「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか

それは「男女平等」の衣をまとっていた

性的快楽の「不文律」

男女の性行為を描くポルノグラフィーを思い浮かべてほしい。みなさんの頭の中には、江戸時代の春画のように男女が対称的にからみあう図ではなく、よがり声をあげる裸の女性が思い浮かんだのではないだろうか。そう、現代日本の大半のポルノにおいて大写しになるのは、男性の身体ではなく、女性の身体なのである。

これは、男性向けのポルノ作品だけでなく、実は、女性向けの作品においても、基本的に変わりない。現代の日本において、性的快楽なるものは、男性の行為によって、女性にもたらされるものであるという不文律が存在している。

〔PHOTO〕iStock

こうした「お約束」は、ポルノのなかだけではなく、現実の男女の意識や行動のなかにも息づいている。「感じさせられる女」であるために、女性が男性とのセックスにおいて「感じているふり」をすることは珍しくない。翻って男性は男性で、女性をリードし、「感じさせる男」でなければならないというプレッシャーを内面化している。それゆえに、受け身のセックスがしたくて風俗を利用するという声を漏れ聞く。

基本的に男性に能動的であることを、女性に受動的であることを要請する、このベッドの中の性別役割については、さまざまな議論が可能であろう。だが、本稿では、「感じさせられる女/感じさせる男」という役割が、そもそもどのようにしてつくられていったのか、その歴史的経緯を概観したい。

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女性を家庭に呼び戻すための「オーガズム」

男性が女性を「感じさせる」セックスをデフォルトとする価値観の誕生は、20世紀初頭の西欧に見出すことができる。ここでは、荻野美穂『生殖の政治学』参照し、当時の状況を整理しよう。

そもそも、女性を「感じさせる」という価値観が生じていった大前提として、西欧では、まずは女性にも「性欲」があることが認められる必要があった。というのも、たとえば、19世紀イギリスでは、夫婦の関係から性的な要素をできるだけ排除することが望ましいとされており、夫婦が裸体を見せあったり、裸でセックスをしたりすることは、倒錯に近い行為と考えられていた(荻野1994、211)。

このようななか、女性は「性」とは無縁の聖女であることが理想とされ、女性の「性欲」はないことにされていたのである(同上)。

こうした状況に変化をもたらしたのは、世紀転換期に登場する「性科学」なる領域である。「性科学」とは、人間の「性」を科学的に理解しようとする学問であり、男女が性行為を楽しむことは、人類を存続させる「本能」として肯定され、ゆえに女性の「性欲」も肯定されていったのである。

さらに、女性の「性欲」を肯定する方向を後押ししたのが、第一次世界大戦後の社会状況であった(荻野、225)。戦時中、男性の消えた職場に進出した女性たちは、断髪し、コルセットを脱ぎ捨て、それまでにない自由を謳歌した。

しかし、そんな女性たちも、戦後になって再び家庭によびもどされることになる。いったん自由を謳歌した女性たちを、家庭につなぎとめるためにこそ、幸福な家庭を彩る要素として、以前には否定されていた夫婦間の性愛に注目が集まったのである(同上)。そこで理想化されたのが、夫だけでなく、妻も「オーガズム」に達する夫婦間セックスであった。

このとき重要な役割を果たしたのが、避妊の普及に尽力していた、マリー・ストープスやマーガレット・サンガーといった著名な女性活動家である。彼女たちは著作によって、夫婦が同時にオーガズムを得るセックスの素晴らしさを称えるとともに、女性が「オーガズム」を得る権利を主張していった。女性自身によって、女性たちの性的欲求が正面から肯定されたことは、画期的なことであった。

とはいえ、女性=受動的、男性=能動的とする当時の性別観は強固に維持された。女性は「オーガズム」を得る権利こそあれ、「感じさせてもらう」のをまたなければならない受動的な存在とされたのである(荻野1994、250)。「感じさせられる女/感じさせる男」の誕生である。

では、こうした価値観は、どのような形で日本社会に流入していったのだろうか。

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「夫を惹きつけられない妻」が責められる

家庭内から「性」を排除しようとする強迫観念に憑かれていた西欧に対し、日本にはもともと、夫婦の「和合」には、性行為が大切であるという認識が存在していた。しかし同時に、男性の色恋の相手として理想化されるのは、遊廓の「遊女」であり、素人の女は魅力のない「地女(じおんな)」として侮蔑するという「伝統」があったことも忘れてはならない。買売春を罪悪視する思想が移入された明治以降も、近代的な買売春制度が整備され、遊客数は増加していった。

