INTRODUCTION
三島由紀夫は、ポップスターだった。大衆雑誌の人気投票でトップを飾り、まだ子どもだった私は、その通俗さを冷めた目で見ていた。中学2年の11月25日、昼食時間に他のクラスの教師が入ってきて、「三島由紀夫が自衛隊に乱入している」と言った。インターネットがなかった時代は、情報は少しだけ遅れてやってくる。朝日新聞夕刊に、三島と、共に命を落とした「楯の会」森田必勝ふたりの首がぼんやりと写っていた。私は今でも変色したその夕刊を持っている。
どうして三島は死ななければならなかったのか。私にはわからなかった。思想的に対立していたはずの左翼たちが死を悼み、右翼たちは批評した。その死は、政治的な要請ではなく、文学者としての結実を示していたのだろうか。遺作となった『豊饒の海』を読み返しても、今もってその謎を解き明かすことができない。輪廻転生が描かれる4部作の中で、三島は仏教用語で最も深い意識を指す「阿頼耶識」という言葉を使った。そこには、あらゆる存在の種子が胚胎されているという。
三島は、死によって種を放出したのだろうか。熱を帯びた虚無を描き、冷静な狂気を携えて、自己と未来に殉じた作家。相反する概念が表裏一体に存在する「生」を賭して、最後の仕事を果たしたのかもしれない。蒔かれた種がどんな果実を実らせたのか、ただ、私は見たい。アーティストは、他の「生」と渾然となりながら、作品を生み出していく。かつて三島が憂いたように、虚無にますます呑み込まれていく日本に、新たな種が撒かれることを願う。
飯田髙誉(1956〜 : 本展キュレーター)
三島由紀夫 (Yukio Mishima)
東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
- 出展作家
- /中西夏之
- /ジェフ・ウォール
- /杉本博司
- /池田謙
- アニッシュ・カプーア
- /森万里子
- /平野啓一郎
- /友沢こたお
- 出展作家
- /中西夏之
- /ジェフ・ウォール
- /杉本博司
- /池田謙
- アニッシュ・カプーア
- /森万里子
- /平野啓一郎
- /友沢こたお
- 出展作家
- /中西夏之
- /ジェフ・ウォール
- /杉本博司
- /池田謙
- アニッシュ・カプーア
- /森万里子
- /平野啓一郎
- /友沢こたお
三島由紀夫の作品「豊饒の海」について、中西夏之が生前に語ったことがあった。「豊饒の海」の最終巻「天人五衰」のラストシーンを描写する言葉...「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる」。中西は、この言葉に惹き付けられ、自らの作品「着陸と着水」を展開し再現することを構想していた。
「豊饒の海」4巻に貫かれた清顕の「輪廻転生」を見守ってきた本多は月修寺を訪れ、門跡となった聡子と再会する。そこには、転生した清顕の記憶があるはずだった。しかし、門跡となった聡子は、あっけらかんとこう言い放つ。
「そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやって、はじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか?」。清顕はそもそも存在しなかった——この言葉によって、本多自身のアイデンティティーが完全に崩れ去る。そして彼が最後に目にするのが、「この庭には何もない」という圧倒的な虚無の風景。
中西は、「この庭には何もない」領域を位相空間として捉えたのだ。つまり、現実的な領域と「何もない庭」との間には、目に見えない皮膜が存在している。皮膜を通したこちら側と向こう側を取り結ぶ境界領域の虚無的存在を作品「着陸と着水」によって浮かび上がらせようとする。「画家の現実を想ってみる。この画家は、高みに向けて祈るように仕事をしない。髙空から、高所から、降下しつつもあるという意識から現実をみている。
画家の仕草や作品が堂々としているのは、地に足がついているからではなく、降下し、着地寸前の薄い膜一つ隔てて地表から浮いている、という画家の意識が想像されるからであろう」(註)と中西は述べている。これは、絵画、オブジェなどの響き合う場所、あるいは、「無限遠点からの響き」を「緩やかに」待ち受ける絵画の場所を提示する試みと言える。
テキスト: 飯田 高誉
