ドイツの肉屋で1年間働いてみた

あなたは、ソーセージがお好きですか?
私はソーセージが好きすぎて、ドイツへ飛びそのまま肉屋で働き始めた日本人女です
この度、ドイツの肉屋で働き始めて1年が経ちました
この1年間でどんな出来事があったのか、当時の日記やメモを見ながら振り返ることにしました
予めお伝えしておくと、この記事は非常に長いです(22000字超え)
また所々肉の解体場面の写真(モノクロ)があります 苦手な方はご注意ください
それでもいいよと言う方、一緒に私の初出勤からお付き合いしていただければ幸いです
2024年5月

2024年5月2日
ガチガチの緊張と不安で戻しそうになっている私を、今の上司たちがにこやかに迎え入れてくれた
オーナーでもある親方は180cmはゆうに超える身長、スポーツ選手のようなぶ厚い肩幅、握手してわかる何でもわしづかめそうなデカい手、ドイツ人らしい濃ゆい顔の作りの持ち主
153cmの日本人女である私は、何もされていないのに勝手に圧倒され怯えていた

まず私に与えられた業務は牛肉の分類
大きな牛肉の塊を「赤身」「筋付き」「脂」の3つに分類する作業である
当時、この作業が私にはめちゃくちゃハードだった
まず最初に上司が冷蔵室から大きな牛肉の塊が入った箱を運んでくる
そしてその肉を叩きつけるようにまな板へ投げつける
バーーーン!!!!!!!と目の前で花火が打ち上がったのかと思うほどの爆音 まな板と肉がぶつかる音である
そして膝を抱えて丸まった私くらいありそうな牛肉の塊がまな板に現れる これを一人で全部捌く

今ならナイフを入れるべき場所もある程度わかるが、当時は完全初心者
加えて上司の説明は当然ながら全てドイツ語、申し訳ないがほぼ理解できないのでとにかく見様見真似でやってみる
ぎこちない手つきでそろりそろりと捌き、緊張でナイフを握る手にも力が入り、上手く切れないとより力が入る
それでもなんとか捌き終わると、次の牛肉がまたもやッバーーーン!!!!!!!と目の前に置かれる
この時の絶望感たるや、言い表す言葉が無い 私は今日帰れるのか????
私1つ分の塊を全て解体するだけで右手も心も疲労困憊なのに2つ分なんてキャパオーバー
思わず弱音が出そうになる、しかし弱音を伝える言葉も知らないから、黙って手を動かす
作業場はとにかくうるさい 骨を断つ用の電動のこぎり機は歯医者の嫌な音のボリュームMAXだし、肉を脂や調味料とよく混ぜ合わせる為のカッターはもはや高架下の騒音レベル
わからない事があっても、忙しそうに働き、騒音響く室内で上司たちを大声で引き留める勇気も出ない
終わりの見えない作業と声すらかけられない自分に対する失望でみるみるうちに削がれる自信
何度もトイレに逃げ込んで疲れ切った右手をさすっては涙をこらえた

ここにきてようやく異国で働くことがどういうことかわかった
ドイツ語を日本で2年かけて学び、勉強に勉強を重ねドイツ語知識0の状態から最終的にはドイツ語検定2級を取得
肉屋への初出勤までにはオンラインの独語会話レッスンにも何十回も参加し、先生に「私が渡独した時よりずっと上手だから自信もって」と背中まで押してもらえた
尊大な自信は無くとも少しはできるはず、という希望があった
結果、それは初月できれいに打ち砕かれた
同僚や上司の発する沢山の言葉、その何一つも理解できない
私が日本にいた時からコツコツと重ねてきた積み木は一撃で破壊され、同時に無駄に高く積み上がっていたプライドも粉々になった
何度聞き返しても理解できない時、私たちの間に流れるいたたまれない空気
相手が3度繰り返しても何を言っているのかわからなかった時に漏れた「ja…」のという言葉の情けなさ
いざという時の救世主・翻訳アプリを使いたくても手が肉まみれではスマホが触れない

言葉とはすぐには上達するものではない
重々わかっていてもそれは私には重く辛い現実で、よくこの当時を思い返して「最初は大変だった」と一言で言ってしまいがちなのだが、本当はそんな言葉じゃ片付けられない
30を超えた大人が『言葉がわからない』という感覚一つで子供のように不安がる 一歩先の景色すらわからない 歩き出せない

肉を捌き、清掃し、それだけで一日が終わる 言われたことをやるだけで心も体もヘロヘロ
最初の3日間の出勤で右の肩・二の腕・手首・小指が同時に筋肉痛になった 小指に筋肉があると初めて知った
1週間目、朝起きた時に右手全体の動きが鈍くなっていることに気づいた
2週間目、右手の一部がバネ指のようになり上手く動かなくなった
手首にも痛みを感じるようになり、急いで薬局で塗り薬や腱鞘炎用のサポーターを購入
ネット調べて腱の痛みにいいとヒットするものはビタミン剤は何でも買った
右手全体を襲う違和感は日に日に濃く私の心に影を落とし、作業中無意識に右手をかばう事が増えた
ハードな業務・慣れない言葉・右手が思うように使えない不安、職場にいてもいなくてもこのストレスにさらされている
心身ともに回復する間もなく次の日はやってくる 心はみるみる細り、職場のトイレでも家でも涙が止まらない
通勤中、毎日つけている仕事ノートをすがるように読み、日本語の曲を聴きながら何度も自分を鼓舞する
どうか今日はミスをしませんように 誰にも怒られませんように
お陰で今でもこの頃聴いていた日本語の曲をあまり聴けない 当時の感情をありありと思い出せてしまうから

だから私は心に『絶対に人前で泣かない』と強く誓いを立てた
そんなことかよ、と思われそうだが 本当にそんなことしか出来なかった
どんなに肉を捌くのが下手でも、ドイツ語が分からなくて迷惑を掛けようとも涙だけは気合で押し込め家まで持ち帰る
最悪トイレに逃げ込み人前では絶対にさらさない
弱さなどとうにすべてさらけ出している 言葉も力も知識も全てにおいて私はここで弱い事を嫌というほど見せつけた
だからとにかく泣く事だけはしない 30を超えてそんな事を思いながら働くなんて
それでも、この時の私はそう在ることしかできなかった
2024年6月

あっという間に6月になった
1カ月も働けばきっと仕事の手際もドイツ語ももっと良くなるものだと思っていたが、そんなことはまるでなかった 5月の私のまま6月へシフトしただけ
気温は次第に30度を超える日が増えてきた
ドイツは日本に比べ湿度が低いから、夏の過ごしやすさだけなら圧倒的にドイツの方が快適
話変わって、肉屋の作業場は毎日清掃しなければならない
その日使った機械・道具・箱…全てに洗剤をぶちまけ、ホースにつないだガンスプレーを使い『熱湯で』洗い流す
これがどういうことか想像できるだろうか
この作業、最短で1時間、洗うものが多ければ2時間以上かかる
作業場はエアコンも無く、窓はあるがゴミが入るのを防ぐ為基本的に閉め切っている
つまり冷房のない密室状態の部屋中にアツアツの熱湯をまき散らすのだ