そのようななか、20世紀初頭に生じた、セックスを愛情と結婚の基礎におく、欧米由来の新たな価値観が同時代的に翻訳されることによって、それまでとは一線を画す熱心さによって夫婦間セックスの価値が論じられていくこととなった(赤川1999)。最高の夫婦のセックスとは、夫だけが満足を得るのではなく、夫が妻を導き、ともに満足を得るセックスであるという理想も、当時流行していた通俗的な性科学書等において語られはじめていた(同上)。

しかし、戦前においては、妻の満足という問題は、ほとんどクローズアップされることがなかったというのが実情である。西欧で夫婦間のセックスが価値づけられた背景には、先述したように、第一次世界大戦において社会に進出した女性たちを家庭にもどすという課題があった。

それに対し、同時代の日本においては、女性ではなく、男性の「性」を家庭に「囲い込む」ことが、重要な社会的な課題として存在していた。というのも、男性が買春する権利が保障されていた日本では、買春によって性病に罹患した男性が、妻や子にも病気を感染させるという状況が存在していたからである(渋谷2008)。

したがって、戦前においては妻を満足させる努力を夫に求める声よりも、夫を惹きつけることのできない妻を責める声の方が、よほど大きかったのである。「亭主が身を持ち崩すのは、芸者や娼婦のように夫の愛を惹こうとしない妻の心得が悪い!」という理屈である。

性の快楽とは、男性の享受するものであり、女性はそれに奉仕するものであるという認識が、根強かった。

女性の「快楽」が注目された戦後

こうした状況に進展が見られるのが、男女平等の達成が、明確に意識されることになった、第二次世界大戦後である。女性の参政権付与が日本政府によって決定されたのが1945年10月。1947年5月に施行された新憲法では、すべての国民の法の下での平等や婚姻における両性の平等が保障された。「民主主義とは、男女平等と同義語であり、民主主義と男女平等とは概念的に「対」を成すものだという時代の気分」が蔓延した(天野1997、36)。

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そのようななか、新日本の建設のために、「封建制」を排し、「民主的夫婦」を形成する必要が盛んに論じられていった。そして、「民主的夫婦」の基盤として、夫だけでなく、妻にも満足が与えられる「男女平等な性生活」が理想化されていったのである。

こうした理想に具体性を与えたのが、アメリカにおける「性の実態」を統計的に提示したキンゼイ報告である。キンゼイ報告とは、それぞれ5000人をこえるアメリカ人男女を対象とした世界初の本格的な性行動調査であり、日本でも1950年代を通して多くの雑誌にダイジェスト版が掲載され、日本人の性生活との差異が話題にされた。

「キンゼイ報告」を主導した、アルフレッド・キンゼイ(1950年)〔PHOTO〕Gettyimages

たとえば、厚生省の役人であった篠崎信男は、日本人2000人余を対象に自ら行った性行動調査の結果をキンゼイ報告と比較し、日本の夫婦生活の「貧しさ」を指摘した1。篠崎によると、アメリカではさまざまな性交体位が幅広く実践されているのに対し、日本では8割以上の夫婦が正常位のみの性交を行い、二つ以上の体位を試みている夫婦がほとんどいなかった

さらにアメリカではすべての階層で75%以上の夫婦において乳房や女性器を手や指で刺激することが行われているのに対し、日本ではそもそも4割程度の夫婦しか「前戯」を行っていなかったという。

日本に引き比べて「先進アメリカ」では、さまざまな技巧や体位が実践されている。その事実を目の当たりにした知識人たちは、「性愛技戯」によって日本の夫婦生活を改善し、「オーガズム」のなんたるかを知らない「無智」で「遅れた」日本女性たちを救うことこそが、「民主的夫婦」の形成において重要であると考えたのであった。

こうした価値観は、雑誌メディアを通して、少々内実を変質させながら、人びとのあいだに浸透していくことになる

「夫婦もの」の雑誌が、男性に求めたこと

1949年6月、夫婦の性生活をテーマにした『夫婦生活』なる月刊誌が創刊された。戦前の検閲体制では不可能だった、性愛技巧のノウハウ記事をメインに据えた同誌は、発売当日に7万部を完売、すぐに2万部増刷されたという伝説をもつ。『夫婦生活』のヒットは、続々と模倣誌が出版される事態を招き、1950年当時「夫婦もの」と呼ばれる一群の性雑誌は、東京発行のものだけで月々8種、総計100万部は出ていたとされる。

