YouTubeの講義チャンネルが先日設立4年半を迎え、
ありがたいことにここ1年くらいで
界隈の方々とお話しさせていただく機会が少しずつ増えてきた。

■セピアのゼロから歴史塾
https://www.youtube.com/@zero-reki

自分と同じような歴史や現代社会に関する趣味嗜好を持ちながらも
自分とは異なるこだわりやポリシー、自分と違う視点をを持っている方と
お話しする時間というのは本当に楽しい。

そしてその過程でふと、気づいたことがあった。

なんと、この界隈には動画投稿主であるにもかかわらず、
動画編集を自分で全く行っていないという人がかなりの割合でいるようなのだ

最初にお断りしておくと、その是非を問おうというのではない。
しかしこれをお読みの方の中には「エッ!」と思われた方もたくさんいるはずだ。



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動画配信文化の黎明期であった2006~2007年頃、
録画録音機器とインターネットの両方に通じた稀有な先達の方々が
「TVゲームに自分の声を乗せてインターネット上に公開する」
という非常に奇特なことを始められた。

そして2008年から2009年にかけて
そんな奇特なことをする人たちが少しずつ増えていった。
私もそんな奇特な人間の1人だった。

機材は当然自分ですべて用意するし、
収録も全部自分のスケジュールで進めて、
編集という名の初めと終わりのトリミング・音量調整を自分でささっとやった後、
動画として投稿できるようにファイルサイズを微調整して(ここが超重要!)、
そしていちいちドキドキしながら動画投稿ボタンを押す――
投稿ボタンを押すのももちろん自分自身。

当然だ。
ここまでやってきたことが報われる、形になる、何よりもの瞬間。
自分が押さずに誰が押す。



今では「ゲーム実況」と呼ばれることの多いこのジャンルも
黎明期にはRPGなどの台詞をすべて文字通りに音読していくスタイルが主流の1つだった。
いわゆる「フルボイス実況」というやつである。

そしてフルボイスでない実況も、
ゲームが始まって終わるまで、あるいは中断ポイントまでを原寸大のままお送りし、
その間ずっと喋り続ける。
少し喋りが止まったからといって途中をカットするなんてご法度。
だって「実況」なんだから。
30分の長さのゲームをちょきちょき切って20分の動画にしてしまったとすると、
それは「実況」ではない。「ダイジェスト」だ。

※いわゆるRTA(リアルタイムアタック)界隈ではこの文化が今も色濃く続いている。

本来スキップできないシーンを編集でカットしてスキップしようものなら
視聴者から「インチキすんな」「実況サボんな」と非難囂々だった。
当然である。
それはもはや「実況」ではないのだから。

そのような空気感が、そうだなあ、2~3年くらいは続いていたと記憶している。

拙くても、滑っていても、沈黙が長くても、原寸大の「リアル」を届ける。
うp主たちはみな名前も顔も出身地も明かさずに投稿活動を続けているけれど、
ふとした瞬間ににじみ出る人間らしさが垣間見えるのが面白くて、
視聴者たちはうp主たちの声に耳を傾け、その息づかいに共感していた。



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時は流れ……

動画編集ソフトが高機能化してうp主たちがこれを使いこなし始め、
また同ジャンル内での競争が激化してくると、
カット編集はもちろん、ワイプ、トランジション(切り替え)、テロップなど
様々な編集テクニックが用いられる動画が増えていった。

そして視聴者がひとたびそういった動画を見慣れてしまうと
動画を投稿する以上は編集テクニックを用いるのが当然で、
生に近い撮って出しのような動画は質の低い動画だという大衆的認識となっていき、
うp主(その頃にはもはや死語的になっていたが)の負担は年月を経るごとに増すばかりとなった。

またスマートフォンの普及によって、
動画にコメントを残す、ボタンを押して登録するなど
自発的アクションをとる視聴者の割合が目に見えて減っていき
早くも2013~2014年あたりから
「動画は投稿者と視聴者の双方で作るもの」という認識が
薄れていった人が多かったのではないかと私は想像している。

視聴者がツッコミを入れるための時間でもある
セリフや場面の間の空白の2~3秒なんて入れなくていい、
むしろないほうがすぐに次のシーンになるから都合が良い、
(都合が良いって何だ? お前はその投稿者のことが好きで動画を見に来ているんじゃないのか?)
ツッコミだって投稿者自身が編集で入れちゃう。
なんならコミカルな効果音やド派手なテロップ付きで。

極めつけは、投稿者の喋る内容が一言半句も漏らさず
最初から最後まですべてテロップ化されているようなものも出てきた。
そんなに活舌が悪いわけでもなく、
普通に聞き取れるような明瞭な話し手の動画であっても、である。

こうもテロップを何から何まで出されてしまっては、
推しの人間のリズムに合わせて音を聞く並走感覚のようなものが
どんどん薄れていってしまうというのに。


動画投稿の黎明期から数年かけて近づいてきた投稿者と視聴者の心理的距離が
テクノロジーの力で否応なしに再び引き離されてしまったような感じだ。



そして動画投稿という活動の収益化
私もかなり恩恵にあずかってきた身だ。ありがたい話、ありがたい時代である。
仮に生まれるのが10年早かったら、私は今生きていないかもしれない。

収益が出る、金を生み出すモノであるということによって
これをビジネスと見て、分業体制をとる人が出始めた
動画の台本を書くライター、動画に出演するプレゼンター、動画の編集をするオーサー、動画の投稿・動向研究を行うマーケター、などなど、
これらを別々の人が担当するというのが、堂々たる1つのスタイルとなってきた。

このような状況の中で「喋りの専門家」が動画投稿活動に参入しようとするならば、
動画編集を自分でやろうとはまあ考えないだろうなとは思う。



もはや動画は、
自分と同じような趣味を持つうp主が
自分のような人間のために熱を込めて丹念に作ってくれたものではなく、
どこかのプロが作り置きした、そこにあるもの。



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最初にもお断りしたが、その是非を問おうというのではない。

時は移り、人も移る。
それは水の流れにも似て、決してとどまることはない。

黎明期に抱いていた心は、気高き大志になっているのだろうか?



「人の数だけ正義がある。生きていける場所で生きていけばよい。」

ただインターネットお喋りマンを17年近くやっているだけの私がたどりついた
真理らしきものがあるとすればそれだろう。

生きていける場所。自分を生かしてくれる人たちの存在。
まこと、ありがたいことである。



そんなに編集に時間かかるのが嫌だ嫌だというのなら
動画編集をその道の人にお任せすれば動画投稿数を2倍にできるよ、
と参謀からは言われてその有用性を理解しつつも
なかなか行動に移せずにずるずると今日まで来てしまっているのは、
編集ソフトをつついて少しずつ動画が形になっていく過程を
なんだかんだで今も楽しんでいる部分が自分の中にあるからなのかもなあと。

ビジネスパーソンとしては考えものである。





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