私は自分が胆のうがんステージⅣと診断されたとき、それまで感じていた不調・多発性リンパ節転移などの状況と、腫瘍熱と転がり落ちるような体重減少という状況を合わせて、自分は年内に旅立つのではないかと思いました。今は年内はいけるかなとは思っていますが、状況の厳しさへの意識は変わりません。
治療が奏功していることを公表しているのは、高額薬品として日本の医療経済を圧迫している事例として挙げられたキイトルーダやオプジーボなどの高額薬剤が、いかに今までのがん治療のイメージを払しょくするものであるかを、私の現状で社会の理解につながってほしいと願っているからです。
決していい気になっているわけではなく、この奏功もいつまで続くのかという不安は常にあります。
現行の高額療養費制度をもっていしても、毎回の請求書を見るたびに血の気が引きます。私が子育て中であれば、やはり家計への圧迫に耐えられなかったと思うのです。
胆のうがんステージⅣといえば「無理をするな」と言われることも少なくないですが、無理をして働かなけれは治療を受けられない現実があることも、声として届けていきたいと思います。
人生には思いがけないことが起こる。
夫がスキルス胃がんで54歳で旅立ってしまうとは思いませんでした。
実家の火事で親を一瞬にして失うとも思っていませんでした。
高額療養費制度限度額引き上げに対し要望活動をし、国会に参考人として呼ばれた私が、「いったん立ち止まる」と言われた秋には当事者として高額薬剤で命を繋いでいるとは想像もつきませんでした。
でも、これは誰にでも起きることだと思うのです。
人生で想定外の衝撃というのは突然日常に表れる。
それを嫌というほど体験したからこそ、このことに泣き寝入りせず、誰もが安心して狼狽えられる社会を願って、体験者だからこそ声を届ける『定め』があるのだと受け止めています。
今、治療が奏功しているのは、私の『定め』のために与えられた時間なんじゃないかと思っているのが心に一番近いと思います。
来年、私はいないかもしれない。
これが最後のクリスマスかもしれない
これが最後の箱根駅伝かもしれない
そう思うにしても、私は還暦を過ぎているのと、10年間希望の会を継続できた達成感で『もう、いいでしょう』という気持ちはあるのです。だから、最後かなという意味は、現役世代とは違うと思います。
こんな厳しい想いを現役世代が味わうことがないように、命に限りがあるからこそ、私は人生をかけて自分のがん罹患がより良い未来への理解につながる力になってほしいなと切に願っています。
本日は、朝8時から「超党派高額療養費と社会保障を考える議員連盟」の役員会に出席します。
近々、議員連盟の本会が開催され、政府に提言を提出する予定です。
私は「国民ふたりにひとりががんになる」ということを図らずも体現し、医療の進歩が人の命にここまで繋がるようになっていることも体現できる状況にあります。
国家予算は慎重に考え、何もかもがかなえられるものではないと理解していますが、人生で最大の衝撃を受けている人に負担をかけて他のことに国費をまわすことは、どうしても避けていただきたい。
「お互い様」として誰かが衝撃を受けているときに助けあえる国にしていけるのかは、政府の決定はもちろんですが、世論(社会の理解)が大きな力になることは間違いありません。
63歳…「ろみ」の年。
命の限りを実感すると、「なぜ生きるのか」「何のために生きるのか」と考える余裕はなく、「日々をどう生きるのか」しか考えられません。
でも「どう生きるのか…How」を突き詰めていくと、心身がクリアになることも感じています。
見えている「私はどう生きるのか」に向かっていきたいと思います。
タイムリーではありますが、ジャーナリストの岩永直子さんが前・後編として
私のインタビュー記事を公開してくれます
これほど率直に語ることはなかったし、読みやすく整理してくださっています
もしよろしかったらお時間があるとき、お目通しください
なんと!