『夫婦生活』の創刊号
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『夫婦生活』の目玉は何といっても、「四十八手もの」と銘打たれた性技巧特集であった。さらに毎回巻頭の数ページを飾った女性のヌード写真や、煽情的な読み物が、『夫婦生活』にポルノグラフィーとしての色彩を強く与えていた。夫婦二人で読む雑誌という体裁がとられていたが、男性に「エロ本」として読まれていたというのが、実情だったようだ。

とはいえ、『夫婦生活』には、大学教授や厚生省の役人、元政治家など、性に関する当時のオピニオンリーダーが寄稿しており、「民主的夫婦」の実現と男女平等な性生活という時代の大義が掲げられていた。当然ながら、一見啓蒙的色彩の薄い娯楽的な記事においても、男性が「性愛技巧」を用いて、女性を満足に導くのが「正解」であるという価値観が織り込まれることとなった。たとえば、以下のように。

指二本が、私の体中を蛇のように這つてもいいのよ。そのヘビが最後に体の内部にまで入りそうな無気味な感覚に、私は慄えあがるでしようよ。と思うと、その指は胸の上でリズムを奏でながら踊りまわる(略)あなたの歯は、かるくかるく乳首をかんで、それから強く強く吸う、私は縮みあがつて感動する。2

ここで紹介されている技巧自体は、当時の知識人のカタイ表現を借りるならば「手指による局部摩擦や乳房按擦」および「舌唇摩擦」と記述して完結するものに過ぎない。

しかし、重要なのは、女性の一人称による語りが使われることによって、「慄えあがる」「縮みあがつて感動する」と、男性の用いた性技巧が女性に引き起こす変化が描写されていることである。すなわち、「感じさせられる女」が描かれているのである。具体的な性交場面の描写による興奮、そしてそこに登場する「感じさせられる女」。ポルノグラフィックに性技巧を教示する記事は、女性の満足に配慮する必要があるということ以上に、女に快楽を与える快楽を男性読者に伝える

では、女に快楽を与える快楽とは何か。夫側の心情は、次のように描写される。

これほどにも、女性というものは、忘我の境になれるものか。しかも、その原因が、私の愛情によつて支配された結果の表われであるかと思うことにより、優越感といおうか、自己満足といおうか、そうした情感が眺め上げられるのである。3

ここであからさまに語られているのは、他者を支配する快感である。啓蒙的な文脈においては、「気の毒」な女性を救済するという文脈の下にあった「感じさせる男」規範は、娯楽的な記事においては、ときに男性の支配欲を満たすことへとすりかえられながら、普及されていったのであった。

それでは、このとき同時代の女性向け雑誌では、夫婦の性生活というトピックは、どのように扱われていたのだろうか。

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妻の欲望を満たせない男は「ダラシない」

1950年代当時、婦人雑誌の中でもっとも読まれていた『主婦の友』のページをめくってみよう。「男女同権とは何も社会問題だけではない。性的快楽において、同じ水準をめざすということであろう」と性的快楽をめぐる妻の権利を主張する記事が目をひく4

ただし、執筆者は亀井勝一郎という男性評論家。女性が声高に性的な権利を主張したわけではない。しかし、戦前の『主婦之友』が、夫婦の性生活といえば、どう夫を満足させ、夫の心を自分につなぎとめておくのかということのみを関心事にしてきたことを考えると、大きな変化である。

実際、1956年にはじまった「人に聞くのは恥ずかしい花嫁生活ABC」という読者の性に関する悩みに答えるコーナーでは、自らの性的不満を訴える妻の声が散見される。たとえば、「夫の要求が少なすぎる悩み」(1956年9月)、「過労のため要求の少ない夫」(1957年5月)、「夫の淡白すぎる行為に不満」(1956年7月)などである。

私が要求しますので、ほとんど毎夜ですが、満足は与えられません。あまりダラシないので、私が怒りますと、夫はしくしく泣き出します。5

読者からのこのような投稿には、妻の欲望を満たせない男は「ダラシない」、すなわち、男らしくないという価値観がありありと見て取れる。男性向けの雑誌である『夫婦生活』においては、女を忘我の境地に導く男は男らしいということが盛んに宣伝された。

〔PHOTO〕iStock

だが、そうであれば女を感じさせ得ない男は男として失格であるという理屈が成立する。『主婦の友』では、むしろ後者が強調されることによって、男に奉仕を要求する女こそが強者として演出されたのである。つまり、男の雑誌世界と女の雑誌世界は、それぞれの読者層の性別を強者とする対極的な「感じさせられる女/感じさせる男」規範を提示していたことになる。

