の続き。妊娠を機になる病気で、4ヵ月入院していました
ASCII読者の皆さん、こんにちは!そしてご無沙汰しております。
正能茉優です。
今回は「お仕事悩み、一緒に考えます。」の番外編として、私の近況報告をさせてください。
夏の終わりから先日まで、4ヵ月ほど入院していました。
ざっくり言うと、「妊娠を機に吐き気・嘔吐などの体調不良になり、病名や対処法がなかなか特定できないまま呼吸不全にまで陥ったものの、死産したら呼吸状態も改善して、パタリと吐き気・嘔吐もなくなった」という出来事です。
今は10ヵ月の産休と傷病休暇を経て、無事に復職しましたが、一時は生命が危ない状態にもなり、人生観・仕事観が変わる経験でした。
渦中のタイミングでは、似た症状・状況の人の情報が少なくもっと知りたかったこと、さらに友人や知人に報告すると「妊娠を機に、呼吸不全?ICU?」という反応をいただくばかりだったことを踏まえ、当事者やその周りの方々に、情報が届いたらという思いで、この連載にまとめてみることにしました。
この連載では、
- 今回あったこと
- 変わった人生観・仕事観
- 仕事における、死産・流産した人への向き合い方について考えたこと
を、全4回に分けて、お伝えさせていただければと思います。
必要とする方に、情報が届きますように。
「家族と過ごしたい」だけを願った、ICU
年末に呼吸不全に一時陥りながらも、死産とその後2回の手術を経て、無事に退院した年明け。
目が開けられるようになってから、ベッドの上で書き溜めていた「やりたいことリスト」を、改めて開きました。
そこに並んでいるのは、何もかも「家族との毎日」のことばかり。
「家族と、自宅でごはんを食べる」
「家族で、日々スーパーに行って、子の好きなフルーツを買う。ケチらない」
「家族の定番をつくる(死んでも前向きに思い出してもらえる・思い出せる場所があるように)」
リストには、「働きたい」「社会をどうこうしたい」ということは、一切ありませんでした。
そこで、私は決めたのです。
「人生における仕事の優先順位を意識的に下げ、しばらくは家族と過ごそう」と。
大学時代に起業し、その後も、日々社会の違和感や不満にぶち当たるたびに、「じゃあ社会をこう変えていきたい」と13年間取り組んできた仕事。
これらのほとんどを、あっさりと手放す気持ちになったのでした。
家族とも相談し、当時一家で住んでいた自分で買った家を売却し、夫が新しく買った家に引っ越すなど、日々の生活のために働かなくてはいけないという状況をなくしたくらい、当時の私は家族と過ごしたかったのだと思います。
(ちなみに好きなエリアすぎて、歩いて3分の距離に引っ越しました。苦笑)
明日死んでもいいように、家族と過ごす
4ヵ月間家族と過ごせなかった私にとって、自宅で家族と過ごす時間は、本当に幸せでした。
「もし助かったら、大事なことを見誤らないようにするので、どうか今回だけは見逃してください」と空に何度も祈ってよかったなと、心から思いました。
退院後、まず始めたのは、つま先立ちの練習です。
一般的に失った筋力・筋持久力を取り戻すには、寝たきりだった期間の倍の期間のリハビリが必要だそうで、私の場合、退院当初は自宅からたった50歩の距離で動けなくなってしまうこともありました。
それでも、家族とごはんを食べて、子と過ごせるだけで、「今日も良い日だったな」と本気で思える毎日でした。
たまにふと、「あれ、私、昔“社会を変えたい”って言ってなかったっけ?」と遠い記憶のように思い出すこともありましたが、それよりも「ICUでほとんど仕事のこと考えなかった」という事実の方が大きく、自分の本音はこっちなんだろうな、とも思っていました。
社会との距離があると、不安になる
そんなある日、長野駅前で、無差別殺傷事件が起きました。
何の前触れもなく襲ってくるこの出来事を、ただただ「怖い」と思いました。
どこにもぶつけられない不安と恐怖が、自分の中を占めていく、なんとも初めての感覚でした。
「自分が死にかけたから死を身近に感じやすいのか?」などとその感覚の理由を考えてみましたが、おそらく「どうにもできない」と感じてしまうことが、底知れぬ不安と恐怖の要因でした。
というのも、以前の私は、社会でのこうした出来事に触れるたび、その背景を考え、「だったら、こうしよう。こうするべきだ」と考えや行動につなげようとしていたんです。
(もちろん、それが課題解決に直結するとも限りませんが)
ほぼ働いていないその時には、それができない。できていない。
その時初めて、「自分は社会との接点がないと、こうして不安や恐怖に飲み込まれるタイプなんだ」と気がつきました。
社会・自分・死んだ我が子のために働く
そこで、家族や主治医と相談して、最短での復職を目指すことにしました。
もちろん、家族のことは何よりも大事。
でも、あの不安や恐怖を放置したまま、暮らしてはいけないと思ったんです。