腫瘍マーカーが正常値になりました。
もちろん、今後何があるかはわからないことも理解していますが、ここは素直に噛み締めたい。
高額療養費限度額引き上げへの要望活動は嵐の中に入ってしまったようで、正直なところ心身への負担を感じることもありました。
ステージⅣは夫の姿に重なり、『生きるとは』を考えた時、一瞬、治療をしない選択もよぎったのです。
私の今が、がん治療への希望と、経済的な理由で治療を諦めさせてはいけないという社会的理解に繋がるのであれば、高額療養費限度額引き上げはやめて欲しいとしっかり発信していきたいです。
お嫁ちゃんのムーちゃんが中国に里帰りしているので、長男が犬を連れて我が家に泊まりに来ています。
たぶん、私の状況を考えて、さり気なく様子を見に来ているのだと思いますが、そんな気持ちを有難く感じます。
今まで、夫が遺した動画を視聴することが出来なかったのですが、昨日、夫の動画をシェアしてくださった方がいて、意を決して視聴しました。
10月2日に胆嚢がんステージⅣの告知を受けてから1か月が経ちました。
多発性リンパ節転移を伴うことからも、来年自分はいないかもしれないと状況を受け止め、家族が片づけなくてはならないことを可能な限り減らすことと、自分の毎日を大切にする作業をしてきました。
胃がん啓発月間11月初日にあたり、みなさまに大切なご報告がございます。
今日は抗がん剤投与(ケモセラピーだから私たちはケモと呼んでいます)の日。
私は毎週投与✖️2で1週休みの2投1休のスケジュールです。
ケモの際、大量の水と利尿剤も投与されるため、5時間の投与中に何回もトイレに点滴棒をガラガラ押しながら行きます。
そのため、片手で扱える服とスリップインズが便利。
ケモの日にはワンピースを選ぶようになりました。
今日は長女がカレーを作ってくれました。
抗がん剤投与2クール目としてわかってきたのは、私は投与2~3日目に胃が重くなること。
夫のことも傍らで見てきた長女は、夫がカレーを食べたがっていたことを思い出したのだと思います。
近頃、私は家族として夫を支えるどころか負担をかけていたことをしみじみと思うのです。
胃がんだったのですから、食べることが何よりも辛かったのに
治療効果をあげなくてはと思った私は、夫に「食べろ、食べろ」といろいろなものを作り、あれこれ検索しては、1%でも可能性があるのなら取り入れなくてはと必死になってしまいました。
それがどんなに患者本人には辛いことかと言うことを、当事者になって改めて反省し後悔しています。
なんと!
炎症反応を示すCRPが0.19とほぼ正常値。
血栓もなく、血液検査にも表れていました。
「普段は見せないんだけれど、全ての腫瘍マーカー急降下だから見せるね。
調子が良いでしょう。
患者会活動も出張も、ターボかけなかったら大丈夫」と言っていただきました。
もちろん調子には乗りません。
ただ高額薬剤の力を実感して、改めて高額療養費制度が真のセーフティネットになることを切に願います。
明日は義従妹の葬儀。
私は抗がん剤治療の通院日のため、参列を見送りました。
轟家として私の長男が喪主となり進めています。
90歳を過ぎた義母は、今まで自分の子どもふたり(うち1人が私の亡き夫)を含め、配偶者、姪たちを見送ってきました。
今回は私の胆嚢がんステージⅣにもかなりショックを受けてしまい、私の長男長女がかなりフォローしてくれています。
私は昨日はオンサイトでの講演も出来たし、先週から永田町にも伺っています。
写真は初ウィッグでの外出時のもの。
がんになってもおしゃれを忘れたくないから、メッシュを入れて作りました。

今日はがん告知を受けてから初めて数名の方とお会いしました。
みなさん、私が入院していて、げっそり痩せているのではと心配してくださっていましたが、
「前より表情が明るい」とおっしゃってくださいました。
生検のために入院した2日間以外、抗がん剤投与は週1回の外来で、自宅で仕事し普通に生活しています。
がん告知前の約半年、メンタル不全だと思っていたくらい不調でしたが、