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男の「善意」に依存した「平等」

しかし、二つの世界は交わらないまま並立していたわけではない。女の雑誌世界は、男のファンタジーへの配慮を見せるのである。どういうことかというと、夫婦間セックスそれ自体がトピックになるときには、上記のように妻の「(快楽を得る)権利」が主張されるのに対して、夫の浮気や避妊の実行など、夫婦の性の周辺に位置する問題が焦点化されるとき、『主婦の友』は論調を大きく変化させたのである。

戦前から存在する夫の婚姻外性行為の問題(要するに浮気や買春)は、もちろん戦後になって消失したわけではない。したがって、夫の婚姻外性行為を予防するためにこそ、「貞淑な妻はたつた一人の夫に対して淫婦になること」6が求められたのである。「淫婦になること」とは、つまり「大げさなほどの喜び」を表現することであり、そうなると妻の「オーガズム」は夫の幻想を満足させる手段でしかない。

妻の「オーガズム」が夫を満足させる手段とされた、もうひとつの場面は、避妊がテーマとされたときである。1950年代当時、避妊の普及は国家的課題となっていた。引揚者やベビーブームによって、敗戦後の日本では、人口が一気に増え、ただでさえ食料が乏しいなか、出生数を減らす必要に迫られていたのである。

しかし、夫婦の性生活において避妊をする習慣のない人びとに、すぐに避妊が広まったわけではない。1950年代の出産抑制においては、避妊よりも中絶が重要な役割を果たしたといわれている。

では、なにが避妊の実践を阻んだのか。もちろん知識不足もあったが、それにもまして「夫の非協力」がひとつの壁として立ちふさがっていた。

『主婦の友』の避妊特集記事では、避妊に協力しない夫を「上手にリード」する必要が語られた。夫を機嫌よく避妊に協力させることができなければ、夫はふてくされて避妊なしの性交を強要するかもしれないし、もしくは、ふてくされて買春するかもしれない。だから、夫をうまくあしらえというのだ。「満足さえ与えてやれば、世の夫は昼間では見られぬやさしさを示す」 というわけである。

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特に、コンドームによって挿入の快感が減退する夫を満足させるためには、「楽器を演奏する奏者」あるいは「土地を耕す農夫」の喜びを与えることが有効であるとされた。もちろん「不感症」はNGである。

当時の妻たちは、性的な快感を得ること以前に、夫に婚姻外性行為を控えてもらい、避妊にも協力してもらわねばならないという課題に直面していた。夫の浮気を防止するため、夫に避妊に協力してもらうため、夫のために「感じさせられる女」になる。それはとりもなおさず、夫の幻想に従属することである。

そもそも男性知識人の旗振りのもとに論じられた快楽の平等とは、かわいそうな女性に、男性側が配慮しようというものであり、男性の善意に依存するものであった。「感じさせる」ことは、男性次第で「思いやり」にも「自己満足」にもなり得たのである。

こうした歴史が教えてくれるのは、男女の立場に強弱があるなかで、「強者の善意」に依存する平等は機能しないということである。性的快楽の平等は、女性のリプロダクティブ・ライツ(生殖に関する権利)の保障はもとより、社会的に女性が男性と対等な存在となることなしに、ありえない。そして、そのときこそ単純な「感じさせられる/感じさせる」という性役割も消滅しているのではないだろうか。 

*1 篠崎信男『日本人の性生活』文芸出版、1953年、54頁。
*2 「奥様が狂乱する旦那様のベツド戦術/旦那様が狂喜する奥様のベツド戦術」『夫婦生活』1953年11月号。
*3 「私はこうされると燃えてくる・僕はこうされるとたまらない」『夫婦生活』1953年11月号。
*4 「現代夫婦論(三)快楽を求めて」『主婦の友』1957年12月号
*5 「夫婦の愛情生活はむさぼるべからず」「花嫁生活ABC」『主婦の友』1957年7月号。
*6 「夫への不平不満をぶつける座談会」『主婦の友』1953年11月号。
【参考文献】
赤川学1999『セクシュアリティの歴史社会学』勁草書房
天野正子1997『フェミニズムのイズムを超えて』岩波書店
荻野美穂1994『生殖の政治学―フェミニズムとバース・コントロール』山川出版社
渋谷知美2008「性教育はなぜ男子学生に禁欲を説いたか―1910~40年代の花柳病言説」井上章一編『性欲の文化史1』講談社、41-68頁
田中亜以子2014「「感じさせられる女」と「感じさせる男」 ―セクシュアリティの二枚舌構造の成立」小山静子・赤枝香奈子・今田絵里香編『セクシュアリティの戦後史』京都大学学術出版会

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