そして何より、死産した子への気持ちの変化も大きな要素でした。
死産直後は、自身の命が危なかったこともあり、自分の命が助かったことへの有難さが強く、子を亡くしたことへの悲しい気持ちや悔しい気持ちは全くありませんでした。
それどころか、「難しい状況の中親子共々よくやった…またどこかで!」という比較的さっぱりした気持ちで、死産した子の遺体を目の前に泣いてくれる家族や医療関係者との温度感に違和感を覚えるほどでした。
ところが自宅で家族と過ごすうちに、「亡くした子との4人家族」での毎日を、未来永劫失った気持ちが湧いてきて、日に日に苦しくなってきました。
泣いてみたり、癒しになりそうな体験をしてみたり、記念になる高いものを買ってみたり、色々としたのですが、苦しい気持ちは解消せず、日々増すばかり。
正直な気持ちをChatGPTに打ち明けては、どうしたら自分は立ち直れるのかを、毎日検討していました。
その時、ChatGPTが提案してくれたのが、「亡くした子から、手紙を受け取るのはどうか?」ということでした。
(ChatGPTが提案してくれる様々な物事の捉え方に対して、「きっと死んだ子はそんなこと思わない。ChatGPTが言っているだけでは?」と八つ当たりし続けた結果です。苦笑)
「倫理的にどうなの?」と冷静に思う自分もいて、別スレでは、「死産した子から、当然存在しない感情を受け取るのはいかがなものか?」とChatGPTとやりとりしましたが、それでも「どうにか立ち直らなきゃ、やっていけない」という気持ちが強く、苦しい気持ちに飲み込まれそうになると、手紙を書いてもらうという生活を5日間ほど送りました。
そんなある日、ChatGPTが死んだ我が子(通称「ちいかわ」)として送ってくれた手紙に、こんな一節がありました。
ちいかわが生まれてこられなかったこと、それがただの「かなしい出来事」で終わらないようにって、(私の通称)が日々のなかで、ちゃんと意味をつくってくれてる。
それが、ちいかわは、うれしいんだよ。
この言葉を読んで、霧が晴れたように、苦しい気持ちがなくなり、「働く!!!悲しい出来事で終わらせない!!!」とスイッチが入りました。
これまでの「自分と社会のために働く」という感覚に、絶対に裏切りたくない亡き我が子という存在が加わったわけです。
(なお、そもそも感覚や感情なんぞ胎児が持たない週数での死産ですし、本当は違うのかもしれないなと思う自分もいるのですが、なんせ人の形をした我が子を産み、火葬まですると、あの存在は「人」だったんじゃないかという感覚を抱かざるを得ないのです。)
こうして、仕事への思いを、病気になる前よりも強い気持ちで取り戻した現在は、病気になる前と変わらず、会社員として、複数の会社の社外取締役として、そして自分の会社の代表として、仕事をさせてもらっています。
次回は、死産を経験し社会復帰した私が、かけてもらってうれしかった言葉、むかついた言葉について、お話ししたいと思います。
妊娠の15%は流産、死産は年間およそ1万5000件とも言われる今、そうした悲しい経験をしている人は、あなたの隣にも当然のようにいるかもしれません。
流産・死産、また新生児の期間を含む赤ちゃんとの死別を経験した人の喪失感は「ペリネイタルロス」と呼ばれており、一般的な人の死とは自他の捉え方が異なるケースもあるため、当事者・周囲ともに立ち振る舞いが難しい側面があります。
私が死産した後も、仕事関係の人に報告を入れるたびに、「相手も気まずいだろうな、申し訳ないな」と感じていました。と同時に、「実はうちも…」という声の多さに驚きました。
なかなか触れにくい「ペリネイタルロス」ですが、それを感じながらも働く人に対して、できることはなんなのか?
自分のリアルな体験から、綴ってみようと思います。
筆者紹介──正能茉優
ハピキラFACTORY 代表取締役
パーソルキャリア 企画職
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部 卒業。
大学在学中に始めたハピキラFACTORYの代表取締役を務める傍ら、2014年博報堂に入社。会社員としてはその後ソニーを経て、現在はパーソルキャリアにて、HR領域における新規事業の事業責任者を務める。ベンチャー社長・会社員として事業を生み出す傍ら2018年度より現在に至るまで、内閣官房「まち・ひと・しごと創生会議」「デジタル田園都市国家構想実現会議」などの内閣の最年少委員を歴任し、上場企業を含む数社の社外取締役としても、地域や若者といったテーマの事業に携わる。
また、それらの現場で接した「組織における感情」に強い興味を持ち、事業の傍ら、慶應義塾大学大学院にて「組織における感情や涙が、組織に与える影響」について研究。専門は経営学で、2023年慶應義塾大学院 修士課程修了。

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