高市早苗首相「存立危機事態」発言が招いた不可逆的な国益損失
衆議院予算委員会。高市早苗首相が放った一言は、歴代政権が30年にわたって積み上げてきた日中関係の安全装置を、たった数十秒で破壊してしまったともいえる。
「中国による海上封鎖などは、どう考えても存立危機事態になりうる」
この答弁は、単なる失言ではない。
中国側に「日本を仮想敵国とみなし、それを世界に発信する正当な理由」を与えてしまった、戦後外交史に残る致命的な戦略ミスであると考える。
1. なぜ「先制攻撃宣言」と見なされるのか?
高市首相に先制攻撃の意図がなかったことは明白だろう。しかし、外交の世界で「意図」は全く無意味である。
問題は、この発言の論理構造が、「日本による先制攻撃の予約」と中国側のみならず、一般的な合理的解釈として成立してしまう点にある。
【発言が作り出した論理の罠】
中国が台湾統一の初期行動(海上封鎖など)を起こす。
日本はそれを「存立危機事態」と認定する。
人民解放軍が日本への直接攻撃を行わなくても、自衛隊が米軍支援のために人民解放軍を先制攻撃できる。
中国側から見れば、これは「日本が攻撃されていない段階で、人民解放軍に対して武力を行使する可能性がある事を公言した」ことに他ならない。
しかし、さらに致命的なことは、これが「中国側から見れば」とはならないことにある。
2.首相発言の真の危うさ ― 世界が認定しうる「先制攻撃」宣言
高市首相の発言に対し、「中国を過度に刺激する」という批判がある。しかし、問題の本質はそこにはない。
最大の問題は、この発言の論理構造が、中国のみならず、国際社会における客観的かつ合理的な解釈として「日本による先制攻撃の予約」とみなされてしまう点にある。
国際法(国連憲章第51条)の原則において、自衛権の行使は「武力攻撃が発生した後」とされている。
これに対し、「攻撃されていない段階(着手の段階)で武力を行使しうる」と公言することは、世界中の軍事・外交の専門家から見れば「予防的自衛」あるいは「先制攻撃」の宣言に他ならない。
「いつ攻撃に着手したとみなすか」の判断権を日本側が独占し、実際に被害が出る前に引き金を引く選択肢をテーブルに乗せること。
これは、日本が憲法9条を盾に戦後築き上げてきた「専守防衛」のブランドを捨てたというメッセージを世界へ発信するに等しい。
この論理は、敵対国に「日本が動く前に叩く」という口実を与えるだけでなく、有事の際に国際社会からの正当な支持を失うリスクを孕んでいる。
我々は「勇ましい発言」がもたらすこの冷徹な外交的損失を、直視しなければならない。
専門家が危惧していた通り、存立危機事態の認定タイミングを具体的に示してしまったことで、中国は「日本は台湾有事の『初手』から先制攻撃してくる可能性のある仮想敵国である」という合理的かつ確定的解釈を得てしまったのである。
事態の沈静化を図った11月10日の記者会見も、完全に裏目に出た。
首相が繰り返した「最悪のケースを想定した」という言葉は、中国側及び世界各国に対し「やはり日本政府は、台湾有事を現実のシナリオとして具体的に準備しているのだな」という確信を深めさせただけだった。
3. 「戦略的曖昧さ」という武器を捨てた代償
タカ派といわれた安倍政権からハト派といわれた岸田政権に至るまで、歴代首相は台湾有事への対応について、頑なに明言を避けてきた。
「事態になってみなければ分からない」「個別具体的に判断する」 この煮え切らない態度こそが、「戦略的曖昧さ」だった。
しかし、高市首相はその「曖昧さ」を一瞬で捨て去った。
政治家が国内向けの勇ましい言葉に酔った瞬間、したたかな隣国はその言葉を拾い上げ、外交的な凶器として突きつけてくる。 今回の「存立危機事態」発言は、その残酷な現実を我々に突きつけている。
私は個人的に、「存立危機事態」という概念自体を生み出した安保法制そのものが憲法違反であると考える。
しかし、安保法制における概念を除き、「存立危機事態」なるものが存在するのであれば、それは、高市首相自身では無いだろうか…