すると当然、室内はとんでもなく蒸す
清掃前ですら若干汗ばむ暑さなのに、いざ清掃に着手するとじわじわ始まる部屋のサウナ化は止まらない
そんな部屋であちこちと動き回り、立ったりしゃがんだり、目では確認できない場所も手を伸ばしスポンジでゴッシゴシと磨き最後に熱湯をぶちまける 熱湯と共に部屋中を歩き回る
すると当然汗をかき、制服の下のTシャツは汗ばみを超えぐっしょりと濡れ重くなっていく
ガンスプレーから出るお湯は、方向を誤れば自分の顔面に向かって攻撃してくる
顔には汗なのか熱湯の返り湯なのかわからない水滴が顎をつたい、前髪は額にへばりつき中央に集まりウルトラマン化していく
しかし見た目など気にしていられない なぜなら上司に言われた言葉が
「自分がいくら濡れようが構わない とにかく隅々まで一つの肉片も残らないようにして」
私は今でもこの教えを忠実に守り、清掃という名の戦場に身を投じる

もわもわとした生ぬるい空気は頭をぼんやりさせ、熱中症になるのではと嫌な予感が走る
そんな時は一度ガンスプレーを放り出し、作業部屋から繋がる大きな冷蔵室へ駆け込む
肉や食品が所狭しと並ぶその隙間に身体をねじ込ませると私の全身から湯気があがる
真っ赤な顔で上司に涼をとっている所を見られ「あっ!〇〇が涼んでる!」とニコニコされた事もある
うそでしょ あの蒸し暑さで私と同じ作業をしててまだ笑う余力があるの こっちはもう表情筋1ミリさえ動かせないというのに
これがドイツ人男性と日本人女の体力の差なのか
もわもわと自分から立ち上る湯気越しに見た上司の余裕そうな顔が脳から離れない

全身汗かお湯か湿気かでぐしょ濡れになりながら限界の限界まで働く
例えもう限界だと思っても、ちゃんと道具の中や裏まで汚れが残ってないか目視で確認
ファンタやコカ・コーラの1リットルボトルをラッパ飲みしてもまだ足りない
頭がぼーっとして真っすぐ歩けなくなり、もう無理です、本当はそう言いたい
しかし男性が一人で出来る力仕事を「やっぱ女ってできないんだな…」と思われる事が怖くて言えなかった

そうして清掃が終わればその日の業務は完全に終了 ようやく家に帰れる
更衣室でビショビショの服を全てエコバックにぶち込み秒速で帰路へ
スプラッシュマウンテン帰りと見まごう湿り頭髪のまま会社を出て燃えカスの顔でトラムに乗る
手は洗いすぎて常にカラカラでいつも突っ張るような感覚 ハンドクリームを塗る気もない
家についてようやく鏡を見て、髪に何かの肉片がこびりついていることに気付いたりする
頭から熱いシャワーを浴びさて寝るぞ…とベッドに横になる

全く眠れない 驚くほどに
え???肉体労働したら身体が疲れて死んだようにすぐ眠れるんじゃないの???
間違いなく私の体は疲れているのに、脳ではアドレナリンが止まらず休むことを拒否する 脳だけがまだ労働スイッチオン状態なのだ
耳の中では上司たちのドイツ語がエンドレスリピートで流れ鳴り止まない
これは決して特定の言葉が浮かぶわけではなく『今日聞いた言葉の輪郭をなぞったぼんやりとしたドイツ語的な何か』がずっと脳に流れている感覚 これが苦しい
身体が寝たいよ~と求めているのに反し、脳がまだ仕事中だから寝ちゃだめだよ~と綱引きしている 地獄だ
終わらない脳内綱引きに支配されベッドの上で1時間2時間と経過していく 明日も5時出勤なのだから早く寝たい 眠れない 寝かせてくれ…

この頃は日々『今日が今までで一番つらい』を更新し続けていた 負のボジョレヌーボー
いっそ上司の前で倒れてしまえたらと、何度考えたか
しかし悲しい事に私の体は案外頑丈に出来ていて、どんなに蒸し暑くても脳がぼーっとしても終わらない清掃に心をえぐられても、本当に倒れる事は一度も無かった
丈夫に生んでくれた親を恨むことはない ただ、今日は、今日こそはこの床に思いっきり倒れてしまいたい
そんな日が毎日だった

ある金曜日、仕事終わりにスーパーで見かけたワッフルがあまりにおいしそうで衝動買いし一袋一気に全部食べたら死んだように眠れて13時間も爆睡できた
今思えばあれは睡眠というより、本当に13時間死んでいたのかもしれない
あまりに頑張りすぎている 今の私が頑張っていないのなら、何が頑張るなのかわからない
それでも6月末、ほんの少しだけ同僚や上司と意思疎通が叶うようになってきていた
私「ずっと肉を切っていると手が疲れませんか?」
同僚「うん、でも君の方が小さい肉切ってるじゃん」
言い伏せられる日もあったが、一日一回自分から話しかけてみようキャンペーンを打ち立て、破壊されたドイツ語の積み木を小さく小さく立て直していた
辛さしかなかったドイツ語の、最初のしんどさを乗り越えようとしていた
2024年7月

7月上旬から約3週間、日本へ一時帰国をした
約1年ぶりの日本は刺激的だった
まず日本語が通じる 駅で迷っても読める案内板があり日本語通じる駅員さんもいる
立ち寄ったカフェで、当然のように日本語をしゃべる店員さんに当たり心が震えた
ただそれだけのことがこんなに嬉しい 普通のコーヒーが何倍にもおいしく感じる ソファーにもいつもより深く座っちゃう
お店に入ってからお会計までの全てが日本語 なんで私ここに住んでないんだろう

ソーセージを作る会、略してソーセージ会を開催した
一人でもやりたい人が居たら開催しようと弱気にSNSで呼びかけた結果、最終定員いっぱい5名の参加希望者が集まり、都内レンタルスペースで本当にやった
これが本当に楽しかった ソーセージ姉さんという名を持って、まさかこういう時間を享受できるようになれるなんて
1からソーセージを作るため、肉をこね腸に詰めて、焼きたてをみんなで食べる
参加した人から「おいしい」と言ってもらえた事の喜び
これこそが今の私のすべて ソーセージが好きじゃなかったら私じゃない
そもそもそういうことが言いたくてこのnoteだって始めたのだ 全ては自分が好きなことを好きなだけ喋る為に

地元のソーセージがおいしい名店にも行けた どこも私が日本にいた時、足しげく通った大好きなお店たちだ
入った途端店員さんたちはみんな私に気づいてくれた ソーセージ姉さん!と呼んで迎えてくれるお店もあり、ああ私には帰る場所があるのだとニヤニヤが止まらない
ドイツのソーセージも大好きだが、日本で食べる彼らのソーセージも同じくらい大切なのだ

