中国全土が「真っ赤っか」
あさって7月1日は、中国共産党創建100周年の記念日である。
習近平総書記は、「1949年の建国以来、最大の祝典にする」とばかりに気合十分である。キーワードは、「紅色血脈」。中国共産党の党色である「紅色」の血脈を、次世代に引き継いでいくという意味だ。
すでに中国全土が「真っ赤っか」である。以下、首都・北京、最大の経済都市・上海、そして「一国二制度」が揺らぐ香港について見ていこう。
まず北京の街には、いたるところに共産党100周年を称えるスローガンが掲げられている。一昔前までは、夜になるとこうしたスローガンを見ずに済んだが、いまや夜になっても、北京のビル群に共産党のスローガンがネオンサインとなって、これ見よがしにライトアップされる。
ざっと目についたスローガンを訳してみると、以下の通りだ。
「熱烈慶祝中国共産党成立100周年!」
「偉大な中国共産党万歳!」
「中国共産党は全国各族の人民の領導核心である!」
「党風の廉政建設を強化し、全心全意人民に奉仕しよう!」
「強固な党の執政を基礎に、全面的な和諧社会を建設しよう!」
「党の建設を全面的に強化、改革し、党の執政能力を不断に引き上げよう!」
「立党は公のため、執政は民のため、栄誉と恥辱を分別し、新たな功績を再建しよう!」
「先峰の作用を発揮し、先進的な本色を永続させよう!」
「創造的で優秀な活動を深く展開し、建党100年の誕生日を祝おう」
「権力は民のために用い、情は民のために結び、利は民のために謀る」
「立党は公のため、執政は民のため、党の執政能力建設と先進性の建設によって社会主義和諧社会の建設を推進しよう!」
「党の先進性を保持し、科学的発展観を実行しよう」
「科学的な発展を堅持し、和諧光沢を共に建設しよう」……
2008年8月に、北京オリンピック・パラリンピックを開催した北郊のオリンピック公園の一角には、6月18日、巨大な中国共産党歴史展覧館がオープンした。展覧面積は約15万㎡と、東京ドームの3倍以上もある。
この日、習近平総書記が、中国共産党中央政治局常務委員(トップ7)を引き連れて、オープン記念の「初心を忘れず、使命を銘記する(不忘初心、牢記使命)特別展」を参観した。
2600枚以上の写真と、3500個以上の文物が展示されている。習総書記が、両腕を後ろに組んで腹を突き出し、6人の常務委員たちに、崇拝する毛沢東主席の偉大な足跡について、右手で指し示しながら説教している。もうすっかりおなじみの姿が、CCTV(中国中央広播電視総台)を通じて報じられた。
共産党目線の「20世紀の中国史」
この展覧館は、そもそも2018年4月、習近平総書記の「鶴の一声」で建設を決めたものだ。
「3年後の党創建100周年に向けて、風格ある共産党の殿堂を建設せよ!」
習近平総書記が好むのは、1950年代の毛沢東時代にソ連の技術者たちが建設した「北京10大建築物」(人民大会堂、中国国家博物館、中国人民革命軍事博物館、民族文化宮、民族飯店、釣魚台国賓館、華僑大厦、北京駅、全国農業展覧館、北京工人体育場)のような建造物だ。
そのため、人民大会堂の設計にあたった北京市建築設計研究院が設計を担当し、「習近平好み」の建物にした。こうして21世紀が20年も過ぎた先進都市に、亡霊のように毛沢東時代の建築が甦った。
この建造物を空中から仰ぎ見ると、「工」の字をしている。これは、「工人」(一般労働者)が共産党を建設したことを示している。また、建物の東西の円柱の柱廊は、計28本。これは、1921年に創建された中国共産党が、28年後の1949年に建国に至ったことを示しているのだという。
また、中庭の広場には、5体の彫像が置かれていて、それぞれ「旗幟」「信仰」「偉業」「攻堅」「追夢」を表している。100年続いた中国共産党によって、人民が幸せになり、中華民族が復興していくことを示しているのだという。
ちなみに、この中国共産党歴史展覧館の郵便番号は、「100100」。わざわざ住所を書かなくても、「100周年」を重ねた「100100」という郵便番号を書くだけで、ここへ郵便物が届くという。もっとも、この展覧館宛てに手紙を出す人がいるのかどうかは不明だが。
インターネットでこの展覧館の展示を見ていると、つくづく「勝てば官軍」という言葉を実感する。
