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スイッチサイエンス高須さんの講演がエモすぎた

先週のメイカーズ長岡まつりの写真を整理していたら、高須さんの講演を撮ったものがいっぱい出てきた。

普段、あまり講演の写真を撮らないのだが、高須さんの講演は素晴らしすぎたので写真に撮りたい場面がいくつもあった。

とりあえず写真で振り返ってみる

高須さんは世界中の「メイカーフェア」を回っている。公式のものも、そうでないものも、「メイカー」っぽいものは全部回っているという非常に珍しい人だ。その高須さんの目から見て、日本はかなり特殊な状況にあるようだ

日本のメイカーの国際進出は世界一

僕も、ローマとベイエリアのメイカーフェア(Maker Faire)には行ったことがあるが、どちらも「仕事」っぽい感じの展示会だった。

学校や企業が、「こんな取り組みをしてます」と紹介するのと同時に、副音声で「だから買ってください/学生として入学してください」という本音が聞こえてきてしまう。これはこれで、ビジネスマッチングとして悪いわけではないが、日本は同人誌文化が根強く存在するため、「僕が作ったこれを見て!」という「発信型の個人」による出展が多く、その結果、世界中のMaker Faireに参加している傾向が強いということらしい。

チームラボに所属していた高須さんは、シンガポールへの単身赴任を決意する。40歳、TOEIC320点の挑戦だった

よく考えるとすごい決断だ

そして、シンガポールでひとりぼっちはあまりにも寂しいので、一番近くのメイカーフェアないかなと思って出会ったのが深圳だった。

ちょうど俺がenchantMOONを作り終えて帰ってきた頃

高須さんは「ニコ技深圳コミュニティ」を組織し、深圳の若者たちと積極的に関わるようになる。

高須さんは現地で仲間を作るため、積極的にトークイベントでの登壇を申し込んだ。

英語が得意なわけでもなかったのにプレゼンに挑戦したのはすごい

その結果、高須さんはついに深圳に移住するようになる。

「ビジネスだって遊びになる」

高須さんは当時、深圳を見て「ビジネスだって遊びになる」と思ったそうだ。

これに関しては、僕は二十歳の頃から「仕事は遊びの延長にある」と思っていたので、別に場所に限定した話ではないと思うが、やっぱり高須さんにとってその発見は大きかったのだろう。

そうした交流の中で、M5Stackという人気商品に辿り着く。
高須さんもスイッチサイエンスに転職し、M5Stack社への投資を決定する。

アメリカのVCっぽい嫌味

M5Stack社にはすでにアメリカのVCが投資していて、「お前らどこ中だよ」みたいなインネンをつけられたらしい。

「俺たちはソフトバンクともAmazonJPともパートナーなんだ。それ以上の見返りをお前らはできるんか?」

というわけだ。全く失礼かつ間抜けな連中である。

そこで高須さんは、GOROmanがOculusのHMDをかぶって山手線内を移動している映像を見せた。

「ソフトバンクはこんなプロモーションをM5Stackのためにやってくれるか?やんねえよ、スマホほど儲からないんだから」

それはそうだ、とVCは理解したという。
実際、M5Stackが日本で普及するときにスイッチサイエンスが果たした役割はあまりにも大きい。

スマホほど儲からないかもしれないけど、みんなが欲しいものを確実に日本に持ってきてくれる。合法的に。それはとてもありがたいことだ。

他にも、SiPEED社ともビジネスを構築したり

黒板が中国語なのがすごい

八面六臂の活躍をするわけだ。
そんな高須さんを支える哲学はこういうもの

「好きなことだけをやろう」

なんてことだ。
そりゃ当たり前だ。

10代の頃から、好きなことしかやってきてない。俺は。
でも、それが講演のテーマになるくらい、難しいことなのだ。多分。

そして高須さんはこう締めくくる

「一緒にいてくれてありがとう」

高須さんのおかげで、ほんの少しだけかもしれないけど、長岡は変わっただろう。

僕は長岡が好きだから長岡で活動しているわけではない。
長岡の子供達が、多分世界で一番僕の言葉に真剣に耳を傾けてくれるから、長岡で活動しているにすぎない。

それは物心ついた時から同じように雪かきをして、雪下ろしをして、冬の寒い通学路を長靴をビシャビシャに濡らしながら歩いた共通の体験があるからだ。吹雪いて1メートル先も見えないような通学路や、雪の中に埋まった記憶、消雪パイプの錆で赤茶けた道路や、越後交通のバス、フレンドのイタリアン、そして長岡花火。そういうものの記憶が、僕を形造り、今も長岡の子供達に共通する感覚だからだ。

そして、「米百俵」の逸話が象徴する通り、長岡は子供の教育に投資することを、美徳と考える土地なのだ。

僕は長岡が好きだが、それを理由に長岡と関わることはしたくない。
公正じゃないからだ。僕にとって、長岡は、最も合理的に関わる理由のある場所の一つでしかないのだ。あえてそのようにするのだ。

それは僕が東京に住み、秋葉原周辺に事務所を構え続けていることと同じだ。秋葉原には必要なものがあり、東京には必要な人がいて、世界中と繋がっている。どんな場所にも24時間以内に行ける。

僕には常に世界中どこにでも住む選択肢があったが、常に東京を選択してきた。それは自分が一番有利に行動できる場所だからだ。僕が成長し続け、人と交流し続けることができる場所は、今のところ東京がベストなのだ。

雪国で暮らしていた頃、都会から来る情報は全て眩しかった。
都会の書店に行きたかった。
秋葉原で毎日買い物がしたかった。

それが全部できるようになった今、むしろ都会から書店は消えて、長岡には巨大な書店ができた。今でも中央図書館に行くと胸が高鳴る。そういう興奮は、東京の図書館にはない。

本ならなんでもそろう

長岡から東京は、決して遠くない。
たった90分でいける。僕は毎日の通学に同じくらいの時間をかけていた。

それと同じ時間でいける。それもまた、中越の偉人、田中角栄の成し遂げたことだ。

日本中から人を集めようと思った時も、新幹線と関越自動車道があるから簡単に集まることができる。

それは偉大なる先人の残した大いなる遺産レガシーなのだ。

高須さん自らの記事はこちら