注) 中西夏之著「大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む」筑摩書房、1989 P.107
ジェフ・ウォールは、写真の中で緻密な演出を施す「ステージド・フォト」の創始者とされ、美術史と写真技術を駆使しながら、多数のショットを重層的かつ繊細に構成した作品を発表している。本作品は、三島由紀夫の遺作となった「豊饒の海」の第一巻「春の雪」の一場面を緻密な構成と光によって新たな絵画的写真作品を創り上げた。ウォールの本作品は、「豊饒の海」(第一巻『春の雪』)の次の一シーンの描写からインスパイアされたものである。物語は、皇室への輿入れが決まっていながら、幼馴染である清顕との禁断の愛に胸を焦がす聡子の心理的状況と清顕の葛藤を描いている。人目を忍び鎌倉の浜辺で彼と肌を重ねた聡子のことを、清顕の親友にして逢引を手助けする本多が同級生から借り受けた車を使って東京へ送る聡子の車内での情景を小説では次のように描写している。
この小説のシークエンスを見事に絵画的写真として再現し、もう一つの物語の誕生を示唆したのである。小説に内包しているこの一場面の視覚構造と、「靴から床へ落とした砂音」を描写したシーンを視覚化したことによって生々しい臨場感とこの小説の今後展開する「儚さ」を暗示したのである。
ブリティッシュ・コロンビア大学で学んだ後、ロンドンのコートールド美術研究所で美術史を修めたウォールは、ゴヤやマネのように、画家自身が生きている時代を描き出していながら、強烈な印象を与えることのできる作品を作るにはどうすべきか、私たちが生きている現代社会にとって意味のある作品とはなにかを問い続けている。その結果、「絵画、映画、写真、広告のいずれでもないのに、そのすべてと結びついている」新たな表現方法を生みだしたのだ。ウォールは、自らが生まれ育ったバンクーバーの風景や町中での生活、そしてストレスの多い現代人の心理的葛藤など、私たちが生きている社会を映し出す鏡としての作品を作り続け、現代の語り部として国際的にも高い評価を受けている。
テキスト: 飯田 高誉
三島由紀夫自決の年、その年の春、22歳の私は意を決してアメリカに留学し、しばらくは日本に帰らないと心に決めていた。学生運動に多少ながら関わっていた私は東大の安田講堂陥落を見た。そしてその講堂で催された三島と学生達との討論会の詳細を見聞きし衝撃を受けていた。世の大義は学生側にあると信じていた私は、その根拠に大きな疑問を持ったのだ。私は「日本」を考え「国体」を思い始めたのだ。
自決の衝撃的な一報を私はロスアンゼルスで聞いた。ウッドストックから1年、若者達の大人文化への革命的な機運は褪せてはいなかった。カリフォルニアでは東洋神秘主義の風が吹いていた。禅や仏教について聞かれた私は自国の文化について何も知らないことを恥じた。私は唯物史観を一時棚に上げて仏典を漁るようになっていた。そんな時に三島自決の一報が齎されたのだ。
その後完結した「豊饒の海」4巻を読んだ。「奔馬」の最後「日輪は瞼の裏に爀奕として昇った」に至った時、カミューの小説「異邦人」の一節が脳裏に浮かんだ。なぜ青年を殺したのかと裁判長に問われたムルソーの答え「太陽が眩しかったからだ」。不条理が、通奏低音のように二人には流れていると思った。
そしてその完結、「記憶もなければ何もない庭」という命題、後に私の代表作となる「海景」は、そんな世界を海の風景として見立ててきたようにも思うのだ。三島作品はボディーブロウのように私の精神に今でも深傷を与え続けている。今年の正月に撮影した相模湾からの海景2点を出品することにした。
杉本博司
フィクションと現実、聖なるものと俗なるもの、右翼と左翼、破滅と救済、生と死、、、パラドックスをそのまま丸ごと飲み込んでいくような三島由紀夫の思想を、音楽家の立場から再考してみる。
まず、映画「憂国」のサウンドトラックを聴けばわかるように、三島はワーグナーに深い影響を受けている。特に「わが友ヒットラー」などの戯曲を読んだりすると、頭の中に暗いオペラが鳴り響くような気がしてくる。そして、もう一つ興味深いのは、自決する直前に高倉健の「唐獅子牡丹」(という湿っぽくベタな演歌) を唄ったということである。
いったい何故?ワーグナーを愛したはずの、あの上品で知性あふれる三島が、、、?しかしそれは、どちらが本音か建前か、という問題ではもちろんなく、どちらの音楽も三島由紀夫 “らしい” と言えるのである。それは、「金閣寺」や「仮面の告白」が “崇高” で、雑誌「プレイボーイ」に連載された「命売ります」などは“ 通俗的” だ、という短略的な解釈は決してできない、ということに似ているのかもしれない。