実家では、母の手作り料理をしこたま食べた 特に天ぷらが上手いうちの母特製・魚肉ソーセージ天ぷらをカレー塩で何本も食べた
両親と、姪っ子甥っ子を含む姉家族と共に1泊2日の那須旅行もした 充実に充実を重ねた

約3週間の日本滞在はあっという間に過ぎドイツへ帰る日、両親が羽田まで見送りに来てくれた
皆で昼を食べぶらぶらし、最後に私が手荷物検査の列に並ぶ時、母が私の手を数回さすってから別れた 二人とも私が見えなくなるまで私を見ていた

そうして十時間以上飛行機に乗り、ドイツへ舞い戻った私は次の日からまた仕事
お土産として持って行ったヨックモックは職場でいたく喜ばれた 上司が葉巻みたいに口に咥えて遊んでいたし台所に箱ごと置いてたらいつの間にか全部なくなっていた
2024年8月
朝五時に出勤して、着替えて作業場に入った時点でもう部屋が蒸していると絶望する
暑い、6月の比にならないほど暑い
ここに『スープ業務』がくるとたまらない お手軽に『夏の死』を体験できる

スープ業務とは、必要ない豚の骨や皮を捨てずに全て寸胴鍋に投げ込み水と一緒に長時間煮込む事でおいしい豚骨スープを作り出す業務の事
うちではこのスープを製品に使用したり、様々な具材と煮込んでランチとして提供したりするのだが、当然骨や腱と一緒に出すわけにはいかない スープ以外の要素を全て取り除く作業が発生する

まず持ち手が1m以上はある業務用のクソデカすくい網みたいなものを使い、大きな要素等を取り除く
それが終わったら次に持ち手のついた1リットルカップで鍋から出汁をすくい、大きな樽に大きなざるをひっかけたものに全てを流し、細かな骨や腱などを取り除く これをスープが無くなるまで行う
重いクソデカすくい網は、デカい豚の骨など乗るともはや許容量を超える重さで腕が震える
そこを超えてもカップですくいざるで濾す作業が、濾しても漉しても終わらない
いや、時間としてはそこまでかかってない ずっと寸胴鍋のそばに立ち、熱湯の湯気に晒され続けて時間感覚が狂う
寸胴いっぱいのスープをひたすらすくい続けていると次第に熱さで頭がボーッとする、しかしノロノロやるほどに鍋の前にいる時間は増え、額からボタボタ汗が流れる
これは清掃の時の返り湯と汗が混じったものと違う、純度100%の汗だとわかる しょっぱいから

そんなこんなで清掃も含めると、毎日全ての仕事が終わる頃には顔面どしゃ降り汗でまみれ とてもじゃないが首から上が人前にさらせない仕上がりになる
一応毎朝、軽く化粧をし髪にアイロンをかけ身だしなみを整えて出勤しているのだが、確実に全ての魔法が解けている 終業後に更衣室の鏡を見ると毎日眉毛が消え疲れすぎてカスみたいな顔をした私と会える
この頃嬉しい事もあった こちらで知り合った日本の方が私のお店でお肉を買いたい!と、店頭まで会いに来てくれる事がちらほら増えたのだ これは本当に嬉しかった
日本人が来店すると女上司が「友達が来たよ~」と声を掛けてくれる 私はルンルンとカウンターへ出て行く
しかしタイミング悪く、清掃真っただ中で頭からずぶ濡れの時に呼ばれたりもする
そんな時は正直出たくない 湿り気でぺたりと潰れた髪にメイクも流れたやつれた顔面、内なる乙女がこの状態で人前に出る事を拒む
だがしかし、せっかく来てくれた知人に顔を見せない訳にはいかない
意を決し店頭に出ようとしたら、制服にその日の業務でついた血が飛び散っていたのを見た上司に「それは脱いで」と半ば強引に上の制服を剥がれ最終的にタンクトップ1枚で店に出た
びしょ濡れの裸の大将が飛び出して来た時、知人の表情が一瞬固まっていたように見えたのはきっと気のせいじゃない
私はただ何でもないように、しかし素早く会話を終わらせようと必死でむき出しの二の腕をさすることしか出来なかった

日々、体力と精神の消耗が半端なかった
家に帰って本当はすぐ寝たいのにアドレナリンが止まらず、脳内には仕事のミスやドイツ語が飛び交う 瞼の裏に赤い肉の断面がこびりついて離れない
睡眠すら自由にできないこの頃、食が能動的に得られる数少ない幸福の一つだった
業務中のファンタオレンジ1リットルラッパ飲みはもはや習慣、これにプラス仕事終わりの暴食が悪習に拍車をかけた
終業後、ボロ雑巾みたいな顔で最寄りのスーパーへ駆け込み手っ取り早く脳のたぎりを鎮められる安いものを探す

袋で売っているレーズンパン(1袋1200kcal)を部屋でリュックも降ろさず一気に食らったり、
ふわふわの食パンと生クリームが出るスプレー缶を買い、パンの表面が隠れるまでたっぷり乗せてそれをろくに噛まず飲むように食べたり、
大箱のカラフルなシリアルを買ってそれをただ皿に出して何もかけずスプーンでボリボリ食べたり、
毎回本気でお腹が苦しくなった時、やっと冷静になり自分に戻る ひどい罪悪感と一緒に
この経験から、私は袋を開ければすぐ食べられるもの、パンやシリアルを家にストックしておくことができない 棚の中にあるパンを見た瞬間にこれらを暴食する選択肢が無意識に見えてしまうから
8月中旬、ここに勤めるようになり3か月以上が経過していた頃
肉屋での業務は相変わらず私には簡単とは言えないもので、辛い事の方がずっと多かった
ただそれでも、本当に少しずつだが、出来る事も増えていた
例えば作ったソーセージを真空パックする作業があり、初期の私はこれが壊滅的に下手だった
まずソーセージの入った袋を中に置き、バチンとふたを閉めると真空にされる仕組みなのだが、この時袋のチャック部分がグチャリと歪むと空気が入って失敗 そこをハサミで切ってもう一度やり直す
はじめの頃は何度やっても失敗してしまい、故に周りに比べ本当に遅かったのだが、その期間を経て私は『真空パックは、どうすればグチャつかないのか』の心得を掴んだ
チャック部分が汚れたらペーパーで速攻ふき取る、袋をピン!と張りそもそもチャック部分が汚れないような入れ方をする等、細かいコツを時間をかけて体に覚えさせた

