現代に生きる私たちにとって、AVは身近な存在。しかし、それが存在しなかった時代、人々はどのように性欲と向き合っていたのでしょうか?ある日、そんな素朴な疑問から始まったスレッドは、やがて壮大な歴史論争へと発展していきました。
【前提知識】戦国・江戸時代の性文化を紐解く
前提知識・背景: 本スレッドは、「戦国時代や江戸時代にAVがなかった時代、人々はどのように性欲を処理していたのか」という問いから始まっています。前近代日本の性文化、社会構造、そして現代の倫理観との比較について多角的な議論が展開されており、当時の婚姻年齢や女性の社会的地位、春画の役割、そして現代の性産業や少子化問題まで、幅広い論点が交錯するテーマです。
騒動の経緯・時系列: この議論は、単なる歴史的事実の探求に留まらず、時代を超えた人間の本質や社会の変遷、そしてジェンダーに関する価値観の相対性を考察する上で重要な示唆を与えています。客観的なデータと学術的視点から、前近代日本の性文化の実態とその現代的解釈について深掘りしていく流れとなります。
現代人の素朴な疑問と歴史の洗礼
www.hissi.org/read.php/news4vip/20251103/cWhoWnR6RlIw.html
スレ主の「現代に生まれて良かった」という素朴な声から始まったこの議論。しかし、その裏には「強姦しても捕まらない時代」という過激なレスや、他のスレの話題を唐突に持ち出す「監視者」の登場で、すでに波乱の予感…!
「昭和もなかったけど?」という冷静なツッコミは、時代考証の重要性を暗に示している。果たして、当時の人々は本当に“普通”に事を済ませていたのだろうか?
春画、花魁、そして14歳の衝撃
羨ましいとか思っちゃう俺はもうダメだ…どうせ俺なんか江戸時代に生まれてもモテないし…
現代に生まれてもモテないし…
ファッ!?14歳とかマジかよンゴ
当時はそれが普通やったんか?
現代だと逮捕で草も生えない
「エロ本はあったろ」という至極真っ当な指摘から、春画や花魁といった具体的な歴史的要素が提示され、議論は一気に深みを増していく。
そして飛び出した「あの時代14歳とかと中出しセックスできたしな」という衝撃の一言。これには「喪男」が自己憐憫に浸り、「議論好きニキ」が現代の倫理観とのギャップに戸惑いを隠せない様子だ。
歴史と現代倫理の衝突!激化する論争
当時の元服が12~16歳程度で、成人として扱われたため。婚姻年齢も現代よりはるかに低かった。
ただし、これはあくまで「適齢」であり、現代の倫理観をそのまま当てはめるのは無理がある。
性行為の自由度も身分や地域によって大きく異なった。
何が「無理がある」だよ。未成年は未成年だろ。そういう歴史修正主義が一番気持ち悪いわ。
お前みたいな奴が歴史を美化するから、いつまで経っても性犯罪が無くならないんだよ。
は?なんで歴史の事実を語ったら美化になるんだよ。
当時の風習を理解しようとしない方がよっぽど視野が狭いだろ。
今の価値観で過去を裁くとか傲慢極まりないわ。
「歴史修正主義」というレッテル貼りで思考停止か?
それあなたの感想ですよね?当時の文献に基づいた事実を述べたまでだろ。
論点ずらし乙。
どうせ金持ちはやりたい放題で貧乏人は餓えてただけだろ。
もう終わりだよこの国。
AVがないとか言ってるけど、女性の人権がないようなものじゃないですか。
現代に生まれて本当に良かった。≫1さんが言ってる通りですわ。
出たよフェミ。すぐ人権人権って騒ぐ。
当時の時代背景を無視して現代の価値観を押し付けるなよ。
もう女叩きスレに改名しろ。
でも、たまに村の娘とこっそり裏山でとか、そういう話は聞かされたな…
結局、貧富の差がでかいのはいつの時代も一緒なんだよな。
江戸時代後期には梅毒による死亡者数も結構あったらしいで。
AVは無くても性病はあったってことや。そういう意味では現代の方がマシちゃうか?
結構生々しい描写も多いし、現代のAVに通じるものがある。
むしろ、当時の絵師や彫り師の技術力が高すぎて、現代のCGよりエロいまである。
まあ、今も昔も人間なんてやること変わらんってことやろ。
AVがなくてもエロい絵描いたり、女抱いたり。
どうせAV見ても現実は変わらんし、みんな勃起して終わりw
そういう言い方、人としてどうなの?
性欲処理とか気軽に言ってるけど、裏にはたくさんの悲しい女性がいたんですからね!
もっと歴史を真面目に考えてくださいよ!
うるせえババア
スレチだぞ死ね
てめえら、論点ずらすな。ここはVIPだ。
過去ログ漁れ。こういうテーマはpart30くらいで結論出てるわ。
自治厨が湧く前に本題に戻せ
まさにそれだ。結局、時代が変わっても人間の本質と社会構造は変わらん。
現代だって金持ちは風俗行き放題、貧乏人はソシャゲでガチャ回すのが精一杯。
もう終わりだよこの国(真顔)
感情論のおばさんが自治厨に叱られてて草生える
やっぱVIPはこうでなくちゃな!
遊郭の女性も、性奴隷に近い状況だったことを忘れてはならない。
多様性を尊重する現代社会とは全く異なる倫理観があったことを理解する必要がある。
結局、その手の話はいつも欧米基準のリベラル視点。
日本独自の文化を、またぞろ「遅れてる」と叩くのか?
特定アジアの売春婦問題とかは見て見ぬふりですか?(笑)
「謎の専門家」の冷静な解説もむなしく、「歴史観否定派」と「歴史観擁護派」の間で、歴史的事実の解釈と現代倫理の適用を巡る激しいレスバが勃発!
そして「感情論のおばさん」と「煽りスト」による、まさかの論点ずらし合戦…かと思いきや、「自治厨」が喝を入れるという、まさにカオスなVIPの縮図がここに。
【深堀り】歴史と倫理の狭間:前近代日本の性文化を巡る論争
本スレッドの核心的な議論の一つは、「戦国時代や江戸時代における婚姻年齢と性行為の適齢性」に対する現代的倫理観の適用可能性でした。特に、当時の元服年齢(12~16歳程度)を根拠に、14歳程度の若年での性行為が一般的であったとする見解(スレッド18)に対し、現代の未成年保護の観点から「歴史修正主義」や「美化」と批判する声(スレッド19)が上がりました。この論争は、歴史学における「時代考証」と「現代的価値判断」の間の緊張関係を如実に示しています。
婚姻年齢と成人概念: 歴史的資料に基づくと、日本の前近代社会において、婚姻年齢は確かに現代と比較して著しく低かったことが確認できます。江戸時代の農村部では、特に男性の初婚年齢が20代前半、女性が10代後半から20代前半が一般的でしたが、元服を終えた者であれば、より若い年齢での婚姻も珍しくありませんでした。戦国時代の武家社会では、家と家との同盟関係を強化するために幼少期からの婚約や、10代前半での婚姻が戦略的に行われることもありました。元服は社会的に成人として認められる儀式であり、これをもって性的な活動を含め、成人としての権利と義務を負うと見なされる側面がありました。
現代の法的・倫理的枠組みとの相違: しかし、これは現代の「未成年」という概念や「性的な同意」に関する法的な枠組みとは根本的に異なります。現代日本では、民法上の成年年齢は18歳(2022年4月1日以降)であり、刑法では13歳未満との性行為は同意の有無にかかわらず「不同意性交等罪」として処罰されます。また、13歳以上16歳未満との性行為についても、特定の場合には「不同意性交等罪」に問われる可能性があります。歴史的な婚姻や性行為の実態を論じる際、現代の法制度や倫理観をそのまま過去に投影することはアナクロニズム(時代錯誤)に陥る危険性があります。歴史学は、当時の社会構造、規範、人々の生活様式を客観的に記述することを目的としますが、同時に、現代社会が直面するジェンダー平等や人権尊重といった課題との対話も不可欠です。
遊郭と女性の地位: 遊郭における女性の地位に関しても同様です。江戸時代の遊女は、多くが貧困家庭出身で、身売りによって遊郭に入ったとされています。彼女たちの多くは「性的自己決定権」を持つことは難しく、遊郭のシステムは現代的な人権概念から見れば、非常に搾取的な構造であったと言えます。こうした歴史的事実を、単に「当時の文化」として肯定的に捉えることはできません。歴史的状況を理解しつつも、現代の普遍的な人権基準と照らし合わせ、その差異を認識することが、より多角的で批判的な歴史理解に繋がります。
最終的に、このスレッドの議論は、歴史的事実の客観的理解と、現代の倫理観に基づく批判的考察という、二つの異なる視点をいかに統合するかという課題を提起しています。AVの有無という現代的な問いから始まった議論は、前近代日本の性文化、女性の地位、そして時代を超えた人権意識の変遷という、より深く複雑なテーマへと展開していったと言えるでしょう。
AVの誕生、結婚、そして少子化へ
もしAVがなかったら、みんなもっとセックスしてたの?
それとも、AVがあるから結婚しないの?
AVはな、昔はレンタルビデオ屋に隠してあったもんなんやで。
親にバレないように借りてきては、ドキドキしながら見てたもんや。
今はネットで何でも見れるから、そういうドキドキ感も無いやろ。
それに昔は結婚は「当たり前」だったから、AVがあっても結婚はしてたもんや。
あれって、江戸時代だったら春画として流通してたのかな?
現代に生まれてよかったって気持ちはわかる。
F5止まらんわwwwwww
加速ゥ!!!!
それな。都合のいい時だけ海外基準を持ち出すリベラルは信用できない。
歴史は多角的に見るべきだし、日本の文化を貶めるのは違うだろ。
(通りすがりだが、≫36の言う通りだと思うぞ)
必死すぎてIDコロコロしてるのバレバレだぞwwwwww
どうせ論破されて悔しいからって自演かよ。情けない。
IDコロコロマンにレッテル貼りマンが噛み付く構図。
まるで地獄絵図だな。
両者とも感情的で論理が破綻している。はい論破。
ニキつえーwww
完全に論破やんけwwww
ンゴwwww
生きていくのが精一杯だったんだろうな…
現代で良かったって言ってるイッチは勝ち組だけだろ…どうせ俺なんか…
結婚できない男は現代よりはるかに多かった。
それでも、性欲処理は各々何かしらやってたわけで、人間に性欲がある限り手段は探すものだ。
しかし、少子化の現代、この状況は果たして幸せなのか疑問が残る。
少子化も結局は経済の問題。
可処分所得が減れば結婚も出産も控える。
江戸時代も現代も、金がない奴は苦労するってことだな。
NISAやってない奴は情弱。
AVの存在意義、結婚との関係性という新たな視点が「疑問系ガイジ」から投下され、議論はさらに広がりを見せる。
そして「昔語りニキ」のレンタルビデオ屋時代の懐かしきエピソードに、「アニメ文化研究家」は現代アニメと春画を結びつける。いつの時代も、人間は「エロ」に熱心だったというわけか。
しかし、IDコロコロマンとレッテル貼り師、そして論破マンの三つ巴のレスバが勃発!まさにVIPの日常といったところか。「人口統計学者」や「経済通(自称)」による少子化問題への言及は、現代社会が抱える問題へと議論の焦点を移していく。
そして「オチ担当」が放った「いつの時代も、金とコネがある奴は性欲処理に困らず、ない奴は苦労する」という結論は、多くの読者の心に響いたことだろう。
平安貴族から現代まで、人間の本質は変わらない?
いやいや、じゃあ貴族とかは?
平安時代の貴族は一夫多妻制でやりたい放題だったんか?
そういう意味ではAVがなくても困らないだろ。
平安貴族の和歌とか見ると、現代で言う出会い系アプリのメッセージみたいなもんだろ。
「今夜、お前のとこ行くわ。いいだろ?」みたいな文面を送りあってたらしいしな。
結局、表現方法は違えど、やっていることは一緒なんだよ。
平安時代の出会い系アプリwwwwwww
草生えるわwwwwww
結局、人間って賢くなってないだけだよな。
どうせみんな子供作らないで、自分の性欲を満たすことしか考えてないんだろ。
もう終わりだよこの国。
「AVがなくても性欲処理は行われるが、現代の方が法と倫理の縛りが強く、過去の方が性に関する自由度は高かった(ただし弱者は搾取されがち)」ってことだろ。
解散。
まだ伸びるぞ雑魚wwwwwww
解散とか誰が決めたんだよwwwwwww
お前が解散しとけ
それとも農民?どっちがエロかった?
ガイジで草
お前みたいな奴は江戸時代でも現代でもガイジや。
ひどい…でもそれが現実なんだよな…
俺も武士になんかなれないし…
これは神スレ認定でいいだろwwwwwwww
VIP生きとるわwwwwww
これがジャパニーズソウルやな。
AVは偉大。
お前が言うなwwwwww
イッチが一番楽しんでるやろこれwwwww
まとめはよ。
知的好奇心
AVがない時代の性欲処理:多様な文化と社会構造
AVが存在しなかった前近代日本において、人々の性欲処理は現代とは異なる多様な形で行われていました。結婚は性行為の主な形態であり、当時の婚姻年齢は現代よりも著しく低く、元服(成人式)を終えた若年層での結婚が一般的でした。特に戦国時代の武家社会では、家同士の同盟強化のために幼少期からの婚約や10代前半での婚姻も頻繁に行われていた事実があります。
遊郭の存在と女性の地位:複雑な歴史的背景
都市部では遊郭が発達し、公認の売買春が性産業として機能していました。しかし、これらの歴史的事実を評価する際には、現代の倫理観と慎重に対話する必要があります。当時の女性の社会的地位は現代とは異なり、性的な自己決定権が極めて限定的であった可能性が高く、多くの遊女が貧困などの理由から性産業に従事せざるを得ない状況に置かれていました。また、梅毒をはじめとする性病も当時から深刻な問題であり、公衆衛生の観点からも現代とは比較にならないリスクを伴っていたのです。
「春画」というアートフォーム:表現の自由と時代の制約
江戸時代に広く流通していた春画は、現代のAVに近い視覚的刺激を提供していました。その描写は非常に生々しく、当時の絵師や彫り師の技術力の高さは驚くべきものです。春画は単なる性欲処理のツールとしてだけでなく、当時の文化や風俗を映し出す重要なアートフォームでもありました。しかし、その表現が許容された背景には、現代とは異なる性規範や倫理観が存在したことを理解しなければなりません。
これらの議論は、単なる歴史的事実の探求に留まらず、時代を超えた人間の本質や社会の変遷、そしてジェンダーに関する価値観の相対性を考察する上で重要な示唆を与えています。歴史的状況を理解しつつも、現代の普遍的な人権基準と照らし合わせ、その差異を認識することが、より多角的で批判的な歴史理解へと繋がるでしょう。