僕は三島の声をランダムにサンプリングしコラージュを組み立てながら、その背後に彼の “矛盾した” 音楽的嗜好を投げ込んでいった。ロマン派オペラと昭和ムード歌謡、フリージャズと江戸三味線の小唄、バッハのピアノ曲と雅楽、ジミヘンドリクスのノイズギターと能楽、ジョンケージのプリペアードピアノと鶴田浩二のプロパガンダ軍歌(これは“戦友の遺骨を抱いて” というトンデモない曲名)ーーーーすると、不思議なことに、それらの二項対立は奇妙な形で溶け合いはじめた。
三島の肉声の波動が死の世界から直接伝わっているような気がした。55年前に自決したのはずの三島が当たり前のように立ち上がり、軍服姿のまま「光」と「闇」と「情念」と「怒り」と「ユーモア」と「愛」と「業」と「煩悩」と「悟り」の言霊を至る所に撒き散らしていた。その音楽はまるで、今現在のグローバリズムと政治と思想と芸術のあり方に心の底から幻滅し呆れ果て、「諸君は空っぽで卑劣で醜い人間社会に、のうのうと生きている。私のように美しく死ぬことはできないのかね?」と問い詰められているように僕には感じられた。
池田謙
ヨーロッパのモダニスムとインド文化を融合させ、作品によって神秘的空間に変貌させる独創的な現代アーティストであるアニッシュ・カプーアは、三島由紀夫の大ファンであるとのことだ。シンプルなフォルムのなかに深い精神性を表す作品が特徴で、「物質・非物質」、「明・暗」など、一つの作品に二重の意味合いを内在させた「両義性の作家」と言われている。
カプーアの芸術観は、三島由紀夫の世界観と通底している。カプーアが「VOID(空虚)」に言及している展示構成は、東洋的な「無」や「空」を単に表象しているのではなく、西欧的な意味の執着から解放させることを暗示している。西欧的な意味での虚無が視線を返した時に、人間の空洞化した身体に取り憑いている肉塊をカプーアは投げつけ、魂の所在を探求するのである。
三島は、自決する数ヶ月前に遺した言葉が、カプーアの作品と共振することとなる。「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽ、ニュートラルな、中間色の、富裕、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」(註)と語る三島も魂の所在を必死に探求していたことがわかる。
本展覧会に出品する絵画作品シリーズは、中心性を喪失し、浮遊している魂の存在感や行方を追い求めていく瞑想的な作品である。カプーアの作品の本質は、秩序と混沌、美と醜、生と死、つまり、表層と深層の境界で画することではなく、人間に内在している感覚領域において、理性的な記憶に止まらない魂の記憶を呼び起こすことを表明している。私たちの身体を覆っている皮膚を反転させたとしよう、そこには、人種や性別、年齢を超えた内蔵的身体感覚が漲ってくる。
つまり、アニッシュ・カプーアの作品には、位相的空間領域が必然的に内在しているのだ。カプーア曰く「私にとって、作品は抽象でも非抽象でもない。意味と無意味の間にある。明らかにただの形にしか過ぎない。だが、その裏に何かありそうだ」と語っている。「その裏に何かありそうだ」というカプーアの言の通り、本展では「三島由紀夫の世界」と対峙し、「その裏」を解明しようという試みとなる。
テキスト: 飯田 高誉
注)1970年(昭和45年)7月7日付の産経新聞夕刊掲載された三島由起夫のエッセイ。
輪廻転生を繰り返しながら、人は魂の変化や成熟を経験する――三島由紀夫の『豊饒の海』は、その壮大なテーマが私の創作意欲を刺激する作品です。
『春の雪』に描かれた清顕と聡子の魂の旅路には、愛と運命、そして人の存在の本質に関わる深い問いが込められています。聡子の恋心が清顕の魂に与える影響、そして彼女が愛を断念しながらも、自らの生を全うしていく姿――これらは、単なる愛の物語にとどまらず、人の生き方や魂のあり方そのものを象徴しているように感じられます。
私は、この二人の魂が出会い、恋心が芽生えた瞬間にその魂がどのように変化していったのかを表現したいと考えました。魂の視点から作品化することで、輪廻転生という壮大なテーマを、私の視点から新たな形で描き出したいと思っています。