もしかしたら日本の明治維新などにもそういう一面があるのかもしれないが、歴史というものは、勝者によって塗り替えられていく。敗者には発言権がないから、「そこは事実と違うでしょう」などと横やりは入らない。そのため、ひたすら中国共産党の側に都合よく、「20世紀の中国史」が描かれていくのだ。
それは簡単に言えば、欧米列強や日本帝国に反植民地化され、蒋介石率いる中国国民党に虐げられた中国大陸を、「正義の味方」毛沢東主席率いる中国共産党が、解放していくというストーリーだ。「屈辱の100年」からの解放が、中国共産党の「最初の100年」のモチーフになっている。
まるで文化大革命当時の雰囲気に
今年から始まる「次の100年」のモチーフは、やはり「正義の味方」習近平総書記率いる中国共産党が、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢を実現させる」というものだ。「毛沢東から習近平へ」というところがポイントで、その間の鄧小平、江沢民、胡錦濤という3代の指導者たちは、すっかり霞みがちである。
その習近平総書記は、忙しい。6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」
まさに毛沢東時代に戻ったかのような講話である。
翌26日には、新華社通信が新たなニュースを報じた。同日、北京に「習近平法治思想研究センター」を設置したというのだ。党中央政治局委員の王晨中国法学会会長は、成立大会でこう述べた。
「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導を堅持し、習近平法治思想の研究を深く展開し、宣伝工作を鮮明にするのだ。習近平法治思想は、マルクス主義法治理論を中国化した最新の成果である。
中国共産党100周年の時に、習近平法治思想研究センターが成立した意義は重大だ。政治の立ち位置を引き上げ、中心的な任務に集中し、将来は研究センターを習近平法治思想を学習、研究、宣伝する重要なプラットフォームと基地にするのだ」
まるで文化大革命の時のような雰囲気になってきた。
中国共産党第1回全国代表大会開催地の今
北京だけでなく、中国最大の経済都市・上海もまた、「真っ赤っか」である。その中心地は、旧フランス租界の興業路76号にある一軒家、中国共産党第1回全国代表大会開催地である。現在は、中国共産党一大紀念館になっている。
1921年7月23日、上海代表の李漢俊の兄、李書城の家の18㎡の応接間に、上海の李達と李漢俊、北京の張国焘と劉仁静、武漢の董必武と陳潭秋、長沙の毛沢東と何叔衡、広州の陳公博、済南の王尽美と鄧恩銘、日本の周佛海らが出席した。会議を仕切ったのは、モスクワに本部を置くコミンテルン(共産主義インターナショナル)から派遣されたマーリンとニコルスキーである。
だが、共産党は非合法であり、官警に踏み込まれてしまう。そこで浙江省嘉興まで逃げ延び、南湖に船を浮かべて、中国共産党の結党宣言を読み上げたというのが、中国共産党の「正史」である。
その船はいまでは「紅船」と呼ばれ(正式名称は「南湖革命記念船」)、南湖革命紀念館が建っている。習近平総書記は、2017年10月に第19回中国共産党大会を終えるや、新たに選出したトップ7を全員引き連れて、この紀念館にやって来た。それくらい、思い入れが強いのである。
だが、私がこの第1回中国共産党大会で不思議でならないのは、当時の2大指導者だった陳独秀と李大釗が、いずれも参加していないことだ。陳独秀は当時、広東の教育長で、李大釗は北京大学の図書館長だった。
いくら官警の目を逃れて地下活動での「結党大会」とはいえ、この二人が不参加というのはあり得ない。広東や北京よりもはるかに遠い「東京代表」までわざわざ参加しているのである。加えて、この第1回共産党大会で、不参加の陳独秀を初代の総書記に選出しているのだ。
この「謎」について、イギリス在住の作家ユン・チアン(張戎)氏は著書『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(邦訳は講談社、2005年)で、「実は中国共産党は、1920年8月に創立された」と断言している。コミンテルンから派遣されたヴォイティンスキーが指導して、陳独秀ら8人ほどが創立メンバーになったという。
