生成AIの成果物に責任を持ってくれ
プログラマーの世界では昔から「お前がコピペしたコードはお前のコード」というならわしがある(多分)。つまり、たとえばコードレビューで他の人から指摘が入ったときに、「隣にある別のコードをコピペして作ったからそうなっている」というのは言い訳にならないということだ。ペーストした瞬間からそれは自分が責任をもつべきで、そのためにはそのコードを自分で理解して説明できる必要がある。ジュニアプログラマーはこういった意識が薄いことが多いが、レビューする側のプログラマーとしては、ジュニアプログラマーが責任を持った振る舞いをしてくれないと非常に疲弊するので、こういう哲学は早めに教え込むことが多い。
これに似た話として、最近、プログラミング以外の事例も含めて、生成AIに作らせたものを隅々まで自分で理解しない・説明できない (つまり責任を持てていない) ままそれを成果物として他人に見せるケースがあまりに多すぎるように感じている。
たとえば何か調べごとをしようと思ってググって、出てくる記事がいかにも、生成AIに書かせましたね、という文章に当たると、非常に徒労感が残る。まあこのケースはただで読ませてもらってるんだから文句は言えないけど。
タチが悪いのは、生成AIの成果物というのは、いかにも「それっぽい」文面等でかさ増しされていることが多々あることだ。レビュー者からみて、本質的に重要な部分がどこだかわかりにくい、もやがかかったように感じられる。それで真剣にレビューしたのちに、なんとかそのもやの正体をつかみつつそれをクリアにするための質問すると「それは生成AIが作った部分なので・・」みたいに言われると徒労感がすごい。
そういうことが多々あるから、いわゆる「生成AI臭」みたいなものに最近は敏感になってきた。ChatGPTがよくくっつけてくる🔄とか✅とかのアイコンを見ると、アンテナが立ってしまう。なんなら箇条書きにまで構えるようになってきてしまった。悲しい。
一応、自分はアンチAIなどではないことは明言しておく。成果物が良くてそれに責任を持ってくれるなら利用してる技術はなんでもよい。
生成AIを (成果物をつくるために) 使う権利があるのは、生成AIの生成物を必要に応じて「捨てる」ことができる者に限ると思う。文量に対して情報量が少ないと思ったらそれは捨ててくれ。プログラミングだったら冗長なエラーハンドリングしてるコードや早すぎる抽象化がされたコードが生成されたらそれは捨ててくれ。「あっている」でも「まちがっている」でもない、「そうだね」みたいな情報量ゼロのものは、それを読む方の人間にとって有害である。
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