もう左翼オールドメディアを気にしなくていいんだ、と悟った日本政治がどこまで伸びるか
まあ、そういうことですよ。
朝日とか毎日とかの左翼メディアに逆らっても、世論で勝てる、とついに政治家が気づいてしまった。
政治の重石となっていた左翼メディアから、高市氏は解き放たれた。
ジョージワシントン号での高市氏の「はしゃぎぶり」は、その解放感の表現に思えたし、あれを批判するのは、「ついに飼い犬が言うことを聞かなくなった」という左翼総体の嘆きに思えました。
学者や知識人が拝跪する、「朝日・岩波」に代表される左翼的言論・知識の総体が、政治的には無価値となった。
そのインパクトがどこまで政治を変え、日本を変えるか。
思えば、参政党の躍進で、「外国人問題」を問題にしたくなかった左翼と左翼メディアに逆らって、世論が「問題だ」と主張することとなり、その方向に政治も動かざるをえなくなった、あのあたりから、変化が始まっていたのかもしれない。
あるいは、その前、安倍晋三さんが殺された時に、日本人の心の奥底で、何かが変わったのかもしれない。
そして、石破をやめさせ、小泉進次郎をしりぞけ、高市が総理になり、エコエネ施策の見直し、高齢者3割負担の拡張、そして、「ザイム真理教」に逆らって年内ガソリン税減税まで。
左翼と左翼メディアが閉じ込めていた問題群が、まさに堰を切ったように解き放たれはじめている。
この方向が、保守化、右傾化ではなく、税制や社会保障制度、安全保障や改憲を、左翼メディアがあつらえた問題設定の中ではなく、オープンな国民的議論の中で解決されていくように、仕向けなければいけません。
戦後の左翼メディアと左翼政党の密着ーー西山事件の時のように、毎日新聞記者から渡されたネタで野党が与党を責めたり、蓮舫みたいに、朝日新聞の社説のとおりに国会質問するような政治家は、もう用済みだとされなければならない。
用済みといえば、私も、オールドメディアは左翼だから信じるな、とずっと言ってきたけど、もう若い人にはそれは常識だから、言う必要がなくなった。
あとは、私をふくめた年寄りが死んで、若い人に社会が完全に代替わりすれば、メディアも、知識社会の総体も、変わらざるをえないでしょう。
それが、真の戦後レジームの克服ですね。
日本がここからどこまで変われるか、楽しみですが、途中で私はおさらばなのは残念です。
<参考>