そうして初期より動きが改善された頃、上司が同僚に「彼女はこれやるの上手いんだよ」と言っているのをたまたま耳にしてしまった
この時、私は大人なので普通の顔をしていたが内心お祭り騒ぎだった
今の職場、私の上司にあたる人は複数人いるのだが、彼らはめったに人を褒めない
そんな人たちからの褒めを聞いて心躍らない訳がない しかも人に言ってるやつ
むしろその場でブレイクダンスしなかった私を褒めて欲しい
そう言ってくれたのは、私の面倒を一番近くで見てくれている上司だった
彼は気さくで声が大きく、しかし私が何かを言おうとすると自分の口を閉じ、今やってる作業を止めてまで私のドイツ語に耳を傾けてくれるような人
また私が重いものを持とうとした時には何度も「それは俺がやる」「一緒に運ぼう」「これがあったら楽?」等、とにかく真っ先に声を掛けて、一緒に考えてくれる
誰かが落ち込んでいたらすぐに声を掛けて励ましたり、時にはバカ話で子供の様に笑っている所も何度も見た
言葉が通じずとも、彼がこの職場で必要とされ従業員たちに好かれていることはよくわかっていた

彼と並んで豚肉の分類作業をしていた時「そろそろ肉を捌くのにも慣れてきた?」と聞かれた
私は「うんそう思う」と答えたのだが、実際のところ自信はなかった
しかし彼はにこにこ笑い「俺もそう思う」と私に向かって親指を立ててくれた
それがおべっかや気遣いだったとしても、当時の私にとってどんなに嬉しい言葉だったか 辛くても、消えたくても、頑張れる理由そのもの
どんなに自分に絶望しても打ちひしがれてもこんなこと言われたらもっと頑張ろうと思う
この頃はこういう小さな褒めをかき集めて自分の支えにしようと必死だった

ここまで散々辛い苦しいと書いてきたが、業務中にできたてのソーセージを味見する時は、いつでも嘘偽りなく至福の時だ
立ちっぱなしで何時間も肉捌いて疲労に襲われている時に食べる一かけのソーセージ、これで何度も生き返った
私がいるのはおいしいソーセージが食べられる職場だと世界中に自慢したくなる
おいしいソーセージを作る事が私の仕事なのだと、胸を張りたい気持ちでいっぱいになるのだ
2024年9月

今月から職業学校へ通う事になった
私はAusbildung(アウスビルドゥング)というドイツの職業訓練制度を利用して肉屋で働いているのだが、訓練生は座学も避けて通れない
これはざっくり言うと「学びながら知識をつけ働きながら実践を積む」ドイツの職人養成のためのシステム
多数の職業にこの制度が採用されており、訓練生は約2~3年かけてゲゼレの取得を目指す

登校初日、まずクラスメイトの層にビビった
総勢30人前後で、私以外が16~20歳、男女比率は8:2で圧倒的に男子が多数派
職種で言えばVerkäufer(肉屋の売り場に立つ人)とFleischer(解体・製造がメインの人)が混ざって一緒になっているのだが、Fleischerにおいては女は私のみ 当然クラス全体でも日本人は私のみ

授業は当然オールドイツ語 授業中はわからないことだらけで脳内が?マークで埋め尽くされる
教科は国語・算数・社会と本当に学生時分にやるような内容から、肉の扱いや調理実習など、肉屋として働くための知識を学ぶ授業もある 日本で言う高専に近い

そして体育の授業もある 16歳の子とやる50m走やバレーボールは痺れる
この年になってまた「はいそれじゃあ二人一組を作って~」の地獄を味わえるなんて 望んでねえよ〜
そしてみんな秒でペアを組み終わる 小学生の時と同じようにぽつんと余った私は先生にじゃああなたはこのグループに入ってと無理やりねじ込ませてもらう
「こいつが?」といいた気な顔をされ人生2周目の苦汁を舐めている あの時と同じ味がする
縄跳びをした時は先生に年齢を聞かれ「あ、じゃあボーナスね…」と高齢者への配慮が貰えたのだが、それを耳ざとく聞き逃さなかった周りの子が「〇〇がボーナスだって」「30歳過ぎてるから」と囁き合っていたのが聞こえて普通にいたたまれなかった
休み時間、8割が男子で構成された教室はもはや動物園
興奮すると激しく机を叩き大声で笑い、教室が静まり返るとゲップをする
初め聞いた時は耳を疑ったが、MOTHER2のゲップーの方がまだかわいいレベルの最低なロングトーンが後ろの席から響いてくる ゴォ゛〜〜〜〜〜〜ェエッ゛
クラスのグループチャットには普通のメッセージや小テストの情報に混じって、男子たちが流す過激なエログロ画像やGIFが唐突に現れる それはもう容赦ないレベルのエロとグロで目のピントを合わせたが最後、普通にくらう
まるでブラクラ系サイトでテスト範囲を探しているような感覚 こんなの初めて
私の隣の席は、授業でわからない所があればフォローしてくれるような優しい男の子だ
しかし次第に物理的距離を狭められるようになり、授業・休憩時間・帰り道問わずどこでもいっしょのトロ状態、ボディタッチが増え放課後何度もご飯に誘われるようになってから、泣く泣く席替えを申し出た
そしてまた別の男の子の隣になったのだが、突然後ろの席からやってきた男子たちに「お前の彼女元気??ww隣に座ってるじゃんww」とからかわれているのを目撃してしまった 申し訳なさで心で何度も謝った
調理実習中には、私の被ったキャップのつばを、ウィwとつついて逃げる男の子も現れた
いやもう早く職場に戻りたい
どんなキツい仕事でもいい ここから私を出してくれ
ドイツでは「嫌なことは嫌と言わなければならない」とよく言われるのだが、嫌なことからは反論も反応もせず距離を取り逃げ続けてきた私がそう簡単に変われるわけがない
怒濤の2週間が過ぎ去り職場に戻って上司がニコニコと「学校どうだった?」と聞いてくれた時思わず「楽しかったよ」と答えたが、彼らにこんなはっきりと嘘をついたのは初めてだ
そんなわけで、9月後半2週間の労働もそれは大変だったが「まあでも学校に比べたら」と思いながら駆け抜けた 嫌なハックだった

そしてこの期間に、初めて上司から「豚の半身の解体」を習った
ドイツのFleischer訓練生は全員これを企業で習う そして職業学校卒業の時に豚の半身を使った解体のテストを受ける
上司が実際に1から豚を捌きながら口頭で説明し、私はその様子をスマホで撮影
合計1時間越えになった動画を私は毎朝通勤中のトラムの中で見る
「じゃあこれ捌いてね」と今日急に頼まれてもいいよう、心の準備をする
家ではそれを見ながら解体の順序をノートに書き出していった

動画を流しながら耳で聞いて言葉を確かめ、目で動きを見て捌き方を頭に入れる
豚の半身の絵を描いて全ての部位にドイツ語の名前をふった一覧表を作成し、最終的にそれを上司に見せて確認してもらった
上司は嬉しそうに「これ君が書いたの?」と、私のノートを隅々まで見て「ここはKamじゃなくてKammだよ、でもそれ以外は完璧!」と親指を立ててくれた このジェスチャーに何度もほっとさせられる