やっと自分が戻ってきたように感じられているのも嬉しいです。
抗がん剤投与が重なると副作用が出てくるとか、免疫力が落ちるから気を付けて等のアドバイスを届けていただいておりますが、さすがに10年間がん患者会の代表をしているので、そのあたりの認識はあります。
また、胆嚢がんステージⅣを甘く考えてはいませんので、自己判断はせず、全て担当医と相談しながら行動しています。
担当医は細やかに検査結果と私の治療日誌をみて、注意すべきことはしっかりと伝えてくださり、大丈夫なこともしっかり伝えてくださっています。
私が自分のことをちゃんと開示し、医療者が専門性をもって判断して、ともに考えていく大切さを常日頃から感じていたので、それを実行できている今に心から感謝しています。
どんなにダイエットしたいと思ってもビクともしなかった体重は一時7キロ落ちましたが、休薬期間である今週2キロもどりました。
髪の毛が細くなったこと
便秘に悩んでいること
下着や洋服によっては跡がつくことが今感じている副作用です
今、もし副作用がキツかったら、私は死にたくなっていたかもしれないなと思うのです。
変化は3月後半から感じていました。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群のものが含まれる夫の血族は
関係があるといわれる胃癌、膵癌も含めて多くの者が、がんで60歳前に旅立っています。
私の長男、長女は未発症で遺伝子検査を受け、遺伝性を受け継いでいないことが判明しましたが、長男はこどもを持たない選択をし、長女は家族を持たない選択をしています。
今、膵がんの身内が終末期にあり、私はキーパーソンとして病院や在宅、訪問看護等と連絡をしてきました。昨日は身内の姿に自分の今後を重ねてしまいました。
みんな、痛みや呼吸に苦しんでいた。その姿は遺族の生きる日々の質に関わっていきます。
私にもいずれそういう日々がやってくる。早期からの緩和ケアと共に、痛みや苦しみを和らげる専門性が穏やかな時間につながることが、がんのみならず全ての人に必要なのだと改めて思います。
少し気持ちが落ちて帰宅した私に、昔、みんなのうたでやっていたという【ヒロミ】という歌を教えてくれるメールが届きました。
今だと不適切だと言われてしまう部分もありますが、とってもかわいい歌詞で、
『好きだよと言ってみたいのに
言えなくて、だからふざけるの
ヒロミ、ヒロミ、ぼくのヒーロー
ヒロミ、ヒロミ、ぼくのヒロミ!』
という歌詞なんですよ。
日常の中で私のことを思い、この歌を送ってくれた気持ちに
がんを告知されて、初めて涙が一筋流れました。
正直なところ、前職では皇族と関り、今年は国会に呼ばれ総理に拝謁の機会をいただくということは、誰にでも起きることではないと思うのです。
その人生が、夫をスキルスで喪い、親を火事で喪い、不幸すぎて怖いと言われて職を追われることを引寄せてきたんじゃないかと責任を感じていました。
高額療養費制度に関して要望活動をしてきた私が、「いったん立ち止まる」と言われた期限の秋に、胆嚢がんステージⅣの告知を受けた。どんだけな引寄せ人生なんだと思っています。
明日のことはわからない。
でも今、こんな風に心を寄せてくれる友人がいることは
私の人生は豊かだったと言うことです。
人生の最終章だからこそ、伝えてもらえることもあるんですね。
その時がくるまで、豊かに時を重ねていきたいです。
【ヒロミ【みんなのうた】1980年
初抗がん剤投与の翌日『久しぶりに自分が戻ってきた』という爽快感があったのは血液検査にも表れていました。
炎症反応を示すCRPが10.6→4.2(それでも通常と桁が違う高値ですが)に下がっていて、他の数値も良くなっていました。
初ケモ翌朝。
数か月ぶりに自分が戻ってきたような爽快感。腫瘍熱が下がったのです。
【告知と治療について】
スキルス胃がんで夫を見送って9年。
胃がん患者会認定NPO法人希望の会の理事長として過ごしてきた私。
2025年10月2日、生検・PETなどの検査を経て、正式に胆嚢がんステージⅣとの診断を受けました。