人はなぜ生き、何を学ぶために存在するのか――愛を通じて得られる気づきや成長は、個人の魂の成熟にどのように寄与するのでしょうか。私は『春の雪』に触れる中で、愛の体験が魂の成長の一部であると感じましたが、その成熟度や形は千差万別です。聡子の魂は、清顕への愛を犠牲にした選択を通じて成熟し、結果として情念を超越したかのように見えます。
人はなぜ生き、何を学ぶために存在するのか――愛を通じて得られる気づきや成長は、個人の魂の成熟にどのように寄与するのでしょうか。私は『春の雪』に触れる中で、愛の体験が魂の成長の一部であると感じましたが、その成熟度や形は千差万別です。聡子の魂は、清顕への愛を犠牲にした選択を通じて成熟し、結果として情念を超越したかのように見えます。一方で、清顕の魂は愛を理解する手前で立ち止まり、欲望や未熟さの痕跡を残したまま輪廻を続けたように思えます。
私の作品は、ふたりの魂へ焦点をあて、愛や運命の瞬間に宿る美しさと儚さを形にしたいという思いから生まれています。
森 万里子
2024年12月6日
三島由紀夫は、自らの身長体重を「164㎝、50㎏くらい」(「三島由紀夫との50問50答」 1967年9月)と記している。
新潮社から『決定版 三島由紀夫全集』が刊行された時、私はその1巻当たりの重さが、平均して1㎏強であることに気がついた。全42巻の総重量は、大体、三島の体重と同じくらいではあるまいか。
そう考えてからというもの、書斎の書架を圧する三島全集の重みには、彼の肉体そのもののような生々しさが加わった。まるで三島が、そこに横たわっているかのようだった。ハインリッヒ・ハイネの「本が焼かれる地では、いずれ人間も焼かれる」という『アルマンゾル』の言葉通り、物体としての本と人間の肉体との間には、魔術的なアナロジーがある。
ハインリッヒ・ハイネの「本が焼かれる地では、いずれ人間も焼かれる」という『アルマンゾル』の言葉通り、物体としての本と人間の肉体との間には、魔術的なアナロジーがある。
創作を行動に対置し、「文武両道」を唱え、肉体と精神との相克を生の緊張として求めた三島は、最期には、極致的な虚無に於いて、到達するように、回帰するように、あらゆるものの〈反対の一致〉を夢想した。彼がこの世界に残した創作物の重さが、さながら、その肉体の重さと均衡しているという事実は、所詮は単なる偶然だが、しかし三島であるならば、これもまた、計算ずくであったかのような軽い目眩を催させる。
彼がこの世界に残した創作物の重さが、さながら、その肉体の重さと均衡しているという事実は、所詮は単なる偶然だが、しかし三島であるならば、これもまた、計算ずくであったかのような軽い目眩を催させる。
私が三島文学を愛したのは、虚無と苦痛と美の故だった。しかし、その行動については?デビュー以来、実作と並行し、二十年以上に亘って、三島全集との対話を続けてきた。
彼の「文武両道」については、自分なりの理解に達したが、それでもやはり、三島本人に問うてみたい気持ちは残っている。本当に、文学だけでは不十分だったのだろうか、と。
平野 啓一郎
先日プールに潜り、揺れる水面を内側から見ていた。光が七色に割れながら脳の奥に触れてくる感じが気持ちよかった。でも「危ないのでやめてください」と何度も係員に言われた。
死を遠ざけるために生の閾値さえも過剰に制御される今の日本に私は生きている。命を燃やしすぎる光景が生み出されにくい。5歳でフランスから日本へ移住し、行動一つ一つに「いけないんだー」と言われることがあまりに多く、衝動を抑えることで生活を覚えてしまった。
5歳でフランスから日本へ移住し、行動一つ一つに「いけないんだー」と言われることがあまりに多く、衝動を抑えることで生活を覚えてしまった。三島由紀夫を知り、「やりすぎのさらにやり過ぎた先」にしかない光を、日本人として想像することができたというのが嬉しかった。
三島由紀夫を知り、「やりすぎのさらにやり過ぎた先」にしかない光を、日本人として想像することができたというのが嬉しかった。ある朝、部屋でひとり三島さんの演説を真似て叫んでみた。汗に濡れた身体と痙攣する皮膚の先に、部屋の色と光が一変し、私は涙を流し崩れ落ちた。
ある朝、部屋でひとり三島さんの演説を真似て叫んでみた。汗に濡れた身体と痙攣する皮膚の先に、部屋の色と光が一変し、私は涙を流し崩れ落ちた。ほんとうは、全裸で買い物に行きたい。さららーっと小便をしながら歩いてみたい。
