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Bio_100%と俺。shi3zというハンドルネームができた理由

昨日は往年のフリーソフト開発集団「Bio_100%バイオ百パーセント」のイベントを技研バーでやった。

先週まで、チケットが3枚しか売れてなくて「やばい。altyに殺される」と思ったので慌てて告知したら、4gamerなんかに載ってしまい逆に「知らない人が30人で技研ということがイメージできなくて大混乱に陥るのでは?」と心配する人が出始めたので慌てて募集を締め切った。すでに20枚は売れていただけでなく、そもそもFacebook上でも20人くらいが参加意向を示しており、混乱必至だった。

するとふかみんが「Bio_100%のゲームとかやらないの?」という話をしてきて、そういえば何も考えてなかったけど、イベントとしてゲームくらいはやらないとなあ、と思ったので色々とセッティングをした。

名作SuperDepth

altyが来るまでちょっと時間があったので、まずはaltyの差し入れしてくれたシャンパンのダブルマグナムを開ける

ダブルマグナム

そしてまずはBio_100%の最後の新入メンバーであるtarboから挨拶

tarbo 右はシン石丸

Bio_100%について知ってる人に説明する必要はないが、知らない人には説明が必要だろう。

1990年だいが始まった頃、コンピュータゲームというものはものすごく高い値段で売られていた。だいたい7000円くらい。今もAAAタイトルと呼ばれるような超大作はそのくらいするが、そこまで複雑じゃないゲームでも5000円くらいするのが当たり前だった。

そこに颯爽と現れたのが、ネット界のスーパースター、Bio_100%だ。
Bio_100%は「商用レベル、いや、それ以上」と言われるほど上質のゲームを全てフリーソフトとして流通させるという活動を行い、当時のパソコンマニアたちを熱狂させた。当時、5誌くらいあった各社の月刊パソコン雑誌には毎号必ずBio_100%のゲームが収録され、当時の雑誌を競うように買い漁った。

当時は違法コピーソフトが普通に流通しているような世界で、友達にビデオを貸すような感覚でソフトをコピーしているような状態が普通だった。

とはいえPC-9801で遊べるゲームはほとんどなかった。PC-9801での活動をメインにしていたBio_100%のゲームは僕にとって初めて「夢中になってゲームを遊ぶ楽しさ」を教えてくれた。

それ以上に、Bio_100%のゲームは「面白さとは何か?」ということを常に徹底的に問いかけてきた。

めちゃくちゃ手が込んでるというわけでもないが、確実に「面白さ」の芯は捉えている。その秘密を知りたかった。

僕は18歳になった頃、ゲーム開発の仕事を初めていて、一端のプロのゲーム開発者になってもBio_100%のゲームの魅力をうまく言語化することも、理解することもできなかった。模倣することはもっと難しかった。

ギャラクシアンのようだが、時間制というルールにしたことによって別物の面白さになったCarax'92

その後、ゲーム業界を離れて大学に戻ると、Microsoftの新技術のDirectXというものが登場し、再びPCでゲームのようなものを作ることが盛り上がってきた。

ところがDirectXの情報はほとんど日本語になってなかった。公式のマニュアルさえほとんど出鱈目な日本語で書かれていた。3Dプログラミングに関しては、特に、専門家と呼べるような人が日本には数えるほどしかなかった。

僕は幸いにも、3Dプログラミングを小学生の頃からやり続けていた。特にリアルタイムの3Dプログラミングをやる人は日本に数えるほどしかいなかったので、暇に空かせて勝手にWebサイトでDirectXの情報を日本語訳したり、海外の開発者と連絡をとってリンクを貼ったり、彼らの解説を日本語訳させてもらったりしていた。

そんな時、声をかけてくれたのがBio_100%のリーダーのaltyだった。
実はaltyは当時Microsoft株式会社でテクニカルエヴァンジェリストになっていたのだ。

それから僕はaltyの弟子になった。まあ正確に「弟子入りした」ということはないのだが、誰を師匠と呼ぶかは個人の問題である。何しろあれだけ面白いゲームをバカスカ量産できて、しかも無料で配りまくる人だ。一体全体どんな秘密があるのか知りたかった。最終的に、四六時中altyと一緒にいるようになり、五年間を全てaltyや仲間と過ごした。

そんな時に、Bio_100%が運営しているBBS(電子掲示板)があった。NiftyServeのFGALGLというフォーラムだ。

このフォーラムのチャットに、Bio_100%のもう一人の中心メンバーである恋塚さんがいた。

僕は当時ずっと本名で執筆していたので、英字にしたときに自分の名前がやたら長くなるのが嫌だと思っていた。

Bio_100%のメンバーは、altyやmetys、tacox、nanorayといったカッコいいハンドルネームを名乗っていて、僕もなんかそんな感じのやつにしたかった。

ある日、FGALGLのチャットの主だった恋塚さんとそんな話をしていたら、じゃあ清水に新しいハンドルをつけようという話になった。チャットというのはずっとやってると暇なので、何でもいいから暇つぶしのタネがあればいいということがあるのだ。

ところが「でも今更、清水をシミズ以外の呼び方で呼べるか?」という話になった。じゃあ呼び方は変えずに表記を変えよう、ということで清3Zというのを最初に考えた。何でも短くすれば打ちやすい。ハンドルはサーバーにログインするときのユーザー名にも使うし、短いに越したことはなかった。

でも、清3Zだと「キヨシミズ」とも読めてしまう。それにそのままではログイン名にもメールアドレスにも使えないのでshi3zになった。頭文字が小文字なのはBio_100%のハンドルネームのルールに従った。

その後、enchant.jsやenchantMOONという製品の開発に関わるが、頭文字が小文字なのはこの名残である。しかし、海外に行くと頭文字が小文字だと固有名詞として認識されにくいので、あまりいいアイデアではなかったかもしれない。

しばらくしてaltyが登場
往時は100キロを超えていたが、今は70キロ台にダイエットしている

alty

アドベンチャーレースという超過酷なレースの参加者であり、一日に100キロも自転車を漕ぎ、パックラフトというボートの日本最大のコレクターと呼ばれ、ボートのために救急救命士の資格まで取っている。

altyがSuperDepthをプレイするところを久々に見たが、さすが作者だけあって一発でボスまでクリアしていた。

発想の転換という意味でエポックメイキングなSuperDepth 潜水艦ゲームなのに操縦するのは宇宙戦艦

当然、この日のハイスコアなので、集まったBio_100%ファンたちも大いに盛り上がった。

なぜGQuuuuXのTシャツなのかは不明

僕は一時期、「有限会社バイオ百パーセント」の名刺を持っていたことがある。

altyがMicrosoftをやめる前だ。
この会社は、実はaltyが友人から貰い受けて改称したもので、もともとは「有限会社ドワンゴ」だった。

altyとの出会いと、その後の話はこの本に書いた。