月末、その日もドロドロになるまで働いた帰り際に上司が「君に言わなきゃいけないことがある」と切り出して来た
緊張が走る 何かやらかしたかと一瞬で己の行動を振り返っていたら
「君はいつも一生懸命でめちゃくちゃよく働いてくれてるよ」という旨の熱い褒めだった
私はドロドロに疲れていたし、上司もただでさえ早口なのに褒めに慣れてないのかより早口で、せっかくなのに全部聞き取れなくて残念だった
それでも更衣室で涙が止まらず、着替えて外に出ようとしたらニコニコと扉を開けて待ってくれていた
学校も職場も、まだまだ1つも自信なんてない
毎日体力も気力も振り絞って燃えカスになるまで働いても私はまだまだ未熟な訓練生
だからこそ真っすぐな褒めは直球ストレートで届いて涙腺の蛇口をかっぴらく
今はこれでいいと思えた いつか上司にきちんと仕事で恩返ししなければ
2024年10月

いつも通り朝5時に出勤して作業場に出たら室内がメチャクチャに寒くてビビった
少し前まで朝5時からじんわり汗ばむような気温だったのが嘘のような唐突な秋の訪れ
冷蔵室から出したての肉を捌き始めると、触れた指先の熱をどんどん奪っていく
働き始めて5カ月が経過した
まだまだ仕事に完全に慣れる事はなくヘロヘロで帰宅する毎日だ
労働後、疲れてボロカスの顔で歩いてると路上にソファが捨ててあり「今ならここで余裕で眠れる」と思わず吸い込まれそうになる 日々がいっぱいいっぱいだ
肘から手首にかけてがひどい乾燥で常にザラザラしている 毎日擦り切れる程手を洗い消毒している賜物
本当は保湿ケアをしてあげなければなのだが、家に帰るとニベアの蓋を開ける事さえおっくうでシャワーで汗を流したらベッドに倒れる
鶏を3時間ぶっ続けで捌いていたら右手が震え肉が捌けなくなり、鳥を捌く時の今の自分の限界を知った

休憩時間、台所にあるパンにそのままかじりつこうとしたら女上司が「バターとジャムをたっぷり塗って一緒に食べるとおいしいよ」と教えてくれた
これが本当にうまい 食べた瞬間体内の佐川急便が脳と体に急速にエネルギーを届けてくれるのがわかる
砂糖と脂質と炭水化物のトリプルパンチ 労働の大きな糧となりこの頃はまって毎日食べてた

解体・製造・清掃・その他雑事…仕事中何度も「もうボロボロだ~」と挫けかける
しかし、そんな時間はもう何度も乗り越えてきた
「ボロボロだと感じた所からが本番、ここから盛り上がってくる」と謎の己を鼓舞するスキルも身に付けた

そんなある日、ひょんなことから社外のドイツ人と1対1で話す機会が訪れた
しかし私には不安があった 私の今のドイツ語力で、初対面の人とまともに会話できるわけない
この時、私は相手の了承を得てGoogle翻訳を開いたスマホを机に置いて話させてもらったのだが、結果的に私は約15分間、翻訳機に一度も手を伸ばすことなく話し切ることができた
「これいらなかったね」と相手方に言われたことが、帰り道までずっと嬉しかった
自分の意思が伝わったこともそうだけど、相手の意思をくみ取れたことが特に良かった 話すより聞く方が何倍も難しいのだ
人を理解することが、少しずつでもできるようになっているグラデーションの最中と思えば、今の自分も少し受け入れられる気がする
2024年11月

本格的な冬が始まった
外は気温3度で朝出勤すると室内は既に極寒、暖房など無いので室内にもかかわらず普通に吐く息が白い
寒さというのは暑さと同じで、そこにいるだけで体力を奪う
いや、もしかしたら寒さは、暑さより明確に『死』に近い何かを感じるかもしれない

寒くて寒くて、HP/MP共に残り1なのに死ねないから働いてるみたいな時間が確実に存在する
きあいのタスキを何十本も肩にかけて、毎回ひん死だと思ってもアイテム効果が発動されてバトルが終わらず戦わされ続けているポケモンみたいな、無い妄想が止まらない
この頃、私は「質問が出来ない」という悩みを抱えていた
32歳になって情けないが、上司たちが忙しそうにしている所に声を掛けるのに躊躇して、70%くらいの理解度で作業を進めていたりする 質問したいのに様々な感情が邪魔して聞けない
私の仕事の遅さは、解体技術や知識、低いドイツ語能力以上に、長年培ってきた「話しかけられない」というコミュニケーション能力の低さも大きな原因だった

そこで私が打ち出したのが「仕事終わったタイミングで聞く」作戦だ
終業後という上司も一番疲れているであろう時間、しかし確実に手が空いているタイミングでもある 申し訳なく思いつつも空気が読めないフリをして声をかける
ある日、私は冷蔵室にある加工肉製品の中でも、名前のわからないものを指差して片っ端から名前を聞いた
その時は聞きながらスマホにメモを取るにとどめたのだが、事件が起きたのは翌週のこと

なんと上司は、私のために手作りの製品見分けファイルを作ってくれたのだ
多数あるソーセージやサラミをすぐ見分けられない私の為に、包装紙が切り貼りしてありそれぞれに手書きで名前を振り外見での見分け方が一覧になっている
更に中身をめくると、製造の際にソーセージに結ぶ紐の各色の意味などを文章と色ペンを使いしたためた手書きノートもくっついていた
驚いた 決して一晩で出来るような作業ではない
「これ全部あなたが作ったの?」
「そう、君のために!」
彼はニコニコとそう言う 人の気持ちを察する能力が低い私でも、これが当たり前じゃないとわかる
彼は貴重な時間を割いて、言葉通り『私のために』このノートを作ってくれたのだ
信じられない どうして私のために何故ここまでしてくれるのか
嬉しさと喜びと申し訳なさと有難さと、一気に感情が溢れ、しかし上手く言葉にならずその場ではDanke(ありがとう)と繰り返すのが精一杯だった

翌日、やはりちゃんとお礼がしたくて上司に改めて感謝を伝えたら、
「Ich arbeite mit dir sehr gern!(俺、君と働くの好きなんだ!)」
「本当に!?」←思わず日本語出た
「Wirklich!(本当だよ!)」
あの瞬間、思わず日本語が混ざってしまい、絶対言葉ではわかり合えてないのに、我々は何故かわかり合えていた とてもおかしかった
もっともっと頑張ろう それ以外の事が思い浮かばなくて
辛くても頑張るには十分すぎる宝物を貰った11月末のことだった
2024年12月

この頃、買ってしまったら終わりだと思っていたヌテラを買ってしまった
ヌテラとは砂糖でできているドイツで有名なチョコレートペースト
甘くてなめらかでコクがあって、と~っても甘くて ダメになった心と体を癒してくれる
朝、このヌテラを塗りたくったバナナを食べながらテスト勉強をする
日本語ですら難しい契約の法律に関するテストでは、結構予習したにも関わらずドイツ語で答えられる訳ないやろと血の涙を流しながら最低な点数をとった
別の授業でドイツ語の5分間スピーチがあった日には家でその準備に全身全霊をかけすぎて、体育ジャージを持っていくのを忘れた
情けなく先生に体操着を忘れました…と報告した所「それは良くないね。体育のある日は前の日の夜にジャージを鞄に入れておくのよ」と諭された 私もう32歳である