自由について考えている。上面の慰めあいの言葉では触れられない場所に、三島さんが光を足してくれた。
友沢 こたお
永劫回帰に横たわる虚無
三島由紀夫生誕100年=昭和100年
- 主催
- ジャイル / スクールデレック芸術社会学研究所
- 会期
- 2025年7月15日(火)- 9月25日(木)
*8月18日(月)休館
- 会場
- GYRE GALLERY | 東京都渋谷区神宮前5-10-1 GYRE 3F
- 企画
- 飯田高誉(スクールデレック芸術社会学研究所 所長)
- PRディレクション
- HiRAO INC
- 協力
- 公益財団法人日仏会館
- 展覧会出展作家
- 中西夏之 / ジェフ・ウォール / 杉本博司 / 池田謙
アニッシュ・カプーア / 森万里子 / 平野啓一郎 / 友沢こたお
- PRESS CONTACT
-
HIRAO INC|東京都渋谷区神宮前1-11-11 #608
T/03-5771-8808|F/03-5410-8858
e-mail:[email protected]
- お問い合わせ
- 0570-05-6990 ナビダイヤル(11:00-18:00)
Exhibition Movie
中西夏之(Natsuyuki Nakanishi)
1935年東京に生まれる。1958年東京藝術大学を卒業。1963年高松次郎、赤瀬川原平とハイレッド・センターを創設、 従来の美術制作の枠を越えた反芸術運動で注目を集める。1965年には舞踏家である大野一雄、土方巽らと交流。 以降は土方率いる暗黒舞踏の公演の舞台美術や舞台装置、オペラの舞台装置を手がけるなど、多様な芸術活動を展開 。インスタレーションやオブジェなど様々な表現方法を模索したが、ことに紫や白、黄緑を基調とする抽象的な連作で、 絵画表現の根源を問い続けた。1996年東京藝術大学名誉教授に就任。晩年まで精力的に新作を発表し続け、国内外で展覧会が多数開催 。主な個展に、1995年『白く、強い、目前、へ』(東京都現代美術館、東京)、2012年『韻 洗濯バサミは攪拌行動を主張する 擦れ違い/遠のく紫 近づく白斑』(川村記念美術館、佐倉)ほか。ニューヨーク近代美術館、東京国立近代美術館、国立国際美術館をはじめ、 国内外の公立コレクションに作品が多数所蔵。2016年没。
ジェフ・ウォール(Jeff Wall)
ジェフ・ウォールの作品は、写真のエッセンスを絵画、映画、文学など他の芸術の要素と融合させたもので、彼が "シネマトグラフィ "と呼ぶ複雑な様式を持つ。彼の写真は、古典的なルポルタージュから精巧な構築物やモンタージュまで多岐にわたり、通常は伝統的に絵画と同義とされる大規模なスケールで制作される。1946年、カナダのバンクーバー生まれ。コンセプチュアル・アートの全盛期である1960年代に写真に関わるようになり、1970年代半ばには、コンセプチュアリズムの実験精神を絵画写真の新しいバージョンへと発展させた。彼の写真は、当時は写真芸術というよりむしろ宣伝のためのメディアとして認識されていた、逆光のカラー・トランスペアレンシーとして制作された。これらの作品は、ギャラリーや美術館で展示されたときに驚くべき効果をもたらし、写真の美学の重要な側面としての色の確立に一役買った。1970 ブリティッシュ・コロンビア大学-美術史マスター。1970-73 ロンドン大学コートールド美術研究所(Courtauld Institute of Art)1974-75 ノバスコシア美術デザイン大学助教授。1976-87年サイモンフレーザー大学准教授他、多くの教育機関で教鞭をとる。
杉本博司(Hiroshi Sugimoto)
現代美術作家
1948 年東京生まれ。1970年に渡米、1974年よりニューヨーク在住。活動分野は写真、建築、造園、彫刻、執筆、古美術蒐集、舞台芸術、書、作陶、料理と多岐にわたり、世界のアートシーンにおいて地位を確立してきた。杉本のアートは歴史と存在の一過性をテーマとし、そこには経験主義と形而上学の知見をもって西洋と東洋との狭間に観念の橋渡しをしようとする意図があり、時間の性質、人間の知覚、意識の起源、といったテーマを探求している。作品は、メトロポリタン美術館(NY)やポンピドゥセンター(パリ)など世界有数の美術館に収蔵。代表作に『海景』、『劇場』、『建築』シリーズなど。 2008 年に建築設計事務所「新素材研究所」を設立、MOA美術館改装(2017)、清春芸術村ゲストハウス「和心」(2019)などを手掛ける。