夫が旅立って間もない頃、私は厚生労働省がん対策推進協議会委員の打診を受けた。
その頃『抗がん剤をしたことないくせに』『自分の寂しさを活動で埋めている』など散々言われていた。
死んだら許してもらえるのかと思い、ハッと気づくと線路を見ていた。
国際学会には通訳機はない。
講演、質疑応答が、多分わかっていることに1番びっくりしているのは私。
ディナーで、どれくらい英語を勉強してきたの?と聞かれて、「パンデミックが始まった時」と話したら驚いてくれて、なんか嬉しかった😆
パンデミックが始まって、私が痛感したのは、家に動物と私だけしかいないこと。
誰かと話したい。
それで始めたのがオンライン英会話と音声アプリclubhouse。
あまりの話せなさに凹んだけれど、人と話せることがありがたかった。
先週、約8年の歳月をかけて願い続けてきた『ゲノム医療法』が参議院本会議で可決する瞬間を国会議事堂内で見つめながら湧き上がるものがありました。
希望の会をNPO法人として設立したのが2015年3月。『情報格差を無くし、患者家族が納得して選択するための基盤を作りたい』という夫の想いを知り、高校の同級生や大学スキー部の仲間がNPO設立に尽力してくれました。
ほぼ時を同じくして発足した全国がん患者団体連合会に加盟。ちょうど『がん対策基本法』が施行から10年を迎えようとしていました。亡くなってしまう、数が少ないなどの状況から声が届きにくく、がん対策の狭間で取り残されていた難治・希少・小児がんの対策推進を基本法改正案に明記することを求めて要望活動が行われていました。『政策提言』の右も左もわからない患者会発足間もない私たちは、全国がん患者団体連合会加盟団体のみなさんの背中を必死に追い、要望活動の『いろは』を身をもって教えていただきました。
「政策提言」ということにネガティブな反応を受けることがあります。ただ、アドボケートする人がいなかったら叶わなかった法や制度があります。投稿や写真、取材で知られることは一場面です。そこに至るまでの過程はあまり知られる機会がありませんが、結構、心身のエネルギーを要すること。今回、時にフラっとする自分に年齢を実感しました。
海外の患者支援団体では活動の柱の一つで、患者アドボケーターの養成にも積極的です。プロのロビイストを持つ団体もあります。
今週、国際胃癌学会に臨むにあたり、過ごしてきた日々は裏切らないことを胸に、多くを吸収したいなと思っています。
柔軟性を持ち、芯はブレず、行動できる生き方が出来なくなったら身を引こうと思うのでした。
『薬を正確に服用するって大変』と実感しています。
昨年来、感じていたのが胸やけと消化不良。さらに腸の働きが鈍いこと。
先日、2日間にわたって胃カメラ・大腸内視鏡・エコー検査を受けました。
昨年後半から不調を感じており、いわゆる地域のかかりつけ医に毎月、症状を伝えるも、返って来る言葉は
岡崎 裕子さんの個展を、いつも楽しみにしています。
岡崎さんとは前職でのご縁です。

還暦になってから、自分で限度を決めるのは勿体無いなと思い、いろんな場に参加しています。
自分と同じ考え、感覚の人と居るのは心地よいけれど、それは時に死角を生んでしまうんだなと感じます。
昨日も、そんな想いであるワークショップに参加しました。
私が感じたのは、似た経験、近しい人からのスティグマの深さ。
この投稿をすることは、またもや『水を差す』ことになりかねず、ちょっと迷いました。
でも、私はAYA世代の会員が多く所属する患者会だからこそ、AYA世代のがん啓発にも取り組んでいるので、言葉にしようと思いました。
昨夜、がんをテーマに作成された『幸福なひと』の後編と、その前に放映された『AYA世代のがんと妊孕性』を視聴しました。
「がんのイメージを変えたい」「がんの正確な現在地を知ってほしい」という想いで制作されたドラマであるというという事前の発信に何度か接していましたし、制作に携わった方々を存じ上げており、その想いは理解しています。
また、取材に応じることの重みを自身でも体験しているので、取材に応じた方々の想いの尊さも感じました。