調理実習ではGalantine(ガランティーヌ)という、ドイツではクリスマスに食べられるという鶏肉の詰め物料理を作った 平たく伸ばした鶏肉に味付けしたひき肉を詰めてオーブンで焼く
いつも会社でやっているように鶏もも肉の骨を外していたら後ろから「ねえ見て〇〇の骨の外し方面白いw」と男子が私の手つきを見て笑う
そういえば英語の授業中もわざと私に発言をさせ後ろの席でクスクスと笑う男子たちもいた おう好きなだけ笑えよ顔覚えたからな

スーパーの安売り肉で無く、肉屋で使うようないい肉を使って料理をする
だから私が学生時分にやった調理実習とはもう肉の味からクオリティが違う
色々ありつつ出来上がったガランティーヌは普通にうまくて感動モノ 確かに手間をかけた分ちょっとリッチな料理でクリスマス向きだ
年下の先生(26)にも「野菜切るの上手だね」と褒められごきげんだ

この時期の肉屋は繁忙期 クリスマスに向けて色んな製品を製造し販売する為、職場全体がいつにも増して鬼気迫った雰囲気に包まれてる
それに加えて作業部屋の寒さはさらにレベルを上げ、もはや冷蔵室と作業部屋を行き来しても室温の区別がつかないレベルで部屋が冷えきっていた
肉を捌くためにチェーンでできた手袋を左手にはめるのだが、このチェーンが冷気を吸い指先を痛めつけるように凍えさせていく
しかし震えても痛がっても業務の量は減らない 今日は何時に帰れるのか全く分からない

せっかくまかないに大好きなカレーブルストが出ても心が荒んで仕方ない
人の心が無いのかと思うような仕事の量、寒さ、常時緊張し張り詰めた自分の心に耐えられず眼前のもののおいしさがわからない 好物がただひたすら胃を満たすだけの飯に成り下がる
家にいてもボーッとしてしまい、ヌテラの瓶にスプーンを突っ込みすくいあげたそれをそのまま舐めたりもした
この頃の私は少し妖怪みたいだった

クリスマスを少しでも楽しもうと、街の中央広場で行われているクリスマスマーケットに滑り込んだ
和牛焼きソーセージ、長い列に並んでようやく手にしたそれが、これがもうおいしくておいしくて
ワイルドな牛の良さが凝縮されたソーセージから溢れる肉汁が、今年あった最悪を全て溶かし消してくれる
ああ幸福だ 幸せって和牛ソーセージの形をしているのかも

その後5日間のクリスマス連休があり、それはそれは充実な家の時間を堪能した
ネトフリに加入し地面師たちを一気見、シェアハウスの日本人たちと好きな飯を持ち寄った忘年会、ベッドに寝転がってのゲーム三昧
忙しさで消えていた自分が手元に戻ってくる感覚 おかえり私
そしておおみそかの日は午前中だけの大掃除の業務があり、最後に従業員全員集まり円になってお酒を飲んだ
全てが終わりさあ着替えて帰ろうと思った時、上司に呼び止められた 私にピンクの手作りノートを作ってくれた上司だ
「君は今年よく働いてくれたよ、これ僕たちからのプレゼント」

そう言って私の手にぴったりサイズの新品のナイフとハグをくれた
こんなによいものを貰っていいのだろうか 嬉しさと照れでまともに返事ができた気がしない
上司のハグが思ったより長くて、慣れていない日本人私は途中「ワー…」という情けない声を上げた
ドイツ大みそか名物、路上のそこかしこで一般人が鳴らすクソデカ花火の音を聞きながらうるさすぎて眠れずベッドでswitchをやって寝落ちした頃、年が明けた
2025年1月

私の両親は筆まめで、2カ月に1度くらいのペースで絵葉書や手紙を送ってくれる 私からはもう1年は送ってない気がするのに
いつもLINEで受け取った報告ばかりでごめん 贖罪に両親から届いた手紙を毎日視界に入る所に貼った
正月のないドイツで、私は職場の親睦会(?)として年明け早々上司と同僚含め7名と共にディナーショーに行った 全て会社持ちである
公式サイトに「ドレスコードは無いけどきちんとした服で来てね」とあり、そんな服ないよとオロオロ街で黒いワンピースとローファーを買い50€が飛んだ

ディナーショーは、ミュージカルを主軸にあらゆるステージパフォーマンスと本格コース料理が楽しめる大人のサーカス
途中肌色率90%超え男性二人が鍛えられた肉体美を惜しげなく見せつけながらロープを使い空中で濃厚に絡み合うパフォーマンスが披露された これを見ながら酒を飲む私は貴族か何かみたいだった

ディナーとして出て来たGänsekeule(ガチョウのもも肉)が絶品で、外の皮パリパリ中のお肉ほろやわ、バターの香りが鼻を抜けてまるでクロワッサンを食べているようなオシャレ味
なのにガツンと満足感もあって、上司たちがこれどうやってるんだろうねって真剣に話し合ってる姿があまりに肉屋だった

そして夢のショーが終わればまた労働
豚のあばら肉にくっついている骨を剥がす作業を任された
専用の道具を使って、そのフックに骨をひっかけて、手前に力いっぱいグイと引く それだけ
肉にぴったり埋まりへばりついた骨は頑丈で、1本1本剥がし続けていると右手の力だけでは足りず次第に体全体を使って肉を剥がしだす
髪振り乱しソーラン節を踊ってるのかと思うほど勢いよく体を後ろに倒して骨を剥がす もう右腕が使い物にならない握力になった時、左手でやろうとしたがノーコンすぎて不可能だった
やってもやっても終わらない 剥がし終わった骨の山の脇に、まだまだ山となった未処理のあばら肉が積まれている 右手はもう力が入らない
諦めたい もうできない誰か助けて
もう肉屋での労働も8カ月を過ぎた それでもまだあらゆる場面で自分の非力さを痛感する
この作業もそうだ 上司なら1発グイと引けば1本のあばらをいとも簡単に剝がすのに、私なんて何回ひいてもとれない
ソーセージを作るときもそう 味付けしたひき肉のたねを機械の中に詰める時、私の手で抱えられる量とドイツ人男性である上司たちが1度に抱えられる量は全く違う
真似して大量にかかえようとしたら肉のたねがぼとぼととこぼれていく

これから変えられることもあるし、これまでで頑張って自分をねじ変えてきたことも沢山ある
それでもどうしようもないフィジカルの差を見せつけられると圧倒的自分の弱さに気づく
それよりも「やっぱ女だからできないんだ」と思われることが一番悔しい そんなところに私はいない
だからがに股になろうと、クソ重いまな板も床に置かれた重い箱も一人で持ち上げられるようになった レディとは思えないゴリラのような唸り声も上げる
私は日本にいた時から根性論が嫌いだったし、根性なんて私の辞書には無い言葉だと思っていた
しかし無い力振り絞り「できない」を封印してただ手を動かし、唸っても打ちのめされても骨を剥がす私を突き動かしてるものはぐちゃぐちゃの根性だけ
私が骨を100本剥がそうと、誰も褒めてもくれない 私の頑張りを本当に見ているのは、本当に私だけなのだ