2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立。2017年10月には構想から 20 年の歳月をかけ建設された文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」をオープン。伝統芸能に対する造詣も深く、演出を手掛けた『杉本文楽 曾根崎心中』公演は海外でも高い評価を受ける。2019年秋には演出を手掛けた『At the Hawk’s Well(鷹の井戸)』をパリ・オペラ座にて上演。主な著書に『苔のむすまで』、『現な像』、『アートの起源』、『空間感』、『趣味と芸術-謎の割烹味占郷』、『江之浦奇譚』、最新刊に『杉本博司自伝 影老日記』。1988 年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。|Photo : Masatomo Moriyama
アニッシュ・カプーア(Anish Kapoor)
アニッシュ・カプーアは1954年インド、ムンバイ生まれ。1970年代に渡英し美術を学び、現在はロンドン、ベネチアを拠点に活動。 1990年ヴェニス・ビエンナーレ英国館での個展、同年のターナー賞受賞、1992年ドクメンタ出展等を始め、その後主要な国際展への参加や欧米の美術館での個展を開催。 また2004年シカゴのミレニアムパーク、2012年ロンドンオリンピックの記念モニュメント制作をはじめ、2015年ヴェルサイユ宮殿や2019年北京・紫禁城での個展、2022年ヴェネチア・アカデミア美術館とパフラッツォ・マンフリンの2会場で同時開催した回顧展などが話題となった。 日本でも金沢21世紀美術館に恒久設置されたインスタレーション作品など、数々の美術館所蔵作品やコミッションワークがある。2011年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞、2018年別府市のアートイベント「in Beppu」での屋外大作展示など、全国でその活動はよく知られている。 神話や哲学に根ざした独特の世界観を持ち、展示空間そのものを異空間へと変換してしまう彼の作品は、その現実と非現実の両面性によって宇宙的な観念や神秘性、官能性を観る者に強く感じさせる。 視覚的な喜びや作品体験を純粋に楽しめる親しみ易さを併せ持つその表現は、現代美術の主流である欧米的な価値観の域を超えた東洋的な思想に基づく独自性によって多くの人々を魅了している。
池田謙(Ken Ikeda)
即興電子音楽家、 作曲家
FMサイン波に独特な加工を施しながら電子音の粒子そのものを即興的に摘出し、「内的原風景」の揺らぎ、 減 衰、 失跡を追体験させると同時に、 近代音楽の底に沈む儀礼的な霊性、 身体性、 野蛮さの再発掘を試みる。 また、 視覚的な角度から音楽を再認識する試みとして、 創作楽器やグラフィックスコアの展示も続けている。 今までに7枚のソロアルバムをTouch(英)、 Room40(豪)、 Spekk(日)等のレーベルからリリース、 そして、 David Toop, Carl Stone, Eddie Prevost, John Russell ,Roger Turner,等とのコラボレーションアルバ ム、 さらに、 杉本博司、 横尾忠則、 森万里子、 田中泯、 コムアイ、 David Lynch 等、 現代美術やモダンダン スのサウンドトラックも数多く手がけている。
森万里子(Mariko Mori)
森万里子は、存在の根源的な問いを探求し、人類と宇宙との関係を考察する作品で知られる、国際的に高く評価されている多分野にわたるアーティストです。彼女の大規模なパブリックアートは、先端技術と古代の象徴を融合させ、精神的なつながりと生態系への意識を呼び起こします。精神性の探究と未来的な美学を結びつけることで、自然、人類、そしてテクノロジーが調和する関係性を描き出しています。2003年に発表された没入型インスタレーション《Wave UFO》により国際的な注目を集め、クンストハウス・ブレゲンツ、第51回ヴェネチア・ビエンナーレをはじめとする世界各地の主要美術館で展示されました。2007年から2011年にかけて開催された個展《Oneness》は、ヨーロッパ、南米、アジアを巡回し、2011年にはリオデジャネイロのブラジル銀行文化センターにおいて、累計538,328人の来場者を記録し、同年世界で最も多くの来場者を集めた現代美術展となりました。