〈 これは毛沢東および後継政権によって長らく微妙な点であり、公式な党史は中国共産党の創立を1921年としている。毛沢東が初めて党の会合すなわち第1回党大会に出席した事実を立証できるのがこの年だからである。党の公式見解に従って、上海の中国共産党第1次全国代表大会会址紀念館でも、毛沢東が中国共産党の創立メンバーであったという「神話」にもとづいた展示をおこなっている。しかし、中国共産党の創立が1921年ではなく1920年であったことはコミンテルンの刊行物によっても確認されており、第1回党大会を指導するためにモスクワから派遣された密使の一人によっても確認されている 〉(同書、上巻46ページ)
この本を読んでいると、「毛沢東が参加していなかったから本当の第1回大会を削除した」というユン・チアン氏の「推理」は、説得力を持っているように思える。実際、1956年に第8回中国共産党大会が開かれた時、毛沢東主席は党大会の登記証に、「1920年入党」と記しているのだ。
だが、私は実際にユン・チアン氏にインタビューし、この部分の記述について質したことがある。「コミンテルンの刊行物とは具体的に何か?」「モスクワから派遣された密使の一人とは誰で、どのように確認されているのか?」といった質問を投げかけた。
するとユン・チアン氏は、「本に書いた通りだ」「そんな話を聞いた」などと、すべてはぐらかして答えたのだった。正直言って、インタビューの後、私の中で「ユン・チアン説」への信頼度は低下した。この本は「毛沢東の物語」としては抜群に面白いのだが、細部の事実関係については、他の点も疑問がいくつかあった。
繰り返しになるが、「勝てば官軍」であり、「歴史は勝者のもの」である。中国共産党第1回全国代表大会開催地は、以前、私が訪れた時は、ちっぽけな家が記念館になっていて、訪れる人もいなかった。すぐ近くにある大韓民国臨時政府記念館(日本植民地時代の1919年に上海にできた亡命政権)の方は、韓国人の訪問客を乗せた大型バスが連なり賑わっていて、対照的だった。
だがいまや、中国共産党第1回全国代表大会開催地(一大紀念館)は立派に改装された。会議の模様が立体感をもって再現されているが、当時は主要メンバーでなかった毛沢東が、ひときわ格好よく描かれている。また、周囲も含めた14ヵ所が「紅色景点」に指定され、連日賑わいを見せている。
6月26日には、丁偉・上海市人民代表大会常務委員会法工委員会主任と薛峰・中国共産党一大紀念館館長が、CCTVの『新聞聯播』(夜7時のメインニュース)のインタビューに答えて、厳粛な表情で述べた。
「これらの『紅色景点』は、重要な歴史的価値を持つものだ。『紅色景点』に収まった『物質資源』と『精神資源』は、社会の普遍の順守すべき行為準則に転化されているのだ」(丁偉主任)
「(改装されて)展覧展示の方式が一新された。新たな中国共産党一大紀念館が建ったようだ。多くの媒体を融合、浸透させ、総合的な展示が運用できるようになった。観客は建党の過程が、さらに直接、深く理解できるようになった」
急速に「一国一制度」に向かう香港
『新聞聯播』はこのニュースに続いて、「香港も中国共産党100周年で大きな盛り上がりを見せている」と報じていた。
はて、香港と言えば、大きな盛り上がりを見せたのは、6月24日に中国と香港当局の圧力によって廃刊に追い込まれた『蘋果日報』(リンゴ日報)の話題ではなかったか?
6月26日午前、香港のコンベンションセンターで、「中国科学者の100年」の展覧会の開幕式が行われた。この展覧会の目玉は、昨年12月に中国の月面探査船「嫦娥5号」が持ち帰った「月の石」である。開幕式には、林鄭月娥行政長官が参加し、スピーチした。
「このたび、国家の宇宙科学者たち及び月の石が香港を訪れてくれた。これは、香港が国家の宇宙科学技術プロジェクトにさらに大きな貢献をする励みとなるものだ。かつ『一国二制度』の事業の発展の新たな実践を推し進めるものだ」
このように中国政府は、ソフト(気持ち)で香港人を掴めない分、ハード(科学技術)で掴もうとしているのである。「あなたも偉大な科学立国の一員なのですよ」というわけだ。香港人向けに、無料でコロナワクチンを提供したりしているのも同様の手段だ。
こうした試みが成功するのかどうかは分からないが、6月30日に香港国家安全維持法が施行されて一年を迎える香港が、急速に「一国一制度」に向かっていることは確かだ。ちなみに、7月1日は中国共産党創建100周年であると同時に、香港返還24周年の記念日でもある。
世界最大9191万人の党員数(2019年末)を誇る中国共産党が、「習近平党」に変わっていくのか――この点が今後の最大の注目点である。