だから自分で自分を労おうとスーパーでおいしそうな何か見つけたので買った 三角コーナー煮詰めて発酵させ雑に塩撒いたような味がして泣いた
2025年2月

働き始めた当初はほぼ毎日と言っていい程やっていた牛肉を捌く業務を、かなり久しぶりに任された
いつも通り赤身・筋付き・脂身に切り分けるのだが、明らかに去年よりずっと早く捌けるようになっている
肉のどこを見るべきか・ナイフを入れる場所はどこか迷わなくなっている事が自分でもわかる
勿論上司たちに比べたらまだ遅いしナイフさばきも分類も完璧じゃない
それでも私の変化を認めたくなった

英語の授業で、肉屋で使う道具を英語にして画用紙にカラーマーカーで絵を描く課題が出た
あまりに学校の課題すぎて心躍ったので気合を入れて絵を描いていたら、クラスメイトたちが周りにわらわらと集まり「上手~」と褒めてくれて鼻の下伸ばして照れた 私をからかっていた男の子もまじまじと見てsausagefillerがいいと褒めを残していった
絵の褒めは何歳になっても嬉しい

その翌週、特別なイベント出店に参加する事になった
これは、様々な手工業に携わる訓練生が普段どんな働きをしているのかを一般のお客さんに見せるというちょっと変わったイベント
私は職業学校のクラスメイト5名と一緒に参加する事に 私以外全員16〜20才の男子である

Fleischerの成り手は圧倒的に男性が多く、なぜなら力仕事が多く男性の方が向いているから
このイベントを通してその事を強く実感した
16歳の男の子でさえ私より力がある 重いものをひょいと持ち上げ、高い所にある調味料も私の頭を超えてひょいと取り上げる
ここに私は必要ないのだなと思わされる瞬間が何度もある

毎日ガラス張りの部屋で全員で並んで豚を捌き、捌いた肉を分類して味付けしたひき肉を作り、それを腸詰してソーセージを作った
ソーセージは売ったりせず、イベントの朝食として出店者に振る舞われる 私たちも自由に食べて良い

一人の男子が私に日本にもこういうソーセージがあるのかと尋ねてきた
「あるけどこんなに大きくないかな」そう答えると、にやりと笑って
「じゃあこれって、君には大きすぎるんだww」と言ってから、私の目の前でのそのソーセージを見せつけるようにわざとらしく振る
すると何故か周りの男の子も全員がクスクスと笑い出した
一瞬何を言われたのかわからなかった
しかし理解出来た瞬間心が曇った
ドイツ語で何と言い返すべきか思い浮かばない
帰路でも家に帰ってもその事が頭から離れず、朝起きても悩んでしまいそのまま信頼している女上司に事情を話した
私に起きたことをすぐに理解した彼女は「それは許されない事だよ、あなたは言い返せなかった事を悔しがらなくていい」とはっきり言い、直ちに行動を起こしてくれた

まず男子たちには私がいない時に男上司を通しての注意喚起があったらしい 朝食会場では女上司含めた上司三人全員が私の周りを囲むように座ってくれた
朝食後の作業前、肉屋がつけるチェーンで出来た重いエプロンを着るのに私が手こずっていたら男の子たちが周りに集まって来た
緊張して余計につけられないでいた私のそばに女上司がすかさず近寄り「見なくていいから!」と私を連れ別室で手直しをしてくれた
なんて心強いんだ女上司 そこまでしてくれなくてもいいのに、私が滅多に相談事などしないせいか過剰に守ってくれている しかしこれが彼女の思いやりなのだと私にはわかる
男の子たちの態度も心なしか優しくなり「こっちの方が良く見えるよ」「それ重いから変わるよ」と様々な気遣いをくれた
ある子は「日本人ってスキンシップあんまりしないんだよね?」と私に尋ねてもくれた
きっと多分、彼らも本質的には悪い人ではない 言葉が違くても分かり合えない宇宙人なんかじゃない

イベント中、訓練生へのインタビューがあった
私がインタビュアーの人に一緒に働く仲間について聞かれた時「今一緒に働いている子たちは、みんな親切です!」と答えた所、側で聞いていた男子たちがこらえきれない満面の笑みでお互いの腹をしばき合うのが見えた そんなに嬉しいか

「俺、外国の文化に興味持ってそこで学ぶってすごい事だと思うんだ。きみの話を聞いたときびっくりしたんだよ」と、ある男の子が急に真っすぐ私を褒めてくれた
突然のことで驚いてしまいつい「でも私ドイツ語下手だし…」としょうもないことをウダウダ続けてしまう私に対して
「君はただDanke(ありがとう)って言えばいいんだよ」と言い放った まるでそれが当たり前であるかのように
謙遜よりも相手の言葉の否定に近い私のひねくれを素直さに変えてくれるコミュニケーションは心地よく、私は自分の幼さに反省した
イベント最終日、私は男の子一人一人に感謝を伝えて締め括った
ここに書ききれない程色んな経験・感情を迂回し辿り着いた最終日に、彼らと笑顔で終われたことがとても嬉しくて誇らしい
そして翌週からまた職場に戻っても嬉しいことが続いた
一番近くで面倒見てくれていた上司が、いつにも増して私を褒めてくれるのだ
豚の半身の解体作業中、この頃には毎回ノートを開いたりスマホで動画を確認しなくても、少しずつ自分だけで進められるようになっていた
そんな時、上司が私の手元をのぞき込んで「君は覚えるのが早いよ」とにっこり親指を立ててくれた
その数日後、いつも通り清掃していたら上司がこう言った
「きみはいつもすっごく一生懸命働いてる。このままいけば絶対に良いFleischerになれる。仕事のスピードも速くなったし、他の国から来た、しかも女性がこんなによく働いてくれるなんてね」
突然の褒めの嵐に圧倒されていたら、上司は「でも」と続ける
「でも君は一つだけ直さなきゃいけない所がある。君は女性なんだ、重いものを持つときは必ず周りに助けを求めるんだよ、一人でやらないで」
上司は私が何か重いものを運ぼうとするとすぐに気づき、私に必ず声を掛けてくれるような人
私はその度に申し訳なくて、一人で出来ると見せたくていつも声を掛けずにやっていたのを、彼は知っていたのだ
ここまで言ってもらったのだ 来週からは少しずつ頼ってみようかと、この時ようやく思えた
その日も大変に疲れていたが、上司から大きな褒めを貰った嬉しさで全てがチャラになった
スーパーで普段買わないチョコムースを買って家で食べた これを食べる度に今日の事を思い出せるように

とても幸せな日だった
2025年3月
その翌週から、上司が会社に来なくなった
初めの一週間、私には何の知らせも無く来なかったので風邪でも引いたのかと思った
しかし次の週もまた次の週も来ない 時々週単位の長めのUrlaub(休暇)をとることもあったから、そうなのかもと勝手に納得していた
でもそういう時は必ず事前に教えてくれていたし、会社のグループチャットからも急に除名され訳が分からなくなった
えもいわれぬ不安が立ちこめある日の終業後、女上司に声を掛け思い切って尋ねた
はっきりと「彼はもう来ないよ」と言われた
あまりに唐突なことで意味がわからなかった
彼女は困惑している私に、一から説明してくれた
彼は10年以上ここに勤めてきたが、特別な事情がありどうしても今私たちの職場を離れなければならなかった事、
私がここで働くずっと前から時間をかけて話し合いついに決まった事である事を
離職理由も聞かされたが、決して納得できないものでない、むしろ納得しかない判断だった
でもそれにしたって 同じ部署で10ヶ月一緒に働いた私に一言も言わずに退職するなんてあり得るのか
私は確かに最初は全く役に立ててなかったし、そもそも意思の疎通だってうまくできてなかった
それが10ヶ月かけて、完璧にはなれなくても少しずつ少しずつ役に立てるようにと自分を良くしてきたつもりだし、仕事仲間だと思っていた
私は帰りのトラムの中で声も無く泣いた 公共の場で大人の大号泣
先月、上司が私をあんなに褒めてくれたのは彼にとってあれが最後の日だったからだったのだと理解したからだ
私もわかってたら、もっと感謝を伝えたのに へらへらしてDanke,ich freue mich.(ありがとう、嬉しいです)としか返せなかったことを今悔やんでも遅い
少し前、私が豚の解体中に間違った所を切り落としてしまった時に安心させるように「大丈夫、今度もう一回切り方見せてあげるから」と言ってくれた
私はそれをずっと待っていたのに、あれは嘘だったのか 大嘘だったのか
1年足らずだが私は彼を上司として、人として本当に信頼していた
元上司がいなくなり、今度は別の上司がメインでついてくれている 彼もいい人には違いない
しかしドロドロに疲れた私にgute Arbeit!と声を掛け背中を無遠慮に叩いてくれない
出勤前、あと5分で家を出なければトラムに間に合わないのに涙が止まらず化粧が終わらない 私はどこへ行けばいいのだろう
そんな喪失のまま働いていた3月後半、シェアハウスの日本人2人としゃぶしゃぶパーティをしようという話になった
私たちは普段食べないような野菜をたくさん買い込み、私の肉屋で買った薄切りの豚肩肉を並べて鍋を囲み一緒に食べた
夜も更け、同居人とサシで飲んでいた時に酒の力もありつい上司の離職について漏らしてしまった
メソメソと話す私の言葉を最後まで聞いた同居人は涙ぐみながらも語気を強め、
「どんな理由があったとしてもそんな分かれ方ズル過ぎる」
「自分だけ言いたいこと言ってるし」
「私が〇〇さんの上司を見つけてここに連れてきてあげたい、もし次会うことがあったら一発腹パンしてやりましょう」
と、憤ってくれた
そうか、私は怒っていたのか
もっとたくさん教えてほしかったし、これからもっと良くなるから役に立ちたかった 職業訓練を最後までやりきる所を見ていてほしかった
そして本当に心からの感謝を伝えたかった
そのくせ自分だけ言いたいこと言って勝手に去るなんて許せない 本当に許せない
このしゃぶしゃぶの日以降、私はもうメソつくことがなくなった
きっと「次会う時に一発腹パンする」と腹が決まったからだ
彼の肥満で丸くなった腹に、食べたものが飛び出るくらいきついパンチをお見舞いする
私はこの怒りも超えてもっと良いFleischerになる そうありたいし、そうなるしかない
2025年4月

3月はあっという間に過ぎた
元上司が職場を去り、その穴埋めとして肉屋での職業経験のある新しい同僚が出来た
彼は母語が英語の男性でドイツ語はほぼできない 私は英語は高校以来一切触れてきていない 不安しかない
しかし意外と学生時代に通った公文式の記憶が火を放ち「ドゥーユーノウ…?」とか「ハウロング…?」とか、
更には「ウェンユーニードヘルプコールミー」と口から出た日には自分でビビったしこれが通じて更にビビった やっててよかった公文式
毎日表情筋すら動かさず無の顔で働く私と違い常時スマイルな顔の作りの彼はとても感じのいい人で「来月はもっとドイツ語と日本語で話せるようになるよ」と宣言してくれて、その気持ちだけで十分嬉しい 彼が最初に覚えた日本語は「豚バラ」である
最近では私の仕事中の独り言も「もうone Tüte…(もう一袋…)」と日本×ドイツ×英語のキメラ状態になっている

4月の職業学校ではひき肉を使った料理を班ごとに作ったり、Rollbraten(ロルブラーテン)という豚の首肉を開いて平たくしたものに野菜や香辛料などを撒いてオーブンで焼く伝統的な料理を作ったりした

中に詰める野菜はカラフルな方が断面の見栄えが良くなると聞き、アスパラとパプリカを巻き込んだら緑色のミャクミャク様みたいな断面になった
味はいい肉をつかっているので当然うまい 学生の時分にこんな豪華な飯の調理実習ができるなんて、Fleischerって素晴らしい
職場ではまだまだ辛い事も続く ドロドロに疲れている時にお叱りを貰うといたたまれなくなる
しかし叱られる私の問題としっかり受け止め、時には受け止めすぎないよう少し逃がしたり、自分のための調整もできるようになってきた
温かくなってきたおかげで、また清掃中の部屋のサウナ化が今年も始まりつつある
それでも去年に比べたら私は本当に仕事が早くなった 出来る限りの対策もわかっている
1年前、緊張しすぎてガチガチのがんこちゃん状態で働いていた頃の私が今の私を見たら何と言うかな
きっと想像より全然成長していなくてがっかりするだろう ドイツ語も仕事も、もっと完璧でカッコよくなれていると思っていた

しかしとにかくここでやっと1年、私は働いたのだ
ドイツの肉屋にたった一人でやってきて毎日ショックを喰らい受け止めたり吹き飛ばされたりしながらなんとかやってきた
1年前の自分に頑張れとは言えない 私にはこれまでの自分が頑張ってなかったなんて絶対に言えない
男性社会で超肉体仕事、言葉はまだまだ不自由で、信頼していた上司は辞めてしまった
それでもこれが私の選んだ道 人には決して勧められないが私はもう少しこの道で頑張りたいと思っている
2025年5月

2025年5月2日、私が働き始めた最初の日から1年が経った
会社では誰もそんな事など気にも留めずいつも通り働いていたし私もそうした でも働きながら深く噛みしめていた
この1年、私は本当に頑張った 本当に 本当に
5月14日、もうすぐ私の誕生日が来る
その時に自分へとびきりのご褒美としておいしいドイツのワインとソーセージを机に並べ、自分で自分を抱きしめるような1日を迎えたい
ここまで読んでくださりありがとうございました!