森はこれまで、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(ロンドン、2012年)、ジャパン・ソサエティ(ニューヨーク、2013年)、東京都現代美術館(2002年)、ポンピドゥー・センター(パリ、2000年)、ブルックリン美術館(ニューヨーク、1999年)、シカゴ現代美術館(1998年)など、世界の名だたる美術館で個展を開催しています。また、ニューヨーク近代美術館(MoMA)およびソロモン・R・グッゲンハイム美術館など、主要美術館のパーマネントコレクションにも作品が収蔵されています。2025年には、大阪・関西万博にてパブリックスカルプチャー《Cycloid III》が公開され、ウィメンズ・パビリオンには《Peace Crystal》が展示されています。森万里子は、ニューヨークのショーン・ケリー・ギャラリーおよび東京のSCAI THE BATHHOUSEに所属しています。
平野啓一郎(Keiichiro Hirano)
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在した。また、各ジャンルのアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。著書に、小説『葬送』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイに『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「カッコいい」とは何か』、『死刑について』等がある。 累計60万部超のロングセラー作品『マチネの終わりに』の映画化(2019年)、『空白を満たしなさい』の連続ドラマ化(2022年)、『ある男』の映画化(2022年)、『本心』の映画化(2024年)と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行し、小林秀夫賞を受賞した。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。2024年10月、最新短篇集『富士山』を刊行。|Photo : ©Tamaki Yoshida
友沢こたお(Kotao Tomozawa)
画家 友沢こたおは、「生」と「死」の境界領域を象徴する「スライム」という媒介によって「生の感触」を意識化していく。生の息遣いと死への恐れ、カオスとコスモス、エクスタシーと絶望、そして夢と現実は、スライムによってそれぞれを結んでいる境界領域そのものが溶解し言語化できない新たな感覚領域を創り上げている。1999年、フランス・ボルドー生まれ。2022年、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。2024年、東京藝術大学大学院修士課程修了。 【近年の展覧会歴】個展:2025 「叫び」_爆ぜる身体 スクールデレック芸術社会学研究所・東京 / 2024 「Fragment」Tokyo8分・東京、「Réflexion」 N&A Art SITE・東京 / 2023 「SLIME」The Landmark・香港 / 2022 「INSPIRER」Tokyo International Gallery、「SPIRALE」PARCO MUSEUM TOKYO / 「Monochrome」FOAM CONTEMPORARY・東京 / 2021 「caché」tagboat・東京 / 2020 「Pomme d’amour」mograg gallery・東京 / グループ展:2025 「ART CIRCLES」レクサス大阪福島・大阪 / 2024「未来都市シブヤ エフェメラを誘発する装置」GYRE GALLERY・東京、「faces」 GALLERY CURU・バンコク・タイ / 2023 「MOT ANNUAL 2023 シナジー、創造と生成のあいだ」東京都現代美術館、「CONCERTO」Lurf Museum・東京 / 2021 「Everything but…」Tokyo International Gallery 【受賞歴】2019年 久米賞 / 2021年